建築家日比龍美BLOG

HITBIT 心もよう vol-110 April 2019

HITBIT[心もよう]vol-110 April 2019
・・・元号決定・その背後?・・・
2019年5月1日に向けて、時代の時間が動いている。
今上(平成)天皇の退位の意向・決意なのであろう、それが2016年8月の“天皇のビデオメッセージ”(いわば、次代を先駆け行く新しい手法)によって表明され、それによって、退位が政府によって決定され(象徴天皇の故、このような手続きになるか)、国民にも納得され、平成の皇太子が平成31年5月1日に即位し新天皇となるその道筋が示されてきた。
それに先立って、新元号が、現在の政府によって4月1日に決定されるという・・・。
本来、元号制定は、天皇即位直後に制定されるというが、人間天皇、政治に関与しない、という建前から、政府が変わって元号選択制定に積極的に、昭和天皇崩御から、この度の天皇譲位に伴う退位と新天皇の即位という、時間的流れを政府が決定して来たということらしい。また、平成に続く元号の選定も政府の重要な役割となったようだ。
これには、たぶん、歴史学者・漢学者・漢文学者・国学・国文学者・中国史学者・・・などなど、漢字圏に関する日本国内の、先に示したような研究者ら・・・が参加され
”新元号“の提案・提示がなされ、この決定に先立っていくつもの”案“が模索され提示されるのであろうか・・・そして、提示された、いくつもの”案“の中から新元号が選ばれるのであろうか。
新元号に到る秘密裏な過程・・・ここに、政治的意向がはたらくことが危惧される、この危惧は・・・現政権が背後に持つ暗闇が働くのではないかと・・・これまでの現政権の為してきて、国民に与えた印象、国民が感じ持ったいくつもの疑惑を生んだアベ政権であること、その疑惑が国民に納得されることなく、政権と自民党公明党によって幕引きされ、次のステージへ進んでしまったことに対する、大半の国民が持つ現アベ政権が持つ暗く深い疑惑への懸念である・・・。
それは、元号決定の30分後に、総理大臣アベがこの元号についての説明(説明の意味?どんな事を述べるのか?)をするということから・・・国民であるオレが感じてしまう、あの二つの学校設立に関する疑惑と同様の・・・アベ現政権が何かしら働きかけてしまうことから発する“忖度(そんたく)“・・・が、生じる・・・そんな懸念・・・これを、思うのだ。そう、こうしてしゃしゃり出てくるというその一事において、感じてしまう、疑ってしまう・・・そのこと。
・・・アベが、その現政権がそこまでは関与しはしないだろう・・・と、期待とも信頼とも疑惑ともつかぬ“どろどろ”としたものを、安倍政権の背後に見てしまうというのか、ふと思ってしまうほど、現政権に対する国民の不信?は大きいのだ・・・。
これはオレだけなのか、おれの感覚が過敏すぎるのか、オレの不信感が強いのか・・・これはオレ自身にもよくわからないが、元号の背後に・・・もしかすると総理大臣の意向が働く・働いた・・・と、危惧というのか。疑ってしまう俗物・オレ・・・が、いる。
そう、官房長官が元号を発表したその後、総理大臣アベがしゃしゃり出て、新元号の説明などをするという・・・いわば、目立ちたい・・・そんな意向に対する、いわば下種(げす)の勘繰り・・・こんなことまでを考えてしまうオレ。
ただ、オレには”元号“というものは、”天皇一代ごとの元号“・・・これが、あってもよく、また日本史において必要でもある、と考えている・・・そう、天皇制(象徴天皇として)の存在とともに日本国には、日本を考えるその思考の基底の存在としても、そう、日本史は天皇の存在とともに考えると、把握しやすい・・・。
ボクは、著した『額田王研究』に述べた飛鳥時代では皇極紀まで元号は存在しなかった。孝徳紀になって‐大王孝徳元年(645)年六月十九日−初めて「大化」と号したのを始めとするが、この書では大王一代ごとの「紀」、それを日本書紀に依拠した時代区分として、ボクは採用し、推古紀・舒明紀・皇極紀・孝徳紀・斎明紀・天智紀・大友紀などと大王統治の時代ごとの事件・内政・外交、などを示してきた。さらにこれに、西暦を書き加えることによって、時代の特色を大王の存在とともにわかりやすく示すことが出来たと考えている。
そして、これ以降の時代は、西暦とともに”元号“を明らかにすることによって、日本の歴史を理解する手立てとしてきたように思える。
(この記事は平成31年3月31日PM10時55分に書き上げた)
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===目次===
4/01  ・・・元号決定・その背後???・・・
4/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
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・・・元号決定・その背後?・・・
4/01/Mon.
新元号は『令和−れいわ』と決まった。これは熟語としては存在しない。新しく考え組み合わされた文字『令』と文字『和』からなる新しい熟語ということが出来よう。これを「れいわ」とよむ。
元号(年号)は明治になって天皇一代限りの年号とすると決まったのであるが、この2019年の天皇退位により皇太子が5月1日に天皇即位する。
これに先立って、新元号が、現在の政府によって今日4月1日に決定されるという・・・。今日であるが、この元号決定の在り方は、本来の元号決定とは後先が逆なのではないかと考えるが、天皇が政治に関与しないということから、政府が主導し、先に元号が決定された。ここには、政治・経済・社会通念など、さまざまに年号・元号がついて回るこの日本の世の中において、即位までの一月の間を余裕ある世の移行を促すということか。
ところで、新年号・元号−令和・れいわ−この二つの文字・漢字・・・新たな熟語ともいえるこの字の出典は万葉集から、その巻五の「梅花の歌」、その併せて三十二首の序文から抽出という。
   梅花歌卅二首并序
 天平二年正月十三日 萃二于師老之宅一 申二宴會一也 于レ時初春令月 気淑風和 梅披二鏡前之粉一 蘭薫二珮後之香一 加以 曙嶺移レ雲 松掛レ羅而傾レ盖 夕岫結レ霧 鳥封レ穀而迷レ林 庭舞二新蝶一 空歸二故鴈一 於レ是盖レ天坐レ地 促レ膝飛レ觴 忘二言一室之一裏 開二衿煙霞之外一 淡然自放  快然自足 若非二翰苑一何以壚レ情  請紀二落梅之篇一 古今夫何異矣 宜下賦二園梅一聊成中短詠上

 梅花(ばいくわ)の歌三十二首 并(あは)せて序(じょ)
 天平二年の正月の十三日に、師老(そちのおきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。
 時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よく)風(かぜ)和(やはら)ぐ。梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き。蘭は珮(はい)後(ご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。
しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛(け)けて、盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆうへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(と)ぢられて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故鴈(こがん)歸(かへ)る。
ここに、天(あめ)を盖(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)けて、觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自(みづか)ら足る。
若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を壚(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅(えんばい)を賦(ふ)して短詠(たんえい)を成すべし。
万葉集巻五の「梅花の歌」、その併せて三十二首の序文はこのように述べている。
漢文・漢詩は僕には読めないが、こうして仮名交じり文にして格調高く、弾むような心が読み取れる。この序文全体がこの春の宴会の園、そこに漂い来る梅の花の香、この時、この場において、何をなすべきか、そう、ここに集いし者たちが今こそ、この梅の花の薫りを聞き、ここにそれぞれが”短歌“一首を詠み残そうではないか・・・このめでたい集いに(令の字の醸し出すめでたさがこの集いの場に広がっている・・・めでたさ・・・)。
そう、こうして老師の健康を祝い集う私たち、この梅園にて一首を残そう・・・。
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・・・元号決定・その背後?・・・
4/01/Mon.
