建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-116 October 2019

HITBIT[心もよう]vol-116 October 
9月は大変失礼しました。9月号は休刊しようと思いましたが、迷いつつタイピングをし続けていた思いを加筆修正しつつまとめ上げ、投稿日を本当の日付より一月も繰り上げ、投稿しました。vol-115・・・を、あらためておよみいただければと、身勝手にも思いおります。
       ――スズメバチとの戦いから・・・己の愚かさを知る――
これを書いています今日は、すでに11月5日です。数日前から気温が4・5℃下がって最高気温が18℃から22℃あたりをさ迷っているようです。
宵ごとのウオーキングコースの街路樹。イチョウ・いちょう・銀杏の並木が一昨日3日頃から盛んにギンナン・銀杏を歩道に落とし始めました。
例年と違って、実は小さいのですが落ちる量は多く、そのギンナンの喬木が広い歩道の歩行用と自転車用の隔てに10mほどの間隔を置いて在り、それを結ぶかのようにアベリアなどの低い刈り込み帯が隔てている。
黄色く熟した実が自転車や歩行者に踏みつけられ、つぶれて散り敷いている。しかし、例年に追ってくるギンナンの腐る臭いは感じられない・・・不思議だ。
そういえば、ボクの観察では、黒松は枯れる年には、例年以上に樹形を覆いつくすかのように小粒のマツカサをつけ立ち枯れるが、このイチョウの街路樹は枯れる様子はない。そう、この小粒で大量のギンナンは、この夏の異常な高温そして多発する台風と多雨、その異常ともいえる気象状況に身をもって感じたのか、松に似た生態・・・枯れる危機感・・・そんなものを体現してこの世に示しているのだろうか・・・と、思いめぐらしてもいる。
そういえばもう一つ、9月末から10月初めのこと、”スズメバチ“が我が家の周囲を盛んに飛びまわていたが、ついに家の中にまで飛び込んでくるようになった。時にはキッチンそして居間さらに居間のベランダと、ようやく涼しさが感じられる季節の変わり目、いたるところを数匹いや5・6匹と飛び回るようになった。そして間もなく台所の換気扇、その屋外フードの中に巣をつくり始めたらしく、換気扇カバー越しに鉢が大量に飛び回る恐ろしい羽音が聞こえるようになった。
ボクは恐怖にかられ、不織布でできた換気扇カバー越しに、室内からあの赤い缶の”ジェット噴射でハエ・蚊を落とす!/アースジェット/無香料・目鼻咽喉にやさしい低刺激”という“やつ”を、バンバン・シュウシュウ・・・換気扇の回転を止めたり、寸動させたり、回転させたり、さらに、回転を止めたり、寸動させたり、停止したり・・・間にまに、バンバン・シュウシュウ・・・を繰り返し、繰り返し、10日間ほど戦い続けた・・・。そう、この戦い・・・ボクにとってはまさに戦い、スズメバチとの果てし無き戦い・・・、幸いに不織布のカバーのおかげでハチの直接の反撃はなかった。それで、不織布でできた換気扇カバー越しに、室内からあの赤い缶の、ジェット噴射でハエ・蚊を落とす!/アースジェット/を、火炎放射器か毒ガス噴射機さてはデモを蹴散らす催涙ガス入り放水銃、バズーカ砲・・・ええ、どうでもいいけど・・・とにかく、気持ちは戦士、襲い掛かる敵を振り払いつつも、一日に何度となくひるまず襲い来る敵。このひるまない敵・補充される敵兵・スズメバチ軍団を壊滅させるべくボクは孤軍奮闘・・・ただし、このボクには最新兵器、この強力極まりない、この時は半信半疑ながら・・・ええっ、このボクは独り、信じるしかない”アースジェット“・・・時には、敵・スズメバチの寝込みを襲って真夜中の闘い、さらに気温が最も低い夜明け前、また、雨降りの時・・・などなどと、孤独な戦士・ボク・リュウは自然条件を考えつつ戦いました。
そう、この気象状況を味方につけること、すなわち、近代戦の必須・・・それで、気象学・気象観測の技術・論理は急激な進歩を遂げたのでした。
そう、第一次世界大戦、第二次世界大戦・・・工業力と科学技術を背景にした大戦・・・はい、航空機やタンクといった近代戦には、気象の把握が必須となったのです・・・。ええ、もちろんそれに加えて、ゲリラ戦も・・・レジスタンスの闘士のつもり・・・そんな、ゲリラ的知略・策略・科学的ともいえる戦術を駆使し、敵軍を撃破・・・本当に、撃破そのもの・・・ナバロンの要塞・・・を陥落させた知恵と勇気・・・ええ、為せば成るなさねばならぬこの戦い・・・スズメバチという侵略者・・・そしてほぼ10日、敵の羽音は遠ざかり、軍団の補充も補給も途絶えたのか、そう、ロジスティック・・・この補給ということ、人的・物的・武器弾薬・・・この侵略者・スズメバチ軍団の補充・補給路をボクは断ち切って、排気口外部フード(洞窟要塞)に立てこもった黄色に黒の横縞軍団を根だやしにと立ち向かった。
さらに、どこから入り込んだのか、女王バチ、立派な胴・張った腰・・・いかにも多産系のその体つき・・・グラマラスそして極めてセクシー・・・働きバチの二倍ほどもある彼女・女王が、キッチンへ紛れ込み、そう、アースジェットで弱り切った、見事な肢体を鼓舞して挑んできたのだが、ここで墜落、真っ白なカウンターの上にその美しい身・肢体をのたうちまわし、ボクを悩ませ、最後の羽音を幾度も幾度も発し、ついにこと切れた・・・。
ああっ、ボクは勝利したのだ・・・そう、この凶悪極まりないが、あまりにも美しい、スズメバチの軍団・・・その一個師団をボクは屠ったのだった・・・それもその女王をも・・・この比類なき美しさを持つ女王をも・・・。
・・・しかし、この戦い、ああなんと空しい戦いだったことだろう・・・。こんなにも美しい虫の一個師団を全滅させるなんて。
・・・それは恐怖から、そう、そのスズメバチの恐ろしさは、ただ聞き知っていただけなのに、実体験して恐怖を持っていたわけでもないのに、ボクはこのスズメバチの一師団を、そして女王までも・・・そう、根絶したのだ・・・この罪深いこと、訳もわからず、聞き知っただけの恐怖心から、ボクは、最新兵器”アースジェット“を、大量に買い込み蓄え保持し(毎年買いこみ蓄える・事実は2・3本)・・・ついにそれを使い切った。そんな空き缶がキッチンカウンター上にごろごろと何十本も(本当は2本)砲弾の薬きょうが戦場に転がるように・・・さらに、そこ、換気扇の外部フードの下には数百匹、事実は数匹(働きハチはとっとと荷が去ったのか)の最後の戦士ハチの死体が(重なるようにごろごろと転がり)、フードの中には、まるでナバロンの要塞の爆撃破壊し尽くされた、廃墟のように、縞模様を浮かび上がらせた、五月のぼり鯉のウロコのような美しいグラディエーション模様の黄色の文様が無残に破れて残っていた。
・・・ハチが巣を作る年は台風が多い、と昔から言うと、父母から聞いていました。
本当に今年のハチの活動の季節、台風があまりにも多く、その被害も甚大です。昔の人たちは、気象学を知っていたわけではない。ただ経験からだけからも、その前兆や現象から、台風とハチの営巣が関連すると、ボク自身は、黒松が枯れる前の年、その木が異常なほどのマツカサをつけること(これはボクの観察からの報告です・・平和公園の森の中で感じたこと・知ったこと)・・・などと、その生命と自然とのかかわりを、人は常に、目にし、心に感じていた前科学の時代。そして命のむなしさも生きものの・・・植物・動物・・・ともに、その命の限りあることも・・・空蝉・うつそみ・・・そこに古代の人、日本人は”むなしさ・命のはかなさ“ということにも気づき、それを感じる心を大切にしてきました。それが、この国土・二ホン列島に住む我々二ホン人の心の深層に宿って、この四季の移ろいを心待ちにし、その去り行くのを惜しみ、かつ、楽しみ哀しみ寂しがり、歌い奏で、歌に詠み物語に表現し、人の心と自然のなす世界の立ち切れぬことを享受し、いとおしんできたのでした。そして、そこにいろいろな意味での平和や平安があったのでした。そう、雪が解け小川にせせらぎの音が聞こえ、桜花も遠く近くの里や山肌に白く時に淡く見出し、迷い蛍を蚊帳の中に見出し息を詰め、棚田に張られた水面の満月に堪能し、その畔に白もわずかに混じる真っ赤な曼殊沙華の群れを見出し、稔る稲田に黄金の美しさを見、さらに安心を同時に見て、紅葉も雪景色も若葉の風に揺れる五月の山々も、風の吹きならす木々の枝のうめきにおののき、か細く降る雨に濡れる庭に心を置き・・・そう、誰が争いを、戦争を好むのでしょう.スズメバチの恐怖に思わず大量殺戮・アースジェットを使って、真夜中と夜明け前のゲリラ戦までやらかしたこの夏の愚かなボク、令和元年の夏のボクは、体調もさることながら、心も病んでいたのかしら、そう、孤独感が大きくのしかかってきて、孤独なバカゲタこと、ことにスズメバチとの攻防に明け暮れた10日ほどのこと。
ええ、人は愚か、ボクは愚かの極み・・・日ごろは戦うことを疎み、戦争に反対し,軍拡には対しながら・・・戦いを忌みながら・・・その何でもない、実態を見聞きしただけなのに、恐怖におののき、こんな戦争をしてしまった、ボクです。
