建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-111 May 2019

HITBIT[心もよう]vol-111 May 2019
・・・新たな天皇即位・改元「令和」・・・古代飛鳥の政治体制を回顧・・・
2019年5月1日・・・きょう、改元・・・元号は「令和・れいわ」。
昨日平成31年4月30日の24時をもつて平成の天皇が退位し上皇となられ、同時に皇太子が5月1日午前0時を以て天皇即位し、先月、前もって定められていた元号に改められ、新元号は「令和・れいわ」となった。
この「令和」に思ったのに「美しい国日本(ニホン)」「麗しき国日本」だ。良き元号だとも思った。
日本(ニホン)、なぜかボクはニッポンとよぶのは好きではない・・・かのフクダ総理(親の方)がニッポンとよぶとしたとかしなかったとか・・・どうでもいいが、このニホンというやわらか・ソフトな響きが、よりボクの感性に合うし、呼び方として正しいとも思っているが、ニホンとニッポン・・・どちらでも、雰囲気によって読めばいいのではとも思う、例えば、サッカーの国際大会では“ニッポン”と力強く叫ぶのが雰囲気としてあっているし、日本髪といえばやはり、“ニホン髪”だろう・・・そう、雰囲気、それに似つかわしくあればいい、一途に思いつめる必要もなかろうし・・・。
この改元に出くわすのは二度目、平成とこんどの令和で、二度目の体験となる。体験と書いたが、この身に何かが起きたわけではない。
このほか、時代の移ろいの区切りに、西暦の千年紀・ミレニアム・西暦2000年、そして、その新世紀2001年20世紀から21世紀へと100年紀ごとの新世紀への移行があり、さらに、かつて日本には「皇紀」という、西暦に比する日本の皇統の祖・神武天皇を始祖とし、建国以来今年は皇紀2679年らしい(暦には載っている)・・・これは現皇統が神・神武天皇を祖とするということを意味するのだそうであるが・・・。・・・実在したのか神話なのか、はたまた幻覚なのかわからないが・・・世々代々の天皇、この皇統が神の末裔であると、これは信じられ、かつては臣民?国民にも信じられてきて、明治維新を経て明治・大正・昭和・平成そして、この令和となったこと、この間にすなわち昭和20(1945)年太平洋戦争(日本では大東亜戦争とよんでいたし、今も一部の人はこう呼びたいらしい、アジアを開放する聖戦とでもいうのか?)、その敗戦によって、その皇統の神話性が占領軍によって否定され、皇統の神性も希薄化されたが、戦後の新憲法の草案の段階で、憲法草案を進めた学者や当時の内閣の強い姿勢・抵抗によって、昭和新憲法でも天皇制の存続が“象徴”という表現によって、かろうじて維持された。
皇室ではもともと皇統の神性は信じられて、平成天皇は神武へも言及した。すなわち、皇統の祖は神であると信じられている(天照大神・天皇や首相らがお伊勢参りするのも、天皇の祖への挨拶なのだろうか?)。これはまた国民にも信じられ支持されてもいるらしい(・・・まあ、観光旅行のいいわけか???)。
・やや主題からそれるが・・・それ、人々は“お伊勢参り”へと、旅する。それは江戸時代にはことに盛んで、厳しい関所の通過も”お伊勢参り“であれば、難なく通過することが出来たという。
”伊勢参り“は娯楽だったか、また閉じ込められた地域社会からいっとき開放される・・・そんな旅する口実かもしれないし、信心であるかもしれない。
また国民大多数が信じているのかどうか、信心とまで自己確認はしていないらしいが、パワースポットなんぞを信じてか・・・若い女子が連れ立って訪れる。
また、神ばかりでなく仏においても旅する口実、理由になって、近年ますます、その過熱ぶりがみえる。そして、観光地の寺や神社へ、お布施やらお賽銭として潤しているという。そう、美術品・芸術品として、仏像類が鑑賞の対象とされ、地方の有名寺院から、東京へと出張開示される。そう、ボクなんか、あの興福寺の宝、国民の宝、阿修羅像が東京へ出張した時には、身が縮むおもいで成り行きを見ていたものだ・・・塑壊れやすい塑像・・・事故でも起きなければよいのだがと・・・心配していた。
そう、寺社ではこの傾向は大歓迎なのだろう。やってくる人の信心あるいは古美術の鑑賞や歴史的な意義・・・そんなことなんかどうでもいい・・・今まで持て余し、維持するのも楽ではなかった・・・そう”宝の持ち腐れ“が思わぬ宝になる。そうして、寺社の体裁が整えられていく。真新しい解体修理がいたるところで進められ、それに伴って塔頭や庫裡がどんどんあたらしく作り替えられもする。商売繁盛のおかげというわけだ。
妙な方向へずれ落ちてしまった・・・。

・さて、この天皇制へ戻って考えてみれば、昭和憲法では、天皇は日本国の象徴であると、神を祖とするか否かは議論の外としつつ、“日本国の象徴””日本国民統合の象徴“として、国民統合の元締?と位置付けられ、絶えることなく現在に到っている。
・そして、ここに新たな問題として、その皇統の将来、血筋の存続、男の天皇を守るのか女の天皇を容認し国民統合の象徴を位置づけるのか、男女どちらでもいいのか・・・と、じわじわと議論というのか、存続の在り方が問われだしているという。
・ボクは、天皇制を一応容認するし、天皇制が存続する必要があれば、男女関係なく長子が嗣襲するのが最も明快だと考える。
なぜなら、昭和憲法以来、天皇は政治に関与しないこととなった。すなわち、天皇、例えば飛鳥時代、かつては大王といった、その大王は統治権、その治政権と祭祀権の二つ、すなわち全権を持ち、すなわち権力すべてを掌握する。
ところが飛鳥時代、大王が女の大王・中皇命(なかつすめらみこと)であったことが、推古紀、皇極紀、そして斎明紀の三度あり、その最後の持統紀を加えれば四度お女王(女天皇)の治世があったし、皇極紀と斎明紀の間には、孝徳紀という、やや血筋が異なるというのか薄いというのか、その中天皇(なかつすめらみこと)という天皇の時代・難波朝(孝徳紀)があった。さらに皇極紀と斎明紀は重祚(ちょうそ)、すなわち孝徳の姉寶皇女が、弟孝徳の時代10年ほどを挟んで二度の大王・中皇命として、即位している。
そう、まともに男が大王になったのは・・・葛城皇子すなわち天智だけだ・・・天武は叛乱・壬申の乱をおこして天智の皇子大友皇子(弘文)から大王位を奪い取って飛鳥浄御原朝を成した。
皇極紀と斎明紀の女大王、この寶皇女は、夫大王舒明の崩御により急遽、皇極として4年間大王の位置にあり、この四年目にあった乙巳の変で、蘇我蝦夷と子・入鹿大臣が皇太子葛城皇子とそれを陰で唆し操っていた中臣鎌子との謀議により皇極紀の大極殿で誅殺されてしまう。これが、乙巳(いっし)の変であった。
そう、古代倭国の大王権を支えてきた大臣には臣姓氏族の平群氏・許勢氏・蘇我氏などの武内宿禰の後裔氏族、また大連には連姓の大伴氏・物部氏・・・こうした古代氏族の排除に、皇太子葛城皇子(天智)の威を支えつつ背後で働きかけたのが後の藤原氏、すなわち中臣鎌子であった。そして、それは大王葛城皇子(天智)の死の前日、中臣鎌子の野望は達成され、藤原京時代、平城京時代へと藤原氏の権力構造は確立され続け平安京時代には全盛を誇る。
飛鳥時代以降こうして歴史上、藤原氏が台頭し、公卿の力があらわになって、大王すなわち天皇(すめらみこと)権は、その公卿による傀儡的な位置へと権力を失っていき、果ては武士階級が幕府という新たな権力機構を以て国を動かす権力を掌握する。
その権力もさらなる武士の台頭とその争奪の時代・戦国時代には幕府も衰退し、天皇の信頼も失せ、かわってその天皇を担ぎ台頭した戦国武士へと権力が移り、さらにその天下を統一したかに見えた織田信長のおもわぬ死と、かわって、うまく立ち回った豊臣秀吉が改めて天下を取る。その豊臣を倒した徳川幕府が260年余を統治、王政復古によりそれも失せ、武士階級が失せ、19世紀を数十年残し、明治維新以降は富国強兵の国家造りにおいて、政治に軍部が台頭し、牛耳っていくこととなった。これによって天皇権も軍国主義・軍部に利用され、天皇が軍の総帥(本気だったか嫌々だったかは定かではない・・・)として・・・これも一種の”象徴“的な位置づけが成されていた・・・。
明治大正昭和・・・昭和20(1945)年8月15日、連合国に対して無条件降伏・・・ここまで、明治憲法とそこに天皇制は治政権と祭祀(斎祀)権を天皇家の枠をはみ出し・・・成立してきた。
しかし、敗戦・・・結果の”昭和憲法“では政治にかかわることはなくなり、国民統合の象徴として・・・政治と切り離された天皇が、ただ国事行為に規定する政治的なかかわりの範囲と、別に天皇(天皇家)が有する祭祀権の範囲のみにおいて、神武以来の祭祀が現代も続けられてきているらしい・・・。
この度の平成の天皇の退位、すなわち、皇太子へ譲位して上皇となること、さらに令和へ元号が改められ、皇太子が即位する・・・それら一連の退位・即位・元号制定・・・それらは、天皇家の祭祀権と国家の国事行為とが付かず離れず進行して新たな天皇即位と元号への移行が成った。
・・・こうしてみると、天皇が男系である必要性は全くない・・・すなわち、天皇位は、その”祭祀権“のみにおいて、その象徴との位置づけとともに、天皇家において存続存在意義があるのであって、古代王権の治政権、例えば飛鳥時代は、実は常に祭祀権によってその”王権の内の治政権“すべての行為の進行は司られてきていたのであり、これは昭和の敗戦と新憲法がいう”天皇は政治にかかわらない“ということが、解釈を純粋にすれば事実上、古代飛鳥時代の倭(ヤマト)王権においてもすでに成立していたそれの踏襲に過ぎない現状であることに思い到るし、そうだとすれば、天皇が男系でなければならないことは何一つ理由がないことになる、と考えられる。
すなわち飛鳥時代はすでに大王が為す治政権は皇后が直接担う祭祀(斎祀)、これはもう権力といってもいい有様であった。そのことを、大王とそれを取り囲む大臣らは気づいてはいなかったらしいが・・・ただ一人、孝徳紀の皇太子・葛城皇子(天智)は気づいていた・・・、それ、斎祀があって初めて治政権は執行されていた、そのこと。
やや次代へと先走るが、この陰には、古代祭祀にかかわってきた中臣氏の祭祀に対する自負と、古代臣姓氏族と連姓氏族の根絶を図る目論見を持ちつつ葛城皇子を皇太子時代から大王時代へと忠誠を以て支えてきた、中臣氏、その鎌子の執念が実を結び、藤原氏として、藤原時代、平城時代そして平安時代へと、中世王朝を支える、藤原氏の栄華期を成していくのである。その一方で、藤原不比等の時だったか、中臣を政治権力と斎祀権力へと分離し、藤原氏と中臣氏とに分離独立させる。その斎祀権を担ったのが中臣氏であり、その象徴が春日大社であろう。また一方では仏教とのかかわりを、天皇とのかかわりを保ちつつ天皇の后・妃へと藤原の血筋を供しつつ強めても行く。その仏教とのかかわりの中心が興福寺であり、藤原氏の氏寺となる。
こうした時代への移行期、そのもっとも顕著な事件・事変が、大王斎明の弟・大王軽皇子(孝徳・中天皇(なかつすめらみこと))の難波治世の中紀、皇太子葛城皇子が為した叛乱、それは静かな叛乱であったが確かに叛乱であった・・・。それは、大王軽皇子(孝徳)の后・間人皇女(皇太子葛城皇子の妹(はしひとのひめみこ))を拉致し、難波宮から飛鳥へと連れ去り、大臣公卿らもすべてを飛鳥へと還らせた・・・この皇太子葛城皇子をあおりそそのかし、実行した影の存在が中臣鎌子なくしては語れない。それを叛乱をボク皇太子葛城皇子の”静かな叛乱“とよぶが、確かに皇后を奪取・拉致し連れ去った・・・この大事件こそ、皇后の為す祭祀(斎祀)権を大王軽皇子(孝徳)から奪い取り飛鳥へと連れ去ったのである。すなわちただ一人、皇太子葛城皇子は、后の存在意義を理解しており、影の存在、中臣氏という飛鳥時代まで斎祀を担ってきた氏族はまた、その斎祀を担うことの重要性を把握しており,この教唆こそが葛城皇子を唆し煽ったのである。
