建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-101 JuLY 2018

HITBIT[心もよう]vol-101 July 2018 
『心もよう』第101号、2018年7月号・・・100号を超えて来た・・・ええ、これってすごい・・・僕にとって、物事がこうして続くなんてこと自体が珍しい・・・。
・・・本当によく続いた・・・その間、中断の1年間もあり、心の紆余曲折、健康状態、生活の不安などなど、さまざまに身辺がざわつきました・・・そのざわつきは現在も続いていますが・・・それはそれなりに、左右へいなしながら・・・何とか誤魔化しごまかしして・・・心と体の平衡を保っています。・・・さらにまた、このコンピュータが調子を乱すなどと・・・追い打ちも。
このパソコンの不調は・・・まさに生身の僕の不調と同じ・・・この心と体がとたんに前途が暗くなり、不安と不調が一気に体に満ちてしまいます。
・・・そう、1980年代でしたか、コンピュータ・・・パーソナルコンピュータ・・・パソコン・・・これを手に入れました。
憧れというよりも、これからは、コンピュータを仕事にも趣味にも・・・ええ、自分自身が操作する機械・マシーンになると、なぜか僕は確信したのでしたが・・・そんな話というのか、建築学科の教育の場面にもコンピュータの授業が必要になるのではないか・・・なんて、非常勤(ええ、人との付き合いが不得手のぼく、そう、そんな僕に亡くなった連れ合いは気が付ていたのでしょう・・・なぜか、常勤への誘いがあっても、生活が安定するだろうと予想できても、賛成しませんでした・・・ええ、これは正解でした、確かに)の僕が思いを話すと、そんな機械のオペレーターに建築学科の学生をさせたくない・・・なんて、僕より僅か10年ほど年上の常勤先生方が異論を唱えられた・・・その時の雰囲気を、いつも、パソコンの不調の時に思い出すのですが・・・それから数年、パソコンが・・・急速に世の中に普及・・・その操作ができないことは・・・それこそ、世の中に後れを取っていく・・・ということになっていました。そして、学生自身がパソコンを手にし教室に現れる・・・そんな風景になっていました。・・・そう、僕の最初のそのコンピュータはMAC−Macintosh−あのかじり跡のついたリンゴのロゴマーク・7色の段塗・・・その後いろいろMACの機種を重ね・・・建築設計や文章を重ね来て、2006年でしたか・・・連れ合いをなくし数年後ですがWindowsのマシーンを手にし、2年間の遊学・・・そう、小論文の提出や卒論の提出に手書きではなくパソコンの使用が奨められたことが理由でしたが・・・この時リンゴマークとのお別れ。ええ、仕事では、今でもリンゴマークですが・・・仕事は途絶え、生活は前途が見えなくなって真っ暗になってしまったのですが・・・その何年も前にリンゴマークは灰色・・・ええ、とてもシンプルになりかっこよくなりました。そんなパソコン遍歴、パソコンとの付き合い・・・これにどれほど多くの生きる勇気をもらったことでしょうか・・・そう、大げさではなく。
・・・まあ、こんな風な何十年間のパソコンとの付き合いですが・・・建築図の制作と文章の作成・・・これだけはまあまあ何とかできるようになって・・そう、こうしてBLOGまでこなし、さては、先の自著『額田王研究』なんていう、100万字ほど1000ページ越えの大著・自費出版・・・よくぞ書いたもの(誤タイピング多く恥ずかしい、校正が大変???今も続けている???)・・・ええ、自分で言うのもなんですが・・・まあ、よく書いたものです。・・・例えば原稿用紙に向かってペンを走らせる(実は現在も万年筆を日常的に使ってはいますが・・・)なんてことは、50歳を超えるととても無理・・・そう、パソコンにお世話にならなければ、こんなことは、年齢的−根気や視力そして座力?(忍耐力?)は老いてはとてもできないこと・・・そして現在もその校正を進め・・・さらに、もう一冊なんて・・・あらぬことを思ったりしている・・・というところです・・・。そう、ここには、パソコンという”利器“・・・これが存在したこと、出会ったこと、この利器がだれにでも「本」が書ける。自分史でも、研究論文でも、小説だって文才さえあればかけてしまう・・・出版さえ、お金を何とか工面すれば・・・僕は生活を切り詰め、切りつめ・・・ようやく・・・と、こんなことが出来てしまう・・・。
そう、この時代に、この僕は遭遇した・・・戦後の僕の成長期・・・目の前に次々と・・・家電・・・電化製品・文化生活という雰囲気も・・・が出現して来た・・・そう、成長期、僕も日本の社会も経済も・・・そんな時期に”出会ったという感慨“があります。そう、あの70年の大阪万博に、ちょうど、建築の師、菊竹清訓先生に弟子入りしたその‘68年でしたか、師も、基幹施設設計の一人になられ・・・さらに、万博施設の設計の一端(エキスポタワーなど・・・)を菊竹先生が担われ、そのチームの一員に、そして、そのチーフにと、思わぬ場面に面食らいつつ、何とか責任を果たし、頑張りすぎたのか、体を壊しやむなく帰省・・・そんな中で、最先端のコンピュータの作図による図面というものを見ることができました。今思えば何とも稚拙な図でしたが、それでも未来を僕に語り掛けてくれました、その図面・・・以来、今日に到っていますが・・・やはり、営業の才もなく、さらに、世の中から隠れる・・市隠・・が、何より僕の気性にあっているというのか、そんな生き方しかできないかなしさ・・・。そして、一つのきっかけから、次々と良き仕事、大きくはないが、いろいろな規模種類の建築を設計監理させていただき今日に到っている。