ああっ、スズメバチでよかった。恐怖心は大きくあったけど、それはまだ最新兵器”アースジェット“をもってすれば、最初から勝敗はついていたのでしょう。ただ愚かなボクは、ここへ書きつらねたように、あらぬ恐怖心・幻想の恐怖心が先行し、かつ、ボクが自分自身の恐怖心を抑えられないことと、手元近くに戦いの武器最新兵器”アースジェット“が存在したことが、愚かな戦争へとボクをボク自身が駆り立てたのです。
・・・そう、これは”寓意“・・・しかし、これは笑い事ではありません。たかが、スズメバチの侵略に怯え震え上がったボクは、日ごろの自制心を失って、いや、もともと自制心は希薄か???かつボクはスズメバチという、概念的な敵、襲い来るに違いないその攻撃性の過大な世評を信じ、殺戮に走りました。本当は、ボクには確信があったのです、それは“こんな敵に負けるはずはない、やっつけることが出来る”と、たかをくくっていました。
そう、人、人間はこうして、戦争という悪魔の手中へと身をゆだねるのでしょう。大げさではなく・・・。
そう、スズメバチと人は生態的に相いれない決定的敵対関係にあるのでしょう、しかしこれが人間同士・国と国同士ではどうなのでしょうか。
・・・ええ、思います・・・人間同士、決定的な敵対関係なんてあるはずはないと、“人間の性善説”をボクは信じます。人間、話し合って分かり合えないはずはないに違いないと、話し合えば必ず分かり合えるはずだと、虫とは違った”心”をもつ人類・・・それが落ち着いて語り合えば、必ず分かり合える、指を掛けた赤いボタンを押すなんてことにはいきつかないのではと、このボクの愚か極まる戦争体験?から、改めて考えたことです。

9月の中頃から今月10月にかけて多くの台風が日本列島を襲い、防風雨がこの国土に惨事を引き起こしていく。今年の台風・・・15号17号19号21号と、奇数番号の大風が、猛烈な雨降りを伴いながら東関東・甲信越・東北へと襲い掛かった。ひと月に降る雨量を一日で降らせる今年の台風・・・。
被災された方々・方面の方々へ・・・お心を強くお持ちくださり、この苦境を乗り越えていただきたいと、心から願いおります。
とにかく、季節の変わり目、お体お心へ、インフルエンザが入り込まないようご注意ください。予防注射も急いで・・・そして、お元気で・・・再見!
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HITBIT 心もよう vol-115 September 2019

HITBIT[心もよう]vol-115 September 2019
9月はじめの1日2日3日に、せっかく書いた記事がどこかへ行ってしまった・・・。
かつては、このようなことが度々あった、そう、設計のためにアップルのマッキントッシュ。Mac Osを使い始めた頃・・・描いた図がいずこともなく所在不明になることが何度もあった。それは、記憶媒体の容量不足やパソコンの速度不良、さらにボクの未熟なパソコン知識などが原因だったのだろうが、その時の落胆は、図面に込めたアイデアの喪失とともに、取り返しがつかない失策だったが、それでも気力を振り絞って、新たに、こまめに、保存を繰り返ししつつ描き切った、という苦い思い出が何度もある。

80年代のこと、WindowsのNECパソコンが日本のパソコン使用者の人気を得て席巻し、また、東芝のダイナブックがラップトップ型として、モバイルパソコンとして、米国市場で主導的な位置を確立したのだった。続けて日本の各電機メーカーがWindowsOsのパソコンを競い合って開発する、あるいはアップルのOSがオープンな時代にはSonyがそのOSのパソコンの一翼を担った時代があったが、ボクはもっぱらMacintoshを使い続けていた。建築設計にパソコンを使うということ、そのころ大学の建築学科ではまだパソコンで設計デザインするという、その技術的デザイン的教育はどこもなされていなかったと思う。その背景には、大学が機材をそろえ、一つの教室で、学生に授業とはいえ、教室として公開することは、大きな費用を要したということがあるのだろう。そんなパソコン普及の前夜ともいう時代が瞬く間に夜明けとなって、会社や個人へその所有と使用が普及、日本製Windows仕様のパソコンのメーカーが乱立して、活況を呈した。
それも淘汰が進んで数十年になるのに、ボクはアップルに固執して使い続けたが、設計の仕事が減少など、さまざまな事情から、新たに2年間の勉強の期間を持てて、その過程でのレポートなどの仕様がWindowsであることから、Windowsパソコンを、記述・文章専用として2006・7年から併用するようになった。
そして、その後、何度も書くようだが、研究書『額田王研究』という一書を約10年がかりで完成した。1000頁余、100万字ほどの、いうなれば、ボクにっとっては大著だが、これを、書きあげることが出来た。そう、個人が、印刷のもととなる原稿をしたため、本としての組み方・体裁など、すべてを、自分自身で思い通りに仕上げることが可能になったのだった。しかし、この研究書、万葉集歌額田王歌の未解読歌、その解読と万葉集歌新説の提示、さらに日本書紀中の一つの短歌の親に当たる長歌の存在の発見と解読をなしたこと、しかし、その内容が一般的ではなく、また難解だったこと、さらに大著であるがゆえに単価が高沸し経済的には流通にのせるには困難だったことは残念だ。

しかし、この社会において、本、著作・・・この本・書を作り上げる、すべての工程を、個人として成し遂げる”手段“を手に入れることが出来るようになったのは確かだった。さらにインターネットという、世界を網羅する自己主張・発信の手段を得て、自己の主張や著述などを広く発信することが、可能になったのだとも思う。
これは画期的なこと、そして、このパーソナルコンピュータはボクにとって”利器”となった・・・。
*しかし、社会一般において、この便利な道具は、そこの自己規制的制御が働かなくなると、利器が武器になりかねない。
・・・ボクはこの利器パソコンを利用して、ささやかだけど、BLOGという形で、この社会に生きるものとして、ささやかな思いや、こうあればと思うことなど、あるいは今日の社会批判的なことを書いてきた・・・そう、社会性に疎いボクが、ささやかに社会と関わってきたといえる。読む方によっては共感や反対意見、あるいは危うさを覚えられる時もあろうと思うが、自制を忘れず、これからも書いていきたいと思っている。
また人によっては気になることであろう、世界の政治に携わる人たちを“敬称や地位を附し、敬語として表現することを、極力避け、呼び捨てている”・・・が、これは、表現として自然なことと思っている。また、このような立場から、二ホンの政治家についても、同じ表現で書き表しているが、魂胆や他意はない・・・いかがだろうか。

*・・・世界でデモクラシーが脅かされる事態が次々と、起きている・・・近代・現代の国家は、民主主義・自由主義・法治主義でなければならないはずなのに・・・。国家の指導者としてあるべき人物や国民から選ばれた“代理者”がなすその政治手法に、往々にして、その政治家としての素質や姿勢に“私は代理者”との自覚の欠如(国民からの負託を得たという意識の欠如)が・・・これは変だぞと、国民レベルに感じさせる政治家も多い。
多いというよりも、ほとんどの政治家、政治主導者が、己の進む道そのものは国民主体の国造りのはずなのに、何を思い違いしているのか、国家の在り方、指導者としての在り方に、疑問を抱かざるを得ない者がほとんどだ。
そんな政界のすきを突くかのように、自薦他薦によって、いわゆる高級?官僚の政界進出が甚だしくなり、その政界へ手引きされたことによって、親分子分の人情的従属ということが一方に現れ、新鮮であるはずの新たなキャリア自体がお追従者に成り下がるという、新たな悪循環が芽生えて、政治の刷新へ行きつかず、途中で頓挫するという、泥沼的政治屋集団が新たに形成されるという現象が近年ことのほか甚だしくなった。
現在の二ホンにおいては、政治家・政治屋のおごりとしか思えない言動が多々見られ、国民の思いが届いていない方向へ進み、国民の批判もが、顧みられないで捨て置かれるという、ことも感じる。また国民自体が、政治を見つめる、見張(ウオッチング・Watching)るという根本的な自由人の位置づけさえも忘れさって、自分の一票を、ひとりの政治屋に張り付け、進呈してしまい、その票を成り行きに任せるという、無責任極まる位置に自らを置き去ってしまっている。
こういう批判的なことは、本来誰にでも与えられた、国家によって、また憲法によって保障された国民の権利であることを、忘れさったのか、知らないのか・・・そう、憲法を“その前文から数年に一度でいいから読む、確認する・・・”という、時間を持つべきだと思う。
現在の日本国憲法は、読みやすく理解しやすいと思うが、いかがであろう。
