建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-118 December 2019

HITBIT[心もよう]vol-118 December 2019 
12月、師走です。
気温が下がってきましたが、例年のような寒さといいますか、冷え込みは感じられません。元気にお過ごしでしょうか。お風邪さらにインフルエンザにお気を付けください。
この一年、2019年は日本列島が異常気象にさらされ、大変な被害が起きた。21世紀になってから徐々に危険が増しつつあり、このままでは数十年後に農山村の人口は激減するかもしれません。戦後の農山村は、若者が都会へと去っていき、新生児がほとんどいなくなるなど、残った人たちの高齢化が進んで、農山村は疲弊しているところへ、過酷な自然災害に曝されるこことなって、被災した農山村は復興を目指そうにも、その構成員である人が亡くなり戸数は減少し、復興、その気力さえも失い、村落自体が必然的に消滅していく状態になっている。
これはすなわち、国土が内部崩壊しているようなもの。人々の目が都会にばかりに向き、政治はもとより企業もすべてが都会へと向かって、経済的な効率的、近視眼的な指向が当然の世の中になって、背後、奥地・ヒンターランド・hinter- landへの思いが希薄になって、今年のような激甚災害の多発、その水害の発生を知って、ようやく被災地へ目を向けることになるのだけれど、後の祭り・・・取り返しのつかない結果を目の当たりにすることとなる。
一方で、東京圏、いや現在では関東圏というべきかもしれない政治機能の集中を促しつつ東京を中心として人口と経済の機構の集中が極端になって、その都市機能へ資本もが集中投入されるという現象が顕著だ。これは関西圏においても同様の傾向にある。そのために、オリンピックあるいは万国博覧会の招致という、いかにも福祉的娯楽的な様子を前面に押し出した、都市改造が進められてきていることも、その巧妙な、いわゆる”我田引水”的、資本の吸引であるのかもしれない。
これは一極集中の現象だ。しかし、このあらゆるものを網羅した都市への人や資本の集中こそ、自然やあるいは人工的な脅威・テロや戦争には脆弱であることに、反省や危機感として、政治も企業も自覚しているようには見えない。そして、その一方では、武力的な国力の充実が、これも巧妙にすすめられ、そのために、国土、山河、そのコミュニティーの、疲弊が進んでいることへ政治や資本からの思いや眼差しが向けられることもない。地方放置という、いわゆる背骨の欠如した、資本主義の政治と経済が二ホンの現状なのだ。
さらに、二ホン国民においても、その大多数を占める者らすべてが、愚かな政治屋に引きずられ、足元を見失いつつある。一億数千万の国民が、浮かれ酔い、踊らされ踊り、金もうけの一団の一人になろうと、踊り走って、インバウンド・inboundと熱狂的歓迎ぶりを見せる。あげくは、情緒も余韻もない、外国人へのヘツライに明け暮れ、なにやら騒がしい国となって、落ち着きなんぞどこにもない、売りにしている情緒に、汚らしいキツイ、いわゆる京言葉と東の東京・関東圏に満ち溢れることになった。
・とまあ、この流れからはみ出し、世間・社会から逃げ出したボクは思っている。
・何を書こうとしていたのか、忘れてしまったようだ。ごめん・・・。
ええっと、そうだ・・・。
100年50年の間に、二ホン国民が曝されたことがないような風水害や地震さらに沈黙していた活火山の活動が活発になるなど、日本列島の危機的状態が続いて起きている。北関東・東北にここのところ群発めいた地震の多発がある。また、気候変動の面からみれば、近年の夏の季節、この高温と風水害は殊に顕著だ。
・こんな時こそ、国家の在り方、国民の意識・・・国全体が、列島の現状、その日々起きつつある悲惨なありさまへ耳目を向け、それをわが身のこととして受け止めべきだったのに、それがうやむやにされてしまった今年のこと。
総理大臣が、その立場を使い“桜を見る会”なるものを、官房長官の所管のもとに、年々豪華にして、果ては総理大臣夫人の招待枠までもがしつらえられ、地元選挙区からは選挙民が大勢招かれた。この“桜を見る会”なるものが、総理大臣アベに私物化されたようなありさまになって、その様子が、今年になって、国民の批判にさらされるという、お粗末極まる、それこそお粗末総理大臣と、なってしまった。そこには、過去の自民党が、ある意味で、自らの長期政権に、自民党それ自体の堕落の兆候を見て、あるいは予測自戒し、さらに、総理大臣そのものの長期在任をも警戒して、二期であったものを、アベがその第二次アベ政権の発足において、自らが長期政権を為すことを画策しつつ、その在位期間の延長を図り成功したのであるが、結局この長期政権は、過去の自民党自体が自戒して来た、長期政権の悪弊そのものを体現することとなった。
それは、第二次アベ政権において籠池・加計と、その疑惑を為しつつも逃げて逃げ、うやむやに自己責任・その夫人への疑惑をも逃げきって、結局、この平成31年の”桜を見る会”において、増長しきったアベの所業として、糾弾される結果となったが、国会は休会となったのに、それでも野党の追及はやまず、結局、これも逃げきってしまうのだろう。
さらに、この春の桜を見る会での一場面、何かうれしいことがあったのか、かけっこをしているアベと、ニシムラとかいう腰巾着、彼らが走っているのは、確かに、逃げ足とみれば、そのかけっこが役立つのだろう。
ここ数年に露呈してきたアベの所業は、ここに極まってしまったかに見えたが、スガが、楯となって見事というのか、冷や汗もの油汗ものの官房長官スガは額に脂汗を垂らしながら語尾を濁しつつも、この者もその腰巾着ぶりを発揮して、アベの信頼をますます勝ち取った。そして来年へと、この者らは走りこむ。

・一方で、今年は日本国民と二ホン国においては、平成の天皇の譲位・退位と、続けて皇太子が新たな天皇として、“令和”という元号とともに即位するという新たな経験をすることになった。
この平成天皇の退位の意向は、デジタル時代にふさわしいというのか、天皇自身が直接ビデオメッセージによって、その意向を明確にし、これをどのように進めるのか、国民にゆだねた、すなわち、国会に委ねたということなのだろう。これは、昭和憲法の言う象徴天皇としての、面目躍如というところだった。

ここに至るまでの激動の昭和、太平洋戦争の敗北とともに昭和の新憲法が定まるまで、旧憲法の明治憲法・大日本帝国憲法の行方と、その立憲君主性の行方、さらに軍備戦力の保持・徴兵制という、国家と国民と天皇一家、さらに華族の存続の問題と天皇制の存続がどのようになるのか、敗戦国国民である日本国民は少なからぬ関心があったことだろう。結果、明治憲法が廃され、華族もが廃されて、かろうじて昭和天皇の象徴としての存続と、その親族のみが皇族として残された。
新憲法は天皇制の存続と、主権在民のもとに、民主主義と自由主義を高らかに宣言した。さらに背景には財閥解体と、農民への土地の分配、すなわち農地解放による大地主の廃止と小作農の廃止などと、新憲法では自由と平等という民主主義の時代がもたらされた。すなわち、日本社会における根本的な身分制度が廃されたのであった。

しかし、この時、敗戦国の国民の、さらに夫・父あるいは息子を戦争で失った国民、この戦災で家族を失った国民には、明治憲法をどうするのか、さらに、もし新たな憲法をつくるとするならどのような憲法にするのか、あるいは、天皇制をどうするのか、そして、新しい時代における、イデオロギー・国家体制はどのようになるのか、ということは、国民に諮(はか)られることなく、占領軍、実質的には米国の憲法学者と軍人ら、それに戦後処理の日本の憲法学者や類する学者らによって、草案が為され、練り上げられ、この時の世界のイデオロギーの二つの潮流、その民主主義と社会主義の内、占領軍が米国を主体とする民主主義国であったため、偶然、敗戦国の新たな国体は民主主義・自由主義を標榜した陣営へと、経済的には資本主義国として、財閥解体とともに自由主義陣営へ組み込まれることとなった。これは結果的に二ホン国民にとって幸いなことであったと、その後のソヴィエト連邦、その多くの社会主義・共産主義国の行方を振りかえればれば思われる。

ここに、天皇制も象徴としての存続とはなったが、その結果を戦後の昭和・平成と過ぎ来て、世情、ほとんどの国民は、ようやく令和の新時代を納得し、天皇制へも新たに賛同を示したように思われる。
そこには次なる時代の天皇の姿・在り方、存立の姿勢・・・への国民の関心もがついて回って、昭和天皇は崩じ、その皇太子が平成の元号とともに時代の天皇となった。その天皇が即位28年だか29年だったか、突然退位の意向を示し、国民皆が驚いたが、その意志を貫き、今年平成31年半ばに退位し、この令和という新たな元号と新たな天皇が生まれた。
それら退位を表明する平成天皇の姿は、これもデジタル化した社会の映像を以て、好意的に国民に見守られながら、その姿をあらわにしつつ、国民の支持を得てきているのだろう。
この好意的な国民の関心、これは背景にある、戦後の二ホン国が平和であること、あの敗戦から70年余、戦争が起きなかった、国民がひきおこさなかったことが、そのことも含め、代々の天皇の努力と、そこにある皇后の人間性、そして人間天皇の姿に国民が共感を持ったことによるのだろう。
このことを、平和憲法・昭和憲法の存在とともに国民は、この一見すると平和な国の存続をどのように願い、この将来の姿の維持へどのように関わっていくのだろうか、この昭和の“平和憲法”、ここ数年のきな臭い政治の主導する現実とともに。
・・・僕はこの文を12月5日木曜日午前1時から2時10分にかきました。さらに、思いつくたびに加筆したり、修正したりしてきました。
・・・ボクは最近寝つきが悪く、昨日、遅くはありますが、床に入っても、数時間して今日になるという繰り返し、そんな不健康な睡眠時間の少ない日々を過ごしています。
ああっ、ばたんきゅうと8時間眠りたいです。これから眠り直し・・・。
5日夕国にも、校正とともに加筆しました。
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===目次===
12/03  ・・・冬が来たかな、冷えてきたというのかな?・・・
12/05  ・・・広島・旧陸軍被服支廠取り壊しの危機・・・
12/06  ・・・イスラエルのパレスチナ占領区への入植の危機・・・
12/10  ・・・普段使わない言葉を日常化し常套句とした者ら・・・
12/17  ・・・自分自身の心の襞へ・・自分を貶めるのか・・・再録
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・・・冬が来たかな、冷えてきたというのかな?・・・
12/03/Tue.
12月も病院通いが重なるうちに過ぎてしまいそうだ。
名古屋はここ数日、寒くなってきた、冷えてきたというのかな?
目の前の里山は紅葉が進み、先月から数日前の快晴の日々、その夕日の斜光が射す頃になると、快晴の青空を背景にして、黄金色にと黄葉が輝きを増し見事だった。その木々も落葉の時を迎え、黄色と紅色がどんどん散り、常緑樹の木々の間に散り敷いた。そして冬枯れの林と常緑樹の濃い緑のコントラストへとその山容は沈んでいくが、その姿も間もなくだろう。
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・・・広島・旧陸軍被服支廠取り壊しの危機・・・
12/05/Thu.
広島に残る旧陸軍被服支廠が取り壊しの危機にあるという。赤レンガの旧被服支廠4棟は太平洋戦争、その原爆投下によって被曝も倒壊せず生き残ったこれも、二ホン国民が自戒を以て戦争を忌避する貴重な戦争遺産だ。
建築的には鉄筋コンクリトート躯体に、レンガを数十兩僂濔紊嘉修衂佞院∩澗里箸靴60僂曚匹諒病里魄戮垢箸いΑ
この建物は、軍隊の工場だった。ただの倉庫や工場ではない。そこには一部の管理者としての軍人がいて、その他は徴庸されたのか、多くの女子生徒を含む女性たちが働いていたという。
この建物は、いわゆる戦争の生き証人といってもいい。
それが、いとも簡単に壊されようとしている。ましてや原爆の被曝建物だ。
それが姑息にも一棟だけ残し他の三棟は壊そうという。その大きな理由は、四棟で全部を保存しようとすれば、おおよそ90億円必要であるが、一棟であれば約9億円ほどで済むという財政的な理由によって、一棟だけは残したいということらしい。
広島には被曝のシンボルとして、かつての勧業館だったか?その被曝した姿が原爆ドームとして、今、かろうじて保存されてきている。これも、もし大きな地震にでも見舞われれば、崩壊してしまうかもしれない。そうすれば、被爆の惨状を記録・記憶し遺すという建物は消えてなくなってしまう。

広島県や広島市にとっては、戦後建てられた原爆資料館が、それだけでいいのだろうか。
もし、本当に財政的なことだけで、この広島・旧陸軍被服支廠、この原爆被爆遺産の保存か否かが決められるということでは、あまりにも“さもしい心根”だと、思う。
財政的に苦しい、維持管理するのも、先の見えない保存期間である、それはすべて、根本的な財政的な計画が必要であるとするなら、まず、取り壊すという短絡的なことへ走らないで、近い将来へ保存し遺産とすることへ努力すればいいのではないのか。
そのために、遺産・資料として保存することへ、努力する、その財源を何とかして得る方法はないものか、と知恵を出し合ってはどうだろう。

一億数千万の人口の二ホン、その国民が、それぞれ1円10円100円と、志・反戦の思いを込めて寄付すれば、保存し維持する資金くらいは何とかなりそうだ。
また、その寄付を募る行動・呼びかけを、平和教育の一環と考えれば、幼稚園から小学生中学生高校生へと広め、これを基として、平和を志す国民運動として、戦後の日本の国民が犠牲を払った戦争の後の社会に、復興を通じて戦争のない平和な国というものがいかに大切なことであるのか、ここで、今一度振り返り考える機会となるような、そのシンボルとなるような“保存運動”を広島県・市・・・が起こしてはいかがだろう。そう、この細々ながらの平和であっても、これが100年200年、できれば永遠に続くことを夢見て運動をおこし展開する・・・そんな意思を広島と二ホン国民はこの時であるからこそ、改めて展開すべきだとボクは考える。

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・・・イスラエルのパレスチナ占領区への入植の危機・・・
12/06/Fri.
イスラエルがパレスチナへ侵攻しパレスチナから奪い取ったヨルダン川西岸地区へ、イスラエル人の入植が続いている。
背景には米国トランプのイスラエル支持の表明と、その証なのだろうか米国大使館のテルアビブへの移転、すなわちイスラエルがテルアビブを首都とすることの承認とパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区への侵入と入植、さらにこれらをトランプが認めたということがイスラエルにとっては正当性があるということの確認としてのトランプと米国の意思表示。
この占領地への入植は、ジュネーブ協定で禁じている“戦争国間で占領した相手国の地区への入植を禁じた”ジュネーブ協定への違反を、トランプが無視し、イスラエルを支持したことを、どの国も非難せず放置しているこの破廉恥さ。
そのイスラエルはナチスドイツ、ヒトラーが犯したユダヤ人迫害・虐殺“ホロコースト“その悲惨な民族であることを、免罪符であるかのようにして、得た現在のイスラエルの地、そのパレスチナの地に飽き足らず、拡大をし続け、自らが体験し知り尽くしている戦争の悲劇・悲惨さを忘れたかのように、今現在、罪なきパレスチナの民へ、ヒトラーとそのドイツ民族への報復かのような侵略と無差別な殺戮占領を、ヒトラー的無慈悲攻撃をもつて為していると、ボクには思える。
これは、全く、トランプの人としての誤りが為しつつある”罪“、その”実の事”なのだということを国際社会・地球の民は自分のこととして恥じなければならない。
いうなればトランプは米国の大統領になるべきではなかったし、今もあるべきではない。
米国民は次の大統領選挙では、このヒトデナシな大統領なるものを落選させねばならない責任がある。そして世界は、この“自分ファースト“トランプに、おべっか使いしつつある二ホンの首相アベを、軽蔑を以てみつづけることだろうし、すでにこれは現実になっているのに、この二ホン国の国民は恥もせずにいる。
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・・・普段使わない言葉を日常化し常套句とした者ら・・・
12/10/Tue.
近年、国際的国家的な要職にある者が非日常的な“言葉”を日常公式の場面で常套句としているのを、われわれは耳にする。ことにこの3年ほどの毎日の新聞、あるいは毎時のラジオ・TVニュースに繰り返され、近頃その言葉の異常さを感じなくなりつつあるようだ。
・米国大統領トランプが、TVカメラに向かって、普段あまり使わない言葉を、吐きまくる。
 ・・・これはテロだ・・・フェイクだ・ウソだ・・・陰謀だ・・・陥れようとするものだ・・・。と、声をからし、ジェスチャーを交え叫ぶ、この異常さ・・・。

そして、米国民は何かにつけ”誇りに思う“と、いかにも心の底から思っているかのように、恥もせず、これを常套句としている。
・日本の首相アベも、TVカメラに向かって吐きちらし、都合の悪いことには、答えず、肝心なこと、には沈黙する。
 ・・・憲法の改正・・・自民党の党是だ・・・丁寧に説明していく・・・説明責任を果たす・・・任命したのは私の責任・・・。
忘れ去った約束の言葉もワンサカと残っている。
・・・私が拉致被害者を取り戻す・・・国土を強靭化します・・・と、このむなしさ。
 ああっ、アベの言葉はすべて”吐き捨て“だ。
国民が聞きたいこと・・・森友学園籠池夫妻の切り捨て・・・加計学園・・・桜を見る会の私物化・・・そこにチラツクご夫人の度を越えたご活躍の結果の見苦しさ。
そして、拉致被害者はいまだに帰って来ず、家族は皆年取られるばかりで希望は見えないし、約束のアベは北朝鮮へ出向く様子もない・・・それら。
吐き捨てと沈黙と無視・・・あるいは忘失・・・?・・・。
任命した大臣の不祥事の背景などの説明もないまま、罷免ではなく辞任を受け入れ、たちまち即座に新大臣を任命。
丁寧に説明していくと言いつのりながら、カメラとマイクロホンから、くるりと踵を返し逃げ去る。
・考えてみれば、世の中とはふしぎなもので、これらの言葉を吐き散らしながらジェスチャーたっぷりな肝心なことの何の説明責任も果たさず、TVカメラ・マイクロホンに得意顔を見せ早口でまくしたてながら、国民をバカにしているのか、あるいは国民がバカなのか、この“言いパナシ”に魅了されるのか、世論調査には支持率が変わらず高く出る、この不思議な国民のいる国・二ホン・・・。
 首相アベ・・・腹の中には(・・・責任なんて取らないよ・・・)・・・。
 国民・・・無為・無駄な在位最長ですね総理大臣アベ殿・・・。
総理と夫人・・・まだまだ続けますよ国民の皆様・・・わが夫は、そしてわたくしもまだまだ元気に・・・よろしく・・・ね。
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・・・自分自身の心の襞へ・・自分を貶めるのか・・・再録
12/17/Tue.
11月号に書いたボクの心の揺らぎ、他者に対する不安や不信、そして自分自身へ跳ね返ってくる過去の自分の所業の結果・・・
そう、何のことはない。長引く夏がボクの“身・口・意”いわゆる密教でいう三業(さんごう)のいずれか、あるいはすべてにおいてボクを狂わせたのだ。
日々が孤独で会話もなく何の楽しみもない暮らしの中で、思考あるいは行動が、消極的になって、目標らしきものがあるにもかかわらず、それが確定せず、前進しないで、同じところで足踏みを続けている。いわゆる堂々巡りをし、ただ日々刻々と時が過ぎていき、焦りに似たものが堆積し心を鬱屈させていく・・・そんなことを思いつつも解決の手段はなく、心身に得体のしれないものがのしかかる。
それに加えて、時に必然から出くわす人が為す不誠意に、人に対しての不信を一層増幅させられ、社会というのか自分以外の者への関りから極力身を引くこととなる。 
それにしても、この世、このボクとおなじ二ホン人らは、なんと誠意がなく底意地の汚い奴らばかりなのだろうと思うのだ。かといってボクに誠意があり思いやりがあり清廉潔白な人間であるとは言えないだろう。意識するしないにかかわらず、悪者として、さらに幾分かの悪さ、そして、人として疑問を抱かせるような考えや行動を為してきてこれからもなしていくのだろうかとも思う。
あるいは“故意の堕落”というような、意識しての堕落に自己を追いやるというような、矛盾した考えや行動をすることがあるかもしれないし、過去にはそんなことをしてみたり、やってみもしたい誘惑にかられもした。
そう、ドストエフスキーの『罪と罰』、その主人公、元学生ラスコーリニコフの心の襞(ひだ)へ分け入り観察したくなる、誘惑を感じたことさえある。
また、人はなにがしかの罪を自らに与え(自ら取り込む)、その罪の重さに自らを耐えさせなければならない、そして、それを知ることによって、他者への共感や憐憫を知り、そんな“業”を背負うことによって人は自らが人となりうるのではないのかと、すなわち、人は等しく薄汚れた者、自身が薄汚れていくことによって他者を批判しない他者への慈しみを知る、それは、世間の垢にまみれたものほど他者への思いやりや理解とでもいう共感を身に着け知っていくのかもしれないと、思ったりしたのだ。
いわば、“正義を捨てる自己矛盾”という混乱した思いにとらわれもした。
親鸞さんが言ったという・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・と、これを理解すること、そうボクの解釈?・・・善人はそのまま放っておいても往生を遂げる、そう、極楽往生、浄土へ行けるかもしれないが、悪人はそのまま放っておいては往生できないで彷徨し漂うだろう、中には地獄へと、それ故、この世の悪への救済を祈られ、めざされ、如来となられた阿弥陀仏、そう、阿弥陀如来へ、その絶対の救済仏であられることを我ら衆生は是認し敬い、絶対の“ナム・なむ・南無”をもつて “南無阿弥陀仏”と六字名号を唱え祈り続けることで衆生(しゅじょう)が救われる、とされたそれは、本当の善人がこの世に皆無なゆえに、救われるべきは人皆同じ、それ故、貴賎・貧富・老若男女、すべての人が罪ある己、薄汚れた中には濃く汚れ切った己を自意識しなければならない。
自分は薄汚れたもの、濃い汚れを自ら作り出しているものであること、中には完全な汚れ物・・・そして人はみな同じ人なのだ、みな同じように祈ろう、念じよう・・・と、親鸞さんは言いたかった、このようにボクは解釈する。
しかし世間は、親鸞は・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・といっている、そうであるなら、薄汚れではなく大いに汚れ大悪人である己こそ救われる、とそんな曲解を為した者・悪者が多くいたそうな・・・そう、俺、ボクもそんな一人かもしれないね。
そう、こんな風に思うボクは、現代におけるただ一人の逸(はぐ)れ者・・・ただ独り、地獄へ落ち、孤独な地獄の責め苦へと閻魔様に振り向けられ、孤独に地獄の責め苦を背負うことになるのかも・・・“ナムアミダブツ”・・・と、逸れ者の独り言(ご)ち。
・・・と、11月号に書いた。
・・・普通、人は、老いぼれれば迷わなくなるはずなのに、ボクは過ぎてきた生き方を顧みて、悔い多い、迷い多い・・・この、人生を振り返っています。
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来年、令和2年・西暦2020年・・・このBLOGを書き続けられるか・・・自信がありませんが、まあ焦らないで、書いていけたらと思っています。
途切れとぎれとなるのかもしれませんが、ボクのページへアクセスしてみてください。
・・・お読みいただいている貴女に、また貴方へ・・・ご健康にて、今年よりもいくらかでも、幸おおい年を過ごされます様、お祈りしつつ、今年、平成から令和へと、ともに過ぎ来ましたことを感謝しつつ、新年を迎えたく思います。
それでは・・・再見!
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| HITBIT | 12:27 | - | - |
HITBIT 心もよう vol-117 November 2019

HITBIT[心もよう]vol-117 November 2019 
9月10月と、生活のリズムが狂いボクを傷めつけた。
そう、何のことはない。長引く夏がボクの“身・口・意”いわゆる密教でいう三業(さんごう)のいずれか、あるいはすべてにおいてボクを狂わせた。
日々が孤独で会話もなく何の楽しみもない暮らしの中で、思考あるいは行動が、消極的になって、目標らしきものがあるにもかかわらず、それが確定せず、前進しないで、同じところで足踏みを続けている。いわゆる堂々巡りをし、ただ日々刻々と時が過ぎていき、焦りに似たものが堆積し心を鬱屈させていく・・・そんなことを思いつつも解決の手段はなく、心身に得体のしれないものがのしかかる。
それに加えて、時に必然から出くわす人が為す不誠意に、人に対しての不信を一層増幅させられ、社会というのか自分以外の者への関りから極力身を引くこととなる。 
それにしても、この世、このボクとおなじ二ホン人らは、なんと誠意がなく底意地の汚い奴らばかりなのだろうと思うのだ。かといってボクに誠意があり思いやりがあり清廉潔白な人間であるとは言えないだろう。他者からみて、ボクが意識するしないにかかわらず、悪者として、さらに幾分かの悪さ、そして、人として疑問を抱かせるような考えや行動を為してきて、これからもなしていくのだろうかとも思う。
あるいは“故意の堕落”というような、意識しての堕落に自己を追いやるというような、矛盾した考えや行動をすることがあるかもしれないし、過去にはそんなことをしてもみたり、やってみもしたい誘惑にかられもした。
そう、ドストエフスキーの『罪と罰』、その主人公、元学生ラスコーリニコフの心の襞(ひだ)へ分け入り観察したくなる、誘惑を感じたことさえある。
また、人はなにがしかの罪を自らに与え(自らその罪を取り込む、という意味で)、その罪の重さに自らを耐えさせなければならない、そして、それを知ることによって、他者への共感や憐憫を知り、そんな“業・ごう”を背負うことによって人は自らが人となりうるのではないのかと、すなわち、人は等しく薄汚れた者、自身が薄汚れていくことによって他者を批判しない他者への慈しみを知る、それは、世間の垢にまみれたものほど他者への思いやりや理解とでもいう共感を身に着け知っていくのかもしれないと、思ったりしたのだ。
いわば、“正義を捨てる自己矛盾”という混乱した思いにとらわれもした。
親鸞さんが言ったという・・・善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや・・・と、これを理解すること、あえて、そうボクの解釈?・・・善人はそのまま放っておいても往生を遂げる、いわゆる、極楽往生、浄土へ行けるかもしれないが、悪人はそのまま放っておいては往生できないで彷徨し漂うだろう、中には地獄へと、それ故、この世の悪への救済を祈られ、めざされ、如来となられた阿弥陀仏、そう、阿弥陀如来へ、その絶対の救済仏であられることを我ら衆生は是認し敬い、絶対無比の意“ナム・なむ・南無”をもつて “南無阿弥陀仏”と六字名号を唱え祈り続けることで衆生(しゅじょう)が救われる、とされたそれは、本当の善人がこの世に皆無なゆえに、救われるべきは人皆同じ、それ故、貴賎・貧富・老若男女、すべての人が罪ある己、薄汚れた世の中において、さらに濃く汚れ切った己を自意識しなければならない。自分は薄汚れたもの、濃い汚れを自ら作り出しているものであること、中には完全な汚れ物・ボクみたく・・・そして人はみな同じ人なのだ、みな同じように祈ろう、念じよう・・・と、親鸞さんは言いたかった、このようにボクは解釈する。
しかし世間は、親鸞は・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・といっている、そうであるなら、薄汚れではなく大いに汚れ大悪人である己こそ救われる、とそんな曲解を為した者・大悪者が多くいたそうな・・・そう、俺、現代にいるボクもそんな一人かもしれないね。
そう、こんな風に思うボクは、現代におけるただ一人の逸(はぐ)れ者なのだろう・・・ただ独り? この世の死者すべてが救済され天国へ行くのに、ボクはただ一人地獄へ落ち、孤独な地獄の責め苦へと、あの世の入口で閻魔様に振り向けられ、ボクは孤独に地獄の責め苦を背負うことになるのかも・・・“ナムアミダブツ”・・・と、逸れ者の独り言(ご)ち。
・・・ここ数か月、描き進むこと、コンピュータのスイッチを入れることが、なんだか空しくなって、このBLOGも書き進められなくなって、うやむやに進めてきました、ごめんなさい。一因はホームページの動画部が見苦しいことになって、嫌気がさしたことが原因でした。その動画部を静止画として、再出発として、こうしてBLOGを書いています・・・。
まあ、こんな気力気持ちの落ち込みが今も続いていますが、気を取り直して、さらに11月号を書いていこうと思いますが、どれほど書きすすめられますか・・・。
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===目次===
11/01  ・・・京都へ・・・
11/06  ・・・それでも講習会へ・・・
11/07  ・・・この2・3か月のことから・・・
11/10  ・・・小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった・・・
11/12  ・・・幻のような風花の痕跡・真夜中の思わぬ景色・・・
11/15  ・・・“桜を見る会”の疑惑と来年は中止のこと・・・
11/27  ・・・ホウノキ・朴木・・・の、存在、・・・