・・・人は、その生まれたとき・・・それは疑いようもなく”良き時代”に違いないと僕は思うのですが・・・そう、やはり僕はこの時代に生まれ来て感謝しています・・・ええ、いつも質素な質素すぎ、さらに孤独な人生ですが。
・・・まあ、パソコンのことでした・・・パソコンがそこにあったのではない・・・パソコンが僕の目の前に出現した・・・そんな実感です。
・・・そんな僕も老年期に入ったのでしょうね・・・年齢、それ、なぜか肉体を言えば確かに老人・・・ええ、心は常に若い、なのに、最近はときどき自分自身を心なくも老人と言ったりしますが・・・ほんとはそんなことウソにも言いたくもない・・・仕方なく・・・。
・・・と、妙な方向にタイピングが進んでしまいました。
・・・今日は七夕まつり(新暦の七月七日))・・・年に一度の”逢瀬“・・・の日です。
・・・牽牛と織女・・・しかし、今日は大雨(おおさめ)・・・厚い雲・・・どうぞ、心おきなく厚い雲のとばりの向こうで逢瀬をお楽しみなさい・・・うらやましいな。
・・・とにかく、数日前まで滞っていたBLOGの6月号(100号)の投稿も済ませることができましたし・・・そう100号でした。ええ、とにかく僕の人生・・・大げさではなく・・・あまりにもたびたびの大中の障害に出会います・出会いすぎ・出会いたくないけど、向こうからやってくる・・・良きこと悪しきことと。つらいほんとうにつらい・苦しい・・・女性の作家・三浦綾子さん(作家・作品として好きな方でした)が降りかかる困難や不幸について何かおっしゃっていました・・・。
そう、人は厭離穢土・えんりんりえど・・・おんりえどともいいますが本来は“えんりおど”(広辞苑)・・・穢れたこの世を離れたいと願うこと・・・そう願いつつも、すなわち、欣求浄土・ごんぐじょうど・・・心から喜んで浄土に往生することを願い求めること・・・そう、困難なんてやってこないで、幸いな事ばかりがやってきてくれれば、どんなにか生きていることが楽しかろうに・・・というような思いなのでしょうが、やはり生あるうちは、厭離・・・嫌いつつも、この穢土にまみれて、人は暮さねばならない定めの下にある・・・というようなことをおっしゃっている。もちろん他にも様々な人が同じように言っていますが仏教自体がこんなことへ正面から向き合ってきたともいえましょうか?・・・本当に、この世は、穢れきったこの世をいくら嫌っても生きてあるうちは、どんなに汚れ穢れ切ったこの世を嫌って欣求浄土を渇望しても、生きてあるうちは、様々な試練から人は逃れることができない・・・このようなことでしたか、おっしゃられています。
思いますに、僕自身も、この世を穢土としている一人にちがいありません・・・が。
一方で、確かに、僕なんか、次々と襲い掛かる困難・くるしみにさいなまれ、それを乗り越えたというのか、その困難が行き過ぎてくれたというのか、解決がついた・・・とほっとする間もなく次の困難が襲ってきます・・・ともいいますか、目の前に立ちはだかります・・・。まあ、僕自身が汚く世度れた存在・・・だから、欣求浄土なんぞどれだけ渇望しても・・・手は届かないでしょうが。
・・・まあ、耐えがたくあるが・・・でも何となく、乗り切ってきたし、乗り切っている、今度も・・・(これは少し大げさ・・・たかが、パソコンのことで・・・はい)。もちろん、パソコンのことは外部へ救援を求めなければならない・・・これも負担だが・・・やむを得ないこと。
と、こんなことを、タイピングしつつ考えたり、思ったりしていました・・・。
コンピュータが戻ってくるまで、こうしてタイピングするときまで・・・いろいろと。そう、こうしてタイピングしつつ文章を書きつらねる習性がいつの間にか身と脳と指先に付きました・・・うれしいことです。
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===目次===
7/07  並みな表現では語れない自然の力の恐ろしさ・・・
7/11  ・・・防衛費にはジャブジャブと国費をつぎ込むが・・・
7/12  ・・・やっぱり、人に会いたくない・・・
7/13  ・・・また、後付けパホーマンス・・・
7/15  ・・・ここにやってきていた「夏」・・・
7/17  “ノリタケの森・・・ノリタケ・ギャラリ―“で
7/18  ・・・命にかかわる危険な猛烈な暑さになります・・・
7/22  ・・・もう、ずうううーと遠い・・・
7/30  ・・・こんなちょっとした心の安らぎもないことだろう・・・
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並みな表現では語れない自然の力の恐ろしさ・・・
7/11/Sat.
