建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-117 November 2019

HITBIT[心もよう]vol-117 November 2019 
9月10月と、生活のリズムが狂いボクを傷めつけた。
そう、何のことはない。長引く夏がボクの“身・口・意”いわゆる密教でいう三業(さんごう)のいずれか、あるいはすべてにおいてボクを狂わせた。
日々が孤独で会話もなく何の楽しみもない暮らしの中で、思考あるいは行動が、消極的になって、目標らしきものがあるにもかかわらず、それが確定せず、前進しないで、同じところで足踏みを続けている。いわゆる堂々巡りをし、ただ日々刻々と時が過ぎていき、焦りに似たものが堆積し心を鬱屈させていく・・・そんなことを思いつつも解決の手段はなく、心身に得体のしれないものがのしかかる。
それに加えて、時に必然から出くわす人が為す不誠意に、人に対しての不信を一層増幅させられ、社会というのか自分以外の者への関りから極力身を引くこととなる。 
それにしても、この世、このボクとおなじ二ホン人らは、なんと誠意がなく底意地の汚い奴らばかりなのだろうと思うのだ。かといってボクに誠意があり思いやりがあり清廉潔白な人間であるとは言えないだろう。他者からみて、ボクが意識するしないにかかわらず、悪者として、さらに幾分かの悪さ、そして、人として疑問を抱かせるような考えや行動を為してきて、これからもなしていくのだろうかとも思う。
あるいは“故意の堕落”というような、意識しての堕落に自己を追いやるというような、矛盾した考えや行動をすることがあるかもしれないし、過去にはそんなことをしてもみたり、やってみもしたい誘惑にかられもした。
そう、ドストエフスキーの『罪と罰』、その主人公、元学生ラスコーリニコフの心の襞(ひだ)へ分け入り観察したくなる、誘惑を感じたことさえある。
また、人はなにがしかの罪を自らに与え(自らその罪を取り込む、という意味で)、その罪の重さに自らを耐えさせなければならない、そして、それを知ることによって、他者への共感や憐憫を知り、そんな“業・ごう”を背負うことによって人は自らが人となりうるのではないのかと、すなわち、人は等しく薄汚れた者、自身が薄汚れていくことによって他者を批判しない他者への慈しみを知る、それは、世間の垢にまみれたものほど他者への思いやりや理解とでもいう共感を身に着け知っていくのかもしれないと、思ったりしたのだ。
いわば、“正義を捨てる自己矛盾”という混乱した思いにとらわれもした。
親鸞さんが言ったという・・・善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや・・・と、これを理解すること、あえて、そうボクの解釈?・・・善人はそのまま放っておいても往生を遂げる、いわゆる、極楽往生、浄土へ行けるかもしれないが、悪人はそのまま放っておいては往生できないで彷徨し漂うだろう、中には地獄へと、それ故、この世の悪への救済を祈られ、めざされ、如来となられた阿弥陀仏、そう、阿弥陀如来へ、その絶対の救済仏であられることを我ら衆生は是認し敬い、絶対無比の意“ナム・なむ・南無”をもつて “南無阿弥陀仏”と六字名号を唱え祈り続けることで衆生(しゅじょう)が救われる、とされたそれは、本当の善人がこの世に皆無なゆえに、救われるべきは人皆同じ、それ故、貴賎・貧富・老若男女、すべての人が罪ある己、薄汚れた世の中において、さらに濃く汚れ切った己を自意識しなければならない。自分は薄汚れたもの、濃い汚れを自ら作り出しているものであること、中には完全な汚れ物・ボクみたく・・・そして人はみな同じ人なのだ、みな同じように祈ろう、念じよう・・・と、親鸞さんは言いたかった、このようにボクは解釈する。
しかし世間は、親鸞は・・・善人なをもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・といっている、そうであるなら、薄汚れではなく大いに汚れ大悪人である己こそ救われる、とそんな曲解を為した者・大悪者が多くいたそうな・・・そう、俺、現代にいるボクもそんな一人かもしれないね。
そう、こんな風に思うボクは、現代におけるただ一人の逸(はぐ)れ者なのだろう・・・ただ独り? この世の死者すべてが救済され天国へ行くのに、ボクはただ一人地獄へ落ち、孤独な地獄の責め苦へと、あの世の入口で閻魔様に振り向けられ、ボクは孤独に地獄の責め苦を背負うことになるのかも・・・“ナムアミダブツ”・・・と、逸れ者の独り言(ご)ち。
・・・ここ数か月、描き進むこと、コンピュータのスイッチを入れることが、なんだか空しくなって、このBLOGも書き進められなくなって、うやむやに進めてきました、ごめんなさい。一因はホームページの動画部が見苦しいことになって、嫌気がさしたことが原因でした。その動画部を静止画として、再出発として、こうしてBLOGを書いています・・・。
まあ、こんな気力気持ちの落ち込みが今も続いていますが、気を取り直して、さらに11月号を書いていこうと思いますが、どれほど書きすすめられますか・・・。
|||||||||||||||||||||||||||

===目次===
11/01  ・・・京都へ・・・
11/06  ・・・それでも講習会へ・・・
11/07  ・・・この2・3か月のことから・・・
11/10  ・・・小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった・・・
11/12  ・・・幻のような風花の痕跡・真夜中の思わぬ景色・・・
11/15  ・・・“桜を見る会”の疑惑と来年は中止のこと・・・
11/27  ・・・ホウノキ・朴木・・・の、存在、・・・

11/29  ・・・「狗奴国」・・・の、存在、・・・
|||||||||||||||||||||||||||

・・・京都へ・・・
11/01/Fri.
