建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう VOL-109 March 2019

HITBIT[心もよう]vol-109 March 2019
三月半ば・・・ようやく春めいてきました。宵のウオーキング、そんなときふと春らしい空気を感じる。夜気に交じって清涼な匂いが流れている樹木の多い夜道・・・歩き疲れてふと立ち止まる。里山の裾にある歩道・・・。昨年末だったか今年になってからだったか、街灯が水銀灯からLEDに変わって、光度を落としたのか、何となく薄暗くなった歩道・車道・・・幽玄?
最初は何となく違和感をもったが、慣れてきたのか・・・この仄かな雰囲気を醸すLEDの光度・あかり・・・陰りを帯びた明かり・・・なかなかのもの・・・。
実は我が家もキッチンの手元灯と天井等をLEDに変えた・・・二か所とも寿命が来て・・・そう、蛍光灯から・・・狭い空間だから、その明かりは十分すぎるほど明るくなったが、何となく冷たく寂しげな光・・・これが少し気になっているが、そのうち慣れてくるのだろう。
居間の天井灯は昔ながらの何の飾り気もない蛍光灯(シンプルさが気に入っている)、40ワットの棒球が5本、カバーの中に並んでいる・・・一部であるが変えたLEDと比べると、何となく蛍光灯の方が光が柔らかく感じて・・・この居間の照明を蛍光灯のままにするか、LEDにするか・・・迷っている・・・蛍光灯管が無くなることはないかしら?
・・・そう、日常に“迷い”・・・迷うこと、決断とまで言うことでもないが、何事もうやむやというのか曖昧にしているような気がする。そしてこの居間を見回してみると、何とも雑然となって、整理がつかなくなっていることを改めて感じる・・・。
・・・一つの原因は、居間とつながってある食卓・・・ここへノートパソコンを持って、上の階の書斎から降りてきて食卓書斎としてから現在の”雑然・散らかし放題“が始まった。
・・・この極めて狭い、居間が昼間のボクの創作と生活の空間となって・・・まとまりがつかなくなった。何とかしなくてはと思っているが・・・どうにもならなくなっている・・・資料などが生活空間にのさばり、手の施しようがなくなった、僕の散らかしよう・・・何とかしないと???
・・・・・・今月も、書くことがないと・・・いったんは諦め、休刊にしようかとも思いましたが・・・身近なことへ、目を向けたとたん・・・少し、書き進められました。
・・・ええ、精神、その感性の衰弱・老化など・・・枯渇ということが、現実になってきつつある昨今です。いつまで続けられますことか・・・。
・・・お元気でしたか・・・。
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===目次===
3/06  ・・・遅れてごめんなさい・・・
3/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/09  ・・・BGM・・・
3/20  ・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/21  ・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/22  ・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/23  ・・・病弱・・・
3/25  ・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/28  ・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/29  ・・・春とはふしぎな季節だ
3/30  ・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・

3/31  ・・・・・・
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・・・遅れてごめんなさい・・・
3/06/Wed.
名古屋は、曇り・・・雨降りになるのかも・・・気温が下がりつつある。
・・・先月。2月号は投稿が遅れました。ええ、申し訳ないこと・・・すっかり失念。
先ほど投稿し公開しました〈AM11時ころ〉・・・109号です・・・そして、先月1月号は通算108号目でしたが、間違って107号となっていたのを訂正しました。ごめんなさい。
・・・いろいろと、この身の変調がこうして、忘れたり失念と(おなじことか?)・・・生身の人間のなんとひ弱なことでしょうか・・・ことに僕は。
それにしても、長いこと続けてきました・・・間に一年間のご無沙汰もありましたが・・・。よく続いたと思います・・・。これからも、何とか続けたいと思っています。
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・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/08/Fri.
先月号に書いたかもしれない・・・ええ、先月のことをしっかりと覚えていない。
なんとも、気持ちも、記憶も頼りないものになったようだ。
・・・先月だったか・・・読んだのかドラマでも見たのか?