今月3日から東海から西日本は大雨・・・線状降雨帯といったかな?・その画像の赤や紫色で表され、かぶさる地帯が幅が広くなって帯状降雨帯となっているという・・・いうなれば幅が広くどしゃ降りが続くということか・・・豪雨のブルドーザー・・・か。
確かに、この数日間の降雨は雨降りなどというものではなく・・・そう、雨粒なんてなっていなくて、水道の蛇口をポタポタではなくジャーーーーーーと連続する吐水状態・・・そう、細くない太い流れ・途絶えることなく水の流れが天から地上までつながって、間断なく流れ落ちている状態・・・いわば、自分の居住地に向かってその範囲全体が蛇口の下・・・何千何万いや何億なんて蛇口は一斉に・・・なんて馬鹿みたいに思ってしまうほど、その自分の思考形態が愚かなことに気づくこともなく、この雨降りではない激しい降水状態・・・開けっ放しの蛇口状態・・・そんな豪雨が、夜になるとやってきた・・・もちろん昼間も蛇口の開けっ放しがあるのだけれど・・・明るさゆえか、幾分か恐怖感が少なくなるのだが・・・夜は恐怖感が増す・・・。
そう、降るなんて言う生半可なものではなく・・・連続した太い水の流れが、一斉に絶えることなく地上に当たる音−連続音・・・これは恐怖心を煽り立てる・・・恐ろしいこと。人間の無力さを教えられ、失望感というのか諦め、そんな思いにさせられてしまう。その昔、青年のころだった・・・国道を帰路・・・そこへ駆け足の土砂降り・・・ワイパーは全く効かず・・・路肩へ寄せた。追突される恐怖の車中・・・あの恐ろしかったことをも追い出す。あの時は短時間の出来事、今度の大雨は何日も降り続いている・・・これによる被災者・・・被災家屋・・・インフラの被害も。
日本列島・・・災害列島、その様相が確実になっている。
・・・地球が病んでいる・・・悶え苦しんでいるのかも・・・。
・・・様々に出会う、人間の下品化がなす穢土化・・・そんなものをも・・・この地球のなす人間への警告なのではないかとも思ってしまう・・・。もちろん僕の存在自体も、小さいがその一因・・・そう、自分自身もがその一因・要素・・・かも、そう、僕は確かに純白ではないかもしれないし、全くの正義でもないかもしれないし・・・自信がない・・・ゆえに愚かな思いなのかもしれないが・・・。それにしては、被災者は罪なき庶民だ・・・そう、“無辜の民”・・・その人間世界の不公平さ・・・宗教観・信仰ではない、まったくの日常感として、人間の自然力の脅威に対する無力さと自然のなす残虐性の露出かとも思うのだ。
自然の脅威などと、言う月並な表現では語れない自然の力の恐ろしさ・・・。
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・・・防衛費にはジャブジャブと国費をつぎ込むが・・・
7/11/Wed.
