建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-115 September 2019

HITBIT[心もよう]vol-115 September 2019
9月はじめの1日2日3日に、せっかく書いた記事がどこかへ行ってしまった・・・。
かつては、このようなことが度々あった、そう、設計のためにアップルのマッキントッシュ。Mac Osを使い始めた頃・・・描いた図がいずこともなく所在不明になることが何度もあった。それは、記憶媒体の容量不足やパソコンの速度不良、さらにボクの未熟なパソコン知識などが原因だったのだろうが、その時の落胆は、図面に込めたアイデアの喪失とともに、取り返しがつかない失策だったが、それでも気力を振り絞って、新たに、こまめに、保存を繰り返ししつつ描き切った、という苦い思い出が何度もある。

80年代のこと、WindowsのNECパソコンが日本のパソコン使用者の人気を得て席巻し、また、東芝のダイナブックがラップトップ型として、モバイルパソコンとして、米国市場で主導的な位置を確立したのだった。続けて日本の各電機メーカーがWindowsOsのパソコンを競い合って開発する、あるいはアップルのOSがオープンな時代にはSonyがそのOSのパソコンの一翼を担った時代があったが、ボクはもっぱらMacintoshを使い続けていた。建築設計にパソコンを使うということ、そのころ大学の建築学科ではまだパソコンで設計デザインするという、その技術的デザイン的教育はどこもなされていなかったと思う。その背景には、大学が機材をそろえ、一つの教室で、学生に授業とはいえ、教室として公開することは、大きな費用を要したということがあるのだろう。そんなパソコン普及の前夜ともいう時代が瞬く間に夜明けとなって、会社や個人へその所有と使用が普及、日本製Windows仕様のパソコンのメーカーが乱立して、活況を呈した。
それも淘汰が進んで数十年になるのに、ボクはアップルに固執して使い続けたが、設計の仕事が減少など、さまざまな事情から、新たに2年間の勉強の期間を持てて、その過程でのレポートなどの仕様がWindowsであることから、Windowsパソコンを、記述・文章専用として2006・7年から併用するようになった。
そして、その後、何度も書くようだが、研究書『額田王研究』という一書を約10年がかりで完成した。1000頁余、100万字ほどの、いうなれば、ボクにっとっては大著だが、これを、書きあげることが出来た。そう、個人が、印刷のもととなる原稿をしたため、本としての組み方・体裁など、すべてを、自分自身で思い通りに仕上げることが可能になったのだった。しかし、この研究書、万葉集歌額田王歌の未解読歌、その解読と万葉集歌新説の提示、さらに日本書紀中の一つの短歌の親に当たる長歌の存在の発見と解読をなしたこと、しかし、その内容が一般的ではなく、また難解だったこと、さらに大著であるがゆえに単価が高沸し経済的には流通にのせるには困難だったことは残念だ。

しかし、この社会において、本、著作・・・この本・書を作り上げる、すべての工程を、個人として成し遂げる”手段“を手に入れることが出来るようになったのは確かだった。さらにインターネットという、世界を網羅する自己主張・発信の手段を得て、自己の主張や著述などを広く発信することが、可能になったのだとも思う。
これは画期的なこと、そして、このパーソナルコンピュータはボクにとって”利器”となった・・・。
*しかし、社会一般において、この便利な道具は、そこの自己規制的制御が働かなくなると、利器が武器になりかねない。
・・・ボクはこの利器パソコンを利用して、ささやかだけど、BLOGという形で、この社会に生きるものとして、ささやかな思いや、こうあればと思うことなど、あるいは今日の社会批判的なことを書いてきた・・・そう、社会性に疎いボクが、ささやかに社会と関わってきたといえる。読む方によっては共感や反対意見、あるいは危うさを覚えられる時もあろうと思うが、自制を忘れず、これからも書いていきたいと思っている。
また人によっては気になることであろう、世界の政治に携わる人たちを“敬称や地位を附し、敬語として表現することを、極力避け、呼び捨てている”・・・が、これは、表現として自然なことと思っている。また、このような立場から、二ホンの政治家についても、同じ表現で書き表しているが、魂胆や他意はない・・・いかがだろうか。

*・・・世界でデモクラシーが脅かされる事態が次々と、起きている・・・近代・現代の国家は、民主主義・自由主義・法治主義でなければならないはずなのに・・・。国家の指導者としてあるべき人物や国民から選ばれた“代理者”がなすその政治手法に、往々にして、その政治家としての素質や姿勢に“私は代理者”との自覚の欠如(国民からの負託を得たという意識の欠如)が・・・これは変だぞと、国民レベルに感じさせる政治家も多い。
多いというよりも、ほとんどの政治家、政治主導者が、己の進む道そのものは国民主体の国造りのはずなのに、何を思い違いしているのか、国家の在り方、指導者としての在り方に、疑問を抱かざるを得ない者がほとんどだ。
そんな政界のすきを突くかのように、自薦他薦によって、いわゆる高級?官僚の政界進出が甚だしくなり、その政界へ手引きされたことによって、親分子分の人情的従属ということが一方に現れ、新鮮であるはずの新たなキャリア自体がお追従者に成り下がるという、新たな悪循環が芽生えて、政治の刷新へ行きつかず、途中で頓挫するという、泥沼的政治屋集団が新たに形成されるという現象が近年ことのほか甚だしくなった。
現在の二ホンにおいては、政治家・政治屋のおごりとしか思えない言動が多々見られ、国民の思いが届いていない方向へ進み、国民の批判もが、顧みられないで捨て置かれるという、ことも感じる。また国民自体が、政治を見つめる、見張(ウオッチング・Watching)るという根本的な自由人の位置づけさえも忘れさって、自分の一票を、ひとりの政治屋に張り付け、進呈してしまい、その票を成り行きに任せるという、無責任極まる位置に自らを置き去ってしまっている。
こういう批判的なことは、本来誰にでも与えられた、国家によって、また憲法によって保障された国民の権利であることを、忘れさったのか、知らないのか・・・そう、憲法を“その前文から数年に一度でいいから読む、確認する・・・”という、時間を持つべきだと思う。
現在の日本国憲法は、読みやすく理解しやすいと思うが、いかがであろう。
数年前『???スピリッツ』という、コミック誌が、憲法記念日に際して特集号を出版してくれ、その企画とともに、わかりやすさが、とてもよかったが、せっかくの一冊を誰かに遣ってしまって、今では惜しいことをしたと、5月3日の憲法記念日が近づく度に、数冊買っておくべきだったと後悔している。この企画『???スピリッツ』を出されている社へお願い・・・できれば毎年この憲法に関する“スピリッツ企画”・・・をやってほしい・・・と思っています。
ええ、ボクは、この現日本国憲法の改憲には反対です。国家、国民は守られるべきだと思う、それがただ、外国からの侵略から国民を守るという、とても分かりやすく、分かったと錯覚しやすい・・・という一点へ集中して、軍備拡張にばかりに走る政権に大きな危惧を抱くのです。
そう、今日のこの自然災害の襲い来る列島の二ホンを見るとき、これからもぼくたちがこの地・国土に、本当に住み続けているのだろうか、この国土、山川草木、故郷の豊かな緑・美しい河川。美しい山河・・・は、この令和の時代も存在し続けるようにはとても思えない、そんな不安がボクに襲い掛かる。そう、守るべき山河が自然災害によって消滅する危惧、これこそがボクたち国民が真っ先に考え、その手立てを、早急に考え、理解しあう・・・そのこと。その基盤に立って、軍備も考えること、平和を考えること、国家を考えることが必要であろう。(このことは、これまでも書いてきた)

軍備をいくら補充・充実したところで、それは底無し、際限のない、勝ち目のない消耗戦、実りあるものは何もない。守るべき・・・国土・山河・健康な国民の存在・・・これこそが前提にされ、国家の存続を論議すべきだ。
そう、崩れてしまう河川堤防を放置してきたがために、嘆き悲しみ、口惜しさにうつむいてしまい唇をかみしめ沈黙する国民を作り出してしまった、それ、国防力増強にばかりうつつを抜かす政治であってはならない。
「平和国家」とは何か・・・それは、健康な国民が日々穏やかにつつましく生きてある国のことを言うのであろう・・・。守るべき国民と山河を自然災害に失って、何を守るというのだろうか・・・国土・山河・・・それは、日本人がこの国の起源に神から与えられた、美しい海岸線に縁どられた緑なす山・清き流れの河川、豊な”米“を産する国のことだ。それは・・・瑞穂の国・・・これこそが、忘れてはならない、二ホン国民の精神と肉体の根底にあらねばならないと考える。そう、さらに言えば、国土の一部にでも”原水爆・核兵器による焦土“を出現させるような、国際関係・国家施策では”国を守る・守った”という事にはならない。
これを目指し、世界の国々と友好を重ねること・・・その結果を、どのように過程を踏み、この“二ホン”が歩んでいくのか、歩み続けるのか、それを考えること、それが政治の第一最大の目標だと考えたい。
・・・先に、・・・世界でデモクラシーが脅かされる事態が次々と、起きている・・・近代・現代の国家は、自由主義・民主主義・法治主義でなければならない・・・と、述べた。
世界にはいまだこの人間社会の三原則、言い替えれば”自由・平等・博愛“という、意識社会・実社会に至っていないで、経済力と軍事力さらにイデオロギーを背景にして世界の国々へ繰り出していく、強国がいくつもある。そして反面、その意識を得ることさえ出来ていない、人間としての未熟や無教養が貧困とともに存在している国々が大変多く存在する。
もしかすると、近代国家になった二ホンと、我々は思ってはいるが、わが“二ホン”もこの・・・「未だの途上国」・・・なのかもしれない。ことに、政治力においては・・・。
戦後の日本の政治、ことに昨今の政治は“お祭り・観光”ばかりに国民の耳目を向けさせ、世情は・・・浮付き・軽薄・拝金・利益・学歴・受験の結果によって評価される人・のし上がり蹴落とせ・利己・無学問で自ら問うて学ぶ事の欠如・本来の個としての教養の欠如・・・などなどと・・・人間の本質に目を向け、それを培う努力を促してこなかった二ホンの教育と教育者。

・・・・まあ、・・・こうして、ボクのような老いたものが、社会批判的なことを書くより、若い中学生や高校生大学生、社会人となったばかりの若い人たちが、自分が思うこと考えることを、インターネット上へ吐露する機会が多く成ればと思うばかりだ・・・。
近年はスマートホンという、パソコンよりも手軽で高性能、さらにそのネットワークの多彩性などは、僕のようなものが尻込みしてしまう、使用性、利便性がさまざまに付随し、より一層、ソーシャルネットワーク化が身近となっているにも関わらず、その機能役割が、娯楽性へと傾いて、社会性とでもいうのか、市民性という方向とはかけ離れた利用にしか目が向けられていないようにも思われる。
すなわち、利器としてのパソコンやスマートホンが、ただ身近で気楽な社会性にとどまり、この社会の一面にしか生かされていないようにも思える。それは彼のラジオ・TVが、たどった、堕落の道と同じ方向へと、転がり落ちていっているようにも思える。
・・・そう、二ホンの若者が、身近な生活的な事柄から、さらに社会性・世界での事件性や政治性などを帯びた情報の受信や発進へと、進むことが期待されるが、就職への懸念からか、もう一歩二歩踏み出せないでいるのではないかとの、感想を持つ。
もちろん職を得て社会人となったものも、ただ社会の力関係をおもんばかって、自らの保身へと走る方向がほとんどだ。
こうした、世情への無関心とも思える在り方、人間として社会にあり続ける意義のとらえ方、これは二ホンの日本人の持って生まれた、人としての生まれ方にあるのだろうと思う。すなわち、百姓、農民としての本来自由人であるはずの生き方が、古代から虐げられ、統制下におかれたことが、ずうっと後を引き、今日になっても、そこから、人間としての生き方をつかみ切れていない、人間としての生き方を見出していないということへとつながってきたように思える。
それが、例えば、今年のように甚大な各種の災害に見舞われても、声を荒げたり、哀しみ嘆くことをあらわにしたりすることなく、感情を押し殺して、その被害に恨み言を言うというような方向へ進まず“仕方がない”とうなだれる、”どうやってこれからを生きていってよいのか・・・”などと、静かに嘆くにとどめる。それをよいことに、政治は、聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりを装い、うわべだけのクヤミにとどめ、それ以上は踏み込まない。
そこには、二千年ほど古代社会の成立というのか、形を成し始めた”社会“というものが、一握の強権力に握られ牛耳られてきたことに発して、さらに土地に縛り付けられたことによっておのずと飼いならされ身についてしまい、心根となってしまったとも思われる。それは、牛馬同然の位置に置かれ続け”人−にんげん“としての心根が培われずに来てしまったことにある。
それは、現代においても、同様だ。縛り付けられる位置が、土地から、会社・勤め先…へと移ったに過ぎないことからも明らかだ。
国民の大半が、飼いならされることに慣れきってしまった、さらにそれを打ち破るような国外からの生存の脅威というものがなかったこと、あったとしてもそれが、長い迫害としての期間・年月・世紀ではなかったことが、二ホン国民として連帯することなく、“家族”という殻に閉じこもり、外へ目を向けることなく、何者かに抵抗することもなく、現代まで来てしまったこと、さらに“島国二ホン”であることに起因するのだろうと思われる。そう、日本人は”怨念“を持ち続けることを・・忘れてしまった・・そんな民族かもしれない。すなわち、歌うことを忘れたカナリヤ・・・さえずりを忘れたスズメと、なったのかも。
これが、現代には“ともだち”という極めてソフトであいまいでありながら、それが、携帯電話やスマホという利器によって拡大したかのような社会性を装いながらも、やはり“匿名”という殻に守られて、拡大しない“ほのかな温かみへの集団の依存”を若い人たちを主として存在させ続け、それが家族ととってかわったに過ぎない、脆いつながりとして、時には裏切られ、いじめられるというリスクを裏に秘めながら、今に存在し、拡大して居続けている。