新元号は『令和』という。無粋なことになるのかもしれないが、この二文字の文字情報の一部を漢字辞書から得てみよう。ただし、説文・甲骨・金分・・・これら、象形文字の初形は、文字化けしてしまい、ここに示せないのは残念だが、お許しを・・・。
【令】
[字音]レイ・リョウ(リャウ) [字訓]みことのり・いいつける・よい・せしめる・たとえ。
[象形]礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。
〔説文〕九上に「號を發するなり。人(しふ)卩(せつ)に從ふ」と会意に解する。人を人(あつ)めて玉瑞の節(卩)を頒かち、政令を発する意とするが、卜文・金文の字形は、神官が目深に礼帽を著けて膝まづく形で、神意を承ける等とみられる。
[訓義]
1.おつげ、神のおつげ。
2.みことのり、ふれ。
3.いましめ、おしえ、いう。
4.よい、ただしい、めでたい。
5.させる、せしめる、いいつける。
6.もし、たとえ。
7.伶(れい)と通じ、めしつかい。
【和】
[字音]ワ・カ(クヮ) [字訓]やわらぐ・なごむ・かなう・こたえる・したがう
[会意]禾(か)+口。禾は軍門の等。口は粟(さい)、盟誓など、載書といわれる文書を収める器。軍門の前で盟約し、講和を行う意。和平を原義とする字である。
[形声]声符は禾(か)。龠(やく)は笛。楽音のととのうことをいう。〔説文〕二下に「厘(ととの)ふなり」とし、「讀みて和(くわ)と同じうす」という。〔一切経音義、六〕に引いて「蟹樂和厘するなり」に作り、楽音の調和することをいう字である。和は軍門で和議を講ずることである。両者は字源を異にするが、通用することが多い。滓が禾声に従うのは、農耕に関する儀礼に、籥(やく)(笛)を用いることがあるからであろう。金文に珂(やく)の字があり、これも籥と力(耒(すき)の等形)とに従う。〔大克鼎(だいこくてい)〕に「克を王の實(こと)に珂(かな)はしむ」、〔士父鐘(しほしよう)〕「永命に珂はしむ」のように用いる。滓・珂が禾・力に従うのは、農事が陰陽律呂にかなうことが重要視されたからで、のち戦国期の鄒衍(すうえん)は、陰陽五行を以て律呂を按じ、寒冷の北地にも農耕を可能にしたと伝えられる。
[訓義]
1.ととのう、音律がととのう、あう、かなう。
2.やわらぐ。
3.和と通用する。
[古訓]〔字鏡〕滓 マジハル
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*以上、漢字辞書「字通」から「令」と「和」の字訓や訓義などの文字情報を見てきた。
また、ネットでニュースを見ていて、『令和』の解釈を語っていた記事を見つけた。それをここに紹介しよう。
*外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した、という。今月1日の新元号発表後、「令」を「order=命令、秩序など」と訳す外国メディアがあったのを受けた措置で、外国メディアにも個別に説明している。
 「令和」の発表後、国際的に影響力が大きい英BBC放送が「order and harmony」と表すと報道。「令」については「Command=指令」を意味すると報じる欧米メディアもあった。外務省の担当者は「令和の意味を正確に訳すのは難しいが、全く異なる解釈をされるのを避けるため、趣旨を伝えることにした」と述べた。
 外務省内では「令」が律令など法律の意味で使われることがあることから、『令和』は『法の支配に基づく平和』とも解釈でき、日本の外交姿勢になじむ」といった声も出ている。【秋山信一】・・・と、インターネット上のニュース番組から署名記事を引用させていただき、添付しました。メディアの社名は見落としましたが、秋山さん、ありがとうございました。
・・・リュウ、4月7日に記す・・・「令和」について、僕が漢字辞書『字通』から引用した文字情報は、外務省の説明を裏付けるものと思う。ただ、こうした政府見解あるいは意図した”熟語?・・令和“の意味だけでは、解釈が浅く狭く、元号としての本来の漢字字義が希釈されてしまっているようにボクには思える。
すなわち漢字本来が内包する”神の存在・神の宣託“・・・象形文字が呪祈祝祷に際してその呪術者がよみ取った甲骨に現れた文様の為す意味・宣託あるいは神託・・・といった、根本的な意味が、オブラートで包まれ、元号としての深い意味が失せてしまっている、と思う。
文字情報、その初形・象形文字そのもの「[象形]礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。」・・・これが、この新元号「令和」を理解する根本にないといけないと、ボクは思います。ボクは、この「礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形」・・・これ「令」の「象形」の意味するものを見つけた時、“説文・甲骨・金文・・・これら、象形文字の初形は、文字化けしてしまい、ここに示せないのは残念だが、お許しを・・・”と、この「令」の初形を見て感じたことを述べておきたい。
実は、今上(平成)天皇が被災地を経巡りされたとき,必ず目にする、その天皇の姿勢・・・それがこの「令」の初形・象形文字の初形・・・として、「礼冠をつけて、膝まづいて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。」とある、その姿そのものを以て、被災者に接するその姿そのものであることに気づいた。
すなわち「(礼冠をつけて)膝まづいて民意(神ではない)を聞く天皇の姿とその形」そのものなのである・・・。
・・・象形文字では「礼冠」を「菅笠・すげがさ(これは僕の表現)」の形、漢字の部首の二画では”被り物は「冖」この一字」が見えるが、すなわち、神意を問い聴くときに被る冠はこのように菅笠の形「ヘ」の様だったのであろう、そして、その礼冠の下には、膝まづいて、それは、踵を上げ、十の足指で上半身を支え両の腕を膝にし、膝を床(土)に支え、両の腕を差し伸べた形を、その形を平成の天皇はとられ、被災民に接し言葉をかけられた・・・ボクはそのジャンパー姿の天皇に思い到る。
また、「命」は、やはり礼冠をかぶり膝まづいて両の手を差し伸べ「聖器さい・口」をささげる形を表す。すなわち、神意ならぬ、人・国民の言葉を天皇は聞き、受け止め、言葉をかけられた、のであろう・・・。
・・・そう、この「令和」を元号の候補に出したという万葉集・万葉集歌の研究者は、また、天皇のこの象形文字の初形の姿をも思い浮かべたのであろうか。
・・・なんとまあ、漢字の世界とは深淵であり深遠・・・な世界だと感動を改めてボクは覚える。とにかく、この新元号「令和」は、よみも字形もいいものだと思う。
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・・・平成最後の日・・・
4/30/Mon.
今月四月は体調が悪くて、ようやくここまで書きました・・・申し訳ないけれど、平成最後のボクのブログはここで締めにします。来月5月1日からの「令和」新元号にも、健康の許す限り書き続けたいと思っています。
・・・僕は「昭和」に生まれ戦中戦後の困難な世情の中、祖母と両親に育まれた。そして、その戦後の昭和という平和ではあったが激動の世の中でもあったし、希望の世の中でもあった・・・そう、日本国民が力を合わせ、また、それぞれに、現在と未来に、自ら身を粉にして「頑張った」時代でもあったのだろう・・・。そう、悲劇的な時代を経て乗り越えて・・・ある意味では幸せな時代であったかもしれない・・・そんな戦後の昭和時代・・・もちろん、あの対戦は・・・日本国民すべての不幸せであったことは確かとしても。
そして、昭和天皇の崩御、新元号「平成」になって、・・・なんだか日本人がギスギスし、他者への思いやりを忘れ、礼を失し、自らとその家族、そう、両親を捨て、おのが核家族へ逃げ込んで、都市生活者面(づら)し、ろくでもないB級グルメとやらに小躍りし喜びを表すような、下品で小者のB級人間へと、自らを貶めてしまった・・・そう、僕自身のこと・・・実は僕はB級グルメさえほとんど、いや、ここまでまったく口にしない粗食者。そして、この2019年5月1日、その貶めた心身の僕は新たな元号の本・・・やはり日本人(にほんじん・・・ニッポンジンではない)であり続けていくこと、として生きていくことになる。
この後どれだけ生きていくことになるのか・・・また、世の中とかかわっていくのか、そう、平成に、日本人が手にしたスマホなるものに埋没、若者かバカ者かわからないほどの利己主義がはびこって、電車の中で、いち早く空席へケツを押し込み、スマホへと埋没、全く他者を顧みないアホ人間・アホ日本人となってしまった・・・それでも、降車駅を間違わず、そ奴は席を立ちスマホを見つめたまま降りていく・・・。
そんな中、やはり、ヤツ以上にアホな僕はスマホも手にせず電子メールなるものも、SNSが何やら、IT、これも何やらさっぱりわからず・・・その原理もわからず、このホームページ屋がつくってくれた“ブログ”とやらに、こうして自分をさらし続けている・・・愚か者・・・なんともこの世とは、オレにはさっぱり訳が分からない・・・俺自身も何者か?・・・面白くもない世の中だ。
でも一つ良いことがあった。そう、パソコンで文字を打ち表せること・・・このことは、願ってもないことだった・・・そう、ボクにとっては・・・ありがたいことだった・・・この昭和の末から平成最後のこの日まで・・・とにかく、ありがとう・・・良くも悪くも、このオレが生きてきた時代・・・。そういえば、昨日は4月29日「昭和の日」だった。令和になっても“昭和の日”は続くのだろうか?