防衛費にはじゃぶじゃぶと国費をつぎ込むが・・・国土強靭化を口先で言いつのりはするが・・・そう、目の前のこの国土の荒廃の様はどうしたことだろう・・・。緑の植林の山の姿は、豊かな資源としての象徴だったが、これが負の資産へと価値を変えて、果てはsぢょくりんに励んだ・・・そこに住む人の命までも奪ってしまう・・・この植林という未来を見つめた、施策は何だったのだろう・・・。
・・・国敗れて山河あり・・・なんて言うが・・・山河そのものが先になくなってしまう・・・そして、国民のほとんどが疲弊し復興も再建もままならない・・・まま、国土はさらに荒れ果てる。
そんな、不条理というのか、この世の弱い者がいつも泣いている。大義を振りかざす、この国のチマチマした”為政者ども”・・・、そのせわしないネズミのような行動の示すものがこれか。そう、あの閣議前の全員撮影・・・この映像のなんと・・・貧相・・・まさにネズミの様相だ・・・そう、品がないということ・・・下品さ・・・それが、体からお顔から、振舞いから・・・にじみ出ている・・・残念だ。
・・・この全員集合撮影の習慣なんか、汚らしくておぞましい・・・こんなのやめちまえ・・・。これ見よがしの愚かな場面・・・。
・・・とにかく、この梅雨明け間近の猛烈な豪雨・・・この悲惨さ。
・・・そして、一方で東京都を囲むスーパー堤防なる構想が討論のテーマに取り上げあられる・・・。百年の計だとさ・・・。そう、チープな政府はどこへ行ってしまった
・・・この討議の前に東京一極集中への疑問が示されるべきではないか・・・。
・・・そう、あの首都移転構想・・・そして、それが没になって・・・水面下では・・・大阪市と東京首都圏のひそかな強靭化策が進行して来た・・・。
・・・そう、国土の7割を占める山野山河・・・これが無策にありながら・・・秘かな、エゴ防災策・・・か・・・あきれる。
出先で、4ch・深層ニュースなるものを見た・・・夜遅く。
・・・驚いた、その今夜の主題・・・その場面に登場する元自衛官・陸海空の将官だったものら・・・そう、これを、この自衛隊の退職元将官を・・・なんと「3将軍」と堂々と掲げる。このタイトルを見たとき、どこの国のことだろうと・・・いぶかっていたが、たちまち日本の自衛隊の元将官だと知らされた・・・なんと、このタイトルに恥じ入るでもない、3人の姿・・・このタイトルに、恥じ入る、ここへ登場する前に、タイトルの変更を申し出た様子もない・・・鉄面皮・・・このタイトルは間違いだ。
・・・これが、現在の日本のマスコミの本音かしら・・・そう、テレビチャンネルの一つを責任もって管理運営操作しなければならないはずの当事者が、こんな大きなミステークを犯した・・・そう、確信犯かしらね。これは汚い手口ね・・・極め付き・・・恥じらいもない、番組制作者や司会者どももか。
・・・マスコミの居直りかしら、そう、旗色を早々に決めたのか、もともとそうだったのにうかつなオレか・・・よくわからない。
・・・総務大臣は、この件を調査して、間違い表現を叱責するのかしら・・・すべきだ・・・。もちろん防衛相とその大臣も、一言正せ・・・。報道の自由といえど、影響が広すぎよう・・・。おたがいにホホカムリかな・・・ナレアイカナ・・・ナムアミダブツ。
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・・・やっぱり、人に会いたくない・・・
7/12/Thu.
堺市まで往復してきた・・・残念ながら、京都へは回らずじまい。
せっかくの関西方面なのだったが、目的にするには時間が遅すぎた・・・閉門されてしまうのだ。まあ、改めてと・・・残念に思いつつ帰路に就いた・・・途中、伊賀あたりだったか、ぽつぽつとフロントガラスに雨粒があったったと思いきや、次には俗にいうバケツをひっくり返したような猛烈な雨降り・・・そんな時間が5・6分かしら・・・思わず車を寄せた、左の路肩・・・追突される危険性は十分だったが・・・その恐怖の時間が瞬間的ともいう短時間で過ぎ去った・・・しかし、高性能の大型トラックの群れは、ものすごい水しぶきを上げつつ、それを寄せた車にブッチャケ疾走していく・・・。・・・なんとまあ・・・と、感心するとともに、薄れていく恐怖心・・・雨も上がって・・・まあ、なんとか無事に帰り着いた。
怖かったなあ・・・そう、人も自然も・・・みんな僕に恐怖を持ち込んでくる・・・恐ろしい世の中・・・やっぱり、人に会いたくない。
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・・・また、後付けパホーマンス・・・
7/13/Fri.
閣議の全員集合場面へ・・・アベはトクイソウニ作業着姿で中央に着席した。そう、この豪雨被害が続出している最中・・・何とか言う懇親会で、談笑シテイタとか・・・総裁選挙・・・その選挙対策の懇親会なのだろうか・・・。
・・・そんなニュースが流れた・・・。これには政界に非難が出たともいう。
・・・これに、敏感に反応し、翌日の全員集合の場面に・・・作業着?防災服?・・・というのだろうか?