・・・「寂しさは金、哀しみは銀、煩悩は人を強くしてくれはります・・・」・・・これ、なかなか味わいある言葉だとおもう。
この一行を知った時、ボクは自身の書中に書いた・・・「空蝉」うつせみ(古形は‐うつそみ)・・・飛鳥人についての一文を、思い出した。その部分をここに置いてみよう。
・空蝉は、現人(うつそみ)、の転。この世の人。平安時代になると蝉の抜け殻(うつせみ)の意となる。それはまた、抜け殻の意から「はかない」という意味に用いられた。飛鳥人においても同様であったであろう。この感覚は「はかなさ」は平安時代になって突如固定化したものではないであろう。殊に上代に遡って、寧楽(奈良)・藤原そして更に飛鳥時代と、深く自然と関わり、その現象を尊び、身近に感じていた上代の人の感性の方が今日のわれわれが感じる以上に、蝉の抜け殻に「はかなさ」を感じることは、既知識的・固定観念ではない自然にわき出る感情であったであろう。
「はかなさ」は自然現象を感じることによってさらに促され、またそこへ仏教の影響も加わり、「生死観」を伴って、一層「人の存在」へと関わっていくことになり、そこに「哀れ」「もののあわれ」そして「無常観」へ、人の心の深層の「虚無感」へつながり、ときには現実と虚無との狭間に人を置く。
それは「心の揺らぎ」そのものとなって、人の感性を弄ぶ。しかし、その揺らぎに自身が置かれることをも、人は求めるようになり、意識的にその境遇へ狄瓦反鉢瓩鮹屬ことを求めもした。「哀しみ」はそうして人の心を弄び、人はそうされることによって悲しみを癒しもする。死はいうまでもなく、別離の悲しみ、労働の苦しみも、さらに悲しみ苦しみばかりではなく、喜びも、恋も、さらに自然、その森羅万象から受ける人の感動など万感が交叉体現化し、さまざまな芸術となって人と関わっている。その典型的な形が、倭歌・和歌となったのであろう。万葉集歌も人のそうした万感がこもった芸術のその最古の具現化‐文字を与えられ‐遺されたものなのだろう。古事記・日本書紀そして万葉集として今日残る文字による上代の文学・芸術は、人の心の万感を記録し今日に伝えている。【拙書『額田王研究』より】
「煩悩」・・・寂しさ、哀しみ・・・人が何かにつけ持つ内の感情、その発露が控えられる、あるいは隠される感情・・・「業(ごう)」とよんでもいいのかも・・・そんな人の心が。自身の感情に弄ばれる・・・それが言葉ともなる・・・人とはふしぎな生きものだ。
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・・・BGM・・
3/09/Sat.
暖かな一日です。
身も心も開放されたかのよう。掃除を終えて、多くの音楽を聴く時間が持てました。
今日は何十年もラックにしまったままのCDを聴いた・・・といっても、本を読みながらのBGM・・・バッハの「管弦楽組曲」、ヴィバルディの「四季」、それにムソルグスキーの「展覧会の絵」・・・と、組曲ばかり・・・。そして、誰もが耳慣れた曲のパレードだ。
ボクは、このBGMを聴きながらの仕事の仕方・・・30歳近くなってからの習慣?となった。
図面を引きながらラジオそのFM放送・・・しかし、実際に聴いているかというと、聴いていない、聞き流しをして、耳に入ってこない・・・そして、ふっと一息ついたときにラジオが鳴っている・・・それを改めて知る。そして、夢中になって、製図版に向かっていた自分を知る。
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・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/20/Wed.
スイセンが満開になってから一週間ほどか・・・黄色のラッパ型の花・・・何という名前かしら・・・このスイセン・・・。
ずいぶん昔、鉢植えを買い、その花を楽しんでから、道路に面した間知石積みの擁壁の上、その小さな雑草の斜面、その端へ植えた。わずか二三本のそれが、毎年花を咲かせてくれ、その上、株がだんだんと大きくなって(毎年、一本ずつかしら?)・・・僕にしては上出来の移植の成功。そのうえ、1メートルほど離れた所に、移植したわけでもないのに数本の茎に同じ黄色の花が咲いて・・・不思議?
・・・ところが、昨年ころから、隣に植えてあったオモト(万年青)が姿を消して???これも不思議。
このオモト、母が送ってくれ、毎年赤い実をつけていたのだが・・・どこへ消えた?