そして、人としての存在の孤立、そして結果はいじめや自殺、それをいい加減な教育者ぶりを売りにする妙なヤツどもの”言“として、いかに”いかにももっともと“わかったようなふりによって、また、そ奴の社会的存在をも許す社会”、その周辺の物わかりの良さをも重ねてその存在を許すこととなっている、そのことに気づかない、極め付きの軽薄社会・・・存在の孤立と存在の希薄化・・・そんな社会そのものに蔓延する意識しない自己喪失が、今日の日本社会なのだろう。
そう、それは、成人式にさらに幼児でもないのにハロウィンの夜に狂う、あるいはクリスマスイブに、年替わりのカウントダウンに、渋谷のスクランブル交差点に参集するバカどもが、警官隊により規制されつつ”楽しむ”、“規制されることにある安心感”が自己そのもを忘れさせて楽しむという、愚かさ、その愚かな姿・・・そう、どこを探しても物事の本質・意義が見いだせないそのことのように思える。いつの間にか失っている、個としての人間性を、この者らは、自ら捨て去っているというのか、個という存在があることにすら気付いていない、これからも気づくことがない彼ら。

これは、為政者にとっては、きわめて好都合なこと、歓迎される存在、束ね操作すべき存在が、いわば家族にとって代わり、きわめて大きな単位として把握しやすくなったということ、さらにそれはきずながない分崩壊もしやすい集団なのだと、思う。
こうしてみると、今、二ホンの社会を変革することは、社会の側からというのか社会の中からは不可能なように思える。
しかし、世界に目を向ければ、ひとり二人の少女による人権問題や地球温暖化の問題に疑問を呈して立ち上りがあったことは、記憶に新しい新鮮な“社会の在り方への疑問“の提示の仕方であったと、思う。
そう、大人たちがなすすべもなく手をこまぬき、ことばも行動も発しなかったのを、見事に正面から問いただして見せたのだった、あのふたりの少女たち・・・。
しかし、今の二ホンの少年少女そして青年にはこんな”主張を成す姿“は期待できない。
これが為せないのは、そこにあるべきおとなたちが存在しないからだ。そう、この二人の少女を、幾分でも支えた大人たちの存在があったのだろうと僕は思っている。またそんな大人たちが存在することへの期待を持つ。それはたぶん、男たちではなく、おとなのご婦人たちなのだろう。
***
九月・・・パソコン・・・このインターネトのウェッヴページが、FlashPlayerに依存するところを持っていたがゆえに、その動画画面にブラインドが掛かり、きわめて見苦しいページの羅列になって、ボクを意気消沈させ、書く楽しみを奪われてしまった。
そしてここ十一月にきて(事実は、10月2日の投稿にしました)、体調も幾分よくなって“ブログを書くか”との気力も少しわいてきた。
建築の設計者として、デザインをする身にとっては、このボクのページも、表現者として幾分ともおろそかにできないのであるけれども、まあ、ページのデザイン屋さんが、今現在では、FlashPlayerを必要とするウェッヴページを維持できなくなってきているというのだから、非常に残念ながら、動画画面を諦めざるを得ない。
そんな事がここ数か月、ボクが自分のウェッヴページの維持に情熱をかけられなくなり、ブログも滞らせてしまったというような訳です。加えて残念ながら体調、ことに喘息と、身辺のこんな事情から、休刊となって、これを読み続けていただいてきた貴女・貴方には申し訳ないこととお詫び申し上げます。過去にも一年間休刊としたこともありましたが、今回も何とか”復活”をと自分を鼓舞しています。
再起、さらに続けられるかどうか、前途は不明ですが、今一度と、思って居るボクです。
ということで、この9月号、第115号は遅まきながら、掲載の月と日をさかのぼって、9月末として掲載いたします。10月号も、こんな具合になりそうですが、お許しいただいて、掲載を為させてください。
季節の変わり目、お体お心へ、インフルエンザが入り込まないようご注意ください。お元気で・・・再見!
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HITBIT 心もよう vol-114 August 2019

HITBIT[心もよう]vol-114 August 2019
先月7月中頃から、僕自身の体調が揺らいでいる・・・。その原因・状態の検査等で、掛かりつけ医の紹介状持って、検査を受診に出かけるとか、さらに急な別症状が発生するなど、ボクはガタガタの状態・・・仕事はないのに、いろいろと時間が必要になって、体は忙しく、精神的にも”くたびれ“て、自身のささやかなワークは延び延びになって、また、このBLOG原稿も手につかない。
先月分は、かろうじて投稿したが、8月に入っても日々の記事さえ書けないほど、落ち着かないし、体力がない・・・。
とにかく、この猛暑の中、下剤を服用してバスと地下鉄を乗り継いて検査受診へ出向くのは、心と体の負担だというより、何か粗そうでもしたら、その後の人生にかかわる・・・ということで1度目の検査には、最初は早朝にタクシーを予約・・・2度目、1週間後、8月に入ってからの検査は、検査前夜はクリニック近くのビジネスホテルに泊まって、”下剤服用”に備えた・・・そう、こういった入院施設のないクリニックでは患者がかわいそうだ。まして患者が一人もの、老人、健康状態が悪いものであるのだから・・・。
5・6年前、同じ症状が突発し、救急車では運びこまれた名古屋城外堀の名城病院では、入院だったから、すべておまかせ、病院のスケジュールで、そう、おまかせ状態だったから、独り者でも何ら支障なく進んだ・・・ただ金銭的なことだけだった。
・・・結果から言えば・・・二度目の検査、この8月6日だった、かのCT画像検査によれば何らかの兆候・発生は見当たらない“・・・という結果だ。ご担当のH先生には感謝とともに、ほっとした。そして少し元気が出た・・・。そう、ボクは臆病で身勝手・・・小心者の常・・・ええ、なんともさえないオトコです。
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===目次===
8/07  ・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/02  ・・・思い出話のいっとき・・・
8/09  ・・・京都へ・・・
8/10  ・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/16  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/17  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/18  ・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/27  ・・・独り男の束の間の心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/28  ・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・ 
8/29  ・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/30  ・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
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・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を考える季節の今・・・
8/07/Wed.(陰暦7月7日)
台風8号が運んでくる湿度の高い異常な猛暑は相変らずだが、昨日今日と夕空も日中の空も秋めいてきたように感じる(これは、ボクのいつもの早とちり・・・か)。
雨の季節が長引いて、7月の夏の日々があいまいになってしまったようだ。
そういえば、今年の夏は、入道雲を見かけなかった・・・とは、大げさなようだけど8月に入っては、雨雲・曇り雲・・・と、入道雲の気配はどこえやら、お天道さまは夏雲のことはすっかりお忘れのようだった・・・。
とにかく陰暦の夏は今日でお仕舞、明日は立秋だ。8月7日は、ほぼ一ヶ月遅れの陰暦では7月7日、本来の暦では、きょう今夜が七夕・・・今年は、日常的に使っている西洋暦。今日の万国共通暦(イスラム暦ではどうかしら?)では8月7日と、新旧暦の差はちょうどひと月の違い・・・。こういうのは結構珍しいと、過去数年の暦を取り出して、見比べている。
・・・牽牛と織女・・・この年に一度のカササギの仲立ちする“逢瀬の夜”・・・カササギが翼を並べ掛けて天の川にカササギの橋を架け渡すという・・・想像上の橋・・・そう「逢瀬に渡す鵲の橋」・・・この鵲・カササギは朝鮮半島では「カンチェギ」あるいは「カチ」というそうな・・・。台湾にもおり、日本の北九州にも生息が見られるとか。
まあ、ある程度この東シナ海の環状の国々は、何かと文化的なつながりが、あるようだ。
こうして七夕を祝うのも、暦を介して地理的な文化の確認となるのかしらと思う。ただ、台湾・中国・韓国では、この七夕行事の習慣はあるのかないのか知らないが・・・。
そんな東シナ海を介して環状につながりを成す国々の関係やそれぞれの国情が、内的外的な要因から、ゆれている・・・。
愛知トリエンナーレに出品された韓国からの「少女像」は、あの韓国にある二ホン大使館前の路上に設置され、問題になっているが、芸術的意味が本当にあるのかないのか、どんな評価から展示されたのか、詳しくは知らないが、この芸術祭で、新ためて突然に展示が為され、その撤去をもとめる名古屋市長と、表現の自由をいう愛知県知事との展示についての意見の違いがあらわになって、さらに、日韓の国情・国民の感情の行き違いが露になっているときでもあり、今後どのように結論が為されるのだろう。
ボクはこれ以降の展開は知らないけど・・・芸術性の有無は別として、こういう機会に、日本国内で、こうして展示公開され二ホン国民の一部ではあるけれども、そのつくられた意図と、背景にある日韓関係を、改めて衆目にさらし、その太平洋戦争時の両国の関係、戦争の原因や世界情勢について、中高生にも親子や級友で考える・・・という、きっかけになるのではと、思ってもみる。
とにかく詳しく知らないし、さらにこのトリエンナーレを見に出かけてもいないし、これからも行く気はないボクなのだけど、芸術祭という性格を重んじ、表現の自由とは、などと、自由と民主主義の論じられてきている日本の70余年ほど、過去と現在の違い、実情をも調べ“夏課題の一テーマ”として、中学生高校生の生徒たちが取り組むきっかけになるのも、関係者や学校の先生方の行動力指導力が働くか、あるいは働かずに、これを隠してしまう、撤去してしまう、あるいは無関心を装う、ほんとうに無関心・・・などと・・・というようなことにならなければよいがと・・・一瞬思ったのです・・・。
・・・愛知トリエンナーレと太平洋戦争を、そして核兵器廃絶署名をしない日本の世界における地理的あるいは地勢的価値・存在価値はなどと、このことと、平和国家二ホンを考える季節の今・・・この時ではと、思った。
[追記]8月14日のニュースで、韓国が、たぶん、かの大統領ブンのご発案なのだろうか・・・“慰安婦をたたえる日”をつくろうという意見だかの発議が出たそうな・・・。
しかし、これなんぞ、理解の難しい発想だと・・・一瞬思った。そう、たたえられる慰安婦・・・とは、多分、ほとんどの日本人には理解できない、きわめて朝鮮半島の特異な思考回路だと思う。そう、毎年、たとえば、その”慰安婦をたたえる日“なるものを、韓国人は本当にわれとわが身に置き換え、かつての慰安婦たちの心情を汲み、例えば、娼婦として、”苦界“に身を置かなければならなかった”そのわけ“を本当に理解できるのだろうか。それとも、そんなわけなんかに関係なく、ただ、現在の日本政府や国民への”嫌がらせ“なのだろうか・・・。韓国の歴代さらに現政府の反日感情から、収束・解決できたかに見えた慰安婦問題を、あるいは徴用工の問題を含め、韓国の政治屋の都合のために、二度三度と衆人の前に連れ出し、さらし・さらし者にし・・・何を意図しているのだろう。
慰安婦という特殊な職-慰安婦(本当は娼婦ではなかったのか、この表現???そして、そこに日本や他の国の女性はいなかったのか・・・ヤリテババアに連れまわされた女性たち)にあった、かの女たちを”たたえる”とはどういうことか、例えば、怨念の実像として仕立てることを理解し肯定し、ともにその心の痛みに朝鮮人すべては向き合うのだろうか。そうとは思えない。そう、今でも韓ドラにその身分制度を恥じることなく披瀝し、曝しものする・・・日本にもそれを一時の生業にしなければならなかった人たち、その苦界に娘の身を落とさせしめなければならなかった家族とその犠牲となったムスメは在ったが、それは時代的な社会構造として致し方なかったし(多分日本人のすべては、そのように思い、かつ、そうしてこの問題には、それとなく口にせずというのか区切り?をつけてきた・・・それは臭いものには蓋をするというようなことではなく、記憶にはしっかりと留め顧みつつ心に、その負い目を強要しつつ、互いに“惻隠の情に覆いつつ”、それでも忘れることなく、“人間としての罪と恥”をそれぞれの心に宿し共有し置いている・・・日本国民・・・)、そんな時代は戦後しばらくまで続いた、そして、その社会構造は全世界の各国に古代から現代にまで続けてあったし、現在も公に、あるいは密かに存在するという国もあるらしい。
韓国でも歴史において、それは同じだろう・・・その苦界に身を投げなければならなかった“婦人・女性たちの事情”とその家族の事情をくみ取り、ともに嘆き悲しむのか、それとも、その婦人たちを引き連れて戦場の縁に常にあった”ヤリテババア“の罪をいつまでもあげつらうのだろうか・・・。そして、それを”買った“日本の兵たちを非難し続け、さらに日本国を呪うのだろうか・・・それとも、この”慰安婦をたたえる日“を韓国国民の中にも多くの割合で、これに批判的な人たちがいるに違いなく、本人の中にある”あえて口にしないでほしい・・・態度に著さない・・・顔に表さない”などという、いわゆる“惻隠の情“なるものは韓国人にはないのかしら?・・・あるいは大統領ブンは、素地として持ち合わせていないのだろうか?あるいは、韓国にはかつての階級意識が露に存在しているのだろうか???