これによってその成す祭祀によって治政権は薦められることを、皇太子葛城皇子、後の大王天智は明らかに理解していた。
そして、自身が皇太子であることも、間違いなく理解していて、現大王の后を大王からはがし、大王軽皇子(孝徳)から祭祀権を奪い去った。そして、今、皇太子葛城皇子は、自らの手に治政権と祭祀権の両権限を手に入れたのである。しかし、なぜか、皇太子は現大王軽皇子(孝徳)を自らの手で消すことまでは為さなかった。そう、かろうじてではあるが、未来の大王は理性を保ったのである。ここが後の壬申の乱を引き起こした弟皇子・大海人皇子(天武)と違うところか。
すなわち、皇太子葛城皇子は左右大臣・公卿・群臣らを糾合し、母の弟である大王軽皇子(孝徳)から、その治政権を奪取・・・すなわち、皇太子主導による集団政治体制の成立・・・という叛乱を成したのであるが、その治政権にはすべて祭祀(斎祀)が伴わなければ成り立たない“機構”に当時の政治体制はあったのである。
すなわち政治には必ず祭祀(斎祀)が伴わなければならなかった、飛鳥時代・・・実はそれ以前の古代王権においても・・・その絶対的な祭祀権を皇太子葛城皇子は大王軽皇子の后・間人皇女を大王から引き剥がし、飛鳥へ連れ去り、飛鳥において皇太子と群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを意図したのである。
すなわち皇太子の妃ではその斎祀は成り立たず、大王の后・皇后・王后でなければならなかった。その時、皇太子葛城皇子の妃は后ではなく、ただの皇太子妃に過ぎなかったのである。
これまで、大王権が后の上位にあると考えられてきた、確かに表面上はそれでよいかもしれないが、古代政治・大王の統治権は、実は后が為す斎祀権によってすべてが“決定され有効”となったのであることが日本史学・歴史解釈上、全く見落とされてきていた。現在も見過ごされている。
・やや方向がそれるが、あえて言えば、あの不可解な“巫女王”とされる“卑弥呼解釈”においても、それ斎祀権のこと、その要素だけを注目して解釈され続けている。そう、なぜ卑弥呼がその時、あの混乱の時代に、男の大王権を封じて必要とされたかの論議が為されず、ただ単に斎祀を司った卑弥呼というように、卑弥呼だけが、その古代王権成立の重要な要素、斎祀、それをただ卑弥呼解釈においてのみ語り、祭祀権が治政権には必要であったことが、語られない・理解されていないで来ている。すなわち、後の大王権の権力、治政権と祭祀(斎祀)権においては、いかに大王后が重要なのかがりかいされてこず、その、なす斎祀権の意味を歴史家らは失念してしまっている。
飛鳥時代以降、大王権・統治権、その二つの要素、治政権と斎祀権の両権利を基本的・表面上は男大王が主導し為すのであるが、それは飛鳥時代の始め、その舒明紀に純粋に大王権はあったのであり、それ以降皇極紀・孝徳紀・斎明紀は、いわば中皇命(なかつすめらみこと)の時代であったのである。それには女大王あるいは大王王后により天上の神へその執行の承諾を得なければならなかった、その権力・巫女王が、それ、神に伺いを立て、神の承認を得ることは、飛鳥時代、さらにそれ以前の古代大和朝廷の時代も必須であったのである。
・実は、これも歴史学者らには見落とされ、空虚な男大王の存在、その解釈の結果の脆弱な基盤上で史学・歴史学・古代文学など、その研究や討論はなされてきている・・・そう、現在も。
・・・・・・・
現代の日本の政治体制・・・昭和憲法上、さらにさかのぼれば、明治憲法においても、現実は大王が治政権を執行し祭祀(斎祀)権をも執行するには祭祀(斎祀)を実際に執り行う皇后の存在が必須であった・・・しかし、明治になって、どうしたわけか、皇后は斎祀権をも天皇へ渡してしまったかのような扱いを受け、天皇の妻・男子・王権の嗣襲のための男子を生む装置・だから側女という位置をも許してきた、というような付随的存在にされてしまった・・・これを疑問に思わず、天皇も皇后も、政治家たちも日本史学者らも、完全に失念している・・・。
・そう、王后・皇后の必要な訳・・・総てが忘却状態・・・)は、まさに飛鳥時代のあの皇太子葛城皇子が為した静かな叛乱・大王軽皇子の后を剥奪・拉致の上に飛鳥還りした意味とは・・・群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを如実に示している(が、誰もこのことに気づいてはいない???)・・・政府・国会・国民主権その投票権、さらに三権分立。ただそこには現代、常に、祭祀権は表立っておらず、斎祀は天皇権のもの、としての解釈となってしまった今日、それも男の天皇が祭祀をしているそれに疑問を抱くでもなく、王后・皇后の存在意味を問うでもなく・・・しかし、ここに到って、いかにも存在しないかに見える、いわば天皇制・象徴天皇は、過去の歴史の本質への回帰だったとも考えることが出来よう。
そうであるのに、日本史学は飛鳥時代、その前紀・・・推古紀(この時代も飛鳥時代へ入れれば)、皇極紀は女大王寶皇女(中皇命・なかつすめらみこと)−が、祭祀を執り行うことを前提に、皇太子と群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを意図していた、孝徳紀・難波朝廷・中天皇(なかつすめらみこと)の時代−中継ぎの男天皇の時代−傀儡の大王権との認識だったが、この大王は大化改新とよばれる改革政治を実行した、そして、斎明紀は女大王寶皇女(中皇命・なかつすめらみこと)が祭祀を執り行うことを前提に、皇太子と群臣らによる集議体制において政治を執り行うことを意図し、かつ実行した時代であったことを完全に見落とし、日本史をあらぬ方向へ誘導してきてしまった・・・この時代、政治を担ったのは女帝ともいえる女天皇・・・すなわち、中皇命(なかつすめらみこと)の治世時代であったことと、その実態を、政治と祭祀・斎祀の観点から、斎祀を完全に見落としてきた・・・日本史研究・・・、ただし、推古紀は厩戸皇子・聖徳太子−皇太子を摂政とし完全に治政権をゆだねていた(ここでも女大王推古は斎祀を担っていた)、まれな時代であったし、孝徳紀・難波朝廷の大化紀は天皇を飾り・傀儡として指名したが、この大王軽皇子は右大臣蘇我倉山田石川麻呂との治世を果敢に実行し、かつ、后間人皇女は大王を支持し,その斎祀権を大王孝徳のために行使し、傀儡大王のはずの大王軽皇子(孝徳)紀の思わぬ治政権の行使者となり、大化改新を成した大王となった(現代歴史は、大化改新を成したのは、皇太子であった葛城皇子だとしているが、これは大きな間違いだ)・・・慌てた皇太子葛城皇子は腹心中臣鎌子と議らい(謀議・策謀)飛鳥還りをはたすという“静かな叛乱−謀叛”を実行した。この叛乱は、大王の妃を獲得する、治政権を祭祀権を以て執行に到らせるというこの時代の本質を、実はただ一人、時の皇太子葛城皇子(天智)は、見抜いていたのであり、これを支えたのが中臣鎌子だったのである。
これ以前、皇極紀の乙巳の変・・・蘇我蝦夷と子の大臣入鹿を暗殺する変事があるが、その政治の実態、飛鳥時代、難波朝廷の紀、孝徳紀の事件(葛城皇子の飛鳥還り)を正視することなく歴史からは見過ごし、ただ一方的な男の目、男たちの独善の政治観、歴史観、男上位であるという愚かな観念、そのことばかりに意を用い、・・・本質が祭祀(斎祀)権にある・・・ことに気づくことなく見落としてきた日本史観・・・実際、男の王権・天皇の権威が確立するのは、奈良時代、おおよそ平城遷都後、仏教が形をあらわにしたころ、東大寺に大仏が建立された時に、確実となった時の天皇権からである。
・大王権と時代−ことに古代飛鳥時代の歴史解釈が、王権と祭祀(斎祀)の関係を見失わせ、歴史が語られてきたそのことを、ボクは2008年秋からの論考とその結果である『額田王研究』(八月美術館発行)において明らかにしてきたが、この視点が、今日の天皇制さらに天皇の嗣襲において、この象徴天皇を語るとき、祭祀権を司る天皇の姿に女性があっても何ら不思議ではない、女性である方が当然であることが、すでに飛鳥時代には”事件”としてその叛乱・皇太子葛城皇子の叛乱、その飛鳥還り・・・に、あったこと、そこに、今日改めて注目し歴史を、「令和」の今、この時、語らねばならないと考える。
すなわち、この令和の天皇は、幸いなこと、あるいは偶然に、平成天皇の直系、その第一子が男子・皇子であったことが、さも当然と必然のように解釈され受け入れられ、昭和憲法のもとでは、天皇の持つ大王権その二つの権力、治政権と祭祀権・・・であったが、それ、失われた治政権・剥奪された治政権・・・それに気づかれることなく・・・男子の天皇の即位となられた・・・と、このように考えられる。
実は昭和憲法が天皇を国民統合の象徴天皇とすることを明言し発布されたその時に、天皇が男女関係なく長子が嗣襲することを暗に認めていたのであり、女天皇(女皇・女王)の成立は何一つ問題をはらむものではなかった、と考えてよい。
それよりも、男系を堅持しようとする男社会の反映のあまり、長子という、もっとも単純・純粋な王権の嗣襲者という皇統の単純性を阻害し、複雑化し、さらには、天皇の霊(たま)と血(血統・ニニギノミコトが霊とされながらも、この豊葦原瑞穂国へもたらしたもの)の単純・純粋性を複雑化し、皇位の継承を複雑化し曖昧化するという危うさを作り出している。
このように考えれば、令和の次の時代には、その一人っ子である長子・女・長女である女天皇が即位されても何の不都合はなく、今後の天皇家の秩序を単純化し正統化して行く道筋とすべき時だろう。その次も長子を基本にしていき、不測の自他への備えも、そこから始めるという道筋を踏めばいかがだろう。アベ総理は、今こそ、これを政治行動に組み込み考え決定すべきと記であろう。このまま放置すれば、皇位継承は必ず混乱をもたらすだろう、そうしないためにも、現アベ政権は行動するべきだ。
もともと、天皇制は神・天照(アマテラス‐これだけですでに大神・オオミカミを意味するほど大きな神なのであるらしい)・・・ここから発したとすれば、女天皇であること、そこにただ一つの不都合もあり得ない・・・すなわち、天の御神の霊を自らが霊とされ天降ったニニギノミコトは、残念ながらその天の御神の霊と血の運び屋に過ぎなかったのであること(これは『額田王研究』中に詳述・・・假使天孫・たとひのあめみま・“神霊のただの運び屋”)を、今こそ、日本国民は知るべきである。
昭和憲法を考えるとき、古代倭王権の祭祀(斎祀)権そのもの、治政権には常に祭祀(斎祀)が伴うという原点へ純粋に立ち戻るということに昭和新憲法は明言すべきであったのに、それをGHQと日本の憲法学者・歴史学者は考慮を致さなかった、全く気付いていなかったのである、がここへきて、女天皇・女皇・女王を議論するとき、歴史、日本史を改めて、読み解けば(すなわち疑似漢文・漢文へ立ち返って、一字ずつ漢字を読み解くこと)、現在の民主憲法にも沿うものとなることに、思い到るはずである。
すなわち古代の、そして現在の天皇が母系女系から発したと考えれば、天皇が男系でなければならないとしたのは、敗戦時にまで存在した軍国主義・帝国主義の残滓を脳に焼き付けていた憲法学者や法学者・歴史学者らの誤った識見が為したものだと考えられる。
そう、倭国は元といえば女系・母系、女性上位、女が治める国であったものが、たまたま神武という大王が仮説か仮想か幻か、男であったところを言い訳にし、ニニギノミコトさらに神武を生んだ母の存在に言及しないところへと進めた結果というのが本当のところだったかもしれない・・・いや、まさにそうであったのだろう。そう卑弥呼のように、この巫女王の時代が平和を求めて成立したように。そして、アマテラスが天降り来て倭国の最高神となったことのように・・・男は、女神の掌の上で弄ばれるのか・・・また、それこそが平和なのかしら・・・と、想うのである?!?
