建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-113 July 2019

HITBIT[心もよう]vol-113 July 2019
昨日は劇的とでも表したいニュースがあった。G20に出席したトランプが、韓国と北朝鮮との軍事境界線、その板門店へ立ち寄り、その休戦ラインを挟み、キムジョンウンと再会、さらにその軍事境界線を越えて北朝鮮側へ導かれ、1分少々の間そこで二人はポーズをとった、さらに二人は軍事境界線へもどり二人連れ立って韓国側へ越え、韓国の用意した、会談場所へはいり二人で1時間ほどの会談をしたという。
・・・そう、行きがけの駄賃ならぬ、帰りの手土産をトランプは得たのだ。もちろんキムジョンウンも世界のメディアに、その存在を改めてアピールし、今後の行動への期待を抱かせるのに成功したのだ。
・・・一方、日本首相アベは、この会議に先立って、イラン訪問をした。何を話し合ったのかは、わからないが、その滞在中だったか帰国の途だったかに、ホルムズ海峡で、日本への原油を積んだタンカーが、何者かの攻撃を受け、世界の多くはイランの犯行といい、あるいは展開中の米国の仕業という・・・。
もう一つ、米軍の無人偵察機がイラン軍に撃墜され、それが公海上かイラン領内かと、これもどちらが確かなのか・・・。
とにかく、日本首相のイラン訪問に際して,これ見よがしの、いさかい?が、引き起こされ、平和の使者?としての体面をあざ笑うかのような、米国とイランの対応だ。
・・・いうなれば、大阪でのG20とは何だったのか。
日本首相アベが議長を務め、世界の首脳へ、日本的な、そつのない”おもてなし”をしたのであろうが、会議の結果は、いわば”シャンシャン“で終わり、今日以降の世界へ数日前の世界経済の状況と何ら変わらない、方向しか示し得なかった。日本首相もせっかく米中ロの現最高権力者と個別に会談を持ちながら、何が残せたのだろうか。国民にはさっぱりわからない20か国会議だった。
すなわち、そつのないおもてなし・・・は、脆くも実(じつ)を成さず、足の裏に画びょうが刺さったかのような、落ち着かない雰囲気の中での会合だった。
・・・このことよりも、この会議G20大阪を狙ったかのような、米国の日本政府と日本国民へのメッセージともいえる“日米安保条約は不公平・不平等?条約”だとの背後にある世論、米国民の声を伴った、日本への不満が、この時期に突然出された。
そしてまた、帰りがけの駄賃に日本から引っ剥がしたかのような、北朝鮮キムとのトランプの再会ドラマ・・・、こうしてみると、日本の首相は、議長国でありながら、それらしい活躍はなく、あの真紅のスーツをまとったイギリスのメイ首相の寂しげな雰囲気、その存在感が控えめであった退陣が決まった英国首相の姿とともに、ここにあって、存在を示せなかった日本のアベの近い将来の姿を暗示するようなそんな印象を日本国民へ与えた。そのメイに対して、アベは怠りなく労わりを態度で示した、それが、最も印象的だった。あえて真紅のスーツを召したメイさん、そしてやや控えめな位置に立ち、あるいは椅子に座った姿は、静かで、権力を失う意味がメイ氏のすべてだった・・・その退陣の重みに耐えているかのようだった。
また、ドイツのメルケル首相の覇気が無くなり静かな姿も印象的だった・・・。
そう、去りゆく者のすがたは寂しく、その何げなさが、心を打つ・・・ご苦労様でした・・・これまでのこの力強く的確な思考のお二方・・・。 
それにしても、アメリカのトランプのなすこと、それは”やすり・鑢”のように、押し引く、その両方の行き来に滞りなく仕事をする・・・それを言うのだが、その“やすり”のように、トランプは、寸暇を惜しみ、優秀な?いや、凄腕ビジネスマンらしく、その仕事ぶりを世界の首脳に示した。・・・これは中ロのシュウとプーチンへも衝撃的であったろう。
一番悔しい思いをしたのは、やはり、日本のアベだったのだろうか。トランプの行動は、G20の会議なんぞ眼中になく、帰り道に寄る板門店へ心はあったのだろう。
個別に貿易交渉を主張するトランプにとって、G7であろうとG20であろうと、その会議の議決に従う気持ちはさらさらないに違いない。
・・・板門店でのトランプとキムの再会演出を、知っていたのか聞いていたのか突然のことだったのか・・・とにかくアベは、”それはないよ、トランプ”と、心の中につぶやいたのだろうか。
そう、ボクは、かねてから、アベが早く直接キムを訪問すべきだといってきた、すなわち自国の抱える問題の解決をトランプに託しキムに伝えてほしいと懇願する・・・それは、従属的国辱的な光景だ。それを、ここでトランプは、これ見よがしに、日本へ侮蔑を込めて、見せ、さらに世界へ示したのだ・・・。それは、心の中の憤懣やるかたなさ・・・その、怒りを、これ見よがしなキムとの再会で世界へ示した。
