建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-118 December 2019

HITBIT[心もよう]vol-118 December 2019 
12月、師走です。
気温が下がってきましたが、例年のような寒さといいますか、冷え込みは感じられません。元気にお過ごしでしょうか。お風邪さらにインフルエンザにお気を付けください。
この一年、2019年は日本列島が異常気象にさらされ、大変な被害が起きた。21世紀になってから徐々に危険が増しつつあり、このままでは数十年後に農山村の人口は激減するかもしれません。戦後の農山村は、若者が都会へと去っていき、新生児がほとんどいなくなるなど、残った人たちの高齢化が進んで、農山村は疲弊しているところへ、過酷な自然災害に曝されるこことなって、被災した農山村は復興を目指そうにも、その構成員である人が亡くなり戸数は減少し、復興、その気力さえも失い、村落自体が必然的に消滅していく状態になっている。
これはすなわち、国土が内部崩壊しているようなもの。人々の目が都会にばかりに向き、政治はもとより企業もすべてが都会へと向かって、経済的な効率的、近視眼的な指向が当然の世の中になって、背後、奥地・ヒンターランド・hinter- landへの思いが希薄になって、今年のような激甚災害の多発、その水害の発生を知って、ようやく被災地へ目を向けることになるのだけれど、後の祭り・・・取り返しのつかない結果を目の当たりにすることとなる。
一方で、東京圏、いや現在では関東圏というべきかもしれない政治機能の集中を促しつつ東京を中心として人口と経済の機構の集中が極端になって、その都市機能へ資本もが集中投入されるという現象が顕著だ。これは関西圏においても同様の傾向にある。そのために、オリンピックあるいは万国博覧会の招致という、いかにも福祉的娯楽的な様子を前面に押し出した、都市改造が進められてきていることも、その巧妙な、いわゆる”我田引水”的、資本の吸引であるのかもしれない。
これは一極集中の現象だ。しかし、このあらゆるものを網羅した都市への人や資本の集中こそ、自然やあるいは人工的な脅威・テロや戦争には脆弱であることに、反省や危機感として、政治も企業も自覚しているようには見えない。そして、その一方では、武力的な国力の充実が、これも巧妙にすすめられ、そのために、国土、山河、そのコミュニティーの、疲弊が進んでいることへ政治や資本からの思いや眼差しが向けられることもない。地方放置という、いわゆる背骨の欠如した、資本主義の政治と経済が二ホンの現状なのだ。
さらに、二ホン国民においても、その大多数を占める者らすべてが、愚かな政治屋に引きずられ、足元を見失いつつある。一億数千万の国民が、浮かれ酔い、踊らされ踊り、金もうけの一団の一人になろうと、踊り走って、インバウンド・inboundと熱狂的歓迎ぶりを見せる。あげくは、情緒も余韻もない、外国人へのヘツライに明け暮れ、なにやら騒がしい国となって、落ち着きなんぞどこにもない、売りにしている情緒に、汚らしいキツイ、いわゆる京言葉と東の東京・関東圏に満ち溢れることになった。
・とまあ、この流れからはみ出し、世間・社会から逃げ出したボクは思っている。
・何を書こうとしていたのか、忘れてしまったようだ。ごめん・・・。
ええっと、そうだ・・・。
100年50年の間に、二ホン国民が曝されたことがないような風水害や地震さらに沈黙していた活火山の活動が活発になるなど、日本列島の危機的状態が続いて起きている。北関東・東北にここのところ群発めいた地震の多発がある。また、気候変動の面からみれば、近年の夏の季節、この高温と風水害は殊に顕著だ。
・こんな時こそ、国家の在り方、国民の意識・・・国全体が、列島の現状、その日々起きつつある悲惨なありさまへ耳目を向け、それをわが身のこととして受け止めべきだったのに、それがうやむやにされてしまった今年のこと。
総理大臣が、その立場を使い“桜を見る会”なるものを、官房長官の所管のもとに、年々豪華にして、果ては総理大臣夫人の招待枠までもがしつらえられ、地元選挙区からは選挙民が大勢招かれた。この“桜を見る会”なるものが、総理大臣アベに私物化されたようなありさまになって、その様子が、今年になって、国民の批判にさらされるという、お粗末極まる、それこそお粗末総理大臣と、なってしまった。そこには、過去の自民党が、ある意味で、自らの長期政権に、自民党それ自体の堕落の兆候を見て、あるいは予測自戒し、さらに、総理大臣そのものの長期在任をも警戒して、二期であったものを、アベがその第二次アベ政権の発足において、自らが長期政権を為すことを画策しつつ、その在位期間の延長を図り成功したのであるが、結局この長期政権は、過去の自民党自体が自戒して来た、長期政権の悪弊そのものを体現することとなった。
それは、第二次アベ政権において籠池・加計と、その疑惑を為しつつも逃げて逃げ、うやむやに自己責任・その夫人への疑惑をも逃げきって、結局、この平成31年の”桜を見る会”において、増長しきったアベの所業として、糾弾される結果となったが、国会は休会となったのに、それでも野党の追及はやまず、結局、これも逃げきってしまうのだろう。
さらに、この春の桜を見る会での一場面、何かうれしいことがあったのか、かけっこをしているアベと、ニシムラとかいう腰巾着、彼らが走っているのは、確かに、逃げ足とみれば、そのかけっこが役立つのだろう。
ここ数年に露呈してきたアベの所業は、ここに極まってしまったかに見えたが、スガが、楯となって見事というのか、冷や汗もの油汗ものの官房長官スガは額に脂汗を垂らしながら語尾を濁しつつも、この者もその腰巾着ぶりを発揮して、アベの信頼をますます勝ち取った。そして来年へと、この者らは走りこむ。

・一方で、今年は日本国民と二ホン国においては、平成の天皇の譲位・退位と、続けて皇太子が新たな天皇として、“令和”という元号とともに即位するという新たな経験をすることになった。
この平成天皇の退位の意向は、デジタル時代にふさわしいというのか、天皇自身が直接ビデオメッセージによって、その意向を明確にし、これをどのように進めるのか、国民にゆだねた、すなわち、国会に委ねたということなのだろう。これは、昭和憲法の言う象徴天皇としての、面目躍如というところだった。

ここに至るまでの激動の昭和、太平洋戦争の敗北とともに昭和の新憲法が定まるまで、旧憲法の明治憲法・大日本帝国憲法の行方と、その立憲君主性の行方、さらに軍備戦力の保持・徴兵制という、国家と国民と天皇一家、さらに華族の存続の問題と天皇制の存続がどのようになるのか、敗戦国国民である日本国民は少なからぬ関心があったことだろう。結果、明治憲法が廃され、華族もが廃されて、かろうじて昭和天皇の象徴としての存続と、その親族のみが皇族として残された。
新憲法は天皇制の存続と、主権在民のもとに、民主主義と自由主義を高らかに宣言した。さらに背景には財閥解体と、農民への土地の分配、すなわち農地解放による大地主の廃止と小作農の廃止などと、新憲法では自由と平等という民主主義の時代がもたらされた。すなわち、日本社会における根本的な身分制度が廃されたのであった。

しかし、この時、敗戦国の国民の、さらに夫・父あるいは息子を戦争で失った国民、この戦災で家族を失った国民には、明治憲法をどうするのか、さらに、もし新たな憲法をつくるとするならどのような憲法にするのか、あるいは、天皇制をどうするのか、そして、新しい時代における、イデオロギー・国家体制はどのようになるのか、ということは、国民に諮(はか)られることなく、占領軍、実質的には米国の憲法学者と軍人ら、それに戦後処理の日本の憲法学者や類する学者らによって、草案が為され、練り上げられ、この時の世界のイデオロギーの二つの潮流、その民主主義と社会主義の内、占領軍が米国を主体とする民主主義国であったため、偶然、敗戦国の新たな国体は民主主義・自由主義を標榜した陣営へと、経済的には資本主義国として、財閥解体とともに自由主義陣営へ組み込まれることとなった。これは結果的に二ホン国民にとって幸いなことであったと、その後のソヴィエト連邦、その多くの社会主義・共産主義国の行方を振りかえればれば思われる。