11/29  ・・・「狗奴国」・・・の、存在、・・・
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・・・京都へ・・・
11/01/Fri.
思わぬ早い目覚め。そうだ、京都へ行こうと、出かけた。相変らずボクはただお参りに行くのみ。8時前に名古屋インターから名神高速へ、京都東で降り、大谷祖廟の駐車場へ車を入れ、お参り、その後、八坂神社と辰巳稲荷に参り、スタバで朝食兼昼食をコーヒーとスコーンで済ませる。トンボ帰り。コーヒーが今日からクリスマス仕様でおいしくなったそうだ。確かにうまいコーヒーだった。
八坂神社界隈は先月よりも人出が少しだけ多くなった気がする。中国語らしい大声がそこここでする。
なぜ中国人は周りに気を遣うでもなく、大声でしゃべりまくるのだろう。
・・・相変らずボクは、ただお参り済ませトンボ帰り、1時過ぎには名古屋インターを出て帰り着いた。自宅近くのスタバで”onemore onecup”のコーヒーを飲んで疲れを癒し、隣のスーパーで夕食のおかずなどを買い込む。
・・・こんな風に、今日も過ぎてきて、宵にはウオーキングと、日課をこなして、一日が過ぎる。
近年、観光客としてはどこへも行かない。奈良へと遠回りするでもなく、好きな奥琵琶湖へも脚を向けることもなくなった。そう、寄り道らしいことをしなくなった。
家にこもることの快適さのようなものにボクは浸っているのかもしれない。
名古屋での日々の生活も他所へ出かけるでもなく過ぎていくようになって、毎日ぼんやりと過ぎていく無為な日々が日常となった。
しかし、心の底にある目標へコンピュータの電源を入れることもなく、ふんぎりがつかないでいる。涼しくなったら始めようと思いはするが・・・。
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・・・それでも講習会へ・・・
11/06/Thu.
今日は午後から・・・改正建築物 省エネに関する省エネ法説明会・・・へ、午後から出かけた。熱田区の白鳥(しろとり)ホール・・・1300人収容のホールは満員だった。これを全国47都道府県で開催するのだそうだ。
地球は人が為す生産や生活の過程で排出される二酸化炭素に曝されで温暖化へと突っ走って、破滅へと向かっている。そう、今地球は悲鳴を上げている。その影響下にあっての悲惨な自然災害をたびたび聞くが、人間が常時居住する建築物こそ、大きなエネルギー消費装置だし、そのエネルギーを生産するのに多くのエネルギーが必要とされる。人は自分自身で作り出した温暖化に辟易として、窓を閉め切って外気を遮断しエアコンを回し続ける。この矛盾、皮肉なことだ。
それ故、建物のエネルギーロスを少なくすること、冷暖房や光熱費における建築性能の向上を狙って、”省エネ“が叫ばれることになる。すなわち、建築関係は人の健康に直接関係する場には違いない。それで真っ先に建築関係に“省エネ規制の技術的適用”がすすめられ、もとめられる。
もちろん他の生産分野へもこの省エネ策はもとめられ、日本中、各分野で同じような講習会が進められているのだろう。午前中にも似たような講習会が開かれていたらしく、会場となった白鳥ホールで、会場の受け継げ始まるのを待っていたボクの目の前に、ホールからは多くの人が出てきて立ち去って行った。その後、午後の部が始められるのだ。
ボクは残念ながら、設計の仕事は減少し、開店休業状態だけど、一応設計という仕事は登録している。これからも仕事はありそうにないが、関係する法令を知ることは続けなければならない。
しかし、長い年月、建築設計に従事してきたけれど、有料の講習・・・資格試験やその更新の都度の講習、さらに新たな法規制がかけられると、それに関する講習・・・と、その費用と時間はかかわる者にとって大きな負担となってきている。
さて、今月19日にも今日と同じような講習会がある。
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・・・この2・3か月のことから・・・
11/07/Fri.
・・・ここ数日、一か月以上も長引いた”夏“が、ようやく去り行きつつある。その気配は朝夕の気温の変化にも表れ、その朝方の冷えた気温が、街路樹のトウカエデを黄色や赤に色づかせ、道路を隔てた我家の真向かい、里山の斜面の木々には転々と紅葉が見られるようになったしかし、その中のハゼノキ・・・これは毎年のことながら夏が去ると突端に樹形すべてが見苦しく、生きているのか、枯れつつあるのかと疑問がわくような見苦しい姿になる。しかし、最高気温が20℃を切り、最低気温も10℃を切るころになると、その惨めな一瞬から抜け出すように、樹形のところどころに深紅の葉が一枚また一枚と日々鮮やかに増えていくようになる。こんな紅葉への移行に一瞬だけど見苦しい姿・色合いを体現する木は珍しい。
11月に入って、名古屋は晴れの日が続いて、それに伴って、ボク自身は、肌の乾燥が顕著になって、体のそこここが痒くなって、それをかきむしり荒れ、ひっかき傷が点々と出来てきた。保湿乳液を塗っているが、一進一退・・・夏の間に直りかけた昨年の傷跡が再び悪化するかも・・・そう、これはアトピーかもしれない・・・。
・・・そうそう、10月は二つの展覧会へ出かけた、まず一つは、11日、豊田市美術館での「クリムト展」、さらに29日、名古屋市美術館での「カラバヴァッジョ展」へ。
どちらの展覧会もいつかは観たいとずいぶん昔から想っていた、クリムトの作品はかつてどこかで観たようにも思っているが、カラバヴァッジョはずいぶん昔からその人生と作品に興味があって、ようやく願いがかなった。美術館の企画に感謝しよう。
しかし.この名古屋市美術館でのカラバヴァッジョとその関連する画家たちの作品を、観まわって2階の展示室に遷り数点を見終わった時、突然猛烈な喘息の発作に襲われた。静かな展示室で、この喘息の発作・・・なんとも間が悪いこと、そしてそれも過去に経験したことがない5分以上続いた強烈な発作だった。呼吸が出来ない息が詰まり咳とこみあげる嘔吐の感覚と、それをこらえることによって息が出来ないそれ・・・。片隅にあった椅子に倒れ掛かるように掛け、治まるのを待ち耐えていたとき、一階の展示室から駆け上がるようにしてボクの目の前に、苦しくて涙でかすんでいたボクは、このお二人、ご姉妹?母娘?風のお二人が・・・大丈夫ですか、この飴をどうぞと,下さった。それでもパニック状態のボクはその飴をほおばった。椅子に掛けてから10分ほどだろうか、耐えていた間にお二人は消えてお礼も言えず、名刺を差し上げることも思いつかず、治まるのを待ったボクでした。
そう、喘息はボクの持病の一つ、15年ほど前から小さな発作を覚えるようになって年齢を重ねるにしたがって、悪化している。それなのに、発作を治める吸引薬“メプチンエアー”をバッグに入れたまま、車においてきたこのうかつさ、後悔しきり。
そう、いろいろな持病が顕著になったのは連れ合いが亡くなって数年たち、本格的に本を書くようになってから・・・執筆は熱中した良い時間だったが、いろいろな自分自身への気遣いがおろそかになって、日ごろの養生を怠ったためだ。生活が不規則になり、運動量が減り、夜更かしをし、頭の回転を促すのか・・・甘いものが欲しくなり、さらにウヰスキーの量が増え、食事も不規則になって、すべてが不健康へと傾いたこの10数年のこと・・・などなど。
・・・まあ年齢が年齢だから、致し方ない体の様々な衰え、気力だけ、気持ちだけで、健康が保たれるわけではなく、それなりにケアーが必要なのだが、それも怠りがちだった。そして自分を病気のデパートなんて、本気とも冗談ともつかぬ表現をして、図太くというのか細々というのだろうか、生きている。
・・・しかし、ありがたかった・・・おふたり・・・本当にありがとうございました。こうして、また少し生き長らえました。もともとボクは失顔症の上、あの時パニック状態のボクは、お顔を見、覚えること、さらにお礼を申し上げることさえかなわなかった。
これをご本人お二人がお読みになられれば、あるいは、お読みになったお方に、この状況を見られ、このお二人をご存じであれば、教えていただきたく強く思っています。ご連絡ください・・・ぜひ。
・・・とにかく・・・ありがとうございました・・・ありがとう・・・。
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・・・小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった・・・
11/10/Sun.
旧暦10月13日、そして今夜は十三夜の月。昨日の宵はウオーキングを休んだ。久しぶりのサボり。
今日、お昼前後は、抜けるような青空・快晴だった。それに鳴きかわす鳥たちの気配もなく、さらに行きかう車もほとんどなく、小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった。
この感覚の表現には、長々と言葉を放つ必要はないだろう。
ニホン人であれば“小春日和のホカホカ天気、長閑な日和”と書いただけで、その様子・雰囲気は伝わるのだろう・・・そう、この漢字のなす表現力はなんと素晴らしいことか。
しかし、先日の立冬前後から日の入りは早くなって、さらに雲が出てくると急に気温は下がり、4時ころに屋内は照明が必要になる。今4時半だけど、屋外は薄暗くなった。
今宵は少し早くウオーキングへ出かけよう。
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・・・幻のような風花の痕跡・真夜中の思わぬ景色・・・
11/13/Wed.
薄曇り時々陽射し・・・薄曇りの中、里山の斜面に紫を隠し持ったような深い紅色だったハゼノキの紅葉が、束の間の陽射しに里山の斜面が明るくなって、そのハゼノキの紅葉がなぜか赤茶けて周りの常緑樹の中で精彩を欠いている。
・・・そう言えば昨夜午前2時頃だったか、のどが痛くて目覚めた。うがいをしつつふと外を見ると、隣の寺の塀の屋根瓦がうっすらと白い。よく見れば粉雪らしい。また遠目に本堂の大屋根も同じように薄らと白い。雪降りだった様子はなく、そのうっすらっとした白・・・そう、雪降りではなく、西風に運ばれてはるばる飛んできたらしく、灰色鈍色といった方がいいのかも、そんな真夜中の思わぬ風情・・・気温が下がった外気に冷え切った瓦屋根が、その飛んできた粉雪を受け止めたらしい。
雪降りとは言えない、雪が積もったともいえないほど斑(まだら)にうっすらと二ホン瓦に受け止められた、風の運んできた斑の雪のふりかかった屋根・・・陽の射す朝には跡かたもなく、まるで幻のような風花の痕跡・・・真夜中の思わぬ景色でした。ええ、モノクロームの景色。
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・・・“桜を見る会”の疑惑と来年は中止のこと・・・
11/15/Fri.
13日のニュース・・・春ごとの首相招待の“桜を見る会”が野党から“その招待基準が首相の個人的招待となってはいないか”と指摘されている。
これに対して、首相府は“来年度の首相招待の観桜会を中止する。これは招待基準を見直すためである”と、13日午後に発表した。
・・・では、その“招待基準を見直すため”とは、首相府が見直す必要を認めたに等しい、と思う、そう、上げ足を取るようだけどボクはそう思う。
ここからは、11月15日に書く。
一方で、拉致被害者の会が結成されて30年(これ、ボクの記憶違いかも・・・北朝鮮の日本人拉致が発生したのは)とラジオニュースが言っていた。
拉致被害者、寝ても覚めても、行方知れずになった肉親を思い続ける家族、親族・・・その人たち・・・一方で、アベシンゾウは国費と自分の地位を利用して,自分の栄達の祝かのような“桜を見る会”を、催す。
どうもそこへ招待される者たちの中には、総理大臣であるアベの選挙民が、団体、ツアーを成して前日から東京へ招待され、供応にあずかり宴会が為されるのだそうな・・・そう、こんなこと、ボクには想像もできない良き場面???そう、自身の選挙区から選挙民を招待し供応するとは、これって???もしかすると公職選挙法の定める、選挙違反に当たるのではないかしら???と、そのへんの知識の希薄なボクは一瞬思った・・・そして、ここに招かれる人たちは・・・たぶん、現職の総理大臣様、いわば民の中の最も尊いお方が、われのような下々をこうしてはるばる、招待し、桜の花見と、しゃれこませてくださり、供応・宴なるものを催してくださる。その場には、奥様もお出ましなされ、下々のこの田舎臭いものにもお声をかけくださっている、ああ、なんとありがたいこと、これをあの世まで思い出として持っていきましょう・・・ナンマンダブ・ナンマンダブ・・・と、この六字名号は唱えなかったのだろう・・・けど、そう、下世話にいう日の本一の成功者が、夫婦そろって満面の笑みを浮かべ、招待されたすべてが”満面に諂(へつら)い卑下の気持ちそのものを浮かべ手もみする者“のあふれる、その宴の場に身をおいいているアベ、いつの間にか、得意満面なその顔が、己も”同じ下卑て緊張感の片鱗もない顔”となっていることに気付きもせず、時々しか、思い出さない、”拉致被害者家族との約束“を、すっかり忘れ去り、出世物語の頂点の自分に改めて、満足するのだった・・・そうなのだろうと、そんな高尚な高貴なお方が為される花見の宴なんぞ味わうこともないこのオレ、その、家付き嫁と姑にいびられる中村主水のメザシの夕餉、サカヤキの伸びたたそがれ清兵衛の夕餉のメザシののった箱膳に向う二人の娘との様子を、ボクは自らの日常の貧相質素な日々に思い重ねるのです。そう、この二つの家庭のそれぞれの夕餉の様子さえ、うらやましく思えるボクなのでした。
・・・そうそう、今夜は第三金曜日の“夜回りの日”でした。8時の集合に遅れないようにしなくっちゃ・・・。先月は雨降りで休みだったと、おぼろげに思い出す。
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・・・ホウノキ・朴木・・・の、存在、・・・
11/27/Wed.
先日の記述から瞬く間に10日以上が過ぎ去った。
体調に異変があってコンピュータに向き合うとか、スイッチを入れるということから逃げる、避ける、見向きもしたくない・・・などと、さまざまな拒否反応が出続けていた。
しかし、秋を待ち焦がれたともいう心情が、こうしてタイピングを怠っている間に深くなって、秋、我が家の前の里山は、ようやく全山、黄葉・紅葉に覆われた。昨日今日の曇り空、時に時折の小雨、その湿り気のある空気に、黄葉・紅葉が映える。
小雨が降れば、それはさらに見事な秋風景だ
そうそう、街路樹のサクラはすかっかり裸木、トウカエデは紅葉・黄葉がはらはらはらはらと散り続け、小雨に濡れたアスファルトの歩道に散り敷いていく。
そういえば、ホウノキ(朴木)・・・これもほぼ落葉した。その大きな濃いこげ茶の表、裏は鈍色(にびいろ)。その鈍色の葉裏を見せて、歩道に散り敷いていた。ホウノキの落ち葉のほとんどが、その葉裏を見せて着地?している。
なぜだろうと、よく観察すると、ホウノキの葉は葉脈を中心にして裏(鈍色側)側へ反っている。いわば、舟のように。そう、考えれば、この大きな葉は、単に落葉したのでは幹の周りに落ちて重なるのみ、これが船の様であれば、サーフボードが波に乗って滑るように、ホウの葉の舟形は、微風でも、その空気の流れに乗って船のように流れていくことが出来る。
それは、ボクがホウノキの所在を長年見つけられなかったように、生まれた母木からはるか?それほどでもないが、他の樹木の葉っぱよりその大きく重い葉が、母木を離れて地面に散っているそのこと、落下するより滑空するという目的、落葉の形態・・・その作為を持った葉の構造が長年、ホウの葉の母木を見つけられなかったわけなのだと、謎解きのようなことだけど、こうして過ぎた数年の冬に気づき、今年もまた昨年よりもはるかに多い大きな葉っぱをみつけることができ、うれしさというのかその葉の持つ意味を見つけたうれしさというのか、疑問が解決したというのか、とにかく長年の疑問が解けたことが、うれしい。
このホウノキの存在をなかなか見つけられないでいた、その数本のホウノキ。今年になってその木のありかを見つけたボク、僕の細腕ほどの立木の幾本かが為す小さな林、その細木の群れが歩道の西の法面(のりめん・斜面)の下の雑木に交じって成長してあった。この特徴のある大葉をなすホウノキの小さな群れ、実はこの群れ以外に、この小さな林を成す他のもう一か所を、150mほど離れた寺の小さな林の中に、その枯葉のすがたの一部を見せる一本が枯葉色をのぞかせているのを、遠目ながら我が家から見つけた。ボクにとってはこれも発見だ。
このホウノキの存在は、ここがかつては重畳と重なる低山の林の存在があったことを今日へ教え伝えてくれている。東へと拡大する名古屋市の都市域がこの重なり広がる低山の開発を今も推し進めて破壊している。
住宅地として新しい街を成し、その東には愛知万博が開かれた。また大学研究施設や青少年の野外活動の場、猿投古窯群の成果としての陶磁器博物館などと、また生活のためのスーパーマーケットや世界的に展開している北欧家具の大きな施設などと、さまざまに、人の生活のためとして、自然破壊を続けている。
それにしても、林の中に見出される古窯の跡や、名東区内に残る地名につく“鋳物師”という古代の産業の最先端の様子、これに寄り添うようにある陶土の採掘跡や炭を焼いた窯の跡、あるいは地中に広がる亜炭鉱のトンネルの存在などと、その存在から想像させられることは大きい。こんな想像を次に書こう。
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・・・「狗奴国」・・・の、存在、・・・
11/29/Sat.
この名古屋市の東部部にあたるかつての深い林、今は里山となった丘陵地、その里山の重なりあう今は東山とよぶこの地域は、かつては、はるか東の山群、その猿投山の西に広がる丘陵地というのか低山地域の西の端に広がる地域だったのだ・・・。
そして、この里山には、多くの炭焼き窯や陶器の焼き物の窯がつくられた地域の中には今では採掘されなくなった亜炭層を持つ土地が僕の住む千種区の東の名東区にはある。さらに、名東区の地名に”鋳物師”の付く地名がある・・・それはたぶん、かつて、その”炭焼きの成果・木炭“あるいはさらに強い火力を生む”亜炭“を以て、鋳物を”鋳(い)て・鋳造して“いた人たちの集団が村を営んだ土地だったと、ボクは推察している。
ことに、鋳物の生産には、必要な材料の砂鉄の生産を伴わなければならない。それは猿投山の麓の矢作川の河岸段丘で生産され、砂鉄となった、と、ボクは推測している。そして、この地域には、さらに磨き砂(金属を磨く・歯磨きにも)が、今でも採掘されている。そう、それはかつての大河の河岸段丘の層に含まれていたのだ。
そう、古代(飛鳥時代からはじまる鋳物など金属の)の生産資源を持ち、製品を産む、矢作川の右岸域は、そんな資源の豊富な地域であったはずだ。そこへ、鋳物の工人など関連する人が集まり、また、燃料となる亜炭と薪炭となる堅木の樫類が茂り・・・それを得ることが出来る地域だったとも推測でき、またこの鋳物師(いもじ・いものし)の集団の他に、たぶん木地師の集団もいたのだろう。さらに、狩猟を生業(なりわい)とする“マタギ”とか“山立ち”とよばれる人たちと、さまざまに生業を成す集団が重層して存在していたのだろう。
そう、この人たちは古代からの工人ともいえるし、国中を素材やそれを加工する燃料を生む土地を求め探索する山師でもあった。そして何十年・数十年ごとに、手近なところの資源が枯渇すれば、その資源の存在する地へと移動をし、当時の奥地であり、かつ、都や町や村に近すぎず遠すぎず、生業を成しつつ、数十年の時を経ては原材料の枯渇とともにその痕跡を残し、移住していったのだろうと想像する。
その彼らは、生産のもととなる陶土と木材と砂鉄それに燃料の木材と亜炭・・・そんなものを求めてこの広大な丘陵の山地・雑木林に分け入って、その素材が尽きるまで群れて山中にあった“サンカ・山人それに工人”たちの足跡・痕跡をボクはこの地に見る。
そして、その窯の跡が、開発を逃れ土中に埋没し、時に宅地造成によって顔を出す。昨年だったか、我が家から50m程のところに、その露出した窯の調査が行われた(猿投古窯群の西の端の存在だろうか・・・)が、たいして新しい成果はなったようで、宅地造成が為されて新しい大きな住宅が建てられた。
その、古代からの記憶が、ところどころに残る里山の雑木林の中に顔を出す。
・・・と、ホウノキの葉をみつけたことと、紅葉の里山のことから古代のこの地、名古屋市の東部丘陵地の古代へと,ボクの想像は飛躍しすぎて、古代にまで走った。
でも、この想像は、たぶん真実、本当のことを的射ているに違いない・・・、こうした生産という手段の存在、バックボーンがあるこの尾張の地・・・かつて、ここにはたぶん古代国家が存在したといたと僕は考える。それが、尾張の北東の地、この古代の“葬送の地”だったとボクは想像する・・・シダミ・しだみ・志段味の地の古墳群・・・さらに、尾張の中央部の平野、現在の清洲あたりの平野の中の朝日遺跡・・・その存在とつなげ、この地の歴史を考える。そう、興味を惹かれる。
・・・古代のモノづくり、陶器の生産に思いやれば、今につながる、瀬戸・多治見、さらに南の半島の常滑(とこなめ)と・・・古代の稲作・米の耕作とは別の重要な物産・陶器と鋳物の生産、その生産を可能にした米作・稲作の耕作を容易にした木曽川とその支流の、今は消えてしまい、痕跡だけとなった佐屋川の左岸の地と、木曽川本流と木曽川に挟まれた広大な三角洲の存在・・・生活のもととなる食糧生産地という、これもバックボーンとしてある尾張と美濃西部を基盤とした古代の王国の存在・・・魏志倭人伝の伝える倭国の超大国狗奴国の成立した・・・その米と生活を成り立たせる物の生産の地が存在する狗奴国がここに、ボクは、古代尾張族の王国があったと、考える。そう、「狗奴国・くなこく」・・・の、存在、これは極めて広大な地域を生した王国だったとボクは考える。
しかし、その痕跡は、次々と生まれかわる古代の権力者によって削り取られ、新たな宮域や城域が造られてきたと考える。

では、その尾張の古代国家の中心地はどこに存在したのだろう。
全く消え去ったかに見える濃尾平野の王国は、今日まで、古事記や日本書紀に”尾張氏”として、歴史書の中、その冒頭にも”尾張”として、突出して見出せる。
神武系の歴史は尾張氏を抹殺しつつも、完全には消し去ることが出来ないでこの地にあり、古事記や日本書紀の冒頭にその名「尾張」を書き留めている。
そしてこの古代の大国”狗奴国“、この王国の中心は、かつての名古屋城域・・・現在の愛知県庁や名古屋市庁、さらに中央官庁の出先機関が集中する、名古屋台地と総称される地に存在したに違いない。
すなわち、この名古屋台地は、古代も中世もそして近世も、権力者が注目し、尾張平野を、さらに美濃の平野部を見晴るかし、伊吹山の麓の“関”を監視することが可能な平野に突出した台地・高地であった。そしてそれは時代を経ても変わることなく、徳川家康によって再発見され、この濃尾平野以西の勢力を監視する大城が築城されたのであった。これが名古屋城・・・豊臣氏を制圧した徳川家康が成した名古屋城の築造によって古代遺跡は徹底的に破壊が為され過去の遺物・痕跡はかき消されてしまった。その遺跡の一部が、今日まで残る”熱田神宮”の地なのだろう。名古屋城跡はその北部、同じ名古屋台地の尾根筋に位置する。

すなわち、東は猿投山地と矢作川、北東には志段味山地群、北には蛇行する大河木曽川、遠く北西には、信仰の山地・白山が望見されるし、さらに西は琵琶湖という太湖を背にした伊吹山と養老山脈の東面の地、さらに日本海と伊勢湾を結び、白山という分水嶺から北と南へ流れる大河と加えて木曽川の存在をも視野に入れなければならない。そして、濃尾平野を見るにはこの南へ流れる大河の先、伊勢湾と三河湾そしてこれらの前方に開ける現代の太平洋へ向ける広い視野を持たなければこの濃尾平野の古代王国は解明できない。
・・・すなわち、現在の濃尾平野と、この地域の幾筋もの古代から現代への大河川の存在、これが舟運を促す流通経路の網目を生したと同時に、尾張以西の勢力圏への要害となる河川としてある、このような地理的あるいは地勢学的要衝に囲まれ、尾張氏の拠点となったのである。この広大な支配地を有した尾張氏という認識と巨視的視野を以てこの”狗奴国“の存在に対しなければ、この王国の解明にはほど遠い。
すなわち、飛鳥、難波、平城、平安などの有史後の視点でこの尾張国を解明しようとしても、その根本的尺度が短すぎ小さすぎるのである。
この濃尾平野とこれを取り巻く産地と海の存在、そして中央部に網羅する大河の存在、この神武以前の歴史に忘れ去られてある尾張大国・狗奴国の存在は、狭隘な関西の平野や盆地の王国の尺度や感覚では把握できないほど大きく広い地理的あるいは地勢学的見地から考えなければならない。
今日まで、なぜか歴史家は、この濃尾平野を中心とした、巨大な古代の超大国の存在を深く追求することなくきて、今日もこの伊吹山の東、養老山脈の東、その古代国家の勢力圏そのものの存在と“神の存在・・・熱田”の地を、ただ”点”としてしか認識してこなかったのである。さらに、尾張には昔から神宮(伊勢)に詣でるにはまず津島社ヘ詣でよという言い伝えがある。さらに対馬のはるか西方、養老山脈の南端の東には多度社が存在する。すなわちこの神のなす点と線の神の道の存在。この神の道の周辺には広大な平野が、そして河川が存在するのだ。
さらにそこここに古代からの神の存在がある。北には国府宮社、さらに北には眞隅田社、北部には奇祭を司る犬山の神々の社の存在と、今日にも通じる奇祭として知られる神々の歩いた道をたどることが出来る。この奇祭の社の存在、それは古代国家とその古代人らの祭祀観の存在をもが表されていることが分かる。
歴史家は始めに述べた古代の産業の中心地の存在を想像することもなかった。そう、今ここに述べた米作と製品の生産・・・さらに流通・・・今日につながる歴史のベース、生産の地であった名古屋東部丘陵地域のこと、これを見落とした歴史家たち。
それら、この尾張の地に関心を向けた者たちですら、名古屋台地を中心としながら消えた、あるいは消し去られてしまった王国の中心の地、名古屋台地を王城の地とこれを取り巻く広大な平野と重なる低山地とさらに幾筋もの河川の流入する海・・・これらを含む王国を、彼らは想像することがなかったことにも狗奴国の解明が為されてこなかった一因がある。
実は超大国と書いたが、この地、尾張はこの後の古代から続く歴史上では極めて狭い支配地、領土領域に過ぎない。それは中世の地図の表すところだ。しかしこの西美濃と木曽川を挟んで存在した尾張をあわせさらに伊勢の北部さえも抑え、伊勢の神々さえも領域に抱え込むことを可能にした。こうして見わたせば、伊吹山系と養老山系のなす峠、あるいは関、それらは西の諸国と濃尾平野を経て、三河さらに駿河の東海道あるいは、諏訪湖、租s子から流出する天竜川、その中山道に面する諏訪の神々を祀る諸国への交通を支配する地であることがわかる。これがこの濃尾の王国・狗奴国(クナコク)であったのだ。
これを戦国の乱世を平定し治めた徳川家康は、戦術家として直感的に理解し、濃尾平野を見下ろし見わたすことが可能な名古屋台地の北の端に西国に備える名古屋城を築城したのだ。この感覚は、この地に王国・狗奴国を生した古代大王もまたおなじ直感的だったのである。
・・・・・・まだ深い考察もなく、この濃尾の超大国・狗奴国のおぼろげな姿を描きました。しかしこの考えは、もう何十年と考え温め続けてきた、この濃尾平野の古代国家の存在についての考えです。
歴史家たちは、”遺跡”という、点々と見出される歴史の痕跡を、ただ”点“としか見てこなかった。本来、点として見出される痕跡をネットワークあるいは面の存在としてとらえ、さらに、それをつなげていくというような、パッチワーク的な見方が必要であると思っています。古代国家といえども、そのネットワークとパッチワークの”面を統治“していたのであろうと想像します。
これからもこの着想を育て考えていきたいと思っています。
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HITBIT 心もよう vol-116 October 2019

HITBIT[心もよう]vol-116 October 
9月は大変失礼しました。9月号は休刊しようと思いましたが、迷いつつタイピングをし続けていた思いを加筆修正しつつまとめ上げ、投稿日を本当の日付より一月も繰り上げ、投稿しました。vol-115・・・を、あらためておよみいただければと、身勝手にも思いおります。
       ――スズメバチとの戦いから・・・己の愚かさを知る――
これを書いています今日は、すでに11月5日です。数日前から気温が4・5℃下がって最高気温が18℃から22℃あたりをさ迷っているようです。
宵ごとのウオーキングコースの街路樹。イチョウ・いちょう・銀杏の並木が一昨日3日頃から盛んにギンナン・銀杏を歩道に落とし始めました。
例年と違って、実は小さいのですが落ちる量は多く、そのギンナンの喬木が広い歩道の歩行用と自転車用の隔てに10mほどの間隔を置いて在り、それを結ぶかのようにアベリアなどの低い刈り込み帯が隔てている。
黄色く熟した実が自転車や歩行者に踏みつけられ、つぶれて散り敷いている。しかし、例年に追ってくるギンナンの腐る臭いは感じられない・・・不思議だ。
そういえば、ボクの観察では、黒松は枯れる年には、例年以上に樹形を覆いつくすかのように小粒のマツカサをつけ立ち枯れるが、このイチョウの街路樹は枯れる様子はない。そう、この小粒で大量のギンナンは、この夏の異常な高温そして多発する台風と多雨、その異常ともいえる気象状況に身をもって感じたのか、松に似た生態・・・枯れる危機感・・・そんなものを体現してこの世に示しているのだろうか・・・と、思いめぐらしてもいる。
そういえばもう一つ、9月末から10月初めのこと、”スズメバチ“が我が家の周囲を盛んに飛びまわていたが、ついに家の中にまで飛び込んでくるようになった。時にはキッチンそして居間さらに居間のベランダと、ようやく涼しさが感じられる季節の変わり目、いたるところを数匹いや5・6匹と飛び回るようになった。そして間もなく台所の換気扇、その屋外フードの中に巣をつくり始めたらしく、換気扇カバー越しに鉢が大量に飛び回る恐ろしい羽音が聞こえるようになった。
ボクは恐怖にかられ、不織布でできた換気扇カバー越しに、室内からあの赤い缶の”ジェット噴射でハエ・蚊を落とす!/アースジェット/無香料・目鼻咽喉にやさしい低刺激”という“やつ”を、バンバン・シュウシュウ・・・換気扇の回転を止めたり、寸動させたり、回転させたり、さらに、回転を止めたり、寸動させたり、停止したり・・・間にまに、バンバン・シュウシュウ・・・を繰り返し、繰り返し、10日間ほど戦い続けた・・・。そう、この戦い・・・ボクにとってはまさに戦い、スズメバチとの果てし無き戦い・・・、幸いに不織布のカバーのおかげでハチの直接の反撃はなかった。それで、不織布でできた換気扇カバー越しに、室内からあの赤い缶の、ジェット噴射でハエ・蚊を落とす!/アースジェット/を、火炎放射器か毒ガス噴射機さてはデモを蹴散らす催涙ガス入り放水銃、バズーカ砲・・・ええ、どうでもいいけど・・・とにかく、気持ちは戦士、襲い掛かる敵を振り払いつつも、一日に何度となくひるまず襲い来る敵。このひるまない敵・補充される敵兵・スズメバチ軍団を壊滅させるべくボクは孤軍奮闘・・・ただし、このボクには最新兵器、この強力極まりない、この時は半信半疑ながら・・・ええっ、このボクは独り、信じるしかない”アースジェット“・・・時には、敵・スズメバチの寝込みを襲って真夜中の闘い、さらに気温が最も低い夜明け前、また、雨降りの時・・・などなどと、孤独な戦士・ボク・リュウは自然条件を考えつつ戦いました。
そう、この気象状況を味方につけること、すなわち、近代戦の必須・・・それで、気象学・気象観測の技術・論理は急激な進歩を遂げたのでした。
そう、第一次世界大戦、第二次世界大戦・・・工業力と科学技術を背景にした大戦・・・はい、航空機やタンクといった近代戦には、気象の把握が必須となったのです・・・。ええ、もちろんそれに加えて、ゲリラ戦も・・・レジスタンスの闘士のつもり・・・そんな、ゲリラ的知略・策略・科学的ともいえる戦術を駆使し、敵軍を撃破・・・本当に、撃破そのもの・・・ナバロンの要塞・・・を陥落させた知恵と勇気・・・ええ、為せば成るなさねばならぬこの戦い・・・スズメバチという侵略者・・・そしてほぼ10日、敵の羽音は遠ざかり、軍団の補充も補給も途絶えたのか、そう、ロジスティック・・・この補給ということ、人的・物的・武器弾薬・・・この侵略者・スズメバチ軍団の補充・補給路をボクは断ち切って、排気口外部フード(洞窟要塞)に立てこもった黄色に黒の横縞軍団を根だやしにと立ち向かった。
さらに、どこから入り込んだのか、女王バチ、立派な胴・張った腰・・・いかにも多産系のその体つき・・・グラマラスそして極めてセクシー・・・働きバチの二倍ほどもある彼女・女王が、キッチンへ紛れ込み、そう、アースジェットで弱り切った、見事な肢体を鼓舞して挑んできたのだが、ここで墜落、真っ白なカウンターの上にその美しい身・肢体をのたうちまわし、ボクを悩ませ、最後の羽音を幾度も幾度も発し、ついにこと切れた・・・。
ああっ、ボクは勝利したのだ・・・そう、この凶悪極まりないが、あまりにも美しい、スズメバチの軍団・・・その一個師団をボクは屠ったのだった・・・それもその女王をも・・・この比類なき美しさを持つ女王をも・・・。
・・・しかし、この戦い、ああなんと空しい戦いだったことだろう・・・。こんなにも美しい虫の一個師団を全滅させるなんて。
・・・それは恐怖から、そう、そのスズメバチの恐ろしさは、ただ聞き知っていただけなのに、実体験して恐怖を持っていたわけでもないのに、ボクはこのスズメバチの一師団を、そして女王までも・・・そう、根絶したのだ・・・この罪深いこと、訳もわからず、聞き知っただけの恐怖心から、ボクは、最新兵器”アースジェット“を、大量に買い込み蓄え保持し(毎年買いこみ蓄える・事実は2・3本)・・・ついにそれを使い切った。そんな空き缶がキッチンカウンター上にごろごろと何十本も(本当は2本)砲弾の薬きょうが戦場に転がるように・・・さらに、そこ、換気扇の外部フードの下には数百匹、事実は数匹(働きハチはとっとと荷が去ったのか)の最後の戦士ハチの死体が(重なるようにごろごろと転がり)、フードの中には、まるでナバロンの要塞の爆撃破壊し尽くされた、廃墟のように、縞模様を浮かび上がらせた、五月のぼり鯉のウロコのような美しいグラディエーション模様の黄色の文様が無残に破れて残っていた。
・・・ハチが巣を作る年は台風が多い、と昔から言うと、父母から聞いていました。
本当に今年のハチの活動の季節、台風があまりにも多く、その被害も甚大です。昔の人たちは、気象学を知っていたわけではない。ただ経験からだけからも、その前兆や現象から、台風とハチの営巣が関連すると、ボク自身は、黒松が枯れる前の年、その木が異常なほどのマツカサをつけること(これはボクの観察からの報告です・・平和公園の森の中で感じたこと・知ったこと)・・・などと、その生命と自然とのかかわりを、人は常に、目にし、心に感じていた前科学の時代。そして命のむなしさも生きものの・・・植物・動物・・・ともに、その命の限りあることも・・・空蝉・うつそみ・・・そこに古代の人、日本人は”むなしさ・命のはかなさ“ということにも気づき、それを感じる心を大切にしてきました。それが、この国土・二ホン列島に住む我々二ホン人の心の深層に宿って、この四季の移ろいを心待ちにし、その去り行くのを惜しみ、かつ、楽しみ哀しみ寂しがり、歌い奏で、歌に詠み物語に表現し、人の心と自然のなす世界の立ち切れぬことを享受し、いとおしんできたのでした。そして、そこにいろいろな意味での平和や平安があったのでした。そう、雪が解け小川にせせらぎの音が聞こえ、桜花も遠く近くの里や山肌に白く時に淡く見出し、迷い蛍を蚊帳の中に見出し息を詰め、棚田に張られた水面の満月に堪能し、その畔に白もわずかに混じる真っ赤な曼殊沙華の群れを見出し、稔る稲田に黄金の美しさを見、さらに安心を同時に見て、紅葉も雪景色も若葉の風に揺れる五月の山々も、風の吹きならす木々の枝のうめきにおののき、か細く降る雨に濡れる庭に心を置き・・・そう、誰が争いを、戦争を好むのでしょう.スズメバチの恐怖に思わず大量殺戮・アースジェットを使って、真夜中と夜明け前のゲリラ戦までやらかしたこの夏の愚かなボク、令和元年の夏のボクは、体調もさることながら、心も病んでいたのかしら、そう、孤独感が大きくのしかかってきて、孤独なバカゲタこと、ことにスズメバチとの攻防に明け暮れた10日ほどのこと。
ええ、人は愚か、ボクは愚かの極み・・・日ごろは戦うことを疎み、戦争に反対し,軍拡には対しながら・・・戦いを忌みながら・・・その何でもない、実態を見聞きしただけなのに、恐怖におののき、こんな戦争をしてしまった、ボクです。
ああっ、スズメバチでよかった。恐怖心は大きくあったけど、それはまだ最新兵器”アースジェット“をもってすれば、最初から勝敗はついていたのでしょう。ただ愚かなボクは、ここへ書きつらねたように、あらぬ恐怖心・幻想の恐怖心が先行し、かつ、ボクが自分自身の恐怖心を抑えられないことと、手元近くに戦いの武器最新兵器”アースジェット“が存在したことが、愚かな戦争へとボクをボク自身が駆り立てたのです。
・・・そう、これは”寓意“・・・しかし、これは笑い事ではありません。たかが、スズメバチの侵略に怯え震え上がったボクは、日ごろの自制心を失って、いや、もともと自制心は希薄か???かつボクはスズメバチという、概念的な敵、襲い来るに違いないその攻撃性の過大な世評を信じ、殺戮に走りました。本当は、ボクには確信があったのです、それは“こんな敵に負けるはずはない、やっつけることが出来る”と、たかをくくっていました。
そう、人、人間はこうして、戦争という悪魔の手中へと身をゆだねるのでしょう。大げさではなく・・・。
そう、スズメバチと人は生態的に相いれない決定的敵対関係にあるのでしょう、しかしこれが人間同士・国と国同士ではどうなのでしょうか。
・・・ええ、思います・・・人間同士、決定的な敵対関係なんてあるはずはないと、“人間の性善説”をボクは信じます。人間、話し合って分かり合えないはずはないに違いないと、話し合えば必ず分かり合えるはずだと、虫とは違った”心”をもつ人類・・・それが落ち着いて語り合えば、必ず分かり合える、指を掛けた赤いボタンを押すなんてことにはいきつかないのではと、このボクの愚か極まる戦争体験?から、改めて考えたことです。

9月の中頃から今月10月にかけて多くの台風が日本列島を襲い、防風雨がこの国土に惨事を引き起こしていく。今年の台風・・・15号17号19号21号と、奇数番号の大風が、猛烈な雨降りを伴いながら東関東・甲信越・東北へと襲い掛かった。ひと月に降る雨量を一日で降らせる今年の台風・・・。
被災された方々・方面の方々へ・・・お心を強くお持ちくださり、この苦境を乗り越えていただきたいと、心から願いおります。
とにかく、季節の変わり目、お体お心へ、インフルエンザが入り込まないようご注意ください。予防注射も急いで・・・そして、お元気で・・・再見!
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HITBIT 心もよう vol-115 September 2019

HITBIT[心もよう]vol-115 September 2019
9月はじめの1日2日3日に、せっかく書いた記事がどこかへ行ってしまった・・・。
かつては、このようなことが度々あった、そう、設計のためにアップルのマッキントッシュ。Mac Osを使い始めた頃・・・描いた図がいずこともなく所在不明になることが何度もあった。それは、記憶媒体の容量不足やパソコンの速度不良、さらにボクの未熟なパソコン知識などが原因だったのだろうが、その時の落胆は、図面に込めたアイデアの喪失とともに、取り返しがつかない失策だったが、それでも気力を振り絞って、新たに、こまめに、保存を繰り返ししつつ描き切った、という苦い思い出が何度もある。

80年代のこと、WindowsのNECパソコンが日本のパソコン使用者の人気を得て席巻し、また、東芝のダイナブックがラップトップ型として、モバイルパソコンとして、米国市場で主導的な位置を確立したのだった。続けて日本の各電機メーカーがWindowsOsのパソコンを競い合って開発する、あるいはアップルのOSがオープンな時代にはSonyがそのOSのパソコンの一翼を担った時代があったが、ボクはもっぱらMacintoshを使い続けていた。建築設計にパソコンを使うということ、そのころ大学の建築学科ではまだパソコンで設計デザインするという、その技術的デザイン的教育はどこもなされていなかったと思う。その背景には、大学が機材をそろえ、一つの教室で、学生に授業とはいえ、教室として公開することは、大きな費用を要したということがあるのだろう。そんなパソコン普及の前夜ともいう時代が瞬く間に夜明けとなって、会社や個人へその所有と使用が普及、日本製Windows仕様のパソコンのメーカーが乱立して、活況を呈した。
それも淘汰が進んで数十年になるのに、ボクはアップルに固執して使い続けたが、設計の仕事が減少など、さまざまな事情から、新たに2年間の勉強の期間を持てて、その過程でのレポートなどの仕様がWindowsであることから、Windowsパソコンを、記述・文章専用として2006・7年から併用するようになった。
そして、その後、何度も書くようだが、研究書『額田王研究』という一書を約10年がかりで完成した。1000頁余、100万字ほどの、いうなれば、ボクにっとっては大著だが、これを、書きあげることが出来た。そう、個人が、印刷のもととなる原稿をしたため、本としての組み方・体裁など、すべてを、自分自身で思い通りに仕上げることが可能になったのだった。しかし、この研究書、万葉集歌額田王歌の未解読歌、その解読と万葉集歌新説の提示、さらに日本書紀中の一つの短歌の親に当たる長歌の存在の発見と解読をなしたこと、しかし、その内容が一般的ではなく、また難解だったこと、さらに大著であるがゆえに単価が高沸し経済的には流通にのせるには困難だったことは残念だ。

しかし、この社会において、本、著作・・・この本・書を作り上げる、すべての工程を、個人として成し遂げる”手段“を手に入れることが出来るようになったのは確かだった。さらにインターネットという、世界を網羅する自己主張・発信の手段を得て、自己の主張や著述などを広く発信することが、可能になったのだとも思う。
これは画期的なこと、そして、このパーソナルコンピュータはボクにとって”利器”となった・・・。
*しかし、社会一般において、この便利な道具は、そこの自己規制的制御が働かなくなると、利器が武器になりかねない。
・・・ボクはこの利器パソコンを利用して、ささやかだけど、BLOGという形で、この社会に生きるものとして、ささやかな思いや、こうあればと思うことなど、あるいは今日の社会批判的なことを書いてきた・・・そう、社会性に疎いボクが、ささやかに社会と関わってきたといえる。読む方によっては共感や反対意見、あるいは危うさを覚えられる時もあろうと思うが、自制を忘れず、これからも書いていきたいと思っている。
また人によっては気になることであろう、世界の政治に携わる人たちを“敬称や地位を附し、敬語として表現することを、極力避け、呼び捨てている”・・・が、これは、表現として自然なことと思っている。また、このような立場から、二ホンの政治家についても、同じ表現で書き表しているが、魂胆や他意はない・・・いかがだろうか。

*・・・世界でデモクラシーが脅かされる事態が次々と、起きている・・・近代・現代の国家は、民主主義・自由主義・法治主義でなければならないはずなのに・・・。国家の指導者としてあるべき人物や国民から選ばれた“代理者”がなすその政治手法に、往々にして、その政治家としての素質や姿勢に“私は代理者”との自覚の欠如(国民からの負託を得たという意識の欠如)が・・・これは変だぞと、国民レベルに感じさせる政治家も多い。
多いというよりも、ほとんどの政治家、政治主導者が、己の進む道そのものは国民主体の国造りのはずなのに、何を思い違いしているのか、国家の在り方、指導者としての在り方に、疑問を抱かざるを得ない者がほとんどだ。
そんな政界のすきを突くかのように、自薦他薦によって、いわゆる高級?官僚の政界進出が甚だしくなり、その政界へ手引きされたことによって、親分子分の人情的従属ということが一方に現れ、新鮮であるはずの新たなキャリア自体がお追従者に成り下がるという、新たな悪循環が芽生えて、政治の刷新へ行きつかず、途中で頓挫するという、泥沼的政治屋集団が新たに形成されるという現象が近年ことのほか甚だしくなった。
現在の二ホンにおいては、政治家・政治屋のおごりとしか思えない言動が多々見られ、国民の思いが届いていない方向へ進み、国民の批判もが、顧みられないで捨て置かれるという、ことも感じる。また国民自体が、政治を見つめる、見張(ウオッチング・Watching)るという根本的な自由人の位置づけさえも忘れさって、自分の一票を、ひとりの政治屋に張り付け、進呈してしまい、その票を成り行きに任せるという、無責任極まる位置に自らを置き去ってしまっている。
こういう批判的なことは、本来誰にでも与えられた、国家によって、また憲法によって保障された国民の権利であることを、忘れさったのか、知らないのか・・・そう、憲法を“その前文から数年に一度でいいから読む、確認する・・・”という、時間を持つべきだと思う。
現在の日本国憲法は、読みやすく理解しやすいと思うが、いかがであろう。
数年前『???スピリッツ』という、コミック誌が、憲法記念日に際して特集号を出版してくれ、その企画とともに、わかりやすさが、とてもよかったが、せっかくの一冊を誰かに遣ってしまって、今では惜しいことをしたと、5月3日の憲法記念日が近づく度に、数冊買っておくべきだったと後悔している。この企画『???スピリッツ』を出されている社へお願い・・・できれば毎年この憲法に関する“スピリッツ企画”・・・をやってほしい・・・と思っています。
ええ、ボクは、この現日本国憲法の改憲には反対です。国家、国民は守られるべきだと思う、それがただ、外国からの侵略から国民を守るという、とても分かりやすく、分かったと錯覚しやすい・・・という一点へ集中して、軍備拡張にばかりに走る政権に大きな危惧を抱くのです。
そう、今日のこの自然災害の襲い来る列島の二ホンを見るとき、これからもぼくたちがこの地・国土に、本当に住み続けているのだろうか、この国土、山川草木、故郷の豊かな緑・美しい河川。美しい山河・・・は、この令和の時代も存在し続けるようにはとても思えない、そんな不安がボクに襲い掛かる。そう、守るべき山河が自然災害によって消滅する危惧、これこそがボクたち国民が真っ先に考え、その手立てを、早急に考え、理解しあう・・・そのこと。その基盤に立って、軍備も考えること、平和を考えること、国家を考えることが必要であろう。(このことは、これまでも書いてきた)