・かの平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった」と。名言を遺した。これは倭国・日本女性の本質を一言で述べたのである・・・と、ボクはこれを肯定する。
一方で平塚らいてうは「現代、女性は月である」とも述べた・・・ボクは、これをも肯定する・・・しかし、それは輝く太陽があってこそ、月は照る・・・そう、この月の照ること輝くこと・月の満ち欠け・・・これは実は、地球を介した太陽の働きそのものの作用であり・・・太陽の輝きよりはるかに深遠・深淵な趣を内包している・・・らいてうはこれを見逃しているが、女性とは、ここに思うように、大変な尊厳ある存在だと僕は思う、真剣に思う。
平塚らいてうは、現代、女性が月のような存在、であると口惜しそうに言い残したが、らいてうの口惜しさは、この男ども、その優位を我がもの顔に為すその男への“忌忌(いまいま)しさ”のために、女性の尊厳・本質・存在を見失っていたのかもしれないと、思う。いや、この忌忌しさが、女らいてうの思考の底に常にあったのだろうか。
そう、女性とはきっと、太陽そのものでありつつ、その月をも存在せしめ、その輝きを失うことはない能力なのだろう。
女性の自覚と包容力・・・それは、右隻左隻の屏風それぞれに金銀と輝く太陽と満月のように、相照りながら、人の存在を見つめ続け、励まし続けるのだろう・・・きっと・・・この日本という国においては・・・。
君は、この宇宙にこの地球に月がなかったなら、この夜が、ただ星明りだけ暗闇ばかりだとしたら、なんと味気なく寂しいことだろう・・・。そう、この世に月があるからこそ、文学は科学は進歩した。農民が科学者となりえたのは、その月の満ち干を察知したからに他ならない。月こそ、地球の母なる存在、あるいは、本当は地球の孝行娘なのかもしれないと、思う。
ああっ、ボクも予想だにしない・・・あらぬ結末?いや、ここへ行きつくべくして、ボクはこの長い五月の序文を書き出したかもしれないと今思う。
・・・そう、こんなこととなってしまった・・・ごめんなさい男たちへ。そして特に女たちへ・・・この日本(にほん)のこと頼みます・・・日本がこの倭国が本当の男女同権であるそのこと、いや、本当は女性あっての国、女性上位の国・・・女の影の力なくして成り立たないことの、密かな女の自覚と、いうまでない男の自覚、日本の男は十分自覚してきた・・・これこそが日本の平和を創りうる・・・そのこと!!!
「令和」・・・美しい国日本・麗しき国日本・・・この、美しき女たちへ。
よろしく、女たちよ・・・これからも・・・。
・・・このBLOG第111号・・・なんだか偶然なのだけど、企まずして、偶然とは・・・なんと・・・。ええ、何年も前、1年間休刊したことが・・・この記念すべき号となりました・・・。
この加筆部・修正部をタイピングしていた5月27日、月曜日・・・家の前の里山、その斜面の雑木林から、これまで聞いたこともない、ホトトギスの群れ来て鳴くのかしら・・・その繰り返す鳴き声・・・僕の著『糠田王研究』に登場したこの夏鳥の鳴き声、囀り・・・あの飛鳥の故京に鳴く重要な風景・・・これを思い・・・感激しつつ、この5月27日の加筆・修正タイプをしました・・・。この異常気象の1週間ほど・・・狂った季節・・・その異常も今日で収まるのでしょうか・・・。
そう、来月6月も頑張って過ごしましょう・・・異常気象,不安定な気候が、いつ何時ぶり返すかしれません・・・どうか、貴女・貴方にはお体ご自愛の上お過ごしくださいますように・・・。・・・・・・・・・・・・・再見!!! 
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===目次===
5/01  ・・・退位・即位・新元号・・・
5/08  ・・・元号決定・その背後?・・・
5/09  ・・・自動車税の請求・納付書に大きく“元”と赤刷り・・・
5/16  ・・・・・・新緑と人生を重ね見て・・・
5/27  ・・・ホトトギスが鳴き続ける今日の里山・・・
5/30  ・・・今日の里山・・・
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・・・退位・即位・新元号・・・
5/01/Wed.
昨夜24時をもって昭和の天皇は退位し、上皇となられ、それによって、この5月1日は皇太子が新たな天皇へ即位し、そして4月1日に決まっていた(エイプリルフールの洒落じゃなかったんだ・・・)新元号は『令和−れいわ』と正式に決まった。これは熟語としては存在しない。新しく考え組み合わされた文字『令』と文字『和』からなる新しい熟語?ということが出来よう。これを「れいわ」とよむ。これ、すなわち、この“日本国を寿ぐ”呼びかけ・・・か。
元号(年号)は明治になって天皇一代限りの年号とすると決まったのであるが、この2019年の天皇退位により皇太子が5月1日に天皇即位した。
これに先立って、新元号が、現在の政府によって今日4月1日に決定され発表された。今日5月1日であるが、この元号決定の在り方は、本来の元号決定とは後先が逆なのではないかと考えるが、天皇が政治に関与しないということから、政府が主導し、先に元号が決定された。ここには、政治・経済・社会通念など、さまざまに年号・元号がついて回るこの日本の世の中において、即位までの一月の間を余裕ある世・時代の移行を促すということか。
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・・・元号決定・その背後?・・・
5/08/Wed.
6日で長く長い10連休はようやく終わった。ニュース・記事になるような大きな事故が起きることもなく(登山遭難や高速道路の事故はあったが・・・)・・・まあまあの良き休暇をお勤めの皆さんは過ごされたようだ。
しかし、ここでもこの長い休暇の日々を自由気ままに過ごすこともなく、休暇を楽しむ人たちへその楽しみを提供する側の人たちがいること、この休日を、苦痛を以て過ごさねばならない人たちがいることへも、少しでいいから思いすることを、心にとどめたい。多分そんなことへ思いをすることは・・・?
ところで元号が改まったことは、国民や外国でも好意的にとらえられたようだ。ちょうちん行列はあったのかなかったのか知らないが・・・。バカ騒ぎをやらかしたものもあったようだが、混乱にはならなかったらしい。
二千何百年も続く皇統があなす象徴に国民は統合されるという国・・・これは日本人にしても、外国の人たちにしても・・・なんとまあ、不思議な国・国民・・・そんな印象を改めて与えたようだ。
そして、天皇とその家族が“国民統合の象徴”・・・なんて、なんと曖昧な言葉と、ある意味の形・・・なのだろうとおもう。
このあいまいさ・・・良くも悪くも、この国の体制と政治、この国民・・・と、不思議、やはりなんと考えてもわからない不可思議な行動と考え方の人たち・・・この国と国民・・・なのだろうと・・・やっぱり、地球の東の果ての国・・・その何千キロと緯度と経度を斜めに断ち切って、いや、その緯度と経度のなす網に引っ掛かりながら大海原に支えられて地球の表面にくっついて在るという列島の国・・・火山と地震、それに大津波に怯えながら、この狭い列島に、ニコニコと暮らす妙な人たち・・・住むところに違いがありながら、四季があり、何となく全体が同じようなものの考え方をし、何となくニコニコしながら曖昧さを表し、それが外国人には、親切で礼儀正しく、秩序を以て社会を作っているし、礼儀正しく親切だし・・・などと評され・・・さらにそこに伝統という様々な、精神的な位置づけや行動の在り方を日常に表し持ち続けてもいる・・・原爆に悲嘆をあらわにし、大地震と津波と原発ダウンと放射能汚染・・・戦争を反省し、今では忌避しながら戦力を拡充し、その背景に伝統と技術革新を成しつつ敗戦から立ち上がって、それが国民一丸の働きだったなんぞと・・・戦後の国民の自己評価は言いう・・・。
・しかし、世界の中でも、きわめて小さな狭い家に住み、そう、さして高級な住まい・現代的な住まいでもないこの国の人たちの住まい・・・それに生活・俺もその内にあることを認めつつ、手立てもないまま、むなしく日々を過ごしている・・・日々、何となく過ぎていく・・・。
・ボクには関係ない日常ではあるが・・・B級グルメに満足し、魚の生身を食う、不思議な食べ物にうつつをぬかし、なんとも秩序のない居酒屋にたむろし、終電に遅れもせず、その狭っ苦しい家に帰る、よっぱらいながらも最寄りの駅に間違うこともなくたどり着き目を覚まし、駆け降りる。
そしてまた、駅前の赤ちょうちんでも引っ掛かり・・・一杯ひっかけ・・・最近はおっさんばかりでなく、お若い女性が・・・赤ちょうちんに縄のれんをかきあげ・・・おっさんらを従えて飲みまくりB級を食いまくる・・・それでいて、次の日には、二日酔いをシジミのエキスをかみしめて、営業へと繰り出していく・・・あるいは海に面した埋め立て地のタワーマンションなる、似通った形のそれらが林立するその一棟・最寄り階、その一室へと間違いもせずたどり着く不思議・・・。
・海抜ゼロメートル地帯・・・そこへ大津波がいつ押し寄せてくるかなんてことは、そのエキゾチックな行動と思考に覆い隠して改めて恐怖におびえることもなく・・・へっちゃら・・・な日常性。そこへ帰りつく地下鉄が海面よりはるかに深く貫通していることなんぞ想像だしない、この上京者、田舎者の、そのずぶとさ・・・。
ええ、この、どう考えても、おかしな民族・・・これが、国民統合の象徴の為せるものなのか・・・なのかどうか知らないが、最近は・・・黄色・黒色・白色・茶色・赤色・透明?・・・と、これを国際色豊かといい、それぞれの面々を加え・・・なんだか、わいわいがやがやと、にぎやかに・・・やっている・・・。お行儀がいい、モラルを守る人の国・・・そんな人が居酒屋で、手皿で煮物の汁を受け、おっととと、武骨な手で受ける・・・その無様さ・・・平気面・・・恥しらず。そして、しゃれて一句詠む、その軽妙さ、面妖な押しの強さかな・・・これ。
・クール・ジャパンなんぞと自慢げなことを臆面もせず、外人の出演者にオベッカまがいの愛想をつかわせ、ほめそやさせて大満足・・・馬鹿気た気恥ずかしさだし恥ずべきことだ。
そして、世界の国々の国民の幸福度調査では・・・50位だか60位という中流以下の幸福度なのに、街頭インタビューに答えて、さすがに1位だなんぞとは言わず世界2位か5・6位くらいかしらと、満足げにあっけらかんと答えるお嬢さんおばさん・・・いいわねぇ〜この変な国。
・僕も、この日常・・・不幸だけれど・・・不仕合せでもない・・・日常、日々刻々身辺に起きることを受け入れ、こうして生きていることを、受け入れている。このお嬢さんおばさんのような精神状態・・・これにボクはすごく好感を持つ。ええ、これ、ほんとうに正直に、褒め言葉です。
ほんと、この国の国民・・・この能天気さおおらかさ・・・あえて言えば、忘れっぽさ・飽きっぽさ・・・自分を幸福だと思うこの大らかさ鈍感さこそ、ニホン人の美徳だし良き国民性なのだ。
・ええ、どこかの国のように何十年何百年と”怨念”を持ち続け、せっかくの友好の協定をも平気の平左、へっちゃらでチャラにする、反故にする・・・この厚かましさ低劣さ・・・その大統領。
・そんなのに比べるとこの日本国民は本当に幸福かもと思えてしまう。この忘れっぽさの故にか・・・、エキゾチック?な妙な人間・二ホン人がこの二十一世紀にまでも存在し続けている。これ自体が不思議といえば、不思議なことだ・・・。これも国民統合のありがたさかしら・・・ね、ううん???