ここに、天皇制も象徴としての存続とはなったが、その結果を戦後の昭和・平成と過ぎ来て、世情、ほとんどの国民は、ようやく令和の新時代を納得し、天皇制へも新たに賛同を示したように思われる。
そこには次なる時代の天皇の姿・在り方、存立の姿勢・・・への国民の関心もがついて回って、昭和天皇は崩じ、その皇太子が平成の元号とともに時代の天皇となった。その天皇が即位28年だか29年だったか、突然退位の意向を示し、国民皆が驚いたが、その意志を貫き、今年平成31年半ばに退位し、この令和という新たな元号と新たな天皇が生まれた。
それら退位を表明する平成天皇の姿は、これもデジタル化した社会の映像を以て、好意的に国民に見守られながら、その姿をあらわにしつつ、国民の支持を得てきているのだろう。
この好意的な国民の関心、これは背景にある、戦後の二ホン国が平和であること、あの敗戦から70年余、戦争が起きなかった、国民がひきおこさなかったことが、そのことも含め、代々の天皇の努力と、そこにある皇后の人間性、そして人間天皇の姿に国民が共感を持ったことによるのだろう。
このことを、平和憲法・昭和憲法の存在とともに国民は、この一見すると平和な国の存続をどのように願い、この将来の姿の維持へどのように関わっていくのだろうか、この昭和の“平和憲法”、ここ数年のきな臭い政治の主導する現実とともに。
・・・僕はこの文を12月5日木曜日午前1時から2時10分にかきました。さらに、思いつくたびに加筆したり、修正したりしてきました。
・・・ボクは最近寝つきが悪く、昨日、遅くはありますが、床に入っても、数時間して今日になるという繰り返し、そんな不健康な睡眠時間の少ない日々を過ごしています。
ああっ、ばたんきゅうと8時間眠りたいです。これから眠り直し・・・。
5日夕国にも、校正とともに加筆しました。
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===目次===
12/03  ・・・冬が来たかな、冷えてきたというのかな?・・・
12/05  ・・・広島・旧陸軍被服支廠取り壊しの危機・・・
12/06  ・・・イスラエルのパレスチナ占領区への入植の危機・・・
12/10  ・・・普段使わない言葉を日常化し常套句とした者ら・・・
12/17  ・・・自分自身の心の襞へ・・自分を貶めるのか・・・再録
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・・・冬が来たかな、冷えてきたというのかな?・・・
12/03/Tue.
12月も病院通いが重なるうちに過ぎてしまいそうだ。
名古屋はここ数日、寒くなってきた、冷えてきたというのかな?
目の前の里山は紅葉が進み、先月から数日前の快晴の日々、その夕日の斜光が射す頃になると、快晴の青空を背景にして、黄金色にと黄葉が輝きを増し見事だった。その木々も落葉の時を迎え、黄色と紅色がどんどん散り、常緑樹の木々の間に散り敷いた。そして冬枯れの林と常緑樹の濃い緑のコントラストへとその山容は沈んでいくが、その姿も間もなくだろう。
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・・・広島・旧陸軍被服支廠取り壊しの危機・・・
12/05/Thu.
広島に残る旧陸軍被服支廠が取り壊しの危機にあるという。赤レンガの旧被服支廠4棟は太平洋戦争、その原爆投下によって被曝も倒壊せず生き残ったこれも、二ホン国民が自戒を以て戦争を忌避する貴重な戦争遺産だ。
建築的には鉄筋コンクリトート躯体に、レンガを数十兩僂濔紊嘉修衂佞院∩澗里箸靴60僂曚匹諒病里魄戮垢箸いΑ
この建物は、軍隊の工場だった。ただの倉庫や工場ではない。そこには一部の管理者としての軍人がいて、その他は徴庸されたのか、多くの女子生徒を含む女性たちが働いていたという。
この建物は、いわゆる戦争の生き証人といってもいい。
それが、いとも簡単に壊されようとしている。ましてや原爆の被曝建物だ。
それが姑息にも一棟だけ残し他の三棟は壊そうという。その大きな理由は、四棟で全部を保存しようとすれば、おおよそ90億円必要であるが、一棟であれば約9億円ほどで済むという財政的な理由によって、一棟だけは残したいということらしい。
広島には被曝のシンボルとして、かつての勧業館だったか?その被曝した姿が原爆ドームとして、今、かろうじて保存されてきている。これも、もし大きな地震にでも見舞われれば、崩壊してしまうかもしれない。そうすれば、被爆の惨状を記録・記憶し遺すという建物は消えてなくなってしまう。

広島県や広島市にとっては、戦後建てられた原爆資料館が、それだけでいいのだろうか。
もし、本当に財政的なことだけで、この広島・旧陸軍被服支廠、この原爆被爆遺産の保存か否かが決められるということでは、あまりにも“さもしい心根”だと、思う。
財政的に苦しい、維持管理するのも、先の見えない保存期間である、それはすべて、根本的な財政的な計画が必要であるとするなら、まず、取り壊すという短絡的なことへ走らないで、近い将来へ保存し遺産とすることへ努力すればいいのではないのか。
そのために、遺産・資料として保存することへ、努力する、その財源を何とかして得る方法はないものか、と知恵を出し合ってはどうだろう。

一億数千万の人口の二ホン、その国民が、それぞれ1円10円100円と、志・反戦の思いを込めて寄付すれば、保存し維持する資金くらいは何とかなりそうだ。
また、その寄付を募る行動・呼びかけを、平和教育の一環と考えれば、幼稚園から小学生中学生高校生へと広め、これを基として、平和を志す国民運動として、戦後の日本の国民が犠牲を払った戦争の後の社会に、復興を通じて戦争のない平和な国というものがいかに大切なことであるのか、ここで、今一度振り返り考える機会となるような、そのシンボルとなるような“保存運動”を広島県・市・・・が起こしてはいかがだろう。そう、この細々ながらの平和であっても、これが100年200年、できれば永遠に続くことを夢見て運動をおこし展開する・・・そんな意思を広島と二ホン国民はこの時であるからこそ、改めて展開すべきだとボクは考える。

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・・・イスラエルのパレスチナ占領区への入植の危機・・・
12/06/Fri.
イスラエルがパレスチナへ侵攻しパレスチナから奪い取ったヨルダン川西岸地区へ、イスラエル人の入植が続いている。
背景には米国トランプのイスラエル支持の表明と、その証なのだろうか米国大使館のテルアビブへの移転、すなわちイスラエルがテルアビブを首都とすることの承認とパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区への侵入と入植、さらにこれらをトランプが認めたということがイスラエルにとっては正当性があるということの確認としてのトランプと米国の意思表示。
この占領地への入植は、ジュネーブ協定で禁じている“戦争国間で占領した相手国の地区への入植を禁じた”ジュネーブ協定への違反を、トランプが無視し、イスラエルを支持したことを、どの国も非難せず放置しているこの破廉恥さ。
そのイスラエルはナチスドイツ、ヒトラーが犯したユダヤ人迫害・虐殺“ホロコースト“その悲惨な民族であることを、免罪符であるかのようにして、得た現在のイスラエルの地、そのパレスチナの地に飽き足らず、拡大をし続け、自らが体験し知り尽くしている戦争の悲劇・悲惨さを忘れたかのように、今現在、罪なきパレスチナの民へ、ヒトラーとそのドイツ民族への報復かのような侵略と無差別な殺戮占領を、ヒトラー的無慈悲攻撃をもつて為していると、ボクには思える。
これは、全く、トランプの人としての誤りが為しつつある”罪“、その”実の事”なのだということを国際社会・地球の民は自分のこととして恥じなければならない。
いうなればトランプは米国の大統領になるべきではなかったし、今もあるべきではない。
米国民は次の大統領選挙では、このヒトデナシな大統領なるものを落選させねばならない責任がある。そして世界は、この“自分ファースト“トランプに、おべっか使いしつつある二ホンの首相アベを、軽蔑を以てみつづけることだろうし、すでにこれは現実になっているのに、この二ホン国の国民は恥もせずにいる。
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・・・普段使わない言葉を日常化し常套句とした者ら・・・
12/10/Tue.
近年、国際的国家的な要職にある者が非日常的な“言葉”を日常公式の場面で常套句としているのを、われわれは耳にする。ことにこの3年ほどの毎日の新聞、あるいは毎時のラジオ・TVニュースに繰り返され、近頃その言葉の異常さを感じなくなりつつあるようだ。
・米国大統領トランプが、TVカメラに向かって、普段あまり使わない言葉を、吐きまくる。
 ・・・これはテロだ・・・フェイクだ・ウソだ・・・陰謀だ・・・陥れようとするものだ・・・。と、声をからし、ジェスチャーを交え叫ぶ、この異常さ・・・。