また、十連休という平成31年4月27日土曜日から、令和元年5月6日月曜日までらしいこの元号の移行への日々の連休・・・。これは僕には何の関係もない・・・が、この新緑の風景・・・我が家が接するこの里山・・・これを愛でて日々を過ごそう・・・薮のそこここにあった、ムラサキヤシヲはずっと先に姿を消し、薮のフジが紫色の花房をつけはじめ、ウオーキングをする道筋にあるベストポケットパーク・・・そこにある藤棚にも紫の房が下がり始めた・・・そしてその隣の八重の桜・サトサクラはピンクの花びらを自身の周りに戯れか、良きことを寿ぐのか、その花びらの厚く積もった絨毯を敷き詰めた。
そう、昨年は、この花びらが散り敷く前・・・満開のサトサクラの花の下に、自転車を止め、夢中になってスマホを差し向けていた少女のことを思いだす。
・・・ここ数日続いた思わぬ夏日が・・・なぜか早春の膚寒さへと逆戻りして・・・日常の着るものを・・・あれこれと・・・僕を戸惑わせている・・・おお寒い!・・・そして”平成さようなら・・・“・・・・・・なんだか、昭和生まれのオレ・・・ずいぶん長く生きてるなと・・・思わぬ冷え込みに、この生身の自分を実感している。
・・・きょうは雨降りとなった・・・シトシトと、新緑が幾分濃さを増した里山が、雨に濡れている。この雨降りの日は、平成最後の日から明日の令和元年5月1日へとつながって降り続くと、天気予報の女性気象予報士はラジオの朝番組で言っていた。今日明日と日本中が静かに皇位の継承を見守りながら続くのだろう・・・とにかくめでたい日ではある。
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HITBIT 心もよう VOL-109 March 2019

HITBIT[心もよう]vol-109 March 2019
三月半ば・・・ようやく春めいてきました。宵のウオーキング、そんなときふと春らしい空気を感じる。夜気に交じって清涼な匂いが流れている樹木の多い夜道・・・歩き疲れてふと立ち止まる。里山の裾にある歩道・・・。昨年末だったか今年になってからだったか、街灯が水銀灯からLEDに変わって、光度を落としたのか、何となく薄暗くなった歩道・車道・・・幽玄?
最初は何となく違和感をもったが、慣れてきたのか・・・この仄かな雰囲気を醸すLEDの光度・あかり・・・陰りを帯びた明かり・・・なかなかのもの・・・。
実は我が家もキッチンの手元灯と天井等をLEDに変えた・・・二か所とも寿命が来て・・・そう、蛍光灯から・・・狭い空間だから、その明かりは十分すぎるほど明るくなったが、何となく冷たく寂しげな光・・・これが少し気になっているが、そのうち慣れてくるのだろう。
居間の天井灯は昔ながらの何の飾り気もない蛍光灯(シンプルさが気に入っている)、40ワットの棒球が5本、カバーの中に並んでいる・・・一部であるが変えたLEDと比べると、何となく蛍光灯の方が光が柔らかく感じて・・・この居間の照明を蛍光灯のままにするか、LEDにするか・・・迷っている・・・蛍光灯管が無くなることはないかしら?
・・・そう、日常に“迷い”・・・迷うこと、決断とまで言うことでもないが、何事もうやむやというのか曖昧にしているような気がする。そしてこの居間を見回してみると、何とも雑然となって、整理がつかなくなっていることを改めて感じる・・・。
・・・一つの原因は、居間とつながってある食卓・・・ここへノートパソコンを持って、上の階の書斎から降りてきて食卓書斎としてから現在の”雑然・散らかし放題“が始まった。
・・・この極めて狭い、居間が昼間のボクの創作と生活の空間となって・・・まとまりがつかなくなった。何とかしなくてはと思っているが・・・どうにもならなくなっている・・・資料などが生活空間にのさばり、手の施しようがなくなった、僕の散らかしよう・・・何とかしないと???
・・・・・・今月も、書くことがないと・・・いったんは諦め、休刊にしようかとも思いましたが・・・身近なことへ、目を向けたとたん・・・少し、書き進められました。
・・・ええ、精神、その感性の衰弱・老化など・・・枯渇ということが、現実になってきつつある昨今です。いつまで続けられますことか・・・。
・・・お元気でしたか・・・。
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===目次===
3/06  ・・・遅れてごめんなさい・・・
3/08  ・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/09  ・・・BGM・・・
3/20  ・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/21  ・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/22  ・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/23  ・・・病弱・・・
3/25  ・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/28  ・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/29  ・・・春とはふしぎな季節だ
3/30  ・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・

3/31  ・・・・・・
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・・・遅れてごめんなさい・・・
3/06/Wed.
名古屋は、曇り・・・雨降りになるのかも・・・気温が下がりつつある。
・・・先月。2月号は投稿が遅れました。ええ、申し訳ないこと・・・すっかり失念。
先ほど投稿し公開しました〈AM11時ころ〉・・・109号です・・・そして、先月1月号は通算108号目でしたが、間違って107号となっていたのを訂正しました。ごめんなさい。
・・・いろいろと、この身の変調がこうして、忘れたり失念と(おなじことか?)・・・生身の人間のなんとひ弱なことでしょうか・・・ことに僕は。
それにしても、長いこと続けてきました・・・間に一年間のご無沙汰もありましたが・・・。よく続いたと思います・・・。これからも、何とか続けたいと思っています。
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・・・煩悩と業(ごう)・・・
3/08/Fri.
先月号に書いたかもしれない・・・ええ、先月のことをしっかりと覚えていない。
なんとも、気持ちも、記憶も頼りないものになったようだ。
・・・先月だったか・・・読んだのかドラマでも見たのか?
・・・「寂しさは金、哀しみは銀、煩悩は人を強くしてくれはります・・・」・・・これ、なかなか味わいある言葉だとおもう。
この一行を知った時、ボクは自身の書中に書いた・・・「空蝉」うつせみ(古形は‐うつそみ)・・・飛鳥人についての一文を、思い出した。その部分をここに置いてみよう。
・空蝉は、現人(うつそみ)、の転。この世の人。平安時代になると蝉の抜け殻(うつせみ)の意となる。それはまた、抜け殻の意から「はかない」という意味に用いられた。飛鳥人においても同様であったであろう。この感覚は「はかなさ」は平安時代になって突如固定化したものではないであろう。殊に上代に遡って、寧楽(奈良)・藤原そして更に飛鳥時代と、深く自然と関わり、その現象を尊び、身近に感じていた上代の人の感性の方が今日のわれわれが感じる以上に、蝉の抜け殻に「はかなさ」を感じることは、既知識的・固定観念ではない自然にわき出る感情であったであろう。
「はかなさ」は自然現象を感じることによってさらに促され、またそこへ仏教の影響も加わり、「生死観」を伴って、一層「人の存在」へと関わっていくことになり、そこに「哀れ」「もののあわれ」そして「無常観」へ、人の心の深層の「虚無感」へつながり、ときには現実と虚無との狭間に人を置く。
それは「心の揺らぎ」そのものとなって、人の感性を弄ぶ。しかし、その揺らぎに自身が置かれることをも、人は求めるようになり、意識的にその境遇へ狄瓦反鉢瓩鮹屬ことを求めもした。「哀しみ」はそうして人の心を弄び、人はそうされることによって悲しみを癒しもする。死はいうまでもなく、別離の悲しみ、労働の苦しみも、さらに悲しみ苦しみばかりではなく、喜びも、恋も、さらに自然、その森羅万象から受ける人の感動など万感が交叉体現化し、さまざまな芸術となって人と関わっている。その典型的な形が、倭歌・和歌となったのであろう。万葉集歌も人のそうした万感がこもった芸術のその最古の具現化‐文字を与えられ‐遺されたものなのだろう。古事記・日本書紀そして万葉集として今日残る文字による上代の文学・芸術は、人の心の万感を記録し今日に伝えている。【拙書『額田王研究』より】
「煩悩」・・・寂しさ、哀しみ・・・人が何かにつけ持つ内の感情、その発露が控えられる、あるいは隠される感情・・・「業(ごう)」とよんでもいいのかも・・・そんな人の心が。自身の感情に弄ばれる・・・それが言葉ともなる・・・人とはふしぎな生きものだ。
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・・・BGM・・
3/09/Sat.