そう、あれだけ口汚く日本国と日本国民を罵った彼・大統領は、そんな精神は“これっぽっちも持ち合わせてはいない”らしい・・・恥。
さらに、むやみにさらし者にしないという、惻隠の情を重んじる、いわゆる日本国と日本国民、これを罵ったつい先ごろのこと・・・聞くに堪えない、政治屋でさえもが口にすべきではない言辞を、大統領が口にするその国の国民の朝鮮人の“心・こころ・ココロ”に危ういものを感じる・・・。・・・それは、例えば、口を極めて“詰(なじ)っておいて,甘えて見せる”三文小説風の下劣な恋愛関係風あるいは男と苦界の女の話にも劣る、・・・後味の悪い読後感のような・・・それだろうか。
このように、今思うことを書いたが、ボクは中世までの朝鮮半島の歴史に興味は尽きないし、さらに古代、日本における飛鳥時代における半島の三国時代などの倭国とのかかわり、唐国などとのかかわりに、仏教伝来を介して興味を惹かれもする。5世紀〜7世紀・・・互いに、それぞれが国内的に激動の時期だった・・・その時代には百済を介して、その親密さは頂点にあったと思う、短い間だったが・・・。
とにかく僅か数十キロの海峡を挟み目と鼻の先にあるこの二つの民族が、過去の遺恨・怨念のみで、不仲になることは不幸なことだと思う。二ホンもチョウセン(南北朝鮮を包括して思う)もそれぞれを礼を以て迎えあった、わずかだが、この2010年代からこの2019年への年月と、2019年のつい数か月前までの、それぞれの国民が互いに親しくあったこと、これからも誠実に約束に従って親しく付き合っていきたいものだと思う。そう、仲よくしようよ・・・ね。
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・・・思い出に浸るこのいっとき・・・
8/08/Wed.
昨日は幾分過ごしよかったのに、そう、夕方、宵の・宵の口・・・昨日に続き秋の気配のする夕焼けの名残空・・・頭上の刷毛で刷(は)いたかのような薄い雲は何となく秋めいて、吹く微風も秋の気配を運んでくる。
そう、セミの鳴き声はかまびすしく、セミたちはここぞと鳴きかわしているのに。
・・・秋の虫は、昨夜のウオーキングでも聞かなかったが・・・毎年、原っぱの枯れ色が始まったころにやってくるアキアカネもまだだ・・・。
ただただ、8号9号10号と・・・次々発生する台風が切れ目なく・・・その運んでくる蒸し暑さは、この弱ってきている体にこたえる・・・。
今日は床屋さんへ・・・そこのマスターは・・・近年クマゼミが多くなったような気がする・・・アブラゼミに変わってクマゼミの声が大きくなった・・・子供の頃はクマゼミは珍しく、捕まえると、自慢げに友達に見せたものです・・・と、思い出を語る・・・。ボクは37年ほどか、マスターは30年ほど前にそれぞれ、ここ平和公園の西の縁と東の縁へ越してきたころは,その満天の星空に驚いたものだけど、最近は空を見上げることも少なくなって、世間が夜も明るくなって、星の数はまばらになって・・・と互いに、語りながら、昔と今を比べる・・・そう30年を昔と思うこのスピードと時間の過ぎ去るのが早いこの頃を、互いに感じながらの会話だ。
・・・そう言えば、このひと月の夕日の沈む時間と位置がずいぶん変わって、夏の始めの頃より1時間ほども速くなり、ずいぶん南へと日没が移って・・・などと。
・・・飛躍して・・・霜柱も近年踏むことも見かけることもなくなって・・・などと。そう、ボクは、七草摘みの田の畔や畑は姿を消し・・・今はCOP10の名残り”里山の家“とよぶビジターハウス、この平和公園の保存緑地となって・・・早朝に、七草摘み、霜柱を踏んで、ポチやアーサーと散歩に出かけたことを、ボクは懐かしく思い出す。
・・・そう、思い出に浸るこのいっとき・・・。
話をする・・・ええ、こんなことはほとんどなくなって、話下手が一層甚だしくなったボクです。
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・・・京都へ・・・
8/09/Thu.
久しぶりに京都へ・・・お盆がもうすぐ、挨拶というのか、お参りにと、突然でかけた・・・。猛烈な湿度と暑さ・・・蒸し暑い。車のエアコンも効き目がない。
恒例の“大谷祖廟・東大谷”へ・・・幸いに駐車場は出入がうまく回転して、待つほどもなく駐車できた。
大谷廟のその緩やかな石畳の上り坂、厳しい照り返し・・・たちまちふきだす汗で着衣はすべて“心がこもらない、出来の悪い水分の多い蒸しタオル”のようになって・・・石畳の参道はセミの鳴き声が埋め尽くしていたが、この参道はどの季節でも癒される・・・・。
今日は、その参道の両脇に、提灯を連ねて吊ってあった・・・そう、お盆の”万灯会“の準備が整ったようだ。
御廟へお参りの後、これも恒例の八坂神社へお参り,その後、漢字博物館へ寄り、駐車場へ戻った。そう、予報では最高気温38℃とのことだったが、湿度の高い京都の気温は、ことのほか居心地が悪い・・・昨今は“不快指数”という言葉を天気予報では言わなくなったようだが、もし予報にすれば、残念ながら“不快指数100”といったところか。
この京都特有の暑さを知ってか・・・観光客は数年前の風景に戻ったように減少。観光の人たちは減って・・・ことに韓国からの観光客は激減か・・・まばらに聞こえてくるのは中国語ばかり。
駐車場へ戻ったその後、車で帰路へ、最後に”辰巳稲荷“へ回り、その脇へ車を止めてお参りをし、早々に京都市内から抜け出し、サービスエリアで水分補給しつつ、僕も車も無事に帰宅となった・・・。
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・・・ボクの記憶の八月の花・・・
8/10/Sat.(旧暦の7月10日)
秋の虫が鳴きだした・・・星ヶ丘の工科高校の外構(フェンスの外の植栽のベルト部)、その緩い土手の並木、シマトネリコの根方・・・草むらからイカツク力強い鳴き声???なんという虫かわからないが、なんとも“ガサツ“な鳴き声が・・・宵のウオーキングの行きかえりに聞こえてくる。
そう、クツワムシかしら???ええ、そのやさしさの微塵もない鳴き声だが・・・確かに”秋の虫”なのだろう・・・その、土手に沿って、ずうと鳴きかわしていた。
そういえば、もう二月ほどになるのだろうか、土手の並木・・・7〜8mごとに植えられた背の高いシマトネリコは、夜目にも白く、アジサイほどの花房・・・その花房をいっぱいつけ、咲き誇っている。この花は、においはなく、花房は、花ビラの集合体ではなく、たぶん花を内包したガクの房なのだろうか・・・つまんでみると、カサカサして、花のやさしさはなく、その花?の寿命は長くもう2月ほどにもなるだろうか、咲き誇っている。
そういえば、公園のところどころにサルスベリ(百日紅)が咲き始め、キョウチクトウ(夾竹桃)もまれに咲いている。
殊にキョウチクトウは、名古屋市の中心部、その復興の場面、ことに南北十字に都市計画された、日本にはまれな100m道路のセンターベルトの植え込みとして、長年、市民に戦後の復興の記念的な存在だったが、今は次第に100m道路の再開発とともに姿を消しつつある。
それに加えて、カンナの花を思い出す・・・思い出すというのは、最近はこのカンナの花は少なくなって、かつて、その灼熱の日差しに焼かれ、ちじれた姿を遺すそれは、焼夷弾に曝された戦争の記憶とともに、生きとし生けるもののすがたを、その焼けちぢれた姿で代弁していた花だ。そう、ヒマワリもまた・・・。もちろんこの花のすがたも戦争の写真から得てボクの”戦争記憶“となったのだが・・・。
名古屋人には、これらの花は、一種の戦争・敗戦の記憶として、ここにとどまるものだ。
様々な夏の花たち、それは焼け跡の痕跡もおぼろにしか知らないボクのかすかな戦争の記憶の八月の花、そう八月の花たち・・・ボクはこれらの花を見ると、いつも終戦の花・・・焼け野原となった街に、転々とチヂレた姿で咲くこれらの花を想像する・・・ただこれはボクのかすかな記憶ともいえないほど希薄な戦争の実体験ではない感傷・思いだが・・・そう、幼くして終戦を記憶もないまま戦中を通り抜けてきたボクです。
たしかに、そんな年齢ではないから、実際に焼け野原の街を目にしたわけではない・・・ただ焼夷弾なのだろうか、あるいは電線のショウトの火花なのか、空を飛ぶ黒い破片、火災により起きた上昇気流が巻き上げた金属片や木材片が空中でのたうち回っていたのだろうか・・・その異様さ・・・断片的記憶・・・そして、その後の名古屋市の復興の実際の様とか・・・その後の映像、白黒のフィルムから映しだされた映像が、僕の疑似体験として、重要な記憶となっている。
戦争の実体験は名古屋空襲の断片であるが戦後の社会や街のあるいは田舎の祖母の家とその濃尾平野の地の果てのような田舎・・・そのサラリーマン(田舎の人は”給料とり“といった、その質素な日常)・・・土地の農業者は安定な生活だったように思い出せる、それ、・・・その田園風景の体験はボクの記憶にいろいろな形で、張り付き、時々それが頭をもたげる・・・疎開者としての一家であったボクら家族。
・・・そう、八月は日本と日本人にとって、鎮魂と悔恨の時なのだと思う。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネ・・・
8/16/Fri.(旧暦の7月16日)
昨日は台風10号が行き過ぎ、日本海に出、さらに能登半島のはるか北の日本海上で温帯低気圧に勢力を落としたという。
それにしても15日から16日朝にかけて、猛烈な雨降り・・・。ベッド上で強い雨脚を聴いていると、寝付かれず、何度も起き上がって、電気もつけない暗闇の居間へと・・・。
それでもいつの間にか眠って、目が覚めれば、すでに朝8時、のどが痛くて、風邪薬を半袋分(パブロンの顆粒・・・その袋を半分に切り、いつでも使えるようにテープで封をしてある)飲んだのが効いたらしい・・・そう、ぐっすり。
夕方近くなってスーパーへ買い物に出た・・・帰り道、信号待ちをしていると、秋色をしていない”アキアカネ“が、数匹飛び交っているのを見ていた・・・。逆光のせいか、その姿は陰って、色が無く暗かった。
まあ、トンボもこうして過ぎ去った台風を知ってか、はやとちりの僕を元気づけるかのように、姿を見せてくれる。
今夜は、防犯パトロールへ・・・坂道がこの街の蒸し暑さを一層厳しくしているように感じられる。実は今夜は一瞬パトロールのことを失念し、いつもの集合場所を行き過ぎて、ボクのウオーキングコースへ踏み出して、500メートルほど行き過ぎ、ふと気づいて、もどった。そう、うっかり・・・もちろん集合時間の8時には悠々間にあった。
先月、ボクはお休みだったらしい・・・。というのは、直前に降った小雨が、今夜はお休みと・・・また、早とちりのボクを・・・騙したらしい・・・いやいや、これはボクが勝手に騙されたらしい。
・・・でも、このボクの休みが・・・ご参加の皆さんの心配を誘ったらしい・・・元気だろうか・・・と。
ええ、こうして参加を続けていることで、言葉にしなくても、少しずつだが参加する一人に僕も加えてもらっているらしい。・・・まあ、一昨年2017年の10月ころから参加・・・そうして今は頭数の一つに僕でさえ数えられる・・・。何の役にも立たないが、体調が許す限り、いましばらくは、できるだけ、参加しよう。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日・・・
8/17/Sat.(旧暦の7月17日)