そう、・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・。
改めて、オモトがあった場所を掘り返すか?(その後のはなし・・・枯れかけた葉が一枚見つかった)
・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・スミマセン・・・オモト様・・・。
先ほど書いた、この間知石積みの擁壁、我が家のところで途切れ、また南へとつながっているのだが、その南へつながった擁壁の上、わずかな隙間に、数年ほど前から、自然生えのマンリョウが一本立ちあがって、この冬そして今も葉むらの下枝に赤い実をつけている。鳥が運んだか・・・マンリョウの実。
このほか、ここ数年で増えた鉢植え・・・サツキ、つるバラ、ボケ(木瓜・この木は昨年秋に枯れたと思ったがそのままにして置いたら、二枝のうちの一本が小さな芽を転々とつけていた・・・うれしかった、思わず、どんどん葉を出してくれ・・・と声をかけた)、それから名前を知らない、いや、忘れた・・・木とも草とも定かでない一鉢、それに僕がつくった盆栽−トウカエデの林風の景色・・・と、どんどん増えた(これは大げさな表現)。ボケは枯れてしまったかとがっかりしていたが、その木瓜、落葉したつるバラと同時に、一昨日頃から赤い芽をふきだした・・・もうじき新しい葉の茂りが出来そうだ。
それに、家の中には、飾り鉢で売っていたミニバラが花を三つつけて、咲いている。
もう、三週間ほどになるかな・・・。
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・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/21/Thu.
昨夜からの雨降りが小やみとなって、さらに曇り空。
そういえば、昨日の続き・・・2月に買ったチューリップ(おやゆび姫と名前がついていた)・・・それ、本当におやゆびのように鉢の土から直接、茎は見えず、緑色の葉と真っ赤なつぼみ(これが真っ赤なマニキュアみたいだった・・・)が生え、いいチューリップと気に入っていたが、一度日当たりへと・・・ベランダへ出したら、突然成長し、アッという間に普通のチューリップ・・・、瞬く間に背丈は伸び、花は満開、そして翌日には花はしおれて・・・おやゆび姫のチュ―リップは、おばあさんに大変身。ええ、茎もねじれて大変な老嬢・老婆ぶり・・・これにボクはびっくり、まるで一寸法師か浦島太郎か、はたまた竹取物語のかぐや姫(?かぐや姫ですよね?)・・・おとぎ話がとんでもない現実になって、ボクは腰を抜かさんばかりに驚いた(なんとまあ、老人じみた表現ですこと、ホッ
ホッホッホッと笑われるかな?)・・・。
・・・こんなおとぎばなし・・・ええ、本当にとんでもないことになって・・・今は、ベランダの片隅で、完全に枯れるのを待っている・・・そう、来春用に球根を取ろうと、茎が枯れるのを待っている僕です。複雑な気持ちで・・・。
(球根を取ること・・・鉢にさしてある名札に書いてあった)
ところで、桜前線のこと・・・福岡市と東京でソメイヨシノが開花したという。
・・・ところでこの開花・その宣言・・・を見に出かける・・・これなんぞ、愚か者・本当の風情を心しないものやることだ・・・と、このニュースを聞いて、僕の心は即座に反応・拒否反応をした・・・そう、桜の開花はうれしいことだ・・・しかし、前線のその瞬間を目にしに行く・・・これは愚の極みだ・・・そう、開花のニュース・・・これを聴き、その喜び、冬が去って春が来た・・・この喜びを、心で聴く・・・そんな、ひそやかな喜び・・・俺は群れない・・・そんな群がって,開花の瞬間を待つなんてこと・・・何ともまあ、あさましいというか? 