思わぬ早い目覚め。そうだ、京都へ行こうと、出かけた。相変らずボクはただお参りに行くのみ。8時前に名古屋インターから名神高速へ、京都東で降り、大谷祖廟の駐車場へ車を入れ、お参り、その後、八坂神社と辰巳稲荷に参り、スタバで朝食兼昼食をコーヒーとスコーンで済ませる。トンボ帰り。コーヒーが今日からクリスマス仕様でおいしくなったそうだ。確かにうまいコーヒーだった。
八坂神社界隈は先月よりも人出が少しだけ多くなった気がする。中国語らしい大声がそこここでする。
なぜ中国人は周りに気を遣うでもなく、大声でしゃべりまくるのだろう。
・・・相変らずボクは、ただお参り済ませトンボ帰り、1時過ぎには名古屋インターを出て帰り着いた。自宅近くのスタバで”onemore onecup”のコーヒーを飲んで疲れを癒し、隣のスーパーで夕食のおかずなどを買い込む。
・・・こんな風に、今日も過ぎてきて、宵にはウオーキングと、日課をこなして、一日が過ぎる。
近年、観光客としてはどこへも行かない。奈良へと遠回りするでもなく、好きな奥琵琶湖へも脚を向けることもなくなった。そう、寄り道らしいことをしなくなった。
家にこもることの快適さのようなものにボクは浸っているのかもしれない。
名古屋での日々の生活も他所へ出かけるでもなく過ぎていくようになって、毎日ぼんやりと過ぎていく無為な日々が日常となった。
しかし、心の底にある目標へコンピュータの電源を入れることもなく、ふんぎりがつかないでいる。涼しくなったら始めようと思いはするが・・・。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・それでも講習会へ・・・
11/06/Thu.
今日は午後から・・・改正建築物 省エネに関する省エネ法説明会・・・へ、午後から出かけた。熱田区の白鳥(しろとり)ホール・・・1300人収容のホールは満員だった。これを全国47都道府県で開催するのだそうだ。
地球は人が為す生産や生活の過程で排出される二酸化炭素に曝されで温暖化へと突っ走って、破滅へと向かっている。そう、今地球は悲鳴を上げている。その影響下にあっての悲惨な自然災害をたびたび聞くが、人間が常時居住する建築物こそ、大きなエネルギー消費装置だし、そのエネルギーを生産するのに多くのエネルギーが必要とされる。人は自分自身で作り出した温暖化に辟易として、窓を閉め切って外気を遮断しエアコンを回し続ける。この矛盾、皮肉なことだ。
それ故、建物のエネルギーロスを少なくすること、冷暖房や光熱費における建築性能の向上を狙って、”省エネ“が叫ばれることになる。すなわち、建築関係は人の健康に直接関係する場には違いない。それで真っ先に建築関係に“省エネ規制の技術的適用”がすすめられ、もとめられる。
もちろん他の生産分野へもこの省エネ策はもとめられ、日本中、各分野で同じような講習会が進められているのだろう。午前中にも似たような講習会が開かれていたらしく、会場となった白鳥ホールで、会場の受け継げ始まるのを待っていたボクの目の前に、ホールからは多くの人が出てきて立ち去って行った。その後、午後の部が始められるのだ。
ボクは残念ながら、設計の仕事は減少し、開店休業状態だけど、一応設計という仕事は登録している。これからも仕事はありそうにないが、関係する法令を知ることは続けなければならない。
しかし、長い年月、建築設計に従事してきたけれど、有料の講習・・・資格試験やその更新の都度の講習、さらに新たな法規制がかけられると、それに関する講習・・・と、その費用と時間はかかわる者にとって大きな負担となってきている。
さて、今月19日にも今日と同じような講習会がある。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・この2・3か月のことから・・・
11/07/Fri.