・・・何の遺恨があるのか、たぶん貿易不均衡と、日米安保条約の負担割合、さらに、この条約を破棄し、日本に自国の防衛を促したいのだろう。すなわち世界の中での軍事的役割に日本を引き込み、その金銭的負担と軍事的行動と人的負担すなわち戦死者・・・それを日本に求めた意図の行動だった。
・・・すなわち、アベの弱腰、甘え、おべっか、方向性を持たない、行き当たりばったりな電話コミニュケション、未来への自国のあるべき姿へのビジョンの無さ・・・などなど、と、かつての真珠湾攻撃にまでトランプは遡って、日本の不実をなじったのだ。
そのアベの思い付き外交、突然、G20の大阪での開催に先立って新たなそう、新品、新車、新機・・・とでもいう政府専用機に乗って欧州各国への訪問外交・・・新婚旅行?かと思うような・・・これなんぞ、茶番劇。それらに各国は迷惑なことだったろう・・・。(この政府専用機・・・車で言えば新車・・・TVF画面への写りこみを懸念してあのように、全体像があまり画面へ出てこない?・・・マスコミに要望でも出したかのような印象・・・印象を与えているということ・・・これ、国民のひがみ目かしら・・・)
そう、G20 への地ならしかしら、でもその一画、英国は混迷を深め、女首相メイはEUからの離脱を国民選挙で決めたはいいが、そのEUとの離脱条件と今後の付き合い方の交渉は、混迷を深め、その合意を得られないまま此処まで来てしまった。
また独国の女首相メルケルの任期終了の退陣も決まっているし、フランスはまた国内的な課題を抱え人気の下落したマカロンならぬマクロンは行き先に不安を抱え持っている。イタリアは経済的な不安と中国の言う一帯一路へ加わるとかで、EU間の不信をかっている。
そう、日本の周りは、ボクの好きな古代中国とは似ても似つかぬ近代現代の中華人民共和国その共産党を率い独裁者となったシュウの共産主義国(これははっきり言えば、共産党統治国家・・・党利党略政治の範たるもの・・・)やら、訳の分からない韓国ブンだかムンだかの怨念丸出しの眼差しと言葉の日本への対応は不快極まるし、ロシアの崩れ共産主義者・帝国ロシアへ憧れ俳優・・・が、赤絨毯を歩む独裁者プーチンとその子分メドベーエフたちのコロコロ替わる日本への対応の汚さ。そして、自分勝手・自分至上主義のトランプ、とその面々は、計り知れない計算力と洞察力で、日本の存在を“好餌である”と舌なめずりしつつ、この二ホンの国民と国土を、参加するG20への参加に先だって地球儀を回しつつ、計算したに違いない。
その彼らに、トランプに組しつつ尻馬に乗って日本国民を窮地に追い込むことになりそうな、お追従外交・・・そう、もう日本の立場は小手先だけでは、口先だけでは、どうにもならなくなってきた・・・ここで腹をくくってビジョンを示せ・・・といっても無理だろうが・・・トランプのアメリカを見据えた、愚かな憲法改正はするな、日本独立、本当の独立、世界に互する独立を・・・そう、それは『永世中立国』しかない・・・それを目指した憲法改正ならボクは大賛成だ。この永世中立国はお追従国とは違った苦しみがあろう、しかし、本当の独立国となること・・・国民の悲願でもある・・・それによって国家の立場が危うくなっても、よしんば、八つ裂きにされようと、本当の独立国家としての日本でありたい。
・・・そう、このトランプとキムとの板門店での再会劇によって、日本首相といっているアベの北朝鮮訪問は”二番煎じの出しガラ外交”となることになってしまった・・・というのか、なってしまうのだろう、残念ながら。
アベよ、もうこのトランプの手は使えない、さあ、どうする。
あえて恥を承知で“やってみるか”・・・そんな勇気はなかろう。そしてよしんばやってみたとて、これも何かわけのわからない“しっぺがえし”をかまされる。
・・・日本は、根本的に国家ビジョンを欠いている・・・それは、岸信介外交以来の米国追従姿勢が、今日まで連綿と続いていることを意味する。
しかも、このアベ外交?・・・すでに、お追従外交で世界に知れワタッテいる・・・。あの米国の先の大統領選挙に、結果が分かってから、勝ち馬・トランプの尻に乗ったアベ・・・これは笑い者、喜劇にもならない、恥だった。・・・それを即刻承知の介・・・トランプは、だまされた振りをして、トランプタワーへアベを迎え入れ、マイアミだったか、あの別荘へ招待し、親密さを示し、世界へアピールした・・・。ここで、世界はあっと驚き、失笑と苦笑と蔑笑(こんな熟語はないのか・・僕の造語)・・・。そして、のこのこ主要国へ”ご挨拶に”・・・そう、相手方は、どんな気持ちで迎え、親密度を装ったのだろうか・・・。そう、蔑視の視線を隠すのに苦労した、訪問先の首脳ら・・・。
そう、国民は疲れる。日本首相のろくでもない訪問に付き合う・・・このこと。
