建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-114 August 2019

HITBIT[心もよう]vol-114 August 2019
先月7月中頃から、僕自身の体調が揺らいでいる・・・。その原因・状態の検査等で、掛かりつけ医の紹介状持って、検査を受診に出かけるとか、さらに急な別症状が発生するなど、ボクはガタガタの状態・・・仕事はないのに、いろいろと時間が必要になって、体は忙しく、精神的にも”くたびれ“て、自身のささやかなワークは延び延びになって、また、このBLOG原稿も手につかない。
先月分は、かろうじて投稿したが、8月に入っても日々の記事さえ書けないほど、落ち着かないし、体力がない・・・。
とにかく、この猛暑の中、下剤を服用してバスと地下鉄を乗り継いて検査受診へ出向くのは、心と体の負担だというより、何か粗そうでもしたら、その後の人生にかかわる・・・ということで1度目の検査には、最初は早朝にタクシーを予約・・・2度目、1週間後、8月に入ってからの検査は、検査前夜はクリニック近くのビジネスホテルに泊まって、”下剤服用”に備えた・・・そう、こういった入院施設のないクリニックでは患者がかわいそうだ。まして患者が一人もの、老人、健康状態が悪いものであるのだから・・・。
5・6年前、同じ症状が突発し、救急車では運びこまれた名古屋城外堀の名城病院では、入院だったから、すべておまかせ、病院のスケジュールで、そう、おまかせ状態だったから、独り者でも何ら支障なく進んだ・・・ただ金銭的なことだけだった。
・・・結果から言えば・・・二度目の検査、この8月6日だった、かのCT画像検査によれば何らかの兆候・発生は見当たらない“・・・という結果だ。ご担当のH先生には感謝とともに、ほっとした。そして少し元気が出た・・・。そう、ボクは臆病で身勝手・・・小心者の常・・・ええ、なんともさえないオトコです。
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===目次===
8/07  ・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/02  ・・・思い出話のいっとき・・・
8/09  ・・・京都へ・・・
8/10  ・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/16  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/17  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/18  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/27  ・・・独り男の束の間の心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/28  ・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・ 
8/29  ・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/30  ・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
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・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/07/Wed.(陰暦7月7日)
台風8号が運んでくる湿度の高い異常な猛暑は相変らずだが、昨日今日と夕空も日中の空も秋めいてきたように感じる(これは、ボクのいつもの早とちり・・・か)。
雨の季節が長引いて、7月の夏の日々があいまいになってしまったようだ。
そういえば、今年の夏は、入道雲を見かけなかった・・・とは、大げさなようだけど8月に入っては、雨雲・曇り雲・・・と、入道雲の気配はどこえやら、お天道さまは夏雲のことはすっかりお忘れのようだった・・・。
とにかく陰暦の夏は今日でお仕舞、明日は立秋だ。8月7日は、ほぼ一ヶ月遅れの陰暦では7月7日、本来の暦では、きょう今夜が七夕・・・今年は、日常的に使っている西洋暦。今日の万国共通暦(イスラム暦ではどうかしら?)では8月7日と、新旧暦の差はちょうどひと月の違い・・・。こういうのは結構珍しいと、過去数年の暦を取り出して、見比べている。
・・・牽牛と織女・・・この年に一度のカササギの仲立ちする“逢瀬の夜”・・・カササギが翼を並べ掛けて天の川にカササギの橋を架け渡すという・・・想像上の橋・・・そう「逢瀬に渡す鵲の橋」・・・この鵲・カササギは朝鮮半島では「カンチェギ」あるいは「カチ」というそうな・・・。台湾にもおり、日本の北九州にも生息が見られるとか。
まあ、ある程度この東シナ海の環状の国々は、何かと文化的なつながりが、あるようだ。
こうして七夕を祝うのも、暦を介して地理的な文化の確認となるのかしらと思う。ただ、台湾・中国・韓国では、この七夕行事の習慣はあるのかないのか知らないが・・・。