・・・ここ数日、一か月以上も長引いた”夏“が、ようやく去り行きつつある。その気配は朝夕の気温の変化にも表れ、その朝方の冷えた気温が、街路樹のトウカエデを黄色や赤に色づかせ、道路を隔てた我家の真向かい、里山の斜面の木々には転々と紅葉が見られるようになったしかし、その中のハゼノキ・・・これは毎年のことながら夏が去ると突端に樹形すべてが見苦しく、生きているのか、枯れつつあるのかと疑問がわくような見苦しい姿になる。しかし、最高気温が20℃を切り、最低気温も10℃を切るころになると、その惨めな一瞬から抜け出すように、樹形のところどころに深紅の葉が一枚また一枚と日々鮮やかに増えていくようになる。こんな紅葉への移行に一瞬だけど見苦しい姿・色合いを体現する木は珍しい。
11月に入って、名古屋は晴れの日が続いて、それに伴って、ボク自身は、肌の乾燥が顕著になって、体のそこここが痒くなって、それをかきむしり荒れ、ひっかき傷が点々と出来てきた。保湿乳液を塗っているが、一進一退・・・夏の間に直りかけた昨年の傷跡が再び悪化するかも・・・そう、これはアトピーかもしれない・・・。
・・・そうそう、10月は二つの展覧会へ出かけた、まず一つは、11日、豊田市美術館での「クリムト展」、さらに29日、名古屋市美術館での「カラバヴァッジョ展」へ。
どちらの展覧会もいつかは観たいとずいぶん昔から想っていた、クリムトの作品はかつてどこかで観たようにも思っているが、カラバヴァッジョはずいぶん昔からその人生と作品に興味があって、ようやく願いがかなった。美術館の企画に感謝しよう。
しかし.この名古屋市美術館でのカラバヴァッジョとその関連する画家たちの作品を、観まわって2階の展示室に遷り数点を見終わった時、突然猛烈な喘息の発作に襲われた。静かな展示室で、この喘息の発作・・・なんとも間が悪いこと、そしてそれも過去に経験したことがない5分以上続いた強烈な発作だった。呼吸が出来ない息が詰まり咳とこみあげる嘔吐の感覚と、それをこらえることによって息が出来ないそれ・・・。片隅にあった椅子に倒れ掛かるように掛け、治まるのを待ち耐えていたとき、一階の展示室から駆け上がるようにしてボクの目の前に、苦しくて涙でかすんでいたボクは、このお二人、ご姉妹?母娘?風のお二人が・・・大丈夫ですか、この飴をどうぞと,下さった。それでもパニック状態のボクはその飴をほおばった。椅子に掛けてから10分ほどだろうか、耐えていた間にお二人は消えてお礼も言えず、名刺を差し上げることも思いつかず、治まるのを待ったボクでした。
そう、喘息はボクの持病の一つ、15年ほど前から小さな発作を覚えるようになって年齢を重ねるにしたがって、悪化している。それなのに、発作を治める吸引薬“メプチンエアー”をバッグに入れたまま、車においてきたこのうかつさ、後悔しきり。
そう、いろいろな持病が顕著になったのは連れ合いが亡くなって数年たち、本格的に本を書くようになってから・・・執筆は熱中した良い時間だったが、いろいろな自分自身への気遣いがおろそかになって、日ごろの養生を怠ったためだ。生活が不規則になり、運動量が減り、夜更かしをし、頭の回転を促すのか・・・甘いものが欲しくなり、さらにウヰスキーの量が増え、食事も不規則になって、すべてが不健康へと傾いたこの10数年のこと・・・などなど。
・・・まあ年齢が年齢だから、致し方ない体の様々な衰え、気力だけ、気持ちだけで、健康が保たれるわけではなく、それなりにケアーが必要なのだが、それも怠りがちだった。そして自分を病気のデパートなんて、本気とも冗談ともつかぬ表現をして、図太くというのか細々というのだろうか、生きている。
・・・しかし、ありがたかった・・・おふたり・・・本当にありがとうございました。こうして、また少し生き長らえました。もともとボクは失顔症の上、あの時パニック状態のボクは、お顔を見、覚えること、さらにお礼を申し上げることさえかなわなかった。
これをご本人お二人がお読みになられれば、あるいは、お読みになったお方に、この状況を見られ、このお二人をご存じであれば、教えていただきたく強く思っています。ご連絡ください・・・ぜひ。
・・・とにかく・・・ありがとうございました・・・ありがとう・・・。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった・・・
11/10/Sun.