しかし、外務省の官僚は総理大臣に外交の助言を的確に補佐・助言をしているのだろうか・・・いや、助言なんぞしても、アベが聞く耳を持たないのかも・・・いずれにしても、無能な官僚と、もしかして、同様の総理かもしれない・・・そう、この国の進む、羅針盤が狂っているのかも・・・いや、壊れているのかも・・・では壊しているのは果たして誰なのか?・・・それは、何も考えないでいる”日本国民“自身かもね。
G20の真っ最中、さらにホルムズ海峡へタンカーを守るために、有志連合の軍隊・艦船を送って、守らせようと、アメリカ・トランプは呼びかけている。
もし日本が、この有志連合とやらへ加わったなら、イランとの、またイラクをも含めた、このガルフ諸国との関係はどのようになるのか・・・日本・アベは、どのように考えているのだろう・・・憲法改悪をもくろむその心の中では、これまた、何を企んでいるのか・・・その腹の中をのぞき観たいものだ。
そう、これ、アメリカのトランプのいう”有志連合“・・・これは”股裂きの刑”・・・そのものだ。だかららこそ、不参加の意思をハッキリと示さなければならない。
この窮地、これは幸いなことだ・・・ここで日本が決意を示す。
・・・不可能と思われようが、本当に笑われようが、この緑の国土と温和な国民の存在を忘れたかのような、現自民党の政治思考と伍する公明党は危険だ・・・彼ら、その指向はさみしく、先が見えない。
・・・そして、この焦りと恥を・・・アベは、野党に向け敵対的に絶叫し詰(なじ)る・・・。その姿は、あさましくもあり寂しくもある。
・・・さて、ボクは・・・今は参院選の戦いの最中だけど、投票に行こうかどうするか・・・すべてが,中途半端・・・期待が持てない面々・・・どうしよう・・・。
それに、日銀のクロダ・・・これは、お追従者・・・”景気は緩やかに回復しつつある・・・(長年の枕詞の張本人)“・・・この曖昧極まる表現・この汚さ・・・この何年も続く表現を、国民はだれも信用していない・・・許してなんかいない。
官僚をがんじがらめにし、さらに日銀を手玉に取るアベ。
・・・アベと結託し、忖度し・・・日銀の独立性を・・・捨て去ったクロダ・・・この表現のばかばかしさ・・・これこそ、二ホンの政治の薄汚さだ・・・。
アベは、プーチンやトランプの独裁者思考へ・・・そう、そのマネを、気づかず、試行しているのかもしれない・・・いや、現実化しているのかも・・・愚かで危険な方向性。
・・・これは7月1日に書き2日、さらに16日と30日に加筆・修正しました。
・・・お元気で・・・日本国民よ・・・再見!!! 
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===目次===
7/01  ・・・五月雨しきり・・・
7/02  ・・・半夏生・雨間の外出・・・
7/03  ・・・「もうやい」・・・
7/04  ・・・公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・
7/08  ・・・夏草茂る・・・
7/09  ・・・気になる雨間・・・
7/11  ・・・心ときめく懐かしい思い出だ・・・
7/16  ・・・ここへきて、感じる・・・孤独感・・・
7/17  ・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
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・・・五月雨しきり・・・
7/01/Mon.
今年も半年過ぎてしまった。今日はその後、下半期の始め。
五月雨しきり、九州鹿児島では猛烈な雨量。そして、河川の氾濫と山肌が崩壊し麓の民家や国道を押しつぶす。
かつて、こうした、猛烈な雨の降り方を、集中豪雨といった。“集中豪雨”あるいは“局地的豪雨”という現象は現在もあるのだろうけど、あらたに“線状(帯状)降雨帯”というらしい。
猛烈な降雨を生す雲が同じ地域に接した海上に発生しつつ、ほぼ東へ向かって、そう地球の自転に引きずられるようにして、次々と東へと移動しつつ、続けて、次々と強烈な雨雲を発生し、その猛烈な雨降りをもたらす雲の発生を供給し続けるらしい。それはあたかも荒波の波頭のように線状に連なって強烈な降雨を次々と残していくらしい。
暖かい海に囲まれた細長い国土の宿命ともいえよう、雨の国・・・これは、熱帯と温帯、峻険な山脈状の裾に密集する人口・・・その狭い平地の上は急な山肌、そして一方は川か海・・・我々は逃げ場がない。・・・そう、例えば、100/hの降雨・・・いうなれば、その線状体の 下の地域全体に溜まる水は「100弌Α10僉廚砲發覆襪箸いΔ海函△修譴平坦地でいえば10僂凌爾気箸覆襦斜面ではそのV字状の底・谷へ向かって一気に流れ落ちる・・・激流・・・こうして、僕の弱い頭で考えても、瞬く間にボクの立っているV字の底は、膝、腰、胸・・・首を超え体は浮きその成す激流に、一季に飲み込まれ・・・溺れ流される。