これ、もしかすると国全体が・・・絶海の孤島である所以かもしれない・・・ね。そう、確かに経度緯度のなす網に引っ掛かってかろうじて浮いている列島の国、日本。そう、まじめに考えたら、恐ろしくて、こんな浮き島になんてくらしていけないでしょ???
そう、未曽有の災害すら・・・さらりと忘れる・・・これ、日本人の、この民族の本当の心の中ではなく・・・振りかしら???
【追記】全く別のこと、今宵・・・あの飛鳥故京、その額田王とともに、その庵で眺めた陰暦四月八日の月を思い出していた(『額田王研究』の「はじめに・序章」)。そう、この研究書の冒頭、額田王との出会いの日の宵を思い出す。
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・・・自動車税の請求・納付書に大きく“元”と赤刷り・・・
5/09/Thu.
ギラギラとした日差しの昨日一昨日・・・それを忘れさせる今日の曇り空・・・落ち着く。
今日は自動車税を納めに行った。そして、その日付けを・・・元年05月09日・・・と記入した。そう新元号が成って初めての公式な記入だ・・・令和とは書く欄がなかったけど・・・とにかく初めての記入。
いいねえ、この元号というやつ・・・なかなかいい。
世界唯一、自国の年号を持っていて使うなんて・・・しゃれてる。ボクは平成という元号はあえて使うことをしなかったというか、西暦で覚える方が何かと都合がいいような気がして、西暦を使っていた。
今年この5月からは少し元号をも使ってみようかなとも思っている。
そう、自動車税の請求・納付書に大きく“元”と赤刷りされたそれが何となく新鮮に感じられたことが、この元号使用を僕にさせたのかもしれない。
そして、この通知書の片隅に小さく“グリーン税”なる記述、その14%ほどが加算されていると但し書きがあるのを見出し、その理不尽をなじりつつ払ってしまったものは致し方ないと、いやいやながら許してやった???
物を大切し、大事に使う、これは僕の生き方・・・本当に物を壊さないように使い続けることは、僕の生き方の一面だと自分自身を思っている、すなわち“ツマシイ”この性分(吝嗇ではない)のこの人間ボクが、どうしたわけか、あらぬ課税・加税に屈服しなければならないこの不思議・理不尽・・・を、泣く泣く諦めた・・・そう、物を大切にすることが、なぜか、悪いことのような・・・課税だ。
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・・・新緑と人生を重ね見て・・・
5/16/Thu.
おとついは雨降り、昨日の午前中は陽が射し、午後からは薄曇り、気温が下がって・・・。
付近の里山を新緑が覆い、新芽が醸すのだろう、さわやかな柑橘系の香りがこの辺りを覆っていたが、それも収まってきた。
こうして気付けば近くに緑地があることが奇跡のようにも思われる。
いつも書くことだが家の目の前の里山の斜面の裾(「の」がいっぱいの文・・・へたくそ)、そこにハゼの木がある、それが毎年新緑とともに樹勢を広めていく。そして、夏ともなるとやや独特な色合い、何となく暗い感じの、その深い緑色の枝々が周りの灌木をのみこんでいくように思える。
また、すっくと立った赤松が灌木からはるかに高く幹を伸ばして、見事な姿だ。
今年、新年になって気づいたことに、三本だけだと思っていた赤松が、斜面の奥、そこここに新たな立木を見つけた。それとともに、その周囲にハゼノキの若木がそだっているのにも気づいた。
なんでもない雑木林の斜面、何事もなさそうな風景だけど、そこかしこで、木々のせめぎあい、生き残りをかけた戦いがあるのだろうか。
・ボクは、早々に人生、それを社会の片隅に置いてきた。何事につけ競い合うことが苦手で、この目の前の雑木林の中の静かな生き残りの戦い、その敗者となって枯れていく、雑木の様だとも思えてくる。
目の前の、すっくと立った赤松の見事な姿、これを美しいと思うが、僕自身は、この姿の様には、これからも生きてはいけないし、そうなりたいとの願望もない。でも、姿勢だけは“スック”と立っていたいが、背はまるく前かがみになり、そのうちに腰も曲がっていくのかしら、なんて想像も・・・。しかし、心は“孤高でありたい”。
そう、新緑と人生を重ね見て、ふと、こんなことを書いた。
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・・・思い出の満月・・・
5/20/Mon 
昨夜のこと・・・満月を東の里山、その尾根の端に見つけた。
昨日は陰暦の四月十五日。
ウオーキング中は気づかず、まだ昇っていなかったらしい・・・。
コースの東端(中間点・家から3,2辧砲妊拭璽鵑掘∪召惴かって快調な足取りで帰路についた。ここ数日、膝の調子もよく、続けていたウオーキングにもかかわらず、体調が不調だったその故か、やせ細ってしまっていたふくらはぎの筋肉の働きもよく、肉付きも少しだけよくなってきたようだ。
・・・どんどんと西へと進み、さらにわが家へと北へ向かって右折、家も近くなって開けた公園沿いの道、その東側の歩道から横断歩道を渡って西側の歩道へしばらく進んだ時、なんとなく右手に気配・・・そう、ふと街路樹の木の間、向こうの里山の尾根の頂に”ダイダラボッチ“風の満月が、”ニョッキ“と・・・揺蕩い(たゆたい)・まさに悠然と満月が、橙色の満月が、たった今、全身を見せたかのように昇って、そこにあった。8時ころだったか、腕時計を見る間もなく、その橙色の大きな満月,何となく縦長な満月顔・・・そう思いながら見とれ、その続けて尾根のシルエットから上方へと離れ行く見事さに、背後の鉄柵へもたれ木の間を透かして見とれた。
・・・束の間、尾根のシルエットから徐々に離れ昇っていくのを眺めながら地軸の回転、東への回転を少しだけ実感しながら、そのシルエットから少しずつ離れはなれて昇っていく不思議に心を奪われつつ・・・あの飛鳥故京、その額田王とともに、その庵で眺めた陰暦四月十五日の満月を思い出していた(『額田王研究』の「序章」)。
・・・だが、今日・今宵は小雨のため、ウオーキングをサボッタ・・・。
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・・・ホトトギスが鳴き続ける今日の里山・・・
5/27/Mon 
今日は、旧暦4月23日・・・。旧の暦でも夏・・・夏鳥が鳴きました。
午前9時ころ、家の前の里山、その雑木林からホトトギスの囀りが・・・きょきょきょきょきょきょきょ・きょきょきょきょきょきょきょ・きょきょきょきょきょきょきょ・と、三四度聞こえてきた・・・そう、夏だ・・・ホトトギスが鳴く・・・。
午後2時ころにも、ちょっと変わった鳴き声、力強いそれが聞こえた・・・きょ・きょ・きょ・きょ・きょ・・・と、区切りながらなくそれ・・・。
*唐突であるが、ここでホトトギスを詠った万葉集歌二首を記そう。
・古に恋ふる鳥かも弓弦葉(ゆづるは)の 三井(みい)の上より鳴き渡りゆく
・第111歌弓削皇子(ゆげのみこ)が持統天皇の吉野への幸に随行し旅立つ際の額田王への別れの挨拶歌。
・今飛び去っていったのは、古を恋ふる鳥・ほととぎすかも、わたくしはいま飛鳥を発ちます、お別れです、お元気で―
と、自らを爐曚箸箸す瓩剖鼎蕕掘∈は持統天皇が治めるその飛鳥淨御原宮より旅立つ。
弓削皇子自らに起きつつある宮廷での不遇な地位、その不安から同じ様に淡海朝廷葛城皇子(天智)に仕え、この飛鳥では幽閉に近い境遇の額田王へ、謎かけのような趣の愛惜のこもるこの歌を贈る。
・贈られたこの歌に和(こた)え、返し進(おく)る次の第112歌が、あの僕の書、その序の章の冒頭におきたい額田王の歌。
次の歌の第3句「霍公鳥・ほととぎす」は夏の鳥、古代中国では懐古し哀しみ鳴く鳥‐ほととぎす。序の章、僕が額田王の屋へ出かけた旧暦四月八日の夕べから始まる論考・・・です。
古に恋らむ鳥は霍公鳥 けだしや鳴きし吾思えるごと     第112歌・額田王
・ほととぎすは古に思いをはせ哀しみ鳴く鳥ともうしまするそうな、よき貴人武人(弓削・弓絃・良武・・この二首にまつわる“武”からの武人)もまたその様な思いを心深くお持ちなのでしょうか、このわたくしめもやはり、よきむかしが恋しくてなりませぬ―
と、過去に飛鳥で起きたいくつもの策謀とその結果をおもいやりながら、王は心からの別れの歌を返しおくる。その場面・・・。
・・・・・・・・・・・・
天気予報によれば、ここ連日の記録破りの暑さは今日限りで、平年に戻るそうな・・・本当かしら。
数年前から、この季節になるとホトトギスの囀りを聴く。なかなか印象深い鳴き声だ。著書『額田王研究』の序章の前、「はじめに」の末尾に書いた部分を、一部ここに再録した。
それにしてもこの不快な暑さ、湿度が徐々に上がって、不快指数(近年聞かなくなった・・・夏中不快なことを言いつのられても不快指数が一層ひゅかいになるものね・・・)も上がる。
これも致し方ないこと、海に囲まれた日本、雨の降ることは日常の国だ。ホトトギスは、こんな蒸し暑さが好きなのかもしれない。
それにしても、近年の気候変動を如実に表しているかのような東海地方の高温・・・この1週間ほどの異常な高温・・・。これには参る・・・そう、思考力が、衰えを見せる中、この高温で、その症状がさらに進む、そんな気がする。ええ、もともとの能力不足を棚に上げて・・・お天気のせいにしています。
いま宵の7時10分・・・今から着替えして、ウオーキングへ出かけます。気をつけていってきますね・・・。
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・・・今日の里山・・・
5/30/Thu 
一昨日28日は雨降り・・・空気が長閑(のどか)になって、気持ちも落ち着く。
昨日29日は晴れ・・・気温が下がって、早々に洗ってしまっておいた冬のウオーキング用ウインドウブレーカーを引っ張り出した。
心がけているウオーキングも雨の日は休む、さらに時々ズル休みもする。
・・・いくつもの病を宿している?ボクは、宵の口ごとのウオーキングは虚弱な体(他人にはそうは見えないらしいが・・・)、精神と体自体を保ちつづけるのに必要だ。
そういえば、盛んに鳴きかわしていたホトトギスがぱったりと鳴かなくなって数日、なんと鳥とは自由なもの・・・と、改めて思う。そうそう、このホトトギスが鳴いた日、珍しく一羽のツバメの飛翔を見た・・・。かつては飛び交うツバメがいたものだがこれも近年見かけることがまれになった。
人もそうだが、季節の鳥たちも、去っていくもの、新たに鳴き声を聞かせてくれるものと、いつの間にか、去り、そして来る・・・。
・・・新緑が濃くなって街路樹のトウカエデだけがやや明るい緑色を残している。
モミジは少ないが、それでも公園の隅のモミジは今、青モミジが美しい。
・・・その青モミジ、手元の歳時記には載っていないが、近年、ラジオの俳句の時間に時々耳にするようになった・・・その青モミジを実感したのはずいぶん昔のこと、その、なんとも言えない心地よい緑の風景。
あの京都東福寺や永観堂の、春・初夏の風景、その青モミジの風景は雨の紅葉の風景とともに忘れられない。
しかし、こうした風景・景色も、独り者は、ただ思い出の中に残っていて、改めて訪ねようとの心の動きを誘われること残念ながらない・・・そう、何をするにも、独り者にはつまらなく思えてしまう。結局、改めて出かけようなんて気持ちにもならないで、引きこもり。
・・・・・・・・
5月30日、先週の異常な高温から、膚寒いほどの気温降下・・・体調管理が難しい。
・・・今月はこれで・・・また6月に元気で、お目にかかりたいと、思っています。
あなたもお元気にお過ごしを・・・では、今月はこれで。そういえば、梅雨入りはまだでしたかね・・・???