旧暦10月13日、そして今夜は十三夜の月。昨日の宵はウオーキングを休んだ。久しぶりのサボり。
今日、お昼前後は、抜けるような青空・快晴だった。それに鳴きかわす鳥たちの気配もなく、さらに行きかう車もほとんどなく、小春日和のホカホカ天気、長閑な日和だった。
この感覚の表現には、長々と言葉を放つ必要はないだろう。
ニホン人であれば“小春日和のホカホカ天気、長閑な日和”と書いただけで、その様子・雰囲気は伝わるのだろう・・・そう、この漢字のなす表現力はなんと素晴らしいことか。
しかし、先日の立冬前後から日の入りは早くなって、さらに雲が出てくると急に気温は下がり、4時ころに屋内は照明が必要になる。今4時半だけど、屋外は薄暗くなった。
今宵は少し早くウオーキングへ出かけよう。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・幻のような風花の痕跡・真夜中の思わぬ景色・・・
11/13/Wed.
薄曇り時々陽射し・・・薄曇りの中、里山の斜面に紫を隠し持ったような深い紅色だったハゼノキの紅葉が、束の間の陽射しに里山の斜面が明るくなって、そのハゼノキの紅葉がなぜか赤茶けて周りの常緑樹の中で精彩を欠いている。
・・・そう言えば昨夜午前2時頃だったか、のどが痛くて目覚めた。うがいをしつつふと外を見ると、隣の寺の塀の屋根瓦がうっすらと白い。よく見れば粉雪らしい。また遠目に本堂の大屋根も同じように薄らと白い。雪降りだった様子はなく、そのうっすらっとした白・・・そう、雪降りではなく、西風に運ばれてはるばる飛んできたらしく、灰色鈍色といった方がいいのかも、そんな真夜中の思わぬ風情・・・気温が下がった外気に冷え切った瓦屋根が、その飛んできた粉雪を受け止めたらしい。
雪降りとは言えない、雪が積もったともいえないほど斑(まだら)にうっすらと二ホン瓦に受け止められた、風の運んできた斑の雪のふりかかった屋根・・・陽の射す朝には跡かたもなく、まるで幻のような風花の痕跡・・・真夜中の思わぬ景色でした。ええ、モノクロームの景色。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・“桜を見る会”の疑惑と来年は中止のこと・・・
11/15/Fri.