・・・かつては、現在の気候よりも、幾分穏やかだった・・・そう荒れるときはもちろん台風や豪雨灯現象に怯え、それが為す災害に怯え心を痛めた。・・・それが現在は、季節構わず絶えず生活に襲い掛かってくる・・・集中豪雨。
・・・先日、公園のアジサイ花壇の毒々しい新型アジサイの観たくもない風景からやや離れた木陰に、球型に満開となった薄紫のアジサイを一本・一輪見つけた・・・立ち止まって見つめた。なぜか、なつかしさと愛しさが一気にやってきて、ウオーキングの足を止めた。僕が去って同じように数人が次々と、その一輪の薄紫のアジサイに足を止め、見入っていた・・・。誰もがこの薄紫のアジサイが懐かしいのだ。
・・・公園の花壇は、いつごろからか、毒々しい色合いのアジサイらしからぬアジサイに変わってしまって・・・心を癒してくれるどころか、この僕を疲れさせる。この感覚はだれもが感じることだろうに・・・。
それに今年のように遅れてやってきた五月雨だが、それでも地域ごとに、穏やかにしとしとと降る雨模様の日もある。その雨降り風景に似合うアジサイはガクアジサイとこのシーボルトが言ったオタクサ(お滝さん)・アジサイの丸い薄紫が似合う。そう、シーボルトは、日本女性の愛人だか日本妻に、日本女性のすがたや心根に触れ、この地でアジサイに出会った・・・諜報機関員・医師でもありプラントハンターでもあった彼は、その見出した・出会ったアジサイを採取し本国オランダ(本当はドイツ人、医師・植物学者として、彼はオランダの商館員として日本へやってきた)へ持ち帰り・・・そして、帰国に際し残してきた日本女性・お滝・・・その名、呼び名・おたきさん・・・オタクサン・・・としか発音できなかったが、その愛する日本女性の名を本国オランダで花の名とした。・・・そう、オタクサ、なんとこの日本のアジサイにまつわるしっとりとした良き話だろう。・・・残された、お滝の悲しみは別として・・・。
・・・さあ、公園を管理する市の方々、植木屋さんと協議して、現在の異常な風景の新種アジサイ?をやめませんか。新種の不気味な偽アジサイの寄せ植えなんぞ、日本の庭園・公園の風景にはなじまない、ましてやこの五月雨の時期に雨が降らなくなった昨今、偽アジサイは不気味な存在でしかない、また花の終わった後の枯れ姿は、さらに無残で見苦しくもある・・・点々と木陰にしっとりと咲く日本古来のアジサイをところどころ木陰に植えこんで、ひそやかにささやかに咲かせましょう・・・そう、寄せ植え花壇のアジサイは廃止し、他の背の低い菊や洋花にでも、来シーズンから変えてはどうですか・・・。
街路樹の枝打ちや、桜の古木の維持・枝打ち・・・それらに見られる、名古屋市の公園や緑地課はセンスも技術もない・・・そう、ナンセンスな名古屋市ですから、こうして期待を書いても、裏切られることではあるでしょうが・・・でも、せっかく予算を使うのですから、少し研鑽を積んで、すなわち、職業上のセンスを磨き勉強し、美しい街づくりに邁進してください。いつまでもド素人のままでは、給料泥棒と同じになってしまいます・・・お願いします。
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・・・半夏生・雨間の外出・・・・・・
7/02/Tue.
気温が少し上がって、弱い日差しもある名古屋、中心部へ所用があって出かけた。
案内状をいただいて、個展を見に出かけたのだ・・・。
地下街は冷房が効いていて、快適だが、路上を行く人達は半そで姿、勤め人らしい半袖姿の人たちは首回りを小さなタオルで汗をぬぐいつつ行く・・・。ボクはなぜか汗が出ない・・・そう、行先でその話をすると・・・水分をしっかりとりなさいと、たしなめられ、それでそこを出てから、あわてて水分補給・・・ええ、のどがカラカラ、唇はパリパリ・・・でした。
名古屋は五月雨が一休みというのか、降る雨も大雨ではなくなって細々と降る・・・昔のしとしと雨、梅雨の雨らしい雰囲気が時々見られ、それ以外は曇りがちの日々。夕方や夜のそんな雨降りは、アスファルトの車道を光らせLEDの街路灯の鈍色の光を反射してシットリ。
先日書いた、アジサイは家の付近ではまれになって、木陰の一輪に季節を見る。かつては、この季節にはガクアジサイも幾株も見られた。
そうそう、今日は半夏生(はんげしょう)・・・ラジオは福井の半夏生・・・その、サバの丸焼きの話を伝えている・・・脂ののったサバの丸焼き・・・昔、数十年前、道の駅のようなところで、連れ合いと一匹を持て余し気味に食べたことを思い出した。確かに、太く太って、おいしく、焼き立てはおいしかった・・・そのこと。
本格的な夏に供えて、体力をつける・・・そんな、サバの丸焼きを、領主の殿様は、領民に薦めたとか・・・優しいお殿様、行き届いたおとのさま。その名残が、今に残る焼きサバなのでしょうか・・・?
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・・・「もうやい」・・・
7/03/Wed.