そんな東シナ海を介して環状につながりを成す国々の関係やそれぞれの国情が、内的外的な要因から、ゆれている・・・。
愛知トリエンナーレに出品された韓国からの「少女像」は、あの韓国にある二ホン大使館前の路上に設置され、問題になっているが、芸術的意味が本当にあるのかないのか、どんな評価から展示されたのか、詳しくは知らないが、この芸術祭で、新ためて突然に展示が為され、その撤去をもとめる名古屋市長と、表現の自由をいう愛知県知事との展示についての意見の違いがあらわになって、さらに、日韓の国情・国民の感情の行き違いが露になっているときでもあり、今後どのように結論が為されるのだろう。
ボクはこれ以降の展開は知らないけど・・・芸術性の有無は別として、こういう機会に、日本国内で、こうして展示公開され二ホン国民の一部ではあるけれども、そのつくられた意図と、背景にある日韓関係を、改めて衆目にさらし、その太平洋戦争時の両国の関係、戦争の原因や世界情勢について、中高生にも親子や級友で考える・・・という、きっかけになるのではと、思ってもみる。
とにかく詳しく知らないし、さらにこのトリエンナーレを見に出かけてもいないし、これからも行く気はないボクなのだけど、芸術祭という性格を重んじ、表現の自由とは、などと、自由と民主主義の論じられてきている日本の70余年ほど、過去と現在の違い、実情をも調べ“夏課題の一テーマ”として、中学生高校生の生徒たちが取り組むきっかけになるのも、関係者や学校の先生方の行動力指導力が働くか、あるいは働かずに、これを隠してしまう、撤去してしまう、あるいは無関心を装う、ほんとうに無関心・・・などと・・・というようなことにならなければよいがと・・・一瞬思ったのです・・・。
・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を、そして核兵器廃絶署名をしない日本の世界における地理的あるいは地勢的価値・存在価値はなどと、このことと、平和国家二ホンを考える季節の今・・・この時ではと、思った。
[追記]8月14日のニュースで、韓国が、たぶん、かの大統領ブンのご発案なのだろうか・・・“慰安婦をたたえる日”をつくろうという意見だかの発議が出たそうな・・・。
しかし、これなんぞ、理解の難しい発想だと・・・一瞬思った。そう、たたえられる慰安婦・・・とは、多分、ほとんどの日本人には理解できない、きわめて朝鮮半島の特異な思考回路だと思う。そう、毎年、たとえば、その”慰安婦をたたえる日“なるものを、韓国人は本当にわれとわが身に置き換え、かつての慰安婦たちの心情を汲み、例えば、娼婦として、”苦界“に身を置かなければならなかった”そのわけ“を本当に理解できるのだろうか。それとも、そんなわけなんかに関係なく、ただ、現在の日本政府や国民への”嫌がらせ“なのだろうか・・・。韓国の歴代さらに現政府の反日感情から、収束・解決できたかに見えた慰安婦問題を、あるいは徴用工の問題を含め、韓国の政治屋の都合のために、二度三度と衆人の前に連れ出し、さらし・さらし者にし・・・何を意図しているのだろう。
慰安婦という特殊な職-慰安婦(本当は娼婦ではなかったのか、この表現???そして、そこに日本や他の国の女性はいなかったのか・・・ヤリテババアに連れまわされた女性たち)にあった、かの女たちを”たたえる”とはどういうことか、例えば、怨念の実像として仕立てることを理解し肯定し、ともにその心の痛みに朝鮮人すべては向き合うのだろうか。そうとは思えない。そう、今でも韓ドラにその身分制度を恥じることなく披瀝し、曝しものする・・・日本にもそれを一時の生業にしなければならなかった人たち、その苦界に娘の身を落とさせしめなければならなかった家族とその犠牲となったムスメは在ったが、それは時代的な社会構造として致し方なかったし(多分日本人のすべては、そのように思い、かつ、そうしてこの問題には、それとなく口にせずというのか区切り?をつけてきた・・・それは臭いものには蓋をするというようなことではなく、記憶にはしっかりと留め顧みつつ心に、その負い目を強要しつつ、互いに“惻隠の情に覆いつつ”、それでも忘れることなく、“人間としての罪と恥”をそれぞれの心に宿し共有し置いている・・・日本国民・・・)、そんな時代は戦後しばらくまで続いた、そして、その社会構造は全世界の各国に古代から現代にまで続けてあったし、現在も公に、あるいは密かに存在するという国もあるらしい。
韓国でも歴史において、それは同じだろう・・・その苦界に身を投げなければならなかった“婦人・女性たちの事情”とその家族の事情をくみ取り、ともに嘆き悲しむのか、それとも、その婦人たちを引き連れて戦場の縁に常にあった”ヤリテババア“の罪をいつまでもあげつらうのだろうか・・・。そして、それを”買った“日本の兵たちを非難し続け、さらに日本国を呪うのだろうか・・・それとも、この”慰安婦をたたえる日“を韓国国民の中にも多くの割合で、これに批判的な人たちがいるに違いなく、本人の中にある”あえて口にしないでほしい・・・態度に著さない・・・顔に表さない”などという、いわゆる“惻隠の情“なるものは韓国人にはないのかしら?・・・あるいは大統領ブンは、素地として持ち合わせていないのだろうか?あるいは、韓国にはかつての階級意識が露に存在しているのだろうか???