台風が行き過ぎ、次の日の蒸し暑さも行きすぎ・・・今日は晴れ上がって、いつもの掃除も済ませた・・・。その後、歩道の落ち葉などを掃き掃除し、さらに車道の向こう側の縁の刈込の下、風に吹き飛ばされてきたらしい、三つ四つの紙カップやプラスチックボトルを拾いに向うへ渡って、ポリ袋へ入れていると・・・“・・・”アリガトウゴザイマース “と、おぼつかない言葉に・・・頭を上げると、ジョギング中らしい太っちょで背の高い外人が・・・僕も、思わず顔を上げ”こんにちわー“と・・・。
一瞬のことながら・・・知らないもの同士が“一つのある行為”を間に、一つの言葉で結び付けた。
・・・そう、実はボクは、老人(最近、この表現を、自分の代名詞のように、自然に使っている・・・かつては幾分恥ずかしくあったが、ここ一年ほどは・・・意図して使うようになった・・・そう、老いに体も心も“カラメトラワレタ”のだろう・・・ではあるが、バスや地下鉄で席が空いていれば座るが、僕より・・・老いた人・つらそうな人・・・が近くに来れば、必ず声をかけ席を譲るようにしている。これは若いころから心に決めて、実行している(席を譲る・・それは勇気のいる行為・一声なのだ)・・・ウオーキング中にも、時々つらそうに酸素ボンベを引いた老婦人と出会うが、大丈夫ですか・・・と・・・こんばんわー。また、小さな脇道と本道の激しい車の通交の脇にたたずむ車いす・・・車いすの中年の背広姿の男性・・・大丈夫ですか・・・と、また、ジョギングの女性たちにも”目礼”をする・・・返ってくることもあれば、ただ行き過ぎることもあるが・・・中にはいつごろからか、時の挨拶を一声二声と掛け合う婦人が五六人になった。中にはお勤め帰りの婦人や若い人とも自然と目礼をしている。女子高生たちもいる・・・。ただし、ボクは、すれ違いや追い越しには、歩道上の設定された自転車道に進路を取って植え込みを間にするようにしている・・・そう、できるだけ・・・いつ何時、悪意ある“わな”が、人の心の底意にわくかもしれないから・・・すれ違いには、気を遣う。
・・・ボクはずいぶん昔から懐中電灯(フラッシュライト)を点けて握っているが、ここ数年キャップライトや首掛けライト、腰ベルトライト、腹ベルトライトなどと、さまざまに明かりをつけたジョギングやウオーキングの人たちがだんだん増えてきた。中には幼児のようにライトのつくスニーカーを履いた若者も現れてきた。
それから、スニーカーの色も、かつて僕が・・・・青と黄色のコンビネーション・黄色・オレンジの蛍光色・オレンジ・赤・濃い赤色・・・と次々に、踵がすり減るたびに履き替えてきた、カラーのスニーカーも男性にも履かれるようになった。
そう、独身時代から続けている、何十年というウオーキング・・・いや、これは徘徊???かもしれないが・・・自分なりに楽しんで暗闇でも目立つようにしてきた効果が広がった様に思う。
目立つこと、それは、他者が僕という何十年も前は僕も若かったが、老いた今も、この老人を確認して避けてくれること、特に後ろを照らすこと、自転車乗りへの警告が最も目的だが、この効果はポケットパークのある鈍角を巻くようにした信号のある交差点で一度見落とされ、同じ青信号で同時に進みだし・・・といっても鈍角交差点だから歩行者信号のボクは同方向へ先行して進み、車はボクの後ろになって、歩行者に気付けばいったん停車しなければならない・・・で、女は止まらず,僕をハネタ・・・そう、女の運転する車に右後ろからはねられた・・・バンパーに突き上げられ、ボンネットにはね上げられ、頭はフロントガラスに激突…冠っていた、毛色の章ちゃん帽の毛糸の網目の重なりがクッションになって助かったが、車の左側へ宙に舞いながら、たたきつけられた・・・、これは、運転手が、携帯を見ながら運転していたのが原因らしい。このころも、ボクは”フリッカー“を手首につけ、足首には、反射ベルトを巻き付け、前後左右から見えるようにしていたが、その運転手は、前を見ておらず、鈍角の左回りに進んできて、青になって同時に進みだし、先行する位置にあったボクから目をそらしていたらしい。
整形外科へ半年ほど通う羽目になったが、大事に至らず、今もこうして徘徊ならぬ、ウオーキングを続けている。
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・・・逆光の中に見つけたアキアカネーその次の日の次の日・トキオ文化・・・
8/19/Mon.(旧暦の7月19日)
世の中はお盆休みが終わって走り出したのだろう・・・が、それにしても静かだ。
会社では今日は、長かった夏休みが明け、まず朝いちばんは会議なのだろう・・・そのうちに営業車が走り出し、日常が戻ってくるのだろう・・・ただ、今年の熱暑は居座って、相変わらず”油日照り“が続いている・・・しかし、世の中は様々だから、この夏休みらしい、休暇も休むことなく働き続けた人たちが大勢だろうか。
空は、白っぽく霞がかり、空気は湿度が高い・・・が、強い日差しがない分、昨日までの暑さが幾分和らいでいるようだ。

しかし、ボクの頭にも霞が掛かっているようだ。
・・・毎年思うことだけど、このお盆休暇・・・そう、6日の広島原爆忌、9日の長崎原爆忌、そして、15日の敗戦忌と・・・これと重なるようにある旧暦盂蘭盆会・・・、なんと太平洋戦争の敗戦を“敗戦の日”をここに決めた一部の官僚のすごさ・元公家らのしたたかさ・・・国民すべてが、戦争の無残さを認め、戦争を引き起こした事実に心を打ちひしがれ、戦争忌避を心から誓った・・・しかし、この個々の人の戦争忌避の思いは薄れていき、今は無関心、政府が押し進める軍備強化・軍拡・・・米国への隷属の深まり、独立国である日本の国民に、本当の独立を教えてこなかった政府の教育への姿勢に疑問を呈するでもない愚かさ・・・政治屋どもの目先しか見つめない“腐った目”と“追従に明け暮れ、”生活を議員報酬に依存する根性に恥もせずある“老化した心”の者ども・陣笠議員・頭数”・・・。こう書きながらもボクは米国が好きだ、ただ、現在のトランプには、平和への指向が希薄におもえ、嫌いだ・・・トランプはその先祖が、やはり移民であったことを忘れさっている・・・この横柄さ。
二ホン国は、世界へ原爆・核兵器の卑劣さと無残さとを身をもって知らしめたはずなのに・・・自らが、核兵器拡散条約に署名しない極め付きの愚かさ・・・恥を知らない二ホン総理大臣と取り巻きの政治屋ども・・・それを、許してしまう腐った国民の愚かさ・・・。

平和ボケ・今さえよければ国の未来なんぞどうでもいい・・・さも給料が増えたかのような錯覚と幻想に満足してしまう・・・この物価上昇を、スーパーマーケットへ買い物に行くたびに、不快になる値札の値、それに、同じ値ながら、数が減ったパック物の食品やモノ・・・軽く小さくなったパックを実感しながら、セルフレジとなった、無味乾燥な支払いの時間に一層むなしさを増幅させつつも、やり場のなさに、ついつい黙してしまう・・・この、国民・・・飼いならされた、愚かな国民性かしら・・・。
また、東京が首都圏が・・・お上りの田舎者で膨らみに膨らんで・・・“・・・”トキオ・トウキョウ・とうきょう・東京”と、その声の響きにあこがれてしまう田舎者のうごめく首都圏。超高層マンションの林立、海岸線・海面の近さに気づき恐怖を持つことを忘れている・・・それ。11・3・11のような大地震と大津波が押し寄せてくればひとたまりもないトキオの脆さ。
そして、そこでのサラリーマン生活に、居酒屋文化という超庶民文化・究極の田舎文化・・・ガード下に育った宿場文化の猥雑さの残照・・・の中に自らがあることに気づきもしないド田舎者、トキオ者たち。
それこそ、マスコミもマスコミ人らも、結局はド田舎者なることに気づくことなく、そう、TV画面に現れる、アンカーやコメンテータ・・・その人のはかない繋がりに縋りつくようにムラガリそして掴まり・・・自己を失っていき・・・埋没していることに気づくことなくある、それ。
そこへ彼ら自らが持ち込んだ、運び込んだ村八分根性が、そう、村八分になることを畏れる根性の堕落。
笑ってしまう、超高層マンションの値、とんでもない価格が平然とのし歩く、その感覚が虚しい・・・ビュウ・ヴィスタの良否によるという究極の愚かさ・・・富士山が見えるから、東京タワーが見えるから・・・そんなものは、田舎へ帰ればもっと素晴らしいビュウ・ヴィスタがワンサカと存在することに気づく心・肝もない・・・結局は、トキオ・東京は首都圏は・・・田舎者の渦巻く文化しか育たない・・・それ。それを東京文化という心の貧相さ・・・だが、その根底は、しぶとく図太く騒がしい・・・その湿り気の一片も持たない精神性の愚かさ・・・トキオ。
その根底にあるのか、押し寄せ定住したずうううーと過去の田舎者と、戦後の経済成長で押し寄せた田舎者・・・これらのが重層してなしたトキオ文化は、結局の節度を持たない田舎文化なのだと思う。
其の田舎者の醸し出す”カオス・混沌“が、さも都市だとするその浅い感覚・・これに対して「この部屋にはコオロギがいるのに/なぜコオロギの話をしないのか/この部屋の人たちはみな女の話しばかりする・・・」と、・・・村上昭夫が書き残したそれ、この人の存在を、この人の心の存在をボクは忘れまい・・・。
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・・・独り男の束の間の幸福な心地よい幸せを感じていた時間・・・
8/27/Tue.(旧暦の7月27日)
ぶり返した猛暑の二日間・・・そう24日と25日・・・日本は、いや名古屋はただ一都、突出して36℃を報じられる・・・。そう、名古屋・尾張地方は内陸性気候・・・京都や奈良のように・・・冬寒く夏暑い・・・。そう言えば、岐阜の美濃地方・・・多治見や土岐も同様だ。
何とも耐えがたい暑さ・・・お天道様、何とかしていただけないでしょうか・・・と、心に思ったものだ。
ところが、きょう26日・月曜日は一転して晴れ、空には霞が掛かったように、刷毛ではいたような薄雲が、その間に間に薄青色の空が広がってあった・・・。
あの絶食と、下剤食の日々にげっそりと体力気力を失った7月末から8月中頃までの日々。
幾月ぶりかの映画へ・・・「グリーンライフ」・・・二人の男・白人の雇われ運転手と黒人のピアニスト・・・その教養人を装った南部の金持ちたちに招かれて赴く黒人ピアニスト・・・その演奏会に連れて移り行く南部の風景と小さな町と・・・黒人蔑視の風土・・・そこ、アメリカ南部、まだ色濃く残る南部の精神・・・それを行く二人のロード・ムービー・・・なかなかいい映画だった・・・。そう、アメリカ南部に残る、いやアメリカ社会に残り続ける・・・白人優位主義・黒人蔑視・マイノリティ蔑視の社会/JFKが大統領だった、そしてジョンソンが繋いだベトナム戦争,ニクソンへと・・・このころのアメリカ・・・混沌・・・そんな世情の中、この白人と黒人が、いつの間にか旅の中で、互いに影響しあう、人として互いを見つめあう・・・二人だけの自動車で行くハイウエーや田舎町・・・そう、大きなアメリカ車の旅、その時代の代表的風景・・・そのたどっていく田舎町での黒人蔑視に、目覚め抵抗し黒人のピアニストに共感していく粗野な白人オトコ・・・その家庭にある、留守にした男の妻の心根・・・夫と子供への平凡な暖かな包容力・・・アーチストで名声もある金持ちでありながら独り者の黒人の哀しい諦念の心が、忍従諦念から目覚めていく、白人オトコも目覚めていく・・・その心模様を見事でありながら普段着の画面で描く・・・。
・・・ボクは映画館から帰りのバス停へ、そのバスを待つ間・・・その幸福感で、効き過ぎの冷房で冷え切ったボクの体を、暑さが和らいで空気が適度な湿度に包まれたバス停の10分間ほど・・・ボクは暖かくさわやかな空気に包まれて、体温が回復していく心地よさを全身で感じながら・・・バス停の鉄柵に腰を当てながら・・・目の前、南方向の逆T字路の坂道とその空に、心地よく目と心を泳がせていたのだった・・・それは独り男の束の間の幸福な短い時間だったが心地よい幸せを感じていた・・・ボクでした。