数年前『???スピリッツ』という、コミック誌が、憲法記念日に際して特集号を出版してくれ、その企画とともに、わかりやすさが、とてもよかったが、せっかくの一冊を誰かに遣ってしまって、今では惜しいことをしたと、5月3日の憲法記念日が近づく度に、数冊買っておくべきだったと後悔している。この企画『???スピリッツ』を出されている社へお願い・・・できれば毎年この憲法に関する“スピリッツ企画”・・・をやってほしい・・・と思っています。
ええ、ボクは、この現日本国憲法の改憲には反対です。国家、国民は守られるべきだと思う、それがただ、外国からの侵略から国民を守るという、とても分かりやすく、分かったと錯覚しやすい・・・という一点へ集中して、軍備拡張にばかりに走る政権に大きな危惧を抱くのです。
そう、今日のこの自然災害の襲い来る列島の二ホンを見るとき、これからもぼくたちがこの地・国土に、本当に住み続けているのだろうか、この国土、山川草木、故郷の豊かな緑・美しい河川。美しい山河・・・は、この令和の時代も存在し続けるようにはとても思えない、そんな不安がボクに襲い掛かる。そう、守るべき山河が自然災害によって消滅する危惧、これこそがボクたち国民が真っ先に考え、その手立てを、早急に考え、理解しあう・・・そのこと。その基盤に立って、軍備も考えること、平和を考えること、国家を考えることが必要であろう。(このことは、これまでも書いてきた)

軍備をいくら補充・充実したところで、それは底無し、際限のない、勝ち目のない消耗戦、実りあるものは何もない。守るべき・・・国土・山河・健康な国民の存在・・・これこそが前提にされ、国家の存続を論議すべきだ。
そう、崩れてしまう河川堤防を放置してきたがために、嘆き悲しみ、口惜しさにうつむいてしまい唇をかみしめ沈黙する国民を作り出してしまった、それ、国防力増強にばかりうつつを抜かす政治であってはならない。
「平和国家」とは何か・・・それは、健康な国民が日々穏やかにつつましく生きてある国のことを言うのであろう・・・。守るべき国民と山河を自然災害に失って、何を守るというのだろうか・・・国土・山河・・・それは、日本人がこの国の起源に神から与えられた、美しい海岸線に縁どられた緑なす山・清き流れの河川、豊な”米“を産する国のことだ。それは・・・瑞穂の国・・・これこそが、忘れてはならない、二ホン国民の精神と肉体の根底にあらねばならないと考える。そう、さらに言えば、国土の一部にでも”原水爆・核兵器による焦土“を出現させるような、国際関係・国家施策では”国を守る・守った”という事にはならない。
これを目指し、世界の国々と友好を重ねること・・・その結果を、どのように過程を踏み、この“二ホン”が歩んでいくのか、歩み続けるのか、それを考えること、それが政治の第一最大の目標だと考えたい。
・・・先に、・・・世界でデモクラシーが脅かされる事態が次々と、起きている・・・近代・現代の国家は、自由主義・民主主義・法治主義でなければならない・・・と、述べた。
世界にはいまだこの人間社会の三原則、言い替えれば”自由・平等・博愛“という、意識社会・実社会に至っていないで、経済力と軍事力さらにイデオロギーを背景にして世界の国々へ繰り出していく、強国がいくつもある。そして反面、その意識を得ることさえ出来ていない、人間としての未熟や無教養が貧困とともに存在している国々が大変多く存在する。
もしかすると、近代国家になった二ホンと、我々は思ってはいるが、わが“二ホン”もこの・・・「未だの途上国」・・・なのかもしれない。ことに、政治力においては・・・。
戦後の日本の政治、ことに昨今の政治は“お祭り・観光”ばかりに国民の耳目を向けさせ、世情は・・・浮付き・軽薄・拝金・利益・学歴・受験の結果によって評価される人・のし上がり蹴落とせ・利己・無学問で自ら問うて学ぶ事の欠如・本来の個としての教養の欠如・・・などなどと・・・人間の本質に目を向け、それを培う努力を促してこなかった二ホンの教育と教育者。

・・・・まあ、・・・こうして、ボクのような老いたものが、社会批判的なことを書くより、若い中学生や高校生大学生、社会人となったばかりの若い人たちが、自分が思うこと考えることを、インターネット上へ吐露する機会が多く成ればと思うばかりだ・・・。
近年はスマートホンという、パソコンよりも手軽で高性能、さらにそのネットワークの多彩性などは、僕のようなものが尻込みしてしまう、使用性、利便性がさまざまに付随し、より一層、ソーシャルネットワーク化が身近となっているにも関わらず、その機能役割が、娯楽性へと傾いて、社会性とでもいうのか、市民性という方向とはかけ離れた利用にしか目が向けられていないようにも思われる。
すなわち、利器としてのパソコンやスマートホンが、ただ身近で気楽な社会性にとどまり、この社会の一面にしか生かされていないようにも思える。それは彼のラジオ・TVが、たどった、堕落の道と同じ方向へと、転がり落ちていっているようにも思える。
・・・そう、二ホンの若者が、身近な生活的な事柄から、さらに社会性・世界での事件性や政治性などを帯びた情報の受信や発進へと、進むことが期待されるが、就職への懸念からか、もう一歩二歩踏み出せないでいるのではないかとの、感想を持つ。
もちろん職を得て社会人となったものも、ただ社会の力関係をおもんばかって、自らの保身へと走る方向がほとんどだ。
こうした、世情への無関心とも思える在り方、人間として社会にあり続ける意義のとらえ方、これは二ホンの日本人の持って生まれた、人としての生まれ方にあるのだろうと思う。すなわち、百姓、農民としての本来自由人であるはずの生き方が、古代から虐げられ、統制下におかれたことが、ずうっと後を引き、今日になっても、そこから、人間としての生き方をつかみ切れていない、人間としての生き方を見出していないということへとつながってきたように思える。
それが、例えば、今年のように甚大な各種の災害に見舞われても、声を荒げたり、哀しみ嘆くことをあらわにしたりすることなく、感情を押し殺して、その被害に恨み言を言うというような方向へ進まず“仕方がない”とうなだれる、”どうやってこれからを生きていってよいのか・・・”などと、静かに嘆くにとどめる。それをよいことに、政治は、聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりを装い、うわべだけのクヤミにとどめ、それ以上は踏み込まない。
そこには、二千年ほど古代社会の成立というのか、形を成し始めた”社会“というものが、一握の強権力に握られ牛耳られてきたことに発して、さらに土地に縛り付けられたことによっておのずと飼いならされ身についてしまい、心根となってしまったとも思われる。それは、牛馬同然の位置に置かれ続け”人−にんげん“としての心根が培われずに来てしまったことにある。
それは、現代においても、同様だ。縛り付けられる位置が、土地から、会社・勤め先…へと移ったに過ぎないことからも明らかだ。
国民の大半が、飼いならされることに慣れきってしまった、さらにそれを打ち破るような国外からの生存の脅威というものがなかったこと、あったとしてもそれが、長い迫害としての期間・年月・世紀ではなかったことが、二ホン国民として連帯することなく、“家族”という殻に閉じこもり、外へ目を向けることなく、何者かに抵抗することもなく、現代まで来てしまったこと、さらに“島国二ホン”であることに起因するのだろうと思われる。そう、日本人は”怨念“を持ち続けることを・・忘れてしまった・・そんな民族かもしれない。すなわち、歌うことを忘れたカナリヤ・・・さえずりを忘れたスズメと、なったのかも。
これが、現代には“ともだち”という極めてソフトであいまいでありながら、それが、携帯電話やスマホという利器によって拡大したかのような社会性を装いながらも、やはり“匿名”という殻に守られて、拡大しない“ほのかな温かみへの集団の依存”を若い人たちを主として存在させ続け、それが家族ととってかわったに過ぎない、脆いつながりとして、時には裏切られ、いじめられるというリスクを裏に秘めながら、今に存在し、拡大して居続けている。
そして、人としての存在の孤立、そして結果はいじめや自殺、それをいい加減な教育者ぶりを売りにする妙なヤツどもの”言“として、いかに”いかにももっともと“わかったようなふりによって、また、そ奴の社会的存在をも許す社会”、その周辺の物わかりの良さをも重ねてその存在を許すこととなっている、そのことに気づかない、極め付きの軽薄社会・・・存在の孤立と存在の希薄化・・・そんな社会そのものに蔓延する意識しない自己喪失が、今日の日本社会なのだろう。