そして、米国民は何かにつけ”誇りに思う“と、いかにも心の底から思っているかのように、恥もせず、これを常套句としている。
・日本の首相アベも、TVカメラに向かって吐きちらし、都合の悪いことには、答えず、肝心なこと、には沈黙する。
 ・・・憲法の改正・・・自民党の党是だ・・・丁寧に説明していく・・・説明責任を果たす・・・任命したのは私の責任・・・。
忘れ去った約束の言葉もワンサカと残っている。
・・・私が拉致被害者を取り戻す・・・国土を強靭化します・・・と、このむなしさ。
 ああっ、アベの言葉はすべて”吐き捨て“だ。
国民が聞きたいこと・・・森友学園籠池夫妻の切り捨て・・・加計学園・・・桜を見る会の私物化・・・そこにチラツクご夫人の度を越えたご活躍の結果の見苦しさ。
そして、拉致被害者はいまだに帰って来ず、家族は皆年取られるばかりで希望は見えないし、約束のアベは北朝鮮へ出向く様子もない・・・それら。
吐き捨てと沈黙と無視・・・あるいは忘失・・・?・・・。
任命した大臣の不祥事の背景などの説明もないまま、罷免ではなく辞任を受け入れ、たちまち即座に新大臣を任命。
丁寧に説明していくと言いつのりながら、カメラとマイクロホンから、くるりと踵を返し逃げ去る。
・考えてみれば、世の中とはふしぎなもので、これらの言葉を吐き散らしながらジェスチャーたっぷりな肝心なことの何の説明責任も果たさず、TVカメラ・マイクロホンに得意顔を見せ早口でまくしたてながら、国民をバカにしているのか、あるいは国民がバカなのか、この“言いパナシ”に魅了されるのか、世論調査には支持率が変わらず高く出る、この不思議な国民のいる国・二ホン・・・。
 首相アベ・・・腹の中には(・・・責任なんて取らないよ・・・)・・・。
 国民・・・無為・無駄な在位最長ですね総理大臣アベ殿・・・。
総理と夫人・・・まだまだ続けますよ国民の皆様・・・わが夫は、そしてわたくしもまだまだ元気に・・・よろしく・・・ね。
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・・・自分自身の心の襞へ・・自分を貶めるのか・・・再録
12/17/Tue.
11月号に書いたボクの心の揺らぎ、他者に対する不安や不信、そして自分自身へ跳ね返ってくる過去の自分の所業の結果・・・
そう、何のことはない。長引く夏がボクの“身・口・意”いわゆる密教でいう三業(さんごう)のいずれか、あるいはすべてにおいてボクを狂わせたのだ。
日々が孤独で会話もなく何の楽しみもない暮らしの中で、思考あるいは行動が、消極的になって、目標らしきものがあるにもかかわらず、それが確定せず、前進しないで、同じところで足踏みを続けている。いわゆる堂々巡りをし、ただ日々刻々と時が過ぎていき、焦りに似たものが堆積し心を鬱屈させていく・・・そんなことを思いつつも解決の手段はなく、心身に得体のしれないものがのしかかる。
それに加えて、時に必然から出くわす人が為す不誠意に、人に対しての不信を一層増幅させられ、社会というのか自分以外の者への関りから極力身を引くこととなる。 
それにしても、この世、このボクとおなじ二ホン人らは、なんと誠意がなく底意地の汚い奴らばかりなのだろうと思うのだ。かといってボクに誠意があり思いやりがあり清廉潔白な人間であるとは言えないだろう。意識するしないにかかわらず、悪者として、さらに幾分かの悪さ、そして、人として疑問を抱かせるような考えや行動を為してきてこれからもなしていくのだろうかとも思う。
あるいは“故意の堕落”というような、意識しての堕落に自己を追いやるというような、矛盾した考えや行動をすることがあるかもしれないし、過去にはそんなことをしてみたり、やってみもしたい誘惑にかられもした。
そう、ドストエフスキーの『罪と罰』、その主人公、元学生ラスコーリニコフの心の襞(ひだ)へ分け入り観察したくなる、誘惑を感じたことさえある。
また、人はなにがしかの罪を自らに与え(自ら取り込む)、その罪の重さに自らを耐えさせなければならない、そして、それを知ることによって、他者への共感や憐憫を知り、そんな“業”を背負うことによって人は自らが人となりうるのではないのかと、すなわち、人は等しく薄汚れた者、自身が薄汚れていくことによって他者を批判しない他者への慈しみを知る、それは、世間の垢にまみれたものほど他者への思いやりや理解とでもいう共感を身に着け知っていくのかもしれないと、思ったりしたのだ。
いわば、“正義を捨てる自己矛盾”という混乱した思いにとらわれもした。
親鸞さんが言ったという・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・と、これを理解すること、そうボクの解釈?・・・善人はそのまま放っておいても往生を遂げる、そう、極楽往生、浄土へ行けるかもしれないが、悪人はそのまま放っておいては往生できないで彷徨し漂うだろう、中には地獄へと、それ故、この世の悪への救済を祈られ、めざされ、如来となられた阿弥陀仏、そう、阿弥陀如来へ、その絶対の救済仏であられることを我ら衆生は是認し敬い、絶対の“ナム・なむ・南無”をもつて “南無阿弥陀仏”と六字名号を唱え祈り続けることで衆生(しゅじょう)が救われる、とされたそれは、本当の善人がこの世に皆無なゆえに、救われるべきは人皆同じ、それ故、貴賎・貧富・老若男女、すべての人が罪ある己、薄汚れた中には濃く汚れ切った己を自意識しなければならない。
自分は薄汚れたもの、濃い汚れを自ら作り出しているものであること、中には完全な汚れ物・・・そして人はみな同じ人なのだ、みな同じように祈ろう、念じよう・・・と、親鸞さんは言いたかった、このようにボクは解釈する。
しかし世間は、親鸞は・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・といっている、そうであるなら、薄汚れではなく大いに汚れ大悪人である己こそ救われる、とそんな曲解を為した者・悪者が多くいたそうな・・・そう、俺、ボクもそんな一人かもしれないね。
そう、こんな風に思うボクは、現代におけるただ一人の逸(はぐ)れ者・・・ただ独り、地獄へ落ち、孤独な地獄の責め苦へと閻魔様に振り向けられ、孤独に地獄の責め苦を背負うことになるのかも・・・“ナムアミダブツ”・・・と、逸れ者の独り言(ご)ち。
・・・と、11月号に書いた。
・・・普通、人は、老いぼれれば迷わなくなるはずなのに、ボクは過ぎてきた生き方を顧みて、悔い多い、迷い多い・・・この、人生を振り返っています。
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来年、令和2年・西暦2020年・・・このBLOGを書き続けられるか・・・自信がありませんが、まあ焦らないで、書いていけたらと思っています。
途切れとぎれとなるのかもしれませんが、ボクのページへアクセスしてみてください。
・・・お読みいただいている貴女に、また貴方へ・・・ご健康にて、今年よりもいくらかでも、幸おおい年を過ごされます様、お祈りしつつ、今年、平成から令和へと、ともに過ぎ来ましたことを感謝しつつ、新年を迎えたく思います。
それでは・・・再見!
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| HITBIT | 12:27 | - | - |
HITBIT 心もよう vol-117 November 2019