軍備をいくら補充・充実したところで、それは底無し、際限のない、勝ち目のない消耗戦、実りあるものは何もない。守るべき・・・国土・山河・健康な国民の存在・・・これこそが前提にされ、国家の存続を論議すべきだ。
そう、崩れてしまう河川堤防を放置してきたがために、嘆き悲しみ、口惜しさにうつむいてしまい唇をかみしめ沈黙する国民を作り出してしまった、それ、国防力増強にばかりうつつを抜かす政治であってはならない。
「平和国家」とは何か・・・それは、健康な国民が日々穏やかにつつましく生きてある国のことを言うのであろう・・・。守るべき国民と山河を自然災害に失って、何を守るというのだろうか・・・国土・山河・・・それは、日本人がこの国の起源に神から与えられた、美しい海岸線に縁どられた緑なす山・清き流れの河川、豊な”米“を産する国のことだ。それは・・・瑞穂の国・・・これこそが、忘れてはならない、二ホン国民の精神と肉体の根底にあらねばならないと考える。そう、さらに言えば、国土の一部にでも”原水爆・核兵器による焦土“を出現させるような、国際関係・国家施策では”国を守る・守った”という事にはならない。
これを目指し、世界の国々と友好を重ねること・・・その結果を、どのように過程を踏み、この“二ホン”が歩んでいくのか、歩み続けるのか、それを考えること、それが政治の第一最大の目標だと考えたい。
・・・先に、・・・世界でデモクラシーが脅かされる事態が次々と、起きている・・・近代・現代の国家は、自由主義・民主主義・法治主義でなければならない・・・と、述べた。
世界にはいまだこの人間社会の三原則、言い替えれば”自由・平等・博愛“という、意識社会・実社会に至っていないで、経済力と軍事力さらにイデオロギーを背景にして世界の国々へ繰り出していく、強国がいくつもある。そして反面、その意識を得ることさえ出来ていない、人間としての未熟や無教養が貧困とともに存在している国々が大変多く存在する。
もしかすると、近代国家になった二ホンと、我々は思ってはいるが、わが“二ホン”もこの・・・「未だの途上国」・・・なのかもしれない。ことに、政治力においては・・・。
戦後の日本の政治、ことに昨今の政治は“お祭り・観光”ばかりに国民の耳目を向けさせ、世情は・・・浮付き・軽薄・拝金・利益・学歴・受験の結果によって評価される人・のし上がり蹴落とせ・利己・無学問で自ら問うて学ぶ事の欠如・本来の個としての教養の欠如・・・などなどと・・・人間の本質に目を向け、それを培う努力を促してこなかった二ホンの教育と教育者。

・・・・まあ、・・・こうして、ボクのような老いたものが、社会批判的なことを書くより、若い中学生や高校生大学生、社会人となったばかりの若い人たちが、自分が思うこと考えることを、インターネット上へ吐露する機会が多く成ればと思うばかりだ・・・。
近年はスマートホンという、パソコンよりも手軽で高性能、さらにそのネットワークの多彩性などは、僕のようなものが尻込みしてしまう、使用性、利便性がさまざまに付随し、より一層、ソーシャルネットワーク化が身近となっているにも関わらず、その機能役割が、娯楽性へと傾いて、社会性とでもいうのか、市民性という方向とはかけ離れた利用にしか目が向けられていないようにも思われる。
すなわち、利器としてのパソコンやスマートホンが、ただ身近で気楽な社会性にとどまり、この社会の一面にしか生かされていないようにも思える。それは彼のラジオ・TVが、たどった、堕落の道と同じ方向へと、転がり落ちていっているようにも思える。
・・・そう、二ホンの若者が、身近な生活的な事柄から、さらに社会性・世界での事件性や政治性などを帯びた情報の受信や発進へと、進むことが期待されるが、就職への懸念からか、もう一歩二歩踏み出せないでいるのではないかとの、感想を持つ。
もちろん職を得て社会人となったものも、ただ社会の力関係をおもんばかって、自らの保身へと走る方向がほとんどだ。
こうした、世情への無関心とも思える在り方、人間として社会にあり続ける意義のとらえ方、これは二ホンの日本人の持って生まれた、人としての生まれ方にあるのだろうと思う。すなわち、百姓、農民としての本来自由人であるはずの生き方が、古代から虐げられ、統制下におかれたことが、ずうっと後を引き、今日になっても、そこから、人間としての生き方をつかみ切れていない、人間としての生き方を見出していないということへとつながってきたように思える。
それが、例えば、今年のように甚大な各種の災害に見舞われても、声を荒げたり、哀しみ嘆くことをあらわにしたりすることなく、感情を押し殺して、その被害に恨み言を言うというような方向へ進まず“仕方がない”とうなだれる、”どうやってこれからを生きていってよいのか・・・”などと、静かに嘆くにとどめる。それをよいことに、政治は、聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりを装い、うわべだけのクヤミにとどめ、それ以上は踏み込まない。
そこには、二千年ほど古代社会の成立というのか、形を成し始めた”社会“というものが、一握の強権力に握られ牛耳られてきたことに発して、さらに土地に縛り付けられたことによっておのずと飼いならされ身についてしまい、心根となってしまったとも思われる。それは、牛馬同然の位置に置かれ続け”人−にんげん“としての心根が培われずに来てしまったことにある。
それは、現代においても、同様だ。縛り付けられる位置が、土地から、会社・勤め先…へと移ったに過ぎないことからも明らかだ。
国民の大半が、飼いならされることに慣れきってしまった、さらにそれを打ち破るような国外からの生存の脅威というものがなかったこと、あったとしてもそれが、長い迫害としての期間・年月・世紀ではなかったことが、二ホン国民として連帯することなく、“家族”という殻に閉じこもり、外へ目を向けることなく、何者かに抵抗することもなく、現代まで来てしまったこと、さらに“島国二ホン”であることに起因するのだろうと思われる。そう、日本人は”怨念“を持ち続けることを・・忘れてしまった・・そんな民族かもしれない。すなわち、歌うことを忘れたカナリヤ・・・さえずりを忘れたスズメと、なったのかも。
これが、現代には“ともだち”という極めてソフトであいまいでありながら、それが、携帯電話やスマホという利器によって拡大したかのような社会性を装いながらも、やはり“匿名”という殻に守られて、拡大しない“ほのかな温かみへの集団の依存”を若い人たちを主として存在させ続け、それが家族ととってかわったに過ぎない、脆いつながりとして、時には裏切られ、いじめられるというリスクを裏に秘めながら、今に存在し、拡大して居続けている。
そして、人としての存在の孤立、そして結果はいじめや自殺、それをいい加減な教育者ぶりを売りにする妙なヤツどもの”言“として、いかに”いかにももっともと“わかったようなふりによって、また、そ奴の社会的存在をも許す社会”、その周辺の物わかりの良さをも重ねてその存在を許すこととなっている、そのことに気づかない、極め付きの軽薄社会・・・存在の孤立と存在の希薄化・・・そんな社会そのものに蔓延する意識しない自己喪失が、今日の日本社会なのだろう。
そう、それは、成人式にさらに幼児でもないのにハロウィンの夜に狂う、あるいはクリスマスイブに、年替わりのカウントダウンに、渋谷のスクランブル交差点に参集するバカどもが、警官隊により規制されつつ”楽しむ”、“規制されることにある安心感”が自己そのもを忘れさせて楽しむという、愚かさ、その愚かな姿・・・そう、どこを探しても物事の本質・意義が見いだせないそのことのように思える。いつの間にか失っている、個としての人間性を、この者らは、自ら捨て去っているというのか、個という存在があることにすら気付いていない、これからも気づくことがない彼ら。

これは、為政者にとっては、きわめて好都合なこと、歓迎される存在、束ね操作すべき存在が、いわば家族にとって代わり、きわめて大きな単位として把握しやすくなったということ、さらにそれはきずながない分崩壊もしやすい集団なのだと、思う。
こうしてみると、今、二ホンの社会を変革することは、社会の側からというのか社会の中からは不可能なように思える。
しかし、世界に目を向ければ、ひとり二人の少女による人権問題や地球温暖化の問題に疑問を呈して立ち上りがあったことは、記憶に新しい新鮮な“社会の在り方への疑問“の提示の仕方であったと、思う。
そう、大人たちがなすすべもなく手をこまぬき、ことばも行動も発しなかったのを、見事に正面から問いただして見せたのだった、あのふたりの少女たち・・・。
しかし、今の二ホンの少年少女そして青年にはこんな”主張を成す姿“は期待できない。
これが為せないのは、そこにあるべきおとなたちが存在しないからだ。そう、この二人の少女を、幾分でも支えた大人たちの存在があったのだろうと僕は思っている。またそんな大人たちが存在することへの期待を持つ。それはたぶん、男たちではなく、おとなのご婦人たちなのだろう。
***
九月・・・パソコン・・・このインターネトのウェッヴページが、FlashPlayerに依存するところを持っていたがゆえに、その動画画面にブラインドが掛かり、きわめて見苦しいページの羅列になって、ボクを意気消沈させ、書く楽しみを奪われてしまった。
そしてここ十一月にきて(事実は、10月2日の投稿にしました)、体調も幾分よくなって“ブログを書くか”との気力も少しわいてきた。
建築の設計者として、デザインをする身にとっては、このボクのページも、表現者として幾分ともおろそかにできないのであるけれども、まあ、ページのデザイン屋さんが、今現在では、FlashPlayerを必要とするウェッヴページを維持できなくなってきているというのだから、非常に残念ながら、動画画面を諦めざるを得ない。
そんな事がここ数か月、ボクが自分のウェッヴページの維持に情熱をかけられなくなり、ブログも滞らせてしまったというような訳です。加えて残念ながら体調、ことに喘息と、身辺のこんな事情から、休刊となって、これを読み続けていただいてきた貴女・貴方には申し訳ないこととお詫び申し上げます。過去にも一年間休刊としたこともありましたが、今回も何とか”復活”をと自分を鼓舞しています。
再起、さらに続けられるかどうか、前途は不明ですが、今一度と、思って居るボクです。
ということで、この9月号、第115号は遅まきながら、掲載の月と日をさかのぼって、9月末として掲載いたします。10月号も、こんな具合になりそうですが、お許しいただいて、掲載を為させてください。
季節の変わり目、お体お心へ、インフルエンザが入り込まないようご注意ください。お元気で・・・再見!
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HITBIT 心もよう vol-114 August 2019

HITBIT[心もよう]vol-114 August 2019
先月7月中頃から、僕自身の体調が揺らいでいる・・・。その原因・状態の検査等で、掛かりつけ医の紹介状持って、検査を受診に出かけるとか、さらに急な別症状が発生するなど、ボクはガタガタの状態・・・仕事はないのに、いろいろと時間が必要になって、体は忙しく、精神的にも”くたびれ“て、自身のささやかなワークは延び延びになって、また、このBLOG原稿も手につかない。
先月分は、かろうじて投稿したが、8月に入っても日々の記事さえ書けないほど、落ち着かないし、体力がない・・・。
とにかく、この猛暑の中、下剤を服用してバスと地下鉄を乗り継いて検査受診へ出向くのは、心と体の負担だというより、何か粗そうでもしたら、その後の人生にかかわる・・・ということで1度目の検査には、最初は早朝にタクシーを予約・・・2度目、1週間後、8月に入ってからの検査は、検査前夜はクリニック近くのビジネスホテルに泊まって、”下剤服用”に備えた・・・そう、こういった入院施設のないクリニックでは患者がかわいそうだ。まして患者が一人もの、老人、健康状態が悪いものであるのだから・・・。
5・6年前、同じ症状が突発し、救急車では運びこまれた名古屋城外堀の名城病院では、入院だったから、すべておまかせ、病院のスケジュールで、そう、おまかせ状態だったから、独り者でも何ら支障なく進んだ・・・ただ金銭的なことだけだった。
・・・結果から言えば・・・二度目の検査、この8月6日だった、かのCT画像検査によれば何らかの兆候・発生は見当たらない“・・・という結果だ。ご担当のH先生には感謝とともに、ほっとした。そして少し元気が出た・・・。そう、ボクは臆病で身勝手・・・小心者の常・・・ええ、なんともさえないオトコです。
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===目次===
8/07  ・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/02  ・・・思い出話のいっとき・・・
8/09  ・・・京都へ・・・
8/10  ・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/16  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/17  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/18  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/27  ・・・独り男の束の間の心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/28  ・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・ 
8/29  ・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/30  ・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
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・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/07/Wed.(陰暦7月7日)
台風8号が運んでくる湿度の高い異常な猛暑は相変らずだが、昨日今日と夕空も日中の空も秋めいてきたように感じる(これは、ボクのいつもの早とちり・・・か)。
雨の季節が長引いて、7月の夏の日々があいまいになってしまったようだ。
そういえば、今年の夏は、入道雲を見かけなかった・・・とは、大げさなようだけど8月に入っては、雨雲・曇り雲・・・と、入道雲の気配はどこえやら、お天道さまは夏雲のことはすっかりお忘れのようだった・・・。
とにかく陰暦の夏は今日でお仕舞、明日は立秋だ。8月7日は、ほぼ一ヶ月遅れの陰暦では7月7日、本来の暦では、きょう今夜が七夕・・・今年は、日常的に使っている西洋暦。今日の万国共通暦(イスラム暦ではどうかしら?)では8月7日と、新旧暦の差はちょうどひと月の違い・・・。こういうのは結構珍しいと、過去数年の暦を取り出して、見比べている。
・・・牽牛と織女・・・この年に一度のカササギの仲立ちする“逢瀬の夜”・・・カササギが翼を並べ掛けて天の川にカササギの橋を架け渡すという・・・想像上の橋・・・そう「逢瀬に渡す鵲の橋」・・・この鵲・カササギは朝鮮半島では「カンチェギ」あるいは「カチ」というそうな・・・。台湾にもおり、日本の北九州にも生息が見られるとか。
まあ、ある程度この東シナ海の環状の国々は、何かと文化的なつながりが、あるようだ。
こうして七夕を祝うのも、暦を介して地理的な文化の確認となるのかしらと思う。ただ、台湾・中国・韓国では、この七夕行事の習慣はあるのかないのか知らないが・・・。
そんな東シナ海を介して環状につながりを成す国々の関係やそれぞれの国情が、内的外的な要因から、ゆれている・・・。
愛知トリエンナーレに出品された韓国からの「少女像」は、あの韓国にある二ホン大使館前の路上に設置され、問題になっているが、芸術的意味が本当にあるのかないのか、どんな評価から展示されたのか、詳しくは知らないが、この芸術祭で、新ためて突然に展示が為され、その撤去をもとめる名古屋市長と、表現の自由をいう愛知県知事との展示についての意見の違いがあらわになって、さらに、日韓の国情・国民の感情の行き違いが露になっているときでもあり、今後どのように結論が為されるのだろう。
ボクはこれ以降の展開は知らないけど・・・芸術性の有無は別として、こういう機会に、日本国内で、こうして展示公開され二ホン国民の一部ではあるけれども、そのつくられた意図と、背景にある日韓関係を、改めて衆目にさらし、その太平洋戦争時の両国の関係、戦争の原因や世界情勢について、中高生にも親子や級友で考える・・・という、きっかけになるのではと、思ってもみる。
とにかく詳しく知らないし、さらにこのトリエンナーレを見に出かけてもいないし、これからも行く気はないボクなのだけど、芸術祭という性格を重んじ、表現の自由とは、などと、自由と民主主義の論じられてきている日本の70余年ほど、過去と現在の違い、実情をも調べ“夏課題の一テーマ”として、中学生高校生の生徒たちが取り組むきっかけになるのも、関係者や学校の先生方の行動力指導力が働くか、あるいは働かずに、これを隠してしまう、撤去してしまう、あるいは無関心を装う、ほんとうに無関心・・・などと・・・というようなことにならなければよいがと・・・一瞬思ったのです・・・。
・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を、そして核兵器廃絶署名をしない日本の世界における地理的あるいは地勢的価値・存在価値はなどと、このことと、平和国家二ホンを考える季節の今・・・この時ではと、思った。
[追記]8月14日のニュースで、韓国が、たぶん、かの大統領ブンのご発案なのだろうか・・・“慰安婦をたたえる日”をつくろうという意見だかの発議が出たそうな・・・。
しかし、これなんぞ、理解の難しい発想だと・・・一瞬思った。そう、たたえられる慰安婦・・・とは、多分、ほとんどの日本人には理解できない、きわめて朝鮮半島の特異な思考回路だと思う。そう、毎年、たとえば、その”慰安婦をたたえる日“なるものを、韓国人は本当にわれとわが身に置き換え、かつての慰安婦たちの心情を汲み、例えば、娼婦として、”苦界“に身を置かなければならなかった”そのわけ“を本当に理解できるのだろうか。それとも、そんなわけなんかに関係なく、ただ、現在の日本政府や国民への”嫌がらせ“なのだろうか・・・。韓国の歴代さらに現政府の反日感情から、収束・解決できたかに見えた慰安婦問題を、あるいは徴用工の問題を含め、韓国の政治屋の都合のために、二度三度と衆人の前に連れ出し、さらし・さらし者にし・・・何を意図しているのだろう。
慰安婦という特殊な職-慰安婦(本当は娼婦ではなかったのか、この表現???そして、そこに日本や他の国の女性はいなかったのか・・・ヤリテババアに連れまわされた女性たち)にあった、かの女たちを”たたえる”とはどういうことか、例えば、怨念の実像として仕立てることを理解し肯定し、ともにその心の痛みに朝鮮人すべては向き合うのだろうか。そうとは思えない。そう、今でも韓ドラにその身分制度を恥じることなく披瀝し、曝しものする・・・日本にもそれを一時の生業にしなければならなかった人たち、その苦界に娘の身を落とさせしめなければならなかった家族とその犠牲となったムスメは在ったが、それは時代的な社会構造として致し方なかったし(多分日本人のすべては、そのように思い、かつ、そうしてこの問題には、それとなく口にせずというのか区切り?をつけてきた・・・それは臭いものには蓋をするというようなことではなく、記憶にはしっかりと留め顧みつつ心に、その負い目を強要しつつ、互いに“惻隠の情に覆いつつ”、それでも忘れることなく、“人間としての罪と恥”をそれぞれの心に宿し共有し置いている・・・日本国民・・・)、そんな時代は戦後しばらくまで続いた、そして、その社会構造は全世界の各国に古代から現代にまで続けてあったし、現在も公に、あるいは密かに存在するという国もあるらしい。
韓国でも歴史において、それは同じだろう・・・その苦界に身を投げなければならなかった“婦人・女性たちの事情”とその家族の事情をくみ取り、ともに嘆き悲しむのか、それとも、その婦人たちを引き連れて戦場の縁に常にあった”ヤリテババア“の罪をいつまでもあげつらうのだろうか・・・。そして、それを”買った“日本の兵たちを非難し続け、さらに日本国を呪うのだろうか・・・それとも、この”慰安婦をたたえる日“を韓国国民の中にも多くの割合で、これに批判的な人たちがいるに違いなく、本人の中にある”あえて口にしないでほしい・・・態度に著さない・・・顔に表さない”などという、いわゆる“惻隠の情“なるものは韓国人にはないのかしら?・・・あるいは大統領ブンは、素地として持ち合わせていないのだろうか?あるいは、韓国にはかつての階級意識が露に存在しているのだろうか???
そう、あれだけ口汚く日本国と日本国民を罵った彼・大統領は、そんな精神は“これっぽっちも持ち合わせてはいない”らしい・・・恥。
さらに、むやみにさらし者にしないという、惻隠の情を重んじる、いわゆる日本国と日本国民、これを罵ったつい先ごろのこと・・・聞くに堪えない、政治屋でさえもが口にすべきではない言辞を、大統領が口にするその国の国民の朝鮮人の“心・こころ・ココロ”に危ういものを感じる・・・。・・・それは、例えば、口を極めて“詰(なじ)っておいて,甘えて見せる”三文小説風の下劣な恋愛関係風あるいは男と苦界の女の話にも劣る、・・・後味の悪い読後感のような・・・それだろうか。
このように、今思うことを書いたが、ボクは中世までの朝鮮半島の歴史に興味は尽きないし、さらに古代、日本における飛鳥時代における半島の三国時代などの倭国とのかかわり、唐国などとのかかわりに、仏教伝来を介して興味を惹かれもする。5世紀〜7世紀・・・互いに、それぞれが国内的に激動の時期だった・・・その時代には百済を介して、その親密さは頂点にあったと思う、短い間だったが・・・。
とにかく僅か数十キロの海峡を挟み目と鼻の先にあるこの二つの民族が、過去の遺恨・怨念のみで、不仲になることは不幸なことだと思う。二ホンもチョウセン(南北朝鮮を包括して思う)もそれぞれを礼を以て迎えあった、わずかだが、この2010年代からこの2019年への年月と、2019年のつい数か月前までの、それぞれの国民が互いに親しくあったこと、これからも誠実に約束に従って親しく付き合っていきたいものだと思う。そう、仲よくしようよ・・・ね。
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・・・思い出に浸るこのいっとき・・・
8/08/Wed.
昨日は幾分過ごしよかったのに、そう、夕方、宵の・宵の口・・・昨日に続き秋の気配のする夕焼けの名残空・・・頭上の刷毛で刷(は)いたかのような薄い雲は何となく秋めいて、吹く微風も秋の気配を運んでくる。
そう、セミの鳴き声はかまびすしく、セミたちはここぞと鳴きかわしているのに。
・・・秋の虫は、昨夜のウオーキングでも聞かなかったが・・・毎年、原っぱの枯れ色が始まったころにやってくるアキアカネもまだだ・・・。
ただただ、8号9号10号と・・・次々発生する台風が切れ目なく・・・その運んでくる蒸し暑さは、この弱ってきている体にこたえる・・・。
今日は床屋さんへ・・・そこのマスターは・・・近年クマゼミが多くなったような気がする・・・アブラゼミに変わってクマゼミの声が大きくなった・・・子供の頃はクマゼミは珍しく、捕まえると、自慢げに友達に見せたものです・・・と、思い出を語る・・・。ボクは37年ほどか、マスターは30年ほど前にそれぞれ、ここ平和公園の西の縁と東の縁へ越してきたころは,その満天の星空に驚いたものだけど、最近は空を見上げることも少なくなって、世間が夜も明るくなって、星の数はまばらになって・・・と互いに、語りながら、昔と今を比べる・・・そう30年を昔と思うこのスピードと時間の過ぎ去るのが早いこの頃を、互いに感じながらの会話だ。
・・・そう言えば、このひと月の夕日の沈む時間と位置がずいぶん変わって、夏の始めの頃より1時間ほども速くなり、ずいぶん南へと日没が移って・・・などと。
・・・飛躍して・・・霜柱も近年踏むことも見かけることもなくなって・・・などと。そう、ボクは、七草摘みの田の畔や畑は姿を消し・・・今はCOP10の名残り”里山の家“とよぶビジターハウス、この平和公園の保存緑地となって・・・早朝に、七草摘み、霜柱を踏んで、ポチやアーサーと散歩に出かけたことを、ボクは懐かしく思い出す。
・・・そう、思い出に浸るこのいっとき・・・。
話をする・・・ええ、こんなことはほとんどなくなって、話下手が一層甚だしくなったボクです。
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・・・京都へ・・・
8/09/Thu.
久しぶりに京都へ・・・お盆がもうすぐ、挨拶というのか、お参りにと、突然でかけた・・・。猛烈な湿度と暑さ・・・蒸し暑い。車のエアコンも効き目がない。
恒例の“大谷祖廟・東大谷”へ・・・幸いに駐車場は出入がうまく回転して、待つほどもなく駐車できた。
大谷廟のその緩やかな石畳の上り坂、厳しい照り返し・・・たちまちふきだす汗で着衣はすべて“心がこもらない、出来の悪い水分の多い蒸しタオル”のようになって・・・石畳の参道はセミの鳴き声が埋め尽くしていたが、この参道はどの季節でも癒される・・・・。
今日は、その参道の両脇に、提灯を連ねて吊ってあった・・・そう、お盆の”万灯会“の準備が整ったようだ。
御廟へお参りの後、これも恒例の八坂神社へお参り,その後、漢字博物館へ寄り、駐車場へ戻った。そう、予報では最高気温38℃とのことだったが、湿度の高い京都の気温は、ことのほか居心地が悪い・・・昨今は“不快指数”という言葉を天気予報では言わなくなったようだが、もし予報にすれば、残念ながら“不快指数100”といったところか。
この京都特有の暑さを知ってか・・・観光客は数年前の風景に戻ったように減少。観光の人たちは減って・・・ことに韓国からの観光客は激減か・・・まばらに聞こえてくるのは中国語ばかり。
駐車場へ戻ったその後、車で帰路へ、最後に”辰巳稲荷“へ回り、その脇へ車を止めてお参りをし、早々に京都市内から抜け出し、サービスエリアで水分補給しつつ、僕も車も無事に帰宅となった・・・。
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・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/10/Sat.(旧暦の7月10日)
秋の虫が鳴きだした・・・星ヶ丘の工科高校の外構(フェンスの外の植栽のベルト部)、その緩い土手の並木、シマトネリコの根方・・・草むらからイカツク力強い鳴き声???なんという虫かわからないが、なんとも“ガサツ“な鳴き声が・・・宵のウオーキングの行きかえりに聞こえてくる。
そう、クツワムシかしら???ええ、そのやさしさの微塵もない鳴き声だが・・・確かに”秋の虫”なのだろう・・・その、土手に沿って、ずうと鳴きかわしていた。
そういえば、もう二月ほどになるのだろうか、土手の並木・・・7〜8mごとに植えられた背の高いシマトネリコは、夜目にも白く、アジサイほどの花房・・・その花房をいっぱいつけ、咲き誇っている。この花は、においはなく、花房は、花ビラの集合体ではなく、たぶん花を内包したガクの房なのだろうか・・・つまんでみると、カサカサして、花のやさしさはなく、その花?の寿命は長くもう2月ほどにもなるだろうか、咲き誇っている。
そういえば、公園のところどころにサルスベリ(百日紅)が咲き始め、キョウチクトウ(夾竹桃)もまれに咲いている。
殊にキョウチクトウは、名古屋市の中心部、その復興の場面、ことに南北十字に都市計画された、日本にはまれな100m道路のセンターベルトの植え込みとして、長年、市民に戦後の復興の記念的な存在だったが、今は次第に100m道路の再開発とともに姿を消しつつある。
それに加えて、カンナの花を思い出す・・・思い出すというのは、最近はこのカンナの花は少なくなって、かつて、その灼熱の日差しに焼かれ、ちじれた姿を遺すそれは、焼夷弾に曝された戦争の記憶とともに、生きとし生けるもののすがたを、その焼けちぢれた姿で代弁していた花だ。そう、ヒマワリもまた・・・。もちろんこの花のすがたも戦争の写真から得てボクの”戦争記憶“となったのだが・・・。
名古屋人には、これらの花は、一種の戦争・敗戦の記憶として、ここにとどまるものだ。
様々な夏の花たち、それは焼け跡の痕跡もおぼろにしか知らないボクのかすかな戦争の記憶の八月の花、そう八月の花たち・・・ボクはこれらの花を見ると、いつも終戦の花・・・焼け野原となった街に、転々とチヂレた姿で咲くこれらの花を想像する・・・ただこれはボクのかすかな記憶ともいえないほど希薄な戦争の実体験ではない感傷・思いだが・・・そう、幼くして終戦を記憶もないまま戦中を通り抜けてきたボクです。
たしかに、そんな年齢ではないから、実際に焼け野原の街を目にしたわけではない・・・ただ焼夷弾なのだろうか、あるいは電線のショウトの火花なのか、空を飛ぶ黒い破片、火災により起きた上昇気流が巻き上げた金属片や木材片が空中でのたうち回っていたのだろうか・・・その異様さ・・・断片的記憶・・・そして、その後の名古屋市の復興の実際の様とか・・・その後の映像、白黒のフィルムから映しだされた映像が、僕の疑似体験として、重要な記憶となっている。
戦争の実体験は名古屋空襲の断片であるが戦後の社会や街のあるいは田舎の祖母の家とその濃尾平野の地の果てのような田舎・・・そのサラリーマン(田舎の人は”給料とり“といった、その質素な日常)・・・土地の農業者は安定な生活だったように思い出せる、それ、・・・その田園風景の体験はボクの記憶にいろいろな形で、張り付き、時々それが頭をもたげる・・・疎開者としての一家であったボクら家族。
・・・そう、八月は日本と日本人にとって、鎮魂と悔恨の時なのだと思う。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/16/Fri.(旧暦の7月16日)
昨日は台風10号が行き過ぎ、日本海に出、さらに能登半島のはるか北の日本海上で温帯低気圧に勢力を落としたという。
それにしても15日から16日朝にかけて、猛烈な雨降り・・・。ベッド上で強い雨脚を聴いていると、寝付かれず、何度も起き上がって、電気もつけない暗闇の居間へと・・・。
それでもいつの間にか眠って、目が覚めれば、すでに朝8時、のどが痛くて、風邪薬を半袋分(パブロンの顆粒・・・その袋を半分に切り、いつでも使えるようにテープで封をしてある)飲んだのが効いたらしい・・・そう、ぐっすり。
夕方近くなってスーパーへ買い物に出た・・・帰り道、信号待ちをしていると、秋色をしていない”アキアカネ“が、数匹飛び交っているのを見ていた・・・。逆光のせいか、その姿は陰って、色が無く暗かった。
まあ、トンボもこうして過ぎ去った台風を知ってか、はやとちりの僕を元気づけるかのように、姿を見せてくれる。
今夜は、防犯パトロールへ・・・坂道がこの街の蒸し暑さを一層厳しくしているように感じられる。実は今夜は一瞬パトロールのことを失念し、いつもの集合場所を行き過ぎて、ボクのウオーキングコースへ踏み出して、500メートルほど行き過ぎ、ふと気づいて、もどった。そう、うっかり・・・もちろん集合時間の8時には悠々間にあった。
先月、ボクはお休みだったらしい・・・。というのは、直前に降った小雨が、今夜はお休みと・・・また、早とちりのボクを・・・騙したらしい・・・いやいや、これはボクが勝手に騙されたらしい。
・・・でも、このボクの休みが・・・ご参加の皆さんの心配を誘ったらしい・・・元気だろうか・・・と。
ええ、こうして参加を続けていることで、言葉にしなくても、少しずつだが参加する一人に僕も加えてもらっているらしい。・・・まあ、一昨年2017年の10月ころから参加・・・そうして今は頭数の一つに僕でさえ数えられる・・・。何の役にも立たないが、体調が許す限り、いましばらくは、できるだけ、参加しよう。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/17/Sat.(旧暦の7月17日)
台風が行き過ぎ、次の日の蒸し暑さも行きすぎ・・・今日は晴れ上がって、いつもの掃除も済ませた・・・。その後、歩道の落ち葉などを掃き掃除し、さらに車道の向こう側の縁の刈込の下、風に吹き飛ばされてきたらしい、三つ四つの紙カップやプラスチックボトルを拾いに向うへ渡って、ポリ袋へ入れていると・・・“・・・”アリガトウゴザイマース “と、おぼつかない言葉に・・・頭を上げると、ジョギング中らしい太っちょで背の高い外人が・・・僕も、思わず顔を上げ”こんにちわー“と・・・。
一瞬のことながら・・・知らないもの同士が“一つのある行為”を間に、一つの言葉で結び付けた。
・・・そう、実はボクは、老人(最近、この表現を、自分の代名詞のように、自然に使っている・・・かつては幾分恥ずかしくあったが、ここ一年ほどは・・・意図して使うようになった・・・そう、老いに体も心も“カラメトラワレタ”のだろう・・・ではあるが、バスや地下鉄で席が空いていれば座るが、僕より・・・老いた人・つらそうな人・・・が近くに来れば、必ず声をかけ席を譲るようにしている。これは若いころから心に決めて、実行している(席を譲る・・それは勇気のいる行為・一声なのだ)・・・ウオーキング中にも、時々つらそうに酸素ボンベを引いた老婦人と出会うが、大丈夫ですか・・・と・・・こんばんわー。また、小さな脇道と本道の激しい車の通交の脇にたたずむ車いす・・・車いすの中年の背広姿の男性・・・大丈夫ですか・・・と、また、ジョギングの女性たちにも”目礼”をする・・・返ってくることもあれば、ただ行き過ぎることもあるが・・・中にはいつごろからか、時の挨拶を一声二声と掛け合う婦人が五六人になった。中にはお勤め帰りの婦人や若い人とも自然と目礼をしている。女子高生たちもいる・・・。ただし、ボクは、すれ違いや追い越しには、歩道上の設定された自転車道に進路を取って植え込みを間にするようにしている・・・そう、できるだけ・・・いつ何時、悪意ある“わな”が、人の心の底意にわくかもしれないから・・・すれ違いには、気を遣う。
・・・ボクはずいぶん昔から懐中電灯(フラッシュライト)を点けて握っているが、ここ数年キャップライトや首掛けライト、腰ベルトライト、腹ベルトライトなどと、さまざまに明かりをつけたジョギングやウオーキングの人たちがだんだん増えてきた。中には幼児のようにライトのつくスニーカーを履いた若者も現れてきた。
それから、スニーカーの色も、かつて僕が・・・・青と黄色のコンビネーション・黄色・オレンジの蛍光色・オレンジ・赤・濃い赤色・・・と次々に、踵がすり減るたびに履き替えてきた、カラーのスニーカーも男性にも履かれるようになった。
そう、独身時代から続けている、何十年というウオーキング・・・いや、これは徘徊???かもしれないが・・・自分なりに楽しんで暗闇でも目立つようにしてきた効果が広がった様に思う。
目立つこと、それは、他者が僕という何十年も前は僕も若かったが、老いた今も、この老人を確認して避けてくれること、特に後ろを照らすこと、自転車乗りへの警告が最も目的だが、この効果はポケットパークのある鈍角を巻くようにした信号のある交差点で一度見落とされ、同じ青信号で同時に進みだし・・・といっても鈍角交差点だから歩行者信号のボクは同方向へ先行して進み、車はボクの後ろになって、歩行者に気付けばいったん停車しなければならない・・・で、女は止まらず,僕をハネタ・・・そう、女の運転する車に右後ろからはねられた・・・バンパーに突き上げられ、ボンネットにはね上げられ、頭はフロントガラスに激突…冠っていた、毛色の章ちゃん帽の毛糸の網目の重なりがクッションになって助かったが、車の左側へ宙に舞いながら、たたきつけられた・・・、これは、運転手が、携帯を見ながら運転していたのが原因らしい。このころも、ボクは”フリッカー“を手首につけ、足首には、反射ベルトを巻き付け、前後左右から見えるようにしていたが、その運転手は、前を見ておらず、鈍角の左回りに進んできて、青になって同時に進みだし、先行する位置にあったボクから目をそらしていたらしい。
整形外科へ半年ほど通う羽目になったが、大事に至らず、今もこうして徘徊ならぬ、ウオーキングを続けている。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/19/Mon.(旧暦の7月19日)
世の中はお盆休みが終わって走り出したのだろう・・・が、それにしても静かだ。
会社では今日は、長かった夏休みが明け、まず朝いちばんは会議なのだろう・・・そのうちに営業車が走り出し、日常が戻ってくるのだろう・・・ただ、今年の熱暑は居座って、相変わらず”油日照り“が続いている・・・しかし、世の中は様々だから、この夏休みらしい、休暇も休むことなく働き続けた人たちが大勢だろうか。
空は、白っぽく霞がかり、空気は湿度が高い・・・が、強い日差しがない分、昨日までの暑さが幾分和らいでいるようだ。