13日のニュース・・・春ごとの首相招待の“桜を見る会”が野党から“その招待基準が首相の個人的招待となってはいないか”と指摘されている。
これに対して、首相府は“来年度の首相招待の観桜会を中止する。これは招待基準を見直すためである”と、13日午後に発表した。
・・・では、その“招待基準を見直すため”とは、首相府が見直す必要を認めたに等しい、と思う、そう、上げ足を取るようだけどボクはそう思う。
ここからは、11月15日に書く。
一方で、拉致被害者の会が結成されて30年(これ、ボクの記憶違いかも・・・北朝鮮の日本人拉致が発生したのは)とラジオニュースが言っていた。
拉致被害者、寝ても覚めても、行方知れずになった肉親を思い続ける家族、親族・・・その人たち・・・一方で、アベシンゾウは国費と自分の地位を利用して,自分の栄達の祝かのような“桜を見る会”を、催す。
どうもそこへ招待される者たちの中には、総理大臣であるアベの選挙民が、団体、ツアーを成して前日から東京へ招待され、供応にあずかり宴会が為されるのだそうな・・・そう、こんなこと、ボクには想像もできない良き場面???そう、自身の選挙区から選挙民を招待し供応するとは、これって???もしかすると公職選挙法の定める、選挙違反に当たるのではないかしら???と、そのへんの知識の希薄なボクは一瞬思った・・・そして、ここに招かれる人たちは・・・たぶん、現職の総理大臣様、いわば民の中の最も尊いお方が、われのような下々をこうしてはるばる、招待し、桜の花見と、しゃれこませてくださり、供応・宴なるものを催してくださる。その場には、奥様もお出ましなされ、下々のこの田舎臭いものにもお声をかけくださっている、ああ、なんとありがたいこと、これをあの世まで思い出として持っていきましょう・・・ナンマンダブ・ナンマンダブ・・・と、この六字名号は唱えなかったのだろう・・・けど、そう、下世話にいう日の本一の成功者が、夫婦そろって満面の笑みを浮かべ、招待されたすべてが”満面に諂(へつら)い卑下の気持ちそのものを浮かべ手もみする者“のあふれる、その宴の場に身をおいいているアベ、いつの間にか、得意満面なその顔が、己も”同じ下卑て緊張感の片鱗もない顔”となっていることに気付きもせず、時々しか、思い出さない、”拉致被害者家族との約束“を、すっかり忘れ去り、出世物語の頂点の自分に改めて、満足するのだった・・・そうなのだろうと、そんな高尚な高貴なお方が為される花見の宴なんぞ味わうこともないこのオレ、その、家付き嫁と姑にいびられる中村主水のメザシの夕餉、サカヤキの伸びたたそがれ清兵衛の夕餉のメザシののった箱膳に向う二人の娘との様子を、ボクは自らの日常の貧相質素な日々に思い重ねるのです。そう、この二つの家庭のそれぞれの夕餉の様子さえ、うらやましく思えるボクなのでした。
・・・そうそう、今夜は第三金曜日の“夜回りの日”でした。8時の集合に遅れないようにしなくっちゃ・・・。先月は雨降りで休みだったと、おぼろげに思い出す。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・ホウノキ・朴木・・・の、存在、・・・
11/27/Wed.
先日の記述から瞬く間に10日以上が過ぎ去った。
体調に異変があってコンピュータに向き合うとか、スイッチを入れるということから逃げる、避ける、見向きもしたくない・・・などと、さまざまな拒否反応が出続けていた。
しかし、秋を待ち焦がれたともいう心情が、こうしてタイピングを怠っている間に深くなって、秋、我が家の前の里山は、ようやく全山、黄葉・紅葉に覆われた。昨日今日の曇り空、時に時折の小雨、その湿り気のある空気に、黄葉・紅葉が映える。
小雨が降れば、それはさらに見事な秋風景だ
そうそう、街路樹のサクラはすかっかり裸木、トウカエデは紅葉・黄葉がはらはらはらはらと散り続け、小雨に濡れたアスファルトの歩道に散り敷いていく。
そういえば、ホウノキ(朴木)・・・これもほぼ落葉した。その大きな濃いこげ茶の表、裏は鈍色(にびいろ)。その鈍色の葉裏を見せて、歩道に散り敷いていた。ホウノキの落ち葉のほとんどが、その葉裏を見せて着地?している。
なぜだろうと、よく観察すると、ホウノキの葉は葉脈を中心にして裏(鈍色側)側へ反っている。いわば、舟のように。そう、考えれば、この大きな葉は、単に落葉したのでは幹の周りに落ちて重なるのみ、これが船の様であれば、サーフボードが波に乗って滑るように、ホウの葉の舟形は、微風でも、その空気の流れに乗って船のように流れていくことが出来る。