・・・昨日20日、床屋での話・・・おいでになる途中の平和公園の桜はどうでしたか・・・つぼみは桜色が増してきたでしょうか・・・いや、残念ながらまだでした・・・今日は桜ならぬ梅・梅林が満開でした、少し盛りを過ぎているのでしょうが・・・今日は気温が20度まで上がるそうですが・・・例年どうりですかね・・・開花は・・・花見に出かけたいですね・・・ええ、仕出し屋に弁当を注文して・・・と・・・僕たちは、普段贅沢をしないけど・・・お花見には、仕出し弁当を注文し、それを心待ちして、出かけました・・・時には、それに、自家製のだし巻きとかカラアゲなんぞを添え、ワインも飼犬とともに・・・ナツカシイ・・・。
・・・桜の開花を待つ心・・・心に思うこと・あいさつに開花予想を語ること・・・そんなことこそ、桜の開花にふさわしいと僕は思う。そういえば、我が家の前の桜の街路樹・・・つぼみはまだまだほんの膨らみ。
ここまで書いて、スーパーへ買い物に行こうか、と時計を見たら3時30分。
*3/21/Thu.
今日後で書き加えた・・・国連が調べた世界の国々の「幸福度」・・・ニュースの始まりは、街頭インタビュから・・・あなたは日本人の幸福度は世界で何位くらいだと思いますか・・・だったか、質問の趣旨はこのようなものだった・・・対して、答えは10位台から一けた台・・・すなわち高い幸福感を持っている答えが多かった・・・。
実際は、その世界での日本のランキングは実は”第58位“・・・ぼくは、いい位置にいると思った。確かに、薄々感じる政治の偏り・・・そこに密かに阻害に曝されている国民・市民がいる・・・と、思っていた”あまり満足感を感じちゃいけないけないよ“・・・すなわち、”適当なところで満足しよう“とボクの心の内にあった。
これを国民は国になんぞ依存しない・・・すなわち自己満足で・・・補っていたのだ。すなわち、日本人が持っている幸福度は、自己抑制が効き、不満度の小さくとも、日常の些細な仕合せや、戦争や紛争がない、デモやテロもない(サリン・地下鉄・・は別なのか?)と、いわば、適当なところで満足してしまう満足でいい、といった小さな幸せが幸せなんだというような、国民性ともいえる、満足感があらわになったインタビュー結果ではなかったと、ボクは聞いていて解釈した。
この国連が調べた日本の幸福度58位は、調査がどのような項目からなっているのか、ボクは全く知らないが・・・国連の調べの結果から見えてくるこれは、日本国民よ”政府に騙されちゃいけないよ“という警告が働いているようにも見える。あるいは、日本国民のほとんどが、小さな家で肩を寄せ合って暮らし、国民の間には、生活格差、進学格差などが歴然と現れていて、そのことに、国民が気付いていない、あるいは、国民性が踏ま个鯱海蕕気覆い箸、身の程で満足するとか・・・しかし、それを世界水準・平均的なところで、比べてみれば、日本国民は意外なことに、世界第三位の経済大国の割には、質素な生活、些細なことで幸せを感じ、多くを望まない・・・そんなところ、それを国連の調査がくみ取ったのかしら・・・そんなことはあるまいが。
ここで日本が日本人のほとんどが国民が感じている10位台から一けた台なんて結果に本当になったら、ボクは現実感からも受け入れられないに違いない。
・・・そう、ボクは日本人の精神性・・・多くを望まない・・・身の程で満足・・・このように、日本人の生き方は、本来質素であったし、これからも、質素であるべきだと思う。そう、世界第3位の経済大国・・・こんなニュースは、これまでと現在の僕には望むべくもないし実感もない。
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・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/22/Fri.