暖かな一日です。
身も心も開放されたかのよう。掃除を終えて、多くの音楽を聴く時間が持てました。
今日は何十年もラックにしまったままのCDを聴いた・・・といっても、本を読みながらのBGM・・・バッハの「管弦楽組曲」、ヴィバルディの「四季」、それにムソルグスキーの「展覧会の絵」・・・と、組曲ばかり・・・。そして、誰もが耳慣れた曲のパレードだ。
ボクは、このBGMを聴きながらの仕事の仕方・・・30歳近くなってからの習慣?となった。
図面を引きながらラジオそのFM放送・・・しかし、実際に聴いているかというと、聴いていない、聞き流しをして、耳に入ってこない・・・そして、ふっと一息ついたときにラジオが鳴っている・・・それを改めて知る。そして、夢中になって、製図版に向かっていた自分を知る。
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・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・
3/20/Wed.
スイセンが満開になってから一週間ほどか・・・黄色のラッパ型の花・・・何という名前かしら・・・このスイセン・・・。
ずいぶん昔、鉢植えを買い、その花を楽しんでから、道路に面した間知石積みの擁壁の上、その小さな雑草の斜面、その端へ植えた。わずか二三本のそれが、毎年花を咲かせてくれ、その上、株がだんだんと大きくなって(毎年、一本ずつかしら?)・・・僕にしては上出来の移植の成功。そのうえ、1メートルほど離れた所に、移植したわけでもないのに数本の茎に同じ黄色の花が咲いて・・・不思議?
・・・ところが、昨年ころから、隣に植えてあったオモト(万年青)が姿を消して???これも不思議。
このオモト、母が送ってくれ、毎年赤い実をつけていたのだが・・・どこへ消えた?
そう、・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・。
改めて、オモトがあった場所を掘り返すか?(その後のはなし・・・枯れかけた葉が一枚見つかった)
・・・オモトが消えてスイセンは花盛り・・・スミマセン・・・オモト様・・・。
先ほど書いた、この間知石積みの擁壁、我が家のところで途切れ、また南へとつながっているのだが、その南へつながった擁壁の上、わずかな隙間に、数年ほど前から、自然生えのマンリョウが一本立ちあがって、この冬そして今も葉むらの下枝に赤い実をつけている。鳥が運んだか・・・マンリョウの実。
このほか、ここ数年で増えた鉢植え・・・サツキ、つるバラ、ボケ(木瓜・この木は昨年秋に枯れたと思ったがそのままにして置いたら、二枝のうちの一本が小さな芽を転々とつけていた・・・うれしかった、思わず、どんどん葉を出してくれ・・・と声をかけた)、それから名前を知らない、いや、忘れた・・・木とも草とも定かでない一鉢、それに僕がつくった盆栽−トウカエデの林風の景色・・・と、どんどん増えた(これは大げさな表現)。ボケは枯れてしまったかとがっかりしていたが、その木瓜、落葉したつるバラと同時に、一昨日頃から赤い芽をふきだした・・・もうじき新しい葉の茂りが出来そうだ。
それに、家の中には、飾り鉢で売っていたミニバラが花を三つつけて、咲いている。
もう、三週間ほどになるかな・・・。
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・・・おやゆび姫が突然老嬢に・・・また、幸福度?
3/21/Thu.
昨夜からの雨降りが小やみとなって、さらに曇り空。
そういえば、昨日の続き・・・2月に買ったチューリップ(おやゆび姫と名前がついていた)・・・それ、本当におやゆびのように鉢の土から直接、茎は見えず、緑色の葉と真っ赤なつぼみ(これが真っ赤なマニキュアみたいだった・・・)が生え、いいチューリップと気に入っていたが、一度日当たりへと・・・ベランダへ出したら、突然成長し、アッという間に普通のチューリップ・・・、瞬く間に背丈は伸び、花は満開、そして翌日には花はしおれて・・・おやゆび姫のチュ―リップは、おばあさんに大変身。ええ、茎もねじれて大変な老嬢・老婆ぶり・・・これにボクはびっくり、まるで一寸法師か浦島太郎か、はたまた竹取物語のかぐや姫(?かぐや姫ですよね?)・・・おとぎ話がとんでもない現実になって、ボクは腰を抜かさんばかりに驚いた(なんとまあ、老人じみた表現ですこと、ホッ
ホッホッホッと笑われるかな?)・・・。
・・・こんなおとぎばなし・・・ええ、本当にとんでもないことになって・・・今は、ベランダの片隅で、完全に枯れるのを待っている・・・そう、来春用に球根を取ろうと、茎が枯れるのを待っている僕です。複雑な気持ちで・・・。
(球根を取ること・・・鉢にさしてある名札に書いてあった)
ところで、桜前線のこと・・・福岡市と東京でソメイヨシノが開花したという。
・・・ところでこの開花・その宣言・・・を見に出かける・・・これなんぞ、愚か者・本当の風情を心しないものやることだ・・・と、このニュースを聞いて、僕の心は即座に反応・拒否反応をした・・・そう、桜の開花はうれしいことだ・・・しかし、前線のその瞬間を目にしに行く・・・これは愚の極みだ・・・そう、開花のニュース・・・これを聴き、その喜び、冬が去って春が来た・・・この喜びを、心で聴く・・・そんな、ひそやかな喜び・・・俺は群れない・・・そんな群がって,開花の瞬間を待つなんてこと・・・何ともまあ、あさましいというか? 
・・・昨日20日、床屋での話・・・おいでになる途中の平和公園の桜はどうでしたか・・・つぼみは桜色が増してきたでしょうか・・・いや、残念ながらまだでした・・・今日は桜ならぬ梅・梅林が満開でした、少し盛りを過ぎているのでしょうが・・・今日は気温が20度まで上がるそうですが・・・例年どうりですかね・・・開花は・・・花見に出かけたいですね・・・ええ、仕出し屋に弁当を注文して・・・と・・・僕たちは、普段贅沢をしないけど・・・お花見には、仕出し弁当を注文し、それを心待ちして、出かけました・・・時には、それに、自家製のだし巻きとかカラアゲなんぞを添え、ワインも飼犬とともに・・・ナツカシイ・・・。
・・・桜の開花を待つ心・・・心に思うこと・あいさつに開花予想を語ること・・・そんなことこそ、桜の開花にふさわしいと僕は思う。そういえば、我が家の前の桜の街路樹・・・つぼみはまだまだほんの膨らみ。
ここまで書いて、スーパーへ買い物に行こうか、と時計を見たら3時30分。
*3/21/Thu.
今日後で書き加えた・・・国連が調べた世界の国々の「幸福度」・・・ニュースの始まりは、街頭インタビュから・・・あなたは日本人の幸福度は世界で何位くらいだと思いますか・・・だったか、質問の趣旨はこのようなものだった・・・対して、答えは10位台から一けた台・・・すなわち高い幸福感を持っている答えが多かった・・・。
実際は、その世界での日本のランキングは実は”第58位“・・・ぼくは、いい位置にいると思った。確かに、薄々感じる政治の偏り・・・そこに密かに阻害に曝されている国民・市民がいる・・・と、思っていた”あまり満足感を感じちゃいけないけないよ“・・・すなわち、”適当なところで満足しよう“とボクの心の内にあった。
これを国民は国になんぞ依存しない・・・すなわち自己満足で・・・補っていたのだ。すなわち、日本人が持っている幸福度は、自己抑制が効き、不満度の小さくとも、日常の些細な仕合せや、戦争や紛争がない、デモやテロもない(サリン・地下鉄・・は別なのか?)と、いわば、適当なところで満足してしまう満足でいい、といった小さな幸せが幸せなんだというような、国民性ともいえる、満足感があらわになったインタビュー結果ではなかったと、ボクは聞いていて解釈した。
この国連が調べた日本の幸福度58位は、調査がどのような項目からなっているのか、ボクは全く知らないが・・・国連の調べの結果から見えてくるこれは、日本国民よ”政府に騙されちゃいけないよ“という警告が働いているようにも見える。あるいは、日本国民のほとんどが、小さな家で肩を寄せ合って暮らし、国民の間には、生活格差、進学格差などが歴然と現れていて、そのことに、国民が気付いていない、あるいは、国民性が踏ま个鯱海蕕気覆い箸、身の程で満足するとか・・・しかし、それを世界水準・平均的なところで、比べてみれば、日本国民は意外なことに、世界第三位の経済大国の割には、質素な生活、些細なことで幸せを感じ、多くを望まない・・・そんなところ、それを国連の調査がくみ取ったのかしら・・・そんなことはあるまいが。
ここで日本が日本人のほとんどが国民が感じている10位台から一けた台なんて結果に本当になったら、ボクは現実感からも受け入れられないに違いない。
・・・そう、ボクは日本人の精神性・・・多くを望まない・・・身の程で満足・・・このように、日本人の生き方は、本来質素であったし、これからも、質素であるべきだと思う。そう、世界第3位の経済大国・・・こんなニュースは、これまでと現在の僕には望むべくもないし実感もない。
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・・・雨あがり、そして、あまりにも強力な、春一番・・・
3/22/Fri.