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・・・この様子では再開は難しいかもしれない・・・
8/28/Wed.(旧暦の7月28日)
このコンピュータの調子が悪い・・・というより、ホームページがうまく開かず、記事の訂正ができなかったり、投稿もできなかったりと、ボクは散々だ。ときどき、ホームページの改変をすすめる電話が入る。常に断ってはいるが、何かの侵入があったのかもしれない・・・なんて、懐疑的にもなる。
今日は一日中雨降りだ・・・そう、静かな雨降り。ただ、下の車道から、雨を跳ね返す、轍の音が上がってくる。急に秋になったかかの様な気温の下がり方。ありがたいが、まもなく寒さとの闘いの日々がやってくるかと思うと、このつかの間の涼しさがありがたくおもえる。
ボクは自分勝手で、わがままで、カタクナで、人付き合いはなく、寂しがり屋で、孤独だ、と思い込んでいる。亡くなった連れ・・・合いも同じような人だった。なかなか、日常は大変だったが、いろいろな思い出・・・いいことも悪いことも腹の立つことも、さまざまだけど、どの思い出も懐かしい・・・。
こうして、季節の移り変わりになると、ことに”思い出“がよみがえってくる・・・。秋とは、心の隙間・空・・・かしらとも思える。そう、心の隙間に、ふっと吹き込む風・・・か。文学の秋ともいう。今年は体調がすぐれず、計画だけで、止まっている”テーマ“があるが、この様子では再開は難しいかもしれない。
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・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・
8/29/Thu (旧暦の7月29日)
ツクツクホウシが鳴きかわす・・・昨日は雨模様だったが、そんな中でもカマビスシイ。
アブラゼミの鳴き声はほとんど聞こえなかった夏・・・すでに夜は秋の虫が草むらに鳴く。
7時に目覚めたとたん、今日の気温の上昇を肌で感じた。天気予報は34℃になるだろうと、名古屋を名指しする。やはり突出した高温らしい、この地方・・・。
お昼には室温は35℃、この様子では午後がもっと上昇するか。
内科医へ月に一回ごとの今月の受診に、大腸の検査のお礼と耳鼻咽喉科を受診しいたことを報告しておいた。
ぼろぼろの体、それに精神も草臥れ切っている・・・ホント。
草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・そう、旅人がクタビレきって、とうとう一里塚の木陰の草に倒れ伏し眠りについたか・・・これはまだ幸運なことかもしれない・・・一里塚と一里塚の間、その道端の草むらや土手や林へ転げ落ちれば、だれの目にもつかず、助かる命も助からないかも、・・・眠りならまだしも・・・そのまま息を引き取るということさえ現実に考えられる。
回復するといいのだが、それとも行き交う旅人が声をかけ、腰の竹筒から手のひらに受けた水を飲ませてくれるか・・・旅は道連れというけれど・・・世間はそんなに甘くはない・・・声を掛けるものもほとんどないだろうに・・・。行き倒れ・・・そんな光景が目に浮かぶ。行き倒れ(ゆきだおれ・行倒者)・・・
・・・唐突で親し気な道連れ・・・そんなのは信用できない・・・懐と着物の下、胴に巻きこんだ胴巻きを狙っての親し気な声掛けなのではないか・・・。ゴマの蠅も・・・うさん臭くうるさく付きまとう・・・悪意を持った駕籠かきや馬子・・・そやつ等・・・(そんな者ばかりではないのがほとんどだろうが・・・)。宿場に巣くうやくざ者、裏で手を組んだやくざと十手持ち、宿場代官や郡奉行・・・そこいらの人相の悪い奴ら・・・ここには、旅をするものが増えたことが大きな要因なのだろう・・・昔のTVの時代劇・・・カツシンの・・・あれっ、ドラマの名が浮かばない・・・うううっ・・・。
人生、いつ何時、こんなよそ事みたいなことが、それぞれの身に起きないとは言い切れない。
災害時の避難にもこんなことは起きうる・・・かもね。
・・・草臥・くたびれ・・・この漢字の表す意味の妙・・・この内容は、以前にも書いたような気がしているが・・・まあ、いいだろう、何度でも・・・。
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・・・つらかった7月末から、この8月の日々・・・
8/30/Fri (旧暦の8月30日)
ツクツクホウシが雨降りの中にも聞こえる。
昨夜からの雨降りが、緩急ないまぜになって吹きまくる。強い雨脚と強い風・・・。
幸い、まだ夏休みのうち、今日は登校とは関係なく、生徒たちも“家ごもり?”かしら・・・。
せっかくだから、しっかり宿題をやり終えてしまおう。
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今月8月はこれで・・・。体調の芳しくないことばかり・・・を告白・・・お許しください。でも、これが現実。
・・・とにかく独り暮らしは厳しい・・・ほんと、心の休まるときがない。
・・・でも。来月、9月も再見!
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HITBIT 心もよう vol-113 July 2019

HITBIT[心もよう]vol-113 July 2019
昨日は劇的とでも表したいニュースがあった。G20に出席したトランプが、韓国と北朝鮮との軍事境界線、その板門店へ立ち寄り、その休戦ラインを挟み、キムジョンウンと再会、さらにその軍事境界線を越えて北朝鮮側へ導かれ、1分少々の間そこで二人はポーズをとった、さらに二人は軍事境界線へもどり二人連れ立って韓国側へ越え、韓国の用意した、会談場所へはいり二人で1時間ほどの会談をしたという。
・・・そう、行きがけの駄賃ならぬ、帰りの手土産をトランプは得たのだ。もちろんキムジョンウンも世界のメディアに、その存在を改めてアピールし、今後の行動への期待を抱かせるのに成功したのだ。
・・・一方、日本首相アベは、この会議に先立って、イラン訪問をした。何を話し合ったのかは、わからないが、その滞在中だったか帰国の途だったかに、ホルムズ海峡で、日本への原油を積んだタンカーが、何者かの攻撃を受け、世界の多くはイランの犯行といい、あるいは展開中の米国の仕業という・・・。
もう一つ、米軍の無人偵察機がイラン軍に撃墜され、それが公海上かイラン領内かと、これもどちらが確かなのか・・・。
とにかく、日本首相のイラン訪問に際して,これ見よがしの、いさかい?が、引き起こされ、平和の使者?としての体面をあざ笑うかのような、米国とイランの対応だ。
・・・いうなれば、大阪でのG20とは何だったのか。
日本首相アベが議長を務め、世界の首脳へ、日本的な、そつのない”おもてなし”をしたのであろうが、会議の結果は、いわば”シャンシャン“で終わり、今日以降の世界へ数日前の世界経済の状況と何ら変わらない、方向しか示し得なかった。日本首相もせっかく米中ロの現最高権力者と個別に会談を持ちながら、何が残せたのだろうか。国民にはさっぱりわからない20か国会議だった。
すなわち、そつのないおもてなし・・・は、脆くも実(じつ)を成さず、足の裏に画びょうが刺さったかのような、落ち着かない雰囲気の中での会合だった。
・・・このことよりも、この会議G20大阪を狙ったかのような、米国の日本政府と日本国民へのメッセージともいえる“日米安保条約は不公平・不平等?条約”だとの背後にある世論、米国民の声を伴った、日本への不満が、この時期に突然出された。
そしてまた、帰りがけの駄賃に日本から引っ剥がしたかのような、北朝鮮キムとのトランプの再会ドラマ・・・、こうしてみると、日本の首相は、議長国でありながら、それらしい活躍はなく、あの真紅のスーツをまとったイギリスのメイ首相の寂しげな雰囲気、その存在感が控えめであった退陣が決まった英国首相の姿とともに、ここにあって、存在を示せなかった日本のアベの近い将来の姿を暗示するようなそんな印象を日本国民へ与えた。そのメイに対して、アベは怠りなく労わりを態度で示した、それが、最も印象的だった。あえて真紅のスーツを召したメイさん、そしてやや控えめな位置に立ち、あるいは椅子に座った姿は、静かで、権力を失う意味がメイ氏のすべてだった・・・その退陣の重みに耐えているかのようだった。
また、ドイツのメルケル首相の覇気が無くなり静かな姿も印象的だった・・・。
そう、去りゆく者のすがたは寂しく、その何げなさが、心を打つ・・・ご苦労様でした・・・これまでのこの力強く的確な思考のお二方・・・。 
それにしても、アメリカのトランプのなすこと、それは”やすり・鑢”のように、押し引く、その両方の行き来に滞りなく仕事をする・・・それを言うのだが、その“やすり”のように、トランプは、寸暇を惜しみ、優秀な?いや、凄腕ビジネスマンらしく、その仕事ぶりを世界の首脳に示した。・・・これは中ロのシュウとプーチンへも衝撃的であったろう。
一番悔しい思いをしたのは、やはり、日本のアベだったのだろうか。トランプの行動は、G20の会議なんぞ眼中になく、帰り道に寄る板門店へ心はあったのだろう。
個別に貿易交渉を主張するトランプにとって、G7であろうとG20であろうと、その会議の議決に従う気持ちはさらさらないに違いない。
・・・板門店でのトランプとキムの再会演出を、知っていたのか聞いていたのか突然のことだったのか・・・とにかくアベは、”それはないよ、トランプ”と、心の中につぶやいたのだろうか。
そう、ボクは、かねてから、アベが早く直接キムを訪問すべきだといってきた、すなわち自国の抱える問題の解決をトランプに託しキムに伝えてほしいと懇願する・・・それは、従属的国辱的な光景だ。それを、ここでトランプは、これ見よがしに、日本へ侮蔑を込めて、見せ、さらに世界へ示したのだ・・・。それは、心の中の憤懣やるかたなさ・・・その、怒りを、これ見よがしなキムとの再会で世界へ示した。
・・・何の遺恨があるのか、たぶん貿易不均衡と、日米安保条約の負担割合、さらに、この条約を破棄し、日本に自国の防衛を促したいのだろう。すなわち世界の中での軍事的役割に日本を引き込み、その金銭的負担と軍事的行動と人的負担すなわち戦死者・・・それを日本に求めた意図の行動だった。
・・・すなわち、アベの弱腰、甘え、おべっか、方向性を持たない、行き当たりばったりな電話コミニュケション、未来への自国のあるべき姿へのビジョンの無さ・・・などなど、と、かつての真珠湾攻撃にまでトランプは遡って、日本の不実をなじったのだ。
そのアベの思い付き外交、突然、G20の大阪での開催に先立って新たなそう、新品、新車、新機・・・とでもいう政府専用機に乗って欧州各国への訪問外交・・・新婚旅行?かと思うような・・・これなんぞ、茶番劇。それらに各国は迷惑なことだったろう・・・。(この政府専用機・・・車で言えば新車・・・TVF画面への写りこみを懸念してあのように、全体像があまり画面へ出てこない?・・・マスコミに要望でも出したかのような印象・・・印象を与えているということ・・・これ、国民のひがみ目かしら・・・)
そう、G20 への地ならしかしら、でもその一画、英国は混迷を深め、女首相メイはEUからの離脱を国民選挙で決めたはいいが、そのEUとの離脱条件と今後の付き合い方の交渉は、混迷を深め、その合意を得られないまま此処まで来てしまった。