昨日は小雨と曇りがちな一日だった。今日は雨が上がって、夜明け前から強い風が吹いている。これは“春一番”なのだろう。しかし、あまりにも猛烈な風力・・・これは嵐だ。そして一日中吹きまくった・・・あまりにも強力な、春一番・・・。
・・・昨日の続きのような今日のタイピング・・・。
昨年あたりから、切り花ばかりじゃなく、ときどき、鉢植えの花を買う・・・不思議なことに、切り花は常に目に付き、しおれた様子に水が不足してるかな、元気を出せよと、声をかける。しかし、四五日するとやはりだめになり、“ありがとうね、さいてくれて・・・”
と、ひと声かけて処分することになる。
鉢植えも手がかかるが、なぜか、切り花とは違った愛着がわく・・・。
・・・日当たりへ持ちだしたり、日陰へ持ち帰ったり、時には粒の化成肥料をツブツブと・・・土にのせたり、液肥を土にさしたり、枝々の花が咲き終わり枯れかかった花を摘み取ったり、鉢ごと雨にあてたり・・・また、風がつよくなれば鉢ごとひっくり返りはしないかと心配をし、寒くなれば霜に当たり枯れはせぬかと・・・気にかかり、ときには、スイセンのように鉢から露地に植え替えもする。
昨年は、ツルバラを大きい鉢へ植え替えたりと・・・平たい角鉢へは、街路樹が振り蒔き自生した苗を次々と抜いては植えこみ・・・林のような盆栽風にと・・・心を砕き、これが成功し、盆栽だ、盆栽だ・・・と心が浮き立って・・・よし、松もやってみるかと、玄関先に自生してきた松を鉢へ移植・・・これが失敗。枯らしてしまい・・・ひどく落ち込み、後悔にやけ酒をのんで、禁酒を破り、改めて後悔をし直すなんて言うバカゲタことへのめり悪循環へ落ちる・・・。
・・・とにかく、枯れはせぬか、根はついたか、来年は花が咲くかしら、新芽は出るかしらと・・・期待と心配が入り混じって・・・ついつい、家の出入りには目が行き、言葉をかけている自分に気づき、如雨露(じょうろ‐水を雨状露状に振りかける水遣りの園芸の道具)で水遣りなどなど・・・と、さらに、この如雨露は、連れ合いといった旅行先のバラ園で買った小さな英国ジョウロ・・・といっても張り紙があって、それにのせられたか、普通のジョウロ・・・これを手に取るたびに、旅で行った楽しさを思い出し、心が、如雨露の水でいっぱいになってあふれ出たり・・・と、玄関先の水道栓をひねりつつ・・・などと、常に何かの思考回路が働き・・・心は、ぬれたり湿ったりしたり・・・と忙しく・・・この暇人の心が弄(もてあそ)ばれている。
・・・こんな切り花や鉢植えにまつわるいろいろなこと・・・。
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・・・生きるということ・・・これ?・・・
3/23/Sat.
連日、草木・花のことを書いていると、母がささやかに作っていたというのか育てていた季節の花類、その季節ごとの花壇、そして棚の上のいくつものサボテンの大小の植木鉢・・・サボテン、その育ち具合と、夏の夕方、陽が落ちて薄暮が迫ってくる頃、ほのかに花が咲いたときの嬉しそうな顔、僕らもうれしかったこと、と・・・その世話をする母の姿、そして、その心の中のこと・・・病弱なその日常、四人の子、ぼくと弟と妹たちの子育て、その心のありようまでも想像し、胸があつくなったものだ。
・・・そう、こんなボクでも、一応は長男だったから・・・いろいろ思うところがあったのだ。
・・・人それぞれの、持って生まれた健康状態・・・急逝したわが連れあい、Mさんも連れ添った当時から健康状態が不安定だった・・・気遣ってきたが、まだ足りなかっかと、悔やまれる・・・。僕自身も母に似たのか病弱だったが、成長するにつれ、われら子は健康を得てきたが、ボクは連れ合いをなくしてから生来の虚弱性が露出してきて、生き残ったこの体をなやませている・・・。今では、“病気のデパート”だと、一つ一つ説明するのも面倒なので、ひっくるめて、いっている・・・が。
こんな家族を養ってきた、サラリーマンの父・・・オヤジは、けっこう健康体だったようだ。この父母、母もともに、奇跡的にともに80代半ば過ぎまで、そう、長生きというのだろう、二人は生きられた。
・・・しかし、その人生に、ボクはどこまで“孝”を尽くせたか・・・結論は“孝行らしきことをしてこなかった”・・・そう、その細い脛をかじりにかじり、しゃぶってしゃぶって、妹たちと弟に迷惑をかけ自分自身の生き方のみにを、わがままになしてきた・・・これが結論だろうと、振り返って思い、また、悔やんでもいる。
・・・生きるということ・・・これを、なんといったらいいのだろう。
そう、誰もが、どんな家族もが、さまざまな佳きことつらいことを、克服しつつ生きているのだろう・・・人生、そう、そんなにいいことばかりではないかもしれないが、頑張っていきたいし、生きていってほしい・・・だれもが。
・・・自分自身のことから、余計なお世話まで言ったのかもしれない・・・まあ、お許しを・・・。
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・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/25/Mon.