・・・ははっと、笑ちゃう、この敏感さとしているその鈍感さ、このパホーマンス・・・周りの閣僚らはスーツ姿(このスーツ姿が様になっていない、この悲しさ・・・)・・・一人アベだけが浮きあっていた・・・そんな絵・・・なんとパホーマンスの好きな総理大臣・・・やることなすこと、この体たらく・・・。不快だ。
(以下、追記7月30日)
・・・そう言えば、いつの映像だったのか、出先で目にした画面・・・とにかく・・・最近、党首討論の最後の場面なのだろうか・・・アベが、議長の制止を再三にわたって無視し、持論を述べ続ける・・・果ては、その場面が終わると・・・立ち位置を離れ・・・質問者・討論の対者オカダに向かって、いわば詰め寄り・・・”持ち時間を守ってくださいよ、時間を・・・(これは僕の正確くな記録ではない、この場面・・・一瞬の映像・・・)“・・・・・これにオカダ・・・無言?・・・なぜ、一言・・・”ソウリ、ソノオコトバ、ノシヲツケテオカエシシマスヨ・・・“と、とっさにでも言えなかったのか・・・そう、ジョークで一言。そう、議長の再三の制止を無視して、自身の言いたいことを言いつのる、果ては対者のオカダへ詰め寄り罵声を浴びせる・・・これ、この態度・傲慢・・・自分自身から正せ!・・・アベ・・・議長の制止も聞こえないほどの精神状態だったのか・・・こんなことでは・・・この日本国のかじ取りは任せられないぞ・・・。
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・・・ここにやってきていた「夏」・・・
7/15/Sun.
昨日は本格的な夏の到来か・・・世の中・我が家の前の通り・通学路、歩道が急に静かになった・・・思えば日曜日、さらに夏休みらしいと気づいた。もうそんな季節なのか・・・とも。
昨日からセミが鳴きだした・・・やっぱり、夏なのだ・・・夏休みなのだ・・・と、気が付けば・・・僕は独りぼっち・・・か。ここにやってきていた「夏」。
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“ノリタケの森・・・ノリタケ・ギャラリ―“で
7/17/Tue.
僕が名古屋へ戻って、建築設計事務所というよりも小さな一人事務所、いえいえ、それよりも、まあ、さらに小さなアトリエといったほうが、中身とともに軽々とした雰囲気・・・がする、そんな建築デザインの仕事のはじめ・・・そう、仕事の見込みもない不安定極まる出発・・・そんなとき、そんなとき、娘さんのご主人Sさんが紹介くださったのが今は亡きMさんご夫妻だった。機械工具を扱う会社を経営されていて・・・ちょうどそのころ、新しく土地を求めご自宅を新築されようとされているから、訪ねて行ってください、話しておくから・・・と、そんなご紹介だった・・・。そして、僕の設計経歴でも初期に当たるそんな住宅設計を土地のご購入直後からかかわらせていただいた・・・そう業界で言う、お施主・・・Mさんご夫妻。実は、僕の生活が成り立ち始めたそのありがたいつながりのはじめ、元の方々ともいう、いわば、恩人との、そんな出会い。
このMさん夫妻の娘婿に当たるSさんとの出会いにも、仲介者がおられるが、その話をするとまた長くなる、今日は、ここを飛び越して・・・、そのMさん夫妻の息子さんご夫妻、さらに、主役は奥さん・・・といっても長い話ではない。
・・・そう、すでにMさんご夫妻はなくなって、その息子夫妻Mさんの奥様が、ノリタケ・ギャラリーを借り切り個展を開かれた、その一週間の最終日が16日月曜日だった・・・海の日。
そう、世界のノリタケの発祥の地とでもいう、その本社工場(?正確には知らない)・・・この明治九(1876)年から始まり、米国と日本国内の五つ六つの工場から始まり、現在、工場は九州伊万里へ移られて?)、この名古屋則武の工場は“ノリタケの森”として、歴史とノリタケブランドを土地とともに名古屋に残しおこうという、いわば、“日本の近代産業遺産”の典型的なその跡地、・・・失礼、現在もデザインから制作まで、並行して維持されているが、レンガ造りを交えた建物群とともに公園要素も加え整備されたのが近年。僕も名古屋市、近くに住みながらこのノリタケの森へは初めて。市内での広大な施設に驚き、その歴史そのノリタケデザインのすばらしさに改めて驚きもしたが、それはまた、別の日にも書きたいと思う。
その施設うちの広い”ノリタケ・ギャラリ―“で、この息子Mさん夫妻の奥様NMさんが、長年、作りためた陶版画の個展を大々的に開かれた(この間のご苦労も書きたいが今はやめておこう)・・・。そう、陶版画を趣味としておられることは十数年いやもっと以前からお聞きし、そのお仲間との展覧会には、名古屋中心部にあるノリタケ本社(?これも正確には知らない)子のギャラリーでの展覧会へとお招きいただき観させていただいてきた。それをこの度は、個展として、その後の八年間ほどの作品を展示されたとのこと・・・。そう、ギャラリーへ入って、最初、膨大な作品、これは誇張ではない・・・個展ということを思い出さず、集団展かと錯覚したくらい、ちょうど来館されてたご友人も、多人数の作者の展覧会かと・・・と、話しておられた。