HITBIT[心もよう]vol-117 November 2019 
9月10月と、生活のリズムが狂いボクを傷めつけた。
そう、何のことはない。長引く夏がボクの“身・口・意”いわゆる密教でいう三業(さんごう)のいずれか、あるいはすべてにおいてボクを狂わせた。
日々が孤独で会話もなく何の楽しみもない暮らしの中で、思考あるいは行動が、消極的になって、目標らしきものがあるにもかかわらず、それが確定せず、前進しないで、同じところで足踏みを続けている。いわゆる堂々巡りをし、ただ日々刻々と時が過ぎていき、焦りに似たものが堆積し心を鬱屈させていく・・・そんなことを思いつつも解決の手段はなく、心身に得体のしれないものがのしかかる。
それに加えて、時に必然から出くわす人が為す不誠意に、人に対しての不信を一層増幅させられ、社会というのか自分以外の者への関りから極力身を引くこととなる。 
それにしても、この世、このボクとおなじ二ホン人らは、なんと誠意がなく底意地の汚い奴らばかりなのだろうと思うのだ。かといってボクに誠意があり思いやりがあり清廉潔白な人間であるとは言えないだろう。他者からみて、ボクが意識するしないにかかわらず、悪者として、さらに幾分かの悪さ、そして、人として疑問を抱かせるような考えや行動を為してきて、これからもなしていくのだろうかとも思う。
あるいは“故意の堕落”というような、意識しての堕落に自己を追いやるというような、矛盾した考えや行動をすることがあるかもしれないし、過去にはそんなことをしてもみたり、やってみもしたい誘惑にかられもした。
そう、ドストエフスキーの『罪と罰』、その主人公、元学生ラスコーリニコフの心の襞(ひだ)へ分け入り観察したくなる、誘惑を感じたことさえある。
また、人はなにがしかの罪を自らに与え(自らその罪を取り込む、という意味で)、その罪の重さに自らを耐えさせなければならない、そして、それを知ることによって、他者への共感や憐憫を知り、そんな“業・ごう”を背負うことによって人は自らが人となりうるのではないのかと、すなわち、人は等しく薄汚れた者、自身が薄汚れていくことによって他者を批判しない他者への慈しみを知る、それは、世間の垢にまみれたものほど他者への思いやりや理解とでもいう共感を身に着け知っていくのかもしれないと、思ったりしたのだ。
いわば、“正義を捨てる自己矛盾”という混乱した思いにとらわれもした。
親鸞さんが言ったという・・・善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや・・・と、これを理解すること、あえて、そうボクの解釈?・・・善人はそのまま放っておいても往生を遂げる、いわゆる、極楽往生、浄土へ行けるかもしれないが、悪人はそのまま放っておいては往生できないで彷徨し漂うだろう、中には地獄へと、それ故、この世の悪への救済を祈られ、めざされ、如来となられた阿弥陀仏、そう、阿弥陀如来へ、その絶対の救済仏であられることを我ら衆生は是認し敬い、絶対無比の意“ナム・なむ・南無”をもつて “南無阿弥陀仏”と六字名号を唱え祈り続けることで衆生(しゅじょう)が救われる、とされたそれは、本当の善人がこの世に皆無なゆえに、救われるべきは人皆同じ、それ故、貴賎・貧富・老若男女、すべての人が罪ある己、薄汚れた世の中において、さらに濃く汚れ切った己を自意識しなければならない。自分は薄汚れたもの、濃い汚れを自ら作り出しているものであること、中には完全な汚れ物・ボクみたく・・・そして人はみな同じ人なのだ、みな同じように祈ろう、念じよう・・・と、親鸞さんは言いたかった、このようにボクは解釈する。
しかし世間は、親鸞は・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・といっている、そうであるなら、薄汚れではなく大いに汚れ大悪人である己こそ救われる、とそんな曲解を為した者・大悪者が多くいたそうな・・・そう、俺、現代にいるボクもそんな一人かもしれないね。
そう、こんな風に思うボクは、現代におけるただ一人の逸(はぐ)れ者なのだろう・・・ただ独り? この世の死者すべてが救済され天国へ行くのに、ボクはただ一人地獄へ落ち、孤独な地獄の責め苦へと、あの世の入口で閻魔様に振り向けられ、ボクは孤独に地獄の責め苦を背負うことになるのかも・・・“ナムアミダブツ”・・・と、逸れ者の独り言(ご)ち。
・・・ここ数か月、描き進むこと、コンピュータのスイッチを入れることが、なんだか空しくなって、このBLOGも書き進められなくなって、うやむやに進めてきました、ごめんなさい。一因はホームページの動画部が見苦しいことになって、嫌気がさしたことが原因でした。その動画部を静止画として、再出発として、こうしてBLOGを書いています・・・。
まあ、こんな気力気持ちの落ち込みが今も続いていますが、気を取り直して、さらに11月号を書いていこうと思いますが、どれほど書きすすめられますか・・・。
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===目次===
11/01  ・・・京都へ・・・
11/06  ・・・それでも講習会へ・・・
11/07  ・・・この2・3か月のことから・・・
11/10  ・・・小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった・・・
11/12  ・・・幻のような風花の痕跡・真夜中の思わぬ景色・・・
11/15  ・・・“桜を見る会”の疑惑と来年は中止のこと・・・
11/27  ・・・ホウノキ・朴木・・・の、存在、・・・