しかし、ボクの頭にも霞が掛かっているようだ。
・・・毎年思うことだけど、このお盆休暇・・・そう、6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、そして、15日の敗戦忌と・・・これと重なるようにある旧暦盂蘭盆会・・・、なんと太平洋戦争の敗戦を“敗戦の日”をここに決めた一部の官僚のすごさ・元公家らのしたたかさ・・・国民すべてが、戦争の無残さを認め、戦争を引き起こした事実に心を打ちひしがれ、戦争忌避を心から誓った・・・しかし、この個々の人の戦争忌避の思いは薄れていき、今は無関心、政府が押し進める軍備強化・軍拡・・・米国への隷属の深まり、独立国である日本の国民に、本当の独立を教えてこなかった政府の教育への姿勢に疑問を呈するでもない愚かさ・・・政治屋どもの目先しか見つめない“腐った目”と“追従に明け暮れ、”生活を議員報酬に依存する根性に恥もせずある“老化した心”の者ども・陣笠議員・頭数”・・・。こう書きながらもボクは米国が好きだ、ただ、現在のトランプには、平和への指向が希薄におもえ、嫌いだ・・・トランプはその先祖が、やはり移民であったことを忘れさっている・・・この横柄さ。
二ホン国は、世界へ原爆・核兵器の卑劣さと無残さとを身をもって知らしめたはずなのに・・・自らが、核兵器拡散条約に署名しない極め付きの愚かさ・・・恥を知らない二ホン総理大臣と取り巻きの政治屋ども・・・それを、許してしまう腐った国民の愚かさ・・・。

平和ボケ・今さえよければ国の未来なんぞどうでもいい・・・さも給料が増えたかのような錯覚と幻想に満足してしまう・・・この物価上昇を、スーパーマーケットへ買い物に行くたびに、不快になる値札の値、それに、同じ値ながら、数が減ったパック物の食品やモノ・・・軽く小さくなったパックを実感しながら、セルフレジとなった、無味乾燥な支払いの時間に一層むなしさを増幅させつつも、やり場のなさに、ついつい黙してしまう・・・この、国民・・・飼いならされた、愚かな国民性かしら・・・。
また、東京が首都圏が・・・お上りの田舎者で膨らみに膨らんで・・・“・・・”トキオ・トウキョウ・とうきょう・東京”と、その声の響きにあこがれてしまう田舎者のうごめく首都圏。超高層マンションの林立、海岸線・海面の近さに気づき恐怖を持つことを忘れている・・・それ。11・3・11のような大地震と大津波が押し寄せてくればひとたまりもないトキオの脆さ。
そして、そこでのサラリーマン生活に、居酒屋文化という超庶民文化・究極の田舎文化・・・ガード下に育った宿場文化の猥雑さの残照・・・の中に自らがあることに気づきもしないド田舎者、トキオ者たち。
それこそ、マスコミもマスコミ人らも、結局はド田舎者なることに気づくことなく、そう、TV画面に現れる、アンカーやコメンテータ・・・その人のはかない繋がりに縋りつくようにムラガリそして掴まり・・・自己を失っていき・・・埋没していることに気づくことなくある、それ。
そこへ彼ら自らが持ち込んだ、運び込んだ村八分根性が、そう、村八分になることを畏れる根性の堕落。
笑ってしまう、超高層マンションの値、とんでもない価格が平然とのし歩く、その感覚が虚しい・・・ビュウ・ヴィスタの良否によるという究極の愚かさ・・・富士山が見えるから、東京タワーが見えるから・・・そんなものは、田舎へ帰ればもっと素晴らしいビュウ・ヴィスタがワンサカと存在することに気づく心・肝もない・・・結局は、トキオ・東京は首都圏は・・・田舎者の渦巻く文化しか育たない・・・それ。それを東京文化という心の貧相さ・・・だが、その根底は、しぶとく図太く騒がしい・・・その湿り気の一片も持たない精神性の愚かさ・・・トキオ。
その根底にあるのか、押し寄せ定住したずうううーと過去の田舎者と、戦後の経済成長で押し寄せた田舎者・・・これらのが重層してなしたトキオ文化は、結局の節度を持たない田舎文化なのだと思う。
其の田舎者の醸し出す”カオス・混沌“が、さも都市だとするその浅い感覚・・これに対して「この部屋にはコオロギがいるのに/なぜコオロギの話をしないのか/この部屋の人たちはみな女の話しばかりする・・・」と、・・・村上昭夫が書き残したそれ、この人の存在を、この人の心の存在をボクは忘れまい・・・。
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・・・独り男の束の間の幸福な心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/27/Tue.(旧暦の7月27日)
ぶり返した猛暑の二日間・・・そう24日と25日・・・日本は、いや名古屋はただ一都、突出して36℃を報じられる・・・。そう、名古屋・尾張地方は内陸性気候・・・京都や奈良のように・・・冬寒く夏暑い・・・。そう言えば、岐阜の美濃地方・・・多治見や土岐も同様だ。
何とも耐えがたい暑さ・・・お天道様、何とかしていただけないでしょうか・・・と、心に思ったものだ。
ところが、きょう26日・月曜日は一転して晴れ、空には霞が掛かったように、刷毛ではいたような薄雲が、その間に間に薄青色の空が広がってあった・・・。
あの絶食と、下剤食の日々にげっそりと体力気力を失った7月末から8月中頃までの日々。
幾月ぶりかの映画へ・・・「グリーンライフ」・・・二人の男・白人の雇われ運転手と黒人のピアニスト・・・その教養人を装った南部の金持ちたちに招かれて赴く黒人ピアニスト・・・その演奏会に連れて移り行く南部の風景と小さな町と・・・黒人蔑視の風土・・・そこ、アメリカ南部、まだ色濃く残る南部の精神・・・それを行く二人のロード・ムービー・・・なかなかいい映画だった・・・。そう、アメリカ南部に残る、いやアメリカ社会に残り続ける・・・白人優位主義・黒人蔑視・マイノリティ蔑視の社会/JFKが大統領だった、そしてジョンソンが繋いだベトナム戦争,ニクソンへと・・・このころのアメリカ・・・混沌・・・そんな世情の中、この白人と黒人が、いつの間にか旅の中で、互いに影響しあう、人として互いを見つめあう・・・二人だけの自動車で行くハイウエーや田舎町・・・そう、大きなアメリカ車の旅、その時代の代表的風景・・・そのたどっていく田舎町での黒人蔑視に、目覚め抵抗し黒人のピアニストに共感していく粗野な白人オトコ・・・その家庭にある、留守にした男の妻の心根・・・夫と子供への平凡な暖かな包容力・・・アーチストで名声もある金持ちでありながら独り者の黒人の哀しい諦念の心が、忍従諦念から目覚めていく、白人オトコも目覚めていく・・・その心模様を見事でありながら普段着の画面で描く・・・。
・・・ボクは映画館から帰りのバス停へ、そのバスを待つ間・・・その幸福感で、効き過ぎの冷房で冷え切ったボクの体を、暑さが和らいで空気が適度な湿度に包まれたバス停の10分間ほど・・・ボクは暖かくさわやかな空気に包まれて、体温が回復していく心地よさを全身で感じながら・・・バス停の鉄柵に腰を当てながら・・・目の前、南方向の逆T字路の坂道とその空に、心地よく目と心を泳がせていたのだった・・・それは独り男の束の間の幸福な短い時間だったが心地よい幸せを感じていた・・・ボクでした。
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・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・
8/28/Wed.(旧暦の7月28日)
このコンピュータの調子が悪い・・・というより、ホームページがうまく開かず、記事の訂正ができなかったり、投稿もできなかったりと、ボクは散々だ。ときどき、ホームページの改変をすすめる電話が入る。常に断ってはいるが、何かの侵入があったのかもしれない・・・なんて、懐疑的にもなる。
今日は一日中雨降りだ・・・そう、静かな雨降り。ただ、下の車道から、雨を跳ね返す、轍の音が上がってくる。急に秋になったかかの様な気温の下がり方。ありがたいが、まもなく寒さとの闘いの日々がやってくるかと思うと、このつかの間の涼しさがありがたくおもえる。
ボクは自分勝手で、わがままで、カタクナで、人付き合いはなく、寂しがり屋で、孤独だ、と思い込んでいる。亡くなった連れ・・・合いも同じような人だった。なかなか、日常は大変だったが、いろいろな思い出・・・いいことも悪いことも腹の立つことも、さまざまだけど、どの思い出も懐かしい・・・。
こうして、季節の移り変わりになると、ことに”思い出“がよみがえってくる・・・。秋とは、心の隙間・空・・・かしらとも思える。そう、心の隙間に、ふっと吹き込む風・・・か。文学の秋ともいう。今年は体調がすぐれず、計画だけで、止まっている”テーマ“があるが、この様子では再開は難しいかもしれない。
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・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/29/Thu (旧暦の7月29日)
ツクツクホウシが鳴きかわす・・・昨日は雨模様だったが、そんな中でもカマビスシイ。
アブラゼミの鳴き声はほとんど聞こえなかった夏・・・すでに夜は秋の虫が草むらに鳴く。
7時に目覚めたとたん、今日の気温の上昇を肌で感じた。天気予報は34℃になるだろうと、名古屋を名指しする。やはり突出した高温らしい、この地方・・・。
お昼には室温は35℃、この様子では午後がもっと上昇するか。
内科医へ月に一回ごとの今月の受診に、大腸の検査のお礼と耳鼻咽喉科を受診しいたことを報告しておいた。
ぼろぼろの体、それに精神も草臥れ切っている・・・ホント。
草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・そう、旅人がクタビレきって、とうとう一里塚の木陰の草に倒れ伏し眠りについたか・・・これはまだ幸運なことかもしれない・・・一里塚と一里塚の間、その道端の草むらや土手や林へ転げ落ちれば、だれの目にもつかず、助かる命も助からないかも、・・・眠りならまだしも・・・そのまま息を引き取るということさえ現実に考えられる。
回復するといいのだが、それとも行き交う旅人が声をかけ、腰の竹筒から手のひらに受けた水を飲ませてくれるか・・・旅は道連れというけれど・・・世間はそんなに甘くはない・・・声を掛けるものもほとんどないだろうに・・・。行き倒れ・・・そんな光景が目に浮かぶ。行き倒れ(ゆきだおれ・行倒者)・・・
・・・唐突で親し気な道連れ・・・そんなのは信用できない・・・懐と着物の下、胴に巻きこんだ胴巻きを狙っての親し気な声掛けなのではないか・・・。ゴマの蠅も・・・うさん臭くうるさく付きまとう・・・悪意を持った駕籠かきや馬子・・・そやつ等・・・(そんな者ばかりではないのがほとんどだろうが・・・)。宿場に巣くうやくざ者、裏で手を組んだやくざと十手持ち、宿場代官や郡奉行・・・そこいらの人相の悪い奴ら・・・ここには、旅をするものが増えたことが大きな要因なのだろう・・・昔のTVの時代劇・・・カツシンの・・・あれっ、ドラマの名が浮かばない・・・うううっ・・・。
人生、いつ何時、こんなよそ事みたいなことが、それぞれの身に起きないとは言い切れない。
災害時の避難にもこんなことは起きうる・・・かもね。
・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・この内容は、以前にも書いたような気がしているが・・・まあ、いいだろう、何度でも・・・。
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・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
8/30/Fri (旧暦の8月30日)
ツクツクホウシが雨降りの中にも聞こえる。
昨夜からの雨降りが、緩急ないまぜになって吹きまくる。強い雨脚と強い風・・・。
幸い、まだ夏休みのうち、今日は登校とは関係なく、生徒たちも“家ごもり?”かしら・・・。
せっかくだから、しっかり宿題をやり終えてしまおう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今月8月はこれで・・・。体調の芳しくないことばかり・・・を告白・・・お許しください。でも、これが現実。
・・・とにかく独り暮らしは厳しい・・・ほんと、心の休まるときがない。
・・・でも。来月、9月も再見!
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HITBIT 心もよう vol-113 July 2019

HITBIT[心もよう]vol-113 July 2019
昨日は劇的とでも表したいニュースがあった。G20に出席したトランプが、韓国と北朝鮮との軍事境界線、その板門店へ立ち寄り、その休戦ラインを挟み、キムジョンウンと再会、さらにその軍事境界線を越えて北朝鮮側へ導かれ、1分少々の間そこで二人はポーズをとった、さらに二人は軍事境界線へもどり二人連れ立って韓国側へ越え、韓国の用意した、会談場所へはいり二人で1時間ほどの会談をしたという。
・・・そう、行きがけの駄賃ならぬ、帰りの手土産をトランプは得たのだ。もちろんキムジョンウンも世界のメディアに、その存在を改めてアピールし、今後の行動への期待を抱かせるのに成功したのだ。
・・・一方、日本首相アベは、この会議に先立って、イラン訪問をした。何を話し合ったのかは、わからないが、その滞在中だったか帰国の途だったかに、ホルムズ海峡で、日本への原油を積んだタンカーが、何者かの攻撃を受け、世界の多くはイランの犯行といい、あるいは展開中の米国の仕業という・・・。
もう一つ、米軍の無人偵察機がイラン軍に撃墜され、それが公海上かイラン領内かと、これもどちらが確かなのか・・・。
とにかく、日本首相のイラン訪問に際して,これ見よがしの、いさかい?が、引き起こされ、平和の使者?としての体面をあざ笑うかのような、米国とイランの対応だ。
・・・いうなれば、大阪でのG20とは何だったのか。
日本首相アベが議長を務め、世界の首脳へ、日本的な、そつのない”おもてなし”をしたのであろうが、会議の結果は、いわば”シャンシャン“で終わり、今日以降の世界へ数日前の世界経済の状況と何ら変わらない、方向しか示し得なかった。日本首相もせっかく米中ロの現最高権力者と個別に会談を持ちながら、何が残せたのだろうか。国民にはさっぱりわからない20か国会議だった。
すなわち、そつのないおもてなし・・・は、脆くも実(じつ)を成さず、足の裏に画びょうが刺さったかのような、落ち着かない雰囲気の中での会合だった。
・・・このことよりも、この会議G20大阪を狙ったかのような、米国の日本政府と日本国民へのメッセージともいえる“日米安保条約は不公平・不平等?条約”だとの背後にある世論、米国民の声を伴った、日本への不満が、この時期に突然出された。
そしてまた、帰りがけの駄賃に日本から引っ剥がしたかのような、北朝鮮キムとのトランプの再会ドラマ・・・、こうしてみると、日本の首相は、議長国でありながら、それらしい活躍はなく、あの真紅のスーツをまとったイギリスのメイ首相の寂しげな雰囲気、その存在感が控えめであった退陣が決まった英国首相の姿とともに、ここにあって、存在を示せなかった日本のアベの近い将来の姿を暗示するようなそんな印象を日本国民へ与えた。そのメイに対して、アベは怠りなく労わりを態度で示した、それが、最も印象的だった。あえて真紅のスーツを召したメイさん、そしてやや控えめな位置に立ち、あるいは椅子に座った姿は、静かで、権力を失う意味がメイ氏のすべてだった・・・その退陣の重みに耐えているかのようだった。
また、ドイツのメルケル首相の覇気が無くなり静かな姿も印象的だった・・・。
そう、去りゆく者のすがたは寂しく、その何げなさが、心を打つ・・・ご苦労様でした・・・これまでのこの力強く的確な思考のお二方・・・。 
それにしても、アメリカのトランプのなすこと、それは”やすり・鑢”のように、押し引く、その両方の行き来に滞りなく仕事をする・・・それを言うのだが、その“やすり”のように、トランプは、寸暇を惜しみ、優秀な?いや、凄腕ビジネスマンらしく、その仕事ぶりを世界の首脳に示した。・・・これは中ロのシュウとプーチンへも衝撃的であったろう。
一番悔しい思いをしたのは、やはり、日本のアベだったのだろうか。トランプの行動は、G20の会議なんぞ眼中になく、帰り道に寄る板門店へ心はあったのだろう。
個別に貿易交渉を主張するトランプにとって、G7であろうとG20であろうと、その会議の議決に従う気持ちはさらさらないに違いない。
・・・板門店でのトランプとキムの再会演出を、知っていたのか聞いていたのか突然のことだったのか・・・とにかくアベは、”それはないよ、トランプ”と、心の中につぶやいたのだろうか。
そう、ボクは、かねてから、アベが早く直接キムを訪問すべきだといってきた、すなわち自国の抱える問題の解決をトランプに託しキムに伝えてほしいと懇願する・・・それは、従属的国辱的な光景だ。それを、ここでトランプは、これ見よがしに、日本へ侮蔑を込めて、見せ、さらに世界へ示したのだ・・・。それは、心の中の憤懣やるかたなさ・・・その、怒りを、これ見よがしなキムとの再会で世界へ示した。
・・・何の遺恨があるのか、たぶん貿易不均衡と、日米安保条約の負担割合、さらに、この条約を破棄し、日本に自国の防衛を促したいのだろう。すなわち世界の中での軍事的役割に日本を引き込み、その金銭的負担と軍事的行動と人的負担すなわち戦死者・・・それを日本に求めた意図の行動だった。
・・・すなわち、アベの弱腰、甘え、おべっか、方向性を持たない、行き当たりばったりな電話コミニュケション、未来への自国のあるべき姿へのビジョンの無さ・・・などなど、と、かつての真珠湾攻撃にまでトランプは遡って、日本の不実をなじったのだ。
そのアベの思い付き外交、突然、G20の大阪での開催に先立って新たなそう、新品、新車、新機・・・とでもいう政府専用機に乗って欧州各国への訪問外交・・・新婚旅行?かと思うような・・・これなんぞ、茶番劇。それらに各国は迷惑なことだったろう・・・。(この政府専用機・・・車で言えば新車・・・TVF画面への写りこみを懸念してあのように、全体像があまり画面へ出てこない?・・・マスコミに要望でも出したかのような印象・・・印象を与えているということ・・・これ、国民のひがみ目かしら・・・)
そう、G20 への地ならしかしら、でもその一画、英国は混迷を深め、女首相メイはEUからの離脱を国民選挙で決めたはいいが、そのEUとの離脱条件と今後の付き合い方の交渉は、混迷を深め、その合意を得られないまま此処まで来てしまった。
また独国の女首相メルケルの任期終了の退陣も決まっているし、フランスはまた国内的な課題を抱え人気の下落したマカロンならぬマクロンは行き先に不安を抱え持っている。イタリアは経済的な不安と中国の言う一帯一路へ加わるとかで、EU間の不信をかっている。
そう、日本の周りは、ボクの好きな古代中国とは似ても似つかぬ近代現代の中華人民共和国その共産党を率い独裁者となったシュウの共産主義国(これははっきり言えば、共産党統治国家・・・党利党略政治の範たるもの・・・)やら、訳の分からない韓国ブンだかムンだかの怨念丸出しの眼差しと言葉の日本への対応は不快極まるし、ロシアの崩れ共産主義者・帝国ロシアへ憧れ俳優・・・が、赤絨毯を歩む独裁者プーチンとその子分メドベーエフたちのコロコロ替わる日本への対応の汚さ。そして、自分勝手・自分至上主義のトランプ、とその面々は、計り知れない計算力と洞察力で、日本の存在を“好餌である”と舌なめずりしつつ、この二ホンの国民と国土を、参加するG20への参加に先だって地球儀を回しつつ、計算したに違いない。
その彼らに、トランプに組しつつ尻馬に乗って日本国民を窮地に追い込むことになりそうな、お追従外交・・・そう、もう日本の立場は小手先だけでは、口先だけでは、どうにもならなくなってきた・・・ここで腹をくくってビジョンを示せ・・・といっても無理だろうが・・・トランプのアメリカを見据えた、愚かな憲法改正はするな、日本独立、本当の独立、世界に互する独立を・・・そう、それは『永世中立国』しかない・・・それを目指した憲法改正ならボクは大賛成だ。この永世中立国はお追従国とは違った苦しみがあろう、しかし、本当の独立国となること・・・国民の悲願でもある・・・それによって国家の立場が危うくなっても、よしんば、八つ裂きにされようと、本当の独立国家としての日本でありたい。
・・・そう、このトランプとキムとの板門店での再会劇によって、日本首相といっているアベの北朝鮮訪問は”二番煎じの出しガラ外交”となることになってしまった・・・というのか、なってしまうのだろう、残念ながら。
アベよ、もうこのトランプの手は使えない、さあ、どうする。
あえて恥を承知で“やってみるか”・・・そんな勇気はなかろう。そしてよしんばやってみたとて、これも何かわけのわからない“しっぺがえし”をかまされる。
・・・日本は、根本的に国家ビジョンを欠いている・・・それは、岸信介外交以来の米国追従姿勢が、今日まで連綿と続いていることを意味する。
しかも、このアベ外交?・・・すでに、お追従外交で世界に知れワタッテいる・・・。あの米国の先の大統領選挙に、結果が分かってから、勝ち馬・トランプの尻に乗ったアベ・・・これは笑い者、喜劇にもならない、恥だった。・・・それを即刻承知の介・・・トランプは、だまされた振りをして、トランプタワーへアベを迎え入れ、マイアミだったか、あの別荘へ招待し、親密さを示し、世界へアピールした・・・。ここで、世界はあっと驚き、失笑と苦笑と蔑笑(こんな熟語はないのか・・僕の造語)・・・。そして、のこのこ主要国へ”ご挨拶に”・・・そう、相手方は、どんな気持ちで迎え、親密度を装ったのだろうか・・・。そう、蔑視の視線を隠すのに苦労した、訪問先の首脳ら・・・。
そう、国民は疲れる。日本首相のろくでもない訪問に付き合う・・・このこと。
しかし、外務省の官僚は総理大臣に外交の助言を的確に補佐・助言をしているのだろうか・・・いや、助言なんぞしても、アベが聞く耳を持たないのかも・・・いずれにしても、無能な官僚と、もしかして、同様の総理かもしれない・・・そう、この国の進む、羅針盤が狂っているのかも・・・いや、壊れているのかも・・・では壊しているのは果たして誰なのか?・・・それは、何も考えないでいる”日本国民“自身かもね。
G20の真っ最中、さらにホルムズ海峡へタンカーを守るために、有志連合の軍隊・艦船を送って、守らせようと、アメリカ・トランプは呼びかけている。
もし日本が、この有志連合とやらへ加わったなら、イランとの、またイラクをも含めた、このガルフ諸国との関係はどのようになるのか・・・日本・アベは、どのように考えているのだろう・・・憲法改悪をもくろむその心の中では、これまた、何を企んでいるのか・・・その腹の中をのぞき観たいものだ。
そう、これ、アメリカのトランプのいう”有志連合“・・・これは”股裂きの刑”・・・そのものだ。だかららこそ、不参加の意思をハッキリと示さなければならない。
この窮地、これは幸いなことだ・・・ここで日本が決意を示す。
・・・不可能と思われようが、本当に笑われようが、この緑の国土と温和な国民の存在を忘れたかのような、現自民党の政治思考と伍する公明党は危険だ・・・彼ら、その指向はさみしく、先が見えない。
・・・そして、この焦りと恥を・・・アベは、野党に向け敵対的に絶叫し詰(なじ)る・・・。その姿は、あさましくもあり寂しくもある。
・・・さて、ボクは・・・今は参院選の戦いの最中だけど、投票に行こうかどうするか・・・すべてが,中途半端・・・期待が持てない面々・・・どうしよう・・・。
それに、日銀のクロダ・・・これは、お追従者・・・”景気は緩やかに回復しつつある・・・(長年の枕詞の張本人)“・・・この曖昧極まる表現・この汚さ・・・この何年も続く表現を、国民はだれも信用していない・・・許してなんかいない。
官僚をがんじがらめにし、さらに日銀を手玉に取るアベ。
・・・アベと結託し、忖度し・・・日銀の独立性を・・・捨て去ったクロダ・・・この表現のばかばかしさ・・・これこそ、二ホンの政治の薄汚さだ・・・。
アベは、プーチンやトランプの独裁者思考へ・・・そう、そのマネを、気づかず、試行しているのかもしれない・・・いや、現実化しているのかも・・・愚かで危険な方向性。
・・・これは7月1日に書き2日、さらに16日と30日に加筆・修正しました。
・・・お元気で・・・日本国民よ・・・再見!!! 
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===目次===
7/01  ・・・五月雨しきり・・・
7/02  ・・・半夏生・雨間の外出・・・
7/03  ・・・「もうやい」・・・
7/04  ・・・公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・
7/08  ・・・夏草茂る・・・
7/09  ・・・気になる雨間・・・
7/11  ・・・心ときめく懐かしい思い出だ・・・
7/16  ・・・ここへきて、感じる・・・孤独感・・・
7/17  ・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
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・・・五月雨しきり・・・
7/01/Mon.
今年も半年過ぎてしまった。今日はその後、下半期の始め。
五月雨しきり、九州鹿児島では猛烈な雨量。そして、河川の氾濫と山肌が崩壊し麓の民家や国道を押しつぶす。
かつて、こうした、猛烈な雨の降り方を、集中豪雨といった。“集中豪雨”あるいは“局地的豪雨”という現象は現在もあるのだろうけど、あらたに“線状(帯状)降雨帯”というらしい。
猛烈な降雨を生す雲が同じ地域に接した海上に発生しつつ、ほぼ東へ向かって、そう地球の自転に引きずられるようにして、次々と東へと移動しつつ、続けて、次々と強烈な雨雲を発生し、その猛烈な雨降りをもたらす雲の発生を供給し続けるらしい。それはあたかも荒波の波頭のように線状に連なって強烈な降雨を次々と残していくらしい。
暖かい海に囲まれた細長い国土の宿命ともいえよう、雨の国・・・これは、熱帯と温帯、峻険な山脈状の裾に密集する人口・・・その狭い平地の上は急な山肌、そして一方は川か海・・・我々は逃げ場がない。・・・そう、例えば、100/hの降雨・・・いうなれば、その線状体の 下の地域全体に溜まる水は「100弌Α10僉廚砲發覆襪箸いΔ海函△修譴平坦地でいえば10僂凌爾気箸覆襦斜面ではそのV字状の底・谷へ向かって一気に流れ落ちる・・・激流・・・こうして、僕の弱い頭で考えても、瞬く間にボクの立っているV字の底は、膝、腰、胸・・・首を超え体は浮きその成す激流に、一季に飲み込まれ・・・溺れ流される。
・・・かつては、現在の気候よりも、幾分穏やかだった・・・そう荒れるときはもちろん台風や豪雨灯現象に怯え、それが為す災害に怯え心を痛めた。・・・それが現在は、季節構わず絶えず生活に襲い掛かってくる・・・集中豪雨。
・・・先日、公園のアジサイ花壇の毒々しい新型アジサイの観たくもない風景からやや離れた木陰に、球型に満開となった薄紫のアジサイを一本・一輪見つけた・・・立ち止まって見つめた。なぜか、なつかしさと愛しさが一気にやってきて、ウオーキングの足を止めた。僕が去って同じように数人が次々と、その一輪の薄紫のアジサイに足を止め、見入っていた・・・。誰もがこの薄紫のアジサイが懐かしいのだ。
・・・公園の花壇は、いつごろからか、毒々しい色合いのアジサイらしからぬアジサイに変わってしまって・・・心を癒してくれるどころか、この僕を疲れさせる。この感覚はだれもが感じることだろうに・・・。
それに今年のように遅れてやってきた五月雨だが、それでも地域ごとに、穏やかにしとしとと降る雨模様の日もある。その雨降り風景に似合うアジサイはガクアジサイとこのシーボルトが言ったオタクサ(お滝さん)・アジサイの丸い薄紫が似合う。そう、シーボルトは、日本女性の愛人だか日本妻に、日本女性のすがたや心根に触れ、この地でアジサイに出会った・・・諜報機関員・医師でもありプラントハンターでもあった彼は、その見出した・出会ったアジサイを採取し本国オランダ(本当はドイツ人、医師・植物学者として、彼はオランダの商館員として日本へやってきた)へ持ち帰り・・・そして、帰国に際し残してきた日本女性・お滝・・・その名、呼び名・おたきさん・・・オタクサン・・・としか発音できなかったが、その愛する日本女性の名を本国オランダで花の名とした。・・・そう、オタクサ、なんとこの日本のアジサイにまつわるしっとりとした良き話だろう。・・・残された、お滝の悲しみは別として・・・。
・・・さあ、公園を管理する市の方々、植木屋さんと協議して、現在の異常な風景の新種アジサイ?をやめませんか。新種の不気味な偽アジサイの寄せ植えなんぞ、日本の庭園・公園の風景にはなじまない、ましてやこの五月雨の時期に雨が降らなくなった昨今、偽アジサイは不気味な存在でしかない、また花の終わった後の枯れ姿は、さらに無残で見苦しくもある・・・点々と木陰にしっとりと咲く日本古来のアジサイをところどころ木陰に植えこんで、ひそやかにささやかに咲かせましょう・・・そう、寄せ植え花壇のアジサイは廃止し、他の背の低い菊や洋花にでも、来シーズンから変えてはどうですか・・・。
街路樹の枝打ちや、桜の古木の維持・枝打ち・・・それらに見られる、名古屋市の公園や緑地課はセンスも技術もない・・・そう、ナンセンスな名古屋市ですから、こうして期待を書いても、裏切られることではあるでしょうが・・・でも、せっかく予算を使うのですから、少し研鑽を積んで、すなわち、職業上のセンスを磨き勉強し、美しい街づくりに邁進してください。いつまでもド素人のままでは、給料泥棒と同じになってしまいます・・・お願いします。
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・・・半夏生・雨間の外出・・・・・・
7/02/Tue.
気温が少し上がって、弱い日差しもある名古屋、中心部へ所用があって出かけた。
案内状をいただいて、個展を見に出かけたのだ・・・。
地下街は冷房が効いていて、快適だが、路上を行く人達は半そで姿、勤め人らしい半袖姿の人たちは首回りを小さなタオルで汗をぬぐいつつ行く・・・。ボクはなぜか汗が出ない・・・そう、行先でその話をすると・・・水分をしっかりとりなさいと、たしなめられ、それでそこを出てから、あわてて水分補給・・・ええ、のどがカラカラ、唇はパリパリ・・・でした。
名古屋は五月雨が一休みというのか、降る雨も大雨ではなくなって細々と降る・・・昔のしとしと雨、梅雨の雨らしい雰囲気が時々見られ、それ以外は曇りがちの日々。夕方や夜のそんな雨降りは、アスファルトの車道を光らせLEDの街路灯の鈍色の光を反射してシットリ。
先日書いた、アジサイは家の付近ではまれになって、木陰の一輪に季節を見る。かつては、この季節にはガクアジサイも幾株も見られた。
そうそう、今日は半夏生(はんげしょう)・・・ラジオは福井の半夏生・・・その、サバの丸焼きの話を伝えている・・・脂ののったサバの丸焼き・・・昔、数十年前、道の駅のようなところで、連れ合いと一匹を持て余し気味に食べたことを思い出した。確かに、太く太って、おいしく、焼き立てはおいしかった・・・そのこと。
本格的な夏に供えて、体力をつける・・・そんな、サバの丸焼きを、領主の殿様は、領民に薦めたとか・・・優しいお殿様、行き届いたおとのさま。その名残が、今に残る焼きサバなのでしょうか・・・?
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・・・「もうやい」・・・
7/03/Wed.
朝方、陽がニカニカとさした・・・この”ニカニカ“は、いっとき、弱弱しい日差しが雲間から射す状態を、この辺り(西日本?尾張・美濃?さらに西へ)の人たちは言った・・・今はこれを言葉として聞くことはなくなったが、面白い表現だと思う。もちろん全国的に通用する表現ではなさそうだけど・・・面白いと思う。
この”ニカニカ“に誘われて、洗濯をし、ベランダに干したのだが・・・陽射しは無残に消え、曇り空が広がってしまった。それでも、そよ風が吹いてくれるせいか、だいぶ乾いてきた・・・何とかもう一度”ニカニカ日差し“が、射してほしい。
日射し・日差し・陽ざし・ひざし・・・と変換候補は見えている。
・・・この方言というのか、ボクが書いた書の中で、一山、一筋の川や谷を越えればそれぞれの集落中で使われる言葉、狭い地域で使われるそれらの言葉を「地語・じご」とボクは表現したのだ。そう、造語なのだろうと、造語と言い切った。
この美濃と尾張地方には、古い言葉が残っていた、と僕は感じている。加えて、京の公家の荘園だったこの地には、京言葉が混じって、さらに、生活の風習にも影響を遺している。
・・・かつて、それを知った、あるいは思ったのは、その小さな村や町で・・・共有することを「もうやい」という・・・これ、あえて見れば“もやい綱”そう、漁港で見かける風景、漁船をふ頭に直角に置きならべ、つなぎとめると同時に、左右の舟同士を綱でつなぎとめる・・・その風景を「もやう」といい、その綱を「もやい綱」「船を並べてそれぞれをつなぎとめる綱」、そのこと「もやい・もやう」・・・これを「共有」という基準語に対して・・・この土地では「もうやい」・・・もやい・・・と、共同体での物のやり取りや共有するそのことを「もうやい」と、いったのだ・・・と、ある時、そう、本を書いているとき、ふと”ひらめき思った“のだ。
おふくろが若かったころ、祖母との話や周囲とのかかわりを言うときにも出ていたことば。子供同士が「もうやいっこ」しようと、遊びのものを指し、いうこと、今思い出しても、やわらかく、雅な響きだとボクには思える。
「もうやい」・・・もやい・・・ボクの著、その『額田王研究』の中での「紀‐123歌」(この歌に見過ごされていた長歌の解釈・読みが出来ることを見出した、長歌と短歌の二重詠歌)の解読の中で気付いた・・・もう10年ほど前。
・・・共同体・結(ゆい)・結びつく、結び合う、助け合う、共同で使うものや共同でする労働や祭りや葬儀、水路や道の補修などの用意やそれ自体の前後のこと、日常の中ではぐくんだ結びつきや、貸し借り、助け合うことなどなど・・・この「もうやい」は、奥深い意味をたくさん持つ、そう、“共同体”そのものを表す言葉だ、とボクは思っている。
最近頂いて読んでいる本の中に愛知県尾張部の西の端に、僕も知っている「起・おこし」とよぶ土地がある、木曽川の下流に近いというのか中流域が開けて、川幅が広くなっていく辺りの木曽川左岸に寄りついてある古くからの、宿場地なのだそうであるが、尾張藩では、そこに橋を掛けなかった(防備のため)・・・この木曽川の対岸は、現在は岐阜県羽島市あたりになるのだろう。もう少しその木曽川右岸をさかのぼれば笠松、岐阜とつながる・・・そこはかつて竹鼻・たけはな、そうあの有名な秀吉のなした一夜城の墨俣・すのまた・・・という・・・その歴史上の地。
そう、防備のためなのだろうが、平常は渡し舟、すなわち、起・おこしの渡し?(木曽川下流域には多くの”渡し“があったが、現在はほぼ残っていない)・・・であったが、将軍が京へ上洛するときや朝鮮通信使が江戸へ上るときには、この渡しに替え、特別に”舟橋”を掛けたという。この、舟橋・・・流れの幅いっぱいに、船を並べ、左右つなぎ止め、それに板を並べ掛け、臨時の橋、道を作ったというその“もやい綱”の「もやい」。
・・・この川幅が広く流れも速いここでは、この、舟橋のための“もやい船”をつなぎとめるには、大変な人出と費用が必要だったろうと、想像する。
・・・そう、この土地ではこんな言葉が、共同体・邑にあった言葉、土地によっては結・ゆい・・・というそれと同じ意味表現なのだろうか。
この“起・おこし”・・・もしかすると、これは東国への街道・東海道の始めの地・海道の起点・・東へ進めば名古屋の城下へ入っていく“街道の起点”という意味ではなかっただろうか・・・これはボクの勝手な想像ですが・・・。
・・・僕が、もらっていただけないかと、差し上げた本『額田王研究』の礼にと頂いた本は『豊臣・徳川時代と朝鮮』著者は貫井正之さん、そう、退官された研究者ご本人からいただきました。大部なご立派な研究書です。退官され今は悠々自適とか。
その本の中、第二部の中で、この「起」など、尾張西部、美濃南部にも触れ述べておられ、その地名が懐かしく、現地に見覚えもあって、面白く読ませていただいているところです。
・・・皆さんも、土地の古老や、お宅のおじいちゃんおばあちゃんの言葉をよく聞いて、心にとめてみてはどうでしょう、もちろん現代は、国中ごちゃまぜ、五目御飯の状態、どこの言葉かを、ついでに教えていただいて・・・面白い話もあることでしょう。
そう、一言で、方言といいますが、ボクは方言なんぞという表現、これは言葉をひとくくりにして、捨てるようなものとおもっています。
・・・すなわち、大切な文化なのかもしれません、「地語・じご・ジゴ」と、ボクは呼びますが、その一つを、その土地その地によって言い表す言葉の面白さ、その多様な言葉・・・僕が聞いてうれしい「おおきに・・・」という京言葉に代表されるそれ、この西国の一言の”優しく美しい“一言も、この範疇に入るのでしょうか。
・・・ただ、日常は教科書が教えてくれた言葉遣いがよろしいかともおもいます。
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・・・公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・
7/04/Thu.
昨日気が付いた。
そう、トウカエデの街路樹の中には、花をつけるものがあると。
そう我が家の表のバス通り、その歩道の街路樹、左には三本の桜、そして、右手にはトウカエデの並木になっている。車道の向こうにも歩道との間がトウカエデの並木だ。
それぞれの並木の間は、帯状にツツジの刈込となっている。
このトウカエデの並木の中にはプロペラ型の実をつけるものがある。我が家の表の右手の始めの街路樹の一本は毎年たくさんの実を付けてきた・・・。しかし、僕は今年初めて、気が付いたというのか意識した、この木が花をつけていることを、ベランダから黄色のアゲハ蝶を観察しているとき、その木の梢の枝先に黄色の小さな小さな花が咲いているのを・・・そう、それは見ていた黄色のアゲハ蝶のような黄色の小さな花房を立てて咲かせていた。それは藤棚から垂れた藤の花の房状の先端、その数段の房ともいえないわずかな房状に、枝々の先端に黄色く咲いて、樹形を枝ごとに彩り覆う様にたくさん咲いていた。
先日来、3年前新設なって、今年春、初めての卒業生そして4回目の新入生の入学があった工科高等学校のフェンスの内外に植えられたシマトネリコが今年、4年目にはいっぱい細かな花を樹形全体に咲かせているのを見ていて、4年目になってようやく根付いて、こうして花を咲かせるのだと、ウオーキングの行き来の度に、花の寿命が長いこの木のその白っぽい花房で覆われた樹形に心を奪われ見て来ていたが、こうして花の季節、トウカエデも花を咲かせることを、我が家の表で見つけ、改めて、植物、こうして7・8Mの高い木にも花が咲くことを知って、今までうかつだった自分にあきれ、また面白くも思い、このトウカエデの木の下に秋口にはプロペラ型の実がびっしりと落ちる理由と、その花の咲くことを知った、このうかつさ・・・そんな自分のことを思い、一方では、なんだかうれしくなって、またこのトウカエデの周りに黄色いアゲハチョウが執拗に飛ぶ意味もが分かって、うれしくなったのだった。そう、モンシロチョウもここへやってくる・・・あの、高等学校のシマトネリコの花にも、昼間はチヨウやミツバチがやってきていることだろうと、宵のウオーキングの自分を思って、この花を咲かせる並木・・・それらに改めて感心したのだ。
我が家の近くの街路樹には花の木の並木もあれば桜の並木もあり、また、数か所のベストポケットパークにはオオヤマレンゲや百日紅(サルスベリ)や藤棚もあって・・・季節ごとに目を楽しませてくれている。ただ、この小さな公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・。
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・・・夏草茂る・・・
7/08/Mon.
早めの夕食後、数日来気になっていた、石垣に垂れ下がったつる草刈りをした。他の雑草も刈りとり、名古屋市の可燃ごみ袋45リットルに、ギュウギュウ詰め、2袋となった。
猫の額のような宅地、その一画のネズミの額???庭とは言えない、我が家の空き地・・・・そこに生える雑草は、この土地の記憶か、かつての主役たちなのだろう、雑草類は“もともと我らの居場所だぞ”とでもいうように、少し怠けると、もう手が付けられないほど育ってしまう。
毎年、何度となく垣根のキンモクセイの剪定と雑草類の刈り取りに閉口しつつ、作業をする羽目になる。
年々落ちていく体力に反比例して、雑草や垣根の木は勢いを増し、作業は、つらく困難になるばかりだ。
一軒の家、これがいくら狭く小さくても、何やかやと、手が掛かる・・・そう、持った家の維持、これは大変なことだ。日ごろの掃除や、こうした季節ごとの維持掃除となれば、独り者には、半端ではない負担となる。そう、体力・・・。
・・・マンション暮らしが・・・うらやましくもある、この時分である。
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・・・気になる雨間・・・
7/09/Tue.
日没後、西と東の空が真っ黒になり、今にも強い雨でも降りだしそうな気配となったが、それでも、折りたたみ傘を持ってウオーキングへ出かけたが、幸い、雨粒もなかった。
・・・この梅雨の季節は、こうして雨傘が手放せない。
毎日ウオーキングする人たちは、その時刻の空を気にしつつ出かける。
・・・飼い犬がいたころは、毎日朝夕・・・空模様が気になって、雨降りの日には、少しの雨間でも見逃すまいと、気が気でなかった。この気持ちは、犬を飼っているひとたちの共通した思いなのだろう・・・あちらこちらと、犬散歩のすがたが、一斉に現れ、出会ったものだ。
犬は飼い主次第ではあったが、ウオーキングやジョギングを日課にしている人も、犬の散歩の心理と同じで、貴重な雨間はいつも出会うウオーカーやジョギングの男女とすれ違う。格別挨拶をするわけではないが、どちらかともなく目礼を交わし、それからさらに・・・コンニチワ・・・コンバンワ・・・と、一言やり取りするようになったりもする。
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・・・心ときめく懐かしい思い出だ・・・
7/11/Thu.
今朝は早起き。講習会だ。
9時半に受付、そして、18時ころ終わる予定。
・・・これは3年ごとに巡ってくる“苦行”だが、大事な一日。
名古屋商工会議所の9階・・・その会場は申し込み順なのか・・・何回かに分けて、さまざまな会場で実施されているらしいその一つの会場・・・。
・・・まあ、ともかくも、この一日に耐えて、最後のテストも終わって、雨もよいの街に出た。もう、ところどころ、飲み屋や飲食店などに灯がともり、人を誘っているが、ボクには無縁・・・。
テキスト類と資料類で4冊の分、部厚く重いそのテキストで膨れ上がり重くなったカバンに辟易として地下鉄駅へたどり着いた。
帰宅時間の地下鉄駅は、そんな帰りの人たちなのだろう、男女ともにやや疲れ気味、朝の出勤時とは違った、安堵感の混じった解放感かしら・・・勤めからの解放感が漂っているように思えた。
・・・そう、ボクは若いころ・修業時代・・・東京での生活、こんな早い、そう6時7時の帰宅はなかった・・・そう、宵の口ころ・・・なんて、全くなく、常に中央線四谷駅の終電・・・それに乗ってのアパートへの帰宅、代々木で乗り換え、山手線へ・・・目黒で目蒲線へ・・・武蔵小山駅で降り、西小山方面へ、アーケード街ヘ入る手前の町筋の途中、小さな・・・なんて言うのか、おばさんが一人でやっている飲み屋と飯屋を兼ねた店が、唯一、折りよく灯かりがついていれば、食事をして帰ったものだ。もう閉店していれば、食いパグれ・・・。
毎晩、急ぎ銭湯へ走り、浸かって、すきっ腹を我慢して・・・寝入ったものだ。とにかく銭湯は毎日欠かせない。時には、仕舞いの、掃除が始まった湯につかる、湯男が桶や腰掛を洗い始めて次々と、洗い場の片隅に積み上げていく・・・。洗い場にブラシをかけるあの音・・・桶や腰掛を洗い、それが当たる木の音あの響き渡る音・・・。
そう、懐かしい・・・それ。
・・・レレレッ・・・妙な方へタイピングが進んでしまった・・・が、この深夜近くの帰宅、その武蔵小山、アーケードへ入る前の唯一、いつも灯がともっていた“果物屋・フルーツショップ”・・・果物を買ったことはないが、その、夜の風景が忘れられない・・・そう、これ、この風景、「池上線」の歌詞そのもの・・・。今でも“フルーツショップ”を見かけると、この武蔵小山駅前を思い出す。
あの西島美恵子が歌う「池上線」・・・我が家のCDの中の一枚、その中の一曲、この歌詞・・・なんともボクと同世代の風景・・・その果物屋の明かり・・・その踏切の情景・・・その、古い電車内の風景・・・孤独なボクには無縁な男女の風景だけど、その背景、これとも違うけど、その駅前の光景、その情景、その心持は、僕のこの心・肝・・・を、今でもわしづかみにされる・・・なつかしさがある。そういえば、この目蒲線の向こう側、すぐに、母のいとこが住んでいらした。在京中はそのお連れ合い、ご家族にはずいぶんとお世話になったものだが、何の恩返しもせず、ボクは名古屋へ帰ってきてしまった。懐かしい。
・・・妙なことになった・・・が、もう一つの思い出・・・ある時、徹夜明けで、思わぬ早い帰りだったと思う、その帰りの中央線代々木での乗り換え、ボクが代々木から乗り込んだ山手線の車両、混んでいたが、その数メートル離れた女性と目が合った・・・そう、本当に驚いた・・・、名古屋、時々通った喫茶店、その美人ママ・・・やとわれママだというその人、ボクと同年代(若かった)?格別会話が弾んだという思い出はない・・・が、ボクを見ていた、そう、互いが気付いたのだろう・・・そんな思い出の出会い、これただ一度のこと、思わず話しかけ、目黒でいっときの短いお茶の時間だった・・・が、この思わぬ出会いも忘れられない・・・。服飾の勉強に上京してきているとのこと・・・。
残念ながらその後、修業時代のボクには、会って話すというような時間はなかった・・・。
そのうえ一年間ほど、‘70年の大阪、エキスポ70の、その担当したエキスポタワーの監理の仕事に長期出張・派遣され、東京を離れていた。それが終わって、万博開幕前に帰京、その後、しばらくして、ボクは名古屋へ帰った。
・・・そう、ボクは恋愛の経験はないが・・・心ときめく懐かしい思い出だ。
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・・・ここへきて、感じる・・・孤独感・・・
7/16/Tue.
梅雨らしい曇り空。しかし、じめじめとした暗い感じはしない。穏やかでなぜか静かだ。
そう、しっとりとした空気と雰囲気だ。昔の梅雨の季節はこんな雰囲気だった・・・その静けさと雨音。
だけど、現在はこの優しそうな五月雨が・・・突然、怒涛となって・・・予想しない大雨・・・猛威の雨降りとなる・・・滝のように、天からの津波のように・・・。
・・・なんとも恐ろしい・・・人の力なんて、何と弱いのだろうとボクは時々思う。
もちろんボク自身の問題だけど、自身が弱すぎるのだけど・・・。
世の中は、この月曜日、15日だった、この”海の日”の休日が終わって、人々が動き出した。しかし、その海は、低温気候のせいで、曇り、人気はなく・・・寒く、寂しそうだ。
ボクはといえば、動き出さない・・・いや、動き出せない。心が閉じこもり状態になっている。
ここへきて、感じる・・・孤独感・・・これが深みを増して来つつある。
この感覚は体調が悪くなったためかと、後日思った。
要するに、精神的な不安定がやってきつつある・・・。そう、波のように。
・・・そういえば”海の日“は、夏休みの始まりだったかしら・・・。しかし、この長雨、急変するお天気では生徒たちは、林間学習、海の家・・・そんな、夏休みはじめの楽しみはやってきそうもない・・・まして台風を伴うようでは、親は気安く送り出せもしない。
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・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
7/17/Wed.
今日は月に一度の内科受診・・・先月の名古屋市の健康検査結果から・・・あまり芳しい結果ではなかった。そう、平成25年だったかに、出先で急激な腹痛、耐えられない、その痛み、出先で救急車を呼んでくれ、搬送され、4日ほど入院治療をしたことがあった、それが改めて活発になって便に血が混じっているかも知れない。
改めて、検査を受けることになり、紹介状を書いてくれ、その予約に午後さっそく出かけ予約を取った・・・7月30日午前に施術・日帰りで可能とのこと・・・。3日前から腸を整えるというのか掃除するというのか、その準備過程と実施の日が決まった・・・今月27、28,29日と30日・・・薬を渡された・・・。
一つ心配がある・・・そう当日30日の朝7時に飲むという薬・・・下剤らしいが・・・地下鉄で出かけていく身には、途中が心配だ・・・が、まあぁ、やってみるしかない。
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・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
7/30/Tue.
大腸の内視鏡検査のために数日前27日から薬をのみ、さらに昨日29日は、今日の検査のために、三度の食事に替えて、指定され渡された食事??をして、下剤が効くのを待ったが26日からの食べたものが排せつに到らなくなって、腹がパンパンに張ってしまい昨夜は、この便秘状態のためか、その検査への腸の掃除が出来ないことへの不安か、はたまた朝7時の座薬挿入による下痢の心配か、そう、バスと地下鉄を乗り継いての途中に起きてしまうのではないかしらとの心配・・・それで、大名古屋ビルジングにある、その検査医院の近くのビジネスホテルに泊まろうと探したがどこも満室・・・そのことに5時起きの目覚まし時計セット・・・しかし寝付けない、お腹が張り、さらに加え痛む・・・それで、座薬挿入の前に、その医院へ着くようタクシーの予約をした。
結局、一睡もできず、タクシーが来て、瞬く間に駅前まで・・・そう朝のこと、近道を知っている運転手・・・7時まで40分ほども前に到着、しかし、当のビルジング(これって、面白いけど、名古屋人は気に入っている・・・それが昨年だったか、建て替え完了高層ビル化)のオフイス階へはまだ施錠、エレベータホールヘ入れず、9階へ上れない・・・下剤を入れて2・30分で下痢が始まるということ・・・7時は厳守・・・焦って、何とか地階のトイレの位置を見つけて、そこで、挿入、・・・下痢が始まるのを待ったが・・・始まらない・・・。1階の通り抜けホール(この通り抜け状のセンターホールは、名古屋駅の通り抜けコンコースともに、昔から特長だった。街の人やビルに関係ない人たちに活用されている・・・今日も・・・)その、椅子で下痢が始まるのに備えたが、全然反応なし・・・完全な便秘状態、8時になってようやく9階へ移って、そこでもトイレを確認・・・まだ全然反応なし、兆しさえない・・・もしかして、漏らしては大変と先日買っておいた紙パンツに履き替えた・・・そう、これは指示されたわけではないが以前の何度もの入院時に、褌を持ってくることと・・・そんな指示を思い出して・・・先日。ドラッグストアーで2枚入りを買っておいた・・・そう、独り者は、とにかく大変です・・・そして、よく気が付く、ええ、日ごろぼんやりしているけど。
・・・ようやく予約時間になって、検査に入ったが、便秘の状態がモニターに・・・医師はお手上げ、レントゲンをとなって、撮ったが、MRI の映像はぼんやり(ボクは、紙パンツが原因と思ったが、黙っていた。紙パンツに履き替えたことは言ったが、レントゲン技師は脱げとは言わなかった)・・・こりゃだめだとなって・・・ということで、内視鏡検査はできず後日改めてと、予約となって、解放され、極め付きの便秘のまま、紙パンツを付けたまま、解放されたが・・・僕は、爆弾下痢を抱えたまま・・・不安を抱え・・・いや、必ず座薬の下剤が効いてくるだろうと・・・まずは、数度を、このビルジングで・・・さらに、ミッドランドタワーで、数度、・・・と、苦行の忍耐と不安をもつて・・・まあ大丈夫と思って地下鉄ホームへ・・・でも兆し・・・も一度ミッドランドタワーへ・・・その後、急激に心地よく成り、やや落ち着き、メルサビルの無印良品へ・・・去年買って気に入っている色合いのポロシャツはないかと徘徊し見つけた。半額になって残っていた一着・・・うれしかったね。こんな掘り出し物。そしてほかに2点。文房具とハーブ茶・・・。文具は、なぜか”38元“と、中国語の商品シールについていた・・・90円とか・・・これも掘り出し物。他にハーブ茶はマスカット味と香り・・・とても香りがいい。
その後、改めて、地下鉄へ、そして星ヶ丘へ、バス路線で猫が洞へ・・・帰り着いて、ひと心地。
・・・苦しい日々、昨夜から今日は苦行の時間・・・紙パンツは汚れることなく・・・。
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今月7月はこれで・・・。最後は見苦しいことを告白・・・。でも、これが現実。
・・・独り暮らしは厳しい・・・ほんとです。
・・・では。来月、八月も再見!
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HITBIT 心もよう vol-112 June 2019