朝方、陽がニカニカとさした・・・この”ニカニカ“は、いっとき、弱弱しい日差しが雲間から射す状態を、この辺り(西日本?尾張・美濃?さらに西へ)の人たちは言った・・・今はこれを言葉として聞くことはなくなったが、面白い表現だと思う。もちろん全国的に通用する表現ではなさそうだけど・・・面白いと思う。
この”ニカニカ“に誘われて、洗濯をし、ベランダに干したのだが・・・陽射しは無残に消え、曇り空が広がってしまった。それでも、そよ風が吹いてくれるせいか、だいぶ乾いてきた・・・何とかもう一度”ニカニカ日差し“が、射してほしい。
日射し・日差し・陽ざし・ひざし・・・と変換候補は見えている。
・・・この方言というのか、ボクが書いた書の中で、一山、一筋の川や谷を越えればそれぞれの集落中で使われる言葉、狭い地域で使われるそれらの言葉を「地語・じご」とボクは表現したのだ。そう、造語なのだろうと、造語と言い切った。
この美濃と尾張地方には、古い言葉が残っていた、と僕は感じている。加えて、京の公家の荘園だったこの地には、京言葉が混じって、さらに、生活の風習にも影響を遺している。
・・・かつて、それを知った、あるいは思ったのは、その小さな村や町で・・・共有することを「もうやい」という・・・これ、あえて見れば“もやい綱”そう、漁港で見かける風景、漁船をふ頭に直角に置きならべ、つなぎとめると同時に、左右の舟同士を綱でつなぎとめる・・・その風景を「もやう」といい、その綱を「もやい綱」「船を並べてそれぞれをつなぎとめる綱」、そのこと「もやい・もやう」・・・これを「共有」という基準語に対して・・・この土地では「もうやい」・・・もやい・・・と、共同体での物のやり取りや共有するそのことを「もうやい」と、いったのだ・・・と、ある時、そう、本を書いているとき、ふと”ひらめき思った“のだ。
おふくろが若かったころ、祖母との話や周囲とのかかわりを言うときにも出ていたことば。子供同士が「もうやいっこ」しようと、遊びのものを指し、いうこと、今思い出しても、やわらかく、雅な響きだとボクには思える。
「もうやい」・・・もやい・・・ボクの著、その『額田王研究』の中での「紀‐123歌」(この歌に見過ごされていた長歌の解釈・読みが出来ることを見出した、長歌と短歌の二重詠歌)の解読の中で気付いた・・・もう10年ほど前。
・・・共同体・結(ゆい)・結びつく、結び合う、助け合う、共同で使うものや共同でする労働や祭りや葬儀、水路や道の補修などの用意やそれ自体の前後のこと、日常の中ではぐくんだ結びつきや、貸し借り、助け合うことなどなど・・・この「もうやい」は、奥深い意味をたくさん持つ、そう、“共同体”そのものを表す言葉だ、とボクは思っている。
最近頂いて読んでいる本の中に愛知県尾張部の西の端に、僕も知っている「起・おこし」とよぶ土地がある、木曽川の下流に近いというのか中流域が開けて、川幅が広くなっていく辺りの木曽川左岸に寄りついてある古くからの、宿場地なのだそうであるが、尾張藩では、そこに橋を掛けなかった(防備のため)・・・この木曽川の対岸は、現在は岐阜県羽島市あたりになるのだろう。もう少しその木曽川右岸をさかのぼれば笠松、岐阜とつながる・・・そこはかつて竹鼻・たけはな、そうあの有名な秀吉のなした一夜城の墨俣・すのまた・・・という・・・その歴史上の地。
そう、防備のためなのだろうが、平常は渡し舟、すなわち、起・おこしの渡し?(木曽川下流域には多くの”渡し“があったが、現在はほぼ残っていない)・・・であったが、将軍が京へ上洛するときや朝鮮通信使が江戸へ上るときには、この渡しに替え、特別に”舟橋”を掛けたという。この、舟橋・・・流れの幅いっぱいに、船を並べ、左右つなぎ止め、それに板を並べ掛け、臨時の橋、道を作ったというその“もやい綱”の「もやい」。
・・・この川幅が広く流れも速いここでは、この、舟橋のための“もやい船”をつなぎとめるには、大変な人出と費用が必要だったろうと、想像する。
・・・そう、この土地ではこんな言葉が、共同体・邑にあった言葉、土地によっては結・ゆい・・・というそれと同じ意味表現なのだろうか。
この“起・おこし”・・・もしかすると、これは東国への街道・東海道の始めの地・海道の起点・・東へ進めば名古屋の城下へ入っていく“街道の起点”という意味ではなかっただろうか・・・これはボクの勝手な想像ですが・・・。
・・・僕が、もらっていただけないかと、差し上げた本『額田王研究』の礼にと頂いた本は『豊臣・徳川時代と朝鮮』著者は貫井正之さん、そう、退官された研究者ご本人からいただきました。大部なご立派な研究書です。退官され今は悠々自適とか。
その本の中、第二部の中で、この「起」など、尾張西部、美濃南部にも触れ述べておられ、その地名が懐かしく、現地に見覚えもあって、面白く読ませていただいているところです。
・・・皆さんも、土地の古老や、お宅のおじいちゃんおばあちゃんの言葉をよく聞いて、心にとめてみてはどうでしょう、もちろん現代は、国中ごちゃまぜ、五目御飯の状態、どこの言葉かを、ついでに教えていただいて・・・面白い話もあることでしょう。
そう、一言で、方言といいますが、ボクは方言なんぞという表現、これは言葉をひとくくりにして、捨てるようなものとおもっています。
・・・すなわち、大切な文化なのかもしれません、「地語・じご・ジゴ」と、ボクは呼びますが、その一つを、その土地その地によって言い表す言葉の面白さ、その多様な言葉・・・僕が聞いてうれしい「おおきに・・・」という京言葉に代表されるそれ、この西国の一言の”優しく美しい“一言も、この範疇に入るのでしょうか。
・・・ただ、日常は教科書が教えてくれた言葉遣いがよろしいかともおもいます。
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・・・公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・
7/04/Thu.