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HITBIT 心もよう vol-110 April 2019

HITBIT[心もよう]vol-110 April 2019
・・・元号決定・その背後?・・・
2019年5月1日に向けて、時代の時間が動いている。
今上(平成)天皇の退位の意向・決意なのであろう、それが2016年8月の“天皇のビデオメッセージ”(いわば、次代を先駆け行く新しい手法)によって表明され、それによって、退位が政府によって決定され(象徴天皇の故、このような手続きになるか)、国民にも納得され、平成の皇太子が平成31年5月1日に即位し新天皇となるその道筋が示されてきた。
それに先立って、新元号が、現在の政府によって4月1日に決定されるという・・・。
本来、元号制定は、天皇即位直後に制定されるというが、人間天皇、政治に関与しない、という建前から、政府が変わって元号選択制定に積極的に、昭和天皇崩御から、この度の天皇譲位に伴う退位と新天皇の即位という、時間的流れを政府が決定して来たということらしい。また、平成に続く元号の選定も政府の重要な役割となったようだ。
これには、たぶん、歴史学者・漢学者・漢文学者・国学・国文学者・中国史学者・・・などなど、漢字圏に関する日本国内の、先に示したような研究者ら・・・が参加され
”新元号“の提案・提示がなされ、この決定に先立っていくつもの”案“が模索され提示されるのであろうか・・・そして、提示された、いくつもの”案“の中から新元号が選ばれるのであろうか。
新元号に到る秘密裏な過程・・・ここに、政治的意向がはたらくことが危惧される、この危惧は・・・現政権が背後に持つ暗闇が働くのではないかと・・・これまでの現政権の為してきて、国民に与えた印象、国民が感じ持ったいくつもの疑惑を生んだアベ政権であること、その疑惑が国民に納得されることなく、政権と自民党公明党によって幕引きされ、次のステージへ進んでしまったことに対する、大半の国民が持つ現アベ政権が持つ暗く深い疑惑への懸念である・・・。
それは、元号決定の30分後に、総理大臣アベがこの元号についての説明(説明の意味?どんな事を述べるのか?)をするということから・・・国民であるオレが感じてしまう、あの二つの学校設立に関する疑惑と同様の・・・アベ現政権が何かしら働きかけてしまうことから発する“忖度(そんたく)“・・・が、生じる・・・そんな懸念・・・これを、思うのだ。そう、こうしてしゃしゃり出てくるというその一事において、感じてしまう、疑ってしまう・・・そのこと。
・・・アベが、その現政権がそこまでは関与しはしないだろう・・・と、期待とも信頼とも疑惑ともつかぬ“どろどろ”としたものを、安倍政権の背後に見てしまうというのか、ふと思ってしまうほど、現政権に対する国民の不信?は大きいのだ・・・。
これはオレだけなのか、おれの感覚が過敏すぎるのか、オレの不信感が強いのか・・・これはオレ自身にもよくわからないが、元号の背後に・・・もしかすると総理大臣の意向が働く・働いた・・・と、危惧というのか。疑ってしまう俗物・オレ・・・が、いる。
そう、官房長官が元号を発表したその後、総理大臣アベがしゃしゃり出て、新元号の説明などをするという・・・いわば、目立ちたい・・・そんな意向に対する、いわば下種(げす)の勘繰り・・・こんなことまでを考えてしまうオレ。
ただ、オレには”元号“というものは、”天皇一代ごとの元号“・・・これが、あってもよく、また日本史において必要でもある、と考えている・・・そう、天皇制(象徴天皇として)の存在とともに日本国には、日本を考えるその思考の基底の存在としても、そう、日本史は天皇の存在とともに考えると、把握しやすい・・・。
ボクは、著した『額田王研究』に述べた飛鳥時代では皇極紀まで元号は存在しなかった。孝徳紀になって‐大王孝徳元年(645)年六月十九日−初めて「大化」と号したのを始めとするが、この書では大王一代ごとの「紀」、それを日本書紀に依拠した時代区分として、ボクは採用し、推古紀・舒明紀・皇極紀・孝徳紀・斎明紀・天智紀・大友紀などと大王統治の時代ごとの事件・内政・外交、などを示してきた。さらにこれに、西暦を書き加えることによって、時代の特色を大王の存在とともにわかりやすく示すことが出来たと考えている。
そして、これ以降の時代は、西暦とともに”元号“を明らかにすることによって、日本の歴史を理解する手立てとしてきたように思える。
(この記事は平成31年3月31日PM10時55分に書き上げた)
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===目次===
4/01  ・・・元号決定・その背後???・・・
4/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
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・・・元号決定・その背後?・・・
4/01/Mon.
新元号は『令和−れいわ』と決まった。これは熟語としては存在しない。新しく考え組み合わされた文字『令』と文字『和』からなる新しい熟語ということが出来よう。これを「れいわ」とよむ。
元号(年号)は明治になって天皇一代限りの年号とすると決まったのであるが、この2019年の天皇退位により皇太子が5月1日に天皇即位する。
これに先立って、新元号が、現在の政府によって今日4月1日に決定されるという・・・。今日であるが、この元号決定の在り方は、本来の元号決定とは後先が逆なのではないかと考えるが、天皇が政治に関与しないということから、政府が主導し、先に元号が決定された。ここには、政治・経済・社会通念など、さまざまに年号・元号がついて回るこの日本の世の中において、即位までの一月の間を余裕ある世の移行を促すということか。
ところで、新年号・元号−令和・れいわ−この二つの文字・漢字・・・新たな熟語ともいえるこの字の出典は万葉集から、その巻五の「梅花の歌」、その併せて三十二首の序文から抽出という。
   梅花歌卅二首并序
 天平二年正月十三日 萃二于師老之宅一 申二宴會一也 于レ時初春令月 気淑風和 梅披二鏡前之粉一 蘭薫二珮後之香一 加以 曙嶺移レ雲 松掛レ羅而傾レ盖 夕岫結レ霧 鳥封レ穀而迷レ林 庭舞二新蝶一 空歸二故鴈一 於レ是盖レ天坐レ地 促レ膝飛レ觴 忘二言一室之一裏 開二衿煙霞之外一 淡然自放  快然自足 若非二翰苑一何以壚レ情  請紀二落梅之篇一 古今夫何異矣 宜下賦二園梅一聊成中短詠上

 梅花(ばいくわ)の歌三十二首 并(あは)せて序(じょ)
 天平二年の正月の十三日に、師老(そちのおきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。
 時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よく)風(かぜ)和(やはら)ぐ。梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き。蘭は珮(はい)後(ご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。
しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛(け)けて、盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆうへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(と)ぢられて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故鴈(こがん)歸(かへ)る。
ここに、天(あめ)を盖(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)けて、觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自(みづか)ら足る。
若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を壚(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅(えんばい)を賦(ふ)して短詠(たんえい)を成すべし。
万葉集巻五の「梅花の歌」、その併せて三十二首の序文はこのように述べている。
漢文・漢詩は僕には読めないが、こうして仮名交じり文にして格調高く、弾むような心が読み取れる。この序文全体がこの春の宴会の園、そこに漂い来る梅の花の香、この時、この場において、何をなすべきか、そう、ここに集いし者たちが今こそ、この梅の花の薫りを聞き、ここにそれぞれが”短歌“一首を詠み残そうではないか・・・このめでたい集いに(令の字の醸し出すめでたさがこの集いの場に広がっている・・・めでたさ・・・)。
そう、こうして老師の健康を祝い集う私たち、この梅園にて一首を残そう・・・。
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・・・元号決定・その背後?・・・
4/01/Mon.
新元号は『令和』という。無粋なことになるのかもしれないが、この二文字の文字情報の一部を漢字辞書から得てみよう。ただし、説文・甲骨・金分・・・これら、象形文字の初形は、文字化けしてしまい、ここに示せないのは残念だが、お許しを・・・。
【令】
[字音]レイ・リョウ(リャウ) [字訓]みことのり・いいつける・よい・せしめる・たとえ。
[象形]礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。
〔説文〕九上に「號を發するなり。人(しふ)卩(せつ)に從ふ」と会意に解する。人を人(あつ)めて玉瑞の節(卩)を頒かち、政令を発する意とするが、卜文・金文の字形は、神官が目深に礼帽を著けて膝まづく形で、神意を承ける等とみられる。
[訓義]
1.おつげ、神のおつげ。
2.みことのり、ふれ。
3.いましめ、おしえ、いう。
4.よい、ただしい、めでたい。
5.させる、せしめる、いいつける。
6.もし、たとえ。
7.伶(れい)と通じ、めしつかい。
【和】
[字音]ワ・カ(クヮ) [字訓]やわらぐ・なごむ・かなう・こたえる・したがう
[会意]禾(か)+口。禾は軍門の等。口は粟(さい)、盟誓など、載書といわれる文書を収める器。軍門の前で盟約し、講和を行う意。和平を原義とする字である。
[形声]声符は禾(か)。龠(やく)は笛。楽音のととのうことをいう。〔説文〕二下に「厘(ととの)ふなり」とし、「讀みて和(くわ)と同じうす」という。〔一切経音義、六〕に引いて「蟹樂和厘するなり」に作り、楽音の調和することをいう字である。和は軍門で和議を講ずることである。両者は字源を異にするが、通用することが多い。滓が禾声に従うのは、農耕に関する儀礼に、籥(やく)(笛)を用いることがあるからであろう。金文に珂(やく)の字があり、これも籥と力(耒(すき)の等形)とに従う。〔大克鼎(だいこくてい)〕に「克を王の實(こと)に珂(かな)はしむ」、〔士父鐘(しほしよう)〕「永命に珂はしむ」のように用いる。滓・珂が禾・力に従うのは、農事が陰陽律呂にかなうことが重要視されたからで、のち戦国期の鄒衍(すうえん)は、陰陽五行を以て律呂を按じ、寒冷の北地にも農耕を可能にしたと伝えられる。
[訓義]
1.ととのう、音律がととのう、あう、かなう。
2.やわらぐ。
3.和と通用する。
[古訓]〔字鏡〕滓 マジハル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*以上、漢字辞書「字通」から「令」と「和」の字訓や訓義などの文字情報を見てきた。
また、ネットでニュースを見ていて、『令和』の解釈を語っていた記事を見つけた。それをここに紹介しよう。
*外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した、という。今月1日の新元号発表後、「令」を「order=命令、秩序など」と訳す外国メディアがあったのを受けた措置で、外国メディアにも個別に説明している。
 「令和」の発表後、国際的に影響力が大きい英BBC放送が「order and harmony」と表すと報道。「令」については「Command=指令」を意味すると報じる欧米メディアもあった。外務省の担当者は「令和の意味を正確に訳すのは難しいが、全く異なる解釈をされるのを避けるため、趣旨を伝えることにした」と述べた。
 外務省内では「令」が律令など法律の意味で使われることがあることから、『令和』は『法の支配に基づく平和』とも解釈でき、日本の外交姿勢になじむ」といった声も出ている。【秋山信一】・・・と、インターネット上のニュース番組から署名記事を引用させていただき、添付しました。メディアの社名は見落としましたが、秋山さん、ありがとうございました。
・・・リュウ、4月7日に記す・・・「令和」について、僕が漢字辞書『字通』から引用した文字情報は、外務省の説明を裏付けるものと思う。ただ、こうした政府見解あるいは意図した”熟語?・・令和“の意味だけでは、解釈が浅く狭く、元号としての本来の漢字字義が希釈されてしまっているようにボクには思える。
すなわち漢字本来が内包する”神の存在・神の宣託“・・・象形文字が呪祈祝祷に際してその呪術者がよみ取った甲骨に現れた文様の為す意味・宣託あるいは神託・・・といった、根本的な意味が、オブラートで包まれ、元号としての深い意味が失せてしまっている、と思う。
文字情報、その初形・象形文字そのもの「[象形]礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。」・・・これが、この新元号「令和」を理解する根本にないといけないと、ボクは思います。ボクは、この「礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形」・・・これ「令」の「象形」の意味するものを見つけた時、“説文・甲骨・金文・・・これら、象形文字の初形は、文字化けしてしまい、ここに示せないのは残念だが、お許しを・・・”と、この「令」の初形を見て感じたことを述べておきたい。
実は、今上(平成)天皇が被災地を経巡りされたとき,必ず目にする、その天皇の姿勢・・・それがこの「令」の初形・象形文字の初形・・・として、「礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。」とある、その姿そのものを以て、被災者に接するその姿そのものであることに気づいた。
すなわち「(礼冠をつけて)膝まづいて民意(神ではない)を聞く天皇の姿とその形」そのものなのである・・・。
・・・象形文字では「礼冠」を「菅笠・すげがさ(これは僕の表現)」の形、漢字の部首の二画では”被り物は「冖」この一字」が見えるが、すなわち、神意を問い聴くときに被る冠はこのように菅笠の形「ヘ」の様だったのであろう、そして、その礼冠の下には、膝まづいて、それは、踵を上げ、十の足指で上半身を支え両の腕を膝にし、膝を床(土)に支え、両の腕を差し伸べた形を、その形を平成の天皇はとられ、被災民に接し言葉をかけられた・・・ボクはそのジャンパー姿の天皇に思い到る。
また、「命」は、やはり礼冠をかぶり膝まづいて両の手を差し伸べ「聖器さい・口」をささげる形を表す。すなわち、神意ならぬ、人・国民の言葉を天皇は聞き、受け止め、言葉をかけられた、のであろう・・・。
・・・そう、この「令和」を元号の候補に出したという万葉集・万葉集歌の研究者は、また、天皇のこの象形文字の初形の姿をも思い浮かべたのであろうか。
・・・なんとまあ、漢字の世界とは深淵であり深遠・・・な世界だと感動を改めてボクは覚える。とにかく、この新元号「令和」は、よみも字形もいいものだと思う。
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・・・平成最後の日・・・
4/30/Mon.