11/29  ・・・「狗奴国」・・・の、存在、・・・
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・・・京都へ・・・
11/01/Fri.
思わぬ早い目覚め。そうだ、京都へ行こうと、出かけた。相変らずボクはただお参りに行くのみ。8時前に名古屋インターから名神高速へ、京都東で降り、大谷祖廟の駐車場へ車を入れ、お参り、その後、八坂神社と辰巳稲荷に参り、スタバで朝食兼昼食をコーヒーとスコーンで済ませる。トンボ帰り。コーヒーが今日からクリスマス仕様でおいしくなったそうだ。確かにうまいコーヒーだった。
八坂神社界隈は先月よりも人出が少しだけ多くなった気がする。中国語らしい大声がそこここでする。
なぜ中国人は周りに気を遣うでもなく、大声でしゃべりまくるのだろう。
・・・相変らずボクは、ただお参り済ませトンボ帰り、1時過ぎには名古屋インターを出て帰り着いた。自宅近くのスタバで”onemore onecup”のコーヒーを飲んで疲れを癒し、隣のスーパーで夕食のおかずなどを買い込む。
・・・こんな風に、今日も過ぎてきて、宵にはウオーキングと、日課をこなして、一日が過ぎる。
近年、観光客としてはどこへも行かない。奈良へと遠回りするでもなく、好きな奥琵琶湖へも脚を向けることもなくなった。そう、寄り道らしいことをしなくなった。
家にこもることの快適さのようなものにボクは浸っているのかもしれない。
名古屋での日々の生活も他所へ出かけるでもなく過ぎていくようになって、毎日ぼんやりと過ぎていく無為な日々が日常となった。
しかし、心の底にある目標へコンピュータの電源を入れることもなく、ふんぎりがつかないでいる。涼しくなったら始めようと思いはするが・・・。
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・・・それでも講習会へ・・・
11/06/Thu.
今日は午後から・・・改正建築物 省エネに関する省エネ法説明会・・・へ、午後から出かけた。熱田区の白鳥(しろとり)ホール・・・1300人収容のホールは満員だった。これを全国47都道府県で開催するのだそうだ。
地球は人が為す生産や生活の過程で排出される二酸化炭素に曝されで温暖化へと突っ走って、破滅へと向かっている。そう、今地球は悲鳴を上げている。その影響下にあっての悲惨な自然災害をたびたび聞くが、人間が常時居住する建築物こそ、大きなエネルギー消費装置だし、そのエネルギーを生産するのに多くのエネルギーが必要とされる。人は自分自身で作り出した温暖化に辟易として、窓を閉め切って外気を遮断しエアコンを回し続ける。この矛盾、皮肉なことだ。
それ故、建物のエネルギーロスを少なくすること、冷暖房や光熱費における建築性能の向上を狙って、”省エネ“が叫ばれることになる。すなわち、建築関係は人の健康に直接関係する場には違いない。それで真っ先に建築関係に“省エネ規制の技術的適用”がすすめられ、もとめられる。
もちろん他の生産分野へもこの省エネ策はもとめられ、日本中、各分野で同じような講習会が進められているのだろう。午前中にも似たような講習会が開かれていたらしく、会場となった白鳥ホールで、会場の受け継げ始まるのを待っていたボクの目の前に、ホールからは多くの人が出てきて立ち去って行った。その後、午後の部が始められるのだ。
ボクは残念ながら、設計の仕事は減少し、開店休業状態だけど、一応設計という仕事は登録している。これからも仕事はありそうにないが、関係する法令を知ることは続けなければならない。
しかし、長い年月、建築設計に従事してきたけれど、有料の講習・・・資格試験やその更新の都度の講習、さらに新たな法規制がかけられると、それに関する講習・・・と、その費用と時間はかかわる者にとって大きな負担となってきている。
さて、今月19日にも今日と同じような講習会がある。
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・・・この2・3か月のことから・・・
11/07/Fri.
・・・ここ数日、一か月以上も長引いた”夏“が、ようやく去り行きつつある。その気配は朝夕の気温の変化にも表れ、その朝方の冷えた気温が、街路樹のトウカエデを黄色や赤に色づかせ、道路を隔てた我家の真向かい、里山の斜面の木々には転々と紅葉が見られるようになったしかし、その中のハゼノキ・・・これは毎年のことながら夏が去ると突端に樹形すべてが見苦しく、生きているのか、枯れつつあるのかと疑問がわくような見苦しい姿になる。しかし、最高気温が20℃を切り、最低気温も10℃を切るころになると、その惨めな一瞬から抜け出すように、樹形のところどころに深紅の葉が一枚また一枚と日々鮮やかに増えていくようになる。こんな紅葉への移行に一瞬だけど見苦しい姿・色合いを体現する木は珍しい。
11月に入って、名古屋は晴れの日が続いて、それに伴って、ボク自身は、肌の乾燥が顕著になって、体のそこここが痒くなって、それをかきむしり荒れ、ひっかき傷が点々と出来てきた。保湿乳液を塗っているが、一進一退・・・夏の間に直りかけた昨年の傷跡が再び悪化するかも・・・そう、これはアトピーかもしれない・・・。
・・・そうそう、10月は二つの展覧会へ出かけた、まず一つは、11日、豊田市美術館での「クリムト展」、さらに29日、名古屋市美術館での「カラバヴァッジョ展」へ。
どちらの展覧会もいつかは観たいとずいぶん昔から想っていた、クリムトの作品はかつてどこかで観たようにも思っているが、カラバヴァッジョはずいぶん昔からその人生と作品に興味があって、ようやく願いがかなった。美術館の企画に感謝しよう。
しかし.この名古屋市美術館でのカラバヴァッジョとその関連する画家たちの作品を、観まわって2階の展示室に遷り数点を見終わった時、突然猛烈な喘息の発作に襲われた。静かな展示室で、この喘息の発作・・・なんとも間が悪いこと、そしてそれも過去に経験したことがない5分以上続いた強烈な発作だった。呼吸が出来ない息が詰まり咳とこみあげる嘔吐の感覚と、それをこらえることによって息が出来ないそれ・・・。片隅にあった椅子に倒れ掛かるように掛け、治まるのを待ち耐えていたとき、一階の展示室から駆け上がるようにしてボクの目の前に、苦しくて涙でかすんでいたボクは、このお二人、ご姉妹?母娘?風のお二人が・・・大丈夫ですか、この飴をどうぞと,下さった。それでもパニック状態のボクはその飴をほおばった。椅子に掛けてから10分ほどだろうか、耐えていた間にお二人は消えてお礼も言えず、名刺を差し上げることも思いつかず、治まるのを待ったボクでした。
そう、喘息はボクの持病の一つ、15年ほど前から小さな発作を覚えるようになって年齢を重ねるにしたがって、悪化している。それなのに、発作を治める吸引薬“メプチンエアー”をバッグに入れたまま、車においてきたこのうかつさ、後悔しきり。
そう、いろいろな持病が顕著になったのは連れ合いが亡くなって数年たち、本格的に本を書くようになってから・・・執筆は熱中した良い時間だったが、いろいろな自分自身への気遣いがおろそかになって、日ごろの養生を怠ったためだ。生活が不規則になり、運動量が減り、夜更かしをし、頭の回転を促すのか・・・甘いものが欲しくなり、さらにウヰスキーの量が増え、食事も不規則になって、すべてが不健康へと傾いたこの10数年のこと・・・などなど。
・・・まあ年齢が年齢だから、致し方ない体の様々な衰え、気力だけ、気持ちだけで、健康が保たれるわけではなく、それなりにケアーが必要なのだが、それも怠りがちだった。そして自分を病気のデパートなんて、本気とも冗談ともつかぬ表現をして、図太くというのか細々というのだろうか、生きている。
・・・しかし、ありがたかった・・・おふたり・・・本当にありがとうございました。こうして、また少し生き長らえました。もともとボクは失顔症の上、あの時パニック状態のボクは、お顔を見、覚えること、さらにお礼を申し上げることさえかなわなかった。
これをご本人お二人がお読みになられれば、あるいは、お読みになったお方に、この状況を見られ、このお二人をご存じであれば、教えていただきたく強く思っています。ご連絡ください・・・ぜひ。
・・・とにかく・・・ありがとうございました・・・ありがとう・・・。
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・・・小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった・・・
11/10/Sun.
旧暦10月13日、そして今夜は十三夜の月。昨日の宵はウオーキングを休んだ。久しぶりのサボり。
今日、お昼前後は、抜けるような青空・快晴だった。それに鳴きかわす鳥たちの気配もなく、さらに行きかう車もほとんどなく、小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった。
この感覚の表現には、長々と言葉を放つ必要はないだろう。
ニホン人であれば“小春日和のホカホカ天気、長閑な日和”と書いただけで、その様子・雰囲気は伝わるのだろう・・・そう、この漢字のなす表現力はなんと素晴らしいことか。
しかし、先日の立冬前後から日の入りは早くなって、さらに雲が出てくると急に気温は下がり、4時ころに屋内は照明が必要になる。今4時半だけど、屋外は薄暗くなった。
今宵は少し早くウオーキングへ出かけよう。
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・・・幻のような風花の痕跡・真夜中の思わぬ景色・・・
11/13/Wed.
薄曇り時々陽射し・・・薄曇りの中、里山の斜面に紫を隠し持ったような深い紅色だったハゼノキの紅葉が、束の間の陽射しに里山の斜面が明るくなって、そのハゼノキの紅葉がなぜか赤茶けて周りの常緑樹の中で精彩を欠いている。
・・・そう言えば昨夜午前2時頃だったか、のどが痛くて目覚めた。うがいをしつつふと外を見ると、隣の寺の塀の屋根瓦がうっすらと白い。よく見れば粉雪らしい。また遠目に本堂の大屋根も同じように薄らと白い。雪降りだった様子はなく、そのうっすらっとした白・・・そう、雪降りではなく、西風に運ばれてはるばる飛んできたらしく、灰色鈍色といった方がいいのかも、そんな真夜中の思わぬ風情・・・気温が下がった外気に冷え切った瓦屋根が、その飛んできた粉雪を受け止めたらしい。
雪降りとは言えない、雪が積もったともいえないほど斑(まだら)にうっすらと二ホン瓦に受け止められた、風の運んできた斑の雪のふりかかった屋根・・・陽の射す朝には跡かたもなく、まるで幻のような風花の痕跡・・・真夜中の思わぬ景色でした。ええ、モノクロームの景色。
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・・・“桜を見る会”の疑惑と来年は中止のこと・・・
11/15/Fri.
13日のニュース・・・春ごとの首相招待の“桜を見る会”が野党から“その招待基準が首相の個人的招待となってはいないか”と指摘されている。
これに対して、首相府は“来年度の首相招待の観桜会を中止する。これは招待基準を見直すためである”と、13日午後に発表した。
・・・では、その“招待基準を見直すため”とは、首相府が見直す必要を認めたに等しい、と思う、そう、上げ足を取るようだけどボクはそう思う。
ここからは、11月15日に書く。
一方で、拉致被害者の会が結成されて30年(これ、ボクの記憶違いかも・・・北朝鮮の日本人拉致が発生したのは)とラジオニュースが言っていた。
拉致被害者、寝ても覚めても、行方知れずになった肉親を思い続ける家族、親族・・・その人たち・・・一方で、アベシンゾウは国費と自分の地位を利用して,自分の栄達の祝かのような“桜を見る会”を、催す。
どうもそこへ招待される者たちの中には、総理大臣であるアベの選挙民が、団体、ツアーを成して前日から東京へ招待され、供応にあずかり宴会が為されるのだそうな・・・そう、こんなこと、ボクには想像もできない良き場面???そう、自身の選挙区から選挙民を招待し供応するとは、これって???もしかすると公職選挙法の定める、選挙違反に当たるのではないかしら???と、そのへんの知識の希薄なボクは一瞬思った・・・そして、ここに招かれる人たちは・・・たぶん、現職の総理大臣様、いわば民の中の最も尊いお方が、われのような下々をこうしてはるばる、招待し、桜の花見と、しゃれこませてくださり、供応・宴なるものを催してくださる。その場には、奥様もお出ましなされ、下々のこの田舎臭いものにもお声をかけくださっている、ああ、なんとありがたいこと、これをあの世まで思い出として持っていきましょう・・・ナンマンダブ・ナンマンダブ・・・と、この六字名号は唱えなかったのだろう・・・けど、そう、下世話にいう日の本一の成功者が、夫婦そろって満面の笑みを浮かべ、招待されたすべてが”満面に諂(へつら)い卑下の気持ちそのものを浮かべ手もみする者“のあふれる、その宴の場に身をおいいているアベ、いつの間にか、得意満面なその顔が、己も”同じ下卑て緊張感の片鱗もない顔”となっていることに気付きもせず、時々しか、思い出さない、”拉致被害者家族との約束“を、すっかり忘れ去り、出世物語の頂点の自分に改めて、満足するのだった・・・そうなのだろうと、そんな高尚な高貴なお方が為される花見の宴なんぞ味わうこともないこのオレ、その、家付き嫁と姑にいびられる中村主水のメザシの夕餉、サカヤキの伸びたたそがれ清兵衛の夕餉のメザシののった箱膳に向う二人の娘との様子を、ボクは自らの日常の貧相質素な日々に思い重ねるのです。そう、この二つの家庭のそれぞれの夕餉の様子さえ、うらやましく思えるボクなのでした。
・・・そうそう、今夜は第三金曜日の“夜回りの日”でした。8時の集合に遅れないようにしなくっちゃ・・・。先月は雨降りで休みだったと、おぼろげに思い出す。
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・・・ホウノキ・朴木・・・の、存在、・・・
11/27/Wed.
先日の記述から瞬く間に10日以上が過ぎ去った。
体調に異変があってコンピュータに向き合うとか、スイッチを入れるということから逃げる、避ける、見向きもしたくない・・・などと、さまざまな拒否反応が出続けていた。
しかし、秋を待ち焦がれたともいう心情が、こうしてタイピングを怠っている間に深くなって、秋、我が家の前の里山は、ようやく全山、黄葉・紅葉に覆われた。昨日今日の曇り空、時に時折の小雨、その湿り気のある空気に、黄葉・紅葉が映える。
小雨が降れば、それはさらに見事な秋風景だ
そうそう、街路樹のサクラはすかっかり裸木、トウカエデは紅葉・黄葉がはらはらはらはらと散り続け、小雨に濡れたアスファルトの歩道に散り敷いていく。
そういえば、ホウノキ(朴木)・・・これもほぼ落葉した。その大きな濃いこげ茶の表、裏は鈍色(にびいろ)。その鈍色の葉裏を見せて、歩道に散り敷いていた。ホウノキの落ち葉のほとんどが、その葉裏を見せて着地?している。
なぜだろうと、よく観察すると、ホウノキの葉は葉脈を中心にして裏(鈍色側)側へ反っている。いわば、舟のように。そう、考えれば、この大きな葉は、単に落葉したのでは幹の周りに落ちて重なるのみ、これが船の様であれば、サーフボードが波に乗って滑るように、ホウの葉の舟形は、微風でも、その空気の流れに乗って船のように流れていくことが出来る。
それは、ボクがホウノキの所在を長年見つけられなかったように、生まれた母木からはるか?それほどでもないが、他の樹木の葉っぱよりその大きく重い葉が、母木を離れて地面に散っているそのこと、落下するより滑空するという目的、落葉の形態・・・その作為を持った葉の構造が長年、ホウの葉の母木を見つけられなかったわけなのだと、謎解きのようなことだけど、こうして過ぎた数年の冬に気づき、今年もまた昨年よりもはるかに多い大きな葉っぱをみつけることができ、うれしさというのかその葉の持つ意味を見つけたうれしさというのか、疑問が解決したというのか、とにかく長年の疑問が解けたことが、うれしい。
このホウノキの存在をなかなか見つけられないでいた、その数本のホウノキ。今年になってその木のありかを見つけたボク、僕の細腕ほどの立木の幾本かが為す小さな林、その細木の群れが歩道の西の法面(のりめん・斜面)の下の雑木に交じって成長してあった。この特徴のある大葉をなすホウノキの小さな群れ、実はこの群れ以外に、この小さな林を成す他のもう一か所を、150mほど離れた寺の小さな林の中に、その枯葉のすがたの一部を見せる一本が枯葉色をのぞかせているのを、遠目ながら我が家から見つけた。ボクにとってはこれも発見だ。
このホウノキの存在は、ここがかつては重畳と重なる低山の林の存在があったことを今日へ教え伝えてくれている。東へと拡大する名古屋市の都市域がこの重なり広がる低山の開発を今も推し進めて破壊している。
住宅地として新しい街を成し、その東には愛知万博が開かれた。また大学研究施設や青少年の野外活動の場、猿投古窯群の成果としての陶磁器博物館などと、また生活のためのスーパーマーケットや世界的に展開している北欧家具の大きな施設などと、さまざまに、人の生活のためとして、自然破壊を続けている。
それにしても、林の中に見出される古窯の跡や、名東区内に残る地名につく“鋳物師”という古代の産業の最先端の様子、これに寄り添うようにある陶土の採掘跡や炭を焼いた窯の跡、あるいは地中に広がる亜炭鉱のトンネルの存在などと、その存在から想像させられることは大きい。こんな想像を次に書こう。
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・・・「狗奴国」・・・の、存在、・・・
11/29/Sat.
この名古屋市の東部部にあたるかつての深い林、今は里山となった丘陵地、その里山の重なりあう今は東山とよぶこの地域は、かつては、はるか東の山群、その猿投山の西に広がる丘陵地というのか低山地域の西の端に広がる地域だったのだ・・・。
そして、この里山には、多くの炭焼き窯や陶器の焼き物の窯がつくられた地域の中には今では採掘されなくなった亜炭層を持つ土地が僕の住む千種区の東の名東区にはある。さらに、名東区の地名に”鋳物師”の付く地名がある・・・それはたぶん、かつて、その”炭焼きの成果・木炭“あるいはさらに強い火力を生む”亜炭“を以て、鋳物を”鋳(い)て・鋳造して“いた人たちの集団が村を営んだ土地だったと、ボクは推察している。
ことに、鋳物の生産には、必要な材料の砂鉄の生産を伴わなければならない。それは猿投山の麓の矢作川の河岸段丘で生産され、砂鉄となった、と、ボクは推測している。そして、この地域には、さらに磨き砂(金属を磨く・歯磨きにも)が、今でも採掘されている。そう、それはかつての大河の河岸段丘の層に含まれていたのだ。
そう、古代(飛鳥時代からはじまる鋳物など金属の)の生産資源を持ち、製品を産む、矢作川の右岸域は、そんな資源の豊富な地域であったはずだ。そこへ、鋳物の工人など関連する人が集まり、また、燃料となる亜炭と薪炭となる堅木の樫類が茂り・・・それを得ることが出来る地域だったとも推測でき、またこの鋳物師(いもじ・いものし)の集団の他に、たぶん木地師の集団もいたのだろう。さらに、狩猟を生業(なりわい)とする“マタギ”とか“山立ち”とよばれる人たちと、さまざまに生業を成す集団が重層して存在していたのだろう。
そう、この人たちは古代からの工人ともいえるし、国中を素材やそれを加工する燃料を生む土地を求め探索する山師でもあった。そして何十年・数十年ごとに、手近なところの資源が枯渇すれば、その資源の存在する地へと移動をし、当時の奥地であり、かつ、都や町や村に近すぎず遠すぎず、生業を成しつつ、数十年の時を経ては原材料の枯渇とともにその痕跡を残し、移住していったのだろうと想像する。
その彼らは、生産のもととなる陶土と木材と砂鉄それに燃料の木材と亜炭・・・そんなものを求めてこの広大な丘陵の山地・雑木林に分け入って、その素材が尽きるまで群れて山中にあった“サンカ・山人それに工人”たちの足跡・痕跡をボクはこの地に見る。
そして、その窯の跡が、開発を逃れ土中に埋没し、時に宅地造成によって顔を出す。昨年だったか、我が家から50m程のところに、その露出した窯の調査が行われた(猿投古窯群の西の端の存在だろうか・・・)が、たいして新しい成果はなったようで、宅地造成が為されて新しい大きな住宅が建てられた。
その、古代からの記憶が、ところどころに残る里山の雑木林の中に顔を出す。
・・・と、ホウノキの葉をみつけたことと、紅葉の里山のことから古代のこの地、名古屋市の東部丘陵地の古代へと,ボクの想像は飛躍しすぎて、古代にまで走った。
でも、この想像は、たぶん真実、本当のことを的射ているに違いない・・・、こうした生産という手段の存在、バックボーンがあるこの尾張の地・・・かつて、ここにはたぶん古代国家が存在したといたと僕は考える。それが、尾張の北東の地、この古代の“葬送の地”だったとボクは想像する・・・シダミ・しだみ・志段味の地の古墳群・・・さらに、尾張の中央部の平野、現在の清洲あたりの平野の中の朝日遺跡・・・その存在とつなげ、この地の歴史を考える。そう、興味を惹かれる。
・・・古代のモノづくり、陶器の生産に思いやれば、今につながる、瀬戸・多治見、さらに南の半島の常滑(とこなめ)と・・・古代の稲作・米の耕作とは別の重要な物産・陶器と鋳物の生産、その生産を可能にした米作・稲作の耕作を容易にした木曽川とその支流の、今は消えてしまい、痕跡だけとなった佐屋川の左岸の地と、木曽川本流と木曽川に挟まれた広大な三角洲の存在・・・生活のもととなる食糧生産地という、これもバックボーンとしてある尾張と美濃西部を基盤とした古代の王国の存在・・・魏志倭人伝の伝える倭国の超大国狗奴国の成立した・・・その米と生活を成り立たせる物の生産の地が存在する狗奴国がここに、ボクは、古代尾張族の王国があったと、考える。そう、「狗奴国・くなこく」・・・の、存在、これは極めて広大な地域を生した王国だったとボクは考える。
しかし、その痕跡は、次々と生まれかわる古代の権力者によって削り取られ、新たな宮域や城域が造られてきたと考える。