昨日気が付いた。
そう、トウカエデの街路樹の中には、花をつけるものがあると。
そう我が家の表のバス通り、その歩道の街路樹、左には三本の桜、そして、右手にはトウカエデの並木になっている。車道の向こうにも歩道との間がトウカエデの並木だ。
それぞれの並木の間は、帯状にツツジの刈込となっている。
このトウカエデの並木の中にはプロペラ型の実をつけるものがある。我が家の表の右手の始めの街路樹の一本は毎年たくさんの実を付けてきた・・・。しかし、僕は今年初めて、気が付いたというのか意識した、この木が花をつけていることを、ベランダから黄色のアゲハ蝶を観察しているとき、その木の梢の枝先に黄色の小さな小さな花が咲いているのを・・・そう、それは見ていた黄色のアゲハ蝶のような黄色の小さな花房を立てて咲かせていた。それは藤棚から垂れた藤の花の房状の先端、その数段の房ともいえないわずかな房状に、枝々の先端に黄色く咲いて、樹形を枝ごとに彩り覆う様にたくさん咲いていた。
先日来、3年前新設なって、今年春、初めての卒業生そして4回目の新入生の入学があった工科高等学校のフェンスの内外に植えられたシマトネリコが今年、4年目にはいっぱい細かな花を樹形全体に咲かせているのを見ていて、4年目になってようやく根付いて、こうして花を咲かせるのだと、ウオーキングの行き来の度に、花の寿命が長いこの木のその白っぽい花房で覆われた樹形に心を奪われ見て来ていたが、こうして花の季節、トウカエデも花を咲かせることを、我が家の表で見つけ、改めて、植物、こうして7・8Mの高い木にも花が咲くことを知って、今までうかつだった自分にあきれ、また面白くも思い、このトウカエデの木の下に秋口にはプロペラ型の実がびっしりと落ちる理由と、その花の咲くことを知った、このうかつさ・・・そんな自分のことを思い、一方では、なんだかうれしくなって、またこのトウカエデの周りに黄色いアゲハチョウが執拗に飛ぶ意味もが分かって、うれしくなったのだった。そう、モンシロチョウもここへやってくる・・・あの、高等学校のシマトネリコの花にも、昼間はチヨウやミツバチがやってきていることだろうと、宵のウオーキングの自分を思って、この花を咲かせる並木・・・それらに改めて感心したのだ。
我が家の近くの街路樹には花の木の並木もあれば桜の並木もあり、また、数か所のベストポケットパークにはオオヤマレンゲや百日紅(サルスベリ)や藤棚もあって・・・季節ごとに目を楽しませてくれている。ただ、この小さな公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・。
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・・・夏草茂る・・・
7/08/Mon.
早めの夕食後、数日来気になっていた、石垣に垂れ下がったつる草刈りをした。他の雑草も刈りとり、名古屋市の可燃ごみ袋45リットルに、ギュウギュウ詰め、2袋となった。
猫の額のような宅地、その一画のネズミの額???庭とは言えない、我が家の空き地・・・・そこに生える雑草は、この土地の記憶か、かつての主役たちなのだろう、雑草類は“もともと我らの居場所だぞ”とでもいうように、少し怠けると、もう手が付けられないほど育ってしまう。
毎年、何度となく垣根のキンモクセイの剪定と雑草類の刈り取りに閉口しつつ、作業をする羽目になる。
年々落ちていく体力に反比例して、雑草や垣根の木は勢いを増し、作業は、つらく困難になるばかりだ。
一軒の家、これがいくら狭く小さくても、何やかやと、手が掛かる・・・そう、持った家の維持、これは大変なことだ。日ごろの掃除や、こうした季節ごとの維持掃除となれば、独り者には、半端ではない負担となる。そう、体力・・・。
・・・マンション暮らしが・・・うらやましくもある、この時分である。
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・・・気になる雨間・・・
7/09/Tue.
日没後、西と東の空が真っ黒になり、今にも強い雨でも降りだしそうな気配となったが、それでも、折りたたみ傘を持ってウオーキングへ出かけたが、幸い、雨粒もなかった。
・・・この梅雨の季節は、こうして雨傘が手放せない。
毎日ウオーキングする人たちは、その時刻の空を気にしつつ出かける。
・・・飼い犬がいたころは、毎日朝夕・・・空模様が気になって、雨降りの日には、少しの雨間でも見逃すまいと、気が気でなかった。この気持ちは、犬を飼っているひとたちの共通した思いなのだろう・・・あちらこちらと、犬散歩のすがたが、一斉に現れ、出会ったものだ。
犬は飼い主次第ではあったが、ウオーキングやジョギングを日課にしている人も、犬の散歩の心理と同じで、貴重な雨間はいつも出会うウオーカーやジョギングの男女とすれ違う。格別挨拶をするわけではないが、どちらかともなく目礼を交わし、それからさらに・・・コンニチワ・・・コンバンワ・・・と、一言やり取りするようになったりもする。
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・・・心ときめく懐かしい思い出だ・・・
7/11/Thu.