HITBIT[心もよう]vol-112 June 2019
今年も天候不順というのか、梅雨入りが20日ほども遅くなったとか・・・。
お天気情報というのか、例えば、最高気温が昨日より10℃も高くなる、なんていう異常とも思える気温差・・・そんな予報が週のうちに何か所も何度もある・・・。これでは、どんなに健康な人でも身体が持たない・・・なにも気象庁や予報士の責任だといっているのではないですから誤解のないように・・・ええ。
・・・そう、地球が病んでいる・・・そんな地球の悲鳴のようなものさえ、近頃の天気予報には見えている。
18世紀19世紀そして20世紀と産業革命とともに、ばい煙が、石炭鉱山が開発され粉塵が、石油が排気ガスが・・・と、書ききれぬほどの原因が指摘されつつ、20世紀末から、地球の温暖化が懸念されてきた・・・。南極の上空のオゾンホールの存在発見から、人体への影響と環境への影響の懸念が深まり、北極の結氷面積が急激に減少し、通年の北極海、その開氷域が多くなり、船舶が通年航行できる航路が開けたとか・・・ヒマラヤの高山帯、さらにヨーロッパアルプスの氷河の先端が高度を上げ、長さも幅も小さくなってしまった・・・などと・・・これは世界中の高山帯の顕著な現象だ・・・。シベリアやカナダの永久凍土地帯もどんどんその面積を減らしてもいるらしい。北極海の結氷域の減少がシロクマの生息を脅かしてもいるとの報道も見える。
・・・そう、地球生物が非常な勢いで種の存続を不可能にされているという。
それは生物すべて・・・動植物の全般にわたって、この現象だ。
・・・21世紀にはアフリカの近代化が進む、そうして、人為的な生物淘汰が止まなくなる・・・かといって、アフリカ諸国の発展を止めることはできない。
我々人類は、いうなれば、進化著しい生物であるがゆえに、この存在自体が地球においては、破壊者となってしまったのであり、その最後の地域がアフリカとなったのであって、アフリカの人類の罪でも悪でも何でもないのだ。
・・・むしろ、最後尾を走っている人類の仲間を置き去りにして先頭を走る諸国が、彼らをこれまで置き去りにして来たことの方が、罪悪といわねばならないのだろう。
地球温暖化それに最近発見された、マイクロプラスチックという新たな深刻なゴミの存在が海洋汚染と海洋生物への影響として懸念が深まっている。
・・・もちろん地球温暖化は、大気汚染そのものが引き起こしたのであり、もちろん火山噴火の影響も大きいが、大気汚染の最たるものは人類のなすあらゆる排ガスの影響であるとされる。
・・・そう、この地球の破壊、地球環境の破壊は人間の存在そのものにあって、人類はこれまで地球を食い物にして進歩を成してきたといってよい。
・・・そして、この地球を食い尽くし、さらに、互いに殺戮を繰り返すことによって、人類は地球上から姿を消すのだろうか。その後、静かになった地球は、一時、虐げられていた動植物が繁栄するのだろう・・・そして、気候変動によって彼らも死に絶えていき、さらに地球の寿命とともに、太陽系の星々も次々とガス化していくのかしら・・・。
・・・などと、今日までのG20の大阪サミットのニュースを聴きながら、ふと思ったのでした・・・。
・・・体調がよくないくせに、こんなバカげたことを心配している自分にあきれているところです・・・ええ、こんな夢想とも幻想ともつかぬこと・・・体調がよくないのに、もっと自分の健康のこと暮らしのことを考えるべきかと、今、ふと思ったことでした。
さあ、あなたもやってくる猛暑に、どうか健康で過ごされますよう、心よりお祈りいたします・・・お元気で・・・再見!!! 
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===目次===
6/01  ・・・初夏の空気・・・
6/03  ・・・食品スーパーでの買い物・・・
6/04  ・・・定期健診・寝不足で医者通い・・・
6/05  ・・・建築とはこうした共感をも誘うものかもしれない・・・
6/06  ・・・物言わずとも通じ合う“共感”という心の一風景はどこへ・・・
6/17  ・・・市から送られてきた「健康診査票」・・・
6/18  ・・・その薄汚れた心は・・・清められないよ・・・との声
6/20  ・・・昨日までのんびりとした空気は何処へ行ったのかしら・・・
6/22  ・・・そう、人としての決断の時だ。この夏は・・・
6/27  ・・・そう、人としての決断の時だ。この夏は・2・・・
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・・・初夏の空気・・・
6/01/Sat.
薄曇り、風もなく静かな土曜日。
9時過ぎには恒例の土曜日の掃除を終えて椅子に座ったら、いつの間にかうとうとと。
室温は27℃ほどか。湿度は低いらしく快適だ。
外へ目をやると、キアゲハがニ三頭ガラス屋根の上、その向うのサンゴジュの垣根に沿って行き来している。その間にモンシロチョウがマイペースで垣根の隙間を超え行き、またこちらへ越えてくる。・・・そんなことしてると、蜘蛛の巣に引っ掛かるぞと、心配になる。
・・・そう、土曜日・・・小牧空港を発着する自衛隊機は今日は休みか・・・それに、旅客機もほとんど飛んでいない。
長閑だ・・・ほんと、のどか。
のんびりして、初夏の空気をボクは呼吸している。
でも頭の中は、ぐるぐると、回転・・・あれこれ思ってしまう。
そうそう、毎月朔日ごとにあげていた「お経」を、何か月もさぼっていたことを思い出した。
・・・これ、思い出しただけでもたいしたものだと、ここでも自分褒めをして、先ほど読経を終えた・・・。その線香の残り香がふと感じられ、消したろうそくのパラフィンのにおいとともに漂っている・・・。
そういえば、前回読経しその残りのロウソクだが、その時、現代のロウソク?に変えた・・・そう、ハゼの油の和ろうそくが無くなってきて残り少なくなり、なぜか、経本とともにあったパラフィン蝋燭を、前回初めて使ったのだ・・・この現代のロウソク・・・煙が少なくて、なかなかいい。10本ほど・・・誰かに頂いたのだろうけど、心当たりがない・・。試しに買ったものかしら?
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・・・食品スーパーでの買い物・・・
6/03/Mon.
昨日より気温・湿度ともに上がっている。今日は旧暦の5月1日。五月雨の季節というわけだ。
本当のことを言えば、体調がすこぶる悪い・・・、気持ちも投げやりになり、これからが不透明・・・と、そんな感覚だ。
こんな気持ちが、海岸へ寄せてくる波のように絶えずやってくる・・・病のデパートだと、何かにつけて言い放っているが、それは事実だ。
・・・僕の日常は、全く孤独・・・出かける目的は、買い物、そう食べることは、どうしても避けられない、かといって外で食べることはほとんどない・・・絶対にないということではなく、数か月おきにたまに市中へ出かけたときは、ビルの地下街にあるスパゲティ屋へ入ったものだ。しかし、ビルの建て替えで3月末で閉店・・・それで行き場を失って、それからは、どこへもよらず、飲み食い一切なく家へたどり着く。
・・・そうそう、出かけるのは食材の買い出し・・・食品スーパーでの買い物もそれなりに慣れた。だけど、こんなことは慣れない方がいいに決まっている。
そういえば、買い物慣れしてなさそうな老人の買物ぶりを見かけたことがある・・・その方は、なぜかクノール・コーンスープの箱を10箱ほども抱えレジへと向かっていった・・・はて、そんなに買って、毎日毎時そのスープを食べるというのか飲むというのかするのかしら・・・と、あっけにとられた記憶がある。
さすがの僕も、このインスタントスープなるものを何箱も買わない・・・このコーンスープをボクは好きだが、買っても1箱だけだ・・・。そう、年齢は80歳を超えておられるのだろうそのお方・・・何かの記憶を以てそれを買い求められたのだろうが・・・そう、妻の出してくれた、そのコーンスプーが懐かしかったのか・・・その、1箱の中には、8袋のスープのパウダーが入っている。
いらぬ世話の想像をボクはしているのだ・・・僕自身の境遇とも引き比べて・・・。
・・・もちろん、知っていて買い求めたのかもしれないし・・・それは、わからない。
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・・・定期健診・寝不足で医者通い・・・
6/04/Tue.
今日は早起き、というよりも、眠れなかった。目覚まし時計を解除して早く起きた。
というより、眠れず、ベッドに入ってからウツラウツラと眠れず4時になり5時になって、気持ちは徹夜のようだ・・・。病のことではない・・・様々に心と頭の中を、思いが駆け巡って・・・眠ってもいないし、目覚めてもいない・・・半分睡眠・・・半睡(こんな熟語はないか・・・半睡眠か?)の状態・・・生寝?これも熟語ないか???
・・・まあ、それでもベッドを離れ・・・身じまいをするのに、あれこれと数十分。
フラフラの状態・・・で、始発バスに乗った・・・。
路線バスの始発に乗った・・・といっても、路線バスの途中バス停からバスターミナルまで、バスストップ4つほど、10分ほどだ。そして、地下鉄に乗り換える。4駅目で降り、長いエスカレータで上り地上へ・・・そこから10数分歩き、病院へ着く・・・早朝の院内、閑散としているが、すでに10数人・・・早い診察順を取るために番号札を取るのだ・・・。ボクは予約者の4番目だった。いつもよりずいぶん早い番号・・・札。黄色の番号札は予約なしの来院者・・・僕のは白い札・予約者。
ボクは何も急ぐことはないのに・・・このように検診に来るこの病院へ、早めにやってくる・・・。もう一つ、年に一度の検診も他の病院んであるが、その病院へも、ここと同じように早め早めと出かけていくが、やはり僕より早い人がたくさんいる・・・そこは20数人、時には30人ほどがすでにきている、みな老人・・・ずいぶん遠方から名古屋までやってくる方に隣り合ったことがある。その病院は待合室の椅子の背もたれの裏に大きく番号が付けてあって、来たもの順に座って待つ・・・とにかく、病院はどこもかしこも老人ばかり・・・掛かりつけの町医者もやはり患者は老人ばかり。みんな急ぐ人生でもなさそうなのに。
・・・きょうは、足の具合がよくて、こうして出かけてきました・・・なんて言い、答える人も・・・そう、私も体調がよくてこうしてやってこれました・・・なんって、シャアシャアと・・・聞いていて・・・それじゃあ、医者に掛かる必要もないだろうに・・・と、ボクはおせっかいにも思ってしまい、一方でおかしみがこみあげてくる・・・自分のことはすっかり棚に上げて・・・。
まあ、いくつもの病のためにボクもこうして気軽に医者通いだ。
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・・・建築とはこうした共感をも誘うものかもしれない・・・
6/05/Wed.
曇り、時々パラパラと雨音がする。
・・・昨日の病院通い・・・帰りは、地下鉄で街の中心部へ出かける心つもりで出かけて行った・・・。そう、なぜか町の中なのに里山の麓に暮らしている自分が、この環境の心地よさに、怠惰になり、感情が錆びつきはしないかと不安になって、病院帰りの遠出・遠回りの帰宅?となる。
・・・順調にMRIの撮影と医者の問診と回って9時半ころには病院を出た・・・地下鉄まではシャトルバス・・・そして町の中心部へ地下鉄で・・・寝不足で、ふらつく足元。それでも、解体工事中の幕張をした”丸栄百貨店“をチラと眺めてきた・・・。そう、村野藤吾さんの名古屋での数少ない作品・・・これで、二つが解体される・・・名古屋都ホテルと、この丸栄百貨店・・・僕は、この丸栄で買い物をした・・・そう、この村野藤吾さんへ設計を依頼した、このデパートのオーナーの美意識と心意気を気に入ったとは生意気だけど、確かに自分の心の中には、共感があった・・・。このデパートのエレベーターの扉絵は”東郷青児”だった。それに、屋内階段はくり型の木製、それが黒い漆塗(カシュウかな?・・・)の手すり・・・地下街への階段の手すりは、真鍮の八(六?)角形断面のバーが並行した手すり・・・これらに触れることで、堕落した僕を少しだけ、励ましてくれる思いがしたものだ・・・。
そう、ボクの直接の建築の師、そのK先生、Kさんと、弟子たちは会話の中では呼ぶが、その先生の建築に触れる機会は少ない。それもあって、師の師ともいう村野さんの建築に、入る・居る・泊る・・・こと、触れること・・・は、堕落者ボクの心が少しは浄化される・・・そんな心地がするのだ。
そう、ボクは何十年か昔・・・そう、堕落??と・・・そう僕の頭の中へ何かが入り込んで、囁いた・・・それに、負けたか・・・と、悔やんでいる。
その共感、そして、ボクたちにはぜいたくな京都のプリンスホテルも、また解体前の名古屋都ホテルへもわざわざ、泊まりに行ったものだ。
そして、この共感を以て泊ったのだ。そう、こうした買い物客、こうした宿泊客・・・も、数多くあることだろう・・。またそこに働く人たちも・・・そう、宿泊の係だったHさん・・・彼もそんな人だった・・・今は高輪プリンスへ移られたという・・・。
まあ、建築とはこうした共感をも誘うものかもしれない。
しかし、連れ合いが亡くなって、その希望も聞いてやれなくなって・・・今は、そんな旅行もしなくなった。
・・・
・・・体調がよくない・・・疲れやすく眠れない・・・。最悪。
それにしても建築の設計依頼が欲しい・・・そう、ジョブがないから、「本」を書いた・・・10年かかって・・・この頑張りが発揮できれば・・・。
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・・・物言わずとも通じ合う“共感”という、心の一風景はどこへ・・・
6/06/Thu.
天気予報では、名古屋の最高気温は32℃まで上がるでしょう・・・と。7月中頃の気温とか。五月雨・梅雨・・・アジサイ・・・なんて、気楽なことを考えたり語ったりできない・・・危険な季節。・・・空梅雨による水不足・・・貯水湖が干上がり、貯水率0%と、なんとまあ、こうして真夏へ向かって、気候が早め早めと上昇していく。これが7月8月にでもなればそして残暑の季節ともなれば・・・何となく空恐ろしくなる。
そう、昨今の天井知らずの気温上昇・・・時に狂ったような寒冷前線の急な発生と接近。
そして、激しい雷雨、竜巻、雹、集中豪雨というのか局地的豪雨・・・と、田舎の集落や開発宅地の住宅地・・・中小河川の氾濫と堤防決壊、そして浸水、道路は川となり、なぜか何日も水が引かない・・・斜面宅地の崩落、崖の崩落、道路の寸断、都市では地下駐車場が浸水・・・発電機も動かない。都市交通はダウン。帰宅難民・・・。携帯スマホは通じない・・・状況も把握できず不安は増すばかり。そう、悪い方へ悪い方へと、考えが膨らんでゆく。
この季節は、なぜか期待が裏切られる・・・そう、新緑が徐々に色濃くなり、里山が何物にも動じないような風景となるにもかかわらず・・・そこに予想するのはなぜか不安ばかりだ・・・春・山笑う、夏・山したたる、秋・山装う、冬・山眠る・・・これに梅雨・山たたずむ・・・そう、シトシト降る雨にたたずみ居る木々の姿をボクは加えたい。
・・・そう、日本気候は四季があるというが、かつてのシトシトと降る季節・梅雨の雨の風情は、えも言えない落ち着きのある季節だった・・・が、それはもうはるか過ぎ去った季節の風景となってしまった。
人情もなぜかカラカラに乾ききって、あるいは凄まじい雨脚、その轟に何もかもが包まれて、押し流されて、静けさの心なんて微塵もない。
そして、物言わずとも通じ合う“共感”という、そう、心の一風景をも失ってしまった・・・日本人の湿り気のある心模様はどこかへ行ってしまった。
・・・まあ、そんなに悲観ばかりしないで・・・このカーテンを揺らし行く、西風を心で受け止めましょうか・・・。
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・・・市から送られてきた「健康診査票」・・・
6/17/Mon.
今日は画像センターへ・・・そう、体の内、右側の内奥・・・胸から体側・脇、さらに背側・・・そう、右あばら骨に囲まれ保護されてある内臓の多くがこの辺りにある・・・この奥・・・どれかは僕には分からないがに・・・“ズウーン”とした痛み・鈍痛、そして時に鋭い痛みがある・・・。そのどれかではないかしらと・・・掛かりつけ医に訴え・・・ちょうど市から送られてきてあった「健康診査票」を持って、月一回の検診を兼ねて出かけ医師に訴えた・・・。そして、こうして画像センターへと振られ、そしてCTをやってもらうことになったのだ・・・。
・・・どんな画像が出るのか・・・心配というわけではないが・・・心配ないとか・・・なにがしか・・・痛みの原因らしきものでもわかればと思っている。かかりつけ医では、胸のレントゲン、検尿、検便・・・と、いろいろ・・・と。
CTデータは数日後には画像が掛かりつけ医へ送られるそうだけど・・・まあ、週末か来週月曜日にでも・・・結果を聴きに行こうと思っている。
市から送られてきてあった「健康診査票」を、こうして使わせてもらっている・・・。毎年か、何年ごとなのか、定かに記憶はないが・・・以前にも同じような検診を受けたことがある。
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・・・その薄汚れた心は・・・清められないよ・・・との声
6/18/Tue.
そう、昨日は「健康診査」へ・・・そして、その昨日のこと、その後・・・長年続けてきたユニセフへのささやかな送金・・・ほんの少しのこと、毎年6月と12月に・・・。ささやか過ぎて恥ずかしいが・・・この薄汚いボクの心のほんの少しブラシュアップ・・・の、つもり・・・。そんなこと思ったって、やったって・・・その薄汚れた心は・・・清められないよ・・・との声が聞こえそうだ。
そう、こんなことで少しの罪も消える、浄化される・・・なんてことがあるわけない。
が、ただ1人の乳幼児の命でいい、それが、この世に繋ぎ止められればと・・・心細い期待に、懺悔を以て・・・こんな愚かなことをやっている・・・長年。
・・・密教では、人のなす罪・・・「身・口・意」(あるいは、これらから発する悪)にあるそうな・・・ええ、ボクは密教のことはよくわからないが・・・そんな、こと・・・仏の教え・・・が、あるらしい。
・・・そう、人が為す罪の大小・・・誰にでもあるのだろうか・・・僕にはわからないが・・・何かふと魔が差すなんてことから・・・そんなことがなにがしか、人は、人の罪としてなしているらしい・・・らしい・・・ではなく、罪を犯している・・・俺という者・・・がいる・・・この存在するということ自体が罪なのかもとも思えもする。
・・・そう、このユニセフへのささやかな送金・・・もうやめようと・・・今年も思った・・・が、わが心の罪を思うと・・・あとすこし、今年だけは続けようとも・・・思いなおすのだ。
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・・・昨日までのんびりとした空気は何処へ行ったのかしら・・・
6/20/Thu.
昨日までのんびりとした空気は何処へ行ったのかしら・・・。
急激な気温の上昇・・・西日が斜めに居間へ差し込んで、午後になってから室温が上昇している・・・午後3時45分・・・30℃。その窓からそよ風も吹き込むが、それでは追いつかない・・・容赦ない西日。
この暑さでも、セミは鳴かない。
・・・耳鳴りがしている・・・これ、セミにも劣らない鳴き声だ・・・なんとも・・・はや。
1時間ほど前、男子中学生数人が下校・・・声変わりしたばかりのような、ではなく声変わりそのもの・・・その響き。
声を張り上げ・・・喉を傷めたかのような、そんなガラガラ声・・・。
・・・そう、成長しているのだ・・・そして、だんだんと、人生の重みを実感していく。
長閑だった幼いころを思い出すでもなく・・・人社会・・・人生に飲み込まれていく彼ら・・・。僕もそんな人生を歩んできた・・・いまでも人生の重荷は増すばかり。足掻きにあがいているが、浮上はままならず、アップアップ・・・開いた口からは呼吸をさせないぞというように・・・水しぶきが襲い来る・・・溺れてしまうのかしら・・・。
・・・こんなことまで想像しても、人間とは意外にしぶとい生き物だ・・・。
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・・・昨日までのんびりとした空気は何処へ行ったのかしら・・・
6/21/Fri.
昨日の暑さに比べたらなんと快適かしら・・・と、いっても湿度は高く、こうしてタイピングしているこの腕、食卓テーブルに置いているのだが、その部分が汗ばむ。
室内温度はおおよそ30℃・・・昨日とあまり変わらないが、時々日差しはあるが、曇っているせいか風が少しだけ涼しい・・・。
・・・このコンピュータ・・・文字数が重いのだろうか・・・項目によっては“メモリー不足で指定のフォントがつかえません”と表示が出る。そして、このせいで、1ページだけプリントアウトしたいのだけど、応答なし・・・。
こうなると僕の手には負えない・・・メモリーの増強が必要なのかしら・・・また、この文章ソフト「WORD」・・・前回の不調時に手当てしてくれた修理屋さん、その時、何かの手当てから・・・文字の空きに□のしるしが出る・・・これが、なんとも目障り・・・読みづらい・・・これも同時に何とかしなくてはと・・・そう、なんとも気の重いことだ。
・・・申し訳ない・・・これ、愚痴です。
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・・・そう、人としての決断の時だ。この夏は・・・
6/22/Sat.
大学新卒の就職内定率が70%を超えている。
ニュースに語られるこれ・・・これが、若者にあらぬ確信を抱かせている・・・。この「確信」・・・愚かな確信だ・・・。この何も確証のない未来への幻想・・・。
・・・若者のすべてはこの「自分が体制の側にあるという確信・・・」・・・これ、本当にそうなのか・・・そう、おそくとも3年・・はやければ半年で・・・自分が考えていたものと...現実の違いに気が付くことだろう・・・そう、君が思う・考えるような・・・バラ色の現実なんぞどこにもない・・・ましてや未来にもそんな優しい世界はありはしない・・・。
そう、このことにいかに早く気が付くか・気付かせられるか・・・そう、現実・そこにある過酷な現実が・・・君の現実なのだということ・・・企業だって・・・政府だって・・・君の思いが幻想に過ぎないことを知っていて黙している・・・そう、就職を気遣ってくれたかのような雰囲気の大学や高校の就職の先生の”優しく機知にとんだ会話“・・・
、そんなものは、幻影であって虚言に過ぎないのだ・・・そう、遠からず君は、自らの悟った現実に打ちひしがれて・・・その職場を去ることだろう・・・。そうでなくとも・・・君は、その現実の職場に“自らを押し殺して・・・そう、何かわけのわからない、現実の力に首根っこをつかまれ・・・土下座しひれ伏し卑屈になって従っている・・・そんな自分を見出す・・・そして、いつの間にか、結婚し、女房殿にもひれ伏し、一人二人の愛すべき子供のためと己を押し殺し・・・屈辱的な人生を歩みつつある自分に出会う。
・・・しかし、悲観することはない・・・その、君のような人生を歩みつつある同輩や先輩は・・・数える間もない、さも多様性をはらみながら・・・君の周りにうようよといるのだ・・・それでもいいではないか・・・ねえ、みんなと同じなんだから・・・何も恥じることはない・・・ましてや・・・少しだけ多くの給料とボーナスをもらって、君の背広の衿には“わが社“・・・の”バッジ“が、込み合った通勤電車の他を圧倒して・・・輝いているのだから・・・そう、今宵は早く帰って、妻の誕生祝を子供たちとともに祝うのだ・・・そう、赤いバラの花束と少し高級なワインを買い求めて帰ろう・・・。そう、どんなに、社内に居場所がなくったって・・・おくびにもそんなこと出さないぞ・・・そう、俺の同級生・・・中学高校大学と・・・周りを見回しても・・・俺ほど出世したものはいない・・・そう、おれは選ばれたもの、特別なんだ俺は・・・と、君は、改めて思って見せる・・・自分に自分を誇示している・・・そんな自分を見出だすのだ・・・。さて、もう一度自分の周りを見回してみると・・・そう、何んと自分そっくりな・・・同期入社、先輩入社の者たちが・・・うようよと・・・たむろしていることか・・・そう言えば、今夜は早く帰らなければ・・・しかし、なんて間が悪いのだ・・・子宵は課長が地方支社へ所長となって栄転する、その、送別会だと・・・メールが届いた・・・ああ、なんて間が悪い・・・なんで、今日・今宵なのだ・・・。
・・・ああ、申し訳ない、花束とワインを自宅の最寄り駅の花屋と酒屋へ注文してある・・・そう、できるだけ早く送別会を抜け出して・・・帰るからね・・・。と、自宅、奥さんへ電話しようとしたが・・・ちょっと待てよ、何かひょっとして”一言“いわれるかもしれない・・・そう、メール・・・シトコッ,と逃げを打つ・・・そんな自分に出会ってしまう・・・。
・・・そう言えば、今年は参院選・・・もしかすると、アベが衆院も解散し・・・同日選挙になるやもしれない・・・そうだ、ここで自民公明が大敗を喫したなら・・・このわが社が危うくなるかもしれない・・・そう、俺も将来は支店長・・・そんな幻想も抱く・・・そうだ、自民・公明・・・へ、投票しておこうかな・・・そうだ、あの大学の講義の時にときめいた・・・反体制的な思想ともいえない哲学ともいえない・・・青年として描いた改革・・・そう革新・・・そう、革命ともいえないが・・・・そんな、青年としての理想が思い出される・・・そう、俺はこのことをすっかり忘れ去っていた・・・確かに、こうして二人の子の親となった俺だが・・・と君は思うのだ。
そう、この子供たちへ、ほんとに希望のある未来を遺してやることが出来るのだろうか。
・・・そう、妙なことになった、妙なことを思い出した・・・革命・・・ここまでしなくても・・・革新・・・そう、時代の前衛にありたいと、あの高校三年生、そして地方大学の一年生・・・だったとき・・・少しだけ抱いた”時代への不安“”時代への不満“・・・そんなことを、今宵、女房殿の誕生日に思い出してしまった・・・そう、どうしようかな、帰ろかな、宴席にとどまるかな・・・と、このサラリーマン・・中堅になりつつある「君」は考えるのでした・・・そう結論を出さなきゃ・・・行動するかしないか・・・体制に身をゆだねるのか・・・ばかげた反骨をひけらかし・・・同期の者どもの失笑をかるのか・・・そう、今、俺は「人」としての岐路に立っている。
・・・そう、今宵は体制に身を任そう・・・そうメールを妻と子らへ・・・そう、今度の選挙こそボクは僕でありたいと思う・・・そう、青年の頃、一時期のことだったけど、なんとわくわくした、あの時だったか・・・。そう、妻にも話してみよう・・・子供たちの未来・・・どんな社会を遺すのか・・・そう、人としての決断の時だ。この夏は・・・。
・・・などと、僕には全く関係ないこと、その空想を書きつらねてきたのだが・・・。
・・・僕もそうだけど・・・なかなか自分を貫けない・・・汚点の多い人生だ・・・と、振り返って思う・・・しかし、選挙だけは・・・。
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・・・そう、人としての決断の時だ。この夏は・2・・・
6/27/Wed.
突然のニュース・・・米国が、日米安保条約は不平等条約・・・だという、ニュースが流れ、日本政府はその噂の打ち消しに躍起となった・・・。
そう、ボクは言い続けてきた・・・米国内には、事実上日本列島を米国の防衛線の第一線、すなわち、米国の敵前線に日本列島を置いているくせに・・・心の底、本音は・・・俺たちは日本の口車にのせられ、日米安保条約をさも米国への追従的に結ばされた、それも、東西冷戦時には有効だったかもしれないが、その冷戦の構図が崩れ、ヨーロッパでドイツが統一して、ロシアも、共産政権が崩壊・・・事実上ロシアが世界の第2位だか第3位だかに落ち込んだ・・・そして、中国が代わって世界覇権を目指す位置になった(日本のことはここでは何位だか問題ではない)。その国力の多くは、安保条約下にある日本が、技術と資金・・・その供与を与え続け・・・ついに日本は自国を中国に追い越されるに至り、さらに中国は、アメリカとその力、国力を比肩するに至った21世紀・・・このようなさなかに、中国は南シナ海さらにインド洋と東シナ海へ進出。南シナ海においては岩礁を埋め立て、軍事拠点化し、その南シナ海の覇権を完成させ、自国の領海化を強引に推し進め成功しつつある。さらに、環インド洋諸国へ、過剰とも強引ともいえる借款と技術供与を与え、中国の影響下に置きつつある。それは南西太平洋のサンゴ礁環上の国々へ、さらに、欧州、大西洋の北極圏に位置するアイスランドやグリーンランドにおいても同様な政策の押し付けをおこないつつあり、これらの陰湿な政略がまさに、経済的な援助を名目としつつ、世界戦略的、世界覇権的な策略をくるみながらなされつつある・・・そのことを、日本の政治に直接かかわる者(政治家ではない、ただの給料取りだと僕は思っている・・・)たちはどれだけ肌身に感じつつ日本の未来を語っているのであろうかと、疑問を持つ・・・。
・・・そう、日本のこれまでの政治に直接かかわる者、そして現政治に直接かかわる者たちは、この中国の政界的進出、それは領土的野心、それがただ、軍事的経済的拠点だけに置いたとしても、大いなる、軍事的拠点化となりつつあることは明確であろう・・・。そして、一方、アメリカの世界戦略においても、日本との安全保障条約が・・・日本の一方的な利益になっており、日本は、アメリカが攻撃されたとき、その時点で米国へ加担し、日本が保持する戦力・それは自国防衛のみの戦力という建前から、米国防衛に加担し、軍事力を動かしはしないであろう、そんな、日米安保条約という、米国が一方的な戦力行使、それは米国が日本国土を守らなければならないという、全く不平等な安保条約を破棄すべきだ・・・そんな、突然のニュースである。
・・・これに仰天した日本政府は、日米安保条約を破棄しよう、という、そんな意思を米国は何ら持ってはいないし、そんなニュースはフェークだと、火消しに努めた。
これが今日の、ニュース・・・だ。
・・・そう、このニュースが、確かにフェーク・ニュースだとしても(僕は、これは米国民の本音だと思う・・・これを認識しない日本の政治に直接かかわる者や評論屋、そして、日本のマスコミ・・・そう、今日の報道では、日本の報道機関は骨抜き状態だといっている・・・表現は違うが・・・)・・・いかにも、現実的だと、思う・・・。
米国民の感情、政治に直接かかわる者の感情としても、現トランプ大統領にすれば・・・これは、言葉に出してはいないとしても、本音であろうと考える。
・・・打ち消されたニュースとしても、この日米安保が、不平等条約であるという考えは、遠からず、米国民のすべてか抱く思い(そう、もうすべての米国民の思い)だろうと考えねばならない。
この感情は必ず近い将来米国内に噴出する・・・そう、経済的な不況が起きれば、必ず起きる感情だ。
そうだとすれば、それまでに・・・とはいっても、時間はそれほど遠い将来のことではない・・・。
その時、日本政府と国民はそれに対して、どのような対処をするのであろうか・・・。
・・・自民党が国政の中央勢力である限り、国民を欺きつつ・・・その対抗策は、米中ロ・・・の、三国と比肩するような軍事大国化へと遮二無二進む・・・であろうことは明白と思える。
・・・現アベ政権はすでにそれを強力に画策しつつある。そして、このことを日本国民は、ボク以外?だれ一人として気付いてはいない・・・安倍政権は、日米安保条約こそ日本の安全のかなめだと・・・声高に、日本を軍事大国化する方向へと突き進む・・・という、危険性は、十分に考えられることだ。
・・・こうして、世界が、環太平洋が、環インド洋が・・・この、軍事的膨張主義に陥った時・・・日本は、どのような国家体制を成し続けるのだろう・・・先の太平洋戦争で痛感したこと・・・この日本列島は・・・どのように強力な軍事力を持ったとしても、列島への侵略は食い止められないことは周知のことだ・・・あの、米軍機による本土への絨毯爆撃を思い出せ。
・・・米国の太鼓持ちに日本政府は終始し、米国の属国となることを肯定しているようにさえ思える。米国の不満を、正面から受け止めるとしたなら・・・それは、米国の属国へとならざるをえまい。
そう、現実になるのは・・・日本は、日本列島は・・・丸裸、どんなに国土を“ハリネズミ化”したとしても、イージス・アショアを島嶼を含め、高密度に数百基と配置したとしても、脆弱な首都東京へ、一発の核弾頭を打ちこまれたなら・・・結果は明白だ・・・それは、国土の何処でも同じことだ。
いっときの応戦、自衛権の行使・・・は、可能だろう・・・しかし、それだけのことだ。
空には日本列島すべてを覆えるシェルターなんぞ作れるわけはないのだから・・・。
国土、国民、工業力を基底とする国力の維持は全く無力を露呈することになる。
そう、日本国はどんなにあがいても・・・戦争となれば・・・焦土と化す、そしてそれは高単位な放射能汚染そのものなのだ・・・もちろん、放射能汚染は焦土よりも悲惨となる。その現実をこの国の政治に直接かかわる者たちは、過去にも、現在をも、認めてはこなかった・・・そう、日本の国の立ち位置の現実認識と未来のビジョンを持とうともせず、目先の選挙に国民をだます虚言を吐き散らしながら、議席を得ることに、きゅうきゅうとしてきたし、この姿勢は今も変わらないだろうし、将来も同じ道、この道は滅びへの道なのだが・・・進み続けるだろう・・・そう、亡国の道を。
しかし、だからといって、これを無関心と国民の目による監視を放棄してもしょうがないとするわけにはいかない。
そうであるなら、国民が目覚め、国民による“日本国の未来像”を提案しなければならない・・・ということになるのだろうか。
そう、日本は日本国民は・・・どうする、どうしなければならないか、どんなビジョンを国民が示さなければならないか・・・。
・・・このことは、昨年、今年、と・・・なんども書いてきた・・・。お読みいただいた方もあるかと思う。そして、貴女・貴方を含めすべてが、苦笑ならぬ失笑されたことだろう・・・そう、日本国が永世中立国・・・と、なること。
そんな提案をした・・・ことを、ボクは、今日、令和元年6月27日、この日米安保が、アメリカの中にある意見のように、いつかは、破棄されるということになり、日本がいかに強力な軍事力に頼る国防を考えるなら、それは、この周辺国にとっては、好都合という軍事的環境になるということだろう。
・・・そう、周辺国にすれば・・・米中ロ、さらに朝鮮半島の国には・・・日本が軍事力増強へ傾けば・・・戦争へ火蓋はいつでも開くことが可能になるということだから。
・・・すなわち、軍事的な立ち位置で、国防を考えるなら・・・それは、亡国への最短の道となることだろう。
・・・生きる望みは・・・不可侵条約においても約束されない。
・・・そう、あのナチスドイツは周辺国へ軍事的に進出し、それらの国を手中にした。ソ連邦、そのスターリンは、不可侵条約を何の弁解もすることなく・・・破棄し、満州へ進出した・・・のだ。ただ、ヒトラーもスターリンも永世中立国スイスへはその矛先を向けなかった・・・。その他、永世中立国、これに類する欧州のいくつかの国家があった。
・・・そう、武力増強では国家は守れない・・・どんなに強力化したとしても。その武力増強に、国家日本はたちまち疲弊し、その努力は徒労となることは明白だ。
・・・トランプは、日本列島を、トランプのみならず、米国の政治に直接かかわる者は、また米国民は・・・日本を米国の“西部戦線・防衛線”その”前衛”だと考えている・・・そう、あのナカソネは、レーガンへのお追従・・・それを、”日本列島は不沈空母“だと・・・そう、爆撃されても沈みませんよ・・・そう、いかに焦土となっても、放射能に汚染されようとも・・・米国の国土防衛前線・・・西部戦線・前衛として日本はあり続ける・・・と、バカ極まるお追従を・・・これにアベも、追従しているのだろうか・・・。そう、いろいろなお追従は、その言動にすでに表れている。
・・・今こそ、こんなバカゲタ考えを持つ日本国の政治に直接かかわる者たちを信用すべきではないところまで来ている・・・が、一方の国民は政治・国家権力に何を期待するのか、何も言わないでいる。
でも、国民の声が、身近なところで、権力を押し返したよい例がある。
・・・数年前だったか、もっと以前?・・・幼児の保育園幼稚園への送り迎えに自転車の前後の荷台にそれぞれ幼子を載せ通園する姿、これは現在もおなじみだ。そこへ、アシスト自転車という便利な省力自転車が開発され、主婦らに重宝されはじめ、それに気づいた幼児のお母さんらが、この電動アシスト自転車を使い始め、前後に幼児を載せ中には背に赤子をおんぶし、4人乗りと・・・さっそうと!?通園やお買い物に使った。
これに目をつけたのが、国家公安委員会だったか、警察庁だったか、この機構は知らないが、とにかく国の機関が規制に乗り出した・・・。これにすぐさま反応し行動したのが、当の“おかあさんたち“だった、”幼児の通園を私たちはどうすればいいの、国は、産めよ増やせよ、と出産率の低さを止めようと躍起になっているのに、人口減少の危機が来ているといいながら、一方でこんな規制をする・・・そう、これは許せない!私たちの自由にさせて・・・!!!“・・・と、一気に団結と抗議がこの国中へ広まった・・・のだ。
これに驚き慌てた、当局は・・・この電動アシスト自転車の構造と使用法を定め、そう、安全な自転車と、乗り方を定めた。大人1人と特殊な荷台サドルとヘルメットをかぶった幼児2人まで、さらに歩道の通行などと・・・道路交通法などへも、そのいわば3人乗りを認めたのだった。そして、今日、ほとんどのお母さんがこの電動アシスト自転車に幼子を載せ、歩道をさっそうと、行き来されている。いい風景、姿だと思う。
この幼児通園の便利と安全なその乗り方を若いお母さんたちは全国レべルで勝ち取ったのだ・・・。
これは日本国においての、国民が直接勝ち取った身近な権利の希な例だ。
そして、これが公民の権利というものだと、全国民が知った良い例だろう。
・・・そう、本来、日本国民は、こうした行動が出来るのだ。そのための教育はすべての国民が受けている。
世の中のお母さんたちの潜在的、秘めたというのだろうか・・・その権利の行使と行動の力を、発揮した良い例だろうと僕は考えている・・・。
このことは、このBLOGに何度も書いた記憶がある・・・そう、お母さんたち、世の女性すべてが、声を上げ行動すれば、国家権力さえも、従わざるを得なくなる・・・。このことを、国民すべてが考えよう。
他人任せではなく、権力におもねる日本人の悪い癖、日本男子の悪い癖・・・それを、女性主婦の立場から男性に働きかけ、国家の暗部を炙りだし、国家の在り方までも、変えていく、この力の発揮に女性が頑張ってほしい、とボクは心から期待しています。国の在り方を変えるにはこの女性の力しかない。
そして、発想の転換、思い切ったビジョンをもち、自立する平和国家をどのように確実にするか、この国の子供たちを守り、戦場へ送り出さないで、国を繁栄させるにはどうすればいいのか、お母さんたちが、主婦が、国民が考え、国家の中枢が考える時が、今日、2019年・令和元年6月26日・・・改めてアメリカからやって来たと、思い知らされたぼくでした。
・・・・・・・・
今月はこれで・・・健康状態が芳しくない、それゆえか、頭の回転は、グリースが切れ軋みが大きくなっている。心は常に、暗い方へと傾き、この世に置いた身の将来が危ぶまれる状態だ。医者に掛かり薬をのみ、ウオーキングに励み、独りで考え行動し、これからもこうして、時々でも、ボクの意見を述べられればと思っています。そう、今月は、体調不良にもかかわらず、なぜかタイピング速度が上がって、それが頭の回転とシンクロし、こうして拙い意見を送り出すことが出来ます。