そう、それは、成人式にさらに幼児でもないのにハロウィンの夜に狂う、あるいはクリスマスイブに、年替わりのカウントダウンに、渋谷のスクランブル交差点に参集するバカどもが、警官隊により規制されつつ”楽しむ”、“規制されることにある安心感”が自己そのもを忘れさせて楽しむという、愚かさ、その愚かな姿・・・そう、どこを探しても物事の本質・意義が見いだせないそのことのように思える。いつの間にか失っている、個としての人間性を、この者らは、自ら捨て去っているというのか、個という存在があることにすら気付いていない、これからも気づくことがない彼ら。

これは、為政者にとっては、きわめて好都合なこと、歓迎される存在、束ね操作すべき存在が、いわば家族にとって代わり、きわめて大きな単位として把握しやすくなったということ、さらにそれはきずながない分崩壊もしやすい集団なのだと、思う。
こうしてみると、今、二ホンの社会を変革することは、社会の側からというのか社会の中からは不可能なように思える。
しかし、世界に目を向ければ、ひとり二人の少女による人権問題や地球温暖化の問題に疑問を呈して立ち上りがあったことは、記憶に新しい新鮮な“社会の在り方への疑問“の提示の仕方であったと、思う。
そう、大人たちがなすすべもなく手をこまぬき、ことばも行動も発しなかったのを、見事に正面から問いただして見せたのだった、あのふたりの少女たち・・・。
しかし、今の二ホンの少年少女そして青年にはこんな”主張を成す姿“は期待できない。
これが為せないのは、そこにあるべきおとなたちが存在しないからだ。そう、この二人の少女を、幾分でも支えた大人たちの存在があったのだろうと僕は思っている。またそんな大人たちが存在することへの期待を持つ。それはたぶん、男たちではなく、おとなのご婦人たちなのだろう。
***
九月・・・パソコン・・・このインターネトのウェッヴページが、FlashPlayerに依存するところを持っていたがゆえに、その動画画面にブラインドが掛かり、きわめて見苦しいページの羅列になって、ボクを意気消沈させ、書く楽しみを奪われてしまった。
そしてここ十一月にきて(事実は、10月2日の投稿にしました)、体調も幾分よくなって“ブログを書くか”との気力も少しわいてきた。
建築の設計者として、デザインをする身にとっては、このボクのページも、表現者として幾分ともおろそかにできないのであるけれども、まあ、ページのデザイン屋さんが、今現在では、FlashPlayerを必要とするウェッヴページを維持できなくなってきているというのだから、非常に残念ながら、動画画面を諦めざるを得ない。
そんな事がここ数か月、ボクが自分のウェッヴページの維持に情熱をかけられなくなり、ブログも滞らせてしまったというような訳です。加えて残念ながら体調、ことに喘息と、身辺のこんな事情から、休刊となって、これを読み続けていただいてきた貴女・貴方には申し訳ないこととお詫び申し上げます。過去にも一年間休刊としたこともありましたが、今回も何とか”復活”をと自分を鼓舞しています。
再起、さらに続けられるかどうか、前途は不明ですが、今一度と、思って居るボクです。
ということで、この9月号、第115号は遅まきながら、掲載の月と日をさかのぼって、9月末として掲載いたします。10月号も、こんな具合になりそうですが、お許しいただいて、掲載を為させてください。
季節の変わり目、お体お心へ、インフルエンザが入り込まないようご注意ください。お元気で・・・再見!
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HITBIT 心もよう vol-114 August 2019

HITBIT[心もよう]vol-114 August 2019
先月7月中頃から、僕自身の体調が揺らいでいる・・・。その原因・状態の検査等で、掛かりつけ医の紹介状持って、検査を受診に出かけるとか、さらに急な別症状が発生するなど、ボクはガタガタの状態・・・仕事はないのに、いろいろと時間が必要になって、体は忙しく、精神的にも”くたびれ“て、自身のささやかなワークは延び延びになって、また、このBLOG原稿も手につかない。
先月分は、かろうじて投稿したが、8月に入っても日々の記事さえ書けないほど、落ち着かないし、体力がない・・・。
とにかく、この猛暑の中、下剤を服用してバスと地下鉄を乗り継いて検査受診へ出向くのは、心と体の負担だというより、何か粗そうでもしたら、その後の人生にかかわる・・・ということで1度目の検査には、最初は早朝にタクシーを予約・・・2度目、1週間後、8月に入ってからの検査は、検査前夜はクリニック近くのビジネスホテルに泊まって、”下剤服用”に備えた・・・そう、こういった入院施設のないクリニックでは患者がかわいそうだ。まして患者が一人もの、老人、健康状態が悪いものであるのだから・・・。
5・6年前、同じ症状が突発し、救急車では運びこまれた名古屋城外堀の名城病院では、入院だったから、すべておまかせ、病院のスケジュールで、そう、おまかせ状態だったから、独り者でも何ら支障なく進んだ・・・ただ金銭的なことだけだった。
・・・結果から言えば・・・二度目の検査、この8月6日だった、かのCT画像検査によれば何らかの兆候・発生は見当たらない“・・・という結果だ。ご担当のH先生には感謝とともに、ほっとした。そして少し元気が出た・・・。そう、ボクは臆病で身勝手・・・小心者の常・・・ええ、なんともさえないオトコです。
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===目次===
8/07  ・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/02  ・・・思い出話のいっとき・・・
8/09  ・・・京都へ・・・
8/10  ・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/16  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/17  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/18  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/27  ・・・独り男の束の間の心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/28  ・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・ 
8/29  ・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/30  ・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
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・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/07/Wed.(陰暦7月7日)
台風8号が運んでくる湿度の高い異常な猛暑は相変らずだが、昨日今日と夕空も日中の空も秋めいてきたように感じる(これは、ボクのいつもの早とちり・・・か)。
雨の季節が長引いて、7月の夏の日々があいまいになってしまったようだ。
そういえば、今年の夏は、入道雲を見かけなかった・・・とは、大げさなようだけど8月に入っては、雨雲・曇り雲・・・と、入道雲の気配はどこえやら、お天道さまは夏雲のことはすっかりお忘れのようだった・・・。
とにかく陰暦の夏は今日でお仕舞、明日は立秋だ。8月7日は、ほぼ一ヶ月遅れの陰暦では7月7日、本来の暦では、きょう今夜が七夕・・・今年は、日常的に使っている西洋暦。今日の万国共通暦(イスラム暦ではどうかしら?)では8月7日と、新旧暦の差はちょうどひと月の違い・・・。こういうのは結構珍しいと、過去数年の暦を取り出して、見比べている。
・・・牽牛と織女・・・この年に一度のカササギの仲立ちする“逢瀬の夜”・・・カササギが翼を並べ掛けて天の川にカササギの橋を架け渡すという・・・想像上の橋・・・そう「逢瀬に渡す鵲の橋」・・・この鵲・カササギは朝鮮半島では「カンチェギ」あるいは「カチ」というそうな・・・。台湾にもおり、日本の北九州にも生息が見られるとか。
まあ、ある程度この東シナ海の環状の国々は、何かと文化的なつながりが、あるようだ。
こうして七夕を祝うのも、暦を介して地理的な文化の確認となるのかしらと思う。ただ、台湾・中国・韓国では、この七夕行事の習慣はあるのかないのか知らないが・・・。
そんな東シナ海を介して環状につながりを成す国々の関係やそれぞれの国情が、内的外的な要因から、ゆれている・・・。