また独国の女首相メルケルの任期終了の退陣も決まっているし、フランスはまた国内的な課題を抱え人気の下落したマカロンならぬマクロンは行き先に不安を抱え持っている。イタリアは経済的な不安と中国の言う一帯一路へ加わるとかで、EU間の不信をかっている。
そう、日本の周りは、ボクの好きな古代中国とは似ても似つかぬ近代現代の中華人民共和国その共産党を率い独裁者となったシュウの共産主義国(これははっきり言えば、共産党統治国家・・・党利党略政治の範たるもの・・・)やら、訳の分からない韓国ブンだかムンだかの怨念丸出しの眼差しと言葉の日本への対応は不快極まるし、ロシアの崩れ共産主義者・帝国ロシアへ憧れ俳優・・・が、赤絨毯を歩む独裁者プーチンとその子分メドベーエフたちのコロコロ替わる日本への対応の汚さ。そして、自分勝手・自分至上主義のトランプ、とその面々は、計り知れない計算力と洞察力で、日本の存在を“好餌である”と舌なめずりしつつ、この二ホンの国民と国土を、参加するG20への参加に先だって地球儀を回しつつ、計算したに違いない。
その彼らに、トランプに組しつつ尻馬に乗って日本国民を窮地に追い込むことになりそうな、お追従外交・・・そう、もう日本の立場は小手先だけでは、口先だけでは、どうにもならなくなってきた・・・ここで腹をくくってビジョンを示せ・・・といっても無理だろうが・・・トランプのアメリカを見据えた、愚かな憲法改正はするな、日本独立、本当の独立、世界に互する独立を・・・そう、それは『永世中立国』しかない・・・それを目指した憲法改正ならボクは大賛成だ。この永世中立国はお追従国とは違った苦しみがあろう、しかし、本当の独立国となること・・・国民の悲願でもある・・・それによって国家の立場が危うくなっても、よしんば、八つ裂きにされようと、本当の独立国家としての日本でありたい。
・・・そう、このトランプとキムとの板門店での再会劇によって、日本首相といっているアベの北朝鮮訪問は”二番煎じの出しガラ外交”となることになってしまった・・・というのか、なってしまうのだろう、残念ながら。
アベよ、もうこのトランプの手は使えない、さあ、どうする。
あえて恥を承知で“やってみるか”・・・そんな勇気はなかろう。そしてよしんばやってみたとて、これも何かわけのわからない“しっぺがえし”をかまされる。
・・・日本は、根本的に国家ビジョンを欠いている・・・それは、岸信介外交以来の米国追従姿勢が、今日まで連綿と続いていることを意味する。
しかも、このアベ外交?・・・すでに、お追従外交で世界に知れワタッテいる・・・。あの米国の先の大統領選挙に、結果が分かってから、勝ち馬・トランプの尻に乗ったアベ・・・これは笑い者、喜劇にもならない、恥だった。・・・それを即刻承知の介・・・トランプは、だまされた振りをして、トランプタワーへアベを迎え入れ、マイアミだったか、あの別荘へ招待し、親密さを示し、世界へアピールした・・・。ここで、世界はあっと驚き、失笑と苦笑と蔑笑(こんな熟語はないのか・・僕の造語)・・・。そして、のこのこ主要国へ”ご挨拶に”・・・そう、相手方は、どんな気持ちで迎え、親密度を装ったのだろうか・・・。そう、蔑視の視線を隠すのに苦労した、訪問先の首脳ら・・・。
そう、国民は疲れる。日本首相のろくでもない訪問に付き合う・・・このこと。
しかし、外務省の官僚は総理大臣に外交の助言を的確に補佐・助言をしているのだろうか・・・いや、助言なんぞしても、アベが聞く耳を持たないのかも・・・いずれにしても、無能な官僚と、もしかして、同様の総理かもしれない・・・そう、この国の進む、羅針盤が狂っているのかも・・・いや、壊れているのかも・・・では壊しているのは果たして誰なのか?・・・それは、何も考えないでいる”日本国民“自身かもね。
G20の真っ最中、さらにホルムズ海峡へタンカーを守るために、有志連合の軍隊・艦船を送って、守らせようと、アメリカ・トランプは呼びかけている。
もし日本が、この有志連合とやらへ加わったなら、イランとの、またイラクをも含めた、このガルフ諸国との関係はどのようになるのか・・・日本・アベは、どのように考えているのだろう・・・憲法改悪をもくろむその心の中では、これまた、何を企んでいるのか・・・その腹の中をのぞき観たいものだ。
そう、これ、アメリカのトランプのいう”有志連合“・・・これは”股裂きの刑”・・・そのものだ。だかららこそ、不参加の意思をハッキリと示さなければならない。
この窮地、これは幸いなことだ・・・ここで日本が決意を示す。
・・・不可能と思われようが、本当に笑われようが、この緑の国土と温和な国民の存在を忘れたかのような、現自民党の政治思考と伍する公明党は危険だ・・・彼ら、その指向はさみしく、先が見えない。
・・・そして、この焦りと恥を・・・アベは、野党に向け敵対的に絶叫し詰(なじ)る・・・。その姿は、あさましくもあり寂しくもある。
・・・さて、ボクは・・・今は参院選の戦いの最中だけど、投票に行こうかどうするか・・・すべてが,中途半端・・・期待が持てない面々・・・どうしよう・・・。
それに、日銀のクロダ・・・これは、お追従者・・・”景気は緩やかに回復しつつある・・・(長年の枕詞の張本人)“・・・この曖昧極まる表現・この汚さ・・・この何年も続く表現を、国民はだれも信用していない・・・許してなんかいない。
官僚をがんじがらめにし、さらに日銀を手玉に取るアベ。
・・・アベと結託し、忖度し・・・日銀の独立性を・・・捨て去ったクロダ・・・この表現のばかばかしさ・・・これこそ、二ホンの政治の薄汚さだ・・・。
アベは、プーチンやトランプの独裁者思考へ・・・そう、そのマネを、気づかず、試行しているのかもしれない・・・いや、現実化しているのかも・・・愚かで危険な方向性。
・・・これは7月1日に書き2日、さらに16日と30日に加筆・修正しました。
・・・お元気で・・・日本国民よ・・・再見!!! 
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===目次===
7/01  ・・・五月雨しきり・・・
7/02  ・・・半夏生・雨間の外出・・・
7/03  ・・・「もうやい」・・・
7/04  ・・・公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・
7/08  ・・・夏草茂る・・・
7/09  ・・・気になる雨間・・・
7/11  ・・・心ときめく懐かしい思い出だ・・・
7/16  ・・・ここへきて、感じる・・・孤独感・・・
7/17  ・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
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・・・五月雨しきり・・・
7/01/Mon.
今年も半年過ぎてしまった。今日はその後、下半期の始め。
五月雨しきり、九州鹿児島では猛烈な雨量。そして、河川の氾濫と山肌が崩壊し麓の民家や国道を押しつぶす。
かつて、こうした、猛烈な雨の降り方を、集中豪雨といった。“集中豪雨”あるいは“局地的豪雨”という現象は現在もあるのだろうけど、あらたに“線状(帯状)降雨帯”というらしい。
猛烈な降雨を生す雲が同じ地域に接した海上に発生しつつ、ほぼ東へ向かって、そう地球の自転に引きずられるようにして、次々と東へと移動しつつ、続けて、次々と強烈な雨雲を発生し、その猛烈な雨降りをもたらす雲の発生を供給し続けるらしい。それはあたかも荒波の波頭のように線状に連なって強烈な降雨を次々と残していくらしい。
暖かい海に囲まれた細長い国土の宿命ともいえよう、雨の国・・・これは、熱帯と温帯、峻険な山脈状の裾に密集する人口・・・その狭い平地の上は急な山肌、そして一方は川か海・・・我々は逃げ場がない。・・・そう、例えば、100/hの降雨・・・いうなれば、その線状体の 下の地域全体に溜まる水は「100弌Α10僉廚砲發覆襪箸いΔ海函△修譴平坦地でいえば10僂凌爾気箸覆襦斜面ではそのV字状の底・谷へ向かって一気に流れ落ちる・・・激流・・・こうして、僕の弱い頭で考えても、瞬く間にボクの立っているV字の底は、膝、腰、胸・・・首を超え体は浮きその成す激流に、一季に飲み込まれ・・・溺れ流される。
・・・かつては、現在の気候よりも、幾分穏やかだった・・・そう荒れるときはもちろん台風や豪雨灯現象に怯え、それが為す災害に怯え心を痛めた。・・・それが現在は、季節構わず絶えず生活に襲い掛かってくる・・・集中豪雨。
・・・先日、公園のアジサイ花壇の毒々しい新型アジサイの観たくもない風景からやや離れた木陰に、球型に満開となった薄紫のアジサイを一本・一輪見つけた・・・立ち止まって見つめた。なぜか、なつかしさと愛しさが一気にやってきて、ウオーキングの足を止めた。僕が去って同じように数人が次々と、その一輪の薄紫のアジサイに足を止め、見入っていた・・・。誰もがこの薄紫のアジサイが懐かしいのだ。
・・・公園の花壇は、いつごろからか、毒々しい色合いのアジサイらしからぬアジサイに変わってしまって・・・心を癒してくれるどころか、この僕を疲れさせる。この感覚はだれもが感じることだろうに・・・。
それに今年のように遅れてやってきた五月雨だが、それでも地域ごとに、穏やかにしとしとと降る雨模様の日もある。その雨降り風景に似合うアジサイはガクアジサイとこのシーボルトが言ったオタクサ(お滝さん)・アジサイの丸い薄紫が似合う。そう、シーボルトは、日本女性の愛人だか日本妻に、日本女性のすがたや心根に触れ、この地でアジサイに出会った・・・諜報機関員・医師でもありプラントハンターでもあった彼は、その見出した・出会ったアジサイを採取し本国オランダ(本当はドイツ人、医師・植物学者として、彼はオランダの商館員として日本へやってきた)へ持ち帰り・・・そして、帰国に際し残してきた日本女性・お滝・・・その名、呼び名・おたきさん・・・オタクサン・・・としか発音できなかったが、その愛する日本女性の名を本国オランダで花の名とした。・・・そう、オタクサ、なんとこの日本のアジサイにまつわるしっとりとした良き話だろう。・・・残された、お滝の悲しみは別として・・・。
・・・さあ、公園を管理する市の方々、植木屋さんと協議して、現在の異常な風景の新種アジサイ?をやめませんか。新種の不気味な偽アジサイの寄せ植えなんぞ、日本の庭園・公園の風景にはなじまない、ましてやこの五月雨の時期に雨が降らなくなった昨今、偽アジサイは不気味な存在でしかない、また花の終わった後の枯れ姿は、さらに無残で見苦しくもある・・・点々と木陰にしっとりと咲く日本古来のアジサイをところどころ木陰に植えこんで、ひそやかにささやかに咲かせましょう・・・そう、寄せ植え花壇のアジサイは廃止し、他の背の低い菊や洋花にでも、来シーズンから変えてはどうですか・・・。
街路樹の枝打ちや、桜の古木の維持・枝打ち・・・それらに見られる、名古屋市の公園や緑地課はセンスも技術もない・・・そう、ナンセンスな名古屋市ですから、こうして期待を書いても、裏切られることではあるでしょうが・・・でも、せっかく予算を使うのですから、少し研鑽を積んで、すなわち、職業上のセンスを磨き勉強し、美しい街づくりに邁進してください。いつまでもド素人のままでは、給料泥棒と同じになってしまいます・・・お願いします。
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・・・半夏生・雨間の外出・・・・・・
7/02/Tue.