・・・とにかくお元気で、事故なく、お過ごしください。
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HITBIT 心もよう vol-111 May 2019

HITBIT[心もよう]vol-111 May 2019
・・・新たな天皇即位・改元「令和」・・・古代飛鳥の政治体制を回顧・・・
2019年5月1日・・・きょう、改元・・・元号は「令和・れいわ」。
昨日平成31年4月30日の24時をもつて平成の天皇が退位し上皇となられ、同時に皇太子が5月1日午前0時を以て天皇即位し、先月、前もって定められていた元号に改められ、新元号は「令和・れいわ」となった。
この「令和」に思ったのに「美しい国日本(ニホン)」「麗しき国日本」だ。良き元号だとも思った。
日本(ニホン)、なぜかボクはニッポンとよぶのは好きではない・・・かのフクダ総理(親の方)がニッポンとよぶとしたとかしなかったとか・・・どうでもいいが、このニホンというやわらか・ソフトな響きが、よりボクの感性に合うし、呼び方として正しいとも思っているが、ニホンとニッポン・・・どちらでも、雰囲気によって読めばいいのではとも思う、例えば、サッカーの国際大会では“ニッポン”と力強く叫ぶのが雰囲気としてあっているし、日本髪といえばやはり、“ニホン髪”だろう・・・そう、雰囲気、それに似つかわしくあればいい、一途に思いつめる必要もなかろうし・・・。
この改元に出くわすのは二度目、平成とこんどの令和で、二度目の体験となる。体験と書いたが、この身に何かが起きたわけではない。
このほか、時代の移ろいの区切りに、西暦の千年紀・ミレニアム・西暦2000年、そして、その新世紀2001年20世紀から21世紀へと100年紀ごとの新世紀への移行があり、さらに、かつて日本には「皇紀」という、西暦に比する日本の皇統の祖・神武天皇を始祖とし、建国以来今年は皇紀2679年らしい(暦には載っている)・・・これは現皇統が神・神武天皇を祖とするということを意味するのだそうであるが・・・。・・・実在したのか神話なのか、はたまた幻覚なのかわからないが・・・世々代々の天皇、この皇統が神の末裔であると、これは信じられ、かつては臣民?国民にも信じられてきて、明治維新を経て明治・大正・昭和・平成そして、この令和となったこと、この間にすなわち昭和20(1945)年太平洋戦争(日本では大東亜戦争とよんでいたし、今も一部の人はこう呼びたいらしい、アジアを開放する聖戦とでもいうのか?)、その敗戦によって、その皇統の神話性が占領軍によって否定され、皇統の神性も希薄化されたが、戦後の新憲法の草案の段階で、憲法草案を進めた学者や当時の内閣の強い姿勢・抵抗によって、昭和新憲法でも天皇制の存続が“象徴”という表現によって、かろうじて維持された。
皇室ではもともと皇統の神性は信じられて、平成天皇は神武へも言及した。すなわち、皇統の祖は神であると信じられている(天照大神・天皇や首相らがお伊勢参りするのも、天皇の祖への挨拶なのだろうか?)。これはまた国民にも信じられ支持されてもいるらしい(・・・まあ、観光旅行のいいわけか???)。
・やや主題からそれるが・・・それ、人々は“お伊勢参り”へと、旅する。それは江戸時代にはことに盛んで、厳しい関所の通過も”お伊勢参り“であれば、難なく通過することが出来たという。
”伊勢参り“は娯楽だったか、また閉じ込められた地域社会からいっとき開放される・・・そんな旅する口実かもしれないし、信心であるかもしれない。
また国民大多数が信じているのかどうか、信心とまで自己確認はしていないらしいが、パワースポットなんぞを信じてか・・・若い女子が連れ立って訪れる。
また、神ばかりでなく仏においても旅する口実、理由になって、近年ますます、その過熱ぶりがみえる。そして、観光地の寺や神社へ、お布施やらお賽銭として潤しているという。そう、美術品・芸術品として、仏像類が鑑賞の対象とされ、地方の有名寺院から、東京へと出張開示される。そう、ボクなんか、あの興福寺の宝、国民の宝、阿修羅像が東京へ出張した時には、身が縮むおもいで成り行きを見ていたものだ・・・塑壊れやすい塑像・・・事故でも起きなければよいのだがと・・・心配していた。
そう、寺社ではこの傾向は大歓迎なのだろう。やってくる人の信心あるいは古美術の鑑賞や歴史的な意義・・・そんなことなんかどうでもいい・・・今まで持て余し、維持するのも楽ではなかった・・・そう”宝の持ち腐れ“が思わぬ宝になる。そうして、寺社の体裁が整えられていく。真新しい解体修理がいたるところで進められ、それに伴って塔頭や庫裡がどんどんあたらしく作り替えられもする。商売繁盛のおかげというわけだ。
妙な方向へずれ落ちてしまった・・・。