とにかく、そのモチーフの多彩なこと、そのモチーフごとの作品の多いこと・・・これには、驚いた。よくここまで、長年の努力を重ねられたと、ただただ、感心するばかりだった・・・。陶版画・チャイナペインティング・・・多分、これは単に絵の具の塗り重ね絵筆使いだけでは収まらない・・・絵の具の焼成変化をも見極めなければならない、高度な技術とその知識、もちろんしっかりしたというべきか、積み重ねられたデッサン力・焼成後の完成画の想像・・・これは、油彩や水彩画さらに日本画とも異なる特別な技法力・表現力・・・そんなものが、思わせられ、圧倒された・・・。そう、これが本当の気持ち・・・本当に長い努力の積み重ねと修練を自らに課しての長いながいご努力とその成果だったと僕は感動と感服・・・を、覚え、その観覧後のカフェでの独り休憩の時間は、充実したものだった。そう、施設内の”カフェダイヤモンド“。
・・・それにしても、この猛暑の中、本当に多くの参観者が押しかけられ・・・一週間の開催中の盛況だった様子が、この最終日の様子からも思われた。そう、久しぶりに、本当に良い数時間だった。
それにしても、この多様なモチーフとその表現力。すごい。“おめでとう”。
ご主人のYMさんの影のご協力、それはまた、並みなことではないに違いない。
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・・・命にかかわる危険な猛烈な暑さになります・・・
7/18/Wed.
日ごとの天気予報・・・”命にかかわる危険な猛烈な暑さになります。水分補給、塩分補給、適切な日陰での休憩、屋内ではためらわず冷房を点けましょう・・・と、ラジオのアナウンサーが呼びかける・・・。
この猛烈・・・命にかかわる・・・危険な暑さ・・・連日名古屋は全国の五指に連なっている。38℃38.9℃などと、隣県の岐阜市や揖斐川町などは名古屋よりも高温。かつて筆頭だった多治見市はやはり、今日も41℃近くとなんともまあ。それにしても甲府・岐阜・名古屋・京都・・・の内陸性気候の典型的な高温状態・・・そして、西日本の各地・・・ここに到る豪雨の被災地・・・劣悪となった状況に、さらにこの高温がより強いダメージを押し付ける・・・なんと、神様の配剤といえど、そのむごいことだろう・・・。そう、神様も及ばぬ、地球のあえぎなのかしら・・・とも思える・・・この尋常ではない気象・・・。
・・・そして僕は、この名古屋にいる、そう、この高温の中。僕はもう4日間冷房を点けていない・・・何年ぶりだろう・・・こんな”無謀ともいえるノン冷房“・・・これには僕自身の一つの試みがある・・・そう、近年一層虚弱になった僕の体・意志もまた・・・そんなものを、改造したい・・・そうして、この猛烈な暑さの中・・・短パンにTシャツ、首にタオル(残念ながらヒンヤリタオルじゃない普通のやつ?それの保冷剤を巻き込み、暑さに抵抗しつつ・・・そう、だいたい首にタオルなんて家の屋外作業の時、作業着の首くらいしか巻いたことがなかったが、これのややヒンヤリ感、首への感覚は何とも落ち着きをもたらせてくれる・・・この命にかかわるという猛暑に・・・意外な無謀なことをやっているわけです・・・) と、冬にはできない、体質の改善まではいくはずはないが?・・・というのだろうか、そんな”愚かな試み”を、今やっている・・・どんな結果になるのか・・・そう、何年になるか10年ほどにもなるのだろうか・・・あの研究書の執筆中、たぶん熱中症なのだろう・・・意識を失いそうになって、ようやく一階まで階段をいざり降り救急車の世話になった、それ・・・その記憶が、さらにその他の体調の変化とその悪化が・・・様々に表れて・・・そしてこの年’18年の夏、ふと思って、冷房を点けないで済ませて体調の変化を見てみようと、冷え性の僕がここ数日のこと・・・水分補給・塩分摂取とともに・・・首を冷やして、そんな試みに挑戦しつつある・・・ただ、夜の居間では時々冷房を点けているが・・・。寝室は昔から冷房なし、そして、数年前から侵入不可能な位置にある窓は開け放ち、ブラインドを水平に開いて降ろし、夜気の冷気を取り入れてと、その内にはカーテンを閉めて、プラス扇風機で空気をかき混ぜ・・・と、いった具合で眠りについている・・・これが、結構快適だ・・・よく眠れる、寝つきもいい・・・そんな、いってみれば“老人の冷や水”と、さげすまれそうな・・・試みをしている。もちろん宵のウオーキングは続け、これも快調だ・・・何日か前、工事中の乗り入れ鉄板につまずいて転んで、大事なトレパンの膝部に径3伉の穴をあけ僕を嘆かせ、膝を少々擦りむいたが・・・大事なく、元気だ。
この冷房抜き・・・どんな変化を体にもたらせてくれるか、とにかく本人は真剣だ。
・・・そうそう、こんな睡眠・・・蚊帳があればさらに快適だと・・・奈良町の蚊帳屋さん、吉田蚊帳店だったと思い出すが・・・奈良でゆっくりできれば、もう一度、訪ねてみたいと思ている・・・そう、昨年から。
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・・・日ごとの天気予報に加えられた”命にかかわる猛烈な暑さ“・・・
7/18/Wed.