では、その尾張の古代国家の中心地はどこに存在したのだろう。
全く消え去ったかに見える濃尾平野の王国は、今日まで、古事記や日本書紀に”尾張氏”として、歴史書の中、その冒頭にも”尾張”として、突出して見出せる。
神武系の歴史は尾張氏を抹殺しつつも、完全には消し去ることが出来ないでこの地にあり、古事記や日本書紀の冒頭にその名「尾張」を書き留めている。
そしてこの古代の大国”狗奴国“、この王国の中心は、かつての名古屋城域・・・現在の愛知県庁や名古屋市庁、さらに中央官庁の出先機関が集中する、名古屋台地と総称される地に存在したに違いない。
すなわち、この名古屋台地は、古代も中世もそして近世も、権力者が注目し、尾張平野を、さらに美濃の平野部を見晴るかし、伊吹山の麓の“関”を監視することが可能な平野に突出した台地・高地であった。そしてそれは時代を経ても変わることなく、徳川家康によって再発見され、この濃尾平野以西の勢力を監視する大城が築城されたのであった。これが名古屋城・・・豊臣氏を制圧した徳川家康が成した名古屋城の築造によって古代遺跡は徹底的に破壊が為され過去の遺物・痕跡はかき消されてしまった。その遺跡の一部が、今日まで残る”熱田神宮”の地なのだろう。名古屋城跡はその北部、同じ名古屋台地の尾根筋に位置する。