そう、あれだけ口汚く日本国と日本国民を罵った彼・大統領は、そんな精神は“これっぽっちも持ち合わせてはいない”らしい・・・恥。
さらに、むやみにさらし者にしないという、惻隠の情を重んじる、いわゆる日本国と日本国民、これを罵ったつい先ごろのこと・・・聞くに堪えない、政治屋でさえもが口にすべきではない言辞を、大統領が口にするその国の国民の朝鮮人の“心・こころ・ココロ”に危ういものを感じる・・・。・・・それは、例えば、口を極めて“詰(なじ)っておいて,甘えて見せる”三文小説風の下劣な恋愛関係風あるいは男と苦界の女の話にも劣る、・・・後味の悪い読後感のような・・・それだろうか。
このように、今思うことを書いたが、ボクは中世までの朝鮮半島の歴史に興味は尽きないし、さらに古代、日本における飛鳥時代における半島の三国時代などの倭国とのかかわり、唐国などとのかかわりに、仏教伝来を介して興味を惹かれもする。5世紀〜7世紀・・・互いに、それぞれが国内的に激動の時期だった・・・その時代には百済を介して、その親密さは頂点にあったと思う、短い間だったが・・・。
とにかく僅か数十キロの海峡を挟み目と鼻の先にあるこの二つの民族が、過去の遺恨・怨念のみで、不仲になることは不幸なことだと思う。二ホンもチョウセン(南北朝鮮を包括して思う)もそれぞれを礼を以て迎えあった、わずかだが、この2010年代からこの2019年への年月と、2019年のつい数か月前までの、それぞれの国民が互いに親しくあったこと、これからも誠実に約束に従って親しく付き合っていきたいものだと思う。そう、仲よくしようよ・・・ね。
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・・・思い出に浸るこのいっとき・・・
8/08/Wed.
昨日は幾分過ごしよかったのに、そう、夕方、宵の・宵の口・・・昨日に続き秋の気配のする夕焼けの名残空・・・頭上の刷毛で刷(は)いたかのような薄い雲は何となく秋めいて、吹く微風も秋の気配を運んでくる。
そう、セミの鳴き声はかまびすしく、セミたちはここぞと鳴きかわしているのに。
・・・秋の虫は、昨夜のウオーキングでも聞かなかったが・・・毎年、原っぱの枯れ色が始まったころにやってくるアキアカネもまだだ・・・。
ただただ、8号9号10号と・・・次々発生する台風が切れ目なく・・・その運んでくる蒸し暑さは、この弱ってきている体にこたえる・・・。
今日は床屋さんへ・・・そこのマスターは・・・近年クマゼミが多くなったような気がする・・・アブラゼミに変わってクマゼミの声が大きくなった・・・子供の頃はクマゼミは珍しく、捕まえると、自慢げに友達に見せたものです・・・と、思い出を語る・・・。ボクは37年ほどか、マスターは30年ほど前にそれぞれ、ここ平和公園の西の縁と東の縁へ越してきたころは,その満天の星空に驚いたものだけど、最近は空を見上げることも少なくなって、世間が夜も明るくなって、星の数はまばらになって・・・と互いに、語りながら、昔と今を比べる・・・そう30年を昔と思うこのスピードと時間の過ぎ去るのが早いこの頃を、互いに感じながらの会話だ。
・・・そう言えば、このひと月の夕日の沈む時間と位置がずいぶん変わって、夏の始めの頃より1時間ほども速くなり、ずいぶん南へと日没が移って・・・などと。
・・・飛躍して・・・霜柱も近年踏むことも見かけることもなくなって・・・などと。そう、ボクは、七草摘みの田の畔や畑は姿を消し・・・今はCOP10の名残り”里山の家“とよぶビジターハウス、この平和公園の保存緑地となって・・・早朝に、七草摘み、霜柱を踏んで、ポチやアーサーと散歩に出かけたことを、ボクは懐かしく思い出す。
・・・そう、思い出に浸るこのいっとき・・・。
話をする・・・ええ、こんなことはほとんどなくなって、話下手が一層甚だしくなったボクです。
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・・・京都へ・・・
8/09/Thu.