それは、ボクがホウノキの所在を長年見つけられなかったように、生まれた母木からはるか?それほどでもないが、他の樹木の葉っぱよりその大きく重い葉が、母木を離れて地面に散っているそのこと、落下するより滑空するという目的、落葉の形態・・・その作為を持った葉の構造が長年、ホウの葉の母木を見つけられなかったわけなのだと、謎解きのようなことだけど、こうして過ぎた数年の冬に気づき、今年もまた昨年よりもはるかに多い大きな葉っぱをみつけることができ、うれしさというのかその葉の持つ意味を見つけたうれしさというのか、疑問が解決したというのか、とにかく長年の疑問が解けたことが、うれしい。
このホウノキの存在をなかなか見つけられないでいた、その数本のホウノキ。今年になってその木のありかを見つけたボク、僕の細腕ほどの立木の幾本かが為す小さな林、その細木の群れが歩道の西の法面(のりめん・斜面)の下の雑木に交じって成長してあった。この特徴のある大葉をなすホウノキの小さな群れ、実はこの群れ以外に、この小さな林を成す他のもう一か所を、150mほど離れた寺の小さな林の中に、その枯葉のすがたの一部を見せる一本が枯葉色をのぞかせているのを、遠目ながら我が家から見つけた。ボクにとってはこれも発見だ。
このホウノキの存在は、ここがかつては重畳と重なる低山の林の存在があったことを今日へ教え伝えてくれている。東へと拡大する名古屋市の都市域がこの重なり広がる低山の開発を今も推し進めて破壊している。
住宅地として新しい街を成し、その東には愛知万博が開かれた。また大学研究施設や青少年の野外活動の場、猿投古窯群の成果としての陶磁器博物館などと、また生活のためのスーパーマーケットや世界的に展開している北欧家具の大きな施設などと、さまざまに、人の生活のためとして、自然破壊を続けている。
それにしても、林の中に見出される古窯の跡や、名東区内に残る地名につく“鋳物師”という古代の産業の最先端の様子、これに寄り添うようにある陶土の採掘跡や炭を焼いた窯の跡、あるいは地中に広がる亜炭鉱のトンネルの存在などと、その存在から想像させられることは大きい。こんな想像を次に書こう。
|||||||||||||||||||||||||||

・・・「狗奴国」・・・の、存在、・・・
11/29/Sat.
この名古屋市の東部部にあたるかつての深い林、今は里山となった丘陵地、その里山の重なりあう今は東山とよぶこの地域は、かつては、はるか東の山群、その猿投山の西に広がる丘陵地というのか低山地域の西の端に広がる地域だったのだ・・・。
そして、この里山には、多くの炭焼き窯や陶器の焼き物の窯がつくられた地域の中には今では採掘されなくなった亜炭層を持つ土地が僕の住む千種区の東の名東区にはある。さらに、名東区の地名に”鋳物師”の付く地名がある・・・それはたぶん、かつて、その”炭焼きの成果・木炭“あるいはさらに強い火力を生む”亜炭“を以て、鋳物を”鋳(い)て・鋳造して“いた人たちの集団が村を営んだ土地だったと、ボクは推察している。
ことに、鋳物の生産には、必要な材料の砂鉄の生産を伴わなければならない。それは猿投山の麓の矢作川の河岸段丘で生産され、砂鉄となった、と、ボクは推測している。そして、この地域には、さらに磨き砂(金属を磨く・歯磨きにも)が、今でも採掘されている。そう、それはかつての大河の河岸段丘の層に含まれていたのだ。
そう、古代(飛鳥時代からはじまる鋳物など金属の)の生産資源を持ち、製品を産む、矢作川の右岸域は、そんな資源の豊富な地域であったはずだ。そこへ、鋳物の工人など関連する人が集まり、また、燃料となる亜炭と薪炭となる堅木の樫類が茂り・・・それを得ることが出来る地域だったとも推測でき、またこの鋳物師(いもじ・いものし)の集団の他に、たぶん木地師の集団もいたのだろう。さらに、狩猟を生業(なりわい)とする“マタギ”とか“山立ち”とよばれる人たちと、さまざまに生業を成す集団が重層して存在していたのだろう。
そう、この人たちは古代からの工人ともいえるし、国中を素材やそれを加工する燃料を生む土地を求め探索する山師でもあった。そして何十年・数十年ごとに、手近なところの資源が枯渇すれば、その資源の存在する地へと移動をし、当時の奥地であり、かつ、都や町や村に近すぎず遠すぎず、生業を成しつつ、数十年の時を経ては原材料の枯渇とともにその痕跡を残し、移住していったのだろうと想像する。