愛知トリエンナーレに出品された韓国からの「少女像」は、あの韓国にある二ホン大使館前の路上に設置され、問題になっているが、芸術的意味が本当にあるのかないのか、どんな評価から展示されたのか、詳しくは知らないが、この芸術祭で、新ためて突然に展示が為され、その撤去をもとめる名古屋市長と、表現の自由をいう愛知県知事との展示についての意見の違いがあらわになって、さらに、日韓の国情・国民の感情の行き違いが露になっているときでもあり、今後どのように結論が為されるのだろう。
ボクはこれ以降の展開は知らないけど・・・芸術性の有無は別として、こういう機会に、日本国内で、こうして展示公開され二ホン国民の一部ではあるけれども、そのつくられた意図と、背景にある日韓関係を、改めて衆目にさらし、その太平洋戦争時の両国の関係、戦争の原因や世界情勢について、中高生にも親子や級友で考える・・・という、きっかけになるのではと、思ってもみる。
とにかく詳しく知らないし、さらにこのトリエンナーレを見に出かけてもいないし、これからも行く気はないボクなのだけど、芸術祭という性格を重んじ、表現の自由とは、などと、自由と民主主義の論じられてきている日本の70余年ほど、過去と現在の違い、実情をも調べ“夏課題の一テーマ”として、中学生高校生の生徒たちが取り組むきっかけになるのも、関係者や学校の先生方の行動力指導力が働くか、あるいは働かずに、これを隠してしまう、撤去してしまう、あるいは無関心を装う、ほんとうに無関心・・・などと・・・というようなことにならなければよいがと・・・一瞬思ったのです・・・。
・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を、そして核兵器廃絶署名をしない日本の世界における地理的あるいは地勢的価値・存在価値はなどと、このことと、平和国家二ホンを考える季節の今・・・この時ではと、思った。
[追記]8月14日のニュースで、韓国が、たぶん、かの大統領ブンのご発案なのだろうか・・・“慰安婦をたたえる日”をつくろうという意見だかの発議が出たそうな・・・。
しかし、これなんぞ、理解の難しい発想だと・・・一瞬思った。そう、たたえられる慰安婦・・・とは、多分、ほとんどの日本人には理解できない、きわめて朝鮮半島の特異な思考回路だと思う。そう、毎年、たとえば、その”慰安婦をたたえる日“なるものを、韓国人は本当にわれとわが身に置き換え、かつての慰安婦たちの心情を汲み、例えば、娼婦として、”苦界“に身を置かなければならなかった”そのわけ“を本当に理解できるのだろうか。それとも、そんなわけなんかに関係なく、ただ、現在の日本政府や国民への”嫌がらせ“なのだろうか・・・。韓国の歴代さらに現政府の反日感情から、収束・解決できたかに見えた慰安婦問題を、あるいは徴用工の問題を含め、韓国の政治屋の都合のために、二度三度と衆人の前に連れ出し、さらし・さらし者にし・・・何を意図しているのだろう。
慰安婦という特殊な職-慰安婦(本当は娼婦ではなかったのか、この表現???そして、そこに日本や他の国の女性はいなかったのか・・・ヤリテババアに連れまわされた女性たち)にあった、かの女たちを”たたえる”とはどういうことか、例えば、怨念の実像として仕立てることを理解し肯定し、ともにその心の痛みに朝鮮人すべては向き合うのだろうか。そうとは思えない。そう、今でも韓ドラにその身分制度を恥じることなく披瀝し、曝しものする・・・日本にもそれを一時の生業にしなければならなかった人たち、その苦界に娘の身を落とさせしめなければならなかった家族とその犠牲となったムスメは在ったが、それは時代的な社会構造として致し方なかったし(多分日本人のすべては、そのように思い、かつ、そうしてこの問題には、それとなく口にせずというのか区切り?をつけてきた・・・それは臭いものには蓋をするというようなことではなく、記憶にはしっかりと留め顧みつつ心に、その負い目を強要しつつ、互いに“惻隠の情に覆いつつ”、それでも忘れることなく、“人間としての罪と恥”をそれぞれの心に宿し共有し置いている・・・日本国民・・・)、そんな時代は戦後しばらくまで続いた、そして、その社会構造は全世界の各国に古代から現代にまで続けてあったし、現在も公に、あるいは密かに存在するという国もあるらしい。
韓国でも歴史において、それは同じだろう・・・その苦界に身を投げなければならなかった“婦人・女性たちの事情”とその家族の事情をくみ取り、ともに嘆き悲しむのか、それとも、その婦人たちを引き連れて戦場の縁に常にあった”ヤリテババア“の罪をいつまでもあげつらうのだろうか・・・。そして、それを”買った“日本の兵たちを非難し続け、さらに日本国を呪うのだろうか・・・それとも、この”慰安婦をたたえる日“を韓国国民の中にも多くの割合で、これに批判的な人たちがいるに違いなく、本人の中にある”あえて口にしないでほしい・・・態度に著さない・・・顔に表さない”などという、いわゆる“惻隠の情“なるものは韓国人にはないのかしら?・・・あるいは大統領ブンは、素地として持ち合わせていないのだろうか?あるいは、韓国にはかつての階級意識が露に存在しているのだろうか???
そう、あれだけ口汚く日本国と日本国民を罵った彼・大統領は、そんな精神は“これっぽっちも持ち合わせてはいない”らしい・・・恥。
さらに、むやみにさらし者にしないという、惻隠の情を重んじる、いわゆる日本国と日本国民、これを罵ったつい先ごろのこと・・・聞くに堪えない、政治屋でさえもが口にすべきではない言辞を、大統領が口にするその国の国民の朝鮮人の“心・こころ・ココロ”に危ういものを感じる・・・。・・・それは、例えば、口を極めて“詰(なじ)っておいて,甘えて見せる”三文小説風の下劣な恋愛関係風あるいは男と苦界の女の話にも劣る、・・・後味の悪い読後感のような・・・それだろうか。
このように、今思うことを書いたが、ボクは中世までの朝鮮半島の歴史に興味は尽きないし、さらに古代、日本における飛鳥時代における半島の三国時代などの倭国とのかかわり、唐国などとのかかわりに、仏教伝来を介して興味を惹かれもする。5世紀〜7世紀・・・互いに、それぞれが国内的に激動の時期だった・・・その時代には百済を介して、その親密さは頂点にあったと思う、短い間だったが・・・。
とにかく僅か数十キロの海峡を挟み目と鼻の先にあるこの二つの民族が、過去の遺恨・怨念のみで、不仲になることは不幸なことだと思う。二ホンもチョウセン(南北朝鮮を包括して思う)もそれぞれを礼を以て迎えあった、わずかだが、この2010年代からこの2019年への年月と、2019年のつい数か月前までの、それぞれの国民が互いに親しくあったこと、これからも誠実に約束に従って親しく付き合っていきたいものだと思う。そう、仲よくしようよ・・・ね。
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・・・思い出に浸るこのいっとき・・・
8/08/Wed.
昨日は幾分過ごしよかったのに、そう、夕方、宵の・宵の口・・・昨日に続き秋の気配のする夕焼けの名残空・・・頭上の刷毛で刷(は)いたかのような薄い雲は何となく秋めいて、吹く微風も秋の気配を運んでくる。
そう、セミの鳴き声はかまびすしく、セミたちはここぞと鳴きかわしているのに。
・・・秋の虫は、昨夜のウオーキングでも聞かなかったが・・・毎年、原っぱの枯れ色が始まったころにやってくるアキアカネもまだだ・・・。
ただただ、8号9号10号と・・・次々発生する台風が切れ目なく・・・その運んでくる蒸し暑さは、この弱ってきている体にこたえる・・・。
今日は床屋さんへ・・・そこのマスターは・・・近年クマゼミが多くなったような気がする・・・アブラゼミに変わってクマゼミの声が大きくなった・・・子供の頃はクマゼミは珍しく、捕まえると、自慢げに友達に見せたものです・・・と、思い出を語る・・・。ボクは37年ほどか、マスターは30年ほど前にそれぞれ、ここ平和公園の西の縁と東の縁へ越してきたころは,その満天の星空に驚いたものだけど、最近は空を見上げることも少なくなって、世間が夜も明るくなって、星の数はまばらになって・・・と互いに、語りながら、昔と今を比べる・・・そう30年を昔と思うこのスピードと時間の過ぎ去るのが早いこの頃を、互いに感じながらの会話だ。
・・・そう言えば、このひと月の夕日の沈む時間と位置がずいぶん変わって、夏の始めの頃より1時間ほども速くなり、ずいぶん南へと日没が移って・・・などと。
・・・飛躍して・・・霜柱も近年踏むことも見かけることもなくなって・・・などと。そう、ボクは、七草摘みの田の畔や畑は姿を消し・・・今はCOP10の名残り”里山の家“とよぶビジターハウス、この平和公園の保存緑地となって・・・早朝に、七草摘み、霜柱を踏んで、ポチやアーサーと散歩に出かけたことを、ボクは懐かしく思い出す。
・・・そう、思い出に浸るこのいっとき・・・。
話をする・・・ええ、こんなことはほとんどなくなって、話下手が一層甚だしくなったボクです。
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・・・京都へ・・・
8/09/Thu.