今朝は早起き。講習会だ。
9時半に受付、そして、18時ころ終わる予定。
・・・これは3年ごとに巡ってくる“苦行”だが、大事な一日。
名古屋商工会議所の9階・・・その会場は申し込み順なのか・・・何回かに分けて、さまざまな会場で実施されているらしいその一つの会場・・・。
・・・まあ、ともかくも、この一日に耐えて、最後のテストも終わって、雨もよいの街に出た。もう、ところどころ、飲み屋や飲食店などに灯がともり、人を誘っているが、ボクには無縁・・・。
テキスト類と資料類で4冊の分、部厚く重いそのテキストで膨れ上がり重くなったカバンに辟易として地下鉄駅へたどり着いた。
帰宅時間の地下鉄駅は、そんな帰りの人たちなのだろう、男女ともにやや疲れ気味、朝の出勤時とは違った、安堵感の混じった解放感かしら・・・勤めからの解放感が漂っているように思えた。
・・・そう、ボクは若いころ・修業時代・・・東京での生活、こんな早い、そう6時7時の帰宅はなかった・・・そう、宵の口ころ・・・なんて、全くなく、常に中央線四谷駅の終電・・・それに乗ってのアパートへの帰宅、代々木で乗り換え、山手線へ・・・目黒で目蒲線へ・・・武蔵小山駅で降り、西小山方面へ、アーケード街ヘ入る手前の町筋の途中、小さな・・・なんて言うのか、おばさんが一人でやっている飲み屋と飯屋を兼ねた店が、唯一、折りよく灯かりがついていれば、食事をして帰ったものだ。もう閉店していれば、食いパグれ・・・。
毎晩、急ぎ銭湯へ走り、浸かって、すきっ腹を我慢して・・・寝入ったものだ。とにかく銭湯は毎日欠かせない。時には、仕舞いの、掃除が始まった湯につかる、湯男が桶や腰掛を洗い始めて次々と、洗い場の片隅に積み上げていく・・・。洗い場にブラシをかけるあの音・・・桶や腰掛を洗い、それが当たる木の音あの響き渡る音・・・。
そう、懐かしい・・・それ。
・・・レレレッ・・・妙な方へタイピングが進んでしまった・・・が、この深夜近くの帰宅、その武蔵小山、アーケードへ入る前の唯一、いつも灯がともっていた“果物屋・フルーツショップ”・・・果物を買ったことはないが、その、夜の風景が忘れられない・・・そう、これ、この風景、「池上線」の歌詞そのもの・・・。今でも“フルーツショップ”を見かけると、この武蔵小山駅前を思い出す。
あの西島美恵子が歌う「池上線」・・・我が家のCDの中の一枚、その中の一曲、この歌詞・・・なんともボクと同世代の風景・・・その果物屋の明かり・・・その踏切の情景・・・その、古い電車内の風景・・・孤独なボクには無縁な男女の風景だけど、その背景、これとも違うけど、その駅前の光景、その情景、その心持は、僕のこの心・肝・・・を、今でもわしづかみにされる・・・なつかしさがある。そういえば、この目蒲線の向こう側、すぐに、母のいとこが住んでいらした。在京中はそのお連れ合い、ご家族にはずいぶんとお世話になったものだが、何の恩返しもせず、ボクは名古屋へ帰ってきてしまった。懐かしい。
・・・妙なことになった・・・が、もう一つの思い出・・・ある時、徹夜明けで、思わぬ早い帰りだったと思う、その帰りの中央線代々木での乗り換え、ボクが代々木から乗り込んだ山手線の車両、混んでいたが、その数メートル離れた女性と目が合った・・・そう、本当に驚いた・・・、名古屋、時々通った喫茶店、その美人ママ・・・やとわれママだというその人、ボクと同年代(若かった)?格別会話が弾んだという思い出はない・・・が、ボクを見ていた、そう、互いが気付いたのだろう・・・そんな思い出の出会い、これただ一度のこと、思わず話しかけ、目黒でいっときの短いお茶の時間だった・・・が、この思わぬ出会いも忘れられない・・・。服飾の勉強に上京してきているとのこと・・・。
残念ながらその後、修業時代のボクには、会って話すというような時間はなかった・・・。
そのうえ一年間ほど、‘70年の大阪、エキスポ70の、その担当したエキスポタワーの監理の仕事に長期出張・派遣され、東京を離れていた。それが終わって、万博開幕前に帰京、その後、しばらくして、ボクは名古屋へ帰った。
・・・そう、ボクは恋愛の経験はないが・・・心ときめく懐かしい思い出だ。
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・・・ここへきて、感じる・・・孤独感・・・
7/16/Tue.
梅雨らしい曇り空。しかし、じめじめとした暗い感じはしない。穏やかでなぜか静かだ。
そう、しっとりとした空気と雰囲気だ。昔の梅雨の季節はこんな雰囲気だった・・・その静けさと雨音。
だけど、現在はこの優しそうな五月雨が・・・突然、怒涛となって・・・予想しない大雨・・・猛威の雨降りとなる・・・滝のように、天からの津波のように・・・。
・・・なんとも恐ろしい・・・人の力なんて、何と弱いのだろうとボクは時々思う。
もちろんボク自身の問題だけど、自身が弱すぎるのだけど・・・。
世の中は、この月曜日、15日だった、この”海の日”の休日が終わって、人々が動き出した。しかし、その海は、低温気候のせいで、曇り、人気はなく・・・寒く、寂しそうだ。
ボクはといえば、動き出さない・・・いや、動き出せない。心が閉じこもり状態になっている。
ここへきて、感じる・・・孤独感・・・これが深みを増して来つつある。
この感覚は体調が悪くなったためかと、後日思った。
要するに、精神的な不安定がやってきつつある・・・。そう、波のように。
・・・そういえば”海の日“は、夏休みの始まりだったかしら・・・。しかし、この長雨、急変するお天気では生徒たちは、林間学習、海の家・・・そんな、夏休みはじめの楽しみはやってきそうもない・・・まして台風を伴うようでは、親は気安く送り出せもしない。
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・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
7/17/Wed.