今月四月は体調が悪くて、ようやくここまで書きました・・・申し訳ないけれど、平成最後のボクのブログはここで締めにします。来月5月1日からの「令和」新元号にも、健康の許す限り書き続けたいと思っています。
・・・僕は「昭和」に生まれ戦中戦後の困難な世情の中、祖母と両親に育まれた。そして、その戦後の昭和という平和ではあったが激動の世の中でもあったし、希望の世の中でもあった・・・そう、日本国民が力を合わせ、また、それぞれに、現在と未来に、自ら身を粉にして「頑張った」時代でもあったのだろう・・・。そう、悲劇的な時代を経て乗り越えて・・・ある意味では幸せな時代であったかもしれない・・・そんな戦後の昭和時代・・・もちろん、あの対戦は・・・日本国民すべての不幸せであったことは確かとしても。
そして、昭和天皇の崩御、新元号「平成」になって、・・・なんだか日本人がギスギスし、他者への思いやりを忘れ、礼を失し、自らとその家族、そう、両親を捨て、おのが核家族へ逃げ込んで、都市生活者面(づら)し、ろくでもないB級グルメとやらに小躍りし喜びを表すような、下品で小者のB級人間へと、自らを貶めてしまった・・・そう、僕自身のこと・・・実は僕はB級グルメさえほとんど、いや、ここまでまったく口にしない粗食者。そして、この2019年5月1日、その貶めた心身の僕は新たな元号の本・・・やはり日本人(にほんじん・・・ニッポンジンではない)であり続けていくこと、として生きていくことになる。
この後どれだけ生きていくことになるのか・・・また、世の中とかかわっていくのか、そう、平成に、日本人が手にしたスマホなるものに埋没、若者かバカ者かわからないほどの利己主義がはびこって、電車の中で、いち早く空席へケツを押し込み、スマホへと埋没、全く他者を顧みないアホ人間・アホ日本人となってしまった・・・それでも、降車駅を間違わず、そ奴は席を立ちスマホを見つめたまま降りていく・・・。
そんな中、やはり、ヤツ以上にアホな僕はスマホも手にせず電子メールなるものも、SNSが何やら、IT、これも何やらさっぱりわからず・・・その原理もわからず、このホームページ屋がつくってくれた“ブログ”とやらに、こうして自分をさらし続けている・・・愚か者・・・なんともこの世とは、オレにはさっぱり訳が分からない・・・俺自身も何者か?・・・面白くもない世の中だ。
でも一つ良いことがあった。そう、パソコンで文字を打ち表せること・・・このことは、願ってもないことだった・・・そう、ボクにとっては・・・ありがたいことだった・・・この昭和の末から平成最後のこの日まで・・・とにかく、ありがとう・・・良くも悪くも、このオレが生きてきた時代・・・。そういえば、昨日は4月29日「昭和の日」だった。令和になっても“昭和の日”は続くのだろうか?
また、十連休という平成31年4月27日土曜日から、令和元年5月6日月曜日までらしいこの元号の移行への日々の連休・・・。これは僕には何の関係もない・・・が、この新緑の風景・・・我が家が接するこの里山・・・これを愛でて日々を過ごそう・・・薮のそこここにあった、ムラサキヤシヲはずっと先に姿を消し、薮のフジが紫色の花房をつけはじめ、ウオーキングをする道筋にあるベストポケットパーク・・・そこにある藤棚にも紫の房が下がり始めた・・・そしてその隣の八重の桜・サトサクラはピンクの花びらを自身の周りに戯れか、良きことを寿ぐのか、その花びらの厚く積もった絨毯を敷き詰めた。
そう、昨年は、この花びらが散り敷く前・・・満開のサトサクラの花の下に、自転車を止め、夢中になってスマホを差し向けていた少女のことを思いだす。
・・・ここ数日続いた思わぬ夏日が・・・なぜか早春の膚寒さへと逆戻りして・・・日常の着るものを・・・あれこれと・・・僕を戸惑わせている・・・おお寒い!・・・そして”平成さようなら・・・“・・・・・・なんだか、昭和生まれのオレ・・・ずいぶん長く生きてるなと・・・思わぬ冷え込みに、この生身の自分を実感している。
・・・きょうは雨降りとなった・・・シトシトと、新緑が幾分濃さを増した里山が、雨に濡れている。この雨降りの日は、平成最後の日から明日の令和元年5月1日へとつながって降り続くと、天気予報の女性気象予報士はラジオの朝番組で言っていた。今日明日と日本中が静かに皇位の継承を見守りながら続くのだろう・・・とにかくめでたい日ではある。
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HITBIT 心もよう VOL-109 March 2019

HITBIT[心もよう]vol-109 March 2019
三月半ば・・・ようやく春めいてきました。宵のウオーキング、そんなときふと春らしい空気を感じる。夜気に交じって清涼な匂いが流れている樹木の多い夜道・・・歩き疲れてふと立ち止まる。里山の裾にある歩道・・・。昨年末だったか今年になってからだったか、街灯が水銀灯からLEDに変わって、光度を落としたのか、何となく薄暗くなった歩道・車道・・・幽玄?
最初は何となく違和感をもったが、慣れてきたのか・・・この仄かな雰囲気を醸すLEDの光度・あかり・・・陰りを帯びた明かり・・・なかなかのもの・・・。
実は我が家もキッチンの手元灯と天井等をLEDに変えた・・・二か所とも寿命が来て・・・そう、蛍光灯から・・・狭い空間だから、その明かりは十分すぎるほど明るくなったが、何となく冷たく寂しげな光・・・これが少し気になっているが、そのうち慣れてくるのだろう。
居間の天井灯は昔ながらの何の飾り気もない蛍光灯(シンプルさが気に入っている)、40ワットの棒球が5本、カバーの中に並んでいる・・・一部であるが変えたLEDと比べると、何となく蛍光灯の方が光が柔らかく感じて・・・この居間の照明を蛍光灯のままにするか、LEDにするか・・・迷っている・・・蛍光灯管が無くなることはないかしら?
・・・そう、日常に“迷い”・・・迷うこと、決断とまで言うことでもないが、何事もうやむやというのか曖昧にしているような気がする。そしてこの居間を見回してみると、何とも雑然となって、整理がつかなくなっていることを改めて感じる・・・。
・・・一つの原因は、居間とつながってある食卓・・・ここへノートパソコンを持って、上の階の書斎から降りてきて食卓書斎としてから現在の”雑然・散らかし放題“が始まった。
・・・この極めて狭い、居間が昼間のボクの創作と生活の空間となって・・・まとまりがつかなくなった。何とかしなくてはと思っているが・・・どうにもならなくなっている・・・資料などが生活空間にのさばり、手の施しようがなくなった、僕の散らかしよう・・・何とかしないと???
・・・・・・今月も、書くことがないと・・・いったんは諦め、休刊にしようかとも思いましたが・・・身近なことへ、目を向けたとたん・・・少し、書き進められました。
・・・ええ、精神、その感性の衰弱・老化など・・・枯渇ということが、現実になってきつつある昨今です。いつまで続けられますことか・・・。
・・・お元気でしたか・・・。
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===目次===
3/06  ・・・遅れてごめんなさい・・・
3/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/09  ・・・BGM・・・
3/20  ・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/21  ・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/22  ・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/23  ・・・病弱・・・
3/25  ・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/28  ・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/29  ・・・春とはふしぎな季節だ
3/30  ・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・

3/31  ・・・・・・
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・・・遅れてごめんなさい・・・
3/06/Wed.
名古屋は、曇り・・・雨降りになるのかも・・・気温が下がりつつある。
・・・先月。2月号は投稿が遅れました。ええ、申し訳ないこと・・・すっかり失念。
先ほど投稿し公開しました〈AM11時ころ〉・・・109号です・・・そして、先月1月号は通算108号目でしたが、間違って107号となっていたのを訂正しました。ごめんなさい。
・・・いろいろと、この身の変調がこうして、忘れたり失念と(おなじことか?)・・・生身の人間のなんとひ弱なことでしょうか・・・ことに僕は。
それにしても、長いこと続けてきました・・・間に一年間のご無沙汰もありましたが・・・。よく続いたと思います・・・。これからも、何とか続けたいと思っています。
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・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/08/Fri.
先月号に書いたかもしれない・・・ええ、先月のことをしっかりと覚えていない。
なんとも、気持ちも、記憶も頼りないものになったようだ。
・・・先月だったか・・・読んだのかドラマでも見たのか?