久しぶりに京都へ・・・お盆がもうすぐ、挨拶というのか、お参りにと、突然でかけた・・・。猛烈な湿度と暑さ・・・蒸し暑い。車のエアコンも効き目がない。
恒例の“大谷祖廟・東大谷”へ・・・幸いに駐車場は出入がうまく回転して、待つほどもなく駐車できた。
大谷廟のその緩やかな石畳の上り坂、厳しい照り返し・・・たちまちふきだす汗で着衣はすべて“心がこもらない、出来の悪い水分の多い蒸しタオル”のようになって・・・石畳の参道はセミの鳴き声が埋め尽くしていたが、この参道はどの季節でも癒される・・・・。
今日は、その参道の両脇に、提灯を連ねて吊ってあった・・・そう、お盆の”万灯会“の準備が整ったようだ。
御廟へお参りの後、これも恒例の八坂神社へお参り,その後、漢字博物館へ寄り、駐車場へ戻った。そう、予報では最高気温38℃とのことだったが、湿度の高い京都の気温は、ことのほか居心地が悪い・・・昨今は“不快指数”という言葉を天気予報では言わなくなったようだが、もし予報にすれば、残念ながら“不快指数100”といったところか。
この京都特有の暑さを知ってか・・・観光客は数年前の風景に戻ったように減少。観光の人たちは減って・・・ことに韓国からの観光客は激減か・・・まばらに聞こえてくるのは中国語ばかり。
駐車場へ戻ったその後、車で帰路へ、最後に”辰巳稲荷“へ回り、その脇へ車を止めてお参りをし、早々に京都市内から抜け出し、サービスエリアで水分補給しつつ、僕も車も無事に帰宅となった・・・。
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・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/10/Sat.(旧暦の7月10日)
秋の虫が鳴きだした・・・星ヶ丘の工科高校の外構(フェンスの外の植栽のベルト部)、その緩い土手の並木、シマトネリコの根方・・・草むらからイカツク力強い鳴き声???なんという虫かわからないが、なんとも“ガサツ“な鳴き声が・・・宵のウオーキングの行きかえりに聞こえてくる。
そう、クツワムシかしら???ええ、そのやさしさの微塵もない鳴き声だが・・・確かに”秋の虫”なのだろう・・・その、土手に沿って、ずうと鳴きかわしていた。
そういえば、もう二月ほどになるのだろうか、土手の並木・・・7〜8mごとに植えられた背の高いシマトネリコは、夜目にも白く、アジサイほどの花房・・・その花房をいっぱいつけ、咲き誇っている。この花は、においはなく、花房は、花ビラの集合体ではなく、たぶん花を内包したガクの房なのだろうか・・・つまんでみると、カサカサして、花のやさしさはなく、その花?の寿命は長くもう2月ほどにもなるだろうか、咲き誇っている。
そういえば、公園のところどころにサルスベリ(百日紅)が咲き始め、キョウチクトウ(夾竹桃)もまれに咲いている。
殊にキョウチクトウは、名古屋市の中心部、その復興の場面、ことに南北十字に都市計画された、日本にはまれな100m道路のセンターベルトの植え込みとして、長年、市民に戦後の復興の記念的な存在だったが、今は次第に100m道路の再開発とともに姿を消しつつある。
それに加えて、カンナの花を思い出す・・・思い出すというのは、最近はこのカンナの花は少なくなって、かつて、その灼熱の日差しに焼かれ、ちじれた姿を遺すそれは、焼夷弾に曝された戦争の記憶とともに、生きとし生けるもののすがたを、その焼けちぢれた姿で代弁していた花だ。そう、ヒマワリもまた・・・。もちろんこの花のすがたも戦争の写真から得てボクの”戦争記憶“となったのだが・・・。
名古屋人には、これらの花は、一種の戦争・敗戦の記憶として、ここにとどまるものだ。
様々な夏の花たち、それは焼け跡の痕跡もおぼろにしか知らないボクのかすかな戦争の記憶の八月の花、そう八月の花たち・・・ボクはこれらの花を見ると、いつも終戦の花・・・焼け野原となった街に、転々とチヂレた姿で咲くこれらの花を想像する・・・ただこれはボクのかすかな記憶ともいえないほど希薄な戦争の実体験ではない感傷・思いだが・・・そう、幼くして終戦を記憶もないまま戦中を通り抜けてきたボクです。
たしかに、そんな年齢ではないから、実際に焼け野原の街を目にしたわけではない・・・ただ焼夷弾なのだろうか、あるいは電線のショウトの火花なのか、空を飛ぶ黒い破片、火災により起きた上昇気流が巻き上げた金属片や木材片が空中でのたうち回っていたのだろうか・・・その異様さ・・・断片的記憶・・・そして、その後の名古屋市の復興の実際の様とか・・・その後の映像、白黒のフィルムから映しだされた映像が、僕の疑似体験として、重要な記憶となっている。
戦争の実体験は名古屋空襲の断片であるが戦後の社会や街のあるいは田舎の祖母の家とその濃尾平野の地の果てのような田舎・・・そのサラリーマン(田舎の人は”給料とり“といった、その質素な日常)・・・土地の農業者は安定な生活だったように思い出せる、それ、・・・その田園風景の体験はボクの記憶にいろいろな形で、張り付き、時々それが頭をもたげる・・・疎開者としての一家であったボクら家族。
・・・そう、八月は日本と日本人にとって、鎮魂と悔恨の時なのだと思う。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/16/Fri.(旧暦の7月16日)
昨日は台風10号が行き過ぎ、日本海に出、さらに能登半島のはるか北の日本海上で温帯低気圧に勢力を落としたという。
それにしても15日から16日朝にかけて、猛烈な雨降り・・・。ベッド上で強い雨脚を聴いていると、寝付かれず、何度も起き上がって、電気もつけない暗闇の居間へと・・・。
それでもいつの間にか眠って、目が覚めれば、すでに朝8時、のどが痛くて、風邪薬を半袋分(パブロンの顆粒・・・その袋を半分に切り、いつでも使えるようにテープで封をしてある)飲んだのが効いたらしい・・・そう、ぐっすり。
夕方近くなってスーパーへ買い物に出た・・・帰り道、信号待ちをしていると、秋色をしていない”アキアカネ“が、数匹飛び交っているのを見ていた・・・。逆光のせいか、その姿は陰って、色が無く暗かった。
まあ、トンボもこうして過ぎ去った台風を知ってか、はやとちりの僕を元気づけるかのように、姿を見せてくれる。
今夜は、防犯パトロールへ・・・坂道がこの街の蒸し暑さを一層厳しくしているように感じられる。実は今夜は一瞬パトロールのことを失念し、いつもの集合場所を行き過ぎて、ボクのウオーキングコースへ踏み出して、500メートルほど行き過ぎ、ふと気づいて、もどった。そう、うっかり・・・もちろん集合時間の8時には悠々間にあった。
先月、ボクはお休みだったらしい・・・。というのは、直前に降った小雨が、今夜はお休みと・・・また、早とちりのボクを・・・騙したらしい・・・いやいや、これはボクが勝手に騙されたらしい。
・・・でも、このボクの休みが・・・ご参加の皆さんの心配を誘ったらしい・・・元気だろうか・・・と。
ええ、こうして参加を続けていることで、言葉にしなくても、少しずつだが参加する一人に僕も加えてもらっているらしい。・・・まあ、一昨年2017年の10月ころから参加・・・そうして今は頭数の一つに僕でさえ数えられる・・・。何の役にも立たないが、体調が許す限り、いましばらくは、できるだけ、参加しよう。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/17/Sat.(旧暦の7月17日)
台風が行き過ぎ、次の日の蒸し暑さも行きすぎ・・・今日は晴れ上がって、いつもの掃除も済ませた・・・。その後、歩道の落ち葉などを掃き掃除し、さらに車道の向こう側の縁の刈込の下、風に吹き飛ばされてきたらしい、三つ四つの紙カップやプラスチックボトルを拾いに向うへ渡って、ポリ袋へ入れていると・・・“・・・”アリガトウゴザイマース “と、おぼつかない言葉に・・・頭を上げると、ジョギング中らしい太っちょで背の高い外人が・・・僕も、思わず顔を上げ”こんにちわー“と・・・。
一瞬のことながら・・・知らないもの同士が“一つのある行為”を間に、一つの言葉で結び付けた。