その彼らは、生産のもととなる陶土と木材と砂鉄それに燃料の木材と亜炭・・・そんなものを求めてこの広大な丘陵の山地・雑木林に分け入って、その素材が尽きるまで群れて山中にあった“サンカ・山人それに工人”たちの足跡・痕跡をボクはこの地に見る。
そして、その窯の跡が、開発を逃れ土中に埋没し、時に宅地造成によって顔を出す。昨年だったか、我が家から50m程のところに、その露出した窯の調査が行われた(猿投古窯群の西の端の存在だろうか・・・)が、たいして新しい成果はなったようで、宅地造成が為されて新しい大きな住宅が建てられた。
その、古代からの記憶が、ところどころに残る里山の雑木林の中に顔を出す。
・・・と、ホウノキの葉をみつけたことと、紅葉の里山のことから古代のこの地、名古屋市の東部丘陵地の古代へと,ボクの想像は飛躍しすぎて、古代にまで走った。
でも、この想像は、たぶん真実、本当のことを的射ているに違いない・・・、こうした生産という手段の存在、バックボーンがあるこの尾張の地・・・かつて、ここにはたぶん古代国家が存在したといたと僕は考える。それが、尾張の北東の地、この古代の“葬送の地”だったとボクは想像する・・・シダミ・しだみ・志段味の地の古墳群・・・さらに、尾張の中央部の平野、現在の清洲あたりの平野の中の朝日遺跡・・・その存在とつなげ、この地の歴史を考える。そう、興味を惹かれる。
・・・古代のモノづくり、陶器の生産に思いやれば、今につながる、瀬戸・多治見、さらに南の半島の常滑(とこなめ)と・・・古代の稲作・米の耕作とは別の重要な物産・陶器と鋳物の生産、その生産を可能にした米作・稲作の耕作を容易にした木曽川とその支流の、今は消えてしまい、痕跡だけとなった佐屋川の左岸の地と、木曽川本流と木曽川に挟まれた広大な三角洲の存在・・・生活のもととなる食糧生産地という、これもバックボーンとしてある尾張と美濃西部を基盤とした古代の王国の存在・・・魏志倭人伝の伝える倭国の超大国狗奴国の成立した・・・その米と生活を成り立たせる物の生産の地が存在する狗奴国がここに、ボクは、古代尾張族の王国があったと、考える。そう、「狗奴国・くなこく」・・・の、存在、これは極めて広大な地域を生した王国だったとボクは考える。
しかし、その痕跡は、次々と生まれかわる古代の権力者によって削り取られ、新たな宮域や城域が造られてきたと考える。

では、その尾張の古代国家の中心地はどこに存在したのだろう。
全く消え去ったかに見える濃尾平野の王国は、今日まで、古事記や日本書紀に”尾張氏”として、歴史書の中、その冒頭にも”尾張”として、突出して見出せる。
神武系の歴史は尾張氏を抹殺しつつも、完全には消し去ることが出来ないでこの地にあり、古事記や日本書紀の冒頭にその名「尾張」を書き留めている。
そしてこの古代の大国”狗奴国“、この王国の中心は、かつての名古屋城域・・・現在の愛知県庁や名古屋市庁、さらに中央官庁の出先機関が集中する、名古屋台地と総称される地に存在したに違いない。
すなわち、この名古屋台地は、古代も中世もそして近世も、権力者が注目し、尾張平野を、さらに美濃の平野部を見晴るかし、伊吹山の麓の“関”を監視することが可能な平野に突出した台地・高地であった。そしてそれは時代を経ても変わることなく、徳川家康によって再発見され、この濃尾平野以西の勢力を監視する大城が築城されたのであった。これが名古屋城・・・豊臣氏を制圧した徳川家康が成した名古屋城の築造によって古代遺跡は徹底的に破壊が為され過去の遺物・痕跡はかき消されてしまった。その遺跡の一部が、今日まで残る”熱田神宮”の地なのだろう。名古屋城跡はその北部、同じ名古屋台地の尾根筋に位置する。

すなわち、東は猿投山地と矢作川、北東には志段味山地群、北には蛇行する大河木曽川、遠く北西には、信仰の山地・白山が望見されるし、さらに西は琵琶湖という太湖を背にした伊吹山と養老山脈の東面の地、さらに日本海と伊勢湾を結び、白山という分水嶺から北と南へ流れる大河と加えて木曽川の存在をも視野に入れなければならない。そして、濃尾平野を見るにはこの南へ流れる大河の先、伊勢湾と三河湾そしてこれらの前方に開ける現代の太平洋へ向ける広い視野を持たなければこの濃尾平野の古代王国は解明できない。