今日は八月美術館へ6人の女性が来館くださった。
1月においでいただいた方たちのお一人が、改めて他の美術仲間5人とともに、おいでいただいたのだ。
こんな小規模で、かつメジャーな作家の作品でもないもの・・・その、鑑賞に耐えられるかどうかわからない作家の作品。
でも僕としては歓迎だ・・・人の出入りもなく、こもりきりのこの身、こうして賑やかにやってきてくださる。ただご覧になっていただくだけじゃなく、そのあとのお茶の時間、この準備をする前日の時間は楽しい・・・。
・・・いっときの賑わい・・・。ご案内くださった皆さんの心の内に、この界隈の桜の開花の様子を、御覧に入れたい、見せたいとの心づもりをも持たれたのだろうか・・・それにこたえるかのように、この三本の桜は、ちょうどポツポツと開花しはじめ・・・お茶の時間中にもポツポツは続いた。
そう、・・・街路樹の桜三本・・・チラホラと咲いて・・・桜開花の期待が高まる。
日本人は桜の季節になると、なぜか心が高ぶるらしい・・・不思議な民族だ。
・・・そう、そうして良くも悪くも、桜に振り回される・・・その桜前線は北東へ北東へと、上っていく、その前線の移動は一月どころか二月にも及ぶ。さてもさても、この“桜前線”なるもの・・・これを気象と結び付けた・・・日本人・・・この列島に住み着いた、この極東・・・果ての国の民族の”独りよがり”は、この国へやってくる人らにまで伝染していく・・・。
・・・果ては、死ぬときは、桜の下、如月の望月に(西行)・・・なんて願い、本当にその望み通りの死にざまを見せる・・・。これ、いかにも日本人らしい・・・桜花と死・・・この絶妙な、というのかあまりな入れ込みように・・・ばかばかしくなるどころか・・・その死にざまを・・・我も我もと・・・!!!
果ては、戦場へ送る兵士にまで、桜の思い出を背負わせ、この国土を守れと、命を懸けよと、死を強要し、その死を美化して、国という何者か明瞭ではない体系が、国民一人一人を縛り付ける・・・。
・・・ああ、そのあげく、国民は、日本人は・・・このばかばかしさを、賛美してしまっだのだ・・・この桜花へ精神を仮託し・・・それによって国も国民も・・・加担したわが身わが心・・・その油断を花のせいにし、自らを許してしまったのだ。
この季節・・・僕も、桜花という刻々迫りくる・・・花津波にのみこまれ・・・花から花へと・・・心が漂い続ける。
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・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/28/Thu.
目の前の桜がガラス越しに白く見えるようになった。まだ、四五分咲きといったところか・・・。
夕方、この歩道を通り過ぎていく、幼児・・・女の子らしい、その笑い声・・・お母さんと一緒なのだろう・・・そう、その子がおとなのような高笑いをしつつ通り過ぎていく・・・そう“ワッハッハ、ワッハッハ”・・・と僕には聞こえる・・・高笑い・・・だが、その声音に幼児らしい響きがあって・・・僕はなぜか、ホットしたのだ・・・。
・・・この“桜病”・・・日本人は、こんな幼子の時から・・・“桜狂い”をするらしい・・・。
昔から、春には”頭のねじが緩む“というが、この桜花病を言うのかしら?