・・・そう、実はボクは、老人(最近、この表現を、自分の代名詞のように、自然に使っている・・・かつては幾分恥ずかしくあったが、ここ一年ほどは・・・意図して使うようになった・・・そう、老いに体も心も“カラメトラワレタ”のだろう・・・ではあるが、バスや地下鉄で席が空いていれば座るが、僕より・・・老いた人・つらそうな人・・・が近くに来れば、必ず声をかけ席を譲るようにしている。これは若いころから心に決めて、実行している(席を譲る・・それは勇気のいる行為・一声なのだ)・・・ウオーキング中にも、時々つらそうに酸素ボンベを引いた老婦人と出会うが、大丈夫ですか・・・と・・・こんばんわー。また、小さな脇道と本道の激しい車の通交の脇にたたずむ車いす・・・車いすの中年の背広姿の男性・・・大丈夫ですか・・・と、また、ジョギングの女性たちにも”目礼”をする・・・返ってくることもあれば、ただ行き過ぎることもあるが・・・中にはいつごろからか、時の挨拶を一声二声と掛け合う婦人が五六人になった。中にはお勤め帰りの婦人や若い人とも自然と目礼をしている。女子高生たちもいる・・・。ただし、ボクは、すれ違いや追い越しには、歩道上の設定された自転車道に進路を取って植え込みを間にするようにしている・・・そう、できるだけ・・・いつ何時、悪意ある“わな”が、人の心の底意にわくかもしれないから・・・すれ違いには、気を遣う。
・・・ボクはずいぶん昔から懐中電灯(フラッシュライト)を点けて握っているが、ここ数年キャップライトや首掛けライト、腰ベルトライト、腹ベルトライトなどと、さまざまに明かりをつけたジョギングやウオーキングの人たちがだんだん増えてきた。中には幼児のようにライトのつくスニーカーを履いた若者も現れてきた。
それから、スニーカーの色も、かつて僕が・・・・青と黄色のコンビネーション・黄色・オレンジの蛍光色・オレンジ・赤・濃い赤色・・・と次々に、踵がすり減るたびに履き替えてきた、カラーのスニーカーも男性にも履かれるようになった。
そう、独身時代から続けている、何十年というウオーキング・・・いや、これは徘徊???かもしれないが・・・自分なりに楽しんで暗闇でも目立つようにしてきた効果が広がった様に思う。
目立つこと、それは、他者が僕という何十年も前は僕も若かったが、老いた今も、この老人を確認して避けてくれること、特に後ろを照らすこと、自転車乗りへの警告が最も目的だが、この効果はポケットパークのある鈍角を巻くようにした信号のある交差点で一度見落とされ、同じ青信号で同時に進みだし・・・といっても鈍角交差点だから歩行者信号のボクは同方向へ先行して進み、車はボクの後ろになって、歩行者に気付けばいったん停車しなければならない・・・で、女は止まらず,僕をハネタ・・・そう、女の運転する車に右後ろからはねられた・・・バンパーに突き上げられ、ボンネットにはね上げられ、頭はフロントガラスに激突…冠っていた、毛色の章ちゃん帽の毛糸の網目の重なりがクッションになって助かったが、車の左側へ宙に舞いながら、たたきつけられた・・・、これは、運転手が、携帯を見ながら運転していたのが原因らしい。このころも、ボクは”フリッカー“を手首につけ、足首には、反射ベルトを巻き付け、前後左右から見えるようにしていたが、その運転手は、前を見ておらず、鈍角の左回りに進んできて、青になって同時に進みだし、先行する位置にあったボクから目をそらしていたらしい。
整形外科へ半年ほど通う羽目になったが、大事に至らず、今もこうして徘徊ならぬ、ウオーキングを続けている。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/19/Mon.(旧暦の7月19日)
世の中はお盆休みが終わって走り出したのだろう・・・が、それにしても静かだ。
会社では今日は、長かった夏休みが明け、まず朝いちばんは会議なのだろう・・・そのうちに営業車が走り出し、日常が戻ってくるのだろう・・・ただ、今年の熱暑は居座って、相変わらず”油日照り“が続いている・・・しかし、世の中は様々だから、この夏休みらしい、休暇も休むことなく働き続けた人たちが大勢だろうか。
空は、白っぽく霞がかり、空気は湿度が高い・・・が、強い日差しがない分、昨日までの暑さが幾分和らいでいるようだ。

しかし、ボクの頭にも霞が掛かっているようだ。
・・・毎年思うことだけど、このお盆休暇・・・そう、6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、そして、15日の敗戦忌と・・・これと重なるようにある旧暦盂蘭盆会・・・、なんと太平洋戦争の敗戦を“敗戦の日”をここに決めた一部の官僚のすごさ・元公家らのしたたかさ・・・国民すべてが、戦争の無残さを認め、戦争を引き起こした事実に心を打ちひしがれ、戦争忌避を心から誓った・・・しかし、この個々の人の戦争忌避の思いは薄れていき、今は無関心、政府が押し進める軍備強化・軍拡・・・米国への隷属の深まり、独立国である日本の国民に、本当の独立を教えてこなかった政府の教育への姿勢に疑問を呈するでもない愚かさ・・・政治屋どもの目先しか見つめない“腐った目”と“追従に明け暮れ、”生活を議員報酬に依存する根性に恥もせずある“老化した心”の者ども・陣笠議員・頭数”・・・。こう書きながらもボクは米国が好きだ、ただ、現在のトランプには、平和への指向が希薄におもえ、嫌いだ・・・トランプはその先祖が、やはり移民であったことを忘れさっている・・・この横柄さ。
二ホン国は、世界へ原爆・核兵器の卑劣さと無残さとを身をもって知らしめたはずなのに・・・自らが、核兵器拡散条約に署名しない極め付きの愚かさ・・・恥を知らない二ホン総理大臣と取り巻きの政治屋ども・・・それを、許してしまう腐った国民の愚かさ・・・。

平和ボケ・今さえよければ国の未来なんぞどうでもいい・・・さも給料が増えたかのような錯覚と幻想に満足してしまう・・・この物価上昇を、スーパーマーケットへ買い物に行くたびに、不快になる値札の値、それに、同じ値ながら、数が減ったパック物の食品やモノ・・・軽く小さくなったパックを実感しながら、セルフレジとなった、無味乾燥な支払いの時間に一層むなしさを増幅させつつも、やり場のなさに、ついつい黙してしまう・・・この、国民・・・飼いならされた、愚かな国民性かしら・・・。
また、東京が首都圏が・・・お上りの田舎者で膨らみに膨らんで・・・“・・・”トキオ・トウキョウ・とうきょう・東京”と、その声の響きにあこがれてしまう田舎者のうごめく首都圏。超高層マンションの林立、海岸線・海面の近さに気づき恐怖を持つことを忘れている・・・それ。11・3・11のような大地震と大津波が押し寄せてくればひとたまりもないトキオの脆さ。
そして、そこでのサラリーマン生活に、居酒屋文化という超庶民文化・究極の田舎文化・・・ガード下に育った宿場文化の猥雑さの残照・・・の中に自らがあることに気づきもしないド田舎者、トキオ者たち。
それこそ、マスコミもマスコミ人らも、結局はド田舎者なることに気づくことなく、そう、TV画面に現れる、アンカーやコメンテータ・・・その人のはかない繋がりに縋りつくようにムラガリそして掴まり・・・自己を失っていき・・・埋没していることに気づくことなくある、それ。
そこへ彼ら自らが持ち込んだ、運び込んだ村八分根性が、そう、村八分になることを畏れる根性の堕落。
笑ってしまう、超高層マンションの値、とんでもない価格が平然とのし歩く、その感覚が虚しい・・・ビュウ・ヴィスタの良否によるという究極の愚かさ・・・富士山が見えるから、東京タワーが見えるから・・・そんなものは、田舎へ帰ればもっと素晴らしいビュウ・ヴィスタがワンサカと存在することに気づく心・肝もない・・・結局は、トキオ・東京は首都圏は・・・田舎者の渦巻く文化しか育たない・・・それ。それを東京文化という心の貧相さ・・・だが、その根底は、しぶとく図太く騒がしい・・・その湿り気の一片も持たない精神性の愚かさ・・・トキオ。
その根底にあるのか、押し寄せ定住したずうううーと過去の田舎者と、戦後の経済成長で押し寄せた田舎者・・・これらのが重層してなしたトキオ文化は、結局の節度を持たない田舎文化なのだと思う。
其の田舎者の醸し出す”カオス・混沌“が、さも都市だとするその浅い感覚・・これに対して「この部屋にはコオロギがいるのに/なぜコオロギの話をしないのか/この部屋の人たちはみな女の話しばかりする・・・」と、・・・村上昭夫が書き残したそれ、この人の存在を、この人の心の存在をボクは忘れまい・・・。