・さて、この天皇制へ戻って考えてみれば、昭和憲法では、天皇は日本国の象徴であると、神を祖とするか否かは議論の外としつつ、“日本国の象徴””日本国民統合の象徴“として、国民統合の元締?と位置付けられ、絶えることなく現在に到っている。
・そして、ここに新たな問題として、その皇統の将来、血筋の存続、男の天皇を守るのか女の天皇を容認し国民統合の象徴を位置づけるのか、男女どちらでもいいのか・・・と、じわじわと議論というのか、存続の在り方が問われだしているという。
・ボクは、天皇制を一応容認するし、天皇制が存続する必要があれば、男女関係なく長子が嗣襲するのが最も明快だと考える。
なぜなら、昭和憲法以来、天皇は政治に関与しないこととなった。すなわち、天皇、例えば飛鳥時代、かつては大王といった、その大王は統治権、その治政権と祭祀権の二つ、すなわち全権を持ち、すなわち権力すべてを掌握する。
ところが飛鳥時代、大王が女の大王・中皇命(なかつすめらみこと)であったことが、推古紀、皇極紀、そして斎明紀の三度あり、その最後の持統紀を加えれば四度お女王(女天皇)の治世があったし、皇極紀と斎明紀の間には、孝徳紀という、やや血筋が異なるというのか薄いというのか、その中天皇(なかつすめらみこと)という天皇の時代・難波朝(孝徳紀)があった。さらに皇極紀と斎明紀は重祚(ちょうそ)、すなわち孝徳の姉寶皇女が、弟孝徳の時代10年ほどを挟んで二度の大王・中皇命として、即位している。
そう、まともに男が大王になったのは・・・葛城皇子すなわち天智だけだ・・・天武は叛乱・壬申の乱をおこして天智の皇子大友皇子(弘文)から大王位を奪い取って飛鳥浄御原朝を成した。
皇極紀と斎明紀の女大王、この寶皇女は、夫大王舒明の崩御により急遽、皇極として4年間大王の位置にあり、この四年目にあった乙巳の変で、蘇我蝦夷と子・入鹿大臣が皇太子葛城皇子とそれを陰で唆し操っていた中臣鎌子との謀議により皇極紀の大極殿で誅殺されてしまう。これが、乙巳(いっし)の変であった。
そう、古代倭国の大王権を支えてきた大臣には臣姓氏族の平群氏・許勢氏・蘇我氏などの武内宿禰の後裔氏族、また大連には連姓の大伴氏・物部氏・・・こうした古代氏族の排除に、皇太子葛城皇子(天智)の威を支えつつ背後で働きかけたのが後の藤原氏、すなわち中臣鎌子であった。そして、それは大王葛城皇子(天智)の死の前日、中臣鎌子の野望は達成され、藤原京時代、平城京時代へと藤原氏の権力構造は確立され続け平安京時代には全盛を誇る。
飛鳥時代以降こうして歴史上、藤原氏が台頭し、公卿の力があらわになって、大王すなわち天皇(すめらみこと)権は、その公卿による傀儡的な位置へと権力を失っていき、果ては武士階級が幕府という新たな権力機構を以て国を動かす権力を掌握する。
その権力もさらなる武士の台頭とその争奪の時代・戦国時代には幕府も衰退し、天皇の信頼も失せ、かわってその天皇を担ぎ台頭した戦国武士へと権力が移り、さらにその天下を統一したかに見えた織田信長のおもわぬ死と、かわって、うまく立ち回った豊臣秀吉が改めて天下を取る。その豊臣を倒した徳川幕府が260年余を統治、王政復古によりそれも失せ、武士階級が失せ、19世紀を数十年残し、明治維新以降は富国強兵の国家造りにおいて、政治に軍部が台頭し、牛耳っていくこととなった。これによって天皇権も軍国主義・軍部に利用され、天皇が軍の総帥(本気だったか嫌々だったかは定かではない・・・)として・・・これも一種の”象徴“的な位置づけが成されていた・・・。
明治大正昭和・・・昭和20(1945)年8月15日、連合国に対して無条件降伏・・・ここまで、明治憲法とそこに天皇制は治政権と祭祀(斎祀)権を天皇家の枠をはみ出し・・・成立してきた。
しかし、敗戦・・・結果の”昭和憲法“では政治にかかわることはなくなり、国民統合の象徴として・・・政治と切り離された天皇が、ただ国事行為に規定する政治的なかかわりの範囲と、別に天皇(天皇家)が有する祭祀権の範囲のみにおいて、神武以来の祭祀が現代も続けられてきているらしい・・・。
この度の平成の天皇の退位、すなわち、皇太子へ譲位して上皇となること、さらに令和へ元号が改められ、皇太子が即位する・・・それら一連の退位・即位・元号制定・・・それらは、天皇家の祭祀権と国家の国事行為とが付かず離れず進行して新たな天皇即位と元号への移行が成った。
・・・こうしてみると、天皇が男系である必要性は全くない・・・すなわち、天皇位は、その”祭祀権“のみにおいて、その象徴との位置づけとともに、天皇家において存続存在意義があるのであって、古代王権の治政権、例えば飛鳥時代は、実は常に祭祀権によってその”王権の内の治政権“すべての行為の進行は司られてきていたのであり、これは昭和の敗戦と新憲法がいう”天皇は政治にかかわらない“ということが、解釈を純粋にすれば事実上、古代飛鳥時代の倭(ヤマト)王権においてもすでに成立していたそれの踏襲に過ぎない現状であることに思い到るし、そうだとすれば、天皇が男系でなければならないことは何一つ理由がないことになる、と考えられる。
すなわち飛鳥時代はすでに大王が為す治政権は皇后が直接担う祭祀(斎祀)、これはもう権力といってもいい有様であった。そのことを、大王とそれを取り囲む大臣らは気づいてはいなかったらしいが・・・ただ一人、孝徳紀の皇太子・葛城皇子(天智)は気づいていた・・・、それ、斎祀があって初めて治政権は執行されていた、そのこと。
やや次代へと先走るが、この陰には、古代祭祀にかかわってきた中臣氏の祭祀に対する自負と、古代臣姓氏族と連姓氏族の根絶を図る目論見を持ちつつ葛城皇子を皇太子時代から大王時代へと忠誠を以て支えてきた、中臣氏、その鎌子の執念が実を結び、藤原氏として、藤原時代、平城時代そして平安時代へと、中世王朝を支える、藤原氏の栄華期を成していくのである。その一方で、藤原不比等の時だったか、中臣を政治権力と斎祀権力へと分離し、藤原氏と中臣氏とに分離独立させる。その斎祀権を担ったのが中臣氏であり、その象徴が春日大社であろう。また一方では仏教とのかかわりを、天皇とのかかわりを保ちつつ天皇の后・妃へと藤原の血筋を供しつつ強めても行く。その仏教とのかかわりの中心が興福寺であり、藤原氏の氏寺となる。
こうした時代への移行期、そのもっとも顕著な事件・事変が、大王斎明の弟・大王軽皇子(孝徳・中天皇(なかつすめらみこと))の難波治世の中紀、皇太子葛城皇子が為した叛乱、それは静かな叛乱であったが確かに叛乱であった・・・。それは、大王軽皇子(孝徳)の后・間人皇女(皇太子葛城皇子の妹(はしひとのひめみこ))を拉致し、難波宮から飛鳥へと連れ去り、大臣公卿らもすべてを飛鳥へと還らせた・・・この皇太子葛城皇子をあおりそそのかし、実行した影の存在が中臣鎌子なくしては語れない。それを叛乱をボク皇太子葛城皇子の”静かな叛乱“とよぶが、確かに皇后を奪取・拉致し連れ去った・・・この大事件こそ、皇后の為す祭祀(斎祀)権を大王軽皇子(孝徳)から奪い取り飛鳥へと連れ去ったのである。すなわちただ一人、皇太子葛城皇子は、后の存在意義を理解しており、影の存在、中臣氏という飛鳥時代まで斎祀を担ってきた氏族はまた、その斎祀を担うことの重要性を把握しており,この教唆こそが葛城皇子を唆し煽ったのである。
これによってその成す祭祀によって治政権は薦められることを、皇太子葛城皇子、後の大王天智は明らかに理解していた。
そして、自身が皇太子であることも、間違いなく理解していて、現大王の后を大王からはがし、大王軽皇子(孝徳)から祭祀権を奪い去った。そして、今、皇太子葛城皇子は、自らの手に治政権と祭祀権の両権限を手に入れたのである。しかし、なぜか、皇太子は現大王軽皇子(孝徳)を自らの手で消すことまでは為さなかった。そう、かろうじてではあるが、未来の大王は理性を保ったのである。ここが後の壬申の乱を引き起こした弟皇子・大海人皇子(天武)と違うところか。
すなわち、皇太子葛城皇子は左右大臣・公卿・群臣らを糾合し、母の弟である大王軽皇子(孝徳)から、その治政権を奪取・・・すなわち、皇太子主導による集団政治体制の成立・・・という叛乱を成したのであるが、その治政権にはすべて祭祀(斎祀)が伴わなければ成り立たない“機構”に当時の政治体制はあったのである。
すなわち政治には必ず祭祀(斎祀)が伴わなければならなかった、飛鳥時代・・・実はそれ以前の古代王権においても・・・その絶対的な祭祀権を皇太子葛城皇子は大王軽皇子の后・間人皇女を大王から引き剥がし、飛鳥へ連れ去り、飛鳥において皇太子と群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを意図したのである。
すなわち皇太子の妃ではその斎祀は成り立たず、大王の后・皇后・王后でなければならなかった。その時、皇太子葛城皇子の妃は后ではなく、ただの皇太子妃に過ぎなかったのである。
これまで、大王権が后の上位にあると考えられてきた、確かに表面上はそれでよいかもしれないが、古代政治・大王の統治権は、実は后が為す斎祀権によってすべてが“決定され有効”となったのであることが日本史学・歴史解釈上、全く見落とされてきていた。現在も見過ごされている。
・やや方向がそれるが、あえて言えば、あの不可解な“巫女王”とされる“卑弥呼解釈”においても、それ斎祀権のこと、その要素だけを注目して解釈され続けている。そう、なぜ卑弥呼がその時、あの混乱の時代に、男の大王権を封じて必要とされたかの論議が為されず、ただ単に斎祀を司った卑弥呼というように、卑弥呼だけが、その古代王権成立の重要な要素、斎祀、それをただ卑弥呼解釈においてのみ語り、祭祀権が治政権には必要であったことが、語られない・理解されていないで来ている。すなわち、後の大王権の権力、治政権と祭祀(斎祀)権においては、いかに大王后が重要なのかがりかいされてこず、その、なす斎祀権の意味を歴史家らは失念してしまっている。
飛鳥時代以降、大王権・統治権、その二つの要素、治政権と斎祀権の両権利を基本的・表面上は男大王が主導し為すのであるが、それは飛鳥時代の始め、その舒明紀に純粋に大王権はあったのであり、それ以降皇極紀・孝徳紀・斎明紀は、いわば中皇命(なかつすめらみこと)の時代であったのである。それには女大王あるいは大王王后により天上の神へその執行の承諾を得なければならなかった、その権力・巫女王が、それ、神に伺いを立て、神の承認を得ることは、飛鳥時代、さらにそれ以前の古代大和朝廷の時代も必須であったのである。
・実は、これも歴史学者らには見落とされ、空虚な男大王の存在、その解釈の結果の脆弱な基盤上で史学・歴史学・古代文学など、その研究や討論はなされてきている・・・そう、現在も。
・・・・・・・
現代の日本の政治体制・・・昭和憲法上、さらにさかのぼれば、明治憲法においても、現実は大王が治政権を執行し祭祀(斎祀)権をも執行するには祭祀(斎祀)を実際に執り行う皇后の存在が必須であった・・・しかし、明治になって、どうしたわけか、皇后は斎祀権をも天皇へ渡してしまったかのような扱いを受け、天皇の妻・男子・王権の嗣襲のための男子を生む装置・だから側女という位置をも許してきた、というような付随的存在にされてしまった・・・これを疑問に思わず、天皇も皇后も、政治家たちも日本史学者らも、完全に失念している・・・。
・そう、王后・皇后の必要な訳・・・総てが忘却状態・・・)は、まさに飛鳥時代のあの皇太子葛城皇子が為した静かな叛乱・大王軽皇子の后を剥奪・拉致の上に飛鳥還りした意味とは・・・群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを如実に示している(が、誰もこのことに気づいてはいない???)・・・政府・国会・国民主権その投票権、さらに三権分立。ただそこには現代、常に、祭祀権は表立っておらず、斎祀は天皇権のもの、としての解釈となってしまった今日、それも男の天皇が祭祀をしているそれに疑問を抱くでもなく、王后・皇后の存在意味を問うでもなく・・・しかし、ここに到って、いかにも存在しないかに見える、いわば天皇制・象徴天皇は、過去の歴史の本質への回帰だったとも考えることが出来よう。
そうであるのに、日本史学は飛鳥時代、その前紀・・・推古紀(この時代も飛鳥時代へ入れれば)、皇極紀は女大王寶皇女(中皇命・なかつすめらみこと)−が、祭祀を執り行うことを前提に、皇太子と群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを意図していた、孝徳紀・難波朝廷・中天皇(なかつすめらみこと)の時代−中継ぎの男天皇の時代−傀儡の大王権との認識だったが、この大王は大化改新とよばれる改革政治を実行した、そして、斎明紀は女大王寶皇女(中皇命・なかつすめらみこと)が祭祀を執り行うことを前提に、皇太子と群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを意図し、かつ実行した時代であったことを完全に見落とし、日本史をあらぬ方向へ誘導してきてしまった・・・この時代、政治を担ったのは女帝ともいえる女天皇・・・すなわち、中皇命(なかつすめらみこと)の治世時代であったことと、その実態を、政治と祭祀・斎祀の観点から、斎祀を完全に見落としてきた・・・日本史研究・・・、ただし、推古紀は厩戸皇子・聖徳太子−皇太子を摂政とし完全に治政権をゆだねていた(ここでも女大王推古は斎祀を担っていた)、まれな時代であったし、孝徳紀・難波朝廷の大化紀は天皇を飾り・傀儡として指名したが、この大王軽皇子は右大臣蘇我倉山田石川麻呂との治世を果敢に実行し、かつ、后間人皇女は大王を支持し,その斎祀権を大王孝徳のために行使し、傀儡大王のはずの大王軽皇子(孝徳)紀の思わぬ治政権の行使者となり、大化改新を成した大王となった(現代歴史は、大化改新を成したのは、皇太子であった葛城皇子だとしているが、これは大きな間違いだ)・・・慌てた皇太子葛城皇子は腹心中臣鎌子と議らい(謀議・策謀)飛鳥還りをはたすという“静かな叛乱−謀叛”を実行した。この叛乱は、大王の妃を獲得する、治政権を祭祀権を以て執行に到らせるというこの時代の本質を、実はただ一人、時の皇太子葛城皇子(天智)は、見抜いていたのであり、これを支えたのが中臣鎌子だったのである。
これ以前、皇極紀の乙巳の変・・・蘇我蝦夷と子の大臣入鹿を暗殺する変事があるが、その政治の実態、飛鳥時代、難波朝廷の紀、孝徳紀の事件(葛城皇子の飛鳥還り)を正視することなく歴史からは見過ごし、ただ一方的な男の目、男たちの独善の政治観、歴史観、男上位であるという愚かな観念、そのことばかりに意を用い、・・・本質が祭祀(斎祀)権にある・・・ことに気づくことなく見落としてきた日本史観・・・実際、男の王権・天皇の権威が確立するのは、奈良時代、おおよそ平城遷都後、仏教が形をあらわにしたころ、東大寺に大仏が建立された時に、確実となった時の天皇権からである。
・大王権と時代−ことに古代飛鳥時代の歴史解釈が、王権と祭祀(斎祀)の関係を見失わせ、歴史が語られてきたそのことを、ボクは2008年秋からの論考とその結果である『額田王研究』(八月美術館発行)において明らかにしてきたが、この視点が、今日の天皇制さらに天皇の嗣襲において、この象徴天皇を語るとき、祭祀権を司る天皇の姿に女性があっても何ら不思議ではない、女性である方が当然であることが、すでに飛鳥時代には”事件”としてその叛乱・皇太子葛城皇子の叛乱、その飛鳥還り・・・に、あったこと、そこに、今日改めて注目し歴史を、「令和」の今、この時、語らねばならないと考える。
すなわち、この令和の天皇は、幸いなこと、あるいは偶然に、平成天皇の直系、その第一子が男子・皇子であったことが、さも当然と必然のように解釈され受け入れられ、昭和憲法のもとでは、天皇の持つ大王権その二つの権力、治政権と祭祀権・・・であったが、それ、失われた治政権・剥奪された治政権・・・それに気づかれることなく・・・男子の天皇の即位となられた・・・と、このように考えられる。
実は昭和憲法が天皇を国民統合の象徴天皇とすることを明言し発布されたその時に、天皇が男女関係なく長子が嗣襲することを暗に認めていたのであり、女天皇(女皇・女王)の成立は何一つ問題をはらむものではなかった、と考えてよい。
それよりも、男系を堅持しようとする男社会の反映のあまり、長子という、もっとも単純・純粋な王権の嗣襲者という皇統の単純性を阻害し、複雑化し、さらには、天皇の霊(たま)と血(血統・ニニギノミコトが霊とされながらも、この豊葦原瑞穂国へもたらしたもの)の単純・純粋性を複雑化し、皇位の継承を複雑化し曖昧化するという危うさを作り出している。
このように考えれば、令和の次の時代には、その一人っ子である長子・女・長女である女天皇が即位されても何の不都合はなく、今後の天皇家の秩序を単純化し正統化して行く道筋とすべき時だろう。その次も長子を基本にしていき、不測の自他への備えも、そこから始めるという道筋を踏めばいかがだろう。アベ総理は、今こそ、これを政治行動に組み込み考え決定すべきと記であろう。このまま放置すれば、皇位継承は必ず混乱をもたらすだろう、そうしないためにも、現アベ政権は行動するべきだ。
もともと、天皇制は神・天照(アマテラス‐これだけですでに大神・オオミカミを意味するほど大きな神なのであるらしい)・・・ここから発したとすれば、女天皇であること、そこにただ一つの不都合もあり得ない・・・すなわち、天の御神の霊を自らが霊とされ天降ったニニギノミコトは、残念ながらその天の御神の霊と血の運び屋に過ぎなかったのであること(これは『額田王研究』中に詳述・・・假使天孫・たとひのあめみま・“神霊のただの運び屋”)を、今こそ、日本国民は知るべきである。
昭和憲法を考えるとき、古代倭王権の祭祀(斎祀)権そのもの、治政権には常に祭祀(斎祀)が伴うという原点へ純粋に立ち戻るということに昭和新憲法は明言すべきであったのに、それをGHQと日本の憲法学者・歴史学者は考慮を致さなかった、全く気付いていなかったのである、がここへきて、女天皇・女皇・女王を議論するとき、歴史、日本史を改めて、読み解けば(すなわち疑似漢文・漢文へ立ち返って、一字ずつ漢字を読み解くこと)、現在の民主憲法にも沿うものとなることに、思い到るはずである。
すなわち古代の、そして現在の天皇が母系女系から発したと考えれば、天皇が男系でなければならないとしたのは、敗戦時にまで存在した軍国主義・帝国主義の残滓を脳に焼き付けていた憲法学者や法学者・歴史学者らの誤った識見が為したものだと考えられる。
そう、倭国は元といえば女系・母系、女性上位、女が治める国であったものが、たまたま神武という大王が仮説か仮想か幻か、男であったところを言い訳にし、ニニギノミコトさらに神武を生んだ母の存在に言及しないところへと進めた結果というのが本当のところだったかもしれない・・・いや、まさにそうであったのだろう。そう卑弥呼のように、この巫女王の時代が平和を求めて成立したように。そして、アマテラスが天降り来て倭国の最高神となったことのように・・・男は、女神の掌の上で弄ばれるのか・・・また、それこそが平和なのかしら・・・と、想うのである?!?
・かの平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった」と。名言を遺した。これは倭国・日本女性の本質を一言で述べたのである・・・と、ボクはこれを肯定する。
一方で平塚らいてうは「現代、女性は月である」とも述べた・・・ボクは、これをも肯定する・・・しかし、それは輝く太陽があってこそ、月は照る・・・そう、この月の照ること輝くこと・月の満ち欠け・・・これは実は、地球を介した太陽の働きそのものの作用であり・・・太陽の輝きよりはるかに深遠・深淵な趣を内包している・・・らいてうはこれを見逃しているが、女性とは、ここに思うように、大変な尊厳ある存在だと僕は思う、真剣に思う。
平塚らいてうは、現代、女性が月のような存在、であると口惜しそうに言い残したが、らいてうの口惜しさは、この男ども、その優位を我がもの顔に為すその男への“忌忌(いまいま)しさ”のために、女性の尊厳・本質・存在を見失っていたのかもしれないと、思う。いや、この忌忌しさが、女らいてうの思考の底に常にあったのだろうか。
そう、女性とはきっと、太陽そのものでありつつ、その月をも存在せしめ、その輝きを失うことはない能力なのだろう。
女性の自覚と包容力・・・それは、右隻左隻の屏風それぞれに金銀と輝く太陽と満月のように、相照りながら、人の存在を見つめ続け、励まし続けるのだろう・・・きっと・・・この日本という国においては・・・。
君は、この宇宙にこの地球に月がなかったなら、この夜が、ただ星明りだけ暗闇ばかりだとしたら、なんと味気なく寂しいことだろう・・・。そう、この世に月があるからこそ、文学は科学は進歩した。農民が科学者となりえたのは、その月の満ち干を察知したからに他ならない。月こそ、地球の母なる存在、あるいは、本当は地球の孝行娘なのかもしれないと、思う。
ああっ、ボクも予想だにしない・・・あらぬ結末?いや、ここへ行きつくべくして、ボクはこの長い五月の序文を書き出したかもしれないと今思う。
・・・そう、こんなこととなってしまった・・・ごめんなさい男たちへ。そして特に女たちへ・・・この日本(にほん)のこと頼みます・・・日本がこの倭国が本当の男女同権であるそのこと、いや、本当は女性あっての国、女性上位の国・・・女の影の力なくして成り立たないことの、密かな女の自覚と、いうまでない男の自覚、日本の男は十分自覚してきた・・・これこそが日本の平和を創りうる・・・そのこと!!!
「令和」・・・美しい国日本・麗しき国日本・・・この、美しき女たちへ。
よろしく、女たちよ・・・これからも・・・。
・・・このBLOG第111号・・・なんだか偶然なのだけど、企まずして、偶然とは・・・なんと・・・。ええ、何年も前、1年間休刊したことが・・・この記念すべき号となりました・・・。
この加筆部・修正部をタイピングしていた5月27日、月曜日・・・家の前の里山、その斜面の雑木林から、これまで聞いたこともない、ホトトギスの群れ来て鳴くのかしら・・・その繰り返す鳴き声・・・僕の著『糠田王研究』に登場したこの夏鳥の鳴き声、囀り・・・あの飛鳥の故京に鳴く重要な風景・・・これを思い・・・感激しつつ、この5月27日の加筆・修正タイプをしました・・・。この異常気象の1週間ほど・・・狂った季節・・・その異常も今日で収まるのでしょうか・・・。
そう、来月6月も頑張って過ごしましょう・・・異常気象,不安定な気候が、いつ何時ぶり返すかしれません・・・どうか、貴女・貴方にはお体ご自愛の上お過ごしくださいますように・・・。・・・・・・・・・・・・・再見!!! 
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===目次===
5/01  ・・・退位・即位・新元号・・・
5/08  ・・・元号決定・その背後?・・・
5/09  ・・・自動車税の請求・納付書に大きく“元”と赤刷り・・・
5/16  ・・・・・・新緑と人生を重ね見て・・・
5/27  ・・・ホトトギスが鳴き続ける今日の里山・・・
5/30  ・・・今日の里山・・・
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・・・退位・即位・新元号・・・
5/01/Wed.
昨夜24時をもって昭和の天皇は退位し、上皇となられ、それによって、この5月1日は皇太子が新たな天皇へ即位し、そして4月1日に決まっていた(エイプリルフールの洒落じゃなかったんだ・・・)新元号は『令和−れいわ』と正式に決まった。これは熟語としては存在しない。新しく考え組み合わされた文字『令』と文字『和』からなる新しい熟語?ということが出来よう。これを「れいわ」とよむ。これ、すなわち、この“日本国を寿ぐ”呼びかけ・・・か。
元号(年号)は明治になって天皇一代限りの年号とすると決まったのであるが、この2019年の天皇退位により皇太子が5月1日に天皇即位した。
これに先立って、新元号が、現在の政府によって今日4月1日に決定され発表された。今日5月1日であるが、この元号決定の在り方は、本来の元号決定とは後先が逆なのではないかと考えるが、天皇が政治に関与しないということから、政府が主導し、先に元号が決定された。ここには、政治・経済・社会通念など、さまざまに年号・元号がついて回るこの日本の世の中において、即位までの一月の間を余裕ある世・時代の移行を促すということか。
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・・・元号決定・その背後?・・・
5/08/Wed.
6日で長く長い10連休はようやく終わった。ニュース・記事になるような大きな事故が起きることもなく(登山遭難や高速道路の事故はあったが・・・)・・・まあまあの良き休暇をお勤めの皆さんは過ごされたようだ。
しかし、ここでもこの長い休暇の日々を自由気ままに過ごすこともなく、休暇を楽しむ人たちへその楽しみを提供する側の人たちがいること、この休日を、苦痛を以て過ごさねばならない人たちがいることへも、少しでいいから思いすることを、心にとどめたい。多分そんなことへ思いをすることは・・・?
ところで元号が改まったことは、国民や外国でも好意的にとらえられたようだ。ちょうちん行列はあったのかなかったのか知らないが・・・。バカ騒ぎをやらかしたものもあったようだが、混乱にはならなかったらしい。
二千何百年も続く皇統があなす象徴に国民は統合されるという国・・・これは日本人にしても、外国の人たちにしても・・・なんとまあ、不思議な国・国民・・・そんな印象を改めて与えたようだ。
そして、天皇とその家族が“国民統合の象徴”・・・なんて、なんと曖昧な言葉と、ある意味の形・・・なのだろうとおもう。
このあいまいさ・・・良くも悪くも、この国の体制と政治、この国民・・・と、不思議、やはりなんと考えてもわからない不可思議な行動と考え方の人たち・・・この国と国民・・・なのだろうと・・・やっぱり、地球の東の果ての国・・・その何千キロと緯度と経度を斜めに断ち切って、いや、その緯度と経度のなす網に引っ掛かりながら大海原に支えられて地球の表面にくっついて在るという列島の国・・・火山と地震、それに大津波に怯えながら、この狭い列島に、ニコニコと暮らす妙な人たち・・・住むところに違いがありながら、四季があり、何となく全体が同じようなものの考え方をし、何となくニコニコしながら曖昧さを表し、それが外国人には、親切で礼儀正しく、秩序を以て社会を作っているし、礼儀正しく親切だし・・・などと評され・・・さらにそこに伝統という様々な、精神的な位置づけや行動の在り方を日常に表し持ち続けてもいる・・・原爆に悲嘆をあらわにし、大地震と津波と原発ダウンと放射能汚染・・・戦争を反省し、今では忌避しながら戦力を拡充し、その背景に伝統と技術革新を成しつつ敗戦から立ち上がって、それが国民一丸の働きだったなんぞと・・・戦後の国民の自己評価は言いう・・・。
・しかし、世界の中でも、きわめて小さな狭い家に住み、そう、さして高級な住まい・現代的な住まいでもないこの国の人たちの住まい・・・それに生活・俺もその内にあることを認めつつ、手立てもないまま、むなしく日々を過ごしている・・・日々、何となく過ぎていく・・・。
・ボクには関係ない日常ではあるが・・・B級グルメに満足し、魚の生身を食う、不思議な食べ物にうつつをぬかし、なんとも秩序のない居酒屋にたむろし、終電に遅れもせず、その狭っ苦しい家に帰る、よっぱらいながらも最寄りの駅に間違うこともなくたどり着き目を覚まし、駆け降りる。
そしてまた、駅前の赤ちょうちんでも引っ掛かり・・・一杯ひっかけ・・・最近はおっさんばかりでなく、お若い女性が・・・赤ちょうちんに縄のれんをかきあげ・・・おっさんらを従えて飲みまくりB級を食いまくる・・・それでいて、次の日には、二日酔いをシジミのエキスをかみしめて、営業へと繰り出していく・・・あるいは海に面した埋め立て地のタワーマンションなる、似通った形のそれらが林立するその一棟・最寄り階、その一室へと間違いもせずたどり着く不思議・・・。
・海抜ゼロメートル地帯・・・そこへ大津波がいつ押し寄せてくるかなんてことは、そのエキゾチックな行動と思考に覆い隠して改めて恐怖におびえることもなく・・・へっちゃら・・・な日常性。そこへ帰りつく地下鉄が海面よりはるかに深く貫通していることなんぞ想像だしない、この上京者、田舎者の、そのずぶとさ・・・。
ええ、この、どう考えても、おかしな民族・・・これが、国民統合の象徴の為せるものなのか・・・なのかどうか知らないが、最近は・・・黄色・黒色・白色・茶色・赤色・透明?・・・と、これを国際色豊かといい、それぞれの面々を加え・・・なんだか、わいわいがやがやと、にぎやかに・・・やっている・・・。お行儀がいい、モラルを守る人の国・・・そんな人が居酒屋で、手皿で煮物の汁を受け、おっととと、武骨な手で受ける・・・その無様さ・・・平気面・・・恥しらず。そして、しゃれて一句詠む、その軽妙さ、面妖な押しの強さかな・・・これ。
・クール・ジャパンなんぞと自慢げなことを臆面もせず、外人の出演者にオベッカまがいの愛想をつかわせ、ほめそやさせて大満足・・・馬鹿気た気恥ずかしさだし恥ずべきことだ。
そして、世界の国々の国民の幸福度調査では・・・50位だか60位という中流以下の幸福度なのに、街頭インタビューに答えて、さすがに1位だなんぞとは言わず世界2位か5・6位くらいかしらと、満足げにあっけらかんと答えるお嬢さんおばさん・・・いいわねぇ〜この変な国。
・僕も、この日常・・・不幸だけれど・・・不仕合せでもない・・・日常、日々刻々身辺に起きることを受け入れ、こうして生きていることを、受け入れている。このお嬢さんおばさんのような精神状態・・・これにボクはすごく好感を持つ。ええ、これ、ほんとうに正直に、褒め言葉です。
ほんと、この国の国民・・・この能天気さおおらかさ・・・あえて言えば、忘れっぽさ・飽きっぽさ・・・自分を幸福だと思うこの大らかさ鈍感さこそ、ニホン人の美徳だし良き国民性なのだ。
・ええ、どこかの国のように何十年何百年と”怨念”を持ち続け、せっかくの友好の協定をも平気の平左、へっちゃらでチャラにする、反故にする・・・この厚かましさ低劣さ・・・その大統領。
・そんなのに比べるとこの日本国民は本当に幸福かもと思えてしまう。この忘れっぽさの故にか・・・、エキゾチック?な妙な人間・二ホン人がこの二十一世紀にまでも存在し続けている。これ自体が不思議といえば、不思議なことだ・・・。これも国民統合のありがたさかしら・・・ね、ううん???
これ、もしかすると国全体が・・・絶海の孤島である所以かもしれない・・・ね。そう、確かに経度緯度のなす網に引っ掛かってかろうじて浮いている列島の国、日本。そう、まじめに考えたら、恐ろしくて、こんな浮き島になんてくらしていけないでしょ???
そう、未曽有の災害すら・・・さらりと忘れる・・・これ、日本人の、この民族の本当の心の中ではなく・・・振りかしら???
【追記】全く別のこと、今宵・・・あの飛鳥故京、その額田王とともに、その庵で眺めた陰暦四月八日の月を思い出していた(『額田王研究』の「はじめに・序章」)。そう、この研究書の冒頭、額田王との出会いの日の宵を思い出す。
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・・・自動車税の請求・納付書に大きく“元”と赤刷り・・・
5/09/Thu.
ギラギラとした日差しの昨日一昨日・・・それを忘れさせる今日の曇り空・・・落ち着く。
今日は自動車税を納めに行った。そして、その日付けを・・・元年05月09日・・・と記入した。そう新元号が成って初めての公式な記入だ・・・令和とは書く欄がなかったけど・・・とにかく初めての記入。
いいねえ、この元号というやつ・・・なかなかいい。
世界唯一、自国の年号を持っていて使うなんて・・・しゃれてる。ボクは平成という元号はあえて使うことをしなかったというか、西暦で覚える方が何かと都合がいいような気がして、西暦を使っていた。
今年この5月からは少し元号をも使ってみようかなとも思っている。
そう、自動車税の請求・納付書に大きく“元”と赤刷りされたそれが何となく新鮮に感じられたことが、この元号使用を僕にさせたのかもしれない。
そして、この通知書の片隅に小さく“グリーン税”なる記述、その14%ほどが加算されていると但し書きがあるのを見出し、その理不尽をなじりつつ払ってしまったものは致し方ないと、いやいやながら許してやった???
物を大切し、大事に使う、これは僕の生き方・・・本当に物を壊さないように使い続けることは、僕の生き方の一面だと自分自身を思っている、すなわち“ツマシイ”この性分(吝嗇ではない)のこの人間ボクが、どうしたわけか、あらぬ課税・加税に屈服しなければならないこの不思議・理不尽・・・を、泣く泣く諦めた・・・そう、物を大切にすることが、なぜか、悪いことのような・・・課税だ。
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・・・新緑と人生を重ね見て・・・
5/16/Thu.
おとついは雨降り、昨日の午前中は陽が射し、午後からは薄曇り、気温が下がって・・・。
付近の里山を新緑が覆い、新芽が醸すのだろう、さわやかな柑橘系の香りがこの辺りを覆っていたが、それも収まってきた。
こうして気付けば近くに緑地があることが奇跡のようにも思われる。
いつも書くことだが家の目の前の里山の斜面の裾(「の」がいっぱいの文・・・へたくそ)、そこにハゼの木がある、それが毎年新緑とともに樹勢を広めていく。そして、夏ともなるとやや独特な色合い、何となく暗い感じの、その深い緑色の枝々が周りの灌木をのみこんでいくように思える。
また、すっくと立った赤松が灌木からはるかに高く幹を伸ばして、見事な姿だ。
今年、新年になって気づいたことに、三本だけだと思っていた赤松が、斜面の奥、そこここに新たな立木を見つけた。それとともに、その周囲にハゼノキの若木がそだっているのにも気づいた。
なんでもない雑木林の斜面、何事もなさそうな風景だけど、そこかしこで、木々のせめぎあい、生き残りをかけた戦いがあるのだろうか。
・ボクは、早々に人生、それを社会の片隅に置いてきた。何事につけ競い合うことが苦手で、この目の前の雑木林の中の静かな生き残りの戦い、その敗者となって枯れていく、雑木の様だとも思えてくる。
目の前の、すっくと立った赤松の見事な姿、これを美しいと思うが、僕自身は、この姿の様には、これからも生きてはいけないし、そうなりたいとの願望もない。でも、姿勢だけは“スック”と立っていたいが、背はまるく前かがみになり、そのうちに腰も曲がっていくのかしら、なんて想像も・・・。しかし、心は“孤高でありたい”。
そう、新緑と人生を重ね見て、ふと、こんなことを書いた。
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・・・思い出の満月・・・
5/20/Mon 
昨夜のこと・・・満月を東の里山、その尾根の端に見つけた。
昨日は陰暦の四月十五日。
ウオーキング中は気づかず、まだ昇っていなかったらしい・・・。
コースの東端(中間点・家から3,2辧砲妊拭璽鵑掘∪召惴かって快調な足取りで帰路についた。ここ数日、膝の調子もよく、続けていたウオーキングにもかかわらず、体調が不調だったその故か、やせ細ってしまっていたふくらはぎの筋肉の働きもよく、肉付きも少しだけよくなってきたようだ。
・・・どんどんと西へと進み、さらにわが家へと北へ向かって右折、家も近くなって開けた公園沿いの道、その東側の歩道から横断歩道を渡って西側の歩道へしばらく進んだ時、なんとなく右手に気配・・・そう、ふと街路樹の木の間、向こうの里山の尾根の頂に”ダイダラボッチ“風の満月が、”ニョッキ“と・・・揺蕩い(たゆたい)・まさに悠然と満月が、橙色の満月が、たった今、全身を見せたかのように昇って、そこにあった。8時ころだったか、腕時計を見る間もなく、その橙色の大きな満月,何となく縦長な満月顔・・・そう思いながら見とれ、その続けて尾根のシルエットから上方へと離れ行く見事さに、背後の鉄柵へもたれ木の間を透かして見とれた。
・・・束の間、尾根のシルエットから徐々に離れ昇っていくのを眺めながら地軸の回転、東への回転を少しだけ実感しながら、そのシルエットから少しずつ離れはなれて昇っていく不思議に心を奪われつつ・・・あの飛鳥故京、その額田王とともに、その庵で眺めた陰暦四月十五日の満月を思い出していた(『額田王研究』の「序章」)。
・・・だが、今日・今宵は小雨のため、ウオーキングをサボッタ・・・。
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・・・ホトトギスが鳴き続ける今日の里山・・・
5/27/Mon 
今日は、旧暦4月23日・・・。旧の暦でも夏・・・夏鳥が鳴きました。
午前9時ころ、家の前の里山、その雑木林からホトトギスの囀りが・・・きょきょきょきょきょきょきょ・きょきょきょきょきょきょきょ・きょきょきょきょきょきょきょ・と、三四度聞こえてきた・・・そう、夏だ・・・ホトトギスが鳴く・・・。
午後2時ころにも、ちょっと変わった鳴き声、力強いそれが聞こえた・・・きょ・きょ・きょ・きょ・きょ・・・と、区切りながらなくそれ・・・。
*唐突であるが、ここでホトトギスを詠った万葉集歌二首を記そう。
・古に恋ふる鳥かも弓弦葉(ゆづるは)の 三井(みい)の上より鳴き渡りゆく
・第111歌弓削皇子(ゆげのみこ)が持統天皇の吉野への幸に随行し旅立つ際の額田王への別れの挨拶歌。
・今飛び去っていったのは、古を恋ふる鳥・ほととぎすかも、わたくしはいま飛鳥を発ちます、お別れです、お元気で―
と、自らを爐曚箸箸す瓩剖鼎蕕掘∈は持統天皇が治めるその飛鳥淨御原宮より旅立つ。
弓削皇子自らに起きつつある宮廷での不遇な地位、その不安から同じ様に淡海朝廷葛城皇子(天智)に仕え、この飛鳥では幽閉に近い境遇の額田王へ、謎かけのような趣の愛惜のこもるこの歌を贈る。
・贈られたこの歌に和(こた)え、返し進(おく)る次の第112歌が、あの僕の書、その序の章の冒頭におきたい額田王の歌。
次の歌の第3句「霍公鳥・ほととぎす」は夏の鳥、古代中国では懐古し哀しみ鳴く鳥‐ほととぎす。序の章、僕が額田王の屋へ出かけた旧暦四月八日の夕べから始まる論考・・・です。
古に恋らむ鳥は霍公鳥 けだしや鳴きし吾思えるごと     第112歌・額田王
・ほととぎすは古に思いをはせ哀しみ鳴く鳥ともうしまするそうな、よき貴人武人(弓削・弓絃・良武・・この二首にまつわる“武”からの武人)もまたその様な思いを心深くお持ちなのでしょうか、このわたくしめもやはり、よきむかしが恋しくてなりませぬ―
と、過去に飛鳥で起きたいくつもの策謀とその結果をおもいやりながら、王は心からの別れの歌を返しおくる。その場面・・・。
・・・・・・・・・・・・
天気予報によれば、ここ連日の記録破りの暑さは今日限りで、平年に戻るそうな・・・本当かしら。
数年前から、この季節になるとホトトギスの囀りを聴く。なかなか印象深い鳴き声だ。著書『額田王研究』の序章の前、「はじめに」の末尾に書いた部分を、一部ここに再録した。
それにしてもこの不快な暑さ、湿度が徐々に上がって、不快指数(近年聞かなくなった・・・夏中不快なことを言いつのられても不快指数が一層ひゅかいになるものね・・・)も上がる。
これも致し方ないこと、海に囲まれた日本、雨の降ることは日常の国だ。ホトトギスは、こんな蒸し暑さが好きなのかもしれない。
それにしても、近年の気候変動を如実に表しているかのような東海地方の高温・・・この1週間ほどの異常な高温・・・。これには参る・・・そう、思考力が、衰えを見せる中、この高温で、その症状がさらに進む、そんな気がする。ええ、もともとの能力不足を棚に上げて・・・お天気のせいにしています。
いま宵の7時10分・・・今から着替えして、ウオーキングへ出かけます。気をつけていってきますね・・・。
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・・・今日の里山・・・
5/30/Thu 
一昨日28日は雨降り・・・空気が長閑(のどか)になって、気持ちも落ち着く。
昨日29日は晴れ・・・気温が下がって、早々に洗ってしまっておいた冬のウオーキング用ウインドウブレーカーを引っ張り出した。
心がけているウオーキングも雨の日は休む、さらに時々ズル休みもする。
・・・いくつもの病を宿している?ボクは、宵の口ごとのウオーキングは虚弱な体(他人にはそうは見えないらしいが・・・)、精神と体自体を保ちつづけるのに必要だ。
そういえば、盛んに鳴きかわしていたホトトギスがぱったりと鳴かなくなって数日、なんと鳥とは自由なもの・・・と、改めて思う。そうそう、このホトトギスが鳴いた日、珍しく一羽のツバメの飛翔を見た・・・。かつては飛び交うツバメがいたものだがこれも近年見かけることがまれになった。
人もそうだが、季節の鳥たちも、去っていくもの、新たに鳴き声を聞かせてくれるものと、いつの間にか、去り、そして来る・・・。
・・・新緑が濃くなって街路樹のトウカエデだけがやや明るい緑色を残している。
モミジは少ないが、それでも公園の隅のモミジは今、青モミジが美しい。
・・・その青モミジ、手元の歳時記には載っていないが、近年、ラジオの俳句の時間に時々耳にするようになった・・・その青モミジを実感したのはずいぶん昔のこと、その、なんとも言えない心地よい緑の風景。
あの京都東福寺や永観堂の、春・初夏の風景、その青モミジの風景は雨の紅葉の風景とともに忘れられない。
しかし、こうした風景・景色も、独り者は、ただ思い出の中に残っていて、改めて訪ねようとの心の動きを誘われること残念ながらない・・・そう、何をするにも、独り者にはつまらなく思えてしまう。結局、改めて出かけようなんて気持ちにもならないで、引きこもり。
・・・・・・・・
5月30日、先週の異常な高温から、膚寒いほどの気温降下・・・体調管理が難しい。
・・・今月はこれで・・・また6月に元気で、お目にかかりたいと、思っています。
あなたもお元気にお過ごしを・・・では、今月はこれで。そういえば、梅雨入りはまだでしたかね・・・???
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HITBIT 心もよう vol-110 April 2019

HITBIT[心もよう]vol-110 April 2019
・・・元号決定・その背後?・・・
2019年5月1日に向けて、時代の時間が動いている。
今上(平成)天皇の退位の意向・決意なのであろう、それが2016年8月の“天皇のビデオメッセージ”(いわば、次代を先駆け行く新しい手法)によって表明され、それによって、退位が政府によって決定され(象徴天皇の故、このような手続きになるか)、国民にも納得され、平成の皇太子が平成31年5月1日に即位し新天皇となるその道筋が示されてきた。
それに先立って、新元号が、現在の政府によって4月1日に決定されるという・・・。
本来、元号制定は、天皇即位直後に制定されるというが、人間天皇、政治に関与しない、という建前から、政府が変わって元号選択制定に積極的に、昭和天皇崩御から、この度の天皇譲位に伴う退位と新天皇の即位という、時間的流れを政府が決定して来たということらしい。また、平成に続く元号の選定も政府の重要な役割となったようだ。
これには、たぶん、歴史学者・漢学者・漢文学者・国学・国文学者・中国史学者・・・などなど、漢字圏に関する日本国内の、先に示したような研究者ら・・・が参加され
”新元号“の提案・提示がなされ、この決定に先立っていくつもの”案“が模索され提示されるのであろうか・・・そして、提示された、いくつもの”案“の中から新元号が選ばれるのであろうか。
新元号に到る秘密裏な過程・・・ここに、政治的意向がはたらくことが危惧される、この危惧は・・・現政権が背後に持つ暗闇が働くのではないかと・・・これまでの現政権の為してきて、国民に与えた印象、国民が感じ持ったいくつもの疑惑を生んだアベ政権であること、その疑惑が国民に納得されることなく、政権と自民党公明党によって幕引きされ、次のステージへ進んでしまったことに対する、大半の国民が持つ現アベ政権が持つ暗く深い疑惑への懸念である・・・。
それは、元号決定の30分後に、総理大臣アベがこの元号についての説明(説明の意味?どんな事を述べるのか?)をするということから・・・国民であるオレが感じてしまう、あの二つの学校設立に関する疑惑と同様の・・・アベ現政権が何かしら働きかけてしまうことから発する“忖度(そんたく)“・・・が、生じる・・・そんな懸念・・・これを、思うのだ。そう、こうしてしゃしゃり出てくるというその一事において、感じてしまう、疑ってしまう・・・そのこと。
・・・アベが、その現政権がそこまでは関与しはしないだろう・・・と、期待とも信頼とも疑惑ともつかぬ“どろどろ”としたものを、安倍政権の背後に見てしまうというのか、ふと思ってしまうほど、現政権に対する国民の不信?は大きいのだ・・・。
これはオレだけなのか、おれの感覚が過敏すぎるのか、オレの不信感が強いのか・・・これはオレ自身にもよくわからないが、元号の背後に・・・もしかすると総理大臣の意向が働く・働いた・・・と、危惧というのか。疑ってしまう俗物・オレ・・・が、いる。
そう、官房長官が元号を発表したその後、総理大臣アベがしゃしゃり出て、新元号の説明などをするという・・・いわば、目立ちたい・・・そんな意向に対する、いわば下種(げす)の勘繰り・・・こんなことまでを考えてしまうオレ。
ただ、オレには”元号“というものは、”天皇一代ごとの元号“・・・これが、あってもよく、また日本史において必要でもある、と考えている・・・そう、天皇制(象徴天皇として)の存在とともに日本国には、日本を考えるその思考の基底の存在としても、そう、日本史は天皇の存在とともに考えると、把握しやすい・・・。
ボクは、著した『額田王研究』に述べた飛鳥時代では皇極紀まで元号は存在しなかった。孝徳紀になって‐大王孝徳元年(645)年六月十九日−初めて「大化」と号したのを始めとするが、この書では大王一代ごとの「紀」、それを日本書紀に依拠した時代区分として、ボクは採用し、推古紀・舒明紀・皇極紀・孝徳紀・斎明紀・天智紀・大友紀などと大王統治の時代ごとの事件・内政・外交、などを示してきた。さらにこれに、西暦を書き加えることによって、時代の特色を大王の存在とともにわかりやすく示すことが出来たと考えている。
そして、これ以降の時代は、西暦とともに”元号“を明らかにすることによって、日本の歴史を理解する手立てとしてきたように思える。
(この記事は平成31年3月31日PM10時55分に書き上げた)
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===目次===
4/01  ・・・元号決定・その背後???・・・
4/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
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・・・元号決定・その背後?・・・
4/01/Mon.
新元号は『令和−れいわ』と決まった。これは熟語としては存在しない。新しく考え組み合わされた文字『令』と文字『和』からなる新しい熟語ということが出来よう。これを「れいわ」とよむ。
元号(年号)は明治になって天皇一代限りの年号とすると決まったのであるが、この2019年の天皇退位により皇太子が5月1日に天皇即位する。
これに先立って、新元号が、現在の政府によって今日4月1日に決定されるという・・・。今日であるが、この元号決定の在り方は、本来の元号決定とは後先が逆なのではないかと考えるが、天皇が政治に関与しないということから、政府が主導し、先に元号が決定された。ここには、政治・経済・社会通念など、さまざまに年号・元号がついて回るこの日本の世の中において、即位までの一月の間を余裕ある世の移行を促すということか。
ところで、新年号・元号−令和・れいわ−この二つの文字・漢字・・・新たな熟語ともいえるこの字の出典は万葉集から、その巻五の「梅花の歌」、その併せて三十二首の序文から抽出という。
   梅花歌卅二首并序
 天平二年正月十三日 萃二于師老之宅一 申二宴會一也 于レ時初春令月 気淑風和 梅披二鏡前之粉一 蘭薫二珮後之香一 加以 曙嶺移レ雲 松掛レ羅而傾レ盖 夕岫結レ霧 鳥封レ穀而迷レ林 庭舞二新蝶一 空歸二故鴈一 於レ是盖レ天坐レ地 促レ膝飛レ觴 忘二言一室之一裏 開二衿煙霞之外一 淡然自放  快然自足 若非二翰苑一何以壚レ情  請紀二落梅之篇一 古今夫何異矣 宜下賦二園梅一聊成中短詠上