久しぶりに京都へ・・・お盆がもうすぐ、挨拶というのか、お参りにと、突然でかけた・・・。猛烈な湿度と暑さ・・・蒸し暑い。車のエアコンも効き目がない。
恒例の“大谷祖廟・東大谷”へ・・・幸いに駐車場は出入がうまく回転して、待つほどもなく駐車できた。
大谷廟のその緩やかな石畳の上り坂、厳しい照り返し・・・たちまちふきだす汗で着衣はすべて“心がこもらない、出来の悪い水分の多い蒸しタオル”のようになって・・・石畳の参道はセミの鳴き声が埋め尽くしていたが、この参道はどの季節でも癒される・・・・。
今日は、その参道の両脇に、提灯を連ねて吊ってあった・・・そう、お盆の”万灯会“の準備が整ったようだ。
御廟へお参りの後、これも恒例の八坂神社へお参り,その後、漢字博物館へ寄り、駐車場へ戻った。そう、予報では最高気温38℃とのことだったが、湿度の高い京都の気温は、ことのほか居心地が悪い・・・昨今は“不快指数”という言葉を天気予報では言わなくなったようだが、もし予報にすれば、残念ながら“不快指数100”といったところか。
この京都特有の暑さを知ってか・・・観光客は数年前の風景に戻ったように減少。観光の人たちは減って・・・ことに韓国からの観光客は激減か・・・まばらに聞こえてくるのは中国語ばかり。
駐車場へ戻ったその後、車で帰路へ、最後に”辰巳稲荷“へ回り、その脇へ車を止めてお参りをし、早々に京都市内から抜け出し、サービスエリアで水分補給しつつ、僕も車も無事に帰宅となった・・・。
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・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/10/Sat.(旧暦の7月10日)
秋の虫が鳴きだした・・・星ヶ丘の工科高校の外構(フェンスの外の植栽のベルト部)、その緩い土手の並木、シマトネリコの根方・・・草むらからイカツク力強い鳴き声???なんという虫かわからないが、なんとも“ガサツ“な鳴き声が・・・宵のウオーキングの行きかえりに聞こえてくる。
そう、クツワムシかしら???ええ、そのやさしさの微塵もない鳴き声だが・・・確かに”秋の虫”なのだろう・・・その、土手に沿って、ずうと鳴きかわしていた。
そういえば、もう二月ほどになるのだろうか、土手の並木・・・7〜8mごとに植えられた背の高いシマトネリコは、夜目にも白く、アジサイほどの花房・・・その花房をいっぱいつけ、咲き誇っている。この花は、においはなく、花房は、花ビラの集合体ではなく、たぶん花を内包したガクの房なのだろうか・・・つまんでみると、カサカサして、花のやさしさはなく、その花?の寿命は長くもう2月ほどにもなるだろうか、咲き誇っている。
そういえば、公園のところどころにサルスベリ(百日紅)が咲き始め、キョウチクトウ(夾竹桃)もまれに咲いている。
殊にキョウチクトウは、名古屋市の中心部、その復興の場面、ことに南北十字に都市計画された、日本にはまれな100m道路のセンターベルトの植え込みとして、長年、市民に戦後の復興の記念的な存在だったが、今は次第に100m道路の再開発とともに姿を消しつつある。
それに加えて、カンナの花を思い出す・・・思い出すというのは、最近はこのカンナの花は少なくなって、かつて、その灼熱の日差しに焼かれ、ちじれた姿を遺すそれは、焼夷弾に曝された戦争の記憶とともに、生きとし生けるもののすがたを、その焼けちぢれた姿で代弁していた花だ。そう、ヒマワリもまた・・・。もちろんこの花のすがたも戦争の写真から得てボクの”戦争記憶“となったのだが・・・。
名古屋人には、これらの花は、一種の戦争・敗戦の記憶として、ここにとどまるものだ。
様々な夏の花たち、それは焼け跡の痕跡もおぼろにしか知らないボクのかすかな戦争の記憶の八月の花、そう八月の花たち・・・ボクはこれらの花を見ると、いつも終戦の花・・・焼け野原となった街に、転々とチヂレた姿で咲くこれらの花を想像する・・・ただこれはボクのかすかな記憶ともいえないほど希薄な戦争の実体験ではない感傷・思いだが・・・そう、幼くして終戦を記憶もないまま戦中を通り抜けてきたボクです。
たしかに、そんな年齢ではないから、実際に焼け野原の街を目にしたわけではない・・・ただ焼夷弾なのだろうか、あるいは電線のショウトの火花なのか、空を飛ぶ黒い破片、火災により起きた上昇気流が巻き上げた金属片や木材片が空中でのたうち回っていたのだろうか・・・その異様さ・・・断片的記憶・・・そして、その後の名古屋市の復興の実際の様とか・・・その後の映像、白黒のフィルムから映しだされた映像が、僕の疑似体験として、重要な記憶となっている。
戦争の実体験は名古屋空襲の断片であるが戦後の社会や街のあるいは田舎の祖母の家とその濃尾平野の地の果てのような田舎・・・そのサラリーマン(田舎の人は”給料とり“といった、その質素な日常)・・・土地の農業者は安定な生活だったように思い出せる、それ、・・・その田園風景の体験はボクの記憶にいろいろな形で、張り付き、時々それが頭をもたげる・・・疎開者としての一家であったボクら家族。