・・・「寂しさは金、哀しみは銀、煩悩は人を強くしてくれはります・・・」・・・これ、なかなか味わいある言葉だとおもう。
この一行を知った時、ボクは自身の書中に書いた・・・「空蝉」うつせみ(古形は‐うつそみ)・・・飛鳥人についての一文を、思い出した。その部分をここに置いてみよう。
・空蝉は、現人(うつそみ)、の転。この世の人。平安時代になると蝉の抜け殻(うつせみ)の意となる。それはまた、抜け殻の意から「はかない」という意味に用いられた。飛鳥人においても同様であったであろう。この感覚は「はかなさ」は平安時代になって突如固定化したものではないであろう。殊に上代に遡って、寧楽(奈良)・藤原そして更に飛鳥時代と、深く自然と関わり、その現象を尊び、身近に感じていた上代の人の感性の方が今日のわれわれが感じる以上に、蝉の抜け殻に「はかなさ」を感じることは、既知識的・固定観念ではない自然にわき出る感情であったであろう。
「はかなさ」は自然現象を感じることによってさらに促され、またそこへ仏教の影響も加わり、「生死観」を伴って、一層「人の存在」へと関わっていくことになり、そこに「哀れ」「もののあわれ」そして「無常観」へ、人の心の深層の「虚無感」へつながり、ときには現実と虚無との狭間に人を置く。
それは「心の揺らぎ」そのものとなって、人の感性を弄ぶ。しかし、その揺らぎに自身が置かれることをも、人は求めるようになり、意識的にその境遇へ狄瓦反鉢瓩鮹屬ことを求めもした。「哀しみ」はそうして人の心を弄び、人はそうされることによって悲しみを癒しもする。死はいうまでもなく、別離の悲しみ、労働の苦しみも、さらに悲しみ苦しみばかりではなく、喜びも、恋も、さらに自然、その森羅万象から受ける人の感動など万感が交叉体現化し、さまざまな芸術となって人と関わっている。その典型的な形が、倭歌・和歌となったのであろう。万葉集歌も人のそうした万感がこもった芸術のその最古の具現化‐文字を与えられ‐遺されたものなのだろう。古事記・日本書紀そして万葉集として今日残る文字による上代の文学・芸術は、人の心の万感を記録し今日に伝えている。【拙書『額田王研究』より】
「煩悩」・・・寂しさ、哀しみ・・・人が何かにつけ持つ内の感情、その発露が控えられる、あるいは隠される感情・・・「業(ごう)」とよんでもいいのかも・・・そんな人の心が。自身の感情に弄ばれる・・・それが言葉ともなる・・・人とはふしぎな生きものだ。
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・・・BGM・・
3/09/Sat.
暖かな一日です。
身も心も開放されたかのよう。掃除を終えて、多くの音楽を聴く時間が持てました。
今日は何十年もラックにしまったままのCDを聴いた・・・といっても、本を読みながらのBGM・・・バッハの「管弦楽組曲」、ヴィバルディの「四季」、それにムソルグスキーの「展覧会の絵」・・・と、組曲ばかり・・・。そして、誰もが耳慣れた曲のパレードだ。
ボクは、このBGMを聴きながらの仕事の仕方・・・30歳近くなってからの習慣?となった。
図面を引きながらラジオそのFM放送・・・しかし、実際に聴いているかというと、聴いていない、聞き流しをして、耳に入ってこない・・・そして、ふっと一息ついたときにラジオが鳴っている・・・それを改めて知る。そして、夢中になって、製図版に向かっていた自分を知る。
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・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/20/Wed.
スイセンが満開になってから一週間ほどか・・・黄色のラッパ型の花・・・何という名前かしら・・・このスイセン・・・。
ずいぶん昔、鉢植えを買い、その花を楽しんでから、道路に面した間知石積みの擁壁の上、その小さな雑草の斜面、その端へ植えた。わずか二三本のそれが、毎年花を咲かせてくれ、その上、株がだんだんと大きくなって(毎年、一本ずつかしら?)・・・僕にしては上出来の移植の成功。そのうえ、1メートルほど離れた所に、移植したわけでもないのに数本の茎に同じ黄色の花が咲いて・・・不思議?
・・・ところが、昨年ころから、隣に植えてあったオモト(万年青)が姿を消して???これも不思議。
このオモト、母が送ってくれ、毎年赤い実をつけていたのだが・・・どこへ消えた?
そう、・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・。
改めて、オモトがあった場所を掘り返すか?(その後のはなし・・・枯れかけた葉が一枚見つかった)
・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・スミマセン・・・オモト様・・・。
先ほど書いた、この間知石積みの擁壁、我が家のところで途切れ、また南へとつながっているのだが、その南へつながった擁壁の上、わずかな隙間に、数年ほど前から、自然生えのマンリョウが一本立ちあがって、この冬そして今も葉むらの下枝に赤い実をつけている。鳥が運んだか・・・マンリョウの実。
このほか、ここ数年で増えた鉢植え・・・サツキ、つるバラ、ボケ(木瓜・この木は昨年秋に枯れたと思ったがそのままにして置いたら、二枝のうちの一本が小さな芽を転々とつけていた・・・うれしかった、思わず、どんどん葉を出してくれ・・・と声をかけた)、それから名前を知らない、いや、忘れた・・・木とも草とも定かでない一鉢、それに僕がつくった盆栽−トウカエデの林風の景色・・・と、どんどん増えた(これは大げさな表現)。ボケは枯れてしまったかとがっかりしていたが、その木瓜、落葉したつるバラと同時に、一昨日頃から赤い芽をふきだした・・・もうじき新しい葉の茂りが出来そうだ。
それに、家の中には、飾り鉢で売っていたミニバラが花を三つつけて、咲いている。
もう、三週間ほどになるかな・・・。
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・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/21/Thu.
昨夜からの雨降りが小やみとなって、さらに曇り空。
そういえば、昨日の続き・・・2月に買ったチューリップ(おやゆび姫と名前がついていた)・・・それ、本当におやゆびのように鉢の土から直接、茎は見えず、緑色の葉と真っ赤なつぼみ(これが真っ赤なマニキュアみたいだった・・・)が生え、いいチューリップと気に入っていたが、一度日当たりへと・・・ベランダへ出したら、突然成長し、アッという間に普通のチューリップ・・・、瞬く間に背丈は伸び、花は満開、そして翌日には花はしおれて・・・おやゆび姫のチュ―リップは、おばあさんに大変身。ええ、茎もねじれて大変な老嬢・老婆ぶり・・・これにボクはびっくり、まるで一寸法師か浦島太郎か、はたまた竹取物語のかぐや姫(?かぐや姫ですよね?)・・・おとぎ話がとんでもない現実になって、ボクは腰を抜かさんばかりに驚いた(なんとまあ、老人じみた表現ですこと、ホッ
ホッホッホッと笑われるかな?)・・・。
・・・こんなおとぎばなし・・・ええ、本当にとんでもないことになって・・・今は、ベランダの片隅で、完全に枯れるのを待っている・・・そう、来春用に球根を取ろうと、茎が枯れるのを待っている僕です。複雑な気持ちで・・・。
(球根を取ること・・・鉢にさしてある名札に書いてあった)
ところで、桜前線のこと・・・福岡市と東京でソメイヨシノが開花したという。
・・・ところでこの開花・その宣言・・・を見に出かける・・・これなんぞ、愚か者・本当の風情を心しないものやることだ・・・と、このニュースを聞いて、僕の心は即座に反応・拒否反応をした・・・そう、桜の開花はうれしいことだ・・・しかし、前線のその瞬間を目にしに行く・・・これは愚の極みだ・・・そう、開花のニュース・・・これを聴き、その喜び、冬が去って春が来た・・・この喜びを、心で聴く・・・そんな、ひそやかな喜び・・・俺は群れない・・・そんな群がって,開花の瞬間を待つなんてこと・・・何ともまあ、あさましいというか? 
・・・昨日20日、床屋での話・・・おいでになる途中の平和公園の桜はどうでしたか・・・つぼみは桜色が増してきたでしょうか・・・いや、残念ながらまだでした・・・今日は桜ならぬ梅・梅林が満開でした、少し盛りを過ぎているのでしょうが・・・今日は気温が20度まで上がるそうですが・・・例年どうりですかね・・・開花は・・・花見に出かけたいですね・・・ええ、仕出し屋に弁当を注文して・・・と・・・僕たちは、普段贅沢をしないけど・・・お花見には、仕出し弁当を注文し、それを心待ちして、出かけました・・・時には、それに、自家製のだし巻きとかカラアゲなんぞを添え、ワインも飼犬とともに・・・ナツカシイ・・・。
・・・桜の開花を待つ心・・・心に思うこと・あいさつに開花予想を語ること・・・そんなことこそ、桜の開花にふさわしいと僕は思う。そういえば、我が家の前の桜の街路樹・・・つぼみはまだまだほんの膨らみ。
ここまで書いて、スーパーへ買い物に行こうか、と時計を見たら3時30分。
*3/21/Thu.
今日後で書き加えた・・・国連が調べた世界の国々の「幸福度」・・・ニュースの始まりは、街頭インタビュから・・・あなたは日本人の幸福度は世界で何位くらいだと思いますか・・・だったか、質問の趣旨はこのようなものだった・・・対して、答えは10位台から一けた台・・・すなわち高い幸福感を持っている答えが多かった・・・。
実際は、その世界での日本のランキングは実は”第58位“・・・ぼくは、いい位置にいると思った。確かに、薄々感じる政治の偏り・・・そこに密かに阻害に曝されている国民・市民がいる・・・と、思っていた”あまり満足感を感じちゃいけないけないよ“・・・すなわち、”適当なところで満足しよう“とボクの心の内にあった。
これを国民は国になんぞ依存しない・・・すなわち自己満足で・・・補っていたのだ。すなわち、日本人が持っている幸福度は、自己抑制が効き、不満度の小さくとも、日常の些細な仕合せや、戦争や紛争がない、デモやテロもない(サリン・地下鉄・・は別なのか?)と、いわば、適当なところで満足してしまう満足でいい、といった小さな幸せが幸せなんだというような、国民性ともいえる、満足感があらわになったインタビュー結果ではなかったと、ボクは聞いていて解釈した。
この国連が調べた日本の幸福度58位は、調査がどのような項目からなっているのか、ボクは全く知らないが・・・国連の調べの結果から見えてくるこれは、日本国民よ”政府に騙されちゃいけないよ“という警告が働いているようにも見える。あるいは、日本国民のほとんどが、小さな家で肩を寄せ合って暮らし、国民の間には、生活格差、進学格差などが歴然と現れていて、そのことに、国民が気付いていない、あるいは、国民性が踏ま个鯱海蕕気覆い箸、身の程で満足するとか・・・しかし、それを世界水準・平均的なところで、比べてみれば、日本国民は意外なことに、世界第三位の経済大国の割には、質素な生活、些細なことで幸せを感じ、多くを望まない・・・そんなところ、それを国連の調査がくみ取ったのかしら・・・そんなことはあるまいが。
ここで日本が日本人のほとんどが国民が感じている10位台から一けた台なんて結果に本当になったら、ボクは現実感からも受け入れられないに違いない。
・・・そう、ボクは日本人の精神性・・・多くを望まない・・・身の程で満足・・・このように、日本人の生き方は、本来質素であったし、これからも、質素であるべきだと思う。そう、世界第3位の経済大国・・・こんなニュースは、これまでと現在の僕には望むべくもないし実感もない。
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・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/22/Fri.