昨日は小雨と曇りがちな一日だった。今日は雨が上がって、夜明け前から強い風が吹いている。これは“春一番”なのだろう。しかし、あまりにも猛烈な風力・・・これは嵐だ。そして一日中吹きまくった・・・あまりにも強力な、春一番・・・。
・・・昨日の続きのような今日のタイピング・・・。
昨年あたりから、切り花ばかりじゃなく、ときどき、鉢植えの花を買う・・・不思議なことに、切り花は常に目に付き、しおれた様子に水が不足してるかな、元気を出せよと、声をかける。しかし、四五日するとやはりだめになり、“ありがとうね、さいてくれて・・・”
と、ひと声かけて処分することになる。
鉢植えも手がかかるが、なぜか、切り花とは違った愛着がわく・・・。
・・・日当たりへ持ちだしたり、日陰へ持ち帰ったり、時には粒の化成肥料をツブツブと・・・土にのせたり、液肥を土にさしたり、枝々の花が咲き終わり枯れかかった花を摘み取ったり、鉢ごと雨にあてたり・・・また、風がつよくなれば鉢ごとひっくり返りはしないかと心配をし、寒くなれば霜に当たり枯れはせぬかと・・・気にかかり、ときには、スイセンのように鉢から露地に植え替えもする。
昨年は、ツルバラを大きい鉢へ植え替えたりと・・・平たい角鉢へは、街路樹が振り蒔き自生した苗を次々と抜いては植えこみ・・・林のような盆栽風にと・・・心を砕き、これが成功し、盆栽だ、盆栽だ・・・と心が浮き立って・・・よし、松もやってみるかと、玄関先に自生してきた松を鉢へ移植・・・これが失敗。枯らしてしまい・・・ひどく落ち込み、後悔にやけ酒をのんで、禁酒を破り、改めて後悔をし直すなんて言うバカゲタことへのめり悪循環へ落ちる・・・。
・・・とにかく、枯れはせぬか、根はついたか、来年は花が咲くかしら、新芽は出るかしらと・・・期待と心配が入り混じって・・・ついつい、家の出入りには目が行き、言葉をかけている自分に気づき、如雨露(じょうろ‐水を雨状露状に振りかける水遣りの園芸の道具)で水遣りなどなど・・・と、さらに、この如雨露は、連れ合いといった旅行先のバラ園で買った小さな英国ジョウロ・・・といっても張り紙があって、それにのせられたか、普通のジョウロ・・・これを手に取るたびに、旅で行った楽しさを思い出し、心が、如雨露の水でいっぱいになってあふれ出たり・・・と、玄関先の水道栓をひねりつつ・・・などと、常に何かの思考回路が働き・・・心は、ぬれたり湿ったりしたり・・・と忙しく・・・この暇人の心が弄(もてあそ)ばれている。
・・・こんな切り花や鉢植えにまつわるいろいろなこと・・・。
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・・・生きるということ・・・これ?・・・
3/23/Sat.
連日、草木・花のことを書いていると、母がささやかに作っていたというのか育てていた季節の花類、その季節ごとの花壇、そして棚の上のいくつものサボテンの大小の植木鉢・・・サボテン、その育ち具合と、夏の夕方、陽が落ちて薄暮が迫ってくる頃、ほのかに花が咲いたときの嬉しそうな顔、僕らもうれしかったこと、と・・・その世話をする母の姿、そして、その心の中のこと・・・病弱なその日常、四人の子、ぼくと弟と妹たちの子育て、その心のありようまでも想像し、胸があつくなったものだ。
・・・そう、こんなボクでも、一応は長男だったから・・・いろいろ思うところがあったのだ。
・・・人それぞれの、持って生まれた健康状態・・・急逝したわが連れあい、Mさんも連れ添った当時から健康状態が不安定だった・・・気遣ってきたが、まだ足りなかっかと、悔やまれる・・・。僕自身も母に似たのか病弱だったが、成長するにつれ、われら子は健康を得てきたが、ボクは連れ合いをなくしてから生来の虚弱性が露出してきて、生き残ったこの体をなやませている・・・。今では、“病気のデパート”だと、一つ一つ説明するのも面倒なので、ひっくるめて、いっている・・・が。
こんな家族を養ってきた、サラリーマンの父・・・オヤジは、けっこう健康体だったようだ。この父母、母もともに、奇跡的にともに80代半ば過ぎまで、そう、長生きというのだろう、二人は生きられた。
・・・しかし、その人生に、ボクはどこまで“孝”を尽くせたか・・・結論は“孝行らしきことをしてこなかった”・・・そう、その細い脛をかじりにかじり、しゃぶってしゃぶって、妹たちと弟に迷惑をかけ自分自身の生き方のみにを、わがままになしてきた・・・これが結論だろうと、振り返って思い、また、悔やんでもいる。
・・・生きるということ・・・これを、なんといったらいいのだろう。
そう、誰もが、どんな家族もが、さまざまな佳きことつらいことを、克服しつつ生きているのだろう・・・人生、そう、そんなにいいことばかりではないかもしれないが、頑張っていきたいし、生きていってほしい・・・だれもが。
・・・自分自身のことから、余計なお世話まで言ったのかもしれない・・・まあ、お許しを・・・。
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・・・いっときの賑わい・桜花の季節とともに・・・
3/25/Mon.
今日は八月美術館へ6人の女性が来館くださった。
1月においでいただいた方たちのお一人が、改めて他の美術仲間5人とともに、おいでいただいたのだ。
こんな小規模で、かつメジャーな作家の作品でもないもの・・・その、鑑賞に耐えられるかどうかわからない作家の作品。
でも僕としては歓迎だ・・・人の出入りもなく、こもりきりのこの身、こうして賑やかにやってきてくださる。ただご覧になっていただくだけじゃなく、そのあとのお茶の時間、この準備をする前日の時間は楽しい・・・。
・・・いっときの賑わい・・・。ご案内くださった皆さんの心の内に、この界隈の桜の開花の様子を、御覧に入れたい、見せたいとの心づもりをも持たれたのだろうか・・・それにこたえるかのように、この三本の桜は、ちょうどポツポツと開花しはじめ・・・お茶の時間中にもポツポツは続いた。
そう、・・・街路樹の桜三本・・・チラホラと咲いて・・・桜開花の期待が高まる。
日本人は桜の季節になると、なぜか心が高ぶるらしい・・・不思議な民族だ。
・・・そう、そうして良くも悪くも、桜に振り回される・・・その桜前線は北東へ北東へと、上っていく、その前線の移動は一月どころか二月にも及ぶ。さてもさても、この“桜前線”なるもの・・・これを気象と結び付けた・・・日本人・・・この列島に住み着いた、この極東・・・果ての国の民族の”独りよがり”は、この国へやってくる人らにまで伝染していく・・・。
・・・果ては、死ぬときは、桜の下、如月の望月に(西行)・・・なんて願い、本当にその望み通りの死にざまを見せる・・・。これ、いかにも日本人らしい・・・桜花と死・・・この絶妙な、というのかあまりな入れ込みように・・・ばかばかしくなるどころか・・・その死にざまを・・・我も我もと・・・!!!
果ては、戦場へ送る兵士にまで、桜の思い出を背負わせ、この国土を守れと、命を懸けよと、死を強要し、その死を美化して、国という何者か明瞭ではない体系が、国民一人一人を縛り付ける・・・。
・・・ああ、そのあげく、国民は、日本人は・・・このばかばかしさを、賛美してしまっだのだ・・・この桜花へ精神を仮託し・・・それによって国も国民も・・・加担したわが身わが心・・・その油断を花のせいにし、自らを許してしまったのだ。
この季節・・・僕も、桜花という刻々迫りくる・・・花津波にのみこまれ・・・花から花へと・・・心が漂い続ける。
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・・・何と怪しく妖しい・この高笑い・桜の妖怪?・・・
3/28/Thu.