・・・そう、八月は日本と日本人にとって、鎮魂と悔恨の時なのだと思う。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/16/Fri.(旧暦の7月16日)
昨日は台風10号が行き過ぎ、日本海に出、さらに能登半島のはるか北の日本海上で温帯低気圧に勢力を落としたという。
それにしても15日から16日朝にかけて、猛烈な雨降り・・・。ベッド上で強い雨脚を聴いていると、寝付かれず、何度も起き上がって、電気もつけない暗闇の居間へと・・・。
それでもいつの間にか眠って、目が覚めれば、すでに朝8時、のどが痛くて、風邪薬を半袋分(パブロンの顆粒・・・その袋を半分に切り、いつでも使えるようにテープで封をしてある)飲んだのが効いたらしい・・・そう、ぐっすり。
夕方近くなってスーパーへ買い物に出た・・・帰り道、信号待ちをしていると、秋色をしていない”アキアカネ“が、数匹飛び交っているのを見ていた・・・。逆光のせいか、その姿は陰って、色が無く暗かった。
まあ、トンボもこうして過ぎ去った台風を知ってか、はやとちりの僕を元気づけるかのように、姿を見せてくれる。
今夜は、防犯パトロールへ・・・坂道がこの街の蒸し暑さを一層厳しくしているように感じられる。実は今夜は一瞬パトロールのことを失念し、いつもの集合場所を行き過ぎて、ボクのウオーキングコースへ踏み出して、500メートルほど行き過ぎ、ふと気づいて、もどった。そう、うっかり・・・もちろん集合時間の8時には悠々間にあった。
先月、ボクはお休みだったらしい・・・。というのは、直前に降った小雨が、今夜はお休みと・・・また、早とちりのボクを・・・騙したらしい・・・いやいや、これはボクが勝手に騙されたらしい。
・・・でも、このボクの休みが・・・ご参加の皆さんの心配を誘ったらしい・・・元気だろうか・・・と。
ええ、こうして参加を続けていることで、言葉にしなくても、少しずつだが参加する一人に僕も加えてもらっているらしい。・・・まあ、一昨年2017年の10月ころから参加・・・そうして今は頭数の一つに僕でさえ数えられる・・・。何の役にも立たないが、体調が許す限り、いましばらくは、できるだけ、参加しよう。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/17/Sat.(旧暦の7月17日)
台風が行き過ぎ、次の日の蒸し暑さも行きすぎ・・・今日は晴れ上がって、いつもの掃除も済ませた・・・。その後、歩道の落ち葉などを掃き掃除し、さらに車道の向こう側の縁の刈込の下、風に吹き飛ばされてきたらしい、三つ四つの紙カップやプラスチックボトルを拾いに向うへ渡って、ポリ袋へ入れていると・・・“・・・”アリガトウゴザイマース “と、おぼつかない言葉に・・・頭を上げると、ジョギング中らしい太っちょで背の高い外人が・・・僕も、思わず顔を上げ”こんにちわー“と・・・。
一瞬のことながら・・・知らないもの同士が“一つのある行為”を間に、一つの言葉で結び付けた。
・・・そう、実はボクは、老人(最近、この表現を、自分の代名詞のように、自然に使っている・・・かつては幾分恥ずかしくあったが、ここ一年ほどは・・・意図して使うようになった・・・そう、老いに体も心も“カラメトラワレタ”のだろう・・・ではあるが、バスや地下鉄で席が空いていれば座るが、僕より・・・老いた人・つらそうな人・・・が近くに来れば、必ず声をかけ席を譲るようにしている。これは若いころから心に決めて、実行している(席を譲る・・それは勇気のいる行為・一声なのだ)・・・ウオーキング中にも、時々つらそうに酸素ボンベを引いた老婦人と出会うが、大丈夫ですか・・・と・・・こんばんわー。また、小さな脇道と本道の激しい車の通交の脇にたたずむ車いす・・・車いすの中年の背広姿の男性・・・大丈夫ですか・・・と、また、ジョギングの女性たちにも”目礼”をする・・・返ってくることもあれば、ただ行き過ぎることもあるが・・・中にはいつごろからか、時の挨拶を一声二声と掛け合う婦人が五六人になった。中にはお勤め帰りの婦人や若い人とも自然と目礼をしている。女子高生たちもいる・・・。ただし、ボクは、すれ違いや追い越しには、歩道上の設定された自転車道に進路を取って植え込みを間にするようにしている・・・そう、できるだけ・・・いつ何時、悪意ある“わな”が、人の心の底意にわくかもしれないから・・・すれ違いには、気を遣う。
・・・ボクはずいぶん昔から懐中電灯(フラッシュライト)を点けて握っているが、ここ数年キャップライトや首掛けライト、腰ベルトライト、腹ベルトライトなどと、さまざまに明かりをつけたジョギングやウオーキングの人たちがだんだん増えてきた。中には幼児のようにライトのつくスニーカーを履いた若者も現れてきた。
それから、スニーカーの色も、かつて僕が・・・・青と黄色のコンビネーション・黄色・オレンジの蛍光色・オレンジ・赤・濃い赤色・・・と次々に、踵がすり減るたびに履き替えてきた、カラーのスニーカーも男性にも履かれるようになった。