・・・すなわち、現在の濃尾平野と、この地域の幾筋もの古代から現代への大河川の存在、これが舟運を促す流通経路の網目を生したと同時に、尾張以西の勢力圏への要害となる河川としてある、このような地理的あるいは地勢学的要衝に囲まれ、尾張氏の拠点となったのである。この広大な支配地を有した尾張氏という認識と巨視的視野を以てこの”狗奴国“の存在に対しなければ、この王国の解明にはほど遠い。
すなわち、飛鳥、難波、平城、平安などの有史後の視点でこの尾張国を解明しようとしても、その根本的尺度が短すぎ小さすぎるのである。
この濃尾平野とこれを取り巻く産地と海の存在、そして中央部に網羅する大河の存在、この神武以前の歴史に忘れ去られてある尾張大国・狗奴国の存在は、狭隘な関西の平野や盆地の王国の尺度や感覚では把握できないほど大きく広い地理的あるいは地勢学的見地から考えなければならない。
今日まで、なぜか歴史家は、この濃尾平野を中心とした、巨大な古代の超大国の存在を深く追求することなくきて、今日もこの伊吹山の東、養老山脈の東、その古代国家の勢力圏そのものの存在と“神の存在・・・熱田”の地を、ただ”点”としてしか認識してこなかったのである。さらに、尾張には昔から神宮(伊勢)に詣でるにはまず津島社ヘ詣でよという言い伝えがある。さらに対馬のはるか西方、養老山脈の南端の東には多度社が存在する。すなわちこの神のなす点と線の神の道の存在。この神の道の周辺には広大な平野が、そして河川が存在するのだ。
さらにそこここに古代からの神の存在がある。北には国府宮社、さらに北には眞隅田社、北部には奇祭を司る犬山の神々の社の存在と、今日にも通じる奇祭として知られる神々の歩いた道をたどることが出来る。この奇祭の社の存在、それは古代国家とその古代人らの祭祀観の存在をもが表されていることが分かる。
歴史家は始めに述べた古代の産業の中心地の存在を想像することもなかった。そう、今ここに述べた米作と製品の生産・・・さらに流通・・・今日につながる歴史のベース、生産の地であった名古屋東部丘陵地域のこと、これを見落とした歴史家たち。
それら、この尾張の地に関心を向けた者たちですら、名古屋台地を中心としながら消えた、あるいは消し去られてしまった王国の中心の地、名古屋台地を王城の地とこれを取り巻く広大な平野と重なる低山地とさらに幾筋もの河川の流入する海・・・これらを含む王国を、彼らは想像することがなかったことにも狗奴国の解明が為されてこなかった一因がある。
実は超大国と書いたが、この地、尾張はこの後の古代から続く歴史上では極めて狭い支配地、領土領域に過ぎない。それは中世の地図の表すところだ。しかしこの西美濃と木曽川を挟んで存在した尾張をあわせさらに伊勢の北部さえも抑え、伊勢の神々さえも領域に抱え込むことを可能にした。こうして見わたせば、伊吹山系と養老山系のなす峠、あるいは関、それらは西の諸国と濃尾平野を経て、三河さらに駿河の東海道あるいは、諏訪湖、租s子から流出する天竜川、その中山道に面する諏訪の神々を祀る諸国への交通を支配する地であることがわかる。これがこの濃尾の王国・狗奴国(クナコク)であったのだ。
これを戦国の乱世を平定し治めた徳川家康は、戦術家として直感的に理解し、濃尾平野を見下ろし見わたすことが可能な名古屋台地の北の端に西国に備える名古屋城を築城したのだ。この感覚は、この地に王国・狗奴国を生した古代大王もまたおなじ直感的だったのである。
・・・・・・まだ深い考察もなく、この濃尾の超大国・狗奴国のおぼろげな姿を描きました。しかしこの考えは、もう何十年と考え温め続けてきた、この濃尾平野の古代国家の存在についての考えです。
歴史家たちは、”遺跡”という、点々と見出される歴史の痕跡を、ただ”点“としか見てこなかった。本来、点として見出される痕跡をネットワークあるいは面の存在としてとらえ、さらに、それをつなげていくというような、パッチワーク的な見方が必要であると思っています。古代国家といえども、そのネットワークとパッチワークの”面を統治“していたのであろうと想像します。
これからもこの着想を育て考えていきたいと思っています。
|||||||||||||||||||||||||||

| HITBIT | 22:08 | - | trackbacks(0) |
トラックバック機能は終了しました。
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ LINKS
+ PROFILE
+ OTHERS
このページの先頭へ