目の前の桜がガラス越しに白く見えるようになった。まだ、四五分咲きといったところか・・・。
夕方、この歩道を通り過ぎていく、幼児・・・女の子らしい、その笑い声・・・お母さんと一緒なのだろう・・・そう、その子がおとなのような高笑いをしつつ通り過ぎていく・・・そう“ワッハッハ、ワッハッハ”・・・と僕には聞こえる・・・高笑い・・・だが、その声音に幼児らしい響きがあって・・・僕はなぜか、ホットしたのだ・・・。
・・・この“桜病”・・・日本人は、こんな幼子の時から・・・“桜狂い”をするらしい・・・。
昔から、春には”頭のねじが緩む“というが、この桜花病を言うのかしら?
ああ、何とも恐ろしい・・・何と怪しく妖しい・・・この高笑いだろう。
・・・僕は今日一日・・・またも一歩も外出せず、こもりっぱなし・・・そう、ウオーキング・・・にも出かけず・・・左膝痛を理由にしてさぼった・・・。そして、やっぱり寝つきが悪く、午前0時に、ベッドを抜け出して・・・これをタイピングしている・・・そう、ばかげた悪循環・・・。
・・・ひよっとすると・・・あれは、あの高笑いは・・・桜の妖怪の高笑いだったかもしれない・・・。
・・・桜の病・桜を病む・・・この花咲くころ・・・なぜか、人はウラウラ・ユラユラと・・・桜の樹下にさまよい出る・・・。我が家の前、この歩道にはそんな典型的な日本人・・・桜病の患者が行き来するのだ。
・・・そう言えば今朝、妹から「家の前の桜は咲き始めたの・・・?」と、電話があった。何百キロも離れたところから・・・そう、これも桜病に・・・うん、ここにも桜を通じて、兄妹のつながりがある・・・なんともいえないうれしさがボクの心に残った・・・。そう、この桜の開花を心にとどめる妹の、その心根を、ボクはうれしく思ったのだった。
しかし・・・こんなタイピングを・・・寝付けないからといって・・・真夜中“丑三つ時”にこうしてBLOGを書いている僕こそ”怪しく妖しい存在“なのかもしれないな・・・。ああ、今年も僕は桜の妖怪に取りつかれたか?・・・これも悪くはないかもしれないな。
・・・それにしても・・・寝付けないのは・・・先週も木曜日だったかしら?と、なると、そう、木曜日の妖怪・・・なのかもしれない。桜の花とは関係なく?
・・・いやいや、妖怪でも桜花でもなんでもなく寝付けなかったのは、習慣を破って、ウオーキングをさぼったことが原因だよ・・・そう、心地よい疲れを作らなかった・・・そう、習慣とは身についた日常そのものなんだから・・・ね。ほんと、おっしゃる通り・・・。
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・・・春とはふしぎな季節だ・・・
3/29/Fri.
でも昨日の・・・“木曜日の妖怪”・・・そんなのが誰の心の中にもいるのかもしれない。そう、古い家には”座敷童(ざしきわらし)“がいるという・・・いや、古い家ばかりではなく、どの家にも、誰の心にも・・・いるかも。
でもね、座敷童は・・・いい子、悪い子・・・どっちかしら・・・。
・・・花を愛で、鳥のさえずりに心を開放する・・・ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・なんだか、みな穏やかな鳴き声・囀り・・・そう、桜が満開に近づく・・・それにつられ、鳥たちも虫たちも・・・人のように浮かれ出る・・・。
春とはふしぎな季節だ
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・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・
3/30/Sat.
花曇りとなった・・・そこへ、ウグイスがなき、名を知らない鳥たちが鳴く・・・これって、昨日のパクリじゃないか・・・まあ、お許しを・・・一部分をね。
ところで・・・昨日のニュース・・・改元、その元号の発表、その式次第のような、この政府による4月1日のスケジュールが固まったそうな・・・。まあ、平易な漢字で、表現してほしいね・・・でも、アベが元号の意味の説明をする・・・これって変じゃないか。
・・・まさか、元号決定にまでしゃしゃり出て「俺が決めた」なんて言うんじゃないよね・・・。
説明は、アベがしなくたって新聞かラジオ・TVに自然に流れるようにすればいい・・・とくだん、アベが、ここにしゃしゃり出るなんてことは、全く必要ない、・・・まあ、どうでもいいけど、山中さん林さん・・・この人たちが決めるのでもなさそうなのに顔を連ねる・・・これも奇妙なこと・・・なんなのこれって。そう、今はやりの”インスタ映え?“するからなの。そう、・・・奇妙な”元号発表の顔揃え“・・・。
元号・・・これは慶事の記憶よりも、戦争や災害の記録と記憶にかかわって語られる比重が大きいかもしれない。そう、戦争・内乱という時代ではないかもしれないが・・・自然災害は絶え間なく襲い来る・・・日本・・・心引き締めて次へ進もう。
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・・・平成31年3月31日・・・
3/31/Sun.
昨夜、ボクはふと思い出した。良寛さんの言葉・・・
炊くだけは風の持て来る落ち葉かな
・・・そう、人生、なるようにしかならない・・・でも、食っていくだけのものを、天は与えてくださるだろう・・・きっと、そう、俺の人生はそれでいい、それだけでいい・・・行雲流水・・・天がなされるがまま生きるとしよう・・・このような意味だろうか。
僕は良寛さんのようにはとても生きられない。残念ながら僕は、俗物そのものだもの、・・・このオレの器量では多くはのぞめない、ここにきて、ふと思った・・・まあ、生きていくさ、生きられるだけ。
・・・今月はここで・・・今年の桜、御覧になれましたか、ええ、何も花見弁当を持たずとも・・・近くの公園へ出かけてみましょう。お元気で、四月もよろしく。
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HITBIT 心もよう vol-108 February 2019

HITBIT[心もよう]vol-108  February 2019
名古屋は相変わらず寒さが厳しい。曇り空の日々だ。北国では日ごとの週間天気予報も雪だるまマークが連続している。
先日6日、眼科へ出かけた。雨模様の曇り空・・・寒気も厳しく、つらい。そんな医院からの帰り、傾けた傘を立てた目の前に、小さなつぼみをいっぱいつけた紅梅のはだか木があった。
途端にうれしくなった。春の予兆・・・いろいろあるが・・・この梅の花のつぼみ・・・。
緩い坂道に立つマンションの足元・・・外壁に沿って帯状に、この紅梅と白梅、サザンカと、数本ずつ混ざって植えられている・・・サザンカは満開、紅梅と白梅はまだ固そうなつぼみ・・・そして、それらの根元に、スイセンの株が満開の花をつけていた。
・・・そう、ボクは、医院への往路に、いつの間にか俯いて緩やかな坂を足元に注意しつつ上っていたらしく、この冬姿の植木に全く気付かなかった・・・そして帰り道、ゆるやかな下り坂に、ここでもやはり俯いて足元に注意しつつ歩いていたらしい。
何気なく傘を立てて見つけた、春の気配。
・・・そう、老いとは情けないものだ・・・何も恥じることはないのに、自然に、情けないことに・・・僕は、人生を俯いて歩いているらしい。

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===目次===
2/01  ・・・マスク姿が横行・・・
2/03  ・・・節分・・・
2/06  ・・・ぼんやりとした覚悟・・・
2/10  ・・・一瞬の春を楽しんだのかもしれない・・・
2/15  ・・・そのお声には、安堵感があった・・・
2/17  ・・・その表現に不思議は増すばかりといった・・・皆さま
2/18  ・・・睡眠難民・・・
2/19  ・・・アベは拉致被害者家族らの気持ちをはぐらかさず行動を・・・
2/27  ・・・明るい気分より暗い気持ちがずううーと続く・・・
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・・・マスク姿が横行・・・
2/01/Fri.