そう、独身時代から続けている、何十年というウオーキング・・・いや、これは徘徊???かもしれないが・・・自分なりに楽しんで暗闇でも目立つようにしてきた効果が広がった様に思う。
目立つこと、それは、他者が僕という何十年も前は僕も若かったが、老いた今も、この老人を確認して避けてくれること、特に後ろを照らすこと、自転車乗りへの警告が最も目的だが、この効果はポケットパークのある鈍角を巻くようにした信号のある交差点で一度見落とされ、同じ青信号で同時に進みだし・・・といっても鈍角交差点だから歩行者信号のボクは同方向へ先行して進み、車はボクの後ろになって、歩行者に気付けばいったん停車しなければならない・・・で、女は止まらず,僕をハネタ・・・そう、女の運転する車に右後ろからはねられた・・・バンパーに突き上げられ、ボンネットにはね上げられ、頭はフロントガラスに激突…冠っていた、毛色の章ちゃん帽の毛糸の網目の重なりがクッションになって助かったが、車の左側へ宙に舞いながら、たたきつけられた・・・、これは、運転手が、携帯を見ながら運転していたのが原因らしい。このころも、ボクは”フリッカー“を手首につけ、足首には、反射ベルトを巻き付け、前後左右から見えるようにしていたが、その運転手は、前を見ておらず、鈍角の左回りに進んできて、青になって同時に進みだし、先行する位置にあったボクから目をそらしていたらしい。
整形外科へ半年ほど通う羽目になったが、大事に至らず、今もこうして徘徊ならぬ、ウオーキングを続けている。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/19/Mon.(旧暦の7月19日)
世の中はお盆休みが終わって走り出したのだろう・・・が、それにしても静かだ。
会社では今日は、長かった夏休みが明け、まず朝いちばんは会議なのだろう・・・そのうちに営業車が走り出し、日常が戻ってくるのだろう・・・ただ、今年の熱暑は居座って、相変わらず”油日照り“が続いている・・・しかし、世の中は様々だから、この夏休みらしい、休暇も休むことなく働き続けた人たちが大勢だろうか。
空は、白っぽく霞がかり、空気は湿度が高い・・・が、強い日差しがない分、昨日までの暑さが幾分和らいでいるようだ。

しかし、ボクの頭にも霞が掛かっているようだ。
・・・毎年思うことだけど、このお盆休暇・・・そう、6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、そして、15日の敗戦忌と・・・これと重なるようにある旧暦盂蘭盆会・・・、なんと太平洋戦争の敗戦を“敗戦の日”をここに決めた一部の官僚のすごさ・元公家らのしたたかさ・・・国民すべてが、戦争の無残さを認め、戦争を引き起こした事実に心を打ちひしがれ、戦争忌避を心から誓った・・・しかし、この個々の人の戦争忌避の思いは薄れていき、今は無関心、政府が押し進める軍備強化・軍拡・・・米国への隷属の深まり、独立国である日本の国民に、本当の独立を教えてこなかった政府の教育への姿勢に疑問を呈するでもない愚かさ・・・政治屋どもの目先しか見つめない“腐った目”と“追従に明け暮れ、”生活を議員報酬に依存する根性に恥もせずある“老化した心”の者ども・陣笠議員・頭数”・・・。こう書きながらもボクは米国が好きだ、ただ、現在のトランプには、平和への指向が希薄におもえ、嫌いだ・・・トランプはその先祖が、やはり移民であったことを忘れさっている・・・この横柄さ。
二ホン国は、世界へ原爆・核兵器の卑劣さと無残さとを身をもって知らしめたはずなのに・・・自らが、核兵器拡散条約に署名しない極め付きの愚かさ・・・恥を知らない二ホン総理大臣と取り巻きの政治屋ども・・・それを、許してしまう腐った国民の愚かさ・・・。

平和ボケ・今さえよければ国の未来なんぞどうでもいい・・・さも給料が増えたかのような錯覚と幻想に満足してしまう・・・この物価上昇を、スーパーマーケットへ買い物に行くたびに、不快になる値札の値、それに、同じ値ながら、数が減ったパック物の食品やモノ・・・軽く小さくなったパックを実感しながら、セルフレジとなった、無味乾燥な支払いの時間に一層むなしさを増幅させつつも、やり場のなさに、ついつい黙してしまう・・・この、国民・・・飼いならされた、愚かな国民性かしら・・・。
また、東京が首都圏が・・・お上りの田舎者で膨らみに膨らんで・・・“・・・”トキオ・トウキョウ・とうきょう・東京”と、その声の響きにあこがれてしまう田舎者のうごめく首都圏。超高層マンションの林立、海岸線・海面の近さに気づき恐怖を持つことを忘れている・・・それ。11・3・11のような大地震と大津波が押し寄せてくればひとたまりもないトキオの脆さ。
そして、そこでのサラリーマン生活に、居酒屋文化という超庶民文化・究極の田舎文化・・・ガード下に育った宿場文化の猥雑さの残照・・・の中に自らがあることに気づきもしないド田舎者、トキオ者たち。