 梅花(ばいくわ)の歌三十二首 并(あは)せて序(じょ)
 天平二年の正月の十三日に、師老(そちのおきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。
 時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よく)風(かぜ)和(やはら)ぐ。梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き。蘭は珮(はい)後(ご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。
しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛(け)けて、盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆうへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(と)ぢられて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故鴈(こがん)歸(かへ)る。
ここに、天(あめ)を盖(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)けて、觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自(みづか)ら足る。
若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を壚(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅(えんばい)を賦(ふ)して短詠(たんえい)を成すべし。
万葉集巻五の「梅花の歌」、その併せて三十二首の序文はこのように述べている。
漢文・漢詩は僕には読めないが、こうして仮名交じり文にして格調高く、弾むような心が読み取れる。この序文全体がこの春の宴会の園、そこに漂い来る梅の花の香、この時、この場において、何をなすべきか、そう、ここに集いし者たちが今こそ、この梅の花の薫りを聞き、ここにそれぞれが”短歌“一首を詠み残そうではないか・・・このめでたい集いに(令の字の醸し出すめでたさがこの集いの場に広がっている・・・めでたさ・・・)。
そう、こうして老師の健康を祝い集う私たち、この梅園にて一首を残そう・・・。
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・・・元号決定・その背後?・・・
4/01/Mon.
新元号は『令和』という。無粋なことになるのかもしれないが、この二文字の文字情報の一部を漢字辞書から得てみよう。ただし、説文・甲骨・金分・・・これら、象形文字の初形は、文字化けしてしまい、ここに示せないのは残念だが、お許しを・・・。
【令】
[字音]レイ・リョウ(リャウ) [字訓]みことのり・いいつける・よい・せしめる・たとえ。
[象形]礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。
〔説文〕九上に「號を發するなり。人(しふ)卩(せつ)に從ふ」と会意に解する。人を人(あつ)めて玉瑞の節(卩)を頒かち、政令を発する意とするが、卜文・金文の字形は、神官が目深に礼帽を著けて膝まづく形で、神意を承ける等とみられる。
[訓義]
1.おつげ、神のおつげ。
2.みことのり、ふれ。
3.いましめ、おしえ、いう。
4.よい、ただしい、めでたい。
5.させる、せしめる、いいつける。
6.もし、たとえ。
7.伶(れい)と通じ、めしつかい。
【和】
[字音]ワ・カ(クヮ) [字訓]やわらぐ・なごむ・かなう・こたえる・したがう
[会意]禾(か)+口。禾は軍門の等。口は粟(さい)、盟誓など、載書といわれる文書を収める器。軍門の前で盟約し、講和を行う意。和平を原義とする字である。
[形声]声符は禾(か)。龠(やく)は笛。楽音のととのうことをいう。〔説文〕二下に「厘(ととの)ふなり」とし、「讀みて和(くわ)と同じうす」という。〔一切経音義、六〕に引いて「蟹樂和厘するなり」に作り、楽音の調和することをいう字である。和は軍門で和議を講ずることである。両者は字源を異にするが、通用することが多い。滓が禾声に従うのは、農耕に関する儀礼に、籥(やく)(笛)を用いることがあるからであろう。金文に珂(やく)の字があり、これも籥と力(耒(すき)の等形)とに従う。〔大克鼎(だいこくてい)〕に「克を王の實(こと)に珂(かな)はしむ」、〔士父鐘(しほしよう)〕「永命に珂はしむ」のように用いる。滓・珂が禾・力に従うのは、農事が陰陽律呂にかなうことが重要視されたからで、のち戦国期の鄒衍(すうえん)は、陰陽五行を以て律呂を按じ、寒冷の北地にも農耕を可能にしたと伝えられる。
[訓義]
1.ととのう、音律がととのう、あう、かなう。
2.やわらぐ。
3.和と通用する。
[古訓]〔字鏡〕滓 マジハル
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*以上、漢字辞書「字通」から「令」と「和」の字訓や訓義などの文字情報を見てきた。
また、ネットでニュースを見ていて、『令和』の解釈を語っていた記事を見つけた。それをここに紹介しよう。
*外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した、という。今月1日の新元号発表後、「令」を「order=命令、秩序など」と訳す外国メディアがあったのを受けた措置で、外国メディアにも個別に説明している。
 「令和」の発表後、国際的に影響力が大きい英BBC放送が「order and harmony」と表すと報道。「令」については「Command=指令」を意味すると報じる欧米メディアもあった。外務省の担当者は「令和の意味を正確に訳すのは難しいが、全く異なる解釈をされるのを避けるため、趣旨を伝えることにした」と述べた。
 外務省内では「令」が律令など法律の意味で使われることがあることから、『令和』は『法の支配に基づく平和』とも解釈でき、日本の外交姿勢になじむ」といった声も出ている。【秋山信一】・・・と、インターネット上のニュース番組から署名記事を引用させていただき、添付しました。メディアの社名は見落としましたが、秋山さん、ありがとうございました。
・・・リュウ、4月7日に記す・・・「令和」について、僕が漢字辞書『字通』から引用した文字情報は、外務省の説明を裏付けるものと思う。ただ、こうした政府見解あるいは意図した”熟語?・・令和“の意味だけでは、解釈が浅く狭く、元号としての本来の漢字字義が希釈されてしまっているようにボクには思える。
すなわち漢字本来が内包する”神の存在・神の宣託“・・・象形文字が呪祈祝祷に際してその呪術者がよみ取った甲骨に現れた文様の為す意味・宣託あるいは神託・・・といった、根本的な意味が、オブラートで包まれ、元号としての深い意味が失せてしまっている、と思う。
文字情報、その初形・象形文字そのもの「[象形]礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。」・・・これが、この新元号「令和」を理解する根本にないといけないと、ボクは思います。ボクは、この「礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形」・・・これ「令」の「象形」の意味するものを見つけた時、“説文・甲骨・金文・・・これら、象形文字の初形は、文字化けしてしまい、ここに示せないのは残念だが、お許しを・・・”と、この「令」の初形を見て感じたことを述べておきたい。
実は、今上(平成)天皇が被災地を経巡りされたとき,必ず目にする、その天皇の姿勢・・・それがこの「令」の初形・象形文字の初形・・・として、「礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。」とある、その姿そのものを以て、被災者に接するその姿そのものであることに気づいた。
すなわち「(礼冠をつけて)膝まづいて民意(神ではない)を聞く天皇の姿とその形」そのものなのである・・・。
・・・象形文字では「礼冠」を「菅笠・すげがさ(これは僕の表現)」の形、漢字の部首の二画では”被り物は「冖」この一字」が見えるが、すなわち、神意を問い聴くときに被る冠はこのように菅笠の形「ヘ」の様だったのであろう、そして、その礼冠の下には、膝まづいて、それは、踵を上げ、十の足指で上半身を支え両の腕を膝にし、膝を床(土)に支え、両の腕を差し伸べた形を、その形を平成の天皇はとられ、被災民に接し言葉をかけられた・・・ボクはそのジャンパー姿の天皇に思い到る。
また、「命」は、やはり礼冠をかぶり膝まづいて両の手を差し伸べ「聖器さい・口」をささげる形を表す。すなわち、神意ならぬ、人・国民の言葉を天皇は聞き、受け止め、言葉をかけられた、のであろう・・・。
・・・そう、この「令和」を元号の候補に出したという万葉集・万葉集歌の研究者は、また、天皇のこの象形文字の初形の姿をも思い浮かべたのであろうか。
・・・なんとまあ、漢字の世界とは深淵であり深遠・・・な世界だと感動を改めてボクは覚える。とにかく、この新元号「令和」は、よみも字形もいいものだと思う。
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・・・平成最後の日・・・
4/30/Mon.
今月四月は体調が悪くて、ようやくここまで書きました・・・申し訳ないけれど、平成最後のボクのブログはここで締めにします。来月5月1日からの「令和」新元号にも、健康の許す限り書き続けたいと思っています。
・・・僕は「昭和」に生まれ戦中戦後の困難な世情の中、祖母と両親に育まれた。そして、その戦後の昭和という平和ではあったが激動の世の中でもあったし、希望の世の中でもあった・・・そう、日本国民が力を合わせ、また、それぞれに、現在と未来に、自ら身を粉にして「頑張った」時代でもあったのだろう・・・。そう、悲劇的な時代を経て乗り越えて・・・ある意味では幸せな時代であったかもしれない・・・そんな戦後の昭和時代・・・もちろん、あの対戦は・・・日本国民すべての不幸せであったことは確かとしても。
そして、昭和天皇の崩御、新元号「平成」になって、・・・なんだか日本人がギスギスし、他者への思いやりを忘れ、礼を失し、自らとその家族、そう、両親を捨て、おのが核家族へ逃げ込んで、都市生活者面(づら)し、ろくでもないB級グルメとやらに小躍りし喜びを表すような、下品で小者のB級人間へと、自らを貶めてしまった・・・そう、僕自身のこと・・・実は僕はB級グルメさえほとんど、いや、ここまでまったく口にしない粗食者。そして、この2019年5月1日、その貶めた心身の僕は新たな元号の本・・・やはり日本人(にほんじん・・・ニッポンジンではない)であり続けていくこと、として生きていくことになる。
この後どれだけ生きていくことになるのか・・・また、世の中とかかわっていくのか、そう、平成に、日本人が手にしたスマホなるものに埋没、若者かバカ者かわからないほどの利己主義がはびこって、電車の中で、いち早く空席へケツを押し込み、スマホへと埋没、全く他者を顧みないアホ人間・アホ日本人となってしまった・・・それでも、降車駅を間違わず、そ奴は席を立ちスマホを見つめたまま降りていく・・・。
そんな中、やはり、ヤツ以上にアホな僕はスマホも手にせず電子メールなるものも、SNSが何やら、IT、これも何やらさっぱりわからず・・・その原理もわからず、このホームページ屋がつくってくれた“ブログ”とやらに、こうして自分をさらし続けている・・・愚か者・・・なんともこの世とは、オレにはさっぱり訳が分からない・・・俺自身も何者か?・・・面白くもない世の中だ。
でも一つ良いことがあった。そう、パソコンで文字を打ち表せること・・・このことは、願ってもないことだった・・・そう、ボクにとっては・・・ありがたいことだった・・・この昭和の末から平成最後のこの日まで・・・とにかく、ありがとう・・・良くも悪くも、このオレが生きてきた時代・・・。そういえば、昨日は4月29日「昭和の日」だった。令和になっても“昭和の日”は続くのだろうか?
また、十連休という平成31年4月27日土曜日から、令和元年5月6日月曜日までらしいこの元号の移行への日々の連休・・・。これは僕には何の関係もない・・・が、この新緑の風景・・・我が家が接するこの里山・・・これを愛でて日々を過ごそう・・・薮のそこここにあった、ムラサキヤシヲはずっと先に姿を消し、薮のフジが紫色の花房をつけはじめ、ウオーキングをする道筋にあるベストポケットパーク・・・そこにある藤棚にも紫の房が下がり始めた・・・そしてその隣の八重の桜・サトサクラはピンクの花びらを自身の周りに戯れか、良きことを寿ぐのか、その花びらの厚く積もった絨毯を敷き詰めた。
そう、昨年は、この花びらが散り敷く前・・・満開のサトサクラの花の下に、自転車を止め、夢中になってスマホを差し向けていた少女のことを思いだす。
・・・ここ数日続いた思わぬ夏日が・・・なぜか早春の膚寒さへと逆戻りして・・・日常の着るものを・・・あれこれと・・・僕を戸惑わせている・・・おお寒い!・・・そして”平成さようなら・・・“・・・・・・なんだか、昭和生まれのオレ・・・ずいぶん長く生きてるなと・・・思わぬ冷え込みに、この生身の自分を実感している。
・・・きょうは雨降りとなった・・・シトシトと、新緑が幾分濃さを増した里山が、雨に濡れている。この雨降りの日は、平成最後の日から明日の令和元年5月1日へとつながって降り続くと、天気予報の女性気象予報士はラジオの朝番組で言っていた。今日明日と日本中が静かに皇位の継承を見守りながら続くのだろう・・・とにかくめでたい日ではある。
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HITBIT 心もよう VOL-109 March 2019

HITBIT[心もよう]vol-109 March 2019
三月半ば・・・ようやく春めいてきました。宵のウオーキング、そんなときふと春らしい空気を感じる。夜気に交じって清涼な匂いが流れている樹木の多い夜道・・・歩き疲れてふと立ち止まる。里山の裾にある歩道・・・。昨年末だったか今年になってからだったか、街灯が水銀灯からLEDに変わって、光度を落としたのか、何となく薄暗くなった歩道・車道・・・幽玄?
最初は何となく違和感をもったが、慣れてきたのか・・・この仄かな雰囲気を醸すLEDの光度・あかり・・・陰りを帯びた明かり・・・なかなかのもの・・・。
実は我が家もキッチンの手元灯と天井等をLEDに変えた・・・二か所とも寿命が来て・・・そう、蛍光灯から・・・狭い空間だから、その明かりは十分すぎるほど明るくなったが、何となく冷たく寂しげな光・・・これが少し気になっているが、そのうち慣れてくるのだろう。
居間の天井灯は昔ながらの何の飾り気もない蛍光灯(シンプルさが気に入っている)、40ワットの棒球が5本、カバーの中に並んでいる・・・一部であるが変えたLEDと比べると、何となく蛍光灯の方が光が柔らかく感じて・・・この居間の照明を蛍光灯のままにするか、LEDにするか・・・迷っている・・・蛍光灯管が無くなることはないかしら?
・・・そう、日常に“迷い”・・・迷うこと、決断とまで言うことでもないが、何事もうやむやというのか曖昧にしているような気がする。そしてこの居間を見回してみると、何とも雑然となって、整理がつかなくなっていることを改めて感じる・・・。
・・・一つの原因は、居間とつながってある食卓・・・ここへノートパソコンを持って、上の階の書斎から降りてきて食卓書斎としてから現在の”雑然・散らかし放題“が始まった。
・・・この極めて狭い、居間が昼間のボクの創作と生活の空間となって・・・まとまりがつかなくなった。何とかしなくてはと思っているが・・・どうにもならなくなっている・・・資料などが生活空間にのさばり、手の施しようがなくなった、僕の散らかしよう・・・何とかしないと???
・・・・・・今月も、書くことがないと・・・いったんは諦め、休刊にしようかとも思いましたが・・・身近なことへ、目を向けたとたん・・・少し、書き進められました。
・・・ええ、精神、その感性の衰弱・老化など・・・枯渇ということが、現実になってきつつある昨今です。いつまで続けられますことか・・・。
・・・お元気でしたか・・・。
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===目次===
3/06  ・・・遅れてごめんなさい・・・
3/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/09  ・・・BGM・・・
3/20  ・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/21  ・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/22  ・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/23  ・・・病弱・・・
3/25  ・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/28  ・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/29  ・・・春とはふしぎな季節だ
3/30  ・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・

3/31  ・・・・・・
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・・・遅れてごめんなさい・・・
3/06/Wed.
名古屋は、曇り・・・雨降りになるのかも・・・気温が下がりつつある。
・・・先月。2月号は投稿が遅れました。ええ、申し訳ないこと・・・すっかり失念。
先ほど投稿し公開しました〈AM11時ころ〉・・・109号です・・・そして、先月1月号は通算108号目でしたが、間違って107号となっていたのを訂正しました。ごめんなさい。
・・・いろいろと、この身の変調がこうして、忘れたり失念と(おなじことか?)・・・生身の人間のなんとひ弱なことでしょうか・・・ことに僕は。
それにしても、長いこと続けてきました・・・間に一年間のご無沙汰もありましたが・・・。よく続いたと思います・・・。これからも、何とか続けたいと思っています。
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・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/08/Fri.
先月号に書いたかもしれない・・・ええ、先月のことをしっかりと覚えていない。
なんとも、気持ちも、記憶も頼りないものになったようだ。
・・・先月だったか・・・読んだのかドラマでも見たのか?
・・・「寂しさは金、哀しみは銀、煩悩は人を強くしてくれはります・・・」・・・これ、なかなか味わいある言葉だとおもう。
この一行を知った時、ボクは自身の書中に書いた・・・「空蝉」うつせみ(古形は‐うつそみ)・・・飛鳥人についての一文を、思い出した。その部分をここに置いてみよう。
・空蝉は、現人(うつそみ)、の転。この世の人。平安時代になると蝉の抜け殻(うつせみ)の意となる。それはまた、抜け殻の意から「はかない」という意味に用いられた。飛鳥人においても同様であったであろう。この感覚は「はかなさ」は平安時代になって突如固定化したものではないであろう。殊に上代に遡って、寧楽(奈良)・藤原そして更に飛鳥時代と、深く自然と関わり、その現象を尊び、身近に感じていた上代の人の感性の方が今日のわれわれが感じる以上に、蝉の抜け殻に「はかなさ」を感じることは、既知識的・固定観念ではない自然にわき出る感情であったであろう。
「はかなさ」は自然現象を感じることによってさらに促され、またそこへ仏教の影響も加わり、「生死観」を伴って、一層「人の存在」へと関わっていくことになり、そこに「哀れ」「もののあわれ」そして「無常観」へ、人の心の深層の「虚無感」へつながり、ときには現実と虚無との狭間に人を置く。
それは「心の揺らぎ」そのものとなって、人の感性を弄ぶ。しかし、その揺らぎに自身が置かれることをも、人は求めるようになり、意識的にその境遇へ狄瓦反鉢瓩鮹屬ことを求めもした。「哀しみ」はそうして人の心を弄び、人はそうされることによって悲しみを癒しもする。死はいうまでもなく、別離の悲しみ、労働の苦しみも、さらに悲しみ苦しみばかりではなく、喜びも、恋も、さらに自然、その森羅万象から受ける人の感動など万感が交叉体現化し、さまざまな芸術となって人と関わっている。その典型的な形が、倭歌・和歌となったのであろう。万葉集歌も人のそうした万感がこもった芸術のその最古の具現化‐文字を与えられ‐遺されたものなのだろう。古事記・日本書紀そして万葉集として今日残る文字による上代の文学・芸術は、人の心の万感を記録し今日に伝えている。【拙書『額田王研究』より】
「煩悩」・・・寂しさ、哀しみ・・・人が何かにつけ持つ内の感情、その発露が控えられる、あるいは隠される感情・・・「業(ごう)」とよんでもいいのかも・・・そんな人の心が。自身の感情に弄ばれる・・・それが言葉ともなる・・・人とはふしぎな生きものだ。
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・・・BGM・・
3/09/Sat.
暖かな一日です。
身も心も開放されたかのよう。掃除を終えて、多くの音楽を聴く時間が持てました。
今日は何十年もラックにしまったままのCDを聴いた・・・といっても、本を読みながらのBGM・・・バッハの「管弦楽組曲」、ヴィバルディの「四季」、それにムソルグスキーの「展覧会の絵」・・・と、組曲ばかり・・・。そして、誰もが耳慣れた曲のパレードだ。
ボクは、このBGMを聴きながらの仕事の仕方・・・30歳近くなってからの習慣?となった。
図面を引きながらラジオそのFM放送・・・しかし、実際に聴いているかというと、聴いていない、聞き流しをして、耳に入ってこない・・・そして、ふっと一息ついたときにラジオが鳴っている・・・それを改めて知る。そして、夢中になって、製図版に向かっていた自分を知る。
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・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/20/Wed.
スイセンが満開になってから一週間ほどか・・・黄色のラッパ型の花・・・何という名前かしら・・・このスイセン・・・。
ずいぶん昔、鉢植えを買い、その花を楽しんでから、道路に面した間知石積みの擁壁の上、その小さな雑草の斜面、その端へ植えた。わずか二三本のそれが、毎年花を咲かせてくれ、その上、株がだんだんと大きくなって(毎年、一本ずつかしら?)・・・僕にしては上出来の移植の成功。そのうえ、1メートルほど離れた所に、移植したわけでもないのに数本の茎に同じ黄色の花が咲いて・・・不思議?
・・・ところが、昨年ころから、隣に植えてあったオモト(万年青)が姿を消して???これも不思議。
このオモト、母が送ってくれ、毎年赤い実をつけていたのだが・・・どこへ消えた?
そう、・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・。
改めて、オモトがあった場所を掘り返すか?(その後のはなし・・・枯れかけた葉が一枚見つかった)
・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・スミマセン・・・オモト様・・・。
先ほど書いた、この間知石積みの擁壁、我が家のところで途切れ、また南へとつながっているのだが、その南へつながった擁壁の上、わずかな隙間に、数年ほど前から、自然生えのマンリョウが一本立ちあがって、この冬そして今も葉むらの下枝に赤い実をつけている。鳥が運んだか・・・マンリョウの実。
このほか、ここ数年で増えた鉢植え・・・サツキ、つるバラ、ボケ(木瓜・この木は昨年秋に枯れたと思ったがそのままにして置いたら、二枝のうちの一本が小さな芽を転々とつけていた・・・うれしかった、思わず、どんどん葉を出してくれ・・・と声をかけた)、それから名前を知らない、いや、忘れた・・・木とも草とも定かでない一鉢、それに僕がつくった盆栽−トウカエデの林風の景色・・・と、どんどん増えた(これは大げさな表現)。ボケは枯れてしまったかとがっかりしていたが、その木瓜、落葉したつるバラと同時に、一昨日頃から赤い芽をふきだした・・・もうじき新しい葉の茂りが出来そうだ。
それに、家の中には、飾り鉢で売っていたミニバラが花を三つつけて、咲いている。
もう、三週間ほどになるかな・・・。
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・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/21/Thu.
昨夜からの雨降りが小やみとなって、さらに曇り空。
そういえば、昨日の続き・・・2月に買ったチューリップ(おやゆび姫と名前がついていた)・・・それ、本当におやゆびのように鉢の土から直接、茎は見えず、緑色の葉と真っ赤なつぼみ(これが真っ赤なマニキュアみたいだった・・・)が生え、いいチューリップと気に入っていたが、一度日当たりへと・・・ベランダへ出したら、突然成長し、アッという間に普通のチューリップ・・・、瞬く間に背丈は伸び、花は満開、そして翌日には花はしおれて・・・おやゆび姫のチュ―リップは、おばあさんに大変身。ええ、茎もねじれて大変な老嬢・老婆ぶり・・・これにボクはびっくり、まるで一寸法師か浦島太郎か、はたまた竹取物語のかぐや姫(?かぐや姫ですよね?)・・・おとぎ話がとんでもない現実になって、ボクは腰を抜かさんばかりに驚いた(なんとまあ、老人じみた表現ですこと、ホッ
ホッホッホッと笑われるかな?)・・・。
・・・こんなおとぎばなし・・・ええ、本当にとんでもないことになって・・・今は、ベランダの片隅で、完全に枯れるのを待っている・・・そう、来春用に球根を取ろうと、茎が枯れるのを待っている僕です。複雑な気持ちで・・・。
(球根を取ること・・・鉢にさしてある名札に書いてあった)
ところで、桜前線のこと・・・福岡市と東京でソメイヨシノが開花したという。
・・・ところでこの開花・その宣言・・・を見に出かける・・・これなんぞ、愚か者・本当の風情を心しないものやることだ・・・と、このニュースを聞いて、僕の心は即座に反応・拒否反応をした・・・そう、桜の開花はうれしいことだ・・・しかし、前線のその瞬間を目にしに行く・・・これは愚の極みだ・・・そう、開花のニュース・・・これを聴き、その喜び、冬が去って春が来た・・・この喜びを、心で聴く・・・そんな、ひそやかな喜び・・・俺は群れない・・・そんな群がって,開花の瞬間を待つなんてこと・・・何ともまあ、あさましいというか? 
・・・昨日20日、床屋での話・・・おいでになる途中の平和公園の桜はどうでしたか・・・つぼみは桜色が増してきたでしょうか・・・いや、残念ながらまだでした・・・今日は桜ならぬ梅・梅林が満開でした、少し盛りを過ぎているのでしょうが・・・今日は気温が20度まで上がるそうですが・・・例年どうりですかね・・・開花は・・・花見に出かけたいですね・・・ええ、仕出し屋に弁当を注文して・・・と・・・僕たちは、普段贅沢をしないけど・・・お花見には、仕出し弁当を注文し、それを心待ちして、出かけました・・・時には、それに、自家製のだし巻きとかカラアゲなんぞを添え、ワインも飼犬とともに・・・ナツカシイ・・・。
・・・桜の開花を待つ心・・・心に思うこと・あいさつに開花予想を語ること・・・そんなことこそ、桜の開花にふさわしいと僕は思う。そういえば、我が家の前の桜の街路樹・・・つぼみはまだまだほんの膨らみ。
ここまで書いて、スーパーへ買い物に行こうか、と時計を見たら3時30分。
*3/21/Thu.
今日後で書き加えた・・・国連が調べた世界の国々の「幸福度」・・・ニュースの始まりは、街頭インタビュから・・・あなたは日本人の幸福度は世界で何位くらいだと思いますか・・・だったか、質問の趣旨はこのようなものだった・・・対して、答えは10位台から一けた台・・・すなわち高い幸福感を持っている答えが多かった・・・。
実際は、その世界での日本のランキングは実は”第58位“・・・ぼくは、いい位置にいると思った。確かに、薄々感じる政治の偏り・・・そこに密かに阻害に曝されている国民・市民がいる・・・と、思っていた”あまり満足感を感じちゃいけないけないよ“・・・すなわち、”適当なところで満足しよう“とボクの心の内にあった。
これを国民は国になんぞ依存しない・・・すなわち自己満足で・・・補っていたのだ。すなわち、日本人が持っている幸福度は、自己抑制が効き、不満度の小さくとも、日常の些細な仕合せや、戦争や紛争がない、デモやテロもない(サリン・地下鉄・・は別なのか?)と、いわば、適当なところで満足してしまう満足でいい、といった小さな幸せが幸せなんだというような、国民性ともいえる、満足感があらわになったインタビュー結果ではなかったと、ボクは聞いていて解釈した。
この国連が調べた日本の幸福度58位は、調査がどのような項目からなっているのか、ボクは全く知らないが・・・国連の調べの結果から見えてくるこれは、日本国民よ”政府に騙されちゃいけないよ“という警告が働いているようにも見える。あるいは、日本国民のほとんどが、小さな家で肩を寄せ合って暮らし、国民の間には、生活格差、進学格差などが歴然と現れていて、そのことに、国民が気付いていない、あるいは、国民性が踏ま个鯱海蕕気覆い箸、身の程で満足するとか・・・しかし、それを世界水準・平均的なところで、比べてみれば、日本国民は意外なことに、世界第三位の経済大国の割には、質素な生活、些細なことで幸せを感じ、多くを望まない・・・そんなところ、それを国連の調査がくみ取ったのかしら・・・そんなことはあるまいが。
ここで日本が日本人のほとんどが国民が感じている10位台から一けた台なんて結果に本当になったら、ボクは現実感からも受け入れられないに違いない。
・・・そう、ボクは日本人の精神性・・・多くを望まない・・・身の程で満足・・・このように、日本人の生き方は、本来質素であったし、これからも、質素であるべきだと思う。そう、世界第3位の経済大国・・・こんなニュースは、これまでと現在の僕には望むべくもないし実感もない。
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・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/22/Fri.
昨日は小雨と曇りがちな一日だった。今日は雨が上がって、夜明け前から強い風が吹いている。これは“春一番”なのだろう。しかし、あまりにも猛烈な風力・・・これは嵐だ。そして一日中吹きまくった・・・あまりにも強力な、春一番・・・。
・・・昨日の続きのような今日のタイピング・・・。
昨年あたりから、切り花ばかりじゃなく、ときどき、鉢植えの花を買う・・・不思議なことに、切り花は常に目に付き、しおれた様子に水が不足してるかな、元気を出せよと、声をかける。しかし、四五日するとやはりだめになり、“ありがとうね、さいてくれて・・・”
と、ひと声かけて処分することになる。
鉢植えも手がかかるが、なぜか、切り花とは違った愛着がわく・・・。
・・・日当たりへ持ちだしたり、日陰へ持ち帰ったり、時には粒の化成肥料をツブツブと・・・土にのせたり、液肥を土にさしたり、枝々の花が咲き終わり枯れかかった花を摘み取ったり、鉢ごと雨にあてたり・・・また、風がつよくなれば鉢ごとひっくり返りはしないかと心配をし、寒くなれば霜に当たり枯れはせぬかと・・・気にかかり、ときには、スイセンのように鉢から露地に植え替えもする。
昨年は、ツルバラを大きい鉢へ植え替えたりと・・・平たい角鉢へは、街路樹が振り蒔き自生した苗を次々と抜いては植えこみ・・・林のような盆栽風にと・・・心を砕き、これが成功し、盆栽だ、盆栽だ・・・と心が浮き立って・・・よし、松もやってみるかと、玄関先に自生してきた松を鉢へ移植・・・これが失敗。枯らしてしまい・・・ひどく落ち込み、後悔にやけ酒をのんで、禁酒を破り、改めて後悔をし直すなんて言うバカゲタことへのめり悪循環へ落ちる・・・。
・・・とにかく、枯れはせぬか、根はついたか、来年は花が咲くかしら、新芽は出るかしらと・・・期待と心配が入り混じって・・・ついつい、家の出入りには目が行き、言葉をかけている自分に気づき、如雨露(じょうろ‐水を雨状露状に振りかける水遣りの園芸の道具)で水遣りなどなど・・・と、さらに、この如雨露は、連れ合いといった旅行先のバラ園で買った小さな英国ジョウロ・・・といっても張り紙があって、それにのせられたか、普通のジョウロ・・・これを手に取るたびに、旅で行った楽しさを思い出し、心が、如雨露の水でいっぱいになってあふれ出たり・・・と、玄関先の水道栓をひねりつつ・・・などと、常に何かの思考回路が働き・・・心は、ぬれたり湿ったりしたり・・・と忙しく・・・この暇人の心が弄(もてあそ)ばれている。
・・・こんな切り花や鉢植えにまつわるいろいろなこと・・・。
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・・・生きるということ・・・これ?・・・
3/23/Sat.
連日、草木・花のことを書いていると、母がささやかに作っていたというのか育てていた季節の花類、その季節ごとの花壇、そして棚の上のいくつものサボテンの大小の植木鉢・・・サボテン、その育ち具合と、夏の夕方、陽が落ちて薄暮が迫ってくる頃、ほのかに花が咲いたときの嬉しそうな顔、僕らもうれしかったこと、と・・・その世話をする母の姿、そして、その心の中のこと・・・病弱なその日常、四人の子、ぼくと弟と妹たちの子育て、その心のありようまでも想像し、胸があつくなったものだ。
・・・そう、こんなボクでも、一応は長男だったから・・・いろいろ思うところがあったのだ。
・・・人それぞれの、持って生まれた健康状態・・・急逝したわが連れあい、Mさんも連れ添った当時から健康状態が不安定だった・・・気遣ってきたが、まだ足りなかっかと、悔やまれる・・・。僕自身も母に似たのか病弱だったが、成長するにつれ、われら子は健康を得てきたが、ボクは連れ合いをなくしてから生来の虚弱性が露出してきて、生き残ったこの体をなやませている・・・。今では、“病気のデパート”だと、一つ一つ説明するのも面倒なので、ひっくるめて、いっている・・・が。
こんな家族を養ってきた、サラリーマンの父・・・オヤジは、けっこう健康体だったようだ。この父母、母もともに、奇跡的にともに80代半ば過ぎまで、そう、長生きというのだろう、二人は生きられた。
・・・しかし、その人生に、ボクはどこまで“孝”を尽くせたか・・・結論は“孝行らしきことをしてこなかった”・・・そう、その細い脛をかじりにかじり、しゃぶってしゃぶって、妹たちと弟に迷惑をかけ自分自身の生き方のみにを、わがままになしてきた・・・これが結論だろうと、振り返って思い、また、悔やんでもいる。
・・・生きるということ・・・これを、なんといったらいいのだろう。
そう、誰もが、どんな家族もが、さまざまな佳きことつらいことを、克服しつつ生きているのだろう・・・人生、そう、そんなにいいことばかりではないかもしれないが、頑張っていきたいし、生きていってほしい・・・だれもが。
・・・自分自身のことから、余計なお世話まで言ったのかもしれない・・・まあ、お許しを・・・。
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・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/25/Mon.
今日は八月美術館へ6人の女性が来館くださった。
1月においでいただいた方たちのお一人が、改めて他の美術仲間5人とともに、おいでいただいたのだ。
こんな小規模で、かつメジャーな作家の作品でもないもの・・・その、鑑賞に耐えられるかどうかわからない作家の作品。
でも僕としては歓迎だ・・・人の出入りもなく、こもりきりのこの身、こうして賑やかにやってきてくださる。ただご覧になっていただくだけじゃなく、そのあとのお茶の時間、この準備をする前日の時間は楽しい・・・。
・・・いっときの賑わい・・・。ご案内くださった皆さんの心の内に、この界隈の桜の開花の様子を、御覧に入れたい、見せたいとの心づもりをも持たれたのだろうか・・・それにこたえるかのように、この三本の桜は、ちょうどポツポツと開花しはじめ・・・お茶の時間中にもポツポツは続いた。
そう、・・・街路樹の桜三本・・・チラホラと咲いて・・・桜開花の期待が高まる。
日本人は桜の季節になると、なぜか心が高ぶるらしい・・・不思議な民族だ。
・・・そう、そうして良くも悪くも、桜に振り回される・・・その桜前線は北東へ北東へと、上っていく、その前線の移動は一月どころか二月にも及ぶ。さてもさても、この“桜前線”なるもの・・・これを気象と結び付けた・・・日本人・・・この列島に住み着いた、この極東・・・果ての国の民族の”独りよがり”は、この国へやってくる人らにまで伝染していく・・・。
・・・果ては、死ぬときは、桜の下、如月の望月に(西行)・・・なんて願い、本当にその望み通りの死にざまを見せる・・・。これ、いかにも日本人らしい・・・桜花と死・・・この絶妙な、というのかあまりな入れ込みように・・・ばかばかしくなるどころか・・・その死にざまを・・・我も我もと・・・!!!
果ては、戦場へ送る兵士にまで、桜の思い出を背負わせ、この国土を守れと、命を懸けよと、死を強要し、その死を美化して、国という何者か明瞭ではない体系が、国民一人一人を縛り付ける・・・。
・・・ああ、そのあげく、国民は、日本人は・・・このばかばかしさを、賛美してしまっだのだ・・・この桜花へ精神を仮託し・・・それによって国も国民も・・・加担したわが身わが心・・・その油断を花のせいにし、自らを許してしまったのだ。
この季節・・・僕も、桜花という刻々迫りくる・・・花津波にのみこまれ・・・花から花へと・・・心が漂い続ける。
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・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/28/Thu.
目の前の桜がガラス越しに白く見えるようになった。まだ、四五分咲きといったところか・・・。
夕方、この歩道を通り過ぎていく、幼児・・・女の子らしい、その笑い声・・・お母さんと一緒なのだろう・・・そう、その子がおとなのような高笑いをしつつ通り過ぎていく・・・そう“ワッハッハ、ワッハッハ”・・・と僕には聞こえる・・・高笑い・・・だが、その声音に幼児らしい響きがあって・・・僕はなぜか、ホットしたのだ・・・。
・・・この“桜病”・・・日本人は、こんな幼子の時から・・・“桜狂い”をするらしい・・・。
昔から、春には”頭のねじが緩む“というが、この桜花病を言うのかしら?
ああ、何とも恐ろしい・・・何と怪しく妖しい・・・この高笑いだろう。
・・・僕は今日一日・・・またも一歩も外出せず、こもりっぱなし・・・そう、ウオーキング・・・にも出かけず・・・左膝痛を理由にしてさぼった・・・。そして、やっぱり寝つきが悪く、午前0時に、ベッドを抜け出して・・・これをタイピングしている・・・そう、ばかげた悪循環・・・。
・・・ひよっとすると・・・あれは、あの高笑いは・・・桜の妖怪の高笑いだったかもしれない・・・。
・・・桜の病・桜を病む・・・この花咲くころ・・・なぜか、人はウラウラ・ユラユラと・・・桜の樹下にさまよい出る・・・。我が家の前、この歩道にはそんな典型的な日本人・・・桜病の患者が行き来するのだ。
・・・そう言えば今朝、妹から「家の前の桜は咲き始めたの・・・?」と、電話があった。何百キロも離れたところから・・・そう、これも桜病に・・・うん、ここにも桜を通じて、兄妹のつながりがある・・・なんともいえないうれしさがボクの心に残った・・・。そう、この桜の開花を心にとどめる妹の、その心根を、ボクはうれしく思ったのだった。
しかし・・・こんなタイピングを・・・寝付けないからといって・・・真夜中“丑三つ時”にこうしてBLOGを書いている僕こそ”怪しく妖しい存在“なのかもしれないな・・・。ああ、今年も僕は桜の妖怪に取りつかれたか?・・・これも悪くはないかもしれないな。
・・・それにしても・・・寝付けないのは・・・先週も木曜日だったかしら?と、なると、そう、木曜日の妖怪・・・なのかもしれない。桜の花とは関係なく?
・・・いやいや、妖怪でも桜花でもなんでもなく寝付けなかったのは、習慣を破って、ウオーキングをさぼったことが原因だよ・・・そう、心地よい疲れを作らなかった・・・そう、習慣とは身についた日常そのものなんだから・・・ね。ほんと、おっしゃる通り・・・。
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・・・春とはふしぎな季節だ・・・
3/29/Fri.
でも昨日の・・・“木曜日の妖怪”・・・そんなのが誰の心の中にもいるのかもしれない。そう、古い家には”座敷童(ざしきわらし)“がいるという・・・いや、古い家ばかりではなく、どの家にも、誰の心にも・・・いるかも。
でもね、座敷童は・・・いい子、悪い子・・・どっちかしら・・・。
・・・花を愛で、鳥のさえずりに心を開放する・・・ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・なんだか、みな穏やかな鳴き声・囀り・・・そう、桜が満開に近づく・・・それにつられ、鳥たちも虫たちも・・・人のように浮かれ出る・・・。
春とはふしぎな季節だ
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・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・
3/30/Sat.
花曇りとなった・・・そこへ、ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・これって、昨日のパクリじゃないか・・・まあ、お許しを・・・一部分をね。
ところで・・・昨日のニュース・・・改元、その元号の発表、その式次第のような、この政府による4月1日のスケジュールが固まったそうな・・・。まあ、平易な漢字で、表現してほしいね・・・でも、アベが元号の意味の説明をする・・・これって変じゃないか。
・・・まさか、元号決定にまでしゃしゃり出て「俺が決めた」なんて言うんじゃないよね・・・。
説明は、アベがしなくたって新聞かラジオ・TVに自然に流れるようにすればいい・・・とくだん、アベが、ここにしゃしゃり出るなんてことは、全く必要ない、・・・まあ、どうでもいいけど、山中さん林さん・・・この人たちが決めるのでもなさそうなのに顔を連ねる・・・これも奇妙なこと・・・なんなのこれって。そう、今はやりの”インスタ映え?“するからなの。そう、・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・。
元号・・・これは慶事の記憶よりも、戦争や災害の記録と記憶にかかわって語られる比重が大きいかもしれない。そう、戦争・内乱という時代ではないかもしれないが・・・自然災害は絶え間なく襲い来る・・・日本・・・心引き締めて次へ進もう。
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・・・平成31年3月31日・・・
3/31/Sun.
昨夜、ボクはふと思い出した。良寛さんの言葉・・・
炊くだけは風の持て来る落ち葉かな
・・・そう、人生、なるようにしかならない・・・でも、食っていくだけのものを、天は与えてくださるだろう・・・きっと、そう、俺の人生はそれでいい、それだけでいい・・・行雲流水・・・天がなされるがまま生きるとしよう・・・このような意味だろうか。
僕は良寛さんのようにはとても生きられない。残念ながら僕は、俗物そのものだもの、・・・このオレの器量では多くはのぞめない、ここにきて、ふと思った・・・まあ、生きていくさ、生きられるだけ。
・・・今月はここで・・・今年の桜、御覧になれましたか、ええ、何も花見弁当を持たずとも・・・近くの公園へ出かけてみましょう。お元気で、四月もよろしく。
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