気温が少し上がって、弱い日差しもある名古屋、中心部へ所用があって出かけた。
案内状をいただいて、個展を見に出かけたのだ・・・。
地下街は冷房が効いていて、快適だが、路上を行く人達は半そで姿、勤め人らしい半袖姿の人たちは首回りを小さなタオルで汗をぬぐいつつ行く・・・。ボクはなぜか汗が出ない・・・そう、行先でその話をすると・・・水分をしっかりとりなさいと、たしなめられ、それでそこを出てから、あわてて水分補給・・・ええ、のどがカラカラ、唇はパリパリ・・・でした。
名古屋は五月雨が一休みというのか、降る雨も大雨ではなくなって細々と降る・・・昔のしとしと雨、梅雨の雨らしい雰囲気が時々見られ、それ以外は曇りがちの日々。夕方や夜のそんな雨降りは、アスファルトの車道を光らせLEDの街路灯の鈍色の光を反射してシットリ。
先日書いた、アジサイは家の付近ではまれになって、木陰の一輪に季節を見る。かつては、この季節にはガクアジサイも幾株も見られた。
そうそう、今日は半夏生(はんげしょう)・・・ラジオは福井の半夏生・・・その、サバの丸焼きの話を伝えている・・・脂ののったサバの丸焼き・・・昔、数十年前、道の駅のようなところで、連れ合いと一匹を持て余し気味に食べたことを思い出した。確かに、太く太って、おいしく、焼き立てはおいしかった・・・そのこと。
本格的な夏に供えて、体力をつける・・・そんな、サバの丸焼きを、領主の殿様は、領民に薦めたとか・・・優しいお殿様、行き届いたおとのさま。その名残が、今に残る焼きサバなのでしょうか・・・?
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・・・「もうやい」・・・
7/03/Wed.
朝方、陽がニカニカとさした・・・この”ニカニカ“は、いっとき、弱弱しい日差しが雲間から射す状態を、この辺り(西日本?尾張・美濃?さらに西へ)の人たちは言った・・・今はこれを言葉として聞くことはなくなったが、面白い表現だと思う。もちろん全国的に通用する表現ではなさそうだけど・・・面白いと思う。
この”ニカニカ“に誘われて、洗濯をし、ベランダに干したのだが・・・陽射しは無残に消え、曇り空が広がってしまった。それでも、そよ風が吹いてくれるせいか、だいぶ乾いてきた・・・何とかもう一度”ニカニカ日差し“が、射してほしい。
日射し・日差し・陽ざし・ひざし・・・と変換候補は見えている。
・・・この方言というのか、ボクが書いた書の中で、一山、一筋の川や谷を越えればそれぞれの集落中で使われる言葉、狭い地域で使われるそれらの言葉を「地語・じご」とボクは表現したのだ。そう、造語なのだろうと、造語と言い切った。
この美濃と尾張地方には、古い言葉が残っていた、と僕は感じている。加えて、京の公家の荘園だったこの地には、京言葉が混じって、さらに、生活の風習にも影響を遺している。
・・・かつて、それを知った、あるいは思ったのは、その小さな村や町で・・・共有することを「もうやい」という・・・これ、あえて見れば“もやい綱”そう、漁港で見かける風景、漁船をふ頭に直角に置きならべ、つなぎとめると同時に、左右の舟同士を綱でつなぎとめる・・・その風景を「もやう」といい、その綱を「もやい綱」「船を並べてそれぞれをつなぎとめる綱」、そのこと「もやい・もやう」・・・これを「共有」という基準語に対して・・・この土地では「もうやい」・・・もやい・・・と、共同体での物のやり取りや共有するそのことを「もうやい」と、いったのだ・・・と、ある時、そう、本を書いているとき、ふと”ひらめき思った“のだ。
おふくろが若かったころ、祖母との話や周囲とのかかわりを言うときにも出ていたことば。子供同士が「もうやいっこ」しようと、遊びのものを指し、いうこと、今思い出しても、やわらかく、雅な響きだとボクには思える。
「もうやい」・・・もやい・・・ボクの著、その『額田王研究』の中での「紀‐123歌」(この歌に見過ごされていた長歌の解釈・読みが出来ることを見出した、長歌と短歌の二重詠歌)の解読の中で気付いた・・・もう10年ほど前。
・・・共同体・結(ゆい)・結びつく、結び合う、助け合う、共同で使うものや共同でする労働や祭りや葬儀、水路や道の補修などの用意やそれ自体の前後のこと、日常の中ではぐくんだ結びつきや、貸し借り、助け合うことなどなど・・・この「もうやい」は、奥深い意味をたくさん持つ、そう、“共同体”そのものを表す言葉だ、とボクは思っている。
最近頂いて読んでいる本の中に愛知県尾張部の西の端に、僕も知っている「起・おこし」とよぶ土地がある、木曽川の下流に近いというのか中流域が開けて、川幅が広くなっていく辺りの木曽川左岸に寄りついてある古くからの、宿場地なのだそうであるが、尾張藩では、そこに橋を掛けなかった(防備のため)・・・この木曽川の対岸は、現在は岐阜県羽島市あたりになるのだろう。もう少しその木曽川右岸をさかのぼれば笠松、岐阜とつながる・・・そこはかつて竹鼻・たけはな、そうあの有名な秀吉のなした一夜城の墨俣・すのまた・・・という・・・その歴史上の地。
そう、防備のためなのだろうが、平常は渡し舟、すなわち、起・おこしの渡し?(木曽川下流域には多くの”渡し“があったが、現在はほぼ残っていない)・・・であったが、将軍が京へ上洛するときや朝鮮通信使が江戸へ上るときには、この渡しに替え、特別に”舟橋”を掛けたという。この、舟橋・・・流れの幅いっぱいに、船を並べ、左右つなぎ止め、それに板を並べ掛け、臨時の橋、道を作ったというその“もやい綱”の「もやい」。
・・・この川幅が広く流れも速いここでは、この、舟橋のための“もやい船”をつなぎとめるには、大変な人出と費用が必要だったろうと、想像する。
・・・そう、この土地ではこんな言葉が、共同体・邑にあった言葉、土地によっては結・ゆい・・・というそれと同じ意味表現なのだろうか。
この“起・おこし”・・・もしかすると、これは東国への街道・東海道の始めの地・海道の起点・・東へ進めば名古屋の城下へ入っていく“街道の起点”という意味ではなかっただろうか・・・これはボクの勝手な想像ですが・・・。
・・・僕が、もらっていただけないかと、差し上げた本『額田王研究』の礼にと頂いた本は『豊臣・徳川時代と朝鮮』著者は貫井正之さん、そう、退官された研究者ご本人からいただきました。大部なご立派な研究書です。退官され今は悠々自適とか。
その本の中、第二部の中で、この「起」など、尾張西部、美濃南部にも触れ述べておられ、その地名が懐かしく、現地に見覚えもあって、面白く読ませていただいているところです。
・・・皆さんも、土地の古老や、お宅のおじいちゃんおばあちゃんの言葉をよく聞いて、心にとめてみてはどうでしょう、もちろん現代は、国中ごちゃまぜ、五目御飯の状態、どこの言葉かを、ついでに教えていただいて・・・面白い話もあることでしょう。
そう、一言で、方言といいますが、ボクは方言なんぞという表現、これは言葉をひとくくりにして、捨てるようなものとおもっています。
・・・すなわち、大切な文化なのかもしれません、「地語・じご・ジゴ」と、ボクは呼びますが、その一つを、その土地その地によって言い表す言葉の面白さ、その多様な言葉・・・僕が聞いてうれしい「おおきに・・・」という京言葉に代表されるそれ、この西国の一言の”優しく美しい“一言も、この範疇に入るのでしょうか。
・・・ただ、日常は教科書が教えてくれた言葉遣いがよろしいかともおもいます。
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・・・公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・
7/04/Thu.
昨日気が付いた。
そう、トウカエデの街路樹の中には、花をつけるものがあると。
そう我が家の表のバス通り、その歩道の街路樹、左には三本の桜、そして、右手にはトウカエデの並木になっている。車道の向こうにも歩道との間がトウカエデの並木だ。
それぞれの並木の間は、帯状にツツジの刈込となっている。
このトウカエデの並木の中にはプロペラ型の実をつけるものがある。我が家の表の右手の始めの街路樹の一本は毎年たくさんの実を付けてきた・・・。しかし、僕は今年初めて、気が付いたというのか意識した、この木が花をつけていることを、ベランダから黄色のアゲハ蝶を観察しているとき、その木の梢の枝先に黄色の小さな小さな花が咲いているのを・・・そう、それは見ていた黄色のアゲハ蝶のような黄色の小さな花房を立てて咲かせていた。それは藤棚から垂れた藤の花の房状の先端、その数段の房ともいえないわずかな房状に、枝々の先端に黄色く咲いて、樹形を枝ごとに彩り覆う様にたくさん咲いていた。
先日来、3年前新設なって、今年春、初めての卒業生そして4回目の新入生の入学があった工科高等学校のフェンスの内外に植えられたシマトネリコが今年、4年目にはいっぱい細かな花を樹形全体に咲かせているのを見ていて、4年目になってようやく根付いて、こうして花を咲かせるのだと、ウオーキングの行き来の度に、花の寿命が長いこの木のその白っぽい花房で覆われた樹形に心を奪われ見て来ていたが、こうして花の季節、トウカエデも花を咲かせることを、我が家の表で見つけ、改めて、植物、こうして7・8Mの高い木にも花が咲くことを知って、今までうかつだった自分にあきれ、また面白くも思い、このトウカエデの木の下に秋口にはプロペラ型の実がびっしりと落ちる理由と、その花の咲くことを知った、このうかつさ・・・そんな自分のことを思い、一方では、なんだかうれしくなって、またこのトウカエデの周りに黄色いアゲハチョウが執拗に飛ぶ意味もが分かって、うれしくなったのだった。そう、モンシロチョウもここへやってくる・・・あの、高等学校のシマトネリコの花にも、昼間はチヨウやミツバチがやってきていることだろうと、宵のウオーキングの自分を思って、この花を咲かせる並木・・・それらに改めて感心したのだ。
我が家の近くの街路樹には花の木の並木もあれば桜の並木もあり、また、数か所のベストポケットパークにはオオヤマレンゲや百日紅(サルスベリ)や藤棚もあって・・・季節ごとに目を楽しませてくれている。ただ、この小さな公園の新種のアジサイだけはいただけない・・・。
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・・・夏草茂る・・・
7/08/Mon.
早めの夕食後、数日来気になっていた、石垣に垂れ下がったつる草刈りをした。他の雑草も刈りとり、名古屋市の可燃ごみ袋45リットルに、ギュウギュウ詰め、2袋となった。
猫の額のような宅地、その一画のネズミの額???庭とは言えない、我が家の空き地・・・・そこに生える雑草は、この土地の記憶か、かつての主役たちなのだろう、雑草類は“もともと我らの居場所だぞ”とでもいうように、少し怠けると、もう手が付けられないほど育ってしまう。
毎年、何度となく垣根のキンモクセイの剪定と雑草類の刈り取りに閉口しつつ、作業をする羽目になる。
年々落ちていく体力に反比例して、雑草や垣根の木は勢いを増し、作業は、つらく困難になるばかりだ。
一軒の家、これがいくら狭く小さくても、何やかやと、手が掛かる・・・そう、持った家の維持、これは大変なことだ。日ごろの掃除や、こうした季節ごとの維持掃除となれば、独り者には、半端ではない負担となる。そう、体力・・・。
・・・マンション暮らしが・・・うらやましくもある、この時分である。
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・・・気になる雨間・・・
7/09/Tue.