それこそ、マスコミもマスコミ人らも、結局はド田舎者なることに気づくことなく、そう、TV画面に現れる、アンカーやコメンテータ・・・その人のはかない繋がりに縋りつくようにムラガリそして掴まり・・・自己を失っていき・・・埋没していることに気づくことなくある、それ。
そこへ彼ら自らが持ち込んだ、運び込んだ村八分根性が、そう、村八分になることを畏れる根性の堕落。
笑ってしまう、超高層マンションの値、とんでもない価格が平然とのし歩く、その感覚が虚しい・・・ビュウ・ヴィスタの良否によるという究極の愚かさ・・・富士山が見えるから、東京タワーが見えるから・・・そんなものは、田舎へ帰ればもっと素晴らしいビュウ・ヴィスタがワンサカと存在することに気づく心・肝もない・・・結局は、トキオ・東京は首都圏は・・・田舎者の渦巻く文化しか育たない・・・それ。それを東京文化という心の貧相さ・・・だが、その根底は、しぶとく図太く騒がしい・・・その湿り気の一片も持たない精神性の愚かさ・・・トキオ。
その根底にあるのか、押し寄せ定住したずうううーと過去の田舎者と、戦後の経済成長で押し寄せた田舎者・・・これらのが重層してなしたトキオ文化は、結局の節度を持たない田舎文化なのだと思う。
其の田舎者の醸し出す”カオス・混沌“が、さも都市だとするその浅い感覚・・これに対して「この部屋にはコオロギがいるのに/なぜコオロギの話をしないのか/この部屋の人たちはみな女の話しばかりする・・・」と、・・・村上昭夫が書き残したそれ、この人の存在を、この人の心の存在をボクは忘れまい・・・。
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・・・独り男の束の間の幸福な心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/27/Tue.(旧暦の7月27日)
ぶり返した猛暑の二日間・・・そう24日と25日・・・日本は、いや名古屋はただ一都、突出して36℃を報じられる・・・。そう、名古屋・尾張地方は内陸性気候・・・京都や奈良のように・・・冬寒く夏暑い・・・。そう言えば、岐阜の美濃地方・・・多治見や土岐も同様だ。
何とも耐えがたい暑さ・・・お天道様、何とかしていただけないでしょうか・・・と、心に思ったものだ。
ところが、きょう26日・月曜日は一転して晴れ、空には霞が掛かったように、刷毛ではいたような薄雲が、その間に間に薄青色の空が広がってあった・・・。
あの絶食と、下剤食の日々にげっそりと体力気力を失った7月末から8月中頃までの日々。
幾月ぶりかの映画へ・・・「グリーンライフ」・・・二人の男・白人の雇われ運転手と黒人のピアニスト・・・その教養人を装った南部の金持ちたちに招かれて赴く黒人ピアニスト・・・その演奏会に連れて移り行く南部の風景と小さな町と・・・黒人蔑視の風土・・・そこ、アメリカ南部、まだ色濃く残る南部の精神・・・それを行く二人のロード・ムービー・・・なかなかいい映画だった・・・。そう、アメリカ南部に残る、いやアメリカ社会に残り続ける・・・白人優位主義・黒人蔑視・マイノリティ蔑視の社会/JFKが大統領だった、そしてジョンソンが繋いだベトナム戦争,ニクソンへと・・・このころのアメリカ・・・混沌・・・そんな世情の中、この白人と黒人が、いつの間にか旅の中で、互いに影響しあう、人として互いを見つめあう・・・二人だけの自動車で行くハイウエーや田舎町・・・そう、大きなアメリカ車の旅、その時代の代表的風景・・・そのたどっていく田舎町での黒人蔑視に、目覚め抵抗し黒人のピアニストに共感していく粗野な白人オトコ・・・その家庭にある、留守にした男の妻の心根・・・夫と子供への平凡な暖かな包容力・・・アーチストで名声もある金持ちでありながら独り者の黒人の哀しい諦念の心が、忍従諦念から目覚めていく、白人オトコも目覚めていく・・・その心模様を見事でありながら普段着の画面で描く・・・。
・・・ボクは映画館から帰りのバス停へ、そのバスを待つ間・・・その幸福感で、効き過ぎの冷房で冷え切ったボクの体を、暑さが和らいで空気が適度な湿度に包まれたバス停の10分間ほど・・・ボクは暖かくさわやかな空気に包まれて、体温が回復していく心地よさを全身で感じながら・・・バス停の鉄柵に腰を当てながら・・・目の前、南方向の逆T字路の坂道とその空に、心地よく目と心を泳がせていたのだった・・・それは独り男の束の間の幸福な短い時間だったが心地よい幸せを感じていた・・・ボクでした。
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・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・
8/28/Wed.(旧暦の7月28日)