今日は月に一度の内科受診・・・先月の名古屋市の健康検査結果から・・・あまり芳しい結果ではなかった。そう、平成25年だったかに、出先で急激な腹痛、耐えられない、その痛み、出先で救急車を呼んでくれ、搬送され、4日ほど入院治療をしたことがあった、それが改めて活発になって便に血が混じっているかも知れない。
改めて、検査を受けることになり、紹介状を書いてくれ、その予約に午後さっそく出かけ予約を取った・・・7月30日午前に施術・日帰りで可能とのこと・・・。3日前から腸を整えるというのか掃除するというのか、その準備過程と実施の日が決まった・・・今月27、28,29日と30日・・・薬を渡された・・・。
一つ心配がある・・・そう当日30日の朝7時に飲むという薬・・・下剤らしいが・・・地下鉄で出かけていく身には、途中が心配だ・・・が、まあぁ、やってみるしかない。
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・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
7/30/Tue.
大腸の内視鏡検査のために数日前27日から薬をのみ、さらに昨日29日は、今日の検査のために、三度の食事に替えて、指定され渡された食事??をして、下剤が効くのを待ったが26日からの食べたものが排せつに到らなくなって、腹がパンパンに張ってしまい昨夜は、この便秘状態のためか、その検査への腸の掃除が出来ないことへの不安か、はたまた朝7時の座薬挿入による下痢の心配か、そう、バスと地下鉄を乗り継いての途中に起きてしまうのではないかしらとの心配・・・それで、大名古屋ビルジングにある、その検査医院の近くのビジネスホテルに泊まろうと探したがどこも満室・・・そのことに5時起きの目覚まし時計セット・・・しかし寝付けない、お腹が張り、さらに加え痛む・・・それで、座薬挿入の前に、その医院へ着くようタクシーの予約をした。
結局、一睡もできず、タクシーが来て、瞬く間に駅前まで・・・そう朝のこと、近道を知っている運転手・・・7時まで40分ほども前に到着、しかし、当のビルジング(これって、面白いけど、名古屋人は気に入っている・・・それが昨年だったか、建て替え完了高層ビル化)のオフイス階へはまだ施錠、エレベータホールヘ入れず、9階へ上れない・・・下剤を入れて2・30分で下痢が始まるということ・・・7時は厳守・・・焦って、何とか地階のトイレの位置を見つけて、そこで、挿入、・・・下痢が始まるのを待ったが・・・始まらない・・・。1階の通り抜けホール(この通り抜け状のセンターホールは、名古屋駅の通り抜けコンコースともに、昔から特長だった。街の人やビルに関係ない人たちに活用されている・・・今日も・・・)その、椅子で下痢が始まるのに備えたが、全然反応なし・・・完全な便秘状態、8時になってようやく9階へ移って、そこでもトイレを確認・・・まだ全然反応なし、兆しさえない・・・もしかして、漏らしては大変と先日買っておいた紙パンツに履き替えた・・・そう、これは指示されたわけではないが以前の何度もの入院時に、褌を持ってくることと・・・そんな指示を思い出して・・・先日。ドラッグストアーで2枚入りを買っておいた・・・そう、独り者は、とにかく大変です・・・そして、よく気が付く、ええ、日ごろぼんやりしているけど。
・・・ようやく予約時間になって、検査に入ったが、便秘の状態がモニターに・・・医師はお手上げ、レントゲンをとなって、撮ったが、MRI の映像はぼんやり(ボクは、紙パンツが原因と思ったが、黙っていた。紙パンツに履き替えたことは言ったが、レントゲン技師は脱げとは言わなかった)・・・こりゃだめだとなって・・・ということで、内視鏡検査はできず後日改めてと、予約となって、解放され、極め付きの便秘のまま、紙パンツを付けたまま、解放されたが・・・僕は、爆弾下痢を抱えたまま・・・不安を抱え・・・いや、必ず座薬の下剤が効いてくるだろうと・・・まずは、数度を、このビルジングで・・・さらに、ミッドランドタワーで、数度、・・・と、苦行の忍耐と不安をもつて・・・まあ大丈夫と思って地下鉄ホームへ・・・でも兆し・・・も一度ミッドランドタワーへ・・・その後、急激に心地よく成り、やや落ち着き、メルサビルの無印良品へ・・・去年買って気に入っている色合いのポロシャツはないかと徘徊し見つけた。半額になって残っていた一着・・・うれしかったね。こんな掘り出し物。そしてほかに2点。文房具とハーブ茶・・・。文具は、なぜか”38元“と、中国語の商品シールについていた・・・90円とか・・・これも掘り出し物。他にハーブ茶はマスカット味と香り・・・とても香りがいい。
その後、改めて、地下鉄へ、そして星ヶ丘へ、バス路線で猫が洞へ・・・帰り着いて、ひと心地。
・・・苦しい日々、昨夜から今日は苦行の時間・・・紙パンツは汚れることなく・・・。
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今月7月はこれで・・・。最後は見苦しいことを告白・・・。でも、これが現実。
・・・独り暮らしは厳しい・・・ほんとです。
・・・では。来月、八月も再見!
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