ああ、何とも恐ろしい・・・何と怪しく妖しい・・・この高笑いだろう。
・・・僕は今日一日・・・またも一歩も外出せず、こもりっぱなし・・・そう、ウオーキング・・・にも出かけず・・・左膝痛を理由にしてさぼった・・・。そして、やっぱり寝つきが悪く、午前0時に、ベッドを抜け出して・・・これをタイピングしている・・・そう、ばかげた悪循環・・・。
・・・ひよっとすると・・・あれは、あの高笑いは・・・桜の妖怪の高笑いだったかもしれない・・・。
・・・桜の病・桜を病む・・・この花咲くころ・・・なぜか、人はウラウラ・ユラユラと・・・桜の樹下にさまよい出る・・・。我が家の前、この歩道にはそんな典型的な日本人・・・桜病の患者が行き来するのだ。
・・・そう言えば今朝、妹から「家の前の桜は咲き始めたの・・・?」と、電話があった。何百キロも離れたところから・・・そう、これも桜病に・・・うん、ここにも桜を通じて、兄妹のつながりがある・・・なんともいえないうれしさがボクの心に残った・・・。そう、この桜の開花を心にとどめる妹の、その心根を、ボクはうれしく思ったのだった。
しかし・・・こんなタイピングを・・・寝付けないからといって・・・真夜中“丑三つ時”にこうしてBLOGを書いている僕こそ”怪しく妖しい存在“なのかもしれないな・・・。ああ、今年も僕は桜の妖怪に取りつかれたか?・・・これも悪くはないかもしれないな。
・・・それにしても・・・寝付けないのは・・・先週も木曜日だったかしら?と、なると、そう、木曜日の妖怪・・・なのかもしれない。桜の花とは関係なく?
・・・いやいや、妖怪でも桜花でもなんでもなく寝付けなかったのは、習慣を破って、ウオーキングをさぼったことが原因だよ・・・そう、心地よい疲れを作らなかった・・・そう、習慣とは身についた日常そのものなんだから・・・ね。ほんと、おっしゃる通り・・・。
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・・・春とはふしぎな季節だ・・・
3/29/Fri.
でも昨日の・・・“木曜日の妖怪”・・・そんなのが誰の心の中にもいるのかもしれない。そう、古い家には”座敷童(ざしきわらし)“がいるという・・・いや、古い家ばかりではなく、どの家にも、誰の心にも・・・いるかも。
でもね、座敷童は・・・いい子、悪い子・・・どっちかしら・・・。
・・・花を愛で、鳥のさえずりに心を開放する・・・ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・なんだか、みな穏やかな鳴き声・囀り・・・そう、桜が満開に近づく・・・それにつられ、鳥たちも虫たちも・・・人のように浮かれ出る・・・。
春とはふしぎな季節だ
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・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・
3/30/Sat.
花曇りとなった・・・そこへ、ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・これって、昨日のパクリじゃないか・・・まあ、お許しを・・・一部分をね。
ところで・・・昨日のニュース・・・改元、その元号の発表、その式次第のような、この政府による4月1日のスケジュールが固まったそうな・・・。まあ、平易な漢字で、表現してほしいね・・・でも、アベが元号の意味の説明をする・・・これって変じゃないか。
・・・まさか、元号決定にまでしゃしゃり出て「俺が決めた」なんて言うんじゃないよね・・・。
説明は、アベがしなくたって新聞かラジオ・TVに自然に流れるようにすればいい・・・とくだん、アベが、ここにしゃしゃり出るなんてことは、全く必要ない、・・・まあ、どうでもいいけど、山中さん林さん・・・この人たちが決めるのでもなさそうなのに顔を連ねる・・・これも奇妙なこと・・・なんなのこれって。そう、今はやりの”インスタ映え?“するからなの。そう、・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・。
元号・・・これは慶事の記憶よりも、戦争や災害の記録と記憶にかかわって語られる比重が大きいかもしれない。そう、戦争・内乱という時代ではないかもしれないが・・・自然災害は絶え間なく襲い来る・・・日本・・・心引き締めて次へ進もう。
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・・・平成31年3月31日・・・
3/31/Sun.
昨夜、ボクはふと思い出した。良寛さんの言葉・・・
炊くだけは風の持て来る落ち葉かな
・・・そう、人生、なるようにしかならない・・・でも、食っていくだけのものを、天は与えてくださるだろう・・・きっと、そう、俺の人生はそれでいい、それだけでいい・・・行雲流水・・・天がなされるがまま生きるとしよう・・・このような意味だろうか。
僕は良寛さんのようにはとても生きられない。残念ながら僕は、俗物そのものだもの、・・・このオレの器量では多くはのぞめない、ここにきて、ふと思った・・・まあ、生きていくさ、生きられるだけ。
・・・今月はここで・・・今年の桜、御覧になれましたか、ええ、何も花見弁当を持たずとも・・・近くの公園へ出かけてみましょう。お元気で、四月もよろしく。
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