すなわち、東は猿投山地と矢作川、北東には志段味山地群、北には蛇行する大河木曽川、遠く北西には、信仰の山地・白山が望見されるし、さらに西は琵琶湖という太湖を背にした伊吹山と養老山脈の東面の地、さらに日本海と伊勢湾を結び、白山という分水嶺から北と南へ流れる大河と加えて木曽川の存在をも視野に入れなければならない。そして、濃尾平野を見るにはこの南へ流れる大河の先、伊勢湾と三河湾そしてこれらの前方に開ける現代の太平洋へ向ける広い視野を持たなければこの濃尾平野の古代王国は解明できない。
・・・すなわち、現在の濃尾平野と、この地域の幾筋もの古代から現代への大河川の存在、これが舟運を促す流通経路の網目を生したと同時に、尾張以西の勢力圏への要害となる河川としてある、このような地理的あるいは地勢学的要衝に囲まれ、尾張氏の拠点となったのである。この広大な支配地を有した尾張氏という認識と巨視的視野を以てこの”狗奴国“の存在に対しなければ、この王国の解明にはほど遠い。
すなわち、飛鳥、難波、平城、平安などの有史後の視点でこの尾張国を解明しようとしても、その根本的尺度が短すぎ小さすぎるのである。
この濃尾平野とこれを取り巻く産地と海の存在、そして中央部に網羅する大河の存在、この神武以前の歴史に忘れ去られてある尾張大国・狗奴国の存在は、狭隘な関西の平野や盆地の王国の尺度や感覚では把握できないほど大きく広い地理的あるいは地勢学的見地から考えなければならない。
今日まで、なぜか歴史家は、この濃尾平野を中心とした、巨大な古代の超大国の存在を深く追求することなくきて、今日もこの伊吹山の東、養老山脈の東、その古代国家の勢力圏そのものの存在と“神の存在・・・熱田”の地を、ただ”点”としてしか認識してこなかったのである。さらに、尾張には昔から神宮(伊勢)に詣でるにはまず津島社ヘ詣でよという言い伝えがある。さらに対馬のはるか西方、養老山脈の南端の東には多度社が存在する。すなわちこの神のなす点と線の神の道の存在。この神の道の周辺には広大な平野が、そして河川が存在するのだ。
さらにそこここに古代からの神の存在がある。北には国府宮社、さらに北には眞隅田社、北部には奇祭を司る犬山の神々の社の存在と、今日にも通じる奇祭として知られる神々の歩いた道をたどることが出来る。この奇祭の社の存在、それは古代国家とその古代人らの祭祀観の存在をもが表されていることが分かる。
歴史家は始めに述べた古代の産業の中心地の存在を想像することもなかった。そう、今ここに述べた米作と製品の生産・・・さらに流通・・・今日につながる歴史のベース、生産の地であった名古屋東部丘陵地域のこと、これを見落とした歴史家たち。
それら、この尾張の地に関心を向けた者たちですら、名古屋台地を中心としながら消えた、あるいは消し去られてしまった王国の中心の地、名古屋台地を王城の地とこれを取り巻く広大な平野と重なる低山地とさらに幾筋もの河川の流入する海・・・これらを含む王国を、彼らは想像することがなかったことにも狗奴国の解明が為されてこなかった一因がある。
実は超大国と書いたが、この地、尾張はこの後の古代から続く歴史上では極めて狭い支配地、領土領域に過ぎない。それは中世の地図の表すところだ。しかしこの西美濃と木曽川を挟んで存在した尾張をあわせさらに伊勢の北部さえも抑え、伊勢の神々さえも領域に抱え込むことを可能にした。こうして見わたせば、伊吹山系と養老山系のなす峠、あるいは関、それらは西の諸国と濃尾平野を経て、三河さらに駿河の東海道あるいは、諏訪湖、租s子から流出する天竜川、その中山道に面する諏訪の神々を祀る諸国への交通を支配する地であることがわかる。これがこの濃尾の王国・狗奴国(クナコク)であったのだ。
これを戦国の乱世を平定し治めた徳川家康は、戦術家として直感的に理解し、濃尾平野を見下ろし見わたすことが可能な名古屋台地の北の端に西国に備える名古屋城を築城したのだ。この感覚は、この地に王国・狗奴国を生した古代大王もまたおなじ直感的だったのである。
・・・・・・まだ深い考察もなく、この濃尾の超大国・狗奴国のおぼろげな姿を描きました。しかしこの考えは、もう何十年と考え温め続けてきた、この濃尾平野の古代国家の存在についての考えです。
歴史家たちは、”遺跡”という、点々と見出される歴史の痕跡を、ただ”点“としか見てこなかった。本来、点として見出される痕跡をネットワークあるいは面の存在としてとらえ、さらに、それをつなげていくというような、パッチワーク的な見方が必要であると思っています。古代国家といえども、そのネットワークとパッチワークの”面を統治“していたのであろうと想像します。
これからもこの着想を育て考えていきたいと思っています。
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HITBIT 心もよう vol-116 October 2019