日ごとの天気予報に加えられた・・・”命にかかわる猛烈な暑さになります。水分補給、塩分補給、適切な日陰での休息を、ためらわず、エアコンを点けましょう“・・・。これはすでに戦争状態だ・・・都民の多くが地方から勉学や就職で上京し・・・ここで成功し・・・今は東京人・かっこよくいえば”メトロポリタン”そう、上京した者が・・・故郷へ帰るらずにいるそれ・・・それが、今ではその田舎のことなんぞ全く思わず・・・時折思い出すだけ。
それにしても、超高層の建築の林立・・・その中でも気になるのは、地面も見えない海浜近くある超高層アパートに毎日帰っていくネオ都民。一方では、かつての杣道やあぜ道の形態を残す、今は商店街となって、それに込み合った居住地。そう、込み合った路地が網の目のようにとおる低層の街並み、その一方で、まるで鶏のケージのような超高層マンションのそれ…どちらの主役も・・・地方人だ。
この景観はかつての住居としての超高層建築への疑問と議論、その生活の環境としての様々な欠如の懸念として、超高層建築での生活の弊害がいろいろと論じられた。そう60年代70年代のことだったように記憶している。そしてこの時代、未来都市論がさまざまに論じられ、そのデザインもが提案されたのだったが、その懸念される超高層住居の様々な形のアイデアだった。そこには論議の超高層階に住むことへの懸念はほとんど考慮されず、無視されたという状態だった。まあ、超高層と、迷宮の低層・・・両居住環境の極端が、ある意味で論じられていた時代だったが、現在では、この地球上での生活を、諦め断念したかのような、月や惑星でのSF的なデザインが時々現れるようになった。しかし、我々建築を学ぶものもさまざまに学び考えた、その低層建築住居、地面に接して暮らすこととは、その必要性の議論は・・・どこへ行ってしまったのだろう。
全く論じられることもなくなった、超高層マンションへの疑問、この空しか見えない部屋の中で、今何が起きているのかあまり論じられなくなった。
地方から東京で学ぶことを理由に流入を続ける地方人、この巨大都市はどうなっていくのか、憧れ、この自らに課した虚飾と欺瞞の生活の現実を知ることなく・・・そんな東京にあこがれる人たち・・・。
一方で、消滅集落という現実・・・。
僕も短い東京での暮らしだったが、それは暮らしと呼べるようなものではなかった・・・建築の師から何かを得ようと必死だったあのころ、あのころとは東京自体が全く様変わりした。その、いわゆるお上りさんがそしてその二代目さらに三代目とひしめき(犇き、この漢字)・・・暮らす東の京・・・東京・・・。
一昨日だったか、あの個展を見せていただいた帰り・・・名古屋駅前のJRゲートタワーへ初めて寄ってみた・・・大変な人出だった・・・。ここも愛知県の西部地方の人たちの人波、さらに岐阜県や三重県からの人出・・・それに対して、その店舗のつくりはお隣のJRのツインタワーにある、ある意味おっとりとした店構えと何ら変わるところがなかった・・・。それどころか、全く趣向が変わることなく、なぜかせせこましくなったその店構えだ・・・いや、これは人出の多さが勝った雰囲気か。
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・・・もう、ずうううーと遠い・・・
7/22/Sun.