如月・きさらぎ・キサラギ・・・なんとも妙な響きの、この月‐二月。
とは言っても、これは太陽暦・・・陰暦ではまだ12月27日。
2月はさらに寒気が増す・・・今年はインフルエンザが猛威を振るっている。
・・・マスク姿が日ごろよりもさらに増えた・・・。
このマスク姿・・・僕はなんだか異様に思ってきた・・・顔を隠して歩く・・・それも女性が圧倒的に多い。
風邪を警戒しているのか、あるいは、顔を隠しているのか・・・どちらが目的かしら。
顔を隠す・・・これは異様だ・・・何かがおかしい。そう、なんでもないときに、マスクをつける・・・顔の半分以上が隠れている・・・それ、ボクは老いゆえか、いつの間にか俯いて歩いていることに気が付いたが・・・老いたからといって、若く美しいからといって、女性だからといって・・・マスクは、よろしくない・・・マスクを常用すると、その鼻腔や喉の抵抗力が弱っていくように思える・・・もちろん医者じゃないから、確かなことはわからないけど・・・。ただ、ボクは呼吸器が弱くて、咳をが出ることが多い、現在も、大人喘息・・・これは確かにつらい・・・しかし、若いころのように、首に湿布のタオルや手ぬぐいを巻いて寝ることはしなくなった・・・そう、確かに湿布か乾布をすると咳は出なくなる・・・子供の頃、母は呼吸器が弱く、常に湿布をして眠りについていた・・・その習慣がいつの間にか風邪をひいたとき、あるいは風邪が流行った時、その予兆があった時・・・などと僕ら子供たちへ湿布・乾布を巻いてくれた・・・、首・喉・・・に湿布・乾布を巻かれた・・・僕はそれを、50歳ころからだろうか・・・あえて、湿布なしで過ごす、起きているときはもちろん、眠るときも・・・あえて湿布・乾布を巻かなくした・・・それでも、寝付けるときは寝付かれる・・・咳が出るときは出るし出ない時は出ない・・・いや、ばかげたことを書いている・・・ごめん、そう、湿布・乾布・・・これの効用は気のせいなのだと、以来この年になるまで・・・あえて、喉・首をあえて労わらないですごしてきている。
しかし、エリマキ・・・そう冬の外出時の防寒対策・・・このマフラーを巻くこと・・・確かにセーター一枚分ほどの効用・・・防寒効果は絶大だ。温かさが違う・・・ありがたい・・・と、マフラーは冬の外出には必要だ。
・・・そう、過保護はよくない・・・ということか・・・マスク・・・をすることも。
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・・・節分・・・
2/03/Sun.
今日は節分・・・宵のウオーキング・・・帰りに節分豆を買った・・・毎年一月中に二度ほど節分の煎り豆を買うのだが・・・今年はすっかり忘れてた・・・ついでに忘れていたのが正月7日か8日には雛飾りを出していたのを・・・すっかり忘れていることにも気づいた・・・もちろん、雛あられも買い忘れている。
・・・そんな“もの忘れ”を思い出した目で部屋の中を見回してみると、部屋の中は乱雑・・・いろいろなものであふれ雑然としている。
・・・掃除は毎週土曜日に集中的にやってきた。掃除は嫌いじゃない・・・が、最近は普段は土曜日の掃除と日ごろ気が付けば掃除機をかける、という状況になっている・・・それでも、階段は、踏み面・段板に粘着テープで埃をくっつけて、取っているが・・・。最近は、この部屋・居間の雰囲気が悪い・・・雑然・・・物があふれている・・・。そう、この居間と食卓・・・食卓書斎にしてから・・・整理が出来ていない・・・雑然、ピシッとしたかつての雰囲気はどこへやら・・・自分で言うのはおかしなことだけど・・・結構整頓が行き届いていたこの居間と食卓回り・・・そう言えば、さらに上階の書斎は、もう手が付けられない状態にまで散らかったまま・・・かつての面影はない。
・・・本を書き上げたら”掃除をする”と、思っていたが・・・こうして、目的を達しても・・・散らかったまま。
まあ、温かくなったら・・・改めて各階を掃除しよう。
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・・・ぼんやりとした覚悟・・・
2/06/Wed
半年ごとの眼科への受診・・・飛蚊症や涙目、さらに視野の薄い霞がかり(気のせいかもしれない)、視力の検査とか・・・いろいろと。次は、八月、連休前の水曜日・・・予約は取らない・・・それまで生きているのかどうか・・・ここまで生きると、半年も先に何が起きるか覚悟を持って生きる必要がある。
・・・また、いくら世の中から隠れたボクでも、時々は“世の中とつながる”ことがある・・・電話で・・・かかってくる電話、さらにこちらの必要から・・・かけた電話口に・・・。
・・・そう、高校の同級生だったMくんへ卒業以来のコンタクトをと、迷った末の電話をした・・・。「ああ、残念でした・・・きょうが45日忌を午前中に済ませたばかりです・・・」・・・「8年間透析を続けて亡くなりました」と、奥様。
・・・僕は”絶句“・・・こんなこともあるのだ・・・人間が生きてこの世にある・・・その過程では・・・。
また・・・「酒の飲み過ぎで死んじゃった・・・」と、学生時代の友人を話題にのせ知らせてくれる・・・知り合いへの電話からの情報・・・なんてのもある。
没交渉な僕でも“訃報”をこうして知るのだ・・・。
また、夏になると民生委員が「元気ですか〜」と、訪ねてくださる。独居老人を巡回されているとか。
・・・まあ、死を迎えること・・・覚悟はしているが、その準備は全くしていない。何とかなるだろうと、ぼんやりとした覚悟だ。
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・・・一瞬の春を楽しんだのかもしれない・・・
2/10/Sun.
6日に書けばよかったのに、すっかり失念していた。とにかく物忘れがボクの脳裏にはびこっているらしい。そう6日、眼科の診察を受けに出かけた折り、バスではなく、徒歩で1劼半々を行った。途中BLOG中にも時々書いている”池“・・・そう、新池というグランドピアノ型の池だけど、秋の紅葉がとてもきれいなピアノの鍵盤に当たるその西の斜面・・・そして、その遊歩道、この歩道下の斜面に葉を落としたトウカエデの林、これは自然林・・・その枝上にヒヨドリが群れをなしていた・・・ええ、ヒヨドリが15・6羽ほど群れ、ピヨピヨと囀ている・・・なんだかいつもの鋭い鳴き声じゃなく”やさしい囀り“・・・こんなのなんて、見たことも聞いたこともなかった・・・そのうえ、ぴょんぴょんと枝渡りなんぞしちゃって・・・群れの中に親密な感じがあふれかえっている・・・さらに、池の水面にはカルガモらしい集団、それも30羽ほど・・・こちらは、鳴きもせず・・・ただ、柳の枝が伸びた下の水面に群がって・・・ユラユラと水面に・・・こんなのも、これまで見かけたことがなかった。
そう、感想だけど・・・節分・立春・・・を過ぎ、これをヒヨドリもカルガモも・・・同時に感じたんじゃないかと・・・そう、どこからか渡ってきたばかり・・・カルガモは北への帰還を始めたか・・・ヒヨドリは春の飛来・・・それが偶然・・・重なったのかなと、なんだかうれしくなって・・・しばらく、鉄柵に寄りかかってみていた・・・。そう、寒さも一時遠のいて鳥も僕も・・・一瞬の春を楽しんだのかもしれない。そう、この後、強い寒気がやってくるとも知らず・・・。
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・・・そのお声には、安堵感があった・・・
2/15/Fri.
今夜は8時から夜回り・・・ええ、東明町町内会の夜回りだ・・・。さほど寒さは感じなかった・・・というより、ボクの防寒こしらえが大げさすぎたか。
・・・参加された方は全部で8名・・・世話役の方が・・・今夜は多くて8名も・・・と、嬉しそうだった・・・。男女各4名・・・ほとんど常連・・・。
・・・先月、そう正月に泥棒に入られたおうち、フェンスはすっかり修復が成っていて、巡回のみなさん、すっかり感心されていた。
・・・そう、侵入の痕跡、壊された高さフェンス2ḿ、幅60僂曚匹離罐縫奪半のが6・7枚、その一枚が壊されたのだが・・・きれいに修理されていた。
・・・確かに、こうして夜回りしているのに、壊され、侵入されたと見聞きするのは、悔しい・・・そんな思いを皆さん・・・持たれていたのだろう・・・その修理ぶりに感心すると同時に、何となく安心と、やや時間外だとは言え、その犯行に、いくらかの憤りをお持ちであった方々なのだろう・・・そのお声には、安堵感があった・・・。もちろんこれは僕も同じ気持ちだ。
・・・まあ、こうして、世の中と、ささやかにでもつながっている僕です・・・。
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・・・この表現に不思議は増すばかりといった・・・皆さま
2/17/Sun.