昨日は小雨と曇りがちな一日だった。今日は雨が上がって、夜明け前から強い風が吹いている。これは“春一番”なのだろう。しかし、あまりにも猛烈な風力・・・これは嵐だ。そして一日中吹きまくった・・・あまりにも強力な、春一番・・・。
・・・昨日の続きのような今日のタイピング・・・。
昨年あたりから、切り花ばかりじゃなく、ときどき、鉢植えの花を買う・・・不思議なことに、切り花は常に目に付き、しおれた様子に水が不足してるかな、元気を出せよと、声をかける。しかし、四五日するとやはりだめになり、“ありがとうね、さいてくれて・・・”
と、ひと声かけて処分することになる。
鉢植えも手がかかるが、なぜか、切り花とは違った愛着がわく・・・。
・・・日当たりへ持ちだしたり、日陰へ持ち帰ったり、時には粒の化成肥料をツブツブと・・・土にのせたり、液肥を土にさしたり、枝々の花が咲き終わり枯れかかった花を摘み取ったり、鉢ごと雨にあてたり・・・また、風がつよくなれば鉢ごとひっくり返りはしないかと心配をし、寒くなれば霜に当たり枯れはせぬかと・・・気にかかり、ときには、スイセンのように鉢から露地に植え替えもする。
昨年は、ツルバラを大きい鉢へ植え替えたりと・・・平たい角鉢へは、街路樹が振り蒔き自生した苗を次々と抜いては植えこみ・・・林のような盆栽風にと・・・心を砕き、これが成功し、盆栽だ、盆栽だ・・・と心が浮き立って・・・よし、松もやってみるかと、玄関先に自生してきた松を鉢へ移植・・・これが失敗。枯らしてしまい・・・ひどく落ち込み、後悔にやけ酒をのんで、禁酒を破り、改めて後悔をし直すなんて言うバカゲタことへのめり悪循環へ落ちる・・・。
・・・とにかく、枯れはせぬか、根はついたか、来年は花が咲くかしら、新芽は出るかしらと・・・期待と心配が入り混じって・・・ついつい、家の出入りには目が行き、言葉をかけている自分に気づき、如雨露(じょうろ‐水を雨状露状に振りかける水遣りの園芸の道具)で水遣りなどなど・・・と、さらに、この如雨露は、連れ合いといった旅行先のバラ園で買った小さな英国ジョウロ・・・といっても張り紙があって、それにのせられたか、普通のジョウロ・・・これを手に取るたびに、旅で行った楽しさを思い出し、心が、如雨露の水でいっぱいになってあふれ出たり・・・と、玄関先の水道栓をひねりつつ・・・などと、常に何かの思考回路が働き・・・心は、ぬれたり湿ったりしたり・・・と忙しく・・・この暇人の心が弄(もてあそ)ばれている。
・・・こんな切り花や鉢植えにまつわるいろいろなこと・・・。
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・・・生きるということ・・・これ?・・・
3/23/Sat.
連日、草木・花のことを書いていると、母がささやかに作っていたというのか育てていた季節の花類、その季節ごとの花壇、そして棚の上のいくつものサボテンの大小の植木鉢・・・サボテン、その育ち具合と、夏の夕方、陽が落ちて薄暮が迫ってくる頃、ほのかに花が咲いたときの嬉しそうな顔、僕らもうれしかったこと、と・・・その世話をする母の姿、そして、その心の中のこと・・・病弱なその日常、四人の子、ぼくと弟と妹たちの子育て、その心のありようまでも想像し、胸があつくなったものだ。
・・・そう、こんなボクでも、一応は長男だったから・・・いろいろ思うところがあったのだ。
・・・人それぞれの、持って生まれた健康状態・・・急逝したわが連れあい、Mさんも連れ添った当時から健康状態が不安定だった・・・気遣ってきたが、まだ足りなかっかと、悔やまれる・・・。僕自身も母に似たのか病弱だったが、成長するにつれ、われら子は健康を得てきたが、ボクは連れ合いをなくしてから生来の虚弱性が露出してきて、生き残ったこの体をなやませている・・・。今では、“病気のデパート”だと、一つ一つ説明するのも面倒なので、ひっくるめて、いっている・・・が。
こんな家族を養ってきた、サラリーマンの父・・・オヤジは、けっこう健康体だったようだ。この父母、母もともに、奇跡的にともに80代半ば過ぎまで、そう、長生きというのだろう、二人は生きられた。
・・・しかし、その人生に、ボクはどこまで“孝”を尽くせたか・・・結論は“孝行らしきことをしてこなかった”・・・そう、その細い脛をかじりにかじり、しゃぶってしゃぶって、妹たちと弟に迷惑をかけ自分自身の生き方のみにを、わがままになしてきた・・・これが結論だろうと、振り返って思い、また、悔やんでもいる。
・・・生きるということ・・・これを、なんといったらいいのだろう。
そう、誰もが、どんな家族もが、さまざまな佳きことつらいことを、克服しつつ生きているのだろう・・・人生、そう、そんなにいいことばかりではないかもしれないが、頑張っていきたいし、生きていってほしい・・・だれもが。
・・・自分自身のことから、余計なお世話まで言ったのかもしれない・・・まあ、お許しを・・・。
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・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/25/Mon.
今日は八月美術館へ6人の女性が来館くださった。
1月においでいただいた方たちのお一人が、改めて他の美術仲間5人とともに、おいでいただいたのだ。
こんな小規模で、かつメジャーな作家の作品でもないもの・・・その、鑑賞に耐えられるかどうかわからない作家の作品。
でも僕としては歓迎だ・・・人の出入りもなく、こもりきりのこの身、こうして賑やかにやってきてくださる。ただご覧になっていただくだけじゃなく、そのあとのお茶の時間、この準備をする前日の時間は楽しい・・・。
・・・いっときの賑わい・・・。ご案内くださった皆さんの心の内に、この界隈の桜の開花の様子を、御覧に入れたい、見せたいとの心づもりをも持たれたのだろうか・・・それにこたえるかのように、この三本の桜は、ちょうどポツポツと開花しはじめ・・・お茶の時間中にもポツポツは続いた。
そう、・・・街路樹の桜三本・・・チラホラと咲いて・・・桜開花の期待が高まる。
日本人は桜の季節になると、なぜか心が高ぶるらしい・・・不思議な民族だ。
・・・そう、そうして良くも悪くも、桜に振り回される・・・その桜前線は北東へ北東へと、上っていく、その前線の移動は一月どころか二月にも及ぶ。さてもさても、この“桜前線”なるもの・・・これを気象と結び付けた・・・日本人・・・この列島に住み着いた、この極東・・・果ての国の民族の”独りよがり”は、この国へやってくる人らにまで伝染していく・・・。
・・・果ては、死ぬときは、桜の下、如月の望月に(西行)・・・なんて願い、本当にその望み通りの死にざまを見せる・・・。これ、いかにも日本人らしい・・・桜花と死・・・この絶妙な、というのかあまりな入れ込みように・・・ばかばかしくなるどころか・・・その死にざまを・・・我も我もと・・・!!!
果ては、戦場へ送る兵士にまで、桜の思い出を背負わせ、この国土を守れと、命を懸けよと、死を強要し、その死を美化して、国という何者か明瞭ではない体系が、国民一人一人を縛り付ける・・・。
・・・ああ、そのあげく、国民は、日本人は・・・このばかばかしさを、賛美してしまっだのだ・・・この桜花へ精神を仮託し・・・それによって国も国民も・・・加担したわが身わが心・・・その油断を花のせいにし、自らを許してしまったのだ。
この季節・・・僕も、桜花という刻々迫りくる・・・花津波にのみこまれ・・・花から花へと・・・心が漂い続ける。
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・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/28/Thu.
目の前の桜がガラス越しに白く見えるようになった。まだ、四五分咲きといったところか・・・。
夕方、この歩道を通り過ぎていく、幼児・・・女の子らしい、その笑い声・・・お母さんと一緒なのだろう・・・そう、その子がおとなのような高笑いをしつつ通り過ぎていく・・・そう“ワッハッハ、ワッハッハ”・・・と僕には聞こえる・・・高笑い・・・だが、その声音に幼児らしい響きがあって・・・僕はなぜか、ホットしたのだ・・・。
・・・この“桜病”・・・日本人は、こんな幼子の時から・・・“桜狂い”をするらしい・・・。
昔から、春には”頭のねじが緩む“というが、この桜花病を言うのかしら?
ああ、何とも恐ろしい・・・何と怪しく妖しい・・・この高笑いだろう。
・・・僕は今日一日・・・またも一歩も外出せず、こもりっぱなし・・・そう、ウオーキング・・・にも出かけず・・・左膝痛を理由にしてさぼった・・・。そして、やっぱり寝つきが悪く、午前0時に、ベッドを抜け出して・・・これをタイピングしている・・・そう、ばかげた悪循環・・・。
・・・ひよっとすると・・・あれは、あの高笑いは・・・桜の妖怪の高笑いだったかもしれない・・・。
・・・桜の病・桜を病む・・・この花咲くころ・・・なぜか、人はウラウラ・ユラユラと・・・桜の樹下にさまよい出る・・・。我が家の前、この歩道にはそんな典型的な日本人・・・桜病の患者が行き来するのだ。
・・・そう言えば今朝、妹から「家の前の桜は咲き始めたの・・・?」と、電話があった。何百キロも離れたところから・・・そう、これも桜病に・・・うん、ここにも桜を通じて、兄妹のつながりがある・・・なんともいえないうれしさがボクの心に残った・・・。そう、この桜の開花を心にとどめる妹の、その心根を、ボクはうれしく思ったのだった。
しかし・・・こんなタイピングを・・・寝付けないからといって・・・真夜中“丑三つ時”にこうしてBLOGを書いている僕こそ”怪しく妖しい存在“なのかもしれないな・・・。ああ、今年も僕は桜の妖怪に取りつかれたか?・・・これも悪くはないかもしれないな。
・・・それにしても・・・寝付けないのは・・・先週も木曜日だったかしら?と、なると、そう、木曜日の妖怪・・・なのかもしれない。桜の花とは関係なく?
・・・いやいや、妖怪でも桜花でもなんでもなく寝付けなかったのは、習慣を破って、ウオーキングをさぼったことが原因だよ・・・そう、心地よい疲れを作らなかった・・・そう、習慣とは身についた日常そのものなんだから・・・ね。ほんと、おっしゃる通り・・・。
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・・・春とはふしぎな季節だ・・・
3/29/Fri.
でも昨日の・・・“木曜日の妖怪”・・・そんなのが誰の心の中にもいるのかもしれない。そう、古い家には”座敷童(ざしきわらし)“がいるという・・・いや、古い家ばかりではなく、どの家にも、誰の心にも・・・いるかも。
でもね、座敷童は・・・いい子、悪い子・・・どっちかしら・・・。
・・・花を愛で、鳥のさえずりに心を開放する・・・ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・なんだか、みな穏やかな鳴き声・囀り・・・そう、桜が満開に近づく・・・それにつられ、鳥たちも虫たちも・・・人のように浮かれ出る・・・。
春とはふしぎな季節だ
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・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・
3/30/Sat.
花曇りとなった・・・そこへ、ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・これって、昨日のパクリじゃないか・・・まあ、お許しを・・・一部分をね。
ところで・・・昨日のニュース・・・改元、その元号の発表、その式次第のような、この政府による4月1日のスケジュールが固まったそうな・・・。まあ、平易な漢字で、表現してほしいね・・・でも、アベが元号の意味の説明をする・・・これって変じゃないか。
・・・まさか、元号決定にまでしゃしゃり出て「俺が決めた」なんて言うんじゃないよね・・・。
説明は、アベがしなくたって新聞かラジオ・TVに自然に流れるようにすればいい・・・とくだん、アベが、ここにしゃしゃり出るなんてことは、全く必要ない、・・・まあ、どうでもいいけど、山中さん林さん・・・この人たちが決めるのでもなさそうなのに顔を連ねる・・・これも奇妙なこと・・・なんなのこれって。そう、今はやりの”インスタ映え?“するからなの。そう、・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・。
元号・・・これは慶事の記憶よりも、戦争や災害の記録と記憶にかかわって語られる比重が大きいかもしれない。そう、戦争・内乱という時代ではないかもしれないが・・・自然災害は絶え間なく襲い来る・・・日本・・・心引き締めて次へ進もう。
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・・・平成31年3月31日・・・
3/31/Sun.
昨夜、ボクはふと思い出した。良寛さんの言葉・・・
炊くだけは風の持て来る落ち葉かな
・・・そう、人生、なるようにしかならない・・・でも、食っていくだけのものを、天は与えてくださるだろう・・・きっと、そう、俺の人生はそれでいい、それだけでいい・・・行雲流水・・・天がなされるがまま生きるとしよう・・・このような意味だろうか。
僕は良寛さんのようにはとても生きられない。残念ながら僕は、俗物そのものだもの、・・・このオレの器量では多くはのぞめない、ここにきて、ふと思った・・・まあ、生きていくさ、生きられるだけ。
・・・今月はここで・・・今年の桜、御覧になれましたか、ええ、何も花見弁当を持たずとも・・・近くの公園へ出かけてみましょう。お元気で、四月もよろしく。
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