幾分猛暑にも慣れてきたのかしら・・・なんて思ってしまう。現実、午前11時ころの名古屋はすでに30℃越え・・・これからまだまだ上昇するのだろう・・・暑さに慣れてきたなんて・・・多分、僕のことだから錯覚・・・失敗する憂いが十分にある・・・。(夕刻のニュース・・・名古屋は39.5℃だと放送した・・・そんな中、僕は冷房も点けず、粋がって暑さの中にいた、室内は36度・・・失敗する憂いがある・・・なんてものじゃなくて、生命をお脅かす気温の中に僕はこのひ弱な体をさらしていたのだ・・・ぶるっ、冷や汗・・・。
・・・最近は暑さの中、・・・ラジオをかけっぱなし、けど、“のど自慢”を聞いたことがないが、きょうはその“のど自慢”を聴いている・・・。越谷からの中継という・・・この出演者、僕なんかほとほと感心してしまう上手さ、プロかと思うほど・・・本当。
・・・それにこの番組の元気の良さ・・・むかし聴いた雰囲気と同じ元気の良さ・・・いや、それ以上か。
会場や舞台の盛り上がりの場面を想像しつつ・・・舞台でプロのように歌う人、会場で声援を送る人たち、そして、司会をする元気いっぱいのアナウンサー・・・鐘二つに、それでも歓喜する、ましてや合格?の鐘の響き・・・舞台に飛び上がってるのだろう、爆発するうれしさ・・・。
・・・こうして自分を解放できる人たちをうらやましいと思った。そう、元気なんだ・・・元気。
・・・そうして、子供のころの家族や自分・・・夏休み・・・、涼しい風の吹き抜ける畳に川の字を並べ、タオルケットを橋のようにお腹につなげての昼寝・・・セミのかまびすしい声も交じって・・・そして、目覚めにと、縁側で盥に冷やしたスイカ・・・遠くてやはり遠い思い出・・・もう、ずうううーと遠い。そして、あのころ以来・・・ずううーと、スイカを食べていないような気もする・・・?
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・・・こんなちょっとした心の安らぎもないことだろう・・・
7/30/Mon.
風鈴が鳴っている・・・その響き・・・東と西のベランダから・・・。そう、ロールテントのアルミ腕木の一方・・・それぞれに、二つの南部鉄器の風鈴・・・一つは、マツカサ柄、一つは梵鐘柄・・・この二つが、風の都合により・・・ソロであったり、連弾であったり・・・時に和音も交じって・・・鳴っている。
昨年は、この風鈴を吊らなかった・・・だから昨年は風鈴の音を聞くこともなかった・・・昨日一昨日そのまたその前日、さらにその数日前に・・・久しぶりに風鈴を吊った・・・そして、鳴った・・・まあ、なんと懐かしい・・・見事な、鋳物製の風鈴の音・・・。そして、一昨日の台風のニュース・・・そして、慌ててしまいこんだ・・・が、今朝、改めて晴れ上がったロールテントの下・・・二つのよく似た音色が響いている・・・。そう、こんな、時間・・・豪雨の被災地、台風の被災地では・・・こんなちょっとした心の安らぎもないことだろう・・・申し訳なく思う。
・・・今月、101号はこれで・・・また、来月8月にもお目にかかれるよう頑張りましょう・・・猛暑が続いています・・・どうか貴女貴方には、お体ご自愛くださいますように。
・・・今日・今朝の名古屋は通過後一日置いて、12号台風、その一過の空となりました・・・白い雲の背景にさわやかな青空です・・・そして、涼風が風鈴を鳴らし、この居間を吹き抜けていきます・・・贅沢なこと・・・申し訳ありません・・・どうか、お元気で・・・。
〈追記〉・・・いつごろか、そう、この書き込みをしなかった一週間ほど前、過去の記録にない高温を観測して有名になった・・・そう、熊谷市・・・今夏のこの最高41,1℃・・・日本一・・・日本一に返り咲いた・・・あの熊谷市・・・何年前だったかも日本最高気温を記録した・・・そう、思い出した・・・最高気温で、町を挙げての町おこしに夢中になった町だ。
今回の41,1℃という気温・・・インタビュウアーの質問に・・・女性・・・日本一の高温の位置を奪われて、悔しい思いをしてたけど、今日、これでまた日本一・・・ええ、うれしい!!!(概略)
・・・そう、やはり女性らしい力強い感想?!・・・ほんと、尊敬する女性・・・そのものの心意気、ほんとすごい!!!・・・やはり女性・・・ウーム、頼りにしてます!!!
・・・日本を背負っているのはやはり女性だ!・・・これは確か・・・。
よし、僕も昼間は冷房点けないで頑張るぞ!・・・コノバカメ!?・・・だって???
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