日没後、西と東の空が真っ黒になり、今にも強い雨でも降りだしそうな気配となったが、それでも、折りたたみ傘を持ってウオーキングへ出かけたが、幸い、雨粒もなかった。
・・・この梅雨の季節は、こうして雨傘が手放せない。
毎日ウオーキングする人たちは、その時刻の空を気にしつつ出かける。
・・・飼い犬がいたころは、毎日朝夕・・・空模様が気になって、雨降りの日には、少しの雨間でも見逃すまいと、気が気でなかった。この気持ちは、犬を飼っているひとたちの共通した思いなのだろう・・・あちらこちらと、犬散歩のすがたが、一斉に現れ、出会ったものだ。
犬は飼い主次第ではあったが、ウオーキングやジョギングを日課にしている人も、犬の散歩の心理と同じで、貴重な雨間はいつも出会うウオーカーやジョギングの男女とすれ違う。格別挨拶をするわけではないが、どちらかともなく目礼を交わし、それからさらに・・・コンニチワ・・・コンバンワ・・・と、一言やり取りするようになったりもする。
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・・・心ときめく懐かしい思い出だ・・・
7/11/Thu.
今朝は早起き。講習会だ。
9時半に受付、そして、18時ころ終わる予定。
・・・これは3年ごとに巡ってくる“苦行”だが、大事な一日。
名古屋商工会議所の9階・・・その会場は申し込み順なのか・・・何回かに分けて、さまざまな会場で実施されているらしいその一つの会場・・・。
・・・まあ、ともかくも、この一日に耐えて、最後のテストも終わって、雨もよいの街に出た。もう、ところどころ、飲み屋や飲食店などに灯がともり、人を誘っているが、ボクには無縁・・・。
テキスト類と資料類で4冊の分、部厚く重いそのテキストで膨れ上がり重くなったカバンに辟易として地下鉄駅へたどり着いた。
帰宅時間の地下鉄駅は、そんな帰りの人たちなのだろう、男女ともにやや疲れ気味、朝の出勤時とは違った、安堵感の混じった解放感かしら・・・勤めからの解放感が漂っているように思えた。
・・・そう、ボクは若いころ・修業時代・・・東京での生活、こんな早い、そう6時7時の帰宅はなかった・・・そう、宵の口ころ・・・なんて、全くなく、常に中央線四谷駅の終電・・・それに乗ってのアパートへの帰宅、代々木で乗り換え、山手線へ・・・目黒で目蒲線へ・・・武蔵小山駅で降り、西小山方面へ、アーケード街ヘ入る手前の町筋の途中、小さな・・・なんて言うのか、おばさんが一人でやっている飲み屋と飯屋を兼ねた店が、唯一、折りよく灯かりがついていれば、食事をして帰ったものだ。もう閉店していれば、食いパグれ・・・。
毎晩、急ぎ銭湯へ走り、浸かって、すきっ腹を我慢して・・・寝入ったものだ。とにかく銭湯は毎日欠かせない。時には、仕舞いの、掃除が始まった湯につかる、湯男が桶や腰掛を洗い始めて次々と、洗い場の片隅に積み上げていく・・・。洗い場にブラシをかけるあの音・・・桶や腰掛を洗い、それが当たる木の音あの響き渡る音・・・。
そう、懐かしい・・・それ。
・・・レレレッ・・・妙な方へタイピングが進んでしまった・・・が、この深夜近くの帰宅、その武蔵小山、アーケードへ入る前の唯一、いつも灯がともっていた“果物屋・フルーツショップ”・・・果物を買ったことはないが、その、夜の風景が忘れられない・・・そう、これ、この風景、「池上線」の歌詞そのもの・・・。今でも“フルーツショップ”を見かけると、この武蔵小山駅前を思い出す。
あの西島美恵子が歌う「池上線」・・・我が家のCDの中の一枚、その中の一曲、この歌詞・・・なんともボクと同世代の風景・・・その果物屋の明かり・・・その踏切の情景・・・その、古い電車内の風景・・・孤独なボクには無縁な男女の風景だけど、その背景、これとも違うけど、その駅前の光景、その情景、その心持は、僕のこの心・肝・・・を、今でもわしづかみにされる・・・なつかしさがある。そういえば、この目蒲線の向こう側、すぐに、母のいとこが住んでいらした。在京中はそのお連れ合い、ご家族にはずいぶんとお世話になったものだが、何の恩返しもせず、ボクは名古屋へ帰ってきてしまった。懐かしい。
・・・妙なことになった・・・が、もう一つの思い出・・・ある時、徹夜明けで、思わぬ早い帰りだったと思う、その帰りの中央線代々木での乗り換え、ボクが代々木から乗り込んだ山手線の車両、混んでいたが、その数メートル離れた女性と目が合った・・・そう、本当に驚いた・・・、名古屋、時々通った喫茶店、その美人ママ・・・やとわれママだというその人、ボクと同年代(若かった)?格別会話が弾んだという思い出はない・・・が、ボクを見ていた、そう、互いが気付いたのだろう・・・そんな思い出の出会い、これただ一度のこと、思わず話しかけ、目黒でいっときの短いお茶の時間だった・・・が、この思わぬ出会いも忘れられない・・・。服飾の勉強に上京してきているとのこと・・・。
残念ながらその後、修業時代のボクには、会って話すというような時間はなかった・・・。
そのうえ一年間ほど、‘70年の大阪、エキスポ70の、その担当したエキスポタワーの監理の仕事に長期出張・派遣され、東京を離れていた。それが終わって、万博開幕前に帰京、その後、しばらくして、ボクは名古屋へ帰った。
・・・そう、ボクは恋愛の経験はないが・・・心ときめく懐かしい思い出だ。
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・・・ここへきて、感じる・・・孤独感・・・
7/16/Tue.
梅雨らしい曇り空。しかし、じめじめとした暗い感じはしない。穏やかでなぜか静かだ。
そう、しっとりとした空気と雰囲気だ。昔の梅雨の季節はこんな雰囲気だった・・・その静けさと雨音。
だけど、現在はこの優しそうな五月雨が・・・突然、怒涛となって・・・予想しない大雨・・・猛威の雨降りとなる・・・滝のように、天からの津波のように・・・。
・・・なんとも恐ろしい・・・人の力なんて、何と弱いのだろうとボクは時々思う。
もちろんボク自身の問題だけど、自身が弱すぎるのだけど・・・。
世の中は、この月曜日、15日だった、この”海の日”の休日が終わって、人々が動き出した。しかし、その海は、低温気候のせいで、曇り、人気はなく・・・寒く、寂しそうだ。
ボクはといえば、動き出さない・・・いや、動き出せない。心が閉じこもり状態になっている。
ここへきて、感じる・・・孤独感・・・これが深みを増して来つつある。
この感覚は体調が悪くなったためかと、後日思った。
要するに、精神的な不安定がやってきつつある・・・。そう、波のように。
・・・そういえば”海の日“は、夏休みの始まりだったかしら・・・。しかし、この長雨、急変するお天気では生徒たちは、林間学習、海の家・・・そんな、夏休みはじめの楽しみはやってきそうもない・・・まして台風を伴うようでは、親は気安く送り出せもしない。
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・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
7/17/Wed.
今日は月に一度の内科受診・・・先月の名古屋市の健康検査結果から・・・あまり芳しい結果ではなかった。そう、平成25年だったかに、出先で急激な腹痛、耐えられない、その痛み、出先で救急車を呼んでくれ、搬送され、4日ほど入院治療をしたことがあった、それが改めて活発になって便に血が混じっているかも知れない。
改めて、検査を受けることになり、紹介状を書いてくれ、その予約に午後さっそく出かけ予約を取った・・・7月30日午前に施術・日帰りで可能とのこと・・・。3日前から腸を整えるというのか掃除するというのか、その準備過程と実施の日が決まった・・・今月27、28,29日と30日・・・薬を渡された・・・。
一つ心配がある・・・そう当日30日の朝7時に飲むという薬・・・下剤らしいが・・・地下鉄で出かけていく身には、途中が心配だ・・・が、まあぁ、やってみるしかない。
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・・・が、まあぁ、やってみるしかない・・・
7/30/Tue.
大腸の内視鏡検査のために数日前27日から薬をのみ、さらに昨日29日は、今日の検査のために、三度の食事に替えて、指定され渡された食事??をして、下剤が効くのを待ったが26日からの食べたものが排せつに到らなくなって、腹がパンパンに張ってしまい昨夜は、この便秘状態のためか、その検査への腸の掃除が出来ないことへの不安か、はたまた朝7時の座薬挿入による下痢の心配か、そう、バスと地下鉄を乗り継いての途中に起きてしまうのではないかしらとの心配・・・それで、大名古屋ビルジングにある、その検査医院の近くのビジネスホテルに泊まろうと探したがどこも満室・・・そのことに5時起きの目覚まし時計セット・・・しかし寝付けない、お腹が張り、さらに加え痛む・・・それで、座薬挿入の前に、その医院へ着くようタクシーの予約をした。
結局、一睡もできず、タクシーが来て、瞬く間に駅前まで・・・そう朝のこと、近道を知っている運転手・・・7時まで40分ほども前に到着、しかし、当のビルジング(これって、面白いけど、名古屋人は気に入っている・・・それが昨年だったか、建て替え完了高層ビル化)のオフイス階へはまだ施錠、エレベータホールヘ入れず、9階へ上れない・・・下剤を入れて2・30分で下痢が始まるということ・・・7時は厳守・・・焦って、何とか地階のトイレの位置を見つけて、そこで、挿入、・・・下痢が始まるのを待ったが・・・始まらない・・・。1階の通り抜けホール(この通り抜け状のセンターホールは、名古屋駅の通り抜けコンコースともに、昔から特長だった。街の人やビルに関係ない人たちに活用されている・・・今日も・・・)その、椅子で下痢が始まるのに備えたが、全然反応なし・・・完全な便秘状態、8時になってようやく9階へ移って、そこでもトイレを確認・・・まだ全然反応なし、兆しさえない・・・もしかして、漏らしては大変と先日買っておいた紙パンツに履き替えた・・・そう、これは指示されたわけではないが以前の何度もの入院時に、褌を持ってくることと・・・そんな指示を思い出して・・・先日。ドラッグストアーで2枚入りを買っておいた・・・そう、独り者は、とにかく大変です・・・そして、よく気が付く、ええ、日ごろぼんやりしているけど。
・・・ようやく予約時間になって、検査に入ったが、便秘の状態がモニターに・・・医師はお手上げ、レントゲンをとなって、撮ったが、MRI の映像はぼんやり(ボクは、紙パンツが原因と思ったが、黙っていた。紙パンツに履き替えたことは言ったが、レントゲン技師は脱げとは言わなかった)・・・こりゃだめだとなって・・・ということで、内視鏡検査はできず後日改めてと、予約となって、解放され、極め付きの便秘のまま、紙パンツを付けたまま、解放されたが・・・僕は、爆弾下痢を抱えたまま・・・不安を抱え・・・いや、必ず座薬の下剤が効いてくるだろうと・・・まずは、数度を、このビルジングで・・・さらに、ミッドランドタワーで、数度、・・・と、苦行の忍耐と不安をもつて・・・まあ大丈夫と思って地下鉄ホームへ・・・でも兆し・・・も一度ミッドランドタワーへ・・・その後、急激に心地よく成り、やや落ち着き、メルサビルの無印良品へ・・・去年買って気に入っている色合いのポロシャツはないかと徘徊し見つけた。半額になって残っていた一着・・・うれしかったね。こんな掘り出し物。そしてほかに2点。文房具とハーブ茶・・・。文具は、なぜか”38元“と、中国語の商品シールについていた・・・90円とか・・・これも掘り出し物。他にハーブ茶はマスカット味と香り・・・とても香りがいい。
その後、改めて、地下鉄へ、そして星ヶ丘へ、バス路線で猫が洞へ・・・帰り着いて、ひと心地。
・・・苦しい日々、昨夜から今日は苦行の時間・・・紙パンツは汚れることなく・・・。
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今月7月はこれで・・・。最後は見苦しいことを告白・・・。でも、これが現実。
・・・独り暮らしは厳しい・・・ほんとです。
・・・では。来月、八月も再見!
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