このコンピュータの調子が悪い・・・というより、ホームページがうまく開かず、記事の訂正ができなかったり、投稿もできなかったりと、ボクは散々だ。ときどき、ホームページの改変をすすめる電話が入る。常に断ってはいるが、何かの侵入があったのかもしれない・・・なんて、懐疑的にもなる。
今日は一日中雨降りだ・・・そう、静かな雨降り。ただ、下の車道から、雨を跳ね返す、轍の音が上がってくる。急に秋になったかかの様な気温の下がり方。ありがたいが、まもなく寒さとの闘いの日々がやってくるかと思うと、このつかの間の涼しさがありがたくおもえる。
ボクは自分勝手で、わがままで、カタクナで、人付き合いはなく、寂しがり屋で、孤独だ、と思い込んでいる。亡くなった連れ・・・合いも同じような人だった。なかなか、日常は大変だったが、いろいろな思い出・・・いいことも悪いことも腹の立つことも、さまざまだけど、どの思い出も懐かしい・・・。
こうして、季節の移り変わりになると、ことに”思い出“がよみがえってくる・・・。秋とは、心の隙間・空・・・かしらとも思える。そう、心の隙間に、ふっと吹き込む風・・・か。文学の秋ともいう。今年は体調がすぐれず、計画だけで、止まっている”テーマ“があるが、この様子では再開は難しいかもしれない。
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・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/29/Thu (旧暦の7月29日)
ツクツクホウシが鳴きかわす・・・昨日は雨模様だったが、そんな中でもカマビスシイ。
アブラゼミの鳴き声はほとんど聞こえなかった夏・・・すでに夜は秋の虫が草むらに鳴く。
7時に目覚めたとたん、今日の気温の上昇を肌で感じた。天気予報は34℃になるだろうと、名古屋を名指しする。やはり突出した高温らしい、この地方・・・。
お昼には室温は35℃、この様子では午後がもっと上昇するか。
内科医へ月に一回ごとの今月の受診に、大腸の検査のお礼と耳鼻咽喉科を受診しいたことを報告しておいた。
ぼろぼろの体、それに精神も草臥れ切っている・・・ホント。
草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・そう、旅人がクタビレきって、とうとう一里塚の木陰の草に倒れ伏し眠りについたか・・・これはまだ幸運なことかもしれない・・・一里塚と一里塚の間、その道端の草むらや土手や林へ転げ落ちれば、だれの目にもつかず、助かる命も助からないかも、・・・眠りならまだしも・・・そのまま息を引き取るということさえ現実に考えられる。
回復するといいのだが、それとも行き交う旅人が声をかけ、腰の竹筒から手のひらに受けた水を飲ませてくれるか・・・旅は道連れというけれど・・・世間はそんなに甘くはない・・・声を掛けるものもほとんどないだろうに・・・。行き倒れ・・・そんな光景が目に浮かぶ。行き倒れ(ゆきだおれ・行倒者)・・・
・・・唐突で親し気な道連れ・・・そんなのは信用できない・・・懐と着物の下、胴に巻きこんだ胴巻きを狙っての親し気な声掛けなのではないか・・・。ゴマの蠅も・・・うさん臭くうるさく付きまとう・・・悪意を持った駕籠かきや馬子・・・そやつ等・・・(そんな者ばかりではないのがほとんどだろうが・・・)。宿場に巣くうやくざ者、裏で手を組んだやくざと十手持ち、宿場代官や郡奉行・・・そこいらの人相の悪い奴ら・・・ここには、旅をするものが増えたことが大きな要因なのだろう・・・昔のTVの時代劇・・・カツシンの・・・あれっ、ドラマの名が浮かばない・・・うううっ・・・。
人生、いつ何時、こんなよそ事みたいなことが、それぞれの身に起きないとは言い切れない。
災害時の避難にもこんなことは起きうる・・・かもね。
・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・この内容は、以前にも書いたような気がしているが・・・まあ、いいだろう、何度でも・・・。
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・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
8/30/Fri (旧暦の8月30日)
ツクツクホウシが雨降りの中にも聞こえる。
昨夜からの雨降りが、緩急ないまぜになって吹きまくる。強い雨脚と強い風・・・。
幸い、まだ夏休みのうち、今日は登校とは関係なく、生徒たちも“家ごもり?”かしら・・・。
せっかくだから、しっかり宿題をやり終えてしまおう。
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今月8月はこれで・・・。体調の芳しくないことばかり・・・を告白・・・お許しください。でも、これが現実。
・・・とにかく独り暮らしは厳しい・・・ほんと、心の休まるときがない。
・・・でも。来月、9月も再見!
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