かねてお誘いいただいていた近所の音楽会へ出かけた・・・そう、歩いて7・8分・・・の近所。以前、家の前で偶然出会ったお方・・・犬の散歩に時、我が家の前の歩道をお通りになって・・・八月美術館が気になっていたが、こうしてお目にかかった次いでといっては失礼だけど、とのご婦人・・・そんな立ち話、そして、後日友人とご一緒に来館いただいた・・・。まあ、貧相な美術館だけど、こんな風な出逢いからの来館が時々ある。今日もその音楽会から帰ってきて、表で同じような出逢いがあった。
お年を召された男性・・・この方も、以前からお顔は存じ上げて時のご挨拶をする・・・それだけのことだけど、このお方も・・・以前から気にしていただいていた様子・・・ええ、インターネットでお調べくださいと、申し上げておいた。
・・・なんだか、ようやく質問する機会を得たというような・・・そう、納得された感じだった。
以前は、奥様とご一緒の散歩・・・ところが、昨年の夏以来お一人で・・・暑さが、大変ですものねと・・・立ち話。
・・・そう、こんな小さな建物なのに“美術館”と銘打って・・・この表現に不思議は増すばかりといった・・・皆さま。まあ、こうして、疑問、いぶかしさ・・・は、解けていくのかしら・・・。
・・・まあ、音楽会・・・大人喘息・・・発作が出なくてよかったです・・・。
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・・・睡眠難民・・・
2/18/Mon.
最近・・・睡眠・・・全く寝付けない夜と、一瞬で値付ける日が・・・交互にやってくる・・・。もちろん寝つきがいい時の方が多いのだけど・・・寝付けないのは本当につらい・・・それでBLOGのタイピング。
何ともおかしなことだ・・・心は眠いのに・・・。
ずいぶん今日へ食い込んだ就寝時間・・・。
睡眠難民・・・。こんなこと聞いたこともない。
・・・ところで、このファイル保存できない???
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・・・アベは拉致被害者家族らの気持ちをはぐらかさず行動を・・・
2/19/Tue.
冷たい雨が降っている。
今日、拉致被害者家族が総理大臣アベに面会し、早期の解決をするよう要望した。
対して、アベは、拉致被害者家族の要望をアメリカ大統領に伝え、北朝鮮のキム委員長へ、この要望を伝えてくれるよう、トランプへお願いする・・・と、おおよそ、このように答えた。
・・・その会見後、拉致された横田恵さんの母、早紀江さん(名前の漢字、間違っていたらごめんなさい)は、報道陣へ「(総理大臣とキム委員長が)一対一で話し合っていただいて、早期の解決をしていただきたい」と、会見後の気持ちを述べた。
・・・この言葉を、アベはどのように聞いたのか聞かなかったのか・・・。
総理大臣といっている者が・・・自国の問題を、他国の大統領に、仲立ちしていただいて、拉致被害者の思いを伝えてもらう・・・とは、あきれてものが言えない、もうこれは二度目だか、三度目だ・・・こうして書くのは・・・というより、思わずこうして、不満を言いたくなった・・・そしてタイプしている。
・・・馬鹿気たことを言うアベだこと・・・「一対一で」と・・・横田さの母親が言ったこと・・・それは・・・“アベよ、直接出向きキムと会見し要望しろ”・・・ということを、軟らかく婉曲に言ったのだ・・・“他者頼みしないで・・・自国の総理大臣は、なぜ出かけて行って、キムと一対一で会見し、遺族の思い、国民の思いを伝えないのだ・・・”という、不満、いら立ちを・・・「一対一で」・・・と、この一語にかけて、強く不満を述べられた・・・と、思う。
・・・そう、アベは、国民の不満や不信に・・・ドジョウやウナギのように・・・するりスルリ・ヌルリ・ヌメヌメ・・・と逃げ抜けていく・・・いま、今国会においてのあらゆる首相答弁が・・・この実態と、かわることがない。
そして、決して実態が伴わない、アベノミクスを、常に自画自賛して憚らない・・・ぬけぬけとずうずうしく・・・言ってのける。
国と地方自治体の借金が1100兆円もになているのに、日本を好景気にしたと、偽りのうそぶきをする。
・・・アベは、いい加減に、トランプ頼みをやめ・・・正面から、拉致被害や家族らの、拉致被害者ご本人らの・・・気持ちをはぐらかさないで、正面から受け止め、行動すべきだ。
・・・正面から攻められるとはぐらかし、あるいは、声を荒げるのは、不誠実だ、人として・・・最低だ。
人頼みも・・・一度はいいかもしれないが・・・不出来だったら、今度は自分で考え、行動し、活路を切り開いていく・・・そんな覚悟が必要だ。
今のアベは、一国の総理大臣のやるべきことではないことを・・・懲りず、反省せず、やり続けている。
・・・被害者の気持ちを汲むなら、奥さん同伴で、北朝鮮へ飛べば・・・トランプの頭越しに北朝鮮へ飛んで行ってはどうだろう・・・制裁ばかりでは、人の問題は解決することはない・・・面と向かって・・・一対一・心を込めて、話し合いをやるべきだ・・・しかし、今はその時ではないかもしれない・・・北朝鮮の非核化という問題が今、目の前に課題となっているのだから・・・と、いって・・・横田恵さんの母、早紀江さんの言葉は、やわらかだったが、腹の底からの叫びだということへ思いやるべきだ・・・アベよ。
互いに、夫婦で面会できるよう行動を・・・最近の、キムも夫人同伴場面が多いのだから・・・そんな時が来るのを心から願う・・・。そんな時期が来るには、大きな想像力と、大きな決断が必要だ・・・政治家としての。
「平和国家への模索」・・・これは・・・ひょっとすると、道は開けるのかも・・・平和の方向へ我が国を導くことは。
しかし、トランプをノーベル平和賞へ推挙するなんてことは・・・愚の骨頂・・・馬鹿気た戯言だ・・・冗談だろ?違う?本気?
・・・いや、お追従です・・・と、国会で答弁しては・・・?
・・・トランプとツルンデたら、未来はややこしくなること必至だ。
プーチンとも気を付けてね。
・・・それよりも、日本が平和国家として独立するための模索こそ始めるべきかも・・・他国とつるまない・・・自前の自由な国としての模索を・・・。
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・・・明るい気分より暗い気持ちがずううーと続く・・・
2/27/Wed.
落ち着かない・・・。躁と鬱が交互にやってくる。明るい気分より暗い気持ちがずううーと続く。深刻な病というほどではない・・・躁鬱なんて言うから深刻に聞こえるのだ。
“時々気が塞ぐ”・・・と、書くべきだろうか・・・。
閉じこもり老人・・・孤独・・・いやいや、そうではなく「孤高の人」といいたい。
・・・英国のEU離脱・ブレグジット・・・これを、“名誉ある孤立”という英国民もいるとか・・・そう、一匹・いっぴき・イッピキ・・・いいじゃないか。
・・・僕は、つるんでこなかった・・・いつも・・・イッピキ・一疋・・・この字がいいかな・・・気持ちとしては。
・・・・。そういえば、またばかげた話・・・アベ・・・四選なんて話が囁かれているという・・・なんとバカげたことを・・・政治屋なんて結局・・・”つるんでる奴ら”のことを言う・・・そしてオベッカを振りまく・・・。
・・・そう、悪くてもいいから・・・浪々の狼・・・彷徨える狼・・・尾羽打ち枯らした鷲・・・いや、カラス・旅がらすか・・・擦り切れたわらじ・・・裂けた合羽に一本差し・・・破れ日差しが漏れる三度笠・・・どこへ向かうか、この堤・・・ああ、見えてきた一本松・・・懐かしい、渡し場・・・あの舟に乗り向うへ渡れば、懐かしいオッカサン・・・なんて、ひょいと引っこ抜いた茅(チガヤ)の茎、噛めば昔がよみがえる・・・なあーんてほざいて・・・口ずさむは“引かれ者の小唄”・・・か。
・・・そう、このオレの末路よ、これは・・・はっはっはっ、て・・・笑ってみたが、むなしさつのる・・・この如月の空の下・・・乗るか乗らぬかこの渡船・・・ああ、おっかあぁ・・・合わせる顔があるものか・・・渡世人の末路・・・今のオレに。
・・・あぁ、行っちまった渡し舟・・・むなしく聞こえる櫂の音・・・。
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・・・ト、イウワケデ・・・この後、体調・気持ち・・・ともに不調・・・すっかりBLOGの投稿を忘れちまって・・・このざまさ・・・・はっはっはっ、て・・・心はすっかり渡世人・・・尾羽打ち枯らした烏・・・というところ・・・きょう3月6日・・・に投稿しました・・・一応2月号として・・・失礼しました・・・おゆるしを。
少し春めいてきました・・・ウオーキングの道すがら・・・ポケットパークの“かわずさくら”が満開になりました・・・・そしてもう一本、“じゅうがつさくら”は、小さな可憐な花をいまもさかせつづけています・・・そう、もう二十日もすればソメイヨシノも咲くことでしょう・・・。
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