HITBIT[心もよう]vol-116 October 
9月は大変失礼しました。9月号は休刊しようと思いましたが、迷いつつタイピングをし続けていた思いを加筆修正しつつまとめ上げ、投稿日を本当の日付より一月も繰り上げ、投稿しました。vol-115・・・を、あらためておよみいただければと、身勝手にも思いおります。
       ――スズメバチとの戦いから・・・己の愚かさを知る――
これを書いています今日は、すでに11月5日です。数日前から気温が4・5℃下がって最高気温が18℃から22℃あたりをさ迷っているようです。
宵ごとのウオーキングコースの街路樹。イチョウ・いちょう・銀杏の並木が一昨日3日頃から盛んにギンナン・銀杏を歩道に落とし始めました。
例年と違って、実は小さいのですが落ちる量は多く、そのギンナンの喬木が広い歩道の歩行用と自転車用の隔てに10mほどの間隔を置いて在り、それを結ぶかのようにアベリアなどの低い刈り込み帯が隔てている。
黄色く熟した実が自転車や歩行者に踏みつけられ、つぶれて散り敷いている。しかし、例年に追ってくるギンナンの腐る臭いは感じられない・・・不思議だ。
そういえば、ボクの観察では、黒松は枯れる年には、例年以上に樹形を覆いつくすかのように小粒のマツカサをつけ立ち枯れるが、このイチョウの街路樹は枯れる様子はない。そう、この小粒で大量のギンナンは、この夏の異常な高温そして多発する台風と多雨、その異常ともいえる気象状況に身をもって感じたのか、松に似た生態・・・枯れる危機感・・・そんなものを体現してこの世に示しているのだろうか・・・と、思いめぐらしてもいる。
そういえばもう一つ、9月末から10月初めのこと、”スズメバチ“が我が家の周囲を盛んに飛びまわていたが、ついに家の中にまで飛び込んでくるようになった。時にはキッチンそして居間さらに居間のベランダと、ようやく涼しさが感じられる季節の変わり目、いたるところを数匹いや5・6匹と飛び回るようになった。そして間もなく台所の換気扇、その屋外フードの中に巣をつくり始めたらしく、換気扇カバー越しに鉢が大量に飛び回る恐ろしい羽音が聞こえるようになった。
ボクは恐怖にかられ、不織布でできた換気扇カバー越しに、室内からあの赤い缶の”ジェット噴射でハエ・蚊を落とす!/アースジェット/無香料・目鼻咽喉にやさしい低刺激”という“やつ”を、バンバン・シュウシュウ・・・換気扇の回転を止めたり、寸動させたり、回転させたり、さらに、回転を止めたり、寸動させたり、停止したり・・・間にまに、バンバン・シュウシュウ・・・を繰り返し、繰り返し、10日間ほど戦い続けた・・・。そう、この戦い・・・ボクにとってはまさに戦い、スズメバチとの果てし無き戦い・・・、幸いに不織布のカバーのおかげでハチの直接の反撃はなかった。それで、不織布でできた換気扇カバー越しに、室内からあの赤い缶の、ジェット噴射でハエ・蚊を落とす!/アースジェット/を、火炎放射器か毒ガス噴射機さてはデモを蹴散らす催涙ガス入り放水銃、バズーカ砲・・・ええ、どうでもいいけど・・・とにかく、気持ちは戦士、襲い掛かる敵を振り払いつつも、一日に何度となくひるまず襲い来る敵。このひるまない敵・補充される敵兵・スズメバチ軍団を壊滅させるべくボクは孤軍奮闘・・・ただし、このボクには最新兵器、この強力極まりない、この時は半信半疑ながら・・・ええっ、このボクは独り、信じるしかない”アースジェット“・・・時には、敵・スズメバチの寝込みを襲って真夜中の闘い、さらに気温が最も低い夜明け前、また、雨降りの時・・・などなどと、孤独な戦士・ボク・リュウは自然条件を考えつつ戦いました。
そう、この気象状況を味方につけること、すなわち、近代戦の必須・・・それで、気象学・気象観測の技術・論理は急激な進歩を遂げたのでした。
そう、第一次世界大戦、第二次世界大戦・・・工業力と科学技術を背景にした大戦・・・はい、航空機やタンクといった近代戦には、気象の把握が必須となったのです・・・。ええ、もちろんそれに加えて、ゲリラ戦も・・・レジスタンスの闘士のつもり・・・そんな、ゲリラ的知略・策略・科学的ともいえる戦術を駆使し、敵軍を撃破・・・本当に、撃破そのもの・・・ナバロンの要塞・・・を陥落させた知恵と勇気・・・ええ、為せば成るなさねばならぬこの戦い・・・スズメバチという侵略者・・・そしてほぼ10日、敵の羽音は遠ざかり、軍団の補充も補給も途絶えたのか、そう、ロジスティック・・・この補給ということ、人的・物的・武器弾薬・・・この侵略者・スズメバチ軍団の補充・補給路をボクは断ち切って、排気口外部フード(洞窟要塞)に立てこもった黄色に黒の横縞軍団を根だやしにと立ち向かった。
さらに、どこから入り込んだのか、女王バチ、立派な胴・張った腰・・・いかにも多産系のその体つき・・・グラマラスそして極めてセクシー・・・働きバチの二倍ほどもある彼女・女王が、キッチンへ紛れ込み、そう、アースジェットで弱り切った、見事な肢体を鼓舞して挑んできたのだが、ここで墜落、真っ白なカウンターの上にその美しい身・肢体をのたうちまわし、ボクを悩ませ、最後の羽音を幾度も幾度も発し、ついにこと切れた・・・。
ああっ、ボクは勝利したのだ・・・そう、この凶悪極まりないが、あまりにも美しい、スズメバチの軍団・・・その一個師団をボクは屠ったのだった・・・それもその女王をも・・・この比類なき美しさを持つ女王をも・・・。
・・・しかし、この戦い、ああなんと空しい戦いだったことだろう・・・。こんなにも美しい虫の一個師団を全滅させるなんて。
・・・それは恐怖から、そう、そのスズメバチの恐ろしさは、ただ聞き知っていただけなのに、実体験して恐怖を持っていたわけでもないのに、ボクはこのスズメバチの一師団を、そして女王までも・・・そう、根絶したのだ・・・この罪深いこと、訳もわからず、聞き知っただけの恐怖心から、ボクは、最新兵器”アースジェット“を、大量に買い込み蓄え保持し(毎年買いこみ蓄える・事実は2・3本)・・・ついにそれを使い切った。そんな空き缶がキッチンカウンター上にごろごろと何十本も(本当は2本)砲弾の薬きょうが戦場に転がるように・・・さらに、そこ、換気扇の外部フードの下には数百匹、事実は数匹(働きハチはとっとと荷が去ったのか)の最後の戦士ハチの死体が(重なるようにごろごろと転がり)、フードの中には、まるでナバロンの要塞の爆撃破壊し尽くされた、廃墟のように、縞模様を浮かび上がらせた、五月のぼり鯉のウロコのような美しいグラディエーション模様の黄色の文様が無残に破れて残っていた。
・・・ハチが巣を作る年は台風が多い、と昔から言うと、父母から聞いていました。
本当に今年のハチの活動の季節、台風があまりにも多く、その被害も甚大です。昔の人たちは、気象学を知っていたわけではない。ただ経験からだけからも、その前兆や現象から、台風とハチの営巣が関連すると、ボク自身は、黒松が枯れる前の年、その木が異常なほどのマツカサをつけること(これはボクの観察からの報告です・・平和公園の森の中で感じたこと・知ったこと)・・・などと、その生命と自然とのかかわりを、人は常に、目にし、心に感じていた前科学の時代。そして命のむなしさも生きものの・・・植物・動物・・・ともに、その命の限りあることも・・・空蝉・うつそみ・・・そこに古代の人、日本人は”むなしさ・命のはかなさ“ということにも気づき、それを感じる心を大切にしてきました。それが、この国土・二ホン列島に住む我々二ホン人の心の深層に宿って、この四季の移ろいを心待ちにし、その去り行くのを惜しみ、かつ、楽しみ哀しみ寂しがり、歌い奏で、歌に詠み物語に表現し、人の心と自然のなす世界の立ち切れぬことを享受し、いとおしんできたのでした。そして、そこにいろいろな意味での平和や平安があったのでした。そう、雪が解け小川にせせらぎの音が聞こえ、桜花も遠く近くの里や山肌に白く時に淡く見出し、迷い蛍を蚊帳の中に見出し息を詰め、棚田に張られた水面の満月に堪能し、その畔に白もわずかに混じる真っ赤な曼殊沙華の群れを見出し、稔る稲田に黄金の美しさを見、さらに安心を同時に見て、紅葉も雪景色も若葉の風に揺れる五月の山々も、風の吹きならす木々の枝のうめきにおののき、か細く降る雨に濡れる庭に心を置き・・・そう、誰が争いを、戦争を好むのでしょう.スズメバチの恐怖に思わず大量殺戮・アースジェットを使って、真夜中と夜明け前のゲリラ戦までやらかしたこの夏の愚かなボク、令和元年の夏のボクは、体調もさることながら、心も病んでいたのかしら、そう、孤独感が大きくのしかかってきて、孤独なバカゲタこと、ことにスズメバチとの攻防に明け暮れた10日ほどのこと。
ええ、人は愚か、ボクは愚かの極み・・・日ごろは戦うことを疎み、戦争に反対し,軍拡には対しながら・・・戦いを忌みながら・・・その何でもない、実態を見聞きしただけなのに、恐怖におののき、こんな戦争をしてしまった、ボクです。
ああっ、スズメバチでよかった。恐怖心は大きくあったけど、それはまだ最新兵器”アースジェット“をもってすれば、最初から勝敗はついていたのでしょう。ただ愚かなボクは、ここへ書きつらねたように、あらぬ恐怖心・幻想の恐怖心が先行し、かつ、ボクが自分自身の恐怖心を抑えられないことと、手元近くに戦いの武器最新兵器”アースジェット“が存在したことが、愚かな戦争へとボクをボク自身が駆り立てたのです。
・・・そう、これは”寓意“・・・しかし、これは笑い事ではありません。たかが、スズメバチの侵略に怯え震え上がったボクは、日ごろの自制心を失って、いや、もともと自制心は希薄か???かつボクはスズメバチという、概念的な敵、襲い来るに違いないその攻撃性の過大な世評を信じ、殺戮に走りました。本当は、ボクには確信があったのです、それは“こんな敵に負けるはずはない、やっつけることが出来る”と、たかをくくっていました。
そう、人、人間はこうして、戦争という悪魔の手中へと身をゆだねるのでしょう。大げさではなく・・・。
そう、スズメバチと人は生態的に相いれない決定的敵対関係にあるのでしょう、しかしこれが人間同士・国と国同士ではどうなのでしょうか。
・・・ええ、思います・・・人間同士、決定的な敵対関係なんてあるはずはないと、“人間の性善説”をボクは信じます。人間、話し合って分かり合えないはずはないに違いないと、話し合えば必ず分かり合えるはずだと、虫とは違った”心”をもつ人類・・・それが落ち着いて語り合えば、必ず分かり合える、指を掛けた赤いボタンを押すなんてことにはいきつかないのではと、このボクの愚か極まる戦争体験?から、改めて考えたことです。

9月の中頃から今月10月にかけて多くの台風が日本列島を襲い、防風雨がこの国土に惨事を引き起こしていく。今年の台風・・・15号17号19号21号と、奇数番号の大風が、猛烈な雨降りを伴いながら東関東・甲信越・東北へと襲い掛かった。ひと月に降る雨量を一日で降らせる今年の台風・・・。
被災された方々・方面の方々へ・・・お心を強くお持ちくださり、この苦境を乗り越えていただきたいと、心から願いおります。
とにかく、季節の変わり目、お体お心へ、インフルエンザが入り込まないようご注意ください。予防注射も急いで・・・そして、お元気で・・・再見!
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