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・・・独り男の束の間の幸福な心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/27/Tue.(旧暦の7月27日)
ぶり返した猛暑の二日間・・・そう24日と25日・・・日本は、いや名古屋はただ一都、突出して36℃を報じられる・・・。そう、名古屋・尾張地方は内陸性気候・・・京都や奈良のように・・・冬寒く夏暑い・・・。そう言えば、岐阜の美濃地方・・・多治見や土岐も同様だ。
何とも耐えがたい暑さ・・・お天道様、何とかしていただけないでしょうか・・・と、心に思ったものだ。
ところが、きょう26日・月曜日は一転して晴れ、空には霞が掛かったように、刷毛ではいたような薄雲が、その間に間に薄青色の空が広がってあった・・・。
あの絶食と、下剤食の日々にげっそりと体力気力を失った7月末から8月中頃までの日々。
幾月ぶりかの映画へ・・・「グリーンライフ」・・・二人の男・白人の雇われ運転手と黒人のピアニスト・・・その教養人を装った南部の金持ちたちに招かれて赴く黒人ピアニスト・・・その演奏会に連れて移り行く南部の風景と小さな町と・・・黒人蔑視の風土・・・そこ、アメリカ南部、まだ色濃く残る南部の精神・・・それを行く二人のロード・ムービー・・・なかなかいい映画だった・・・。そう、アメリカ南部に残る、いやアメリカ社会に残り続ける・・・白人優位主義・黒人蔑視・マイノリティ蔑視の社会/JFKが大統領だった、そしてジョンソンが繋いだベトナム戦争,ニクソンへと・・・このころのアメリカ・・・混沌・・・そんな世情の中、この白人と黒人が、いつの間にか旅の中で、互いに影響しあう、人として互いを見つめあう・・・二人だけの自動車で行くハイウエーや田舎町・・・そう、大きなアメリカ車の旅、その時代の代表的風景・・・そのたどっていく田舎町での黒人蔑視に、目覚め抵抗し黒人のピアニストに共感していく粗野な白人オトコ・・・その家庭にある、留守にした男の妻の心根・・・夫と子供への平凡な暖かな包容力・・・アーチストで名声もある金持ちでありながら独り者の黒人の哀しい諦念の心が、忍従諦念から目覚めていく、白人オトコも目覚めていく・・・その心模様を見事でありながら普段着の画面で描く・・・。
・・・ボクは映画館から帰りのバス停へ、そのバスを待つ間・・・その幸福感で、効き過ぎの冷房で冷え切ったボクの体を、暑さが和らいで空気が適度な湿度に包まれたバス停の10分間ほど・・・ボクは暖かくさわやかな空気に包まれて、体温が回復していく心地よさを全身で感じながら・・・バス停の鉄柵に腰を当てながら・・・目の前、南方向の逆T字路の坂道とその空に、心地よく目と心を泳がせていたのだった・・・それは独り男の束の間の幸福な短い時間だったが心地よい幸せを感じていた・・・ボクでした。
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・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・
8/28/Wed.(旧暦の7月28日)
このコンピュータの調子が悪い・・・というより、ホームページがうまく開かず、記事の訂正ができなかったり、投稿もできなかったりと、ボクは散々だ。ときどき、ホームページの改変をすすめる電話が入る。常に断ってはいるが、何かの侵入があったのかもしれない・・・なんて、懐疑的にもなる。
今日は一日中雨降りだ・・・そう、静かな雨降り。ただ、下の車道から、雨を跳ね返す、轍の音が上がってくる。急に秋になったかかの様な気温の下がり方。ありがたいが、まもなく寒さとの闘いの日々がやってくるかと思うと、このつかの間の涼しさがありがたくおもえる。
ボクは自分勝手で、わがままで、カタクナで、人付き合いはなく、寂しがり屋で、孤独だ、と思い込んでいる。亡くなった連れ・・・合いも同じような人だった。なかなか、日常は大変だったが、いろいろな思い出・・・いいことも悪いことも腹の立つことも、さまざまだけど、どの思い出も懐かしい・・・。
こうして、季節の移り変わりになると、ことに”思い出“がよみがえってくる・・・。秋とは、心の隙間・空・・・かしらとも思える。そう、心の隙間に、ふっと吹き込む風・・・か。文学の秋ともいう。今年は体調がすぐれず、計画だけで、止まっている”テーマ“があるが、この様子では再開は難しいかもしれない。
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・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/29/Thu (旧暦の7月29日)
ツクツクホウシが鳴きかわす・・・昨日は雨模様だったが、そんな中でもカマビスシイ。
アブラゼミの鳴き声はほとんど聞こえなかった夏・・・すでに夜は秋の虫が草むらに鳴く。
7時に目覚めたとたん、今日の気温の上昇を肌で感じた。天気予報は34℃になるだろうと、名古屋を名指しする。やはり突出した高温らしい、この地方・・・。
お昼には室温は35℃、この様子では午後がもっと上昇するか。
内科医へ月に一回ごとの今月の受診に、大腸の検査のお礼と耳鼻咽喉科を受診しいたことを報告しておいた。
ぼろぼろの体、それに精神も草臥れ切っている・・・ホント。
草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・そう、旅人がクタビレきって、とうとう一里塚の木陰の草に倒れ伏し眠りについたか・・・これはまだ幸運なことかもしれない・・・一里塚と一里塚の間、その道端の草むらや土手や林へ転げ落ちれば、だれの目にもつかず、助かる命も助からないかも、・・・眠りならまだしも・・・そのまま息を引き取るということさえ現実に考えられる。
回復するといいのだが、それとも行き交う旅人が声をかけ、腰の竹筒から手のひらに受けた水を飲ませてくれるか・・・旅は道連れというけれど・・・世間はそんなに甘くはない・・・声を掛けるものもほとんどないだろうに・・・。行き倒れ・・・そんな光景が目に浮かぶ。行き倒れ(ゆきだおれ・行倒者)・・・
・・・唐突で親し気な道連れ・・・そんなのは信用できない・・・懐と着物の下、胴に巻きこんだ胴巻きを狙っての親し気な声掛けなのではないか・・・。ゴマの蠅も・・・うさん臭くうるさく付きまとう・・・悪意を持った駕籠かきや馬子・・・そやつ等・・・(そんな者ばかりではないのがほとんどだろうが・・・)。宿場に巣くうやくざ者、裏で手を組んだやくざと十手持ち、宿場代官や郡奉行・・・そこいらの人相の悪い奴ら・・・ここには、旅をするものが増えたことが大きな要因なのだろう・・・昔のTVの時代劇・・・カツシンの・・・あれっ、ドラマの名が浮かばない・・・うううっ・・・。
人生、いつ何時、こんなよそ事みたいなことが、それぞれの身に起きないとは言い切れない。
災害時の避難にもこんなことは起きうる・・・かもね。
・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・この内容は、以前にも書いたような気がしているが・・・まあ、いいだろう、何度でも・・・。
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・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
8/30/Fri (旧暦の8月30日)
ツクツクホウシが雨降りの中にも聞こえる。
昨夜からの雨降りが、緩急ないまぜになって吹きまくる。強い雨脚と強い風・・・。
幸い、まだ夏休みのうち、今日は登校とは関係なく、生徒たちも“家ごもり?”かしら・・・。
せっかくだから、しっかり宿題をやり終えてしまおう。
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今月8月はこれで・・・。体調の芳しくないことばかり・・・を告白・・・お許しください。でも、これが現実。
・・・とにかく独り暮らしは厳しい・・・ほんと、心の休まるときがない。
・・・でも。